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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>第二次世界大戦</title>
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				<updated>2017-09-13T14:56:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''第二次世界大戦'''（だいにじせかいたいせん）は、[[1939年]]から[[1945年]]にかけて[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]と[[枢軸国]]の二つの陣営で行われた人類史上二度目の[[世界大戦]]。主な戦場は'''ヨーロッパ戦線'''と'''アジア・太平洋戦線'''の二つ。戦争は連合国の勝利で終わった。'''第二次大戦'''ともいい、今日の日本では単に「[[戦後]]」といった場合、第二次世界大戦（[[太平洋戦争]]・[[大東亜戦争]]）より後を指すことが多い。両陣営合わせて数千万人の死者を出した他、動員された人数、戦費、戦場の規模など、現在に至るまで人類史上最大の[[戦争]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ソビエト連邦]]と[[アメリカ合衆国]]は、第二次世界大戦から世界を指導する[[超大国]]となる。このことは後に45年続いた[[冷戦]]の構図をもたらすことになる。[[国際連合]]の設立にはそのような対立を防ぐ期待があった。第二次世界大戦から生れた[[民族自決]]はその後の[[アジア]]と[[アフリカ]]における[[脱植民地化]]の動きを加速し、一方西ヨーロッパでは[[欧州連合の歴史|統一]]への動きが始まる。&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:90%;&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[大日本帝国|日本]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ドイツ]]、[[イタリア王国|イタリア]]などによって構成される[[枢軸国]]と、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[アメリカ合衆国]]、[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]、[[中華民国]]などが構成する[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の間の戦争。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ヨーロッパ]]では、[[1939年]][[8月23日]]に[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密条項]]を持った[[独ソ不可侵条約]]が締結され、同年[[9月1日]]早朝 ([[中央ヨーロッパ夏時間|CEST]]) 、[[ナチス・ドイツ]]軍が[[ポーランド侵攻|ポーランドへ侵攻]]し、9月3日にイギリス・フランスがドイツに[[宣戦布告]]した事により開始された。9月17日にはソ連軍が東からポーランドへ侵攻し、ポーランドは独ソ両国により独ソ不可侵条約に基づいて分割・占領された。さらに[[ソ連]]は[[バルト三国]]及び[[フィンランド]]に領土的野心を示し、11月30日からフィンランドへ侵攻して[[冬戦争]]を起こし、この侵略行為を非難され[[国際連盟]]から除名されながらも&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,762112-2,00.html Minus a Member] at Time magazine on Monday, Dec. 25, 1939 &amp;lt;/ref&amp;gt;[[1940年]]3月にはフィンランドから領土を割譲させた。バルト三国にはソ連はまず軍隊を駐留させ、1940年6月には40万以上の大軍で侵攻。8月には[[バルト諸国占領|バルト三国を併合]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ軍は1940年5月10日からヨーロッパ西部へ侵攻を開始。同年6月からイタリアが参戦。6月14日ドイツ軍は[[パリ]]を占領、フランスを降伏させた。さらに同年8月から[[ドイツ空軍]]の[[爆撃機]]・[[戦闘機]]がイギリス本土空爆（[[バトル・オブ・ブリテン]]）を開始。[[イギリス空軍]]戦闘機隊と激しい[[空中戦]]となる。その結果、9月半ばにドイツ軍のイギリス本土[[上陸作戦]]は中止された。[[1941年]]6月22日、[[独ソ不可侵条約]]を破棄してドイツ軍はソ連へ侵入し、[[独ソ戦]]が始まった。それ以降、ソ連は連合国側に立って参戦する事となった。ドイツ軍は[[ウクライナ]]を経て同年12月、[[モスクワ]]に接近するが、ソ連軍の反撃で後退する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アジアでは、[[1937年]][[7月7日]]の[[蘆溝橋事件]]以降、日中間の戦争状態が続いていた。日本は[[阿部信行]][[内閣]]当時、ヨーロッパの戦争への不介入方針を掲げたが、同内閣総辞職後、[[松岡洋右]]ら親独派が中心に1940年9月、[[日独伊三国軍事同盟]]を締結し、枢軸国側に立つ事になった。1941年[[12月8日]]([[日本標準時|JST]])、日本海軍機が[[ハワイ]]の[[真珠湾攻撃|真珠湾を攻撃]]した事で、日本とアメリカ合衆国が参戦。12月9日には中華民国が宣戦布告し、[[太平洋戦争]]（[[大東亜戦争]]）が始まる。さらに12月11日にはドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告。戦争は世界的規模で戦われるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1942年]]中盤までは、枢軸国が有利だった。ドイツ軍はヨーロッパの大半及び北アフリカの一部を占領。大西洋ではドイツ海軍の潜水艦・[[Uボート]]が連合軍の輸送船団を攻撃していた。日本軍も東南アジアから中部大平洋の島々を広範囲に占領し、日本海軍[[機動部隊]]はインド洋でも交戦した。しかし、1942年6月の[[ミッドウェー海戦]]で日本海軍がアメリカ海軍に敗北。[[1943年]]2月には[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]でドイツ第6軍が敗北。以降は連合国側が優勢に転じ、同年5月、北アフリカのドイツ・イタリア両軍が敗北。7月にはイタリアが連合国に降伏。アメリカ・イギリスの大型[[戦略爆撃機]]によるドイツ本土空襲も激しくなる。さらに[[1944年]]6月、フランスに連合軍が上陸し、東からはソ連軍が攻勢を強めていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
太平洋では日本は占領していた島々をアメリカ軍に攻撃され、1944年7月にはマリアナ諸島の[[サイパン島]]がアメリカ軍に占領された。これにより、日本本土の大半はアメリカ軍の新型戦略爆撃機[[B-29]]の行動範囲内に含まれ、首都東京は同年11月から空襲の被害を受けるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]]になると連合軍が東西からドイツ本土へ侵攻。同年4月30日、[[ナチス]]の指導者[[アドルフ・ヒトラー]]の自殺。5月2日のソ連軍による[[ベルリン]]占領を経て5月8日、ドイツが連合国に降伏。日本はその後も戦い続けたが、同年6月にはアメリカ軍は[[沖縄]]を占領。[[8月6日]]に広島、[[8月9日]]には長崎に[[原子爆弾]]がB-29から投下された。さらに同日、ソ連が[[日ソ中立条約]]を破棄して参戦。中国北東部・[[満州]]や[[朝鮮半島]]北部、[[南樺太]]へ侵攻してきた。日本は1945年[[8月15日]]に降伏。[[日本の降伏]]をもって第二次世界大戦は終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 参戦国 ===&lt;br /&gt;
{{Main|第二次世界大戦の参戦国}}&lt;br /&gt;
[[枢軸国]]の中核となったのは[[ナチス・ドイツ]]、[[大日本帝国]]、[[イタリア王国]]の3か国、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の中核となったのは[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]、[[中華民国]]の5か国である。大戦末期には当時世界に存在した国家の大部分が連合国側に立って参戦した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 背景 ==&lt;br /&gt;
{{main|第二次世界大戦の背景}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヴェルサイユ体制と世界恐慌 ===&lt;br /&gt;
[[画像:German losses after WWI.svg|thumb|240px|ドイツがヴェルサイユ条約によって喪失した領土]]&lt;br /&gt;
[[1919年]]6月28日、[[第一次世界大戦]]のドイツに関する講和条約、[[ヴェルサイユ条約]]が締結され、翌年1月10日同条約が発効。'''ヴェルサイユ体制'''が成立した。その結果、ドイツや[[オーストリア]]は領土の一部を喪失し、それらは[[民族自決]]主義のもとで誕生した[[ポーランド]]、[[チェコスロヴァキア]]、[[リトアニア]]などの領土に組み込まれた。しかしそれらの領域には多数のドイツ系住民が居住し、少数民族の立場に追いやられたドイツ系住民処遇問題は、新たな民族紛争の火種となる可能性を持っていた。また、ドイツはヴェルサイユ条約において巨額の[[戦争賠償]]を課せられた。[[1923年]]1月11日、フランスが賠償金支払いの滞りを理由に[[ルール占領]]を強行し、ドイツでは社会不安が引き起こされ、[[ハイパーインフレーション]]が発生。マルク紙幣の価値は戦前の1兆分の1にまで下落した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国は、[[1920年代]]にはイギリスに代わって世界最大の工業国としての地位を確立し、第一次世界大戦後の好景気を謳歌していた。しかし[[1929年]]秋、アメリカ経済は生産過剰に陥り、それに先立つ農業不況の慢性化や合理化による雇用抑制と複合して同年10月24日、株価が大暴落。ヨーロッパに飛び火して[[世界恐慌]]へと発展した。英仏両国はその対策として[[ブロック経済]]体制を築き、アメリカは[[ニューディール政策]]を打ち出してこれを乗り越えようとした。しかし、広大な植民地市場や豊富な資源を持たないドイツやイタリアではこのような解決策は不可能だった。両国の国民は絶望感と被害者意識をつのらせ、[[ファシズム]]、[[ナチズム]]の運動が勢力を得る下地が形作られた&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、『世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』 中央公論社 1998年 p.191&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファシズムの台頭 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Benito Mussolini and Adolf Hitler.jpg|thumb|ヒトラーとムッソリーニ]]&lt;br /&gt;
イタリアにおいて、ファシズムの政治体制が最初に形成された。第一次世界大戦後、経済が悪化し政情不安に陥っていたイタリアでは、1922年10月28日、[[ファシスト党]]党首[[ベニート・ムッソリーニ]]が[[ローマ進軍]]を行い、国王[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]の協力もあって権力を獲得した。1925年、議会制民主主義を潰し、1935年10月、[[第二次エチオピア戦争|エチオピア侵略]]を進め、それが元で1937年12月11に国際連盟を脱退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツでは[[1933年]]1月30日、ヴェルサイユ体制打破とナチズムを掲げる[[アドルフ・ヒトラー]]が首相に就任。翌1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領が死去すると[[総統]]に就任。[[独裁]]的権力を掌握した。ヒトラーは経済的には軍備増強と公共事業により総需要を喚起し世界恐慌を克服した。国際関係では、1933年10月19日[[国際連盟]]を脱退。1935年3月16日、ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して[[ドイツ再軍備宣言|再軍備を宣言]]。1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていた[[ラインラント進駐|ラインラント地方に軍隊を進駐]]させた。同年10月、イタリアとの間に「ベルリン・ローマ枢軸」の協定が結ばれ、同年11月25日には日本と[[日独防共協定]]を結び、翌1937年11月にはイタリアがその協定に参加。その後、これら3国の関係は[[日独伊三国軍事同盟]]へと発展してゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本は米英との協調外交を指向していたが、[[満洲]]、[[内モンゴル]]（満蒙）の支配権を巡り次第に対立するようになる。日本は[[昭和金融恐慌]]以後の苦境からの脱出を図り、円ブロック形成・拡大するため大陸進出を推進した。1931年9月18日、[[関東軍]]の謀略による[[柳条湖事件]]を契機に[[満州事変]]が勃発し、1932年3月1日、日本の傀儡政権[[満州国]]を樹立した。それが元で1933年3月27日には[[国際連盟]]を脱退。満洲事変後の1933年5月31日、日本は中国と停戦協定を結ぶが、1937年7月7日、北京郊外で[[盧溝橋事件]]が発生し[[日中戦争]]（[[日華事変]]）が勃発した。米英は日本の行動に反発し、日本は次第にナチス・ドイツへの接近を強めていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 宥和政策とポーランド問題 ===&lt;br /&gt;
第一次世界大戦で受けた膨大な損害への反動から、英仏両国は戦争忌避と平和の継続を求め、また圧力を強めつつあった共産主義及びソビエト連邦をけん制する役割を[[ナチス・ドイツ]]に期待し、彼らの軍備拡張政策に対し[[宥和政策]]を取っていた。ヒトラーは、周辺各国におけるドイツ系住民の処遇問題に対して民族自決主義を主張し、ドイツ人居住地域のドイツへの併合を要求した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1938年3月12日、ドイツは軍事的恫喝を背景にして[[アンシュルス|オーストリアを併合]]した。&lt;br /&gt;
次いでヒトラーは、[[チェコスロヴァキア]]の[[ズデーテン]]地方に狙いを定め、英仏伊との間で同年9月29日に開催された[[ミュンヘン会談]]で、[[ネヴィル・チェンバレン]]英首相と[[エドアール・ダラディエ]]仏首相は、ヒトラーの要求が最終的なものであることを確認して妥協し、ドイツはズデーテン地方を獲得。その後1939年3月15日、ドイツ軍はプラハを占領し、チェコを保護国とした。さらにポーランドがチェコのテシェン地方を、ハンガリーがルテニア地方を獲得し、チェコスロバキアは解体された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーの要求はこれに止まらず、1939年3月22日には[[リトアニア]]から[[メーメル]]地方を割譲。さらにポーランドに対し、[[東プロイセン]]への通行路[[ポーランド回廊]]及び国際連盟管理下の自由都市[[ダンツィヒ]]の回復を要求。英仏にとって前年のミュンヘン会談が妥協の限界であり、ヒトラーにとってミュンヘン会談の成功は、更なる要求への一歩でしかなかった。ミュンヘン会談での合意を反故にされた英仏は、宥和政策を捨て1939年年3月31日、ポーランドとの間に軍事援助を約束。ドイツとの対決姿勢をみせることになる。同年4月28日、ドイツは1934年締結の[[ドイツ・ポーランド不可侵条約]]を破棄し、ヨーロッパに戦争の危機が迫る。そんな中、各国は外交上の駆け引きを展開し、ドイツはソビエト連邦と1939年8月23日、[[独ソ不可侵条約]]を締結。反共のナチス・ドイツと共産主義ソビエト連邦は相容れない、と考えていた世界中を驚かせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この条約には[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密議定書]]が有り、独ソ両国によるポーランド分割、またソ連は[[バルト3国]]、[[フィンランド]]、[[ルーマニア]]への領土的野心を示し、ドイツはそれを黙認した。一方、ポーランドは英仏からの軍事援助を頼みに、ドイツの要求を強硬に拒否。ヒトラーは武力による問題解決を決断する。[[1939年]][[9月1日]]未明、ドイツ軍はポーランドへ侵攻を開始し、[[9月3日]]、英仏両国はポーランドとの援助協約に基づきドイツに宣戦布告。ここに'''第二次世界大戦が勃発'''した&amp;lt;ref&amp;gt;ここでは第二次世界大戦の背景として基本的な要因のみをあげる。より詳しくは[[第二次世界大戦の背景]]を参照のこと。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経過（欧州・北アフリカ） ==&lt;br /&gt;
大戦は、1939年に[[ナチス・ドイツ]]が[[ポーランド]]へ侵攻したことに始まる。1940年にはドイツが北欧侵攻や[[日独伊三国軍事同盟]]で勢いが増し、1941年にはドイツ軍は[[ソビエト連邦]]に侵攻。同年末には[[日本]]と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が参戦してドイツの戦況に影響を与えた。1942年にはドイツ、[[イタリア]]の枢軸国は徐々に行き詰まり、1943年には[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が優勢になり、枢軸国は北アフリカを放棄し、イタリアが降伏。1944年には連合国の勢いが更に増し、枢軸国は次々と降伏。1945年にドイツ軍は総崩れとなり、追い込まれたヒトラーは自殺。ナチス・ドイツは降伏して欧州における戦争は終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1939年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1939 map de.png|thumb|ドイツとソビエトのポーランド侵攻直後（1939年）]]&lt;br /&gt;
9月1日未明、ドイツ軍は[[戦車]]と機械化された歩兵部隊、[[戦闘機]]、[[急降下爆撃機]]など[[機動部隊]]約150万人、5個軍で[[ポーランド侵攻]]&amp;lt;ref&amp;gt;なおこの時、ドイツによる事前の宣戦布告は行われなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。ドイツ軍は北部軍集団と南部軍集団の2つに分かれ、南北から[[首都]][[ワルシャワ]]を挟み撃ちにする計画であった。&lt;br /&gt;
ポーランド陸軍は、総兵力こそ100万を超えるが、戦争準備ができておらず、小型戦車と騎兵隊が中心で近代的装備にも乏しく、ドイツ軍戦車部隊と[[ユンカース]][[Ju-87]]急降下爆撃機の連携による[[電撃戦]]で殲滅された。ただ、当時のドイツ軍は、まだ実戦経験が乏しく、9月9日のポーランド軍の反撃では思わぬ苦戦を強いられる場面も有った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソビエト連邦は[[独ソ不可侵条約]]の[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密議定書]]に基づき、9月17日、ポーランドへ東から侵攻。[[カーゾン線]]まで達した。一方、ポーランドとの相互援助協定が有るにも関わらず、イギリスとフランスは、ソ連に対し宣戦布告はしていない。また両国はドイツには宣戦布告したが、救援のためポーランドまで進軍してドイツ軍と交戦はしていない。またヒトラーとしては、以前から宥和政策を実施し、反共産主義という点で利害が一致していた英仏両国が、宣戦布告してくるとは想定していなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国際連盟管理下の自由都市[[ダンツィヒ]]は、ドイツ海軍練習艦[[シュレスヴィヒ・ホルシュタイン (戦艦)|シュレースヴィッヒ・ホルシュタイン]]の砲撃と陸軍の奇襲で陥落し、9月27日、ワルシャワも陥落。10月6日までに、ポーランド軍は降伏した。ポーランド政府はルーマニア、パリを経て、ロンドンへ亡命した。ポーランドは独ソ両国に分割され、ドイツ軍占領地域から、[[ユダヤ人]]の[[ゲットー]]への強制収容が始まった。ソ連軍占領地域でも[[カティンの森事件]]で25,000人のポーランド人が殺害され、[[1939年]]から[[1941年]]にかけて、約180万人が殺害又は国外追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ポーランド侵攻後、ヒトラーは西部侵攻を何度も延期し、翌年の春まで[[西部戦線]]に大きな戦闘はおこらなかった事（[[まやかし戦争]]）もあり、イギリス国民の間に、「たぶん[[クリスマス]]までには停戦だろう」という、根拠の無い期待が広まった。11月8日には[[ミュンヘン]]の[[ビヤホール]]「ビュルガー・ブロイケラー」で、家具職人ゲオルグ・エルザーによるヒトラー暗殺を狙った爆破事件が起きるが、その日、ヒトラーは早めに演説を終了したため難を逃れた。なお、国防軍内の反ヒトラー派将校による[[ヒトラー暗殺計画]]も、その後何回か計画されたが、全て失敗に終わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ連は[[バルト3国]]及び[[フィンランド]]に対し、相互援助条約と軍隊の駐留権を要求。9月28日[[エストニア]]と、10月5日[[ラトビア]]と、10月10日[[リトアニア]]とそれぞれ条約を締結し、要求を押し通した。しかしフィンランドはソ連による基地使用及び[[カレリア]]地方の割譲などの要求を拒否。そこでソ連は[[レニングラード]]防衛を理由に、11月30日からフィンランドに侵攻（[[冬戦争]]）。この侵略行為により、ソ連は[[国際連盟]]から除名処分となる。さらに12月中旬、フィランド軍の反撃でソ連軍は予想外の大損害を被った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1940年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1940 map de.png|right|thumb|ドイツのフランス占領（1940年）]]&lt;br /&gt;
2月11日、前年からフィンランドに侵入したソ連軍は総攻撃を開始。フィンランド軍防衛線を突破した。その結果3月13日、フィンランドは[[カレリア]]地方などの領土をソ連に割譲して講和した。&lt;br /&gt;
さらに[[ソビエト連邦|ソ連]]は[[バルト三国]]に圧力をかけ、ソ連軍の通過と親ソ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに3国へ侵入。そこに親ソ政権を組織して反ソ分子を逮捕・虐殺・シベリア収容所送りにし、ついに[[バルト諸国占領|これを併合]]した。同時にソ連は[[ルーマニア]]に[[ベッサラビア]]を割譲するように圧力をかけ、[[1940年]]6月にはソ連軍がベッサラビアと[[ブコビナ]]北部に侵入し、領土を割譲させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月、ドイツは中立国であった[[デンマーク]]と[[ノルウェー]]に突如侵攻し（[[北欧侵攻]]）占領した。しかし、ノルウェー侵攻で脆弱なドイツ海軍は多数の水上艦艇を失った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月10日、[[西部戦線]]のドイツ軍は、戦略的に重要な[[ベルギー]]や[[オランダ]]、[[ルクセンブルグ]]の[[ベネルクス]]3国に侵攻（[[オランダにおける戦い (1940年)|オランダにおける戦い]]）。オランダは5月15日に降伏し、政府は王室ともどもロンドンに亡命。また[[ベルギー]]政府もイギリスに亡命し、5月28日にドイツと休戦条約を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Fort de Schoenenbourg main entrance 11-2005.jpg|left|thumb|マジノ線の要塞]]&lt;br /&gt;
[[画像:Nazi-parading-in-elysian-fields-paris-desert-1940.png|left|thumb|パリでパレードを行うドイツ軍]]&lt;br /&gt;
ドイツ軍は、フランスとの国境沿いに、外国からの侵略を防ぐ楯として期待されていた巨大要塞・[[マジノ線]]を迂回。アルデンヌ地方の深い森を突破し、フランス東部に侵入。[[電撃戦]]で瞬く間に制圧し（[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]）、フランス/イギリスの連合軍を[[英仏海峡]]の[[ダンケルク]]へ追い詰めた。&lt;br /&gt;
一方、イギリス海軍は英仏連合軍を救出するため[[ダイナモ作戦]]を展開。その際、ドイツ軍が妨害をしなかったため、約3万人の捕虜と多くの兵器類は放棄したものの、精鋭部隊は撤退させる事に成功。6月4日までにダンケルクから約34万人もの英仏連合軍を救出した。イギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相は後に出版された回想録の中で、この撤退作戦を「第二次世界大戦中で最も成功した作戦であった」と記述した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにドイツ軍は首都パリを目指す。敗色濃厚なフランス軍は散発的な抵抗しか出来ず、6月10日にはパリを放棄。同日、フランスが敗北濃厚になったのを見て[[ムッソリーニ]]のイタリアも、ドイツの勝利に相乗りせんとばかりに、イギリスとフランスに対し宣戦布告した。6月14日、ドイツ軍は戦禍を受けてないほぼ無傷のパリに入城した。6月22日、フランス軍はパリ近郊[[コンピエーニュの森]]においてドイツ軍への降伏文書に調印した。&amp;lt;ref&amp;gt;この調印に際してドイツ軍は第一次世界大戦時に当時のドイツ軍が連合軍に対する降伏文書に調印した[[国際寝台車会社#食堂車2419D|食堂車]]を特別に調印場所として用意した。&amp;lt;/ref&amp;gt;なお、その生涯でほとんど国外へ出ることが無かったヒトラーが自らパリへ赴き、パリ市内を自ら視察し即日帰国した。その後、ドイツによるフランス全土に対する占領が始まった直後、講和派の[[フィリップ・ペタン]]元帥率いる政権[[ヴィシー政権]]が樹立される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、ロンドンに亡命した元国防次官兼陸軍次官の[[シャルル・ド・ゴール]]が「[[自由フランス]]国民委員会」を組織する傍ら、ロンドンの[[英国放送協会|BBC]]放送を通じて対独抗戦の継続と親独的中立政権であるヴィシー政権への抵抗を国民に呼びかけ、イギリスやアメリカなどの連合国の協力を取り付けてフランス国内の[[レジスタンス]]を支援した。&amp;lt;ref&amp;gt;法的にはペタン元帥率いるヴィシー政府は合法的な正統政府であり、ド・ゴールの自由フランス亡命政府は、新政府の方針に反旗を翻し、脱走した陸軍将校ド・ゴールによる非合法的政府ともいえる。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月3日、イギリス海軍[[H部隊]]がフランス植民地[[アルジェリア]]のメルス・エル・ケビールに停泊中のフランス海軍艦船を、ドイツ側戦力になることを防ぐ目的で攻撃し、大損害を与えた（[[メルセルケビール海戦|カタパルト作戦]]）。アルジェリアのフランス艦艇は、[[ヴィシー]]政権の指揮下にあったものの、ドイツ軍に対し積極的に協力する姿勢を見せていなかった。それにも拘らず、連合国軍が攻撃を行って多数の艦艇を破壊し、多数の死傷者を出したために、親独派のヴィシー政権のみならず、[[ド・ゴール]]率いる自由フランスさえ、イギリスとアメリカの首脳に対し猛烈な抗議を行った。また、イギリス軍と[[自由フランス軍]]は9月に西アフリカの[[ダカール]]攻略作戦（[[ダカール沖海戦|メナス作戦]]）を行ったが失敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西ヨーロッパから連合軍を追い出したドイツは、イギリス本土への上陸を目指し、上陸作戦「[[アシカ作戦]]」の前哨戦として、ドイツ空軍総司令官[[ヘルマン・ゲーリング]]は、8月13日から本格的に対イギリス航空戦「[[バトル・オブ・ブリテン]]」を開始するよう指令。この頃、イギリス政府はドイツ軍の上陸と占領に備え、王室と政府をカナダへ避難する準備と、都市爆撃の激化に備えて[[学童疎開]]を実施。イギリス国民と共に、国家を挙げてドイツ軍の攻撃に抵抗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス空軍は、[[スーパーマリン スピットファイア|スピットファイア]]や[[ホーカー ハリケーン]]などの戦闘機や、当時実用化されたばかりの[[レーダー]]を駆使して激しい空中戦を展開。ドイツ空軍は、[[ハインケル]]He-111やユンカース[[Ju-88]]などの爆撃機で、当初は軍需工場、空軍基地、レーダー施設などを爆撃していたが、やがてロンドンなど、イギリスの諸都市に対して無差別爆撃を行った。[[メッサーシュミット]][[Bf-109]][[戦闘機]]の航続距離不足で爆撃機を十分護衛できず、爆撃隊は大損害を被り、また開戦以来、電撃戦で大戦果を上げてきた急降下爆撃機も大損害を被った。その結果、ドイツ空軍は9月15日以降、昼間のロンドン空襲を中止。その後、ヒトラーはイギリス上陸作戦を無期延期にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参戦したイタリアは9月、北アフリカの植民地[[リビア]]から[[エジプト]]へ、10月には[[バルカン半島]]の[[アルバニア]]から[[ギリシャ]]へ、準備をきちんとせず性急に侵攻したが、11月にはイタリア東南部の[[タラント]]軍港が、[[航空母艦]]から発進したイギリス海軍機の夜間爆撃に遭い、イタリア艦隊は大損害を被った。またギリシャ軍の反撃に遭ってアルバニアまで撃退され、12月にはイギリス軍に逆にリビアへ侵攻されるありさまであった。&lt;br /&gt;
この年には枢軸国の日本、ドイツ、イタリアが日独伊三国同盟を結んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1941年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1941 map de.png|thumb|ドイツのバルカン半島侵攻（1941年）]]&lt;br /&gt;
イギリスは[[イベリア半島]]先端の[[植民地]]&amp;lt;ref&amp;gt;アフリカ方面では、アフリカ大陸に広大な植民地を持つフランスが降伏したことに伴い、北部のフランス植民地、[[アルジェリア]]と[[チュニジア]]、[[モロッコ]]、アフリカの東沖[[マダガスカル]]島などがヴィシー政権の管理下となった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[ジブラルタル]]と、[[北アフリカ]]の[[エジプト]]・[[アレキサンドリア]]を地中海の東西両拠点とし、[[クレタ島]]や[[キプロス]]など[[地中海]]&amp;lt;ref&amp;gt;イギリスのウィンストン・チャーチル首相は地中海のことを「ヨーロッパの下腹」と呼んだ。&amp;lt;/ref&amp;gt;を確保して枢軸国軍に対する反撃を企画していた。2月までに北アフリカ・リビアの東半分[[キレナイカ]]地方を占領し、ギリシャにも進駐した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方ドイツ軍は、劣勢のイタリア軍支援のため、[[エルヴィン・ロンメル]]陸軍[[大将]]率いる「[[ドイツアフリカ軍団]]」を投入。2月14日にリビアの[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]に上陸後、迅速に攻撃を開始し、イタリア軍も指揮下に置きつつイギリス軍を撃退した。4月11日にはリビア東部の[[トブルク]]を包囲したが、占領はできなかった。さらに5月から11月にかけて、エジプト国境のハルファヤ峠で激戦になり前進は止まった。ドイツ軍は88ミリ砲を駆使してイギリス軍戦車を多数撃破したが、補給に問題が生じて12月4日から撤退を開始。12月24日にはベンガジがイギリス軍に占領され。翌年1月6日にはエル・アゲイラまで撤退する。&lt;br /&gt;
[[画像:Rommel with his aides.jpg|left|thumb|180px|砂漠の狐ことロンメル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月6日、ドイツ軍は[[ユーゴスラビア|ユーゴスラビア王国]]や[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]などの[[バルカン半島]]（[[バルカン半島の戦い]]）諸国や[[ギリシア]]など[[エーゲ海]]島嶼部に相次いで侵攻。続いてクレタ島に空挺部隊を降下（[[クレタ島の戦い]]）させ、大損害を被りながらも同島を占領した。ドイツはさらにジブラルタル攻撃を計画したが[[中立国]]スペインはこれを認めなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月22日]]、ドイツは不可侵条約を破り、北はフィンランドから南は黒海に至る線から、イタリア、ルーマニア、ハンガリーなど他の枢軸国と共に約300万の軍で対ソ侵攻作戦（[[バルバロッサ作戦]]）を開始。[[独ソ戦]]が始まった。ソ連首相[[スターリン]]は情報部から、ドイツ軍の動向を繰り返し警告されていたが、それらはイギリスが意図的に流した[[偽情報]]と考え、侵攻に備えていなかった。そのため開戦当初、[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]（[[赤軍]]）の前線部隊は混乱し、膨大な数の戦死者、捕虜を出し敗北を重ねる。ドイツ軍は7月16日に[[スモレンスク]]、9月19日に[[キエフ]]を占領。さらに北部のレニングラードを包囲し、10月中旬には首都[[モスクワ]]に接近。市内では一時混乱状態も発生し、ソ連政府は約960㎞離れたクイビシェフへ疎開を余儀なくされた。しかし、その頃からドイツ軍は泥まみれの悪路に難儀し、さらに戦線が伸びきって補給に問題が生じ、前進は鈍った。またソ連軍の新型[[T-34]][[中戦車]]、[[KV-1]][[重戦車]]、「[[カチューシャ (兵器)|カチューシャ]]」ロケット砲などに苦戦。また、冬に備えた装備も不足したまま、11月には例年より早い[[冬将軍]]の到来で厳しい寒さに見舞われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ポーランドとフィンランド侵攻、バルト3国併合などの理由で、それまでソ連と距離をおいていた連合国側は、独ソ戦開始後、ソ連を連合国に受け入れることを決定。武器供与法にしたがって膨大な物資の援助が始まる。一方、ドイツは日本に対し、東から対ソ攻撃を行うよう働きかけるが、日本は独ソ戦開始前の1941年4月13日には[[日ソ中立条約]]を締結していた。また南方の資源確保を目指した日本政府は、東南アジア・太平洋方面進出を決め、対ソ参戦を断念する。[[リヒャルト・ゾルゲ]]など、日本に送り込んだ[[スパイ]]の情報により、日本の対ソ戦放棄を知ったソ連は、極東ソ連軍の一部をヨーロッパに振り分け、これがその後、影響を与える事となった。ドイツ軍は厳寒のなか、11月19日、南部の[[ロストフ]]も占領し、モスクワ近郊約23kmにまで迫ったが12月5日、ソ連軍は反撃を開始してドイツ軍を150km以上も撃退した。ナチス・ドイツは開戦以来、かつて無い深刻な敗北を喫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月7日]]（現地時間）、日本海軍機が[[ハワイ]]を攻撃し[[太平洋戦争]]が勃発。それを受けて12月11日、ドイツ、イタリアがアメリカに宣戦布告。[[アメリカ合衆国]]が連合国の一員として正式に参戦し、ここにきて名実ともに世界大戦となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1942年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1941-1942 map de.png|thumb|ドイツのソビエト侵攻（1941年から1942年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Germans in Stalingrad.jpg|left|thumb|スターリングラードで戦うドイツ兵]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東部戦線では、モスクワ方面のソ連軍の反撃はこの年の春までには衰え、戦線は膠着状態となる。ドイツ軍は、5月から南部のハリコフ東方で攻撃を再開する。さらに夏季攻勢[[ブラウ作戦]]を企画。ドイツ軍の他、ルーマニア、ハンガリー、イタリアなどの枢軸軍は6月28日から攻撃を開始し、[[ドン川]]の湾曲部から[[ボルガ川]]西岸の[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[ヴォルゴグラード]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;、コーカサス（[[カフカス]]）地方の油田地帯を目指す。一方ソ連軍は後退を続け、スターリングラードへ集結しつつあった。7月23日、ドイツ軍はコーカサスの入り口の[[ロストフ]]を占領。8月9日、[[マイコプ]]油田を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ海軍の[[カール・デーニッツ]]潜水艦隊司令官率いる[[Uボート]]は、イギリスとアメリカを結ぶ海上輸送網の切断を狙い、北大西洋を中心にアメリカ、[[カナダ]]沿岸や[[カリブ海]]、インド洋にまで出撃し、多くの連合国の艦船を撃沈。損失が建造数を上回る大きな脅威を与えた。しかし、米英両海軍が航空機や艦艇による哨戒活動を強化したため、逆に多くのUボートが撃沈され、その勢いは限定される事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月23日から[[スターリングラード攻防戦]]が開始された。まず空軍機で爆撃し、9月13日から市街地へ向けて攻撃が開始。連日壮絶な市街戦が展開された。しかし、10月頃よりドイツ軍の勢いが徐々に収まってゆく。11月19日、ソ連軍は反撃を開始し、同23日には逆に枢軸軍を包囲する。12月12日、[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]元帥は南西方向から救援作戦を開始し、同19日には約35㎞まで接近するが、24日からのソ連軍の反撃で撃退され、年末には救援作戦は失敗する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北アフリカ戦線では、[[エルヴィン・ロンメル]]将軍率いるドイツ・イタリアの枢軸軍が、この年の1月20日から再度攻勢を開始。6月21日、前年には占領できなかった[[トブルク]]を占領。同23日には[[エジプト]]に侵入し、30日には[[アレクサンドリア]]西方約100㎞のエル・アラメインに達した。しかし、補給の問題と燃料不足で進撃を停止する。10月23日から開始された[[エル・アラメインの戦い]]でイギリス軍に敗北し、再び撤退を開始。11月13日、イギリス軍はトブルクを、同20日には[[ベンガジ]]を奪回する。同盟国イタリア軍は終始頼りなく、事実上一国のみで戦うドイツ軍は、自らの攻勢の限界を見る事となる。さらに西方のアルジェリア、モロッコに11月8日、アメリカ軍が上陸し、東西から挟み撃ちに遭う形になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政権取得以後、ナチス・ドイツ政府によってドイツ国内、また開戦後の占領地では過酷な[[恐怖政治]]が行われていた。秘密国家警察[[ゲシュタポ]]、[[ナチス親衛隊]]が国民生活を監視し、反政府的言動を厳しく弾圧したので、一般国民がナチス政権に反対する事はあまりに危険であった。この年の1月20日、ベルリン郊外ヴァンゼーで、「ユダヤ人問題の最終的解決」について協議したヴァンぜー会議を行った。ワルシャワなど[[ゲットー]]のユダヤ人住民に対し、この年の7月から[[アウシュヴィッツ＝ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ＝ビルケナウ]]や[[トレブリンカ強制収容所|トレブリンカ]]、[[ダッハウ強制収容所|ダッハウ]]などの[[強制収容所]]への集団移送が始まった。収容所に併設された軍需工場などで強制労働に従事させ、[[ガス室]]を使って大量殺戮を実行したとされる。大量殺戮は「[[ホロコースト]]」と呼ばれ、1945年にドイツが連合国に降伏する直前まで継続された。最終的に、ホロコーストによるユダヤ人（他にシンティ・[[ロマ人]]や[[同性愛]]者、[[精神障害者]]、[[政治犯]]など数万人を含めた）の死者は諸説あるが、数百万人に達すると言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1943年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1943-1945 map de.png|right|thumb|連合国に東西から追い詰められるドイツ（1943年から1945年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Sovietic T34 battle of kursk.jpg|right|thumb|[[クルスク]]の戦いで破壊されたソ連の[[T-34]]戦車]]&lt;br /&gt;
1月10日、スターリングラードを包囲したソ連軍は、総攻撃を開始、包囲されたドイツ第6軍は2月2日、10万近い捕虜を出し降伏。歴史的大敗を喫した。勢いに乗ったソ連軍はそのまま進撃し、2月8日クルスク、2月14日ロストフ、2月15日にはハリコフを奪回する。しかし、3月には、[[マンシュタイン]]元帥の作戦でソ連軍の前進を阻止し、同15日ハリコフを再度占領した。7月5日からの[[クルスク]]の戦いは、史上最大の戦車同士の戦闘となった。ドイツ軍はソ連軍の防衛線を突破できず、予備兵力の大半を使い果たし敗北。以後ドイツ軍は、東部戦線では二度と攻勢に廻ることは無く、ソ連軍は9月24日スモレンスクを占領。11月6日にはキエフを占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北アフリカ戦線では、西のアルジェリアに上陸したアメリカ軍と、東のリビアから進撃するイギリス軍によって、独伊枢軸軍は[[チュニジア]]のボン岬で包囲された。5月13日、ドイツ軍約10万、イタリア軍約15万は降伏し、北アフリカの戦いは連合軍の勝利に終わる。連合国軍はさらに7月10日、イタリア本土の前哨[[シチリア島]]上陸作戦（[[ハスキー作戦]]）を開始し、シチリア島内を侵攻。8月17日にはイタリア本土に面した海峡の街[[メッシナ]]を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:442 regimental combat team.jpg|left|thumb|フランス領内を進軍するアメリカ軍日系人部隊]]&lt;br /&gt;
連戦連敗を重ね、完全に劣勢に立たされたイタリアでは、元駐英[[大使]]王党派のディーノ・グランディ[[伯爵]]が、7月24日の大評議会で、ファシスト党指導者[[ベニート・ムッソリーニ]]の戦争指導責任を追及した。この動きにムッソリーニの娘婿[[ガレアッツォ・チアーノ]]外務大臣ら、多くのファシスト党閣僚が賛同。孤立無援となったムッソリーニは翌25日午後、国王エマヌエーレ3世から解任を言い渡され、同時に憲兵隊に逮捕され投獄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月3日]]、イタリア本土上陸も開始された。同日、ムッソリーニの後任、[[ピエトロ・バドリオ]]元帥率いるイタリア新政権は連合国に対し休戦。[[9月8日]]、連合国はイタリア降伏を発表した。[[ローマ]]は直ちにドイツ軍に占領され、国王とバドリオ首相ら新政権は、連合軍占領地域の南部[[ブリンディジ]]へ脱出した。逮捕後、新政権によって[[アペニン山脈]]の[[グラン・サッソ]]山のホテルに幽閉されたムッソリーニは同月12日、ヒトラー直々の任命で、[[ナチス親衛隊]][[オットー・スコルツェニー]][[大佐]]率いる特殊部隊によって救出された。9月15日、ムッソリーニはイタリア北部で、ヒトラーの保護下ナチス・ドイツの傀儡政権「[[イタリア社会共和国]]（サロ政権）」を樹立し、同地域はドイツの支配下に入る。一方、南部のバドリオ政権は10月13日、ドイツへ宣戦布告した。&lt;br /&gt;
[[画像:Gaulle002.jpg|left|thumb|[[チュニジア]]戦線におけるド・ゴール]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[イタリア戦線]]と、その後のヨーロッパ戦線での戦いで、アメリカ陸軍の[[日系アメリカ人]]部隊[[第442連隊戦闘団]]は、アメリカ軍内における深刻な[[人種差別]]を跳ね除け、死傷率314%という大きな犠牲を出しながら、アメリカ陸軍部隊史上最多の[[勲章]]を受けるなど歴史に残る大きな活躍を残した。これは戦後、日系アメリカ人の地位向上に大きく貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、フランスの降伏後、亡命政権・自由フランスを指揮していた[[シャルル・ド・ゴール]]は、ヴィシー政権側につかなかった自由フランス軍を率い、イギリス、アメリカなど連合国軍と協調しつつ、[[アルジェリア]]、[[チュニジア]]などのフランス[[植民地]]やフランス本国で対独抗戦・[[レジスタンス]]を指導した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにこの年、連合国の首脳及び閣僚は1月14日[[カサブランカ]]、8月14 - 24日[[ケベック]]、10月19 - 30日[[モスクワ]]、11月22 - 26日[[カイロ (エジプト)|カイロ]]、11月28 - 12月1日[[テヘラン]]など相次いで会議を行なった。今後の戦争の方針、枢軸国への無条件降伏要求、戦後の枢軸国の処理が話し合われた。しかし、連合国同士の思惑の違いも次第に表面化する事になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1944年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Normandy Invasion, June 1944.jpg|thumb|[[フランス]]の[[ノルマンディー]]に上陸する連合軍]]&lt;br /&gt;
[[画像:Paris1944.jpg|thumb|パリ市内を行く自由フランス軍と連合軍の装甲車]]&lt;br /&gt;
この年の1月、ソビエト軍はレニングラードの包囲網を突破し、900日間におよぶドイツ軍の包囲から解放した。4月には[[クリミア]]、[[ウクライナ]]地方のドイツ軍を撃退、6月22日からは[[バグラチオン作戦]]が行われ、虚を突かれたドイツ[[中央軍集団]]は後退。ソ連はほぼ完全に開戦時の領土を奪回することに成功し、更に[[バルト三国]]、[[ポーランド]]、[[ルーマニア]]などに侵攻していった。&lt;br /&gt;
[[1944年]]8月1日、ポーランドの首都[[ワルシャワ]]では、ソ連軍の呼びかけによりポーランド国内軍やワルシャワ市民が蜂起（[[ワルシャワ蜂起]]）するが、亡命政府系の武装蜂起であったためソ連軍はこれを救援せず、一方ヒトラーはソ連が救援しないのを見越して徹底鎮圧を命じ、その結果約20万人が死亡して10月2日、蜂起は失敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、本格的な反攻のチャンスを伺っていた連合軍は6月6日、アメリカ陸軍の[[ドワイト・D・アイゼンハワー|ドワイト・アイゼンハウアー]]将軍指揮の元、北フランス[[ノルマンディー]]地方にアメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍、そして（1940年以降ロンドンにあったフランス亡命政権「[[自由フランス]]」の指導者[[シャルル・ド・ゴール]]将軍率いる）自由フランス軍など、約17万5000人の将兵、6,000以上の艦艇、延べ12,000機の航空機を動員した大陸反攻作戦「オーバーロード作戦」（[[ノルマンディー上陸作戦]]）を開始。多数の死傷者を出す激戦の末、上陸を成功させた。1940年6月の[[ダンケルク]]撤退以来約4年ぶりに西部戦線（フランス戦線）が再び構築された。この上陸の2日前、6月4日にはイタリアの首都ローマが解放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗北を重ねるドイツでは、ヒトラーを暗殺し連合軍との講和を企む声が強まり1944年7月20日、国内予備軍司令部参謀長[[伯爵]][[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]][[大佐]]らによる[[ヒトラー暗殺計画]]が実行されたが失敗した。疑心に苛まれたヒトラーは、反乱グループとその関係者約7,000人を逮捕させ、約200人を処刑させた。また、北アフリカ戦線の指揮官で国民的英雄でもある[[エルヴィン・ロンメル]][[元帥]]の関与を疑い、自殺するか裁判を受けるか選択させた上で10月14日、ロンメルは自殺した。&amp;lt;ref&amp;gt;なお、国民の士気の低下を恐れて陸軍の[[英雄]]、ロンメルの死の真相は公にされず、戦傷によるものと発表され、1944年10月18日、盛大な[[国葬]]が営まれた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノルマンディーのドイツ軍は、必至の防戦により何とか連合軍の進出を食い止めていたが、7月25日の[[コブラ作戦]]で、ついに戦線は突破され、ファレーズ付近で包囲されたドイツ軍は壊滅的状態になった。8月には連合軍はパリ方面へ進撃を開始。また8月16日には南フランスにも連合軍が上陸している（[[ドラグーン作戦]]）。8月25日、自由フランス軍と[[レジスタンス]]によってパリは解放された。その際、ドイツ軍はパリを戦禍から守るべくほぼ無傷のまま明け渡したため、多くの歴史的な建築物や、市街地は大きな被害を受けることはなかった。フランスが解放された事により、親独ヴィシー政権は崩壊。指導者[[フィリップ・ペタン]]将軍は逮捕され、その後[[死刑]]判決を受けた。また、ドイツ軍の占領に協力したいわゆる「対独協力者」の多くが死刑になり、何人かの者は国外に逃亡した。また女性は頭髪を丸坊主にされるなどの制裁を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月3日、イギリス軍は[[ベルギー]]の首都[[ブリュッセル]]を解放した。次いで一撃でドイツを降伏に追い込むべくイギリス軍の[[バーナード・モントゴメリー|モントゴメリー]]元帥は9月17日、[[オランダ]]の[[ナイメーヘン]]付近でライン川支流を越える[[マーケット・ガーデン作戦]]を実行するが、拠点の[[アルンヘム]]を占領できず失敗する。また補給が追いつかず、連合軍は前進を停止。ドイツ軍は立ち直り、1944年中に戦争を終わらせる事は不可能になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Me 262A-1a.jpg|left|thumb|Me262ジェット戦闘機]]&lt;br /&gt;
またこの頃、ドイツ軍はかねてから開発中だった、世界初の実用ジェット戦闘機[[メッサーシュミットMe262]]やジェット爆撃機[[アラド]][[Ar234]]、同じく世界初の[[飛行爆弾]][[V1飛行爆弾]]、次いで世界初の超音速で飛行する弾道[[ミサイル]][[V2ロケット]]など、新兵器を実用化させ、ロンドンやイギリス本土及びヨーロッパ大陸各地の連合軍に対し実戦投入したものの、圧倒的な物量を背景にした連合軍の勢いを止めるには至らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10月9日、スターリンとチャーチルはモスクワで、バルカン半島における影響力について協議した。両者間では、ルーマニアではソ連が90%、ブルガリアではソ連が75%の影響力を行使する他、ハンガリーとユーゴスラビアは影響力は半々、ギリシャではイギリス・アメリカが90%とした。&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ」（中央公論社 1998年）pp.104-105、および[[ウィンストン・チャーチル]]著、佐藤亮一訳、『第二次世界大戦』第四巻第19章（[[河出書房新社]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、12月16日からドイツ軍はベルギー、[[ルクセンブルグ]]の森林地帯[[アルデンヌ]]地方で、西部戦線における最後の反攻（[[バルジの戦い]]）を試みる。ドイツ軍の、少ない戦力ながら綿密に計画された反攻計画が功を奏し、冬の悪天候をついた突然の反撃により、パニックに陥った連合軍を一時的に約130km押し戻した。しかし、連合軍の拠点バストーニュを占領できず、天候の回復とその後、体勢を立て直した連合国軍の反撃に遭い後退を余儀なくされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この年の7月から、戦後の世界経済体制の中心となる金融機構について、アメリカ・[[ニューハンプシャー州]]の[[ブレトン・ウッズ]]で45か国が参加した会議が行われ、ここでイギリス側のケインズが提案した清算同盟案と、アメリカ側のホワイトが提案した通貨基金案がぶつかりあった。当時のイギリスは戦争によって沢山の海外資産が無くなっていた上に、33億ポンドの債務を抱えていたため清算同盟案を提案したケインズの案に利益を見出していた。しかし戦後アメリカの案に基づいた[[ブレトン・ウッズ協定]]が結ばれることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1945年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Prisoners liberation dachau.jpg|thumb|連合軍による強制収容所解放を祝うユダヤ人]]&lt;br /&gt;
1月12日、ソ連軍は[[バルト海]]から[[カルパチア山脈]]にかけての線で攻勢を開始。1月17日[[ポーランド]]の首都[[ワルシャワ]]、1月19日[[クラクフ]]を占領し、1月27日には[[アウシュビッツ]][[強制収容所]]を解放した。その後、2月3日までにソ連軍は[[オーデル川]]流域、ドイツの首都[[ベルリン]]まで約65kmのキュストリン付近に進出した。ポーランドは、1939年9月以降独ソ両国の支配下に置かれていたが、今度はその全域がソ連の支配下に入った。2月4日から11日まで、[[クリミア半島]]のヤルタで米英ソ3カ国首脳による[[ヤルタ会談]]が行われた。そこでドイツの終戦処理、ポーランドをはじめ東ヨーロッパの再建、ソ連の対日参戦及び[[南樺太]]や[[千島列島]]・[[北方領土]]の帰属問題が討議された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西部戦線のドイツ軍は1月16日、アルデンヌ反撃の開始地点まで押し返された。その後、連合軍は3月22日から24日にかけて相次いで[[ライン川]]を渡河し、イギリス軍はドイツ北部へ、アメリカ軍はドイツ中部から南部へ進撃する。4月11日には[[エルベ川]]に達し、4月25日にはベルリン南方約100km、エルベ川のトルガウで、米ソ両軍は握手する。南部では4月20日[[ニュルンベルク]]、30日には[[ミュンヘン]]、5月3日にはオーストリアの[[ザルツブルク]]を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月15日から、[[ハンガリー]]の首都[[ブダペスト]]奪還と、油田確保のため[[春の目覚め作戦]]を行うが失敗する。この作戦で組織的兵力となりうる軍部隊をほぼ失ったヒトラーは、「ドイツは世界の支配者たりえなかった。ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るほかない」と述べ、ドイツ国内の生産施設を全て破壊するよう「焦土命令」（または「ネロ指令」）と呼ばれる命令を発する。しかし、軍需相[[アルベルト・シュペーア]]はこれを聞き入れず破壊は回避された。これ以降ヒトラーは体調を崩し、定期的に行っていたラジオ放送の演説も止め、ベルリンの地下壕に篭もり、国民の前から姿を消す。ソ連軍はハンガリーからオーストリアへ進撃し4月13日、首都[[ウィーン]]を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月16日、ベルリン正面のソ連軍の総攻撃が開始され、ベルリン東方[[ゼーロウ高地]]以外の南北の防衛線を突破される。4月20日、ヒトラーは最後の誕生日を迎え、[[ヘルマン・ゲーリング]]、[[ハインリッヒ・ヒムラー]]、[[カール・デーニッツ]]らナチスの要人はそれを祝った。しかしその夜、彼らはベルリンから退去し始めた。4月25日、ソ連軍はベルリンを完全に包囲（詳細は[[ベルリンの戦い]]参照）した。このような絶望的状況の中、ドイツ軍はまともな武器も持たない[[ヒトラー・ユーゲント]]など少年兵や老人の志願兵を中心に最後の抵抗を進めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Stars &amp;amp; Stripes &amp;amp; Hitler Dead2.jpg|left|thumb|ヒトラーの自殺を報じるアメリカ軍の新聞]]&lt;br /&gt;
ベルリンを脱出したゲーリングは4月23日、連合軍と交渉すべく、ヒトラーに対し国家の指導権を要求する。[[マルティン・ボルマン]]にそそのかされたヒトラーは激怒し、ゲーリング逮捕を命令するが果たされなかった。4月28日にはヒムラーが、スウェーデンのベルナドッテ伯爵を通じ、連合軍と休戦交渉を試みているニュースがヒトラーのもとに届く。彼はヒムラーの官職の一切を剥奪する。&lt;br /&gt;
一方、開戦前からのヒトラーの盟友、（イタリア降伏後はドイツの傀儡状態となっていた）[[ムッソリーニ]]は逃亡中、スイス国境の[[コモ湖]]付近の村で[[パルチザン]]に捕えられた。[[4月28日]]、愛人のクラレッタ・ペタッチと共に射殺され、その死体は[[ミラノ]]中心部の広場で逆さ吊りで晒された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友ムッソリーニが無残にも処刑され、長年共にいた側近の多くが降伏もしくは国内外に逃亡し、追い詰められたヒトラーは、自分の死体を見世物にされたり、宿敵スターリンの手に渡ることを恐れ、[[4月30日]]15時30分頃、ベルリンの地下壕内で、前日結婚した[[エヴァ・ブラウン]]と共に[[ピストル]]自殺（毒薬を飲んでとの説もある）。死体は遺言に沿って焼却された。ヒトラーは遺言で大統領兼国防軍総司令官にデーニッツ海軍元帥を、首相に[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]宣伝相を、ナチス党首および遺言執行人にマルティン・ボルマン党総務局長を指定していたが、ゲッベルスもヒトラーの後を追い5月1日、妻と6人の子供を道連れに自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合軍がドイツ国内、オーストリアへ進撃するにつれ、[[ダッハウ]]、ザクセンハウゼン、ブーフェンヴァルト、ベルゲンベルゼン、フロッセンビュルク、マウトハウゼンなど、各地の[[強制収容所]]が次々に解放され、収容者とおびただしい数の死体が発見された。[[ユダヤ人]]絶滅計画をはじめ、ナチスの[[恐怖政治]]、[[ホロコースト]]の実行過程が明るみに出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Wilhelm Keitel Kapitulation.jpg|thumb|ベルリンでソ連軍に対する降伏文書に署名する[[ヴィルヘルム・カイテル]][[陸軍]][[元帥 (ドイツ)|元帥]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月2日、首都[[ベルリン]]市はソ連軍に占領された。そのときベルリンの女性の多くがソ連兵に[[強姦]]された。ある医師の推定では、ベルリンで[[レイプ]]された10万の女性のうち、その後死亡した人が1万前後、その多くは自殺だった（「ベルリン陥落1945」アントニー・ビーヴァー著白水杜）。また[[東プロイセン]]、[[ポンメルン]]、[[シュレージェン]]での被害者140万人の死亡率は、さらに高かったと推定される。全体で少なくとも200万のドイツ人女性がレイプされ、繰り返し被害を受けた人もかなりの数に上ると推定される（同上より）。ドイツ以外でも、ソ連軍は侵攻した[[ポーランド]]、[[ユーゴスラビア]]、[[オーストリア]]、[[ハンガリー]]でも大規模な暴虐・略奪行為を行い、スイス公使館の報告によると、ハンガリー女性の半数以上が強姦されたという 。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月7日]]、ドイツのほとんどが連合軍に占領され、もはやドイツ軍の兵力も指揮系統も破綻し、ヒトラーの遺言に基づき、彼の跡を継いで指導者となったデーニッツ海軍元帥がソ連を除く連合国に無条件降伏し、[[アルフレート・ヨードル]]上級大将がアイゼンハウアーの司令部に赴き、デーニッツ政府代表として降伏文書に署名した。翌5月8日にはソ連に対しても無条件降伏し、同日[[ベルリン]]市内のカールスホルスト([[:de:Karlshorst|Karlshorst]]) の工兵学校におけるソ連軍に対する降伏式で陸軍代表[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥、海軍代表[[ハンス＝ゲオルク・フォン・フリーデブルク]]提督、空軍代表[[ハンス＝ユルゲン・シュトゥムプフ]] ([[:de:Hans-Jürgen Stumpff|Hans-Jürgen Stumpff]])上級大将 による降伏文書への調印がなされ、ここに1939年9月1日から始まった、ヨーロッパでの戦争は終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Potsdam conference 1945-4.jpg|left|thumb|会談途中でイギリス首相が抜けたポツダム会談の写真]]&lt;br /&gt;
その後7月17日から、ベルリン南西[[ポツダム]]にて、依然交戦中の日本の終戦と日本降伏後の処理を協議する[[ポツダム会談]]が行われた。イギリスのウィンストン・チャーチル首相&amp;lt;ref&amp;gt;会談途中、7月25日の総選挙でチャーチル率いる保守党が労働党に敗北し、[[クレメント・アトリー]]と交代する。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[4月12日]]のルーズベルト大統領の急死に伴い、副大統領から昇格・就任したアメリカの[[ハリー・S・トルーマン]]大統領、ソビエト連邦のヨシフ・スターリン首相が出席した。この会談で日本に対し降伏を勧告する[[ポツダム宣言]]の発表と、ドイツの戦後分割統治が取り決められた[[ポツダム協定]]の締結が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経過（アジア・太平洋） ==&lt;br /&gt;
1941年、日本軍の[[真珠湾]]攻撃で始まる。1942年前半までは日本が破竹の勢いで進撃し、広大な占領地を得た。しかし、[[珊瑚海海戦]]、[[ミッドウェー海戦]]で敗退し、勢いが止まる。1943年には、ソロモン諸島やニューギニアで消耗戦を強いられた。一方、米軍は同年11月から中部太平洋で本格的反攻を開始。1944年には、マリアナ諸島のサイパン島を占領。日本本土の大半は米軍の新型[[戦略爆撃機]][[B-29]]の行動範囲内に入る。日本海軍連合艦隊は壊滅し、神風特攻隊による攻撃が始まる。1945年になると、B-29の本土空襲が激化し、軍需産業と国民の戦意に打撃を与えた。さらに硫黄島、沖縄が陥落。広島・長崎への[[原子爆弾]]投下、ソ連参戦を受け、天皇の意思により日本は[[ポツダム宣言]]を受諾。8月15日終戦となったが、ソ連軍の攻撃は終戦後も続き、日本は北方領土を占領された。9月2日、米戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]艦上で[[降伏文書]]に調印し、日本は正式に降伏した。1941年12月8日（日本時間）から1945年9月2日までの戦争を、[[大東亜戦争]]（当時の日本政府による呼称）若しくは、[[太平洋戦争]]（当時の連合国による呼称）と呼ぶ。また、地理的正確さを重視して、[[アジア・太平洋戦争|アジア太平洋戦争]]と呼ぶ論者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本の参戦 ===&lt;br /&gt;
1939年8月の独ソ不可侵条約締結は日本に衝撃を与え、当時の[[平沼騏一郎]]内閣は総辞職。その後もヨーロッパの戦争に不介入の方針をとっていたが、1940年6月、フランス降伏、枢軸国の勢力が拡大するに及んで[[近衛文麿]]内閣は同年9月27日、日独伊三国同盟を締結した。親独ヴィシー政権成立後、中国への援助ルート遮断を目的に日本軍は北部[[仏印進駐]]を開始した。アメリカとの戦争回避のため、日米交渉が1941年4月から開始されたが、軍部の強硬姿勢や[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領の対日強硬策などにより交渉は難航した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1941年6月の独ソ戦開始後、陸軍の一部には対ソ参戦を目指す北進論もあったが、[[ノモンハン事件]]での敗北後は北進に消極的な意見が強く、また資源確保には南進が重要であり、[[蘭印]]（[[オランダ]]領インド、現[[インドネシア]]）からの軍事物資大量買付け交渉が失敗すると、同年7月28日の南部仏印進駐を開始した。アメリカは対抗措置として在米日本資産を凍結。さらに石油禁輸に踏み切った。これによってアメリカ・イギリス・中華民国・オランダとの関係がいっそう冷え込み、日本ではそれぞれの国の英語の頭文字をとって[[ABCD包囲網]]と呼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外務省は同年晩秋まで日米交渉を続けたが、同年10月18日、強硬派の陸軍大将[[東条英機]]内閣が成立。中国からの撤退で妥協する事は不可能となった。&lt;br /&gt;
[[11月26日]]、アメリカの[[コーデル・ハル]]国務長官から[[来栖三郎 (外交官)|来栖三郎]][[特命全権大使]]、[[野村吉三郎]]駐米大使に通称[[ハル・ノート]]が手渡された。中国大陸から全面撤退すべし、との強硬な撤退要求を受け、日本政府はこれを、全占領地からの撤退要求と解釈。事実上の[[最後通牒]]と認識し、日米交渉は完全に決裂した。同日、日本海軍機動部隊は[[南千島]]の[[択捉島]][[単冠湾]]（ヒトカップ湾）からハワイに向け出港した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月1日の[[御前会議]]で、事実上軍部に牛耳られていた日本政府は対英米蘭開戦を決定。こうして日本は第二次世界大戦へ参戦する事となった。なお、日本政府がハル・ノートの内容に憤慨し、野村吉三郎大使に対しアメリカ政府との交渉打ち切りを指示していた事を、既にアメリカ政府は[[暗号解読]]によって察知していたといわれている。また、当時ナチスドイツに対し劣勢だったイギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相、中華民国の[[蒋介石]]総統らによるアメリカ参戦の要望も強かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1941年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war asia 1937-1942 map de.png|thumb|占領地域を広げる日本（1937年から1942年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Carrier shokaku.jpg|thumb|[[真珠湾]]攻撃に向かう[[零式艦上戦闘機]]]]&lt;br /&gt;
[[12月8日]]（[[日本標準時|JST]]）、6隻の[[航空母艦]]から発進した日本海軍機による当時のアメリカ自治領[[ハワイ]]・[[真珠湾]]のアメリカ海軍太平洋艦隊に対する攻撃（[[真珠湾攻撃]]）が行われた。日本海軍は、アメリカ太平洋艦隊をほぼ壊滅させたが、第2次攻撃隊を送らず、[[オアフ島]]の燃料タンクや港湾設備を徹底的に破壊しなかった事、攻撃当時アメリカ[[空母]]が出港中で、空母と艦載機を破壊できなかった事が、後の戦況に影響を及ぼす事になる。[[画像:Attack on Pearl Harbor Japanese planes view.jpg|left|thumb|[[日本海軍]]による[[真珠湾攻撃]]で雷撃を受ける[[アメリカ海軍]][[戦艦]]（1941年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Loss of HMS Prince of Wales and HMS Repulse.jpg|thumb|日本海軍の攻撃を受けるイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋艦レパルス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月10日、日本海軍双発爆撃機隊（[[九六式陸上攻撃機]]と[[一式陸上攻撃機]]）の巧みな攻撃により、当時世界最強の海軍を自認していた[[イギリス海軍]][[東洋艦隊 (イギリス)|東洋艦隊]]の、当時最新鋭の戦艦[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]と巡洋戦艦[[レパルス (巡洋戦艦)|レパルス]]を一挙に撃沈した（[[マレー沖海戦]]）。なお、これは史上初の航空機の攻撃のみによる行動中の戦艦の撃沈であり、この成功はその後の世界各国の戦術に大きな影響を与えた。なお、当時のイギリス首相チャーチルは後に「第二次世界大戦中にイギリスが最も大きな衝撃を受けた敗北だ」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス軍への攻撃は宣戦布告無く開始され、アメリカ政府への宣戦布告文書交付は、駐米[[大使館]]での暗号文書き起こし、大使館員のタイプ遅延などのため、[[外務省]]の指令時間より1時間近くも遅れた。このため、英米への攻撃が「だまし討ちだ」と、その後長年に渡ってアメリカ政府によって喧伝される事となった（なお、1939年9月のドイツとソ連のポーランド攻撃は完全に宣戦布告が行なわれかったが、このように喧伝されることは無かった。さらに、戦時国際法では期限のない最後通牒を、事実上の宣戦布告とみなすことは可能、とするのが通説であることに鑑みれば、ハル・ノートを突きつけられた時点で、これは宣戦布告に等しい、とみなす考えも有る。[[最後通牒]]の項も参照されたし）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かねてより参戦の機会を窺っていたアメリカは、真珠湾攻撃を理由に連合軍の一員として正式に参戦した。また、既に日本と[[日中戦争]]（[[支那事変]]）で戦争状態の中華民国は12月9日、日独伊に対し正式に宣戦布告（詳細は「日中戦争」の項を参照）。12月11日には、日本の対連合国へ宣戦を受け、日本の同盟国ドイツ、イタリアもアメリカへ宣戦布告。これにより、戦争は名実ともに世界大戦としての広がりを持つものとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Japanese troops enter Hong Kong.jpg|thumb|香港に入城する日本陸軍]]&lt;br /&gt;
当時日本海軍は、短期間で勝利を重ね、有利な状況下でアメリカ軍をはじめ、連合軍と停戦に持ち込むことを画策。そのため、負担が大きくしかも戦略的意味が薄い、という理由でハワイ諸島への上陸は考えていなかった。しかし、ルーズヴェルト大統領以下、当時のアメリカ政府首脳は、日本軍のハワイ上陸を本気で危惧し、ハワイ駐留軍の本土への撤退を想定していた。さらに、日本海軍空母部隊によるアメリカ本土西海岸空襲、アメリカ本土侵攻の可能性が高い、と分析していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[帝国陸軍|日本陸軍]]は12月8日、タイ国国境に近いイギリス領[[マレー半島]]&amp;lt;ref&amp;gt;当時はイギリスの植民地。&amp;lt;/ref&amp;gt;・コタバルへ上陸し、[[シンガポール]]を目指し半島を南下。同日、日本陸海軍機が[[フィリピン]]&amp;lt;ref&amp;gt;当時はアメリカの植民地。&amp;lt;/ref&amp;gt;の米軍基地を攻撃し、12月10日には[[ルソン島]]へ上陸。さらに太平洋のアメリカ領グアム島も占領。12月23日にはウェーク島も占領。[[画像:Salween River near Burma.jpg|left|thumb|[[ミャンマー|ビルマ]]国境付近で日本軍と戦う中国兵]]&lt;br /&gt;
ボルネオ（[[カリマンタン島|現カリマンタン]]）島&amp;lt;ref&amp;gt;当時はイギリスとオランダの植民地&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[ジャワ島]]と[[スマトラ島]]&amp;lt;ref&amp;gt;オランダの植民地。&amp;lt;/ref&amp;gt;などにおいて、イギリス・アメリカ・オランダなど連合軍に対する戦いで大勝利を収めた。12月25日にはイギリス領[[香港]]を占領した。しかし日本軍は、ポルトガル植民地[[東ティモール]]と、香港に隣接する[[マカオ]]には、中立国植民地を理由に侵攻しなかった。&amp;lt;ref&amp;gt;しかし後にポルトガル政府の暗黙のもと、両地を事実上統治下においた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国戦線において、中国国民党の蒋介石率いる中華民国政府は、アメリカやイギリス、ソ連からの豊富な軍需物資、戦闘機部隊や軍事顧問など、人的援助を受けた。日本軍は、地の利が有る国民党軍の攻撃に足止めされ、中国共産党軍（[[八路軍]]と呼ばれた）は[[ゲリラ]]戦を展開、絶対数の少ない日本軍を翻弄し、泥沼の消耗戦を余儀なくされた。なお、[[満洲国]]&amp;lt;ref&amp;gt;1932年に日本の協力の元に設立された「五族協和」を国是とした日本の事実上の[[傀儡政権]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;や[[汪兆銘政権|中華民国南京国民政府]]&amp;lt;ref&amp;gt;1940年3月、日本の協力の元に[[汪兆銘]]を首班として南京に設立された政権。&amp;lt;/ref&amp;gt;も、日本と歩調を合わせて連合国に対し宣戦布告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1942年 ===&lt;br /&gt;
東南アジア唯一の独立国だった[[タイ王国]]は、当初は中立を宣言していたが12月21日、日本との間に[[日泰攻守同盟条約]]を締結し、事実上枢軸国の一国となった事で、この年の[[1月8日]]からイギリス軍やアメリカ軍が[[バンコク]]など都市部への攻撃を開始。これを受けてタイ王国は[[1月25日]]にイギリスとアメリカに宣戦布告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2月、日本海軍[[伊号第一七潜水艦]]が、アメリカ西海岸[[カリフォルニア州]]・サンタバーバラ市近郊エルウッドの製油所を砲撃。製油所の施設を破壊した。続く同6月、[[オレゴン州]]のアメリカ海軍基地を砲撃し被害が出た事も有り、アメリカは本土への日本軍上陸を危惧した。一方、早期和平を意図していた日本はアメリカ本土侵攻の意図は無かった。しかし、これらアメリカ本土攻撃がもたらした日本軍上陸に対するアメリカ政府の恐怖心と、無知による人種差別的感情が、[[日系人の強制収容]]の本格化に繋がったとも言われる。[[画像:WWII SF posters.gif|left|thumb|[[サンフランシスコ]]市内に張り出された日本軍機による空襲時の[[シェルター]]への避難案内と日系アメリカ人に対する強制退去命令]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本海軍は、同月に行われた[[ジャワ沖海戦]]でアメリカ、イギリス、[[オランダ海軍]]を中心とする連合軍諸国の艦隊を打破する。続く[[スラバヤ沖海戦]]では、連合国海軍の巡洋艦が7隻撃沈されたのに対し、日本海軍側の損失は皆無と圧勝した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月15日]]には、イギリスの東南アジアにおける最大の拠点[[シンガポール]]が陥落。[[画像:Yamashita and Percival discuss surrender terms.jpg|right|thumb|降伏交渉を行う日本軍の[[山下奉文]]大将とシンガポール駐留イギリス軍のアーサー・パーシバル中将]]&lt;br /&gt;
また、3月の[[バタビア沖海戦]]でも日本海軍は圧勝し、相次ぐ敗北によりアジア地域の連合軍艦隊はほぼ壊滅した。まもなく[[ジャワ島]]に上陸した日本軍は疲弊したオランダ軍を制圧し同島全域を占領。この頃、フィリピンの日本軍はコレヒドール要塞を制圧し、太平洋方面の連合国軍総司令官[[ダグラス・マッカーサー]]は多くのアメリカ兵をフィリピンに残したままオーストラリアに逃亡した。また、日本陸軍も3月8日、イギリス植民地ビルマ（現在は[[ミャンマー]]）首都[[ラングーン]]（現在は[[ヤンゴン]]）を占領。日本は連戦連勝、破竹の勢いで占領地を拡大した。しかし、4月18日、空母[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]から発進した米陸軍の双発爆撃機[[B-25 (航空機)|B-25]]による東京空襲（[[ドーリットル空襲]]）は、日本の軍部に衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Surrender of American troops at Corregidor.jpg|left|thumb|日本軍に降伏する[[フィリピン]]駐留のアメリカ軍兵士]]&lt;br /&gt;
日本海軍航空母艦を中心とした機動艦隊は[[インド洋]]にも進出し、空母搭載機がイギリス領[[セイロン]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[スリランカ]]&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[コロンボ]]、トリンコマリーを空襲、さらにイギリス海軍の航空母艦[[ハーミーズ (空母・初代)|ハーミーズ]]、重巡洋艦コーンウォール、ドーセットシャーなどに攻撃を加え多数の艦船を撃沈した（[[セイロン沖海戦]]）。[[画像:HMScornwall2.jpg|left|thumb|日本軍の攻撃を受け沈むイギリス海軍巡洋艦「コーンウォール」]]&lt;br /&gt;
イギリス艦隊は大打撃を受けて、日本海軍機動部隊に反撃ができず、当時植民地だった[[アフリカ]]東岸[[ケニア]]の[[キリンディニ]]まで撤退した。なお、この攻撃に加わった潜水艦の一隻である[[伊号第三〇潜水艦]]は、その後8月に戦争開始後初の[[遣独潜水艦作戦]]（第一次遣独潜水艦）としてドイツ&amp;lt;ref&amp;gt;正式にはドイツ占領下のフランス。&amp;lt;/ref&amp;gt;へと派遣され、[[エニグマ (暗号機)|エニグマ暗号機]]などを持ち帰った。イギリス軍は、敵対する親独フランス・ヴィシー政権の植民地、アフリカ沖の[[マダガスカル]]島を、日本海軍の基地になる危険性のあったため、[[南アフリカ]]軍の支援を受けて占領した（[[マダガスカルの戦い]]）。この戦いの間に、日本軍の[[特殊潜航艇]]がディエゴスアレス港を攻撃し、イギリス海軍の戦艦を1隻大破させる等の戦果をあげている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本軍は第二段作戦として、アメリカ・オーストラリア間の[[シーレーン]]を遮断し、オーストラリアを孤立させる「米豪遮断作戦」（[[FS作戦]]）を構想した。5月には、日本海軍の[[特殊潜航艇によるシドニー港攻撃]]が行われ、オーストラリアの[[シドニー]]港に停泊していたオーストラリア海軍の船艇1隻を撃沈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月7日、8日の[[珊瑚海海戦]]では、日本海軍の空母機動部隊とアメリカ海軍の空母機動部隊が、歴史上初めて航空母艦の艦載機同士のみの戦闘を交えた。この海戦でアメリカ軍は大型空母[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]を失ったが、日本軍も小型空母[[祥鳳 (空母)|祥鳳]]を失い、大型空母[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]も損傷した。この結果、日本軍はニューギニア南部、ポートモレスビーへの海路からの攻略作戦を中止。陸路からの[[ポートモレスビー作戦|ポートモレスビー攻略作戦]]を推進するが、オーウェンスタンレー山脈越えの作戦は困難を極め失敗する。海軍上層部は、アメリカ海軍機動部隊を制圧するため中部太平洋の[[ミッドウェー島]]攻略を決定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:USS Lexington brennt.jpg|right|thumb|[[珊瑚海海戦]]で日本海軍の攻撃を受け炎上するアメリカ海軍の空母[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]]]&lt;br /&gt;
[[画像:HiryuBurning.jpg|left|thumb|[[ミッドウェー海戦]]で[[急降下爆撃機]]の爆撃を受け炎上する日本海軍の空母[[飛龍 (空母)|飛龍]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月4日 - 6日にかけての[[ミッドウェー海戦]]では、日本海軍機動部隊は作戦ミスと油断により主力正規空母4隻（[[赤城 (空母)|赤城]]、[[加賀 (空母)|加賀]]、[[蒼龍 (空母)|蒼龍]]、[[飛龍 (空母)|飛龍]]）を一挙に失い（米機動部隊は正規空母1隻（[[ヨークタウン (CV-5)|ヨークタウン]]）を損失）。加えて300機以上の艦載機と多くの熟練パイロットも失った。この敗北は太平洋戦争（大東亜戦争）の転換点となった。この海戦後、日本海軍保有の正規空母は[[瑞鶴]]、[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]のみとなり、急遽空母の大増産が計画されるが、終戦までに完成した正規空母は4隻（[[大鳳 (空母)|大鳳]]、[[天城 (空母)|天城]]、[[雲龍 (空母)|雲龍]]、[[葛城 (空母)|葛城]]の4隻）のみであった（なお、アメリカは終戦までに[[エセックス級航空母艦|エセックス級空母]]を14隻戦力化させている）。日本軍の圧倒的優位だった空母戦力は拮抗し、アメリカ海軍は予想より早く反攻作戦を開始する。また、[[大本営]]は、相次ぐ勝利に沸く国民感情に水を差さないようにするため、この海戦の大敗をひた隠しにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:E14Y Type 0 Reconnaissance Seaplane Glen E14Y-11s.jpg|right|thumb|アメリカ本土空襲を行った大日本帝国海軍の零式小型水上偵察機]]&lt;br /&gt;
9月には日本海軍の[[伊一五型潜水艦]][[伊号第二五潜水艦]]の[[潜水艦搭載偵察機]]零式小型水上偵察機がアメリカ西海岸のオレゴン州を2度にわたり空襲、火災を発生させるなどの被害を与えた（[[アメリカ本土空襲]]）。この空襲は、現在に至るまでアメリカ合衆国本土に対する唯一の外国軍機による空襲となっている。相次ぐ敗北に意気消沈する国民に精神的ダメージを与えないため、アメリカ政府も、爆撃があった事実をひた隠しにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Marines rest in the field on Guadalcanal.jpg|left|thumb|[[ガダルカナル島]]での[[アメリカ海兵隊]]]]&lt;br /&gt;
8月7日、アメリカ海軍は最初の反攻として、[[ソロモン諸島]]のツラギ島および[[ガダルカナル島]]に上陸、完成間近であった飛行場を占領した。これ以来、ガダルカナル島の奪回を目指す日本軍と米軍の間で、陸・海・空の全てにおいて一大消耗戦が繰り広げることとなった（[[ガダルカナル島の戦い]]）。同月に行われた[[第一次ソロモン海戦]]ではアメリカ、オーストラリア海軍などからなる連合軍は日本海軍による攻撃で重巡4隻を失う敗北を喫する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[第二次ソロモン海戦]]で日本海軍は空母[[龍驤 (空母)|龍驤]]を失い敗北し、島を巡る戦況は泥沼化する。10月に行われた[[南太平洋海戦]]では、日本海軍機動部隊が意地を見せ、アメリカ海軍の空母[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]を撃沈、[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]を大破させた。先立って[[サラトガ (空母)|サラトガ]]が大破、[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]]を日本潜水艦の雷撃によって失っていたアメリカ海軍は、一時的に太平洋戦線での稼動可能空母が0という危機的状況へ陥った。日本は[[瑞鶴]]以下5隻の稼動可能空母を有し、数の上では圧倒的優位な立場に立ったが、度重なる海戦で熟練搭乗員が消耗し、補給戦が延びきったことにより、新たな攻勢に打って出る事ができなかった。[[画像:USS Wasp (CV-7) brennt.jpg|right|thumb|[[伊19]]潜水艦の放った魚雷が命中、炎上するアメリカ海軍の空母[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]]]]&lt;br /&gt;
それでも、数少ない空母を損傷しながらも急ピッチで使いまわした米軍と、ミッドウェーのトラウマもあってか空母を出し惜しんだ日本軍との差はソロモン海域での決着をつける大きな要因になったといえる。その後行われた[[第三次ソロモン海戦]]で、日本海軍は戦艦2隻を失い敗北した。アメリカ海軍はドイツの[[Uボート]]戦法に倣って、[[潜水艦]]による[[通商破壊]]作戦を実行。日本軍の物資・資源輸送船団を攻撃。ガダルカナル島では補給が途絶え、餓死する日本軍兵士が続出した。長引く消耗戦により、1国でイギリス、アメリカ、オーストラリア、中華民国を相手にする日本は次第に守勢に回るようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1943年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war asia 1943-1945 map de.png|thumb|280px|太平洋上の拠点を失う日本（1943年から1945年）]]&lt;br /&gt;
1月、日本海軍は[[ソロモン諸島]]の[[レンネル島沖海戦]]でアメリカ海軍の重巡洋艦[[シカゴ (CA-29)|シカゴ]]を撃沈する戦果を挙げたが、島の奪回は絶望的となっていた。2月には、日本陸軍はガダルカナル島から撤退（[[ケ号作戦]]）した。半年にも及ぶ消耗戦により、日米両軍に大きな損害が生じた。ソロモン諸島での戦闘は依然続き、7月の[[コロンバンガラ島沖海戦]]で、日本海軍艦艇は巧みな雷撃によりアメリカ艦隊に勝利するが、日本軍は物量に勝る連合軍によって次第に圧迫されていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Yamamoto h63430.jpg|left|thumb|[[山本五十六]][[連合艦隊司令長官]]]]&lt;br /&gt;
4月18日、日本海軍の[[連合艦隊司令長官]]の[[山本五十六]][[海軍大将]]&amp;lt;ref&amp;gt;戦死後海軍[[元帥]]となる。&amp;lt;/ref&amp;gt;が、前線視察のため訪れていた[[ブーゲンビル島]]上空で[[アメリカ海軍情報局]]による[[暗号解読]]を受けた[[ロッキード]][[P-38 (航空機)|P-38]]戦闘機の待ち伏せを受け、乗機の[[一式陸上攻撃機]]を撃墜され戦死した（詳細は「[[海軍甲事件]]」を参照）。しかし大本営は、作戦指導上の機密保持や連合国による宣伝利用の防止などを考慮して、山本長官の死の事実を5月21日まで伏せていた。この頃日本海軍の暗号の多くはアメリカ海軍情報局により解読されており、アメリカ軍は日本海軍の無線の傍受と暗号の解読により、撃墜後間もなく山本長官の死を察知していたことが戦後明らかになった。なお、日本政府は「元帥の仇は増産で（討て）」との標語を作り、山本元帥の死を戦意高揚に利用する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月には北太平洋[[アリューシャン列島]]の[[アッツ島]]にアメリカ軍が上陸。日本軍守備隊は全滅し（[[アッツ島の戦い]]）、[[大本営発表]]で初めて「[[玉砕]]」という言葉が用いられた。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ニューギニア島]]でも激戦が続いていたが、物資補給の困難から、8月頃より日本軍の退勢となり、年末には同方面の日本軍の最大拠点、[[ラバウル]]は孤立化し始める。一方、初戦の敗退を乗り越え、戦力を整えたアメリカ軍はこの年の11月からいよいよ反攻作戦を本格化させ、南西太平洋方面連合軍総司令官の[[ダグラス・マッカーサー]]が企画した「飛び石作戦（日本軍が要塞化した島を避けつつ、重要拠点を奪取して日本本土へと向かう）」を開始する。11月には[[ギルバート諸島]]のマキン島、[[タラワ島]]の戦いで日本軍守備隊が全滅、同島はアメリカ軍に占領された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Greater East Asia Conference.JPG|thumb|300px|大東亜会議に参加した各国首脳]]&lt;br /&gt;
11月に日本の[[東條英機|東条英機]]首相は、満洲国、[[タイ王国]]、フィリピン、[[ミャンマー|ビルマ]]、[[自由インド仮政府]]、[[汪兆銘政権|南京国民政府]]などの首脳を東京に集めて[[大東亜会議]]を開き、[[大東亜共栄圏]]の結束を誇示する。しかしこの年の年末には、完全に態勢を立て直したアメリカ軍に加え、イギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍、中華民国軍など、数カ国からなる連合軍と、さしたる味方もなく1国で戦う上、兵士の補給や兵器の生産、軍需物資の補給に困難が生じる日本軍との力関係は、連合国有利へと傾いていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1944年 ===&lt;br /&gt;
[[ミャンマー|ビルマ]]方面では日本陸軍とイギリス陸軍との地上での戦いが続いていた。3月、インド北東部アッサム地方の都市でインドに駐留する[[英印軍]]の主要拠点である[[インパール]]の攻略を目指した[[インパール作戦]]とそれを支援する[[第二次アキャブ作戦]]が開始された。スバス・チャンドラ・ボース率いる[[インド国民軍]]まで投入し、劣勢に回りつつあった戦況を打開するため9万人近い将兵を投入した大規模な作戦であった。しかし、補給線を無視した無謀・杜撰な作戦により約3万人以上が命を失う（大半が餓死によるもの）など、日本陸軍にとって歴史的な敗北となった。これ以降、ビルマ方面での日本軍は壊滅状態となる。同作戦の失敗により翌年、[[アウン・サン]]将軍率いるビルマ軍に連合軍へ寝返られ、結果として翌年に日本軍はビルマを失うことになる。&lt;br /&gt;
[[画像:WorldWarII SaipanandTinian1.jpg|left|thumb|サイパンに上陸するアメリカ兵]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月頃には、米軍による通商破壊などで南方からの補給が途絶えていた中国戦線で日本軍の一大攻勢が開始される（[[大陸打通作戦]]）。作戦自体は成功し、中国北部とインドシナ方面の陸路での連絡が可能となったが、中国方面での攻勢はこれが限界であった。6月からは中国・[[成都]]を基地とする[[B-29 (航空機)|B-29]]による北九州爆撃が始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合国軍に対し各地で劣勢に回りつつあった日本の陸海軍は、本土防衛のためおよび戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である[[絶対国防圏]]を設けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:cabinet of Hideki Tojo.jpg|thumb|東條首相と閣僚]]&lt;br /&gt;
6月、最重要地点[[マリアナ諸島]]にアメリカ軍が来襲する。日本海軍はこれに反撃し、[[マリアナ沖海戦]]が起きる。ミッドウェー海戦以降、再編された日本海軍機動部隊は空母9隻という、日本海軍史上最大規模の艦隊を編成し迎撃したが、アメリカ側は15隻もの空母と艦艇、日本の倍近い艦載機という磐石ぶりであった。航空機の質や防空システムで遅れをとっていた日本軍は惨敗を喫する。旗艦[[大鳳 (空母)|大鳳]]以下空母3隻、多くの艦載機と搭乗員を失った日本海軍機動部隊は壊滅した。しかし、戦艦部隊はほぼ無傷で、10月末の[[レイテ沖海戦]]ではそれらを中心とした艦隊が編成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
陸上では、艦砲射撃、空爆に支援されたアメリカ海兵隊の大部隊が[[サイパン島]]、[[テニアン島]]、[[グアム島]]に次々に上陸。[[7月]]、[[サイパン島]]では3万の日本軍守備隊が玉砕。多くの非戦闘員が死亡した。続く[[8月]]、[[テニアン島]]、[[グアム島]]が連合軍に占領され、アメリカ軍は日本軍が使用していた基地を改修し、大型爆撃機の発着可能な滑走路の建設を開始した。この結果、日本の[[東北地方]]北部と[[北海道]]を除く、ほぼ全土がB-29の航続距離内に入り、本土空襲の脅威を受けるようになる。この年の11月24日から、サイパン島の基地から飛び立ったアメリカ空軍のB-29が東京の[[中島飛行機]][[武蔵野]]製作所を爆撃し、本土空襲が本格化する。太平洋上の最重要拠点・サイパンを失った打撃は大きく、この段階で日本の勝利の可能性は完全に無くなったといってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカやイギリスのような大型[[戦略爆撃機]]の開発を行っていなかった日本軍は、当時日本の研究員だけが発見していた[[ジェット気流]]を利用し、気球に爆弾をつけてアメリカ本土まで飛ばすいわゆる[[風船爆弾]]を開発。アメリカ本土へ向けて約9,000個を飛来させた。しかし与えた被害は市民数名の死亡、数ヶ所に山火事を起こす程度であった。また、日本海軍は、この年に進水した艦内に攻撃機を搭載した潜水空母「[[伊四〇〇型潜水艦]]」で、当時アメリカ管理下の[[パナマ運河]]を、搭載機の水上攻撃機「[[晴嵐]]」で攻撃する作戦を考案したが、これも戦況の悪化により中止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:USS White Plains attack by Tokkotai unit 25.10.1945 kk1a.jpg|right|thumb|レイテ沖海戦から始まった特攻。写真は護衛空母[[ホワイト・プレインズ (護衛空母)|ホワイト・プレインズ]]に突入する零戦52型]]&lt;br /&gt;
独裁体制を強化する[[東條英機|東条英機]]首相兼陸軍大臣に対する反発は強く、この年の春頃、[[中野正剛]]などの政治家や、海軍将校などを中心に倒閣運動が行われた。さらに、近衛文麿元首相の秘書官[[細川護貞]]の戦後の証言によると、当時現役の海軍将校で和平派の[[高松宮宣仁親王]]黙認の暗殺計画もあったと言われている。しかし計画が実行されるより早く、サイパン島陥落の責任を取り、東条英機首相兼陸軍大臣率いる内閣が総辞職。[[小磯国昭]]陸軍大将と[[米内光政]]海軍大臣を首班とする内閣が発足した。&lt;br /&gt;
[[画像:Princeton burning.jpg|left|thumb|レイテ沖海戦で日本機の攻撃を受け沈没するアメリカ空母プリンストン]]&lt;br /&gt;
[[画像:Lowering the flag on Zuikaku.jpg|thumb|left|アメリカ軍の攻撃を受け沈没しつつある空母瑞鶴（10月25日14時14分沈没）。]]&lt;br /&gt;
日本は大量生産設備が整っておらず、武器弾薬の大量生産も思うように行かず、その生産力はアメリカ、イギリス一国のそれをも大きく下回っていた。また本土の地下資源も少なく、石油、[[鉄鉱石]]などの物資をほぼ外国や勢力圏からの輸入に頼っていた。連合軍による通商破壊戦で、外地から資源を輸送する船舶の多くを失い、航空機燃料や艦船を動かす重油の供給もままならない状況であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10月には、アメリカ軍はフィリピンの[[レイテ島]]への進攻を開始した。日本軍はこれを阻止するために艦隊を出撃させ、[[レイテ沖海戦]]が起きる。日本海軍は空母瑞鶴などを米機動部隊をひきつける囮に使い、戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]、[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を主力とする戦艦部隊（栗田艦隊）で、レイテ島上陸部隊を乗せた輸送船隊の殲滅を期した。この作戦は成功の兆しも見えたものの、結局栗田艦隊はレイテ湾目前で反転し、失敗に終わった。この海戦で日本海軍連合艦隊は、空母4隻と武蔵以下戦艦3隻、重巡6隻など多数の艦艇を失い事実上壊滅。組織的な作戦能力を喪失した。また、この戦いにおいて初めて[[神風特別攻撃隊]]が組織され、米海軍の[[護衛空母]]撃沈などの戦果を上げている。アメリカ軍はフィリピンへ上陸し、日本陸軍との間で激戦が繰り広げられた。戦争準備が整っていなかった開戦当初とは違い、[[M4中戦車]]や[[火炎放射器]]など、圧倒的な火力かつ大戦力で押し寄せるアメリカ軍に対し、日本軍は敗走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1945年 ===&lt;br /&gt;
1月にはアメリカ軍は[[ルソン島]]に上陸した。2月には、首都[[マニラ]]を奪回。日本は南方の要所であるフィリピンを失い、南方から日本本土への資源輸送の安全確保はほぼ不可能となり、資源の乏しい日本の戦争継続は厳しくなった。&amp;lt;ref&amp;gt;日本は1940年以来、[[ヴィシー政権]]との協定をもとに[[フランス領インドシナ]]に進駐し続けていたが、前年の連合軍のフランス解放、[[シャルル・ド・ゴール]]によるヴィシー政権と日本の間の協定の無効宣言が行われたことを受け、進駐していた日本軍は[[3月9日]]、「明号作戦」を発動してフランス植民地政府及び駐留フランス軍を武力で解体し、インドシナを独立させた。なお、この頃においてもインドシナ駐留日本軍は戦闘状態に陥る事は少なく、かなりの戦力を維持していたので連合軍も目立った攻撃を行わず、また日本軍も兵力温存のため目立った軍事活動を行なわなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Iwo Jima amtracs.jpg|left|180px|thumb|硫黄島で日本軍の攻撃により擱座したアメリカ軍のLVT]]&lt;br /&gt;
[[画像:Tadamichi Kuribayashi1.jpg|180px|left|thumb|硫黄島で戦死した[[栗林忠道]]陸軍大将]]&lt;br /&gt;
2月から3月後半にかけて[[硫黄島の戦い]]が行われた。圧倒的戦力を有する米海兵隊と島を要塞化した日本軍守備隊の間で太平洋戦争（大東亜戦争）中最大規模の激戦が繰り広げられ、両軍合わせて5万名近くの死傷者（米軍の死傷者が日本軍を上回った）を出した末に、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]は陥落した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:B-29s dropping bombs.jpg|thumb|[[焼夷弾]]を投下するアメリカ軍の[[ボーイング]][[B-29]]戦略爆撃機]]&lt;br /&gt;
前年末から、アメリカ陸軍航空隊の[[ボーイング]][[B-29]]爆撃機による日本本土への空襲が本格化していた。日本軍は単発エンジンの戦闘機で体当たりするなど必死に迎撃したが、8,000m以上の高々度を高速で飛来し、武装も強固なB-29を撃墜するのは至難の業であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月10日]]未明、[[東京大空襲]]によって、一夜にして10万人もの市民の命が失われ、約100万人が家を失った。それまでは軍需工場を狙った高々度精密爆撃が中心であったが、[[カーチス・ルメイ]]少将が爆撃隊の司令官に就任すると、夜間[[無差別爆撃]]で[[焼夷弾]]攻撃が行われるようになった。[[東京]]、[[大阪]]、[[名古屋]]の3大都市の他、[[仙台市|仙台]]、[[横浜市|横浜]]、[[神戸]]、[[福岡市|福岡]]、[[岡山市|岡山]]、[[富山市|富山]]、[[徳島市|徳島]]、[[熊本市|熊本]]、[[佐世保市|佐世保]]など、全国の中小各都市も空襲にさらされる事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ軍は占領した硫黄島を、[[B-29]]護衛の[[P-51 (航空機)|P-51D]]戦闘機の基地、また損傷・故障してサイパンまで帰還不能のB-29の不時着地として整備した。この結果、B-29迎撃はさらに困難となった。迎撃する戦闘機、熟練した操縦士も、底をついていた日本軍は、十分な反撃もできなかった。当時ドイツの技術を参考にジェット機「橘花」を開発し、敗戦直前の8月7日に初飛行に成功するが、結局実用化には至らなかった。また、連合軍の潜水艦攻撃や、機雷敷設により日本は沿岸の制海権も失っていく。アメリカ軍空母機動部隊は日本沿岸の艦砲射撃や、[[艦載機]]による空襲、機銃掃射を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月1日]]、連合軍は[[沖縄本島]]へ上陸。多数の民間人をも動員した凄惨な地上戦が行われた。支援のため沖縄に向かった戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]も4月7日に撃沈。残るはわずかな空母、戦艦のみとなり、ここに日本海軍連合艦隊は完全に壊滅した。連合軍の艦艇に対する[[神風特別攻撃隊]]による攻撃が毎日のように行われ、連合軍艦艇に甚大な被害を与える。日本軍は[[練習機]]さえ動員し、必死の反撃を行うが、やがて特攻への対策法を編み出した連合軍艦艇に対し、あまり戦果を挙げられなくなっていた。沖縄戦は両軍と民間人に死傷者数十万人を出し、日本国内で民間人を巻き込んだ地上戦となった。日本の軍民総動員の反撃で、アメリカ軍に大きな被害を与えたが、6月23日には沖縄は陥落する。&lt;br /&gt;
[[画像:Battleship Yamato sinking.jpg|thumb|180px|left|米軍航空隊の爆撃で炎上する大和（1945年4月7日）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
満洲国は南方戦線から遠く、[[日ソ中立条約]]により、ソ連との間で戦闘にならず、開戦以来平静が続いたが、前年の末には、[[昭和製鋼所]]（鞍山製鉄所）などの重要な工業地帯が、中華民国領内発進のB-29の空襲を受け始めた。また、同じく日本軍の勢力下にあった[[ミャンマー|ビルマ]]では開戦以来、元の宗主国イギリスを放逐した日本軍と協力関係にあったが、日本軍が劣勢になると、ビルマ国軍の一部が日本軍に対し決起。3月下旬には「決起した反乱軍に対抗する」との名目で、指導者[[アウン・サン]]はビルマ国軍を[[ラングーン]]に集結させたが、集結後日本軍に対する攻撃を開始。同時に他の勢力も一斉に蜂起し、イギリス軍に呼応した抗日運動が開始され、5月にラングーンから日本軍を放逐した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月7日]]、唯一の同盟国ドイツが連合国に降伏。ついに日本はたった一国で連合国と戦う事になる。内閣は[[鈴木貫太郎]]首相の下で、連合国との和平工作を始めたが、このような状況に陥ったにもかかわらず、敗北の責任を回避し続ける[[大本営]]の議論は迷走を繰り返す。一方、「神洲不敗」を信奉する軍の強硬派はなおも[[本土決戦]]を掲げ、「日本国民が全滅するまで一人残らず抵抗を続けるべきだ」と[[一億玉砕]]を唱えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すでに2月、[[ヤルタ会談]]の密約、ヤルタ協約で、ソ連軍は満州、朝鮮半島、樺太、千島列島へ北方から侵攻する予定でいた。次いで7月17日から[[ドイツ]]の[[ベルリン]]郊外の[[ポツダム]]で、米英ソによる首脳会談が行われた。同26日には、日本の無条件降伏と、戦後処理に関する[[ポツダム宣言]]が発表された。鈴木内閣は、中立条約を結んでいたソ連による和平仲介に期待し、同宣言を黙殺する態度に出た。このような降伏の遅れは、その後の本土空襲や[[原子爆弾]]投下、日本軍や連合軍の兵士だけでなく、日本やその支配下の国々の一般市民にも更なる惨禍をもたらすことになった。もしここで、ポツダム宣言をすぐに受け入れて降伏していれば、少なくとも[[広島市|広島]]・[[長崎市|長崎]]への原爆投下は無かったかも知れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またアメリカ、イギリスを中心とした連合軍による、[[九州]]地方上陸作戦「オリンピック作戦」、その後関東地方への上陸作戦も計画されたが、日本の軍民を結集した強固な反撃で、双方に数十万人から百万人単位の犠牲者が出ることが予想され、計画は実行されなかった。&lt;br /&gt;
[[画像:Atomic cloud over Hiroshima.jpg|thumb|[[広島市|広島]]に投下された原子爆弾のきのこ雲]]&lt;br /&gt;
[[画像:UrakamiTenshudoJan1946.jpg|thumb|原子爆弾で破壊された[[長崎市|長崎]]の[[浦上天主堂]]]]&lt;br /&gt;
アメリカの[[ハリー・S・トルーマン]]大統領は、日本本土侵攻による自国軍の犠牲者を減らす名目と、日本の分割占領を主張するソ連の牽制目的、日本の降伏を急がせる目的、さらに非[[白人]]種への[[人種差別]]意識も影響し、史上初の原子爆弾の使用を決定。[[8月6日]]に[[広島市への原子爆弾投下]]、次いで[[8月9日]]に[[長崎市への原子爆弾投下]]が行われ、投下直後に死亡した十数万人にあわせ、その後の放射能汚染などで20万人以上の死亡者を出した。なお、当時日本でも、独自に原子爆弾の開発を行っていたが、必要な資材・原料の調達が不可能で、ドイツ、イタリアなどからの亡命科学者と資金を総動員した、アメリカの[[マンハッタン計画]]には遠く及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソビエト連邦は、上記のヤルタ会談での密約を元に、締結後5年間（[[1946年]]4月まで）有効の[[日ソ中立条約]]を破棄、[[8月8日]]、[[ソ連対日宣戦布告|対日宣戦布告]]し翌9日、[[満州国]]へ侵攻を開始した（[[8月の嵐作戦]]）。当時、満洲国駐留の日本の関東軍は、主力を南方へ派遣し、弱体化していたため総崩れとなり、組織的な抵抗もできずに敗退した。逃げ遅れた日本人開拓民の多くが混乱の中で生き別れ、後に[[中国残留孤児]]問題として残る事となった。また、ソ連参戦で満洲と朝鮮北部、南樺太などの戦いで日本軍人約60万人が捕虜として[[シベリア]]へ抑留された（[[シベリア抑留]]）。彼らはその後、ソ連によって過酷な環境で重労働をさせられ、6万人を超える死者を出した。満洲・南樺太・朝鮮半島に住む日本人女性は、流刑囚から多く結成されたソ連軍によって集団的に[[強姦]]され（ソ連軍による組織的強姦）、満洲から引き上げる日本人女性の一部は中華民国国民党軍や中国共産党軍に拉致され慰安婦にされるなど、多大な被害を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような事態にいたってもなお日本軍部指導層は降伏を回避しようとし、[[御前会議]]での議論は迷走した。しかし鈴木首相が[[昭和天皇]]に発言を促し、天皇自身が和平を望んでいることを直接口にした事により、議論は収束した。[[8月14日]]、同宣言受諾の意思を通告し、翌[[8月15日]]正午の昭和天皇による[[玉音放送]]をもってポツダム宣言受諾を表明、全ての戦闘行為は停止された（[[日本の降伏]]）。なお、この後[[鈴木貫太郎内閣]]は総辞職した。敗戦と玉音放送の実施を知った一部の将校グループが、玉音放送が録音された[[レコード]]の奪還をもくろんで8月15日未明、[[宮内省]]などを襲撃する事件（[[宮城事件]]）を起こし、鈴木首相の私邸を襲った。また玉音放送後、[[厚木基地]]の一部将兵が徹底抗戦を呼びかけるビラを撒いたり、停戦連絡機を破壊するなどの抵抗をした他は大きな反乱は起こらず、ほぼ全ての日本軍は戦闘を停止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Shigemitsu-signs-surrender.jpg|left|thumb|降伏文書に調印する日本全権。中央で署名を行っているのは[[重光葵]]外務大臣。その左後方に侍しているのは[[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]大臣秘書官]]&lt;br /&gt;
翌日、連合軍は中立国[[スイス]]を通じ、占領軍の日本本土受け入れや、各地の日本軍の武装解除を進めるための停戦連絡機の派遣を依頼。19日には日本側の停戦全権委員が[[一式陸上攻撃機]]でフィリピンのマニラへと向かう等、イギリス軍やアメリカ軍に対する停戦と武装解除は順調に遂行された。しかし、少しでも多くの日本領土略奪を画策していたスターリンの命令で、ソ連軍は日本の降伏後も[[樺太|南樺太]]・[[千島列島|千島]]への攻撃を継続した。8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没した。[[北方領土]]の[[択捉島]]、[[国後島]]は8月末、[[歯舞諸島]]占領は9月上旬になってからであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の後ろ盾を失った満洲国は崩壊し[[8月18日]]、退位した皇帝の愛新覚羅溥儀ら満洲国首脳は日本への逃命を図るが、侵攻してきたソ連軍に身柄を拘束された。8月28日、連合国軍による日本占領部隊の第一弾としてアメリカ軍の先遣部隊が[[厚木]]飛行場に到着。8月30日、[[連合国軍最高司令官総司令部]]（GHQ/SCAP）の総司令官として連合国の日本占領の指揮に当たるアメリカ陸軍の[[ダグラス・マッカーサー]]大将も同基地に到着、続いてイギリス軍やオーストラリア軍、中華民国軍、ソ連軍などの日本占領部隊も到着した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月2日]]、[[東京湾]]内停泊のアメリカ海軍戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]艦上において、イギリスやアメリカ、中華民国、オーストラリア、フランス、オランダなど連合諸国17カ国の代表団臨席&amp;lt;ref&amp;gt;8月8日に参戦したばかりのソビエト連邦の代表団も戦勝国の一員として臨席した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の元、日本政府全権[[重光葵]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]、[[大本営]]全権[[梅津美治郎]]参謀総長による対連合国降伏文書への調印がなされ、ここに1939年9月1日より、足かけ7年にわたって続いた第二次世界大戦はついに終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 戦時下の人々の暮らし ==&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
戦争に反対する言論、特に思想犯を政府は[[特別高等警察]]（[[特高]]）を使って弾圧した。単に戦争に反対しない、というだけではなく、積極的に戦争に協力する態度が要求された。人々は戦争が始まると「欲しがりません勝つまでは」、「ぜいたくは敵だ」等という[[国家総力戦]]の標語（[[スローガン]]）を掲げ、ピリピリとした空気のなかで生活を送った。ガソリンの不足で町には木炭自動車が走り、電気を浪費するため[[パーマネント]]も禁止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物価や物品の統制がなされ、贅沢品はもちろん生活必需品も不足し、窮乏生活を余儀なくされた。食料の[[配給制度]]が実施され、敗戦の色が濃くなってくると配給量も徐々に減らされ、その質も悪化していった。&lt;br /&gt;
また熟練工が戦場に動員され、代わりに学生が工場に動員あるいは徴兵（[[学徒動員]]）され、兵器製造や戦場にも駆り出された。子供の遊びにまでも戦争の影響があらわれ、戦意発揚の意図のもと戦争を題材にした[[紙芝居]]、[[玩具]]などが出回り、空き地では戦争ごっこが定番になった。学校の教科書にも戦争関連の問題が載るようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本土に対する空襲は1944年6月の九州北部から始まり、さらに同年11月からは東京・名古屋・大阪方面も空爆にさらされ、沿岸地域では米軍艦による艦砲射撃も加えられるなど、戦争の災禍があらゆる国民に及ぶようになった。&lt;br /&gt;
そして沖縄では一般国民が米軍の、南[[樺太]]や[[北方領土]]の島々ではソ連軍の直接侵攻を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ドイツ ===&lt;br /&gt;
総統[[アドルフ・ヒトラー]]は、戦争中盤までは国民の生活水準をある程度考慮していた。その一方で、秘密警察[[ゲシュタポ]]の監視により、国民の反政府・反戦的な言動は徹底的に弾圧した。[[スターリングラードの戦い]]でドイツ軍が大敗すると、ミュンヘンの大学生による反戦運動が表面化した。その時期、宣伝大臣[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]による有名な「[[総力戦布告演説]]」が行なわれ、政府による完全な統制経済・総力戦体制が開始され、軍需大臣[[アルベルト・シュペーア]]の尽力もあり、[[1944年]]には激しい[[戦略爆撃]]を受けながらもドイツの兵器生産はピークに達する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合軍による空襲はすでに1940年から開始され、1942年にはケルン市が1,000機以上による大空襲に遭った。1943年には昼はアメリカ軍爆撃機が軍事目標を、夜はイギリス軍爆撃機がドイツ各都市を無差別爆撃した。そのためドイツ国民は、自宅のベッドに寝ている時間よりも、地下室や防空壕で過ごす時間の方が長い、とまで言われた。1944年の[[クリスマス]]の時期には、プレゼントを巡って「実用性を考えれば、棺桶が一番だ。」というブラックユーモアが流行した。総力戦体制の確立後、歌劇場、劇場、サーカス、キャバレーなど庶民の娯楽の場が次々と閉鎖に追い込まれた。そのような苦しい状況下において、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]率いる[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]や[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]といったドイツのみならず世界を代表する楽団は[[1945年]]の敗戦直前まで何とか活動を続けた。&amp;lt;ref&amp;gt;中川右介 『カラヤンとフルトヴェングラー』 幻冬舎新書、2007年、112頁。 ISBN 978-4-344-98021-1&amp;lt;/ref&amp;gt;ナチスが支援していた[[バイロイト音楽祭]]も、規模を縮小しながら1944年まで行われた。芸術の町[[ドレスデン]]が1945年2月、徹底的な[[無差別爆撃]]に遭った事で、ドイツの芸術にあたえた衝撃は計り知れない（[[ドレスデン爆撃]]の項目を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗戦間際、[[ソ連軍]]の残虐な報復から逃れるために西部へ避難するドイツ人が続出した。[[ベルリンの戦い]]の頃には、少年や老人までもが[[義勇兵]]として武器を取りソ連軍と戦った。そのような状況で、ゲシュタポや[[ナチス親衛隊]]はなおも国民や兵士を監視し、逃亡と見なした者を処刑して回ったという。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
; ドイツ占領下の国々&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== イギリス ===&lt;br /&gt;
開戦当初は戦争とは思えないほど平穏な日々だったが、フランスの降伏後は、単独でナチス・ドイツと戦った。ドイツ軍の上陸を想定し、沿岸地域の住民に対し様々な対策を試みた。1940年8月下旬からはロンドンをはじめ、各都市がドイツ空軍爆撃機の夜間無差別爆撃に遭い、多くの市民が死傷した。又、ドイツ海軍Uボートによる通商破壊により生活物資の供給は逼迫、困窮した生活を余儀なくされた。1944年には、戦争がイギリスに有利になり、国民生活にも徐々に余裕が出てきたが、同年6月8日からはドイツ軍が新たにV-1飛行爆弾でロンドンやイギリス南東部を攻撃し、さらに9月13日からはV-2ロケットでの攻撃も加わり、市民に死傷者が出た。戦争が有利に展開したのに再度防空壕への避難を余儀なくされ、特にV-2は当時の戦闘技術で迎撃不可能だったので、市民への心理的影響は決して小さく無かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アメリカ ===&lt;br /&gt;
戦線から遠く離れてるため戦火に巻き込まれずにすんだが、しかし国民のほぼ1割が最前線に投入され、そのためビジネスの減少を招き国債が増発される一方、国民のほとんどを労働者が占めるアメリカでは生活保障がなく、終戦まで失業者が増える一方であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 影響 ==&lt;br /&gt;
=== 概要 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|right|thumb|200px|ヤルタ会談における連合国首脳]]&lt;br /&gt;
[[画像:World_War_II_Casualties.svg|right|thumb|300px|第二次世界大戦の死亡者数]]&lt;br /&gt;
第二次世界大戦の結果、ファシスト・イタリアが倒れ、ドイツと日本が降伏した。犠牲者数は世界でおよそ6,000万人と言われる。主要参戦国における死亡者数の概数は、ソ連2,000万人（軍人1,300万人・市民700万人）、中国1,350万人（350万人・1,000万人）、ドイツ730万人（350万人・380万人）、ポーランド540万人（12万人・530万人）、フランス60万人（25万人・36万人）、イギリスおよびイギリス連邦50万人（45万人・6万人）、日本210万人（170万人・38万人）、アメリカ40万人（40万人・0.17万人）、イタリア40万人（33万人・8万人）と推定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗戦国となった枢軸諸国にはアメリカ軍を中心とする戦勝国の軍隊が[[進駐]]した。敗戦国への処遇は[[第一次世界大戦]]の戦後処理の反省に基づいたものとなった。第一次世界大戦の戦後処理では、敗戦国ドイツの軍備解体が不徹底であったため、ドイツは再度第二次世界大戦を挑むことができた。しかし第二次世界大戦の戦後処理では敗戦国の軍備は徹底して解体され、敗戦国が他国に対して再度侵略行為を行うことは不可能となった。一方で、敗戦国への[[戦争賠償]]の要求よりも経済の再建が重視された。[[西ヨーロッパ]]では[[マーシャル・プラン]]が実施され、日本では[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による政治経済体制の再構築が行われた。戦後、敗戦国は経済的には復興したが、軍事力においては限られた影響力しか持たない状態が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ東部を含む[[東ヨーロッパ]]および[[外蒙古]]・[[朝鮮半島]]北部などにはソ連軍が進駐した。ソ連は東ヨーロッパで戦前の政治指導者を粛清・追放し、代わって親ソ連の[[共産主義]]政権を樹立させた。中国でも[[中国共産党]]が[[国共内戦]]に勝利し、世界はアメリカ・西ヨーロッパ・日本を中心とする[[資本主義]]陣営と、ソビエト・東ヨーロッパ・中国を中心とする共産主義陣営とに再編された。この政治体制は[[ヤルタ会談]]から名前を取って'''ヤルタ体制'''とも呼ばれる。そしてその後も二つの陣営は1990年代に至るまで[[冷戦]]と呼ばれる対立を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦の直接の原因となったドイツ東部国境外におけるドイツ系住民の処遇の問題は、最終的解決を見た。問題となっていた諸地域から[[ドイツ人追放|ドイツ系住民の大部分が追放]]されたことによってである。ドイツはヴェルサイユ条約で喪失した領土に加えて、中世以来の領土であった[[東プロイセン]]や[[シュレジエン]]などを喪失し、ドイツとポーランドとの国境は[[オーデル・ナイセ線]]に確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦勝国となったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国はその後[[核兵器]]を装備するなど、軍事力においても[[列強]]であり続けた。この5か国を[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の常任理事国として1945年10月24日、[[国際連合]]が創設された。国際連合は、勧告以上の具体的な執行力を持たず指導力の乏しかった[[国際連盟]]に代わって、経済、人権、医療、環境などから軍事、戦争に至るまで、複数の国にまたがる問題を解決・仲介する機関として、国際政治に関わっていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが戦勝国も国力の疲弊にみまわれた。[[東南アジア]]では、日本が占領した植民地をアメリカ、イギリス、フランス、オランダが奪回し、[[宗主国]]の地位を回復したが、一方で、日本軍占領下での独立意識の鼓舞による独立運動の激化、本国での植民地支配への批判の高まりといった状況が生じ、疲弊した宗主国にとって植民地帝国の維持は困難となった。その後[[1960年代]]までの間に、多くの植民地が[[独立]]を果たした。その意味においても、世界を一変させた戦争であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦争裁判 ===&lt;br /&gt;
第一次世界大戦の戦後処理では敗戦国の戦争指導者の責任追及はうやむやにされたが、第二次世界大戦の戦後処理では、国際軍事裁判所条例に基づき、[[戦争犯罪人]]として逮捕された敗戦国の戦争指導者らの「共同謀議」、「平和に対する罪」、「戦時犯罪」、「人道に対する罪」などが追及された。ドイツに関しては[[ニュルンベルク裁判]]が、日本に関しては[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）が開廷された。ドイツでは[[ヘルマン・ゲーリング]]ら、[[ナチス]]の閣僚、党員、軍人、関係者ら訴追され、[[ホロコースト]]や[[捕虜]][[虐待]]などに関して、それぞれ[[絞首刑]]、終身[[禁固刑]]、20年の禁固、10年の禁固、無罪などの判決が下された。日本では戦争開始の罪、中国、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソビエト連邦への侵略行為を犯したとして、[[東条英機]]ら28名が[[戦犯]]として訴追され、絞首刑、終身禁固、20年の禁固、7年の禁固刑などの判決が下された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この裁判では、戦勝国の行為については審理対象外とされたため、連合国側が枢軸国側に対して戦時中行なった[[国際法]]違反の[[戦争犯罪]]―広島・長崎への原爆投下、[[ドレスデン爆撃|ドレスデン大空襲]]、[[ハンブルク空襲|ハンブルク大空襲]]、[[東京大空襲]]・[[大阪大空襲]]など、民間人に対する無差別戦略爆撃は、連合国側の爆撃の方が、枢軸国のものより遥かに大規模であった。また大戦初期のソ連による[[ポーランド]]&amp;lt;ref&amp;gt;[[カティンの森事件]]については[[1992年]]にロシア政府が謝罪した。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[フィンランド]]に対する侵略。大戦末期の[[ベルリン]]など、ドイツ国内におけるソ連兵による虐殺、捕虜虐待、残虐行為や略奪行為。さらに中立条約を結んでいた日本や満洲国に対する侵攻・略奪行為。降伏後の日本の[[北方領土]]に対する侵攻・占拠-などについての責任追及は全く行われていない。&lt;br /&gt;
また、[[東ヨーロッパ|東欧]]諸国の[[ドイツ人追放|ドイツ系少数民族の追放]]やドイツ兵や日本兵の[[シベリア抑留]]など戦後の事例について、戦勝国側の加害責任を訴える声も大きいものの、同じく不問とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また東京裁判においては、投獄されていた[[岸信介]]がアメリカとの政治取引で釈放された。また[[サンフランシスコ講和条約]]締結後は、終身禁固刑を受けた戦犯も釈放される一方、上官命令でやむをえず捕虜虐待を行った兵士が処刑されたりするなど、概して裁判が杜撰であった点は否めない。さらに「人道に対する罪」という交戦時には無かった事後法によって裁くなど、原理的な疑義も指摘されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では、それら連合軍の残虐な行為が全く裁かれなかった事を、戦勝国の[[エゴ]]、勝者の敗者に対する[[復讐]]裁判として否定する意見が存在する。また、日本に対する戦争裁判を[[罪刑法定主義]]や[[法の不遡及]]に反することを理由として否定する意見もある。[[罪刑法定主義]]や[[法の不遡及]]を守りながら[[日本の戦争犯罪]]を裁けるのか、あるいは裁くべきなのか、またその判決が世界に受け入れられるのか、人道罪を否定した場合、虐殺など戦争犯罪を止めることができるのか、など難問は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパ ===&lt;br /&gt;
[[画像:Iron Curtain Final.svg|thumb|鉄のカーテン（但し、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]発足後のため[[シュチェチン|シュテッティン]]が境ではない）]]&lt;br /&gt;
マーシャルプランへの不参加をソ連が表明して、更に参加を希望していたチェコスロバキアなどの東欧諸国に圧力をかけて不参加を強要させた。9月には東欧や仏伊の共産党により[[コミンフォルム]]を結成し、西側に対抗する姿勢をとった。これによりヨーロッパの分裂が決定的になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤルタ体制の中で東欧諸国は否応なく、チャーチルが名づけたところの「[[鉄のカーテン]]」の向こう側である共産主義体制に組み込まれることとなり、ドイツという共通の敵を失ったソビエトとアメリカは、その同盟国を巻き込む形でその後[[1980年代]]の終わりまで半世紀近く[[冷戦]]という対立抗争を繰り広げた。また、フランスやイギリス、ソビエトなどの主要連合国はアメリカに倣い核兵器の開発・製造を急ぐこととなり、後に成立した中華人民共和国やインド、[[パキスタン]]などがこれに続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ヨーロッパ全域 ====&lt;br /&gt;
* 二度の世界大戦の原因の一つとして挙げられるのが、[[ザールラント]]（ドイツ領、戦間期は、自由市）及び[[アルザス]]・[[ロレーヌ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[[普仏戦争]]でのフランスの敗戦でドイツ領に併合、第一次世界大戦後、フランス領に復帰する。&amp;lt;/ref&amp;gt;で産出される[[石炭]]及び[[鉄鉱石]]をめぐっての争いであった。そのため、[[石炭]]、[[鉄鉱石]]を共同管理することによって、戦争を回避する目的で、[[1951年]]に、[[欧州石炭鉄鋼共同体]]（ECSC）が結成された。&lt;br /&gt;
* [[1958年]]に[[ベネルクス]]（[[オランダ]]、[[ベルギー]]、[[ルクセンブルク]]）、イタリア、西ドイツ、フランスが[[欧州経済共同体]] (ECC) 、[[欧州原子力共同体]] (EURATOM) が結成され、[[1967年]]に拡大、発展する形で、EEC、ECSC、EURATOMと[[欧州共同体]] (EC) に統合した。&lt;br /&gt;
* ECは、[[1973年]]に、[[デンマーク]]、[[イギリス]]、[[アイルランド]]、[[1981年]]に、[[ギリシャ]]、[[1986年]]には、[[スペイン]]と[[ポルトガル]]が加盟し、12か国体制へ発展した。&lt;br /&gt;
* ECは、[[1993年]][[11月1日]]のマーストリヒト条約[[欧州連合]]（EU）に発展した。2007年1月1日には、旧東欧圏である[[ルーマニア]]と[[ブルガリア]]が加盟し、27か国体制へと発展を遂げた（詳細は、欧州連合を参照のこと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ドイツ ====&lt;br /&gt;
[[画像:Nuremberg-1-.jpg|thumb|ニュルンベルグ裁判]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界を戦争の渦に巻き込んだアドルフ・ヒトラーは敗戦直前に自殺。残虐行為を実行した親衛隊の長官[[ハインリッヒ・ヒムラー]]、ナチスイデオロギーの宣伝相[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]も同じく自殺し、残された[[ヘルマン・ゲーリング]]などナチス首脳部の一部は、連合軍による国際軍事裁判（[[ニュルンベルク裁判]]）によって裁かれ、ゲーリング、[[リッペントロープ]]外相、[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥ら12名に絞首刑の判決が下された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他にも、ヒトラーお抱えの映画監督と言われた[[レニ・リーフェンシュタール]]や、ナチス占領下のフランスで、ナチス高官の愛人の庇護のもと自堕落な生活を送っていた[[ココ・シャネル]]など、国籍を問わず、ドイツの犯罪行為に加担したと考えられる[[芸術家]]や[[実業家]]なども[[非ナチ化裁判]]で罪を問われ、活動を禁止された者が数多くいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 領土の喪失&lt;br /&gt;
:* 第一次世界大戦後も領有していた東プロイセンやシュレジエン、ナチス政権が回復した旧ドイツ帝国の領土である[[ダンツィヒ]]や[[ポーランド回廊]]など、[[オーデル・ナイセ線]]以東の広大なドイツ領を喪失した。&lt;br /&gt;
:* ナチス政権が[[ミュンヘン会談]]によりチェコスロバキアから獲得していたドイツ人居住地域の[[ズデーテン|ズデーテン地方]]はチェコスロバキアに返還された。&lt;br /&gt;
:* これらの地域からドイツ人は追放され、大量のドイツ避難民が移動する中で多くの死者が出た（[[ドイツ人追放]]）。&lt;br /&gt;
:* この他、大戦中にドイツが併合した地域&amp;lt;ref&amp;gt;その多くが第一次世界大戦までの旧ドイツ帝国領だった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は、フランス（[[アルザス地域圏|アルザス]]・[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]）・デンマーク（[[シュレスウィヒ]]・[[ホルスタイン]]）・[[ベルギー]]・[[ルクセンブルク]]の諸国にそれぞれ返還された。&lt;br /&gt;
:* 西部の[[ザールラント州|ザールラント]]は自由州として分離され、フランスの管理下に置かれたが、その後、1957年に住民投票で西ドイツに復帰した。&lt;br /&gt;
:* ナチス政権が併合したオーストリアはドイツの被占領地域から分離され、[[1955年]]の[[オーストリア国家条約]]でドイツとの合併は永久に禁止された。&lt;br /&gt;
; 東西分割[[画像:Besatzungszonen ohne text.gif|right|200px|thumb|4カ国が占領したドイツ ベルリンはソ連占領地域に囲まれていた]][[画像:Occupiedberlin.png|right|200px|thumb|'''ベルリンの占領区分''' [[アメリカ合衆国|アメリカ]]（空色）、[[イギリス]]（薄紫）、[[ソビエト連邦|ソ連]]（赤）、[[フランス]]（青）]][[画像:Berlin Wall 1961-11-20.jpg|right|thumb|建設中の[[ベルリンの壁]]（1961年）]]&lt;br /&gt;
:* 前記の境界変更を行った上で、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国によりドイツ全土の分割統治が始まり、中央政府は消滅した。&lt;br /&gt;
:* ドイツ東部のソ連占領地域内にある旧首都ベルリンについては、全土の分割とは別に改めて上記の4か国&amp;lt;ref&amp;gt;アメリカ・イギリス・フランス管理エリアとソ連管理エリア。&amp;lt;/ref&amp;gt;により東西分割された（[[1990年]]に再統一）。やがて1948年には[[ベルリン封鎖]]が起こり、ソ連と他の3か国の対立が激化した。&lt;br /&gt;
:* 1948年にはソ連占領地域に[[ドイツ民主共和国]]（東ドイツ）が、1949年には他の3か国の占領地域に[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]（西ドイツ）が成立して、民族分断が確定し、東西冷戦の最前線となった。&lt;br /&gt;
; 高官の国外逃亡と責任逃避&lt;br /&gt;
: 終戦直前に[[アドルフ・アイヒマン]]などの多くのドイツ政府高官が、自らの身を守るためにドイツ国内外のナチス支持者&amp;lt;ref&amp;gt;一部の[[西ドイツ]]の政府高官もその逃亡に有形無形の援助を行った。&amp;lt;/ref&amp;gt;や[[バチカン]]の助けを受けスペインや[[アルゼンチン]]、[[チリ]]などの友好国に逃亡し、そのまま姿を消した。その一部はその後[[イスラエル諜報特務局]]や、「ナチ・ハンター」として知られる[[サイモン・ヴィーゼンタール]]などの手で居場所を突き止められ、逮捕された後にイスラエル政府などによって裁判にかけられたものの、残る多くは現在に至るまで逃げおおせ、姿を消したままである。&lt;br /&gt;
; 賠償&lt;br /&gt;
: ソ連は戦争により被った膨大な被害に対する[[戦争賠償|賠償]]として、ドイツ東部における自国占領地帯で工業施設の解体・移送を行なった。このことが東ドイツの発展を阻害し東西ドイツの経済格差を生み出す要因となった。また、[[ダイムラー・ベンツ]]や[[クルップ]]、[[メッサーシュミット]]など、ドイツの戦争遂行に加担し、強制労働に駆り出されたユダヤ人を利用した企業は、膨大な賠償金の支払いを課せられることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オーストリア ====&lt;br /&gt;
* 1938年にドイツによって併合（合邦）されたドイツとは分断され、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国によりオーストリア全土が分割占領された。&lt;br /&gt;
* これとは別に、首都の[[ウィーン]]もドイツのベルリンと同じく上記の4か国により分割占領された。&lt;br /&gt;
* ただし、ドイツとは異なり、ナチスによる併合により消滅していた中央政府が復活し、第二共和制が発足して、文民統治を維持した。&lt;br /&gt;
* その後、冷戦の激化にもかかわらずオーストリア政府は国家統一の維持に成功し、1955年のオーストリア国家条約により主権を回復した。&amp;lt;ref&amp;gt;[[永世中立国]]宣言、ドイツとの合邦を永久に禁止した。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* ドイツへの併合に協力し、その後オーストリア・ナチス党の指導者になった。&amp;lt;ref&amp;gt;さらにドイツの外務大臣にも就任した。&amp;lt;/ref&amp;gt;[[アルトゥル・ザイス＝インクヴァルト]]は、連合軍による戦争裁判・ニュルンベルグ裁判で裁かれ[[死刑]]になった。&lt;br /&gt;
* 冷戦終結後、国家分断の危険から遠ざかるにつれて第2次大戦以前にドイツに併合され、（選挙でそれを望んだのはオーストリア国民だが）多くのオーストリア人がそのままドイツ軍の一員として戦争行為に加担したことに対する戦争責任について問い直す動きが見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ギリシャ ====&lt;br /&gt;
1942年から内戦状態になり（[[ギリシャ内戦]]）、終戦後はイギリスとソ連の秘密協定によって西側の勢力下に置かれようとしていた。その後はアメリカ合衆国の支援の下、軍事独裁政権が成立、国王が亡命、1974年にキプロスでの[[クーデター]]が失敗し、その余波で軍事政権が崩壊、国民投票によって[[君主制]]が廃止、[[共和制]]に移行した。冷戦期には[[北大西洋条約機構]]に加盟した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イタリア ====&lt;br /&gt;
; 領土の喪失&lt;br /&gt;
:* 第一次世界大戦で獲得した「[[未回収のイタリア]]」のうち、[[トリエステ]]は国連管理下の自由市となった。&lt;br /&gt;
:* その後、1954年にトリエステ自由市の半分以上を占める[[イストリア半島]]を[[ユーゴスラビア]]（現在は[[スロベニア]]とクロアチア ――この時に[[リエカ]]（フィウメ）を獲得――）に割譲し、[[トリエステ市]]を含む北西部がイタリアに復帰した。&lt;br /&gt;
:* [[エーゲ海]]東部のドデカネーズ諸島を[[ギリシア]]に割譲した。&lt;br /&gt;
:* 参戦前の1939年に宣言した[[アルバニア]]併合が無効とされ、アルバニアの独立が完全に回復された。&lt;br /&gt;
:* 戦争中にイギリス軍に占領された[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]、[[キレナイカ]]&amp;lt;ref&amp;gt;共に現在の[[リビア]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[ソマリランド]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[ソマリア]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;等のアフリカ植民地を放棄し、これらの地域はイギリスの委任統治領になった。&lt;br /&gt;
; 共和制移行&lt;br /&gt;
:* [[コミンテルン]]の活動と、ファシズム独裁への揺り返しから共産主義的な雰囲気が支配していた1946年に行われた共和制移行を問う国民選挙によって、その政権奪取よりファシスト党とそれを率いるムッソリーニに対し友好的な態度を取り続けていた[[ウンベルト2世]]は廃位され、国外追放となり、[[サヴォイア家]]のイタリア王国は終焉を迎え[[共和制]]に移行した。&lt;br /&gt;
:* なお、新たに制定された憲法で、元国王であるウンベルト2世およびその直系男子のイタリア再入国を禁止する条項が制定された。この条項が破棄され、「元王族」となったサヴォイア家のメンバーがイタリアに再び入国できるようになるまでには50年以上の年月がかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フィンランド ====&lt;br /&gt;
大戦中に[[ソビエト連邦]]からの侵略（[[冬戦争]]）に対抗するため、[[ナチス・ドイツ]]の協力を仰いだ事で敗戦国扱いを受け、侵略者ソ連から戦争犯罪に問われる事になった。しかし、ドイツの支援はフィンランドにとってはやむを得ない選択であった。何の落ち度も無かったにも関わらず、1939年から1940年にかけてのソ連の不当な攻撃が”敵の敵は味方”と言う感情にフィンランドを貶めたといえる。不運だったのは1941年6月からの[[継続戦争]]において、フィンランドに味方する近隣諸国はいなかった事。[[スウェーデン]]を除き北欧は[[ナチス]]の旗の下にあった。スウェーデンは中立を守りきったがフィンランドにはそれが不可能であった。それでもフィンランドは自己の生存権のため、ドイツの[[レニングラード包囲戦]]には深く加わらず、ドイツの敗戦時には、連合国に寝返り、国内からナチスの勢力を追い払った。ソ連は勝利国として、フィンランドに対し、制裁と戦争法廷による戦争犯罪の追求を行ったが、[[フィンランド人]]にとっては、不当な制裁であり、ソ連と戦った[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム|マンネルヘイム]]将軍らは国家の[[英雄]]とたたえられている。しかしソ連は戦後も勝利国としてフィンランドへの干渉を強めて行く事となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イギリス ====&lt;br /&gt;
[[画像:1945 liberation of Hong Kong at Cenotaph.jpg|right|thumb|日本軍撤退後の香港（1945年）中華民国の[[中華民国の国旗|青天白日滿地紅旗]]とイギリスの[[ユニオンジャック]]が確認できる]]&lt;br /&gt;
イギリスは第二次世界大戦を通じて約十一億ポンドの海外資産をすべて失い、戦争が始まったとき七億六千万ポンドであった対外債務は、終戦時、三十三億ポンドに膨れ上がった&amp;lt;ref&amp;gt;[[中西輝政]]『大英帝国衰亡史』、PHP研究所、1997年 ISBN4-569-55476-8&amp;lt;/ref&amp;gt;こともあり、イギリス経済は疲弊してしまった。追い打ちを掛けるかのように日本の敗戦からの二日後の8月17日、アメリカ合衆国は[[レンドリース法]]を停止し対英援助を打ち切った。窮地に陥ったイギリス政府は戦後復興のために、1945年12月[[英米金融協定]]を調印したがこれにより大英帝国内部の特恵関税制度が否定され、経済面から大英帝国の崩壊が始まった。イギリス経済の疲弊により植民地を維持することが困難になり、また、各地の独立運動も相俟って、大英帝国は崩壊した。そして、[[ミャンマー]]などを除く元植民地の多くはその後も[[イギリス連邦]]の一員としてイギリスとの絆を保っている。&lt;br /&gt;
* 日本の敗戦により[[シンガポール]]、[[マレー半島]]や[[香港]]などの日本の占領下に置かれた植民地がイギリスの手に戻り、前記の2地域は[[1960年代]]に至るまで、香港は[[1997年]]に至るまでイギリスの植民地であった。&lt;br /&gt;
* インドは戦後もイギリスによる統治がしばらく続いたものの、独立運動の激化により1947年8月15日にインドは独立した。&lt;br /&gt;
* 敗戦国のイタリアが[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]、[[キレナイカ]]（共に現在のリビア）、[[イタリア領ソマリランド|ソマリランド]]（現在の[[ソマリア]]）等のアフリカの植民地を放棄し、これらの地域はその後しばらくの間イギリスの委任統治領になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランス ====&lt;br /&gt;
[[画像:Philippe Pétain cpe.png|thumb|フィリップ・ペタン]]&lt;br /&gt;
* ヴィシー政権は崩壊し、首班の[[フィリップ・ペタン]]元帥は逮捕され[[死刑]]判決を受けたが、その後政権を担った自由フランスの指導者ド・ゴールにより[[終身刑]]に減刑された。また、[[ココ・シャネル]]など多くの対独協力者が断罪され、投獄されたり死刑となった。&lt;br /&gt;
* モロッコやアルジェリアなどのアフリカの植民地を回復したが、戦後のフランスの国力低下に伴いそのほとんどが独立することになる。&lt;br /&gt;
* 本土がドイツに占領された後より、事実上日本の影響下にあったフランス領インドシナ（[[ベトナム]]）では、日本の降伏直後に独立運動指導者の[[ホー・チ・ミン]]がベトナム民主共和国の独立を宣言したが、植民地支配復活を狙うフランスとの間に第一次インドシナ戦争が起こり、さらに後の[[ベトナム戦争]]へつながる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ソビエト ====&lt;br /&gt;
; ヨーロッパ地域&lt;br /&gt;
:* ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。旧東プロシアのケーニスベルクとその周辺は、[[カリーニングラード]]と改称して現在もロシアの”飛び地”として領有。&lt;br /&gt;
:* 開戦前に併合したエストニア、ラトビア、リトアニアの[[バルト諸国占領|バルト三国への支配]]、ルーマニアから獲得した[[ベッサラビア]]（現在の[[モルドバ]]）の領有を復活させた。&lt;br /&gt;
:* 上記の新領土内の非ロシア人の住民を追放して、ロシア人などを入植させる国内移住政策が進められた。&lt;br /&gt;
:* 進駐した[[ソ連軍]]の軍事的な恫喝により、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[ポーランド]]、[[チェコスロバキア]]、[[ルーマニア]]、[[ブルガリア]]などに親ソ共産政権を樹立し、[[衛星国]]とし影響下においた。&lt;br /&gt;
:* [[チェコスロヴァキア]]ではソ連支配に対する抵抗が強かったが、非[[共産党]]系の[[政治家]]を暗殺、処刑するなどして共産党が政権を手に入れた後、[[ソ連型社会主義]]をモデルにした国家政策が急速に進められた。[[ハンガリー]]では、[[1956年]]にソ連支配に抵抗する[[ハンガリー動乱]]が勃発したが、ソ連はソ連軍などワルシャワ条約機構軍を介入して圧殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; バルト三国&lt;br /&gt;
{{main|バルト諸国占領}}&lt;br /&gt;
: [[ロシア革命]]後に独立を果たした[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]の[[バルト三国]]は[[独ソ不可侵条約]]に基づき、ソ連軍が一方的に進駐し、その圧力の下で、1940年にソビエト連邦に強制的に併合された。その後はナチス・ドイツの占領下に入るなどしたものの、大戦終了後に再びソビエト連邦に併合され、追放・処刑された三国の住民の代わりに、多くのロシア人が流入し居住することになる。エストニア、ラトビアの国境も変更され、ソ連の一共和国になった。再度の独立は冷戦後の[[1991年]]まで待たねばならず、ロシア系住民の処遇問題、エストニア、ラトビアはロシアと国境問題を抱えることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 極東地域&lt;br /&gt;
:* 日本領の[[南樺太]]（[[サハリン]]南部）を占領し、さらに日本降伏後の1945年8月18日から[[千島列島]]へ侵攻し、[[色丹島]]・[[歯舞群島]]を9月5日までに占領した。1946年2月2日に、これら南樺太および千島列島の領有を宣言する。なお、これに対して日本は公的には認めておらず、[[択捉島]]、[[国後島]]、色丹島、歯舞群島の[[北方領土]]については日本の領有を主張し、南樺太と[[得撫島]]（ウルップ島）以北については帰属未確定としている（詳細は[[北方領土]]を参照）。&lt;br /&gt;
:* 日本が旧満洲に持っていた各種権益のうち、関東州の[[旅順]]・[[大連市|大連]]の両港租借権や旧[[東清鉄道]]（[[南満州鉄道]]の一部）の管理権の継承を中華民国に認めさせた。これは中華人民共和国の成立後、1955年まで続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポーランド ====&lt;br /&gt;
1939年にソ連に占領された東部地域は回復されず、そのままソ連領&amp;lt;ref&amp;gt;現在はリトアニア、[[ベラルーシ]]、[[ウクライナ]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に編入された。その代償として、ポーランド回廊をドイツから回復した上、[[オドラ川]]（オーデル川）および[[ナイセ川|ニセ川]]（ナイセ川）以東の旧ドイツ領やダンツィヒ自由市（現在の[[グダニスク]]）を併合し、ポーランド領土は大きく西方へ移動した。失った東部領は新たに得た西部領の2倍に及び、東部領から追われたポーランド人が旧ドイツ領から追放されたドイツ人のかわりに西部領に住み着く人口の大移動が起こった。&lt;br /&gt;
その後、この新たなドイツ＝ポーランド国境（[[オーデル・ナイセ線]]）の承認が、戦後に成立した西ドイツ政府の大きな政治課題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、国連の総会のポーランドの代表権問題が生じ、当時はソ連が支持する[[ルブリン政権]]とアメリカ・イギリスが支持する[[亡命政権]]の二重権力状態にあった。その後に亡命政権の閣僚の三分の一を入れ、連合政権を作る事で妥協が図られた。その後、ソ連の強い軍事的な影響力の元に共産主義系の勢力が政府の実権を握り、亡命政権系の政治家は逮捕されたり亡命に追いやられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== チェコスロバキア ====&lt;br /&gt;
* ナチス・ドイツにより解体状態だった国家が再建され、[[ズデーテン地方]]も回復した。なお、この際に起こったドイツ人住民の集団追放はその後の西ドイツとの関係に影を落とした。&lt;br /&gt;
* ドイツの保護国だったスロバキアはチェコと一体となった共和国に復帰した。ハンガリーに奪われた南部の領土は回復したが、一部はソビエト領（現在のウクライナ）として併合された。&lt;br /&gt;
* 当初、[[共産党]]系と非[[共産党]]系の閣僚を含む政府が成立したが、[[ソ連軍]]の圧力の下、非[[共産党]]系の[[政治家]]は次々と暗殺、処刑あるいは辞任に追い込まれて、[[1948年]]に事実上の共産党の単独政権が成立し、その後、[[ソ連型社会主義]]をモデルにした国家政策が急速に進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ハンガリー ====&lt;br /&gt;
第一次世界大戦後に失ったチェコスロバキア（[[ブラチスラヴァ|ブラチスラバ]]を含む）や[[ユーゴスラビア]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[セルビア]]の[[ボイボディナ自治州]]などが範囲。&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[ハンガリー人]]居住地域を併合したが、敗戦により無効とされ、第一次大戦後の国境線まで後退した。ヤルタ会談におけるチャーチルとスターリンの秘密協定に基づいて、ソ連の勢力圏とされ[[ハンガリー社会主義労働者党]]の[[一党独裁]]によるハンガリー人民共和国が成立し、ソ連の衛星国となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ユーゴスラビア ====&lt;br /&gt;
* 戦争中にハンガリーへ割譲した北部地域を回復した。&lt;br /&gt;
* 第一次世界大戦後にイタリアに併合されていたリエカ（フィウメ）やイストリア半島を占領し、国連管理の[[トリエステ]]自由市を経て[[1954年]]に正式併合した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポルトガル ====&lt;br /&gt;
* 中立国であったにもかかわらず、軍事的、政治的圧力を受け事実上連合国の基地として使用されていた[[アゾレス諸島]]と、同じく事実上日本に占領されていた植民地の[[東ティモール]]は両軍の撤退により回復された。&lt;br /&gt;
* また、大戦中を通じその地位が保全されたマカオとインドの[[ゴア州|ゴア]]も、引き続き植民地として統治していくこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アルバニア ====&lt;br /&gt;
* 1939年にイタリア（ムッソリーニ政権）が強行した併合が取り消され、独立を回復した。&lt;br /&gt;
* ユーゴスラビアと同様、[[パルティザン]]闘争によって自国領土の大半を解放したアルバニア共産党（1948年から[[アルバニア労働党]]）による[[アルバニア人民共和国]]が成立し、王制が廃止されて[[エンヴェル・ホッジャ]]が指導する社会主義政権が成立した。&lt;br /&gt;
* その後、ユーゴスラビアとの関係が悪化して1948年に国交を断絶し、ソ連との関係を深めた。また、ギリシャ内戦で敗れた共産主義ゲリラのギリシャ民主軍 (EDS) に出撃拠点を提供し、その敗退後はメンバーの亡命を受け入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スイス ====&lt;br /&gt;
大戦中は、中立を維持していた[[スイス]]だが、スイスの中立にも負の側面があったことを否定することができない。1点目は、[[ホロコースト]]から逃れたユダヤ人の亡命問題と財産の返還の問題である。2点目は、[[ナチス]]略奪金塊問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 大戦中に30万人に近い亡命者を受け入れた。スイスの人口に比較すればかなりの人数の亡命者を受け入れた形であるが、他方で、「救命ボートは満員だ」として、ユダヤ人の入国を認めなかった。その人数は亡命が認められた数が21,858人であったのに対して24,000人が断られた。&lt;br /&gt;
* 大戦中に[[ドイツ]]は、中立国を中心に各国と[[金塊]]の取引を行ったが、その約8割はスイスとの取引であった。問題は、金塊の出所であり、すでに1941年の段階で、占領下においた[[ベルギー]]からの略奪品であろうという情報が広まっていたにもかかわらず、スイスは1943年までドイツの金を受け取り、[[スイスフラン]]と交換していた。事実上、[[スイス中央銀行]]は略奪金塊の「洗浄装置」の役割を果たしていた。&amp;lt;ref&amp;gt;森田安一『物語 スイスの歴史』（中公新書、2000）pp.241-243&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他にもスイス領の町をドイツ領の町と間違えられたためにスイスの一般市民がアメリカの爆撃機により[[誤爆]]されたことが挙げられる。この誤爆では、死者40人、負傷者多数を出したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== バチカン ====&lt;br /&gt;
大戦中はバチカンは中立を維持していた。しかし大戦勃発直前に教皇に登位した[[ピウス12世]]はナチスのホロコーストを黙認したと非難されることがある。イスラエルはピウス12世はユダヤ人を保護したとして評価しているが、「教皇がナチスを非難していればホロコーストの犠牲者は少なくなったはず」との声も根強い。さらにピウス12世は死後[[ヨハネ・パウロ2世]]によって[[列福]]されたことが、さらに波紋を呼んでいる。また、大戦終結時に多くのナチス党員がドイツから逃亡するのに対して、バチカンが有形無形の援助を行ったとの証言がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スウェーデン ====&lt;br /&gt;
スウェーデンは、ナチス・ドイツの[[チェコスロバキア併合]]を目の当たりにした頃から危機意識を強め、[[スウェーデン社会民主労働党]]政権の元で大規模な軍備の増強を行っていた。すでにスウェーデンは、ナチスの台頭によって開戦は避けられぬものと考えていた。1939年にナチスは、スウェーデンと[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]に対し不可侵条約を申し入れたがスウェーデンとノルウェーは拒否する。&amp;lt;ref&amp;gt;デンマークは受諾した。&amp;lt;/ref&amp;gt;1940年、ナチス・ドイツが不可侵条約を破棄し北欧に宣戦布告（[[北欧侵攻]]）するとスウェーデンは他国への援助を一切拒否し、[[武装中立]]を貫いた。しかし戦後、スウェーデンの中立は利己的なものとして非難されている。開戦期には、枢軸国寄り、後期は連合国寄りである。もっとも単なる中立ではなく、両者に対する和平交渉仲介も行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 武装中立政策を取っていたものの、第一次世界大戦時と同様義勇軍を組織していた。なお、戦火に見舞われた近隣のデンマークやノルウェー、フィンランドのレジスタンスを匿うと同時にユダヤ人を保護したことはその後大きな賞賛を受けた。&lt;br /&gt;
* 武装中立化においてスウェーデンは、50万人の国民軍を形成することに費やした。これによってナチスの侵攻を食い止めることを前提とするものであった。しかしスウェーデン政府は、上記の通り、ナチスに対する義勇軍を黙認し、デンマーク、ノルウェー、フィンランドに対するレジスタンスの保護及び支援を行い、ナチス・ドイツの敗勢以後は連合国との連係を強め、最終的には連合軍の勝利に貢献した。ただしこの中立は、初期にはナチスに譲歩し、後期は連合国の要求に応じるなど中立性に欠けるものとして、戦後、国内外から非難された。&lt;br /&gt;
* 大戦期にスウェーデン政府は外交交渉を頻繁に行った。対戦初期、ナチス・ドイツの侵攻に対し、ナチスと面識のある元探検家[[スヴェン・ヘディン]]をドイツへ派遣し、直接ヒトラーからスウェーデン侵攻の意図が無いことを確認させることに成功した。大戦末期には[[大日本帝国]]と連合国に対するスウェーデン外務省仲介による和平交渉も行っている。また、スウェーデン王家の一族であるスウェーデン[[赤十字]]社副総裁[[フォルケ・ベルナドッテ]]を通じて、[[ハインリヒ・ヒムラー|ヒムラー]]と和平交渉も行っている。さらにフィンランド救済のためにソ連との和平交渉仲介も行われたが、結果的にスウェーデンの和平交渉はすべて失敗に終わった。1944年には[[ラウル・ワレンバーグ]]によるユダヤ人救出も行われた。&lt;br /&gt;
* スウェーデンの軍備拡大は必ずしも対ナチス・ドイツを対象としたものではなく、中立を宣言した様にナチスに対し敵愾心を持っていた訳ではなかった。戦争開始時点では、ソ連のフィンランドに対する圧力に重点がかかっており外交にもそれが優先されていた。[[ソ芬戦争]]においては、ナチスの支援の元、フィンランドとの軍事同盟が構想されていた。しかしソ連の抗議によって破談する。ナチス・ドイツが北欧侵攻を開始したことでスウェーデンは中立を余儀なくされたのである。&amp;lt;ref&amp;gt;フィンランドへの義勇軍は、ナチスではなくソ連に向けられていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;しかし大戦後は、伝統的な武装中立に回帰し、対ソ連への外交戦争が開始されるのである（[[ノルディックバランス]]）。スウェーデンの外交戦略はすでにナチス・ドイツではなく、戦後の[[冷戦|東西冷戦]]に向けられていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== デンマーク ====&lt;br /&gt;
ナチス・ドイツによる侵攻を経験したデンマークは戦後、中立政策から、集団安全保障に安全保障の方針を切り替えることになった。その時にはスウェーデンの外相[[ウンデーン]]の提唱した[[スカンジナビア軍事同盟]]に共鳴したが、スウェーデンが設立の意思がないことが分かると、[[北大西洋条約機構]]に加盟した。しかし、これはデンマークの安全保障を補完するものであり、対米追随を意味するものではなかった。デンマークの安全保障はいわゆる[[ノルディックバランス]]と呼ばれるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナチス・ドイツ占領中アメリカの保護下にあった[[グリーンランド]]は返還された。また[[アイスランド]]は独立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ノルウェー ====&lt;br /&gt;
ナチスドイツの侵攻を受けたノルウェーは従来安全保障を英国に依存していたが、第2次世界大戦後はアメリカに依存するようになった。[[北大西洋条約機構]]にも加盟し、西側諸国の一員になった。しかし、ソ連を刺激しないように国内に米軍基地をおかず、さらに非核政策をとるなど他の北欧諸国同様、[[ノルディックバランス]]と呼ばれる中立政策を志向した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナチスドイツ占領中、ヒトラーが「ノルウェー人は純粋な[[アーリア人]]種である」と唱えたため、「[[レーベンスボルン政策]]」がとられ、多くのノルウェー人女性とドイツ人SS将校との間の混血児が生まれた。ノルウェー政府はそれに対し隔離政策など迫害政策をとった。後にノルウェー政府はこの政策を「過ちである」と謝罪賠償した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
東アジアでは、国内の対立を抗日という同一目標により抑えていた中国大陸の中国国民党と中国共産党の両勢力は、再び内戦状態（[[国共内戦]]）となり、アメリカが政府内の共産主義[[シンパ]]の策動を受け中国国民党への支援を縮小したこともあり、ソビエトの支援を受けた中国共産党勢力が最終的に勝利した。その後中国共産党は[[1949年]]に[[北京市|北京]]を首都とした[[中華人民共和国]]を建国し、中国国民党は[[台湾島]]に逃れることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方[[朝鮮半島]]では、領土分割され支配権を放棄し撤退した日本に替わり、[[38度線]]を境に南をアメリカやイギリスをはじめとする連合国が、北をソ連が統治することになり、その後それぞれ「[[大韓民国]]」と「[[朝鮮民主主義人民共和国]]」として独立を果たす。しかし、ソ連のスターリンから承認を受けた[[金日成]]率いる北朝鮮軍が[[1950年]]に突如、大韓民国に侵略を開始。ここに[[朝鮮戦争]]が勃発することになる。なお、開戦後50年以上経った現在も南北朝鮮の間の戦争は公式には終結しておらず、大韓民国側に立つ[[国連軍]]と北朝鮮との間での一時的な休戦状態が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Divide-and-rule plan of Japan.png|thumb|140px|アメリカ国立公文書館の計画書による[[日本の分割統治計画]]案。]]&lt;br /&gt;
; 連合国による占領&lt;br /&gt;
: {{main|連合国軍占領下の日本}}&lt;br /&gt;
:* 敗戦後直ちにイギリス、アメリカ、フランス、ソ連などを中心とした連合国諸国による占領が開始され、司令部となる[[連合国軍最高司令官総司令部]]（GHQ）が東京に置かれた。&lt;br /&gt;
:** 当初は連合国諸国による[[日本の分割統治計画]]があったが、実際に分割されたのは旧大日本帝国領土の[[朝鮮半島]]で、南北をそれぞれ北朝鮮と韓国として分割独立させた。現在の日本国の国境区分は基本的にはアメリカを中心とした[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]の占領となった、ただし、支配ではなく主権、法の制定などは全て日本が維持しており国家は継続されていた、。イギリス、アメリカ、中華民国、フランスなどのいわゆる西側諸国が現在の韓国を、そして共産主義国のソ連によって旧大日本帝国の領土であった北朝鮮が分割占領されたわけである。&lt;br /&gt;
:* GHQによる間接政治のもと、[[日本国憲法|新憲法制定]]、[[農地改革]]、[[財閥解体]]などの大規模な国家改造が行われた。&lt;br /&gt;
:* 駐留したアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍の兵士による日本人女性への[[強姦]]、[[殺人]]、[[略奪]]事件が多発するも、この蛮行は現在も不問とされている。その強姦によって生まれた混血児を収容する為に、[[岩崎弥太郎]]の孫娘である[[沢田美喜]]の努力により[[エリザベス・サンダースホーム]]が出来る。そして[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]はアメリカ軍兵士の性行為の相手をする[[慰安婦]]を日本において募集している。&amp;lt;!--このように戦後の戦争裁判で正義として登場した国家がその裁判で断罪した内容と同じ行為を占領地において実際に行っているということは、戦勝国の自己正当化の記録としても興味深い。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* GHQは[[1952年]]、[[日本国との平和条約]]が発効するまで存続していた。この条約により、日本は[[ソビエト連邦]]、[[中華人民共和国]]など共産圏の国を除く連合国との講和が完了し事実上の[[主権]]を回復した。しかし同時に締結された[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]]によって進駐軍のうち米軍は日本に駐留継続することとなった（[[在日米軍]]）。&lt;br /&gt;
; 領土の喪失&lt;br /&gt;
:* [[日清戦争]]以後に獲得した海外領土を全て失うこととなり、[[関東州]][[租借地]]を中華民国（中国、以下同）に返還した。&lt;br /&gt;
:** [[台湾]]・[[澎湖諸島]]における実効支配を喪失し、中国による統治が開始された。&lt;br /&gt;
:* 韓国併合以降の朝鮮半島の実効支配を喪失し、アメリカ・ソ連軍両軍による分割占領状態になった。これが[[1948年]]以降の南北分断、そして1950年の[[朝鮮戦争]]につながっていく。&lt;br /&gt;
:* [[委任統治]]後に併合を宣言していた[[南洋諸島]]の実効支配を喪失し、アメリカによる[[信託統治]]に移行した。&lt;br /&gt;
:* [[沖縄戦]]によりアメリカ軍に占領されていた[[沖縄島]]をはじめとする[[琉球諸島]]（[[大東島]]・[[沖大東島]]を含む）や[[先島諸島]]（[[尖閣諸島]]を含む）は日本の潜在的主権を維持したままアメリカ軍政下に入った。一時は[[奄美諸島]]もアメリカの施政権の下におかれたが、[[1972年]]までに全ての地域が日本に復帰した。&lt;br /&gt;
:** しかし[[沖縄返還]]後も、[[沖縄県]]をはじめとする日本各地にアメリカ軍基地が残り犯罪や騒音など多くの問題を起こしている。&lt;br /&gt;
:* [[小笠原諸島]]・[[火山列島]]・[[南鳥島]]・[[沖ノ鳥島]]もアメリカの施政権下に入った。これらの地域では一部の欧米系住民以外の民間人居住を認めなかったが、[[1968年]]に日本に復帰した。&lt;br /&gt;
:* 南[[樺太]]・[[千島列島]]の実効支配を喪失し、ソ連による統治が開始された。ただし、日本政府は法的にはこの地域の帰属を未確定と主張している。また、日本政府は千島列島南部の[[国後島]]・[[択捉島]]について、[[日露和親条約]]により平和的手段で領有が確定していた固有の領土と主張し、[[北海道]]の属島である[[歯舞群島]]・[[色丹島]]とともに支配を続けるソ連に対して返還を強く求めることになった（[[北方領土]]問題）。&lt;br /&gt;
; 戦犯問題[[画像:Japanese General Tomoyuki Yamashita 03.jpg|right|thumb|拘留される[[山下奉文]]陸軍大将]]&lt;br /&gt;
: 1946年には、[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）が開廷され、[[戦争犯罪人]]は、戦争を計画し遂行した平和への罪（A級）、捕虜虐待など通例の戦争犯罪（B級）、虐殺など人道に対する罪（C級）としてそれぞれ処断された。また日本国内だけでなく日本以外のアジア各地でも裁判が行われ多くが処刑された。&lt;br /&gt;
:* 勝者が敗者を裁くという構図のもと、きちんとした証拠も弁護人も不十分なまま、杜撰な手続き、裁判中の度重なる[[通訳]]のミスや恣意的な裁判進行などにより処罰・処刑（[[偽証罪]]が無かったため私怨による密告だけを元に処刑されたものがほとんどとする意見もある）が行なわれたと言われ、批判されている。&lt;br /&gt;
:* その一方でこの裁判を全否定することは、戦後日本が築き上げてきた国際的地位や、多大な犠牲の上に成り立った平和主義を破壊するものとして、東京裁判を肯定（もしくは一部肯定）する意見もある。また、もし日本人自身の手で行なわれていたら、もっと多くの人間が訴追されて死刑になっただろうとする説もある&amp;lt;ref&amp;gt;半藤一利「昭和史」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:* この裁判で処刑された人々（特に[[A級戦犯]]）が、[[1978年]][[10月17日]]に「昭和殉難者」（国家の犠牲者）として[[靖国神社]]に合祀されることとなり、後にこの扱いを巡って議論を引き起こすことになる（[[靖国神社問題]]、[[A級戦犯合祀問題]]）。&lt;br /&gt;
; 戦時賠償・抑留問題&lt;br /&gt;
: 日本の戦時賠償についての詳細は''[[日本の戦争賠償と戦後補償]]''を参照&lt;br /&gt;
:* 対戦国や植民地下においた諸国との[[戦時賠償]]については、[[日本国との平和条約]]の締結以後、国家間での賠償が進められた。&lt;br /&gt;
:* 満洲国瓦解時にソ連軍により約60万人もの日本軍将兵が捕虜となり、違法にソ連領土内で[[強制労働]]させられその多くが栄養失調や凍死で死亡した（[[シベリア抑留]]）。&lt;br /&gt;
:* この他[[中国残留孤児]]・残留婦人問題、在日アメリカ軍基地&amp;lt;ref&amp;gt;沖縄を始めとする各地にアメリカ軍の基地が存在しており、[[騒音]]問題やアメリカ軍人による日本人女性への強姦などアメリカ兵による犯罪が多発していることもあり、返還が議論されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;等の問題が現在も残っている。&lt;br /&gt;
; 近隣諸国との関係&lt;br /&gt;
: 日本は「アジアの列強植民地の解放」という名目で、当時欧米列強諸国の植民地であったマレー半島やシンガポール、中国大陸などアジアのほぼ全域に進出、欧米列強諸国の植民地政府を廃止し占領、軍政下においた。また、占領地のなかのいくつかの地域については、日本に友好的な指導者を後押して独立させた。&lt;br /&gt;
: しかし戦争当初の目的として資源確保のためにこれらの地を占領した日本にとって&amp;lt;!--当時の日本は--&amp;gt;それまでの宗主国の持っていたような資源・資産面など対植民地での優位な状態を保つことが出来ず、これらの地においては軍政の名において当初の目的以上に搾取することを余儀なくされ、各地に人的・資源的に過酷な状態を招いた。日本はこれらの国々に戦後賠償としての意味合いも含め、[[政府開発援助]]（ODA）を行うことになる。&lt;br /&gt;
:* なかでも、第二次世界大戦以前から統治・戦争状態が長かった後に戦勝国となる中華民国に代わり現在中国大陸を統治する[[中華人民共和国]]や、現在[[中華民国]]の統治下にある[[台湾]]を別として[[大韓民国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]]といった当時、併合した国や保護下においた地域にその後できた三国との間に対しては遺恨を残すことになった。朝鮮民主主義人民共和国以外では[[日本の戦争賠償と戦後補償|戦時賠償問題]]が国際法上既に決着している一方で、これらの国の国内事情も絡んで、現在でも[[歴史認識]]などの問題 &amp;lt;ref&amp;gt;[[南京大虐殺]]を巡っての論争や、[[靖国神社問題]]、[[歴史教科書問題]]、[[慰安婦|慰安婦問題]]などがある&amp;lt;/ref&amp;gt;で日本側が非難されることが多く、中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国では激しい反日教育が行われている。又、大韓民国では日本統治時代の親日派の子孫の財産を没収する[[親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法]]や[[日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法]]の制定など、反日的政策が実行されている。（[[特定アジア]]の項も参照。）&lt;br /&gt;
; 皇室制度[[画像:Macarthur hirohito.jpg|thumb|昭和天皇と連合国軍最高司令官総司令部のマッカーサー総司令官]]&lt;br /&gt;
:* [[天皇制]]を維持するか否か（[[国体]]問題）は、連合国占領軍の大きな課題であったが、長年の間多くの国民の支持を受け続けていた天皇制を廃止すると逆に占領統治上の障害が生じるとして、連合国内の一部の反発を退け、北東アジアにおける共産主義の伸張を食い止める目的もあり、天皇制は維持されることに決定され、[[昭和天皇の戦争責任]]も追及されずに終わった。&lt;br /&gt;
:* 上記の決定に伴い、[[昭和天皇]]は[[統帥権]]の放棄を行うなど戦前に儀礼的に就いていた全ての地位から退き、新たに「国民の象徴」という地位を持つことになった。&lt;br /&gt;
:* 天皇制こそ維持されたものの、アメリカの指導により[[華族|華族制度]]が廃止され、また、[[直系]]の[[皇族]]以外は皇族としての地位を失う（[[臣籍降下]]）ことになった。&lt;br /&gt;
:* [[1910年]]の[[日韓併合]]と同時に日本の[[王公族]]となった[[李王家]]の継承者である[[李垠]]は、これに合せて臣籍降下され事実上李王家は廃絶された。その後大韓民国が設立された後も[[李承晩]]大統領の妨害などもあり王位に戻ることはなかった。&lt;br /&gt;
; 新憲法&lt;br /&gt;
: 連合国軍最高司令官総司令部の[[マッカーサー]]総司令官の指示、決裁の元、アメリカ人がその大勢を占める総司令部の民政局長である[[コートニー・ホイットニー]]らの手によって新憲法の草案が作成された。それを基に日本政府案が作られ、[[帝国議会]]での審議を経て、1946年11月3日に「[[日本国憲法]]」として公布された。&lt;br /&gt;
:* アメリカはこれ以前にも影響下に置いた中南米の国々に、アメリカにとって有利な内容を含む憲法&amp;lt;ref&amp;gt;軍隊の非保有、法律制定に対するアメリカ大使の同意権など。&amp;lt;/ref&amp;gt;を半ば強要したことがあり、日本国憲法の制定もこれに習ったものだとの見方がある。また、日本国憲法が軍隊廃止条項をもつことから、冷戦時代は日米間の軍事協力に不都合なものとなり、冷戦後には国連などによる国際協力体制で軍事力の行使を含む[[平和維持活動]]を求められた際に問題となっている。このため冷戦時代より、この憲法が日本を不当に押さえ込む「[[押し付け憲法論|押し付け憲法]]」と考え、改憲により「[[自主憲法論|自主憲法]]」に変えようという主張・勢力が成立当初から存在したが、近年では[[自由民主党]]や[[民主党]]の保守系議員の一部を中心にその動きが盛んである。一方、[[日本社会党]]などの左翼政党はこれを軍備放棄の政策として歓迎（[[日本共産党]]は1960年代まで自主軍備や[[天皇制]]反対の立場から憲法改正を主張）、現在でも[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]、日本共産党などは[[護憲]]を主張しており、これらの間で「[[憲法改正論議]]」が冷戦時代から現在にかけて議論されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 満洲国 ====&lt;br /&gt;
* 満洲国は1945年8月のソ連軍の侵攻後に、事実上の宗主国である日本が連合国に降伏したため瓦解し、その後、[[中国東北部]]の支配権はソ連の占領を経て中華民国に返還された。&lt;br /&gt;
* 皇帝である愛新覚羅溥儀は8月に退位し、その後日本へ逃亡する途中に侵攻してきたソ連軍に一緒に行動していた側近・[[閣僚]]とともに捕らえられ、その後1950年に中華民国の国民党政府ではなく、ソ連と友好的関係にあった中華人民共和国の中国共産党政府に引き渡され戦犯として服役した。&lt;br /&gt;
* なお、皇室の一部は戦後日本に逃れたものの、溥儀の退位と逮捕、その弟である[[愛新覚羅溥傑]]などの主要皇族の逮捕に伴い皇室も事実上消滅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中華民国 ====&lt;br /&gt;
[[画像:ROC Taiwan delegates.jpg|right|thumb|中華民国[[国民議会]]代表（1946年）]]&lt;br /&gt;
* 清代以来日本が租借していた[[関東州]]を全て回収し、崩壊した満洲国に代わり満洲全土での主権を回復した。ただし、同盟国であるソ連の要請により、旅順・大連両港や旧東清鉄道の租借権が改めて貸与された。&lt;br /&gt;
* フランスから[[広州湾租借地]]の返還を受けたが、イギリス領や同国租借地を含む[[香港]]はイギリス支配に復帰した。なお、[[マカオ]]は中立国のポルトガル領であったことのみならず、租借地や戦争で奪い取った地でないこともあり、ポルトガル領のままとなった。&lt;br /&gt;
* [[日清戦争]]で失った[[台湾島]]を日本から回復し、台湾島の住民も当初はこれを歓迎した。しかし、当時国共内戦を戦っていた中国国民党による過度な大陸への物資輸出と大陸からの[[インフレ]]波及により、台湾経済は混乱した。また、中国国民党は日本人に代わる特権階級として振舞い、台湾島住民の排斥と腐敗が横行した。中華民国政府による急速な[[中国化]]政策の推進は、台湾島住民との間に緊張を高めた。こうして[[1947年]]に[[二・二八事件]]が発生した。&lt;br /&gt;
[[画像:Chiang Kai-shek 1946.jpg|thumb|right|台湾島を訪れた[[蒋介石]]と[[宋美齢]]夫人（1946年）]]&lt;br /&gt;
* 上記のように、終戦以降連合国および戦勝国としての正式な地位は、日中戦争（支那事変）から長い間日本軍に対しての戦いを続けていた中国国民党の蒋介石率いる[[中華民国]]にあった。しかし戦後4年経った1949年に、ソビエト連邦の支援の下[[国共内戦]]に勝利した中国共産党が[[北京市|北京]]に[[中華人民共和国]]を樹立し、敗北した国民党は中国大陸から台湾島に遷都した。その後冷戦下で東西両陣営による政治的駆け引きが行われた末に中華民国が[[1971年]]に国際連合から追放されたことで、戦後20年以上の時を経て、戦勝国と国際連合の[[常任理事国]]としての地位を終戦時には国家として存在していなかった「中華人民共和国」が引き継いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東南アジア ===&lt;br /&gt;
東南アジア地域では日本軍を排斥した欧米各国が植民地に対する支配の回復をはかったが、様々な要因&amp;lt;ref&amp;gt;宗主国の国力の疲弊とそれに伴い直接支配がもはや利益を齎さないと判断され放棄された、日本軍占領下での独立意識の鼓舞による独立運動の激化、日本軍統治下で創設された対日協力軍の独立軍への転化、戦前から独立が予定されていた、本国で人道上の理由により植民地支配への批判が高まったなどがある。&amp;lt;/ref&amp;gt;により、大戦後に多くの東南アジアの植民地は独立を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== タイ ====&lt;br /&gt;
第二次世界大戦以前より独立国であった[[タイ王国]]は、日本軍との一悶着の末、枢軸側として参戦したが、その裏では在米タイ公使館の[[セーニー・プラーモート]]が[[ピブン]]政権と絶縁し東南アジア向けの反日放送を行ったり、ピブン内閣の実力者[[プリーディー・パノムヨン]]らが在日大使館を中心に日本内外に広範なスパイ網を構築し、情報提供によって米軍の日本本土空襲を支援するなど、連合軍側への鞍替えに向けた活動も行っていた。これはいわゆる「[[自由タイ]]」抗日運動として知られている&amp;lt;ref&amp;gt;これらの活動については日本語書籍では市川健二郎著『自由タイの指導者達 日本占領下のタイの抗日運動』勁草書房、1987年 ISBN 4326350733 や[http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db/nanpou/honbun12.html 同氏による論文等]を参照。[[タイ語]]では {{lang|th|ดร.วิชิตวงศ์ ณ ป้อมเพชร: ''ตำนานเสรีไทย'' เริงไชย พุทธาโร บรรณาธิการ, กรุงเทพฯ: แสนด่าว, 2546}} ISBN 9749590651 が自由タイに関する古典的著作とされている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自由タイはタイ国内ではピブーンによって半ば公認された活動となっていき、日本の敗戦の色が濃くなると、また日本と結んだ条約で内政が悪化するとピブーンは1943年首都を日本軍の影響が少なく、陸軍の部隊のある[[ペッチャブーン]]に移転する計画を秘密裏に画策、民族主義的な思想の持ち主であった[[ルワン・ウィチットワータカーン|ルワン・ウィチット]]は1943年10月30日外相を解任され、代わりに自由タイのメンバーとして知られていた[[ディレーク・チャイヤナーム|ディレーク]]が外相に任命された&amp;lt;ref&amp;gt; {{lang|th|[http://www.cabinet.thaigov.go.th/cab_10.htm คณะรัฐมนตรีคณะที่ ๑๐: ๗ มีนาคม ๒๔๘๕ - ๑ สิงหาคม ๒๔๘๗] - [http://www.cabinet.thaigov.go.th/ สำนักเลขาธิการคณะรัฐมนตรี]}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。1945年8月16日、プリーディーが摂政の立場で「対英・対米への宣戦布告は無効であった」との宣言が出された&amp;lt;ref&amp;gt;赤木攻『タイ政治ガイドブック』Meechai and Ars Legal Consultants CI.,LTD.、1994年、p258&amp;lt;/ref&amp;gt;。こうしたタイの二重外交は戦後、アメリカの政策と相まって成功しアメリカはタイを敗戦国とすることを避けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、イギリスはほとんど敗戦国として処理したといえる。イギリスは終戦時、速やかに平和条約を結ぶことは拒否&amp;lt;ref&amp;gt;{{lang|en|Terwiel B.J.: ''Thailand's Political History'', Bangkok: River Books, 2005, p.279, ISBN 9749863089}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、さらに米を賠償させた上で翌年の1946年1月1日にようやく平和条約を結ぶことを許した&amp;lt;ref&amp;gt;村嶋英治著『現在アジアの肖像9 ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』岩波書店、1996年、p.245、 ISBN 4000048643&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、タイ王国は戦時中に回復した[[フランス領インドシナ]]の一部、イギリス領マレーおよびビルマの旧タイ領土を再びフランス、イギリスに取られた形となった。しかしながら、連合諸国による本格占領とこれに乗じた植民地化を免れ、続いて独立国としての立場を堅持することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランス領インドシナ ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ho Chi Minh at Lijang River (China) in 1961.jpg|right|thumb|ホー・チ・ミン]]&lt;br /&gt;
日本から独立が与えられていた[[フランス領インドシナ]]（ベトナム）では、日本の降伏直後に、[[ベトナム独立同盟会]]（ベトミン）が[[インドシナ共産党]]の主導下で[[ベトナム八月革命|八月革命]]を引き起こし、ベトナム帝国からの権力争奪闘争を各地で展開した。その後、[[9月2日]]に、[[ホー・チ・ミン]]が[[ハノイ]]でベトナム民主共和国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、旧植民地の再支配を謀るフランスは独立を認めず、9月末には[[サイゴン]]の支配権を奪取したことで、ベトミンと武力衝突した。その後、ベトミンはフランスとの交渉による解決を試み、1946年3月にはフランス連合内での独立が認められた。だが、フランスはベトナムが統一国家として独立することを拒否し、[[コーチシナ共和国]]の樹立などベトナムの分離工作を行なった。これにより、越仏双方が抱く意見の相違は解決されず、同年12月にハノイで越仏両軍が衝突したことで、[[第一次インドシナ戦争]]が勃発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オランダ領東インド ====&lt;br /&gt;
オランダ領東インド （[[インドネシア]]）では、日本の軍政に協力していた独立派が日本の降伏直後に[[スカルノ]]を大統領とするインドネシア共和国の独立を宣言し、オランダとの独立戦争に突入した（[[インドネシア独立戦争]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争には、元日本軍将兵、約2,000名が[[義勇兵]]として独立軍に参加している。インドネシアの国営英雄墓地では、その戦争により戦死した約1,000名の日本軍将兵が埋葬され、6人の日本人が独立名誉勲章（[[ナラリア勲章]]）を受章した。この戦争の結果、1949年12月のハーグ円卓会議により、オランダは正式にインドネシア独立を承認した（[[デン・ハーグ|ハーグ]]協定）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イギリス領マラヤ ====&lt;br /&gt;
イギリスはマレー半島に居住する各民族に平等の権利を与え、シンガポールを除く海峡植民地とイギリス領マラヤ諸州からなる「マラヤ連合案」を提示した。[[華僑]]とインド系住人はこれに賛成したが、マレー人には不評で、その結果、[[ダトー・オン]]を党首とする形で、[[統一マレー国民組織]] (UMNO) が結成された。&lt;br /&gt;
[[画像:Merdeka 1957 tunku abdul rahman.jpg|right|thumb|独立宣言をする[[トゥンク・アブドゥル・ラーマン]]]]&lt;br /&gt;
イギリスは、1946年に発足したマラヤ連合との間で[[1947年]]にマレー人の特権を認める連邦協定を結び、1948年に[[マラヤ連邦]]が発足した。しかし華僑はこれに不満で、同年主として華僑からなる[[マラヤ共産党]]の武装蜂起が始まった。だが、マラヤ共産党の弾圧、その後各民族系政党が集まった（UMNO、マレーシア・インド人会議 (MIC)、[[マレーシア華人協会]] (MCA)）アライアンスの結成と独立の準備は着々と進んでいった。[[1955年]][[7月]]の総選挙で圧倒的な勝利を収め（52議席中51議席をアライアンスが占めた）、[[1957年]][[8月31日]]にマラヤ連邦は[[マレーシア]]として完全独立を果たした（詳細は、''[[統一マレー国民組織]]''を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、[[シンガポール]]は戦後イギリスの直轄植民地となり、その後は自治国となり完全独立をめざすこととなった。[[サラワク州|サラワク]]と北ボルネオ（現在の[[サバ州]]）も戦後イギリスの直轄植民地となり、段階的に自治の供与が始まった。多大な石油資源を持つ[[ブルネイ]]は保護領のままで、その独立は[[1980年代]]まで持ち越されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アメリカ領フィリピン ====&lt;br /&gt;
戦前、独立に向けての準備が進められていたが、日本の占領によって日本の傀儡政権が誕生する。終戦後に再びアメリカの統治下に戻され、その後1946年[[7月4日]]に[[マニュエル・ロハス]]を初代大統領に[[フィリピン共和国]]として独立を果たした。しかしアメリカ軍基地が国内に残され、多くのアメリカ資本が居座るなどアメリカの影響は残され、事実上アメリカの植民地状態が継続されたままであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南アジア ===&lt;br /&gt;
==== イギリス領インド ====&lt;br /&gt;
[[画像:Gandhi Jinnah 1944.jpg|right|thumb|150px|ジンナーとガンディー]]&lt;br /&gt;
[[画像:Mountbatten.jpg|thumb|right|thumb|150px|ルイス・マウントバッテン]]&lt;br /&gt;
イギリスは戦後もしばらくの間はインドを統治し続けたが、大戦によりイギリスの国力は疲弊し、大英帝国を維持することが出来なくなった&amp;lt;ref&amp;gt;[[長崎暢子]]「第9章 ガンディー時代」p.422 [[辛島昇]]編『南アジア史』（山川出版社 2004年）、英領インドが成立して以来、対英負債を抱えてきたのは常にインドである。（省略）だが、第二次世界大戦は長い間の債務関係を一挙に逆転させ、今度はイギリスが、1945年に13億ポンドという膨大な負債をインドに対して持つ債務国となった&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[マハトマ・ガンディー]]や[[ジャワハルラール・ネルー]]らインド国民会議派が指導する独立運動の激化並びに[[ヒンズー教徒]]と[[イスラム教徒]]との間の宗教対立にイギリス政府は耐え切れなくなったことも相俟って、[[アトリー]]は1947年2月20日、インドから1948年6月までに撤退することを決断し、[[ルイス・マウントバッテン]]を最後のインド総督として派遣した&amp;lt;ref&amp;gt;Ibid. p.422 &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マウントバッテンはネルー達に、ヒンズー教徒が多いインドとイスラム教徒が多い東西パキスタンに分割独立する案を受諾させ、また藩王国が印パに所属する過程が円滑に進むように、[[イギリス連邦]]に加盟することまでも受諾させる事に成功した&amp;lt;ref&amp;gt;Ibid. p.422-423 &amp;lt;/ref&amp;gt;。そして、アトリーが当初宣言した予定より1年早い1947年8月15日、イギリス領インドは、ヒンズー教徒が多いインドと、イスラム教徒が多い、[[パキスタン]]に分割独立した（東パキスタンを構成する[[バングラデシュ]]は1971年、パキスタンより独立した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしこの様なイギリスの都合に合わせ性急に行われた分割独立が、その後のインドとパキスタン両国の間における対立を引き起こし、その後も両国は対立を続けることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オーストラリア・ニュージーランド ===&lt;br /&gt;
イギリスの植民地である両国は安全保障をシンガポールを拠点とするイギリス軍に依存していたが、マレー作戦およびシンガポール陥落以後に、オーストラリアが日本軍に[[ダーウィン (オーストラリア)|ダーウィン]]空爆や[[シドニー]]湾攻撃などの被害に遭ったことを受け、安全保障のパートナーを宗主国の英国からアメリカに変更。[[ANZUS]]が成立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中東・北アフリカ ===&lt;br /&gt;
==== イスラエル ====&lt;br /&gt;
[[オスマン帝国]]領をイギリスとフランスで分割した[[サイクス・ピコ協定]]によってパレスチナはイギリスの委任統治領となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1929年]]に始まった第5アリヤ（パレスチナへのユダヤ人の移住）は、雨垂れ式であったが、ヒトラーが権力の座についたことで、1933年から36年の4年間で、164,267人のユダヤ人が合法的に移住した&amp;lt;ref&amp;gt;ウリ・ラーナン他著、滝川義人訳『イスラエル現代史』p.87&amp;lt;/ref&amp;gt;。その結果、パレスチナにおけるユダヤ人人口は、40万人に達した。そのことが、土着していたアラブ人との対立を招く結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホロコーストと[[アトリー]]政権の親ユダヤ政策が、パレスチナの混迷をさらに招く形となった。1945年8月、トルーマンは、アトリーに書簡を送り、ホロコーストで生き残ったユダヤ人10万人のパレスチナ移住許可を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスは、フランスとは異なり&amp;lt;ref&amp;gt;1943年に、[[レバノン]]と[[シリア]]は独立を達成した。&amp;lt;/ref&amp;gt;、パレスチナの委任統治を継続したが、パレスチナの治安情勢の悪化と[[エクソダス号事件]]によって、委任統治を放棄することを検討しだした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1948年]][[5月16日]]、イスラエルは、独立を宣言。同時に、[[第一次中東戦争]]が勃発した。イスラエルは、国連決議よりも割り当てられた領域よりも広い領域の確保に成功するとともに、この戦争がパレスチナ難民問題を生み出す契機となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サウジアラビア ====&lt;br /&gt;
イギリスの後援で造られた[[ヒジャーズ]]王国を滅ぼして、[[アラビア半島]]を統一した国家であり、この国の[[石油]]資源は、1933年に設立された石油会社を介してアメリカの資本の支配下にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ヨルダン ====&lt;br /&gt;
1950年までは[[トランスヨルダン]]という国名であって、1946年に独立したものの、外交・軍事の実権はイギリスにあり、イスラエルと同時期にイギリス・フランスの委任統治領として成立した国家であったが、1950年に占領していたヨルダン川西岸を自国領にすると宣言し、その後国名を[[ヨルダン]]と変えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イラク ====&lt;br /&gt;
[[イラク王国]]はイギリスの委任統治領から1932年に独立したものの、国内でのイギリス軍の移動の自由が認められイギリスによる[[石油]]資源の支配が行われているなど外交・軍事の実権はイギリスにあった。これに対し[[アラブ民族主義]]者はイギリスからの独立を企てドイツに接近した。国内は乱れ、[[1941年]]3月末にはついにアラブ民族主義者の軍幹部が決起し親英派の国王側近が追い出される事態となった（[[1941年イラク政変]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしイラクでの利権喪失とイラクの石油が枢軸国の手に落ちることを恐れたイギリスは軍を侵攻させ、1か月余りの後に再びイラクを占領した（[[イギリス・イラク戦争]]）。以後、第二次大戦後までイラクはイギリス軍の占領下に置かれ、ヴィシー政権支配下のシリアへの侵攻と、イラク同様にドイツ側に落ちる恐れのあった[[イラン]]への侵攻はイラクから行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次大戦後もイラクは英米の同盟国として振舞い、ソ連を封じ込める[[中央条約機構|バグダッド条約機構]]の一員となるものの、[[1958年]]にアラブ民族主義の青年将校によるクーデターが勃発し共和国が誕生し、王室は滅ぼされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イラン ====&lt;br /&gt;
{{main|イラン進駐 (1941年)}}&lt;br /&gt;
第二次世界大戦中、米英からソ連に対する軍事物資援助のルートになっていたことで、北半分にソ連軍、南半分にイギリス軍が進駐していた。しかし終戦後、ソ連軍がなかなか撤退する気配を見せなかったので、イラン政府が1946年1月にソ連軍の撤退を求めて[[国連安全保障理事会]]に提訴した。その後翌年にソ連軍は撤退した。しかしこの結果、[[アゼルバイジャン]]の地方政権が半年後に崩壊してしまう契機となった。&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ」（中央公論社 1998年）pp.207-210&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== レバノン ====&lt;br /&gt;
第一次世界大戦終了後、[[サイクス・ピコ協定]]により、[[シリア]]と[[レバノン]]はフランスの、[[ヨルダン]]と[[パレスチナ]]はイギリスの[[委任統治]]領となった。だが、第二次大戦中、本国フランスがナチス・ドイツに占領されたこともあり、独立の準備が進んでいたシリアやレバノンは、フランスからの独立を模索することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ビシャラ・アル・フーリー]]が中心となり、[[1943年]]にフランスからの独立を達成し、自由経済政策を推進し、レバノンは経済的な繁栄を誇った。しかし、[[1948年]]、[[ユダヤ人]]の手により、[[イスラエル]]が建国されると同時に勃発した[[第一次中東戦争]]により、[[アラブ]]側は敗退を余儀なくされ、10万人規模の[[パレスチナ]][[難民]]がレバノンに流入した。このことが、レバノンの各宗派間のバランスの上に成り立っていた政治運営を困難にさせた面は否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、各宗派間の対立が周辺諸国（シリア、イラン、イスラエル）の介入を招き寄せる結果となり、現在の混迷の原因もこの大戦に起因している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== トルコ ====&lt;br /&gt;
1946年8月にソ連が[[黒海]]から[[地中海]]を通る要衝である[[ボスフォラス海峡]]と[[ダーダネルス海峡]]の管理を[[トルコ]]に要求したために、一時的にソ連との対立が激化した。しかしその後にはソ連が要求を取り下げたので米ソ対立は緩和していった。&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ」（中央公論社 1998年）pp.212-213&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== エジプト ====&lt;br /&gt;
[[エジプト]]もイスラエルと同様にイギリスの委任統治領にあり、1922年にイギリス側の一方的独立宣言と1936年[[イギリス・エジプト条約]]により形式的に独立に近づいていたが、[[スエズ運河]]一帯にはイギリス軍が駐留し、元来エジプト領だった[[スーダン]]の統治をめぐってイギリスに従属的立場に置かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、1956年[[ガマール・アブドゥン＝ナーセル]]はスエズ運河の国有化を宣言、英仏イスラエルの三カ国はナセルの行為に反発し、[[第二次中東戦争]]が勃発した。米ソ両大国の英仏イスラエルに対する反発により、エジプトはスエズ運河の国有化に成功しアラブ地域の盟主の地位を確立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南北アメリカ ===&lt;br /&gt;
その全てが連合国、もしくは中立国であった中南米諸国は、[[ブラジル]]などいくつかの国が連合国の一員としてヨーロッパ戦線に派兵を行ったが、その本土が直接戦争による被害を受けることはほとんどなかった&amp;lt;ref&amp;gt;{{main|:en:Ecuadorian-Peruvian war}}&lt;br /&gt;
ただし、例外として、枢軸と連合関係なく、ペルーとエクアドルは領土の問題で軍事衝突が起こった為、事実上南米大陸では戦争は起きている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後においては、共産主義思想の浸透を懸念したアメリカが、ただ「反共産主義的である」という理由だけで[[チリ]]や[[キューバ]]、[[ブラジル]]、[[ドミニカ共和国]]、中米など多くの軍事独裁政権に対し経済的、政治的な援助を行った（[[PBSUCCESS作戦]]、[[チリ・クーデター]]、[[コンドル作戦]]）。それだけではなく、そもそもこうした政権の成立の過程にもアメリカ合衆国による介入がある場合が殆どだった。その結果、冷戦の終結によってアメリカがこれらの軍事独裁政権に対する援助を中止した[[1990年代]]初頭までの長きに渡って（[[1959年]]に起きた[[キューバ革命]]によって社会主義政権になったキューバを除いた）ほとんどの中南米諸国の国民は、腐敗した軍事独裁政権下で不安定な政治と富の独占、そしてそれがもたらす貧困にあえぐこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アメリカ合衆国 ====&lt;br /&gt;
戦中、国家主導の軍事増産が経済回復をもたらし、景気刺激政策が定着していった。しかし[[ミリタリー・ケインジアン・エコノミー]]というようにきわめて軍事色が強くなった。同じ時期に軍や官僚機構と癒着し、1950年代に「[[軍産複合体]]」と批判されるような構造を作り出すこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 日本占領&lt;br /&gt;
:* 日本の占領を連合軍の中で中心的に行い、アメリカにとって有益となる占領政策を行った。連合軍による日本占領の終了後もアメリカ軍基地を数多く残し、また、政財界に大きな影響力を堅持するなど日本を実質的な影響下におくことに成功した。&lt;br /&gt;
:* イタリア上陸時にアメリカ軍が[[マフィア]]を使ったように、[[暴力団]]を、占領下における左翼勢力を押さえ込むための暴力装置として活用し、そのことによって暴力団に大きな資金が転がり込み、勢力を飛躍的に伸ばす結果を生んだ。&lt;br /&gt;
:* 日本領土である沖縄や小笠原諸島、奄美諸島をアメリカ軍の施政権下に置いた。&lt;br /&gt;
:* 撤退した日本軍に代わり朝鮮半島の南部を占領した。大韓民国の独立後も朝鮮戦争期を経て現在に至るまで同地域にアメリカ軍基地を残したままである。&lt;br /&gt;
; フィリピン統治[[画像:Wake island 1945 surrender.jpg|thumb|[[ウェーク島]]でアメリカ軍に降伏する日本軍の兵士（1945年）]]&lt;br /&gt;
:* 日本の場合と異なりこちらは[[左翼|左派]]色の強い抗日[[ゲリラ]]がアメリカの支配にも抵抗するがアメリカはこれを激しく弾圧する。&lt;br /&gt;
:* 戦前から植民地として統治していたフィリピンにおいても日本と同じくアメリカ軍基地を残した他、多くの権益を残し政財界に対し大きな影響力を残した。&lt;br /&gt;
; 太平洋諸島統治&lt;br /&gt;
:* [[日本]]による[[委任統治]]後に併合を宣言していた[[南洋諸島]]を日本が放棄し、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]による[[信託統治]]に移行した。&lt;br /&gt;
:* [[ミクロネシア連邦]]を[[1986年]]に、[[パラオ]]を冷戦後の[[1994年]]に独立。[[グアム]]や、[[サイパン]]を含む[[北マリアナ諸島]]などはその後もアメリカの統治下にある。&lt;br /&gt;
:* [[1898年]]以降自治領としていた[[ハワイ諸島]]の実効支配を戦争終結後も続け、[[1950年]]には州に昇格させた。この結果[[19世紀]]末にアメリカに侵略されたハワイは完全にアメリカに組み込まれることになった。&lt;br /&gt;
; マフィアとの協力&lt;br /&gt;
: 連合国軍のイタリア上陸時における、イタリア系[[マフィア]]の現地協力組織による連合軍に対する情報提供や後方支援の他、アメリカ国内の港湾地域における対[[スパイ]]活動と引き換えに、アメリカ当局が当時アメリカ国内に収監されていたイタリア系マフィアの指導者の多くを減刑、もしくは釈放したことにより、戦後それらの組織がアメリカ国内で大きな力を持つことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 新たに登場した兵器・戦術・技術 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Fusée V2.jpg|right|thumb|[[V2ロケット]]]]&lt;br /&gt;
[[画像:KawanishiH6K.jpg|thumb|right|九七式飛行艇]]&lt;br /&gt;
[[画像:Bachem Ba349 rockets.jpg|thumb|大戦末期に開発されたロケット戦闘機バッフェム [[Ba 349 (航空機)|Ba349a ナッター]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次世界大戦は工業力と人口が国力を左右したが、第二次世界大戦はそこに科学技術の差が明確に加わることとなった。戦争遂行のために資金・科学力が投入され、多くのものが長足の進歩を遂げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 兵器&lt;br /&gt;
: 電子兵器（[[レーダー]]、[[近接信管]]）や[[ミサイル]]、[[ジェット機]]、[[ジープ|4輪駆動車]]、[[核兵器]]などの技術が新たに登場した。電子兵器と4輪駆動車を除く3つは大戦の後期に登場したこともあって戦局に大きな影響を与えることはなかったが、レーダーは大戦初期のバトル・オブ・ブリテンあたりから本格的に登場し、その優劣が戦局を大きく左右した。また、アメリカやドイツ、日本などがこぞって開発を行った核兵器（原子爆弾）の完成とその利用は、日本の降伏を早めるなど大きな影響を与え、その影響は[[冷戦]]時代を通じ現代にも大きなものとなっている。なお、大戦中期に[[暗号解読]]と[[弾道]]計算のために[[コンピュータ]]が生み出された。&lt;br /&gt;
: 第一次世界大戦時に本格的な実用化が進んだ[[航空機]]は、大戦直前に実用化された日本の[[零式艦上戦闘機]]やドイツの[[メッサーシュミットBf109]]のような近代的な全金属製戦闘機だけでなく、[[川西航空機]][[九七式飛行艇]]のような[[飛行艇]]や、[[アブロ ランカスター]]や[[ボーイング]][[B-29]]などの大型爆撃機、大型[[グライダー]]、ジェット機など、さまざまな形で戦場に導入された。これらの航空機において導入されたさまざま技術は、戦後も軍用だけでなく民間でもさかんに使用されることになった。&lt;br /&gt;
: また、アメリカの[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]][[DC-3]]やボーイング[[B-17]]に代表されるような、量産工場での大量生産を前提として設計された大型航空機の出現による機動性の向上は、[[ロジスティクス]]（兵站）をはじめ戦場における距離の概念を大きく変えることになった。また、[[ジープ]]などの本格的な4輪駆動車の導入や[[バイク]]や[[サイドカー]]の導入など、地上においても機動性に重点をおいた兵器が数々登場し、その技術は広く民間にも浸透している。&lt;br /&gt;
; 戦術&lt;br /&gt;
: 戦車やそれを補佐する急降下爆撃機を中心にした[[電撃戦]]（ドイツ）、航空母艦やその艦載機による機動部隊を中心とした海上作戦（日本）、[[ボーイング]][[B-29]]やB-17のような4発エンジンを持った大型爆撃機による都市部への無差別爆撃（アメリカ、イギリス）や、[[V1飛行爆弾|V1]]や[[V2ロケット|V2]]などの弾道ミサイルによる攻撃（ドイツ）、戦闘機を敵艦に突進させるなどとした[[神風特別攻撃隊]]（日本）、非戦闘民に対する核兵器の使用（アメリカ）などは、第二次世界大戦中だけでなくその後の戦争戦術にも大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
; 技術・代用品の開発・製造&lt;br /&gt;
: [[絹]]に替わるものとして[[ナイロン]]が生まれたように、[[天然ゴム]]にかわる[[合成ゴム]]の開発製造、[[人造石油]]の開発・製造などが行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
=== 帝国主義の終焉と植民地解放 ===&lt;br /&gt;
第二次世界大戦は帝国主義が極限に達したことで勃発したが、結果的に帝国主義を終焉させ植民地解放を促す契機となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長年、イギリス、オランダ、フランス、アメリカなど[[白人]]諸国家の[[植民地]]統治下にあったアジア地域は、緒戦の日本軍の勝利と占領により、一時的に白人[[宗主国]]支配から切り離された。これにより非白人国が白人の宗主国を打倒した事実を、植民地統治下の住民が直接目にする事となった。これは被植民地住民にとって、宗主国・白人に対する劣等感を払拭する大きな力になったと、後年に[[中華民国総統]]・[[李登輝]]、[[マレーシア]]・[[マハティール・ビン・モハマド]]首相、[[インドネシア]]・[[スカルノ]]大統領など、当時の被植民地出身の首脳らが述べている。そして日本軍の敗北後、白人宗主国勢力がアジア地域に戻ってきた際、現地住民らは、一部日本軍兵士も含め、独立運動に立ち上がった。彼らは日本軍の遺棄兵器を、終戦直後の権力空白時に入手し、それが独立運動推進に寄与したとされる。以上の諸点から、日本がアジア各国の植民地解放を結果的に促進したとする見解がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また連合国の勝利で大日本帝国が崩壊し、同帝国統治下の朝鮮、その他太平洋諸国が独立し、台湾、満州国は中華民国領土へ復帰した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、戦場とならなかった[[サハラ砂漠|サハラ]]以南の[[アフリカ]]諸国（[[ブラックアフリカ]]）の独立運動がアジア地域より遅く、1960年代以降本格化した事は、この戦争の存在と大きく関係しているという意見も有るが、それはサハラ以南の地域では白人の宗主国が戦後も残存し、また経済・社会発展がアジア地域より遅れていたに過ぎない、という反論も有る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東ヨーロッパにおいては戦勝国・ソビエト連邦が同地域のほとんどを占領し、[[バルト諸国占領|バルト三国などを併合]]し、[[ポーランド]]、[[ドイツ]]、[[ルーマニア]]などから領土を獲得すると共に、[[ポーランド]]、[[チェコスロバキア]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[ハンガリー]]、[[ルーマニア]]、[[ブルガリア]]などに親ソ共産主義政権を樹立させた。戦後冷戦下においてこれらの国を「衛星国」という名の新たな植民地として支配する事になり、その状態は1991年まで続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大戦と民衆 ===&lt;br /&gt;
第一次世界大戦は[[国家総力戦]]と呼ばれたが、第二次世界大戦で、一般民衆はさらに戦争と関わる事を余儀なくされた。戦場の拡大による市街地戦闘の増大や航空機による[[戦略爆撃]]、無差別爆撃。ナチスドイツによるホロコーストなど一民族への大量虐殺、日本軍による中国での大規模な破壊・略奪・虐殺を行った「三光作戦&amp;lt;ref&amp;gt;これは日本語として不自然な漢語由来の名称であるから作戦自体が中華民国及び中国共産党の[[プロパガンダ]]であるとする主張もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;」（[[燼滅作戦]]）など、戦争の様相は第一次世界大戦より過酷なものとなり、空前絶後の被害を受けた。さらに、侵略者に対し、占領下の民衆らによる[[パルチザン部隊|パルチザン]]・[[レジスタンス]]など[[ゲリラ]]的に抵抗する活動が開始され、民衆自身が直接戦闘に参加した。しかし、それは時として正規軍関係者からの過酷な報復を招いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、婦女子の産業・軍事への進出が第一次世界大戦当時より促進された。しかしこのことが多くの国において[[参政権]]を含む女性の権利獲得に大きな役割を果たした面もある。また[[原子爆弾]]や[[焼夷弾]]などの大量破壊兵器の登場は、多くの民衆を戦闘に巻き込んだ事から、彼らの反戦意識を向上させ、戦後の[[反戦運動]]や[[反核運動]]へ繋がっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『よい戦争』 ===&lt;br /&gt;
特に[[1970年代]]以降のアメリカでは、[[ベトナム戦争]]との対比で、第二次世界大戦を「よい」戦争 (good war) とみる風潮が広まった。「民主主義対[[ファシズム]]」の単純な構図でアメリカが前者を守る正義を行ったとみる。この動きを多数の大衆インタビューにより、[[スタッズ・ターケル]]は『よい戦争 ([[:en:The Good War|The Good War]])』[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794959761]としてまとめた。この本はその後[[ピューリッツァー賞]]を受賞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、戦後の冷戦構造の中でアメリカは、上記のソビエト連邦の動きに対抗するべく「反共産主義的」であるとの理由だけで、[[チリ]]や[[ボリビア]]などの中南米諸国や、[[大韓民国|韓国]]、[[フィリピン]]、[[南ベトナム]]などのアジア諸国のファシズム的な軍事独裁政権を支援した。そのためにこれらの国は長きに渡り混乱と貧困の中に置かれた。日本の占領過程では暴力団を手先として使ったり、東條内閣の[[商工大臣]]であった[[岸信介]]や中国大陸で海軍の威を借りて現地人に対する略奪行為を指揮していた[[児玉誉士夫]]などを、一度は戦犯容疑者としながら従順で利用価値があるとみるや釈放し復権させるなど、影響圏に収めた国々で自らの利益を優先した行動をとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主主義と戦争 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Japaneseamericaninternmentcenter-flag.jpg|left|thumb|[[カリフォルニア州]]のマンザナー日系人強制収容所]]&lt;br /&gt;
大戦中「民主主義の武器庫」を自称していたアメリカは、それとは裏腹に深刻な[[人種差別]]を抱えていた。人手不足から被差別人種である[[アフリカ系アメリカ人]]（[[黒人]]）も従軍することになったが、大戦中に将官になったものが1人もなく、大半の兵は後方支援業務に就かされる&amp;lt;ref&amp;gt;実際の戦闘に参加したものは5%に過ぎなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;など差別は解消されなかった。&amp;lt;ref&amp;gt;アメリカ政府によるアフリカ系アメリカ人に対する法的な差別の解消は、[[1960年代]]に活発化した[[公民権運動]]とそれの結果による[[公民権法]]の成立を経なければならなかった。ただし、現実の差別解消はその後数十年経った現在もなお完全に実現されたとは言い難く法の下では平等であっても社会的な生活階層に占める人種割合や下位の社会階層から抜け出る事が人種により差が残る等世俗慣習として差別は依然として残っている。アメリカ政府はアメリカは自由で平等な国であるので、差別は国内には存在しないとしている。&amp;lt;/ref&amp;gt;参戦によっても差別構造が変わらなかったのは、主に[[コードトーカー|暗号担当兵]]として多くが参戦した[[ネイティブ・アメリカン]]（[[先住民]]）&amp;lt;ref&amp;gt;ナバホ族の難解な言語をそのまま暗号としてを用いた。[[コードトーカー]]参照&amp;lt;/ref&amp;gt;も同様であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、根強い[[黄禍論]]に基づいて繰り広げられた[[日系人]]に対する差別は、対日戦の開戦後に強行された[[日系人の強制収容]]により一層酷くなった。これは第二次世界大戦におけるアメリカの汚点の一つであり、問題解決には戦後数十年もの時間を要し、日系アメリカ人については[[1988年]]の「市民の自由法」（日系アメリカ人補償法）、日系ペルー人に至っては[[1999年]]まで待たなければならなかった。また、現在でもこれらの大戦時の日系人への差別行為の歴史については、アメリカ史の触れられたくない部分として、アメリカ社会では語ろうとする事さえ[[タブー]]視される事が珍しくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で[[第442連隊戦闘団]]などの[[日系アメリカ人]]部隊の果敢な戦いぶりは、戦後日系アメリカ人に対する見方を大きく変える原動力となったが、あくまで印象が変わったという程度であり、現在においても、非公式な場での差別発言やアメリカ政府が日本政府に強硬に要求する態度に、アメリカ優位のものの見方が現れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、敗戦国・日本に対し、大戦中戦争を指導するどころか、経験した事も無い戦後生まれが多数を占める現在においても、「謝罪と賠償は相続される」との観点（この論理からは、日本は、未来永劫謝罪と賠償をしなければならないとされている）から{{要出典}}&amp;lt;!-- 団体の責任が構成員の変動の影響を受けないという当然の法理が国家において適用されず、このような異様な観点からの説明が必要となるというのはいかにも不自然なので、事実かどうか検証の必要があるのではないか。 --&amp;gt;、大戦当時は国家として存在すらしていなかった中華人民共和国や大韓民国によって謝罪と賠償を求める[[ロビー活動]]が、当該国内や日本国内、日本の最大輸出先であるがゆえ、日本に対し大きな影響力を持つアメリカ国内においても活発であり、また金銭面の誘惑からそれに同調、加担するアメリカの議員も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第二次世界大戦を題材とした作品一覧 ==&lt;br /&gt;
{{see|第二次世界大戦を題材とした作品一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&amp;lt;div class = &amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
; 総記&lt;br /&gt;
:* [[福田和也]]『第二次大戦とは何だったのか？』筑摩書房 2003年 ISBN 4-480-85773-7&lt;br /&gt;
:* [[油井大三郎]]・[[古田元夫]] 『世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』中央公論社 1998年 ISBN 4-12-403428-8&lt;br /&gt;
:* [[防衛研究所|防衛庁防衛研究所]]戦史部編 『[[戦史叢書]]』 朝雲新聞社&lt;br /&gt;
:* J.M.ロバーツ 『世界の歴史9 第二次世界大戦と戦後の世界』 [[五百旗頭真]]訳 創元社 2003年 ISBN 4-422-20249-9&lt;br /&gt;
:* [[軍事史学会]]編 『第二次世界大戦 &amp;lt;small&amp;gt;発生と拡大&amp;lt;/small&amp;gt;』 錦正社 1990年&lt;br /&gt;
; 回顧録・評伝&lt;br /&gt;
:* ウィンストン チャーチル『第二次大戦回顧録』[[毎日新聞社]]（翻訳）毎日新聞社 ISBN 4-1220-3864-2&lt;br /&gt;
:* [[産経新聞]]「ルーズベルト秘録」取材班 『ルーズベルト秘録』[[扶桑社]] 2000年 ISBN 4-594-03015-7&lt;br /&gt;
:* [[ロベール・ギラン]]『アジア特電 1937~1985―過激なる極東』矢島翠訳毎日新聞社1986年&lt;br /&gt;
:* [[田久保忠衛]]『戦略家ニクソン』[[中央公論社]]1996年 ISBN 4-12-101309-3&lt;br /&gt;
:* [[春名幹男]]『秘密のファイル [[アメリカ中央情報局|CIA]]の対日工作』[[新潮社]] [[2003年]] ISBN 4-7641-0454-7&lt;br /&gt;
:* [[ロバート・ホワイティング]]『東京アンダーワールド』 [[勁文社]] / [[角川文庫]] 2000年 ISBN 4-04-247103-X&lt;br /&gt;
:* 立作太郎『平時国際法論』（日本評論社）&lt;br /&gt;
:* 川上忠雄『第二次世界大戦論』（風媒社） ISBN 4-8331-0207-2&lt;br /&gt;
:* [[ズビグネフ・ブレジンスキー]]『「大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と終焉』 [[伊藤憲一]]訳 飛鳥新社 1989年&lt;br /&gt;
; 各国史&lt;br /&gt;
:* [[武田龍夫]] 『物語 北欧の歴史』 中公新書 1993年 ISBN 4-12-101131-7&lt;br /&gt;
:* 萩原宜之 『ラーマンとマハティール』 岩波書店 1996年&lt;br /&gt;
:* 森田安一 『物語 スイスの歴史』 中公新書 2000年 ISBN 4-12-101546-0&lt;br /&gt;
:* ウリ・ラーナン他『イスラエル現代史』滝川義人訳 明石書店 2004年 ISBN 4-7503-1862-0&lt;br /&gt;
:* 堀口松城 『レバノンの歴史』 明石書店 2005年 ISBN 4-7503-2231-8&lt;br /&gt;
:* 辛島昇編 『南アジア史』 山川出版社 2004年 ISBN 4-634-41370-1&lt;br /&gt;
:* [[中西輝政]] 『大英帝国衰亡史』 PHP研究所 1997年 ISBN 4-569-55746-8&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦の背景]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦の参戦国]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦の会談・会議]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦に関連する人物の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦を題材とした作品一覧]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦に関する映画の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[:Category:第二次世界大戦期の政治家]]&lt;br /&gt;
* [[:Category:第二次世界大戦期の軍人]]&lt;br /&gt;
* [[日本のユダヤ人]]&lt;br /&gt;
* [[フー・ファイター]]&lt;br /&gt;
* [[竹槍事件]]&lt;br /&gt;
* [[ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム]] - 厭戦化工作&lt;br /&gt;
* [[日本国との平和条約]]&lt;br /&gt;
* [[終戦記念日]]&lt;br /&gt;
* [[対日戦勝記念日]]&lt;br /&gt;
* [[光復節]]&lt;br /&gt;
* [[解放記念日]]&lt;br /&gt;
* [[ヨーロッパ戦勝記念日]]&lt;br /&gt;
* [[朝鮮戦争]]&lt;br /&gt;
* [[中国残留日本人孤児]]&lt;br /&gt;
* [[中国山西省日本軍残留問題]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アドルフ・ヒトラー}}&lt;br /&gt;
{{ナチ党}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC&amp;diff=344754</id>
		<title>アドルフ・ヒトラー</title>
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				<updated>2017-09-13T14:54:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''アドルフ・ヒトラー'''（{{Lang-de-short|'''Adolf Hitler'''}}, [[1889年]][[4月20日]] - [[1945年]][[4月30日]]）は、[[ドイツ]]の[[政治家]]。[[オーストリア]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国家社会主義ドイツ労働者党]]党首として[[アーリア民族]]を中心に据えた[[民族主義]]と[[反ユダヤ主義]]を掲げる。[[1933年]]に[[ドイツの首相|首相]]となり、[[1934年]]に[[パウル・フォン・ヒンデンブルク|ヒンデンブルク]]大統領死去に伴い、[[ドイツの大統領|国家元首]]となる。軍事力による領土拡張を進めた末に1939年のポーランド侵攻によって[[第二次世界大戦]]を引き起こした。ドイツ降伏数日前に[[ベルリン]]市内の[[総統地下壕]]内で[[自殺]]したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合法的な選挙により勢力を拡大したが、のちに[[指導者原理]]に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため、[[独裁者]]の典型とされる&amp;lt;ref&amp;gt;例としては、『[[広辞苑]]』第三版、[[大辞林]]第二版では「ナチズム」を[[共和政ローマ|古代ローマ]]の[[コンスル]]による執政、ファシズムと並ぶ独裁政治の典型としている。また、[[平凡社]]『[[世界大百科事典]]』第二版の「独裁」（[[加藤哲郎 (学者)|加藤哲郎]]執筆）の項には『歴史上の独裁は、個人の名前と結びつけられることが多く、 古代ローマのカエサル (シーザー)、中国の秦の始皇帝、 イギリス清教徒革命時のクロムウェル、 フランスのナポレオン、ナチス・ドイツのヒトラー、 ソ連のスターリンなどがその例である。』と代表的な独裁者としてヒトラーの名を挙げている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1920年]]に[[日本]]で最初に報道された際には「'''ヒットレル'''」（[[舞台ドイツ語]]の発音）と表記され&amp;lt;ref&amp;gt;{{和暦|1920}}11月10日、ミュンヘン一揆の情報を大野代理大使が外務省に打電したが、その電文では『情報ニ依レハKabr Losoaw革命政府ノ任命ヲ諾セルハHither 一派ノ脅迫ニ基キタルモノナル由ニテ「カール」ハ其及官内ニ革命派ノ逮捕ヲ命シRachnerハ己ニ逮捕セラレ「ヒットレル」「ルーデンドルフ」ハ「ミューンヘン」陸軍省内ニ押込ラレ戻レリト』とある。（JACAR([[アジア歴史資料センター]])、Ref.B03050996700 、第6画像目）また、[[合同通信社|合同通信]]が配信した記事にも「復辟派首領ヒットレル」と記載されている。（児島、第1巻、67P）&amp;lt;/ref&amp;gt;、その後は「'''ヒットラー'''」という表記も多く見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-1989-0322-506, Adolf Hitler, Kinderbild.jpg|thumb|180px|left|幼少時代]]&lt;br /&gt;
[[1889年]][[4月20日]]、[[オーストリア]]に在る小さな町（ドイツとの国境近く）、[[ブラウナウ]]で税関吏[[アロイス・ヒトラー]]とその3番目の妻[[クララ・ヒトラー|クララ]]（旧姓ペルツル、アロイスの戸籍上の伯父の孫娘）の子として生まれた。父アロイスは小学校しか出ていなかったが、税関上級事務官になった努力家であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
兄弟姉妹に異母兄アロイス2世（私生児、1882年 - 1955年、1896 年に家出）、異母姉アンゲラ（1883年 - 1949年）。同母兄グスタフ（1885年 - 1887年）、同母姉イーダ（1886年-1888年）、同母兄オットー（1887年 - 数日後死亡）、同母弟エドムント（1894年 - 1900年）、同母妹パウラ（1896年 - 1960年）がいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姓の『ヒトラー』は、1876年にヨハン・ネムポク・ヒードラーがアロイスを認知した際に、シックルグルーバー姓から変更されたものである。ドイツ人では珍しいが&amp;lt;ref&amp;gt;ヒトラーの旧友[[アウグスト・クビツェク]]は「当時、ときどきアドルフ・ヒトラーという名前のドイツの政治家の噂を耳にすることがありました。しかし私は、たまたま同姓同名の人物が話題になっているだけだと思っていました。ヒトラーという姓はそれほど珍しくありません」と語っている（クビツェク『アドルフ・ヒトラーの青春』p.392、三交社、2005年）。&amp;lt;/ref&amp;gt;、「ヒトラー」、「ヒドラ」、「ヒュードラ」、「ヒドラルチェク」などの姓はチェコ人に見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名前の『[[アドルフ]]』は「高貴な狼」という意味で、ヒトラーは後に偽名として「ヴォルフ」を名乗った。アドルフという名前は、当時のドイツではそれほど珍しい名前ではなかったが、ヒトラー政権下は人気がある名前となる。しかし、戦後は一転して不名誉な名前となった。ヒトラーと同じオーストリア人俳優のアドルフ・ヴォールブリュックは[[1936年]]に[[ハリウッド]]に移ってからアントン・ウォルブルックと改名している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cquote|ナチ台頭後、あるユダヤ人が役所に出向いて改名を申し出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
役人「それで、あんたの名前は」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ人「アドルフ・シュティンクフースです」（シュティンクフースとは「臭い足」の意）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
役人「そうか…それじゃ駄目だとも言えんだろう。で、どういう名前に変えたいんだね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ人「モーリッツ・シュティンクフースです」}}という笑い話がある（[http://www.g-geschichte.de/pdf/plus/fluesterwitze.pdf]）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年期 ===&lt;br /&gt;
当時のヨーロッパでは珍しくないことであったが、父アロイスは非常に厳格で、自分の教育方針に違反した行為をすると、情け容赦なく子供たちに鞭を振るった。特に、長子アロイス2世が14歳で家出をした後は、アドルフに非常な期待を込め、厳しく躾けた。なお、小学校のころ、後に哲学者となる[[ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン]]が同じ学校に在籍していた。2人が1枚の写真に一緒に写っている写真がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年時代のヒトラーは、成績不良で2回の落第と転校を経験しており、[[リンツ]]の実業学校の担任の所見では「非凡な才能を持っているものの直感に頼り、努力が足りない」と評されている。得意教科（[[歴史]]、[[美術]]など）は熱心に取り組むが、苦手教科（[[数学]]、[[フランス語]]）は徹底して怠ける性質だったという。[[1903年]]に厳しかった父を亡くした後は、画家を目指して実家を飛び出すことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 青年期の挫折 ===&lt;br /&gt;
[[1905年]]に中等教育（[[高校]]）を途中で放棄した後、[[ウィーン]]へ向かって[[帝国美術アカデミー]]を二度に亘って受験するが、失敗して夢は果たせなかった。同年の合格者には前衛絵画を制作した画家[[エゴン・シーレ]]などがいる。一度目の試験記録には「アドルフ・ヒトラー、実業学校中退、ブラウナウ出身、ドイツ系住民、役人の息子。頭部[[デッサン]]未提出など課題に不足あり、成績は不十分」と記録されている&amp;lt;ref&amp;gt;「ヒトラーをやじり倒せ― 第三帝国のカリカチュア」ズビニェク・ゼーマン&amp;lt;/ref&amp;gt;。また二度目以降の試験では予備試験にすら受からず、むしろ合格は遠ざかっていた。[[1907年]]には母を亡くし、1908年からはウィーンで造形美術大学芸術科の入試を目指すために、音楽学生[[アウグスト・クビツェク]]と同居生活を始めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
画風については丹念な描写に情熱を注ぐものの独創性に乏しく、後に絵葉書売りで生計を立てた時も既存作品の模写が多かったという&amp;lt;ref&amp;gt;「ヒトラーをやじり倒せ― 第三帝国のカリカチュア」&amp;lt;/ref&amp;gt;。本人はこうした自らの傾向を「古典派嗜好」ゆえの事と自負していた節があり、[[世紀末芸術]]など新しい芸術運動に嫌悪感すら抱いていた。従って前述の[[エゴン・シーレ]]らが自分と違いアカデミーに迎えられた事については長年に亘り憤りを抱き、独裁者となった際に徹底して彼らやアカデミー教育自体を弾圧下に置いている（[[頽廃芸術]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またアカデミー受験に失敗した時に、人物デッサンを嫌う傾向から「画家は諦めて建築家を目指してはどうか」と助言されたエピソードは有名である。ウィーンでの美術館巡りで建物自体の観賞を好んだと書き残すなど、実際に建築物を好んだヒトラーもこの助言に大いに乗り気になった。だが程なく彼は建築家を目指すのは画家より更に非現実的な望みである事を知ったと書き残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{cquote|…画家から建築家へ望みを変えてから、程なく私にとってそれが困難である事に気が付いた。私が腹いせで退学した実業学校は卒業すべき所だった。建築アカデミーへ進むにはまず建築学校で学ばねばならなかったし、そもそも建築アカデミーは中等教育を終えていなければ入校できなかった。どれも持たなかった私の芸術的な野心は、脆くも潰えてしまったのだ…}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1908年9月、クビツェクの前からヒトラーは突然姿を消し、連絡を絶った。これは入試に失敗した事を知られたくなかったためと、徴兵忌避のためと見られている&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、『アドルフ・ヒトラー』、121-122p&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、ヒトラーはたびたび住居を変え、1909年11月末頃には浮浪者収容所に入った。その後公営の独身者寄宿舎に移り住み、1913年5月13日までここで暮らす事になる。ヒトラーは恩給や自作の絵葉書・絵画販売の収入もあり、比較的安定した生活を送っていた&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、『アドルフ・ヒトラー』、130-138p&amp;lt;/ref&amp;gt;。1911年には義姉アンゲラから、孤児恩給を妹パウラに譲るよう訴訟を起こされ、孤児恩給を放棄した。しかし、この年叔母ヨハンナが死亡し、2000クローネにおよぶ遺産を相続したと推定されている&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、『アドルフ・ヒトラー』、144-145p&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィーンでの生活は両親の遺産と叔母ヨハンナの仕送り、そして孤児恩給によって安定していた。このころのヒトラーは食費を切り詰めてでも[[歌劇場]]に通うほど[[リヒャルト・ワーグナー]]に心酔していたとされる。彼は毎日図書館から多くの本を借りては独学する勉強家だったと言われ、偏ってはいるものの歴史や哲学・美術などに関する豊富な知識と、[[アルテュール・ド・ゴビノー]]や[[ヒューストン・チェンバレン]]らが提起した[[人種理論]]や[[反ユダヤ主義]]などを身につけた。また、[[キリスト教社会党]]を指導していた[[カール・ルエガー]]（後にウィーン市長）や[[汎ゲルマン主義]]に基づく民族主義政治運動を率いていた[[ゲオルク・フォン・シェーネラー]]などにも影響を受け、彼らが往々に唱えていた民族主義・社会思想・反ユダヤ主義も後のヒトラーの政治思想に影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大戦とドイツへの移住 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Hitler_in_WWI.gif|thumb|220px|right|ヒトラー（左端）と戦友]]&lt;br /&gt;
[[1913年]]、[[オーストリア＝ハンガリー帝国]]の兵役を逃れるため[[ミュンヘン]]に移住した。ミュンヘンでは仕立て屋職人ポップの元で下宿生活を送った。この頃ヒトラーは平均100マルクの月収を得ていた。[[1914年]]1月18日にはオーストリア当局に逮捕されて本国に送還されたが、検査で不適格と判定されたため兵役を免除された。同年に勃発した[[第一次世界大戦]]で、愛国心から熱狂した彼は、[[ドイツ帝国]]の兵隊として戦う事を望んだ。[[バイエルン王国|バイエルン国王]]に直接請願し、[[志願兵]]としてバイエルン後備第16歩兵連隊に入営した。ヒトラーはその後10月から終戦直前まで[[西部戦線 (第一次世界大戦)|西部戦線]]で戦う事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
緒戦の8割前後の死傷率の中を生き抜き、司令部の伝令としての技能を発揮した。1914年12月1日には[[鉄十字章|二級鉄十字章]]、大戦も終わりに近い[[1918年]]8月には[[鉄十字章|一級鉄十字章]]を授与された&amp;lt;ref&amp;gt;この様な上級の勲章が、下士官以下の階級の者へ叙勲される事は珍しく、ヒトラー自身も誇りとしていた。その為、国家元首となって以後も含め、公式の場において勲章を佩用する機会があると、この勲章だけを終生佩用し続けた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[1916年]]10月には負傷している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーの階級はGefreiter（伍長勤務上等兵、旧日本陸軍の階級では兵長に相当）&amp;lt;ref&amp;gt;日本語訳により上等兵、兵長、伍長補、伍長と表記にバラつきがある。[[軍隊における階級呼称一覧#兵卒|Gefreiterは下士官ではなく上級の兵卒]]であるが、戦前から現在まで語呂の良い『伍長』と訳されることが多い。&amp;lt;/ref&amp;gt;止まりであり、それ以上昇進する事は無かった。勤続年数からしても昇進が遅かったと言えるが、当時のドイツでは優秀な下士官やベテラン兵卒が戦死して不足しており、伝令としての優秀さから司令部が昇進によって彼を失うのを渋ったという説、本人が伝令兵の地位に満足し昇進を希望しなかったという説、勇敢ではあるが、直属の上官[[フリッツ・ヴィーデマン]]の証言による戦功を「自画自賛する態度と指導力の欠如」が昇進につながらなかったという説が挙げられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1918年10月15日、ヒトラーは塹壕戦での[[毒ガス]]で神経を冒され、一時的に視力を失って入院した。毒ガスの特性によって脳神経に一過性の傷害を負い、また精神的にも傷ついたヒトラーは[[ヒステリー]]と診断され、軍医により[[催眠術]]による治療を受けた（このためか、第二次世界大戦では自軍による毒ガスなどの化学兵器の使用を、敵の報復攻撃による損害の大きさも考慮して厳禁している）。ドイツ帝国敗北の知らせを聞いたとき、『我が闘争』によれば、このときヒトラーは祖国の誇りを取り戻すために、建築家を目指すことを放棄し、政治家を目指すようになったという。喉の負傷による声の変化は戻らなかったため、後の演説にみられるような独特の野太い声になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治活動 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv_Bild_102-00204,_Bayern,_Hitler_auf_Propagandafahrt.jpg|thumb|220px|right|自動車に乗り政治活動を行うヒトラー（1923年）]]&lt;br /&gt;
1918年11月21日、ヒトラーは陸軍病院から退院し、バイエルンの部隊へと戻っていった。この時ミュンヘンでは[[ドイツ革命|バイエルン革命]]が発生しており、革命派が権力を握っていた。この頃ヒトラーが何をしていたのかは明らかになっていない。1919年5月2日に[[ミュンヘン・レーテ共和国]]が中央政府の手によって鎮圧されると、ヒトラーも反革命派の疑いをかけられ逮捕されたが、知り合いの将校の証言があったために釈放されている。しかしその後、革命派に与した軍人の調査・告発の任務を負わされることになった。ヒトラーはこの役目を遂行し、軍内部を右派的に再教育する任務に就くことになった。6月5日から8月9日の間には[[ヴァイマル共和国軍]]第4集団、即ち[[バイエルン国防軍]]の情報課が企画した「政治思想啓発講習会」に参加した。ここでヒトラーは生まれて初めて大学の教室で[[ゴットフリート・フェーダー]]などの[[知識人]]の講義を聴くこととなった&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、アドルフ・ヒトラー、164p&amp;lt;/ref&amp;gt;。9月12日、ヒトラーは上官の[[カール・マイヤー]]大尉に命ぜられ、調査のために「ドイツ労働者党」の集会に参加した。ここで党幹部[[アントン・ドレクスラー]]の目に留まり、ヒトラーは入党することになる。この時、「我が闘争」ではヒトラーがバウマン教授の演説を徹底的に批判したことが目にとまる原因であったとされているが、バウマン教授はこの日の会合に参加していなかったため、この記述は真実ではないと見られている&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、アドルフ・ヒトラー、176p&amp;lt;/ref&amp;gt;。ヒトラーは次第に党活動に熱中し、[[1920年]]には軍をやめ党務に専念するようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この中でもヒトラーの弁舌は興奮してくるとますます冴え、聴衆を引き込むヒトラーは、優れたプロパガンダの才能の持ち主であった。その扇動的な演説によって多くの党員を獲得し、党の要人となったヒトラーは、退党をほのめかすなどして上層部に圧力をかけ、[[指導者原理]]（[[:en:Führerprinzip|Führerprinzip]]）に基づく[[独裁政治|独裁]]を認めさせる。党名を[[国家社会主義ドイツ労働者党]]（略称'''NSDAP'''、対抗勢力による通称'''ナチ'''）と改め[[1921年]][[7月29日]]に第一議長となった。この頃からヒトラーは『Führer』（フューラー、総統や指導者と訳される）と呼ばれるようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ミュンヘン一揆 ===&lt;br /&gt;
{{main|ミュンヘン一揆}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 102-00344A, München, nach Hitler-Ludendorff Prozess retouched.jpg|thumb|220px|right|ランツベルク要塞刑務所収容時のヒトラー（1924年）]]&lt;br /&gt;
[[1923年]][[11月9日]]に、党勢を拡大したナチ党を含んだ右派政党の団体である[[ドイツ闘争連盟]]はミュンヘンで政権の奪取を目論み[[クーデター]]を起こす。これは前年に[[イタリア]]の[[ファシスト党]]が行った[[ローマ進軍]]を真似て行われたものであり、前大戦の英雄[[エーリヒ・ルーデンドルフ|ルーデンドルフ]]も参加していたが、警察・軍隊いずれの協力も得られず、州政府によって鎮圧された。この「[[ミュンヘン一揆]]」、あるいは「ヒトラー一揆」と呼ばれる事件によってヒトラーは逮捕され、党も非合法化される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕の後、禁錮5年の判決を受け[[ランツベルク要塞刑務所]]に収容されるが、所内では特別待遇を受け、この期間に[[ルドルフ・ヘス]]による口述筆記で『我が闘争』が執筆されている。なお、禁錮5年を宣告されたが、判決から9ヵ月後の[[1924年]][[12月20日]]に釈放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1925年]][[2月27日]]、党を合法政党として再出発させ、またオーストリア国籍を捨てた。この頃、党内左派で後に宣伝大臣となる[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]が頭角を現した。一時ゲッベルスは「日和見主義者」としてヒトラーの除名を目論んでいたが、ヒトラーは巧みな弁舌と説得でゲッベルスを味方に引き入れることに成功し、除名を免れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 権力闘争 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Wahlschein.jpg|220px|thumb|1932年大統領選挙の投票用紙（第二回投票時）&amp;lt;br/&amp;gt;候補者名は上からヒンデンブルク（無所属）、アドルフ・ヒトラー（[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]）、[[エルンスト・テールマン|テールマン]]（[[ドイツ共産党|共産党]]）]]&lt;br /&gt;
その後ヒトラーは合法路線で徐々に党勢を成長させる。当時のドイツは[[第一次世界大戦]]の賠償金負担と[[世界恐慌]]による苦しい経済状況が続き、大量の失業者で街は溢れかえり社会情勢は不安の一途をたどっていた。その中で[[ヴェルサイユ条約|ヴェルサイユ体制]]の打破や[[ユダヤ人]]排除を訴え、[[アジテーター]]としての才能を発揮したヒトラーは圧倒的多数の支持を得て、党内左派（[[ナチス左派]]）最大の実力者[[グレゴール・シュトラッサー]]との権力闘争に勝利した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同じく[[ドイツ共産党#ワイマール時代|ドイツ共産党]]も社会的混乱に乗じて伸張してきていた。[[ドイツ国会1930年選挙|1930年の国会選挙]]ではナチスが得票率18%、共産党が得票率13%を獲得し、社民党の得票率24.5%に次ぐ第二党と第三党に成長した。各地の都市でナチス党の私兵部隊「[[突撃隊]]」と共産党の私兵部隊「[[赤色戦線戦士同盟]]」の私闘が発生するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
財界や伝統的保守主義者など富裕層は[[ナチズム|ナチスのイデオロギー]]にも懐疑的であったが、それ以上に共産党がこれ以上伸張して[[ロシア革命]]の二の舞のような事態は絶対に避けたかった。彼らはナチス党を共産党に対抗できる唯一の政党とみなした。上流階級出身の[[ヘルマン・ゲーリング]]などが仲介役となり、ヒトラー率いるナチス党は財界からの経済支援を受けることに成功した。1932年に正式にドイツ国籍を取得し、[[1932年ドイツ大統領選挙|大統領選挙]]に出馬する。大統領選挙では現職の[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]、共産党[[エルンスト・テールマン]]、[[ドイツ国家人民党|国家人民党]][[テオドール・ディスターベルク]]、[[:de:Gustav Adolf Winter|グスタフ・アドルフ・ヴィンター]]の五名が立候補した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
選挙では「ヒンデンブルクに敬意を、ヒトラーに投票を」をスローガンにし、財界からの支援で購入した飛行機を使った遊説などで国民に鮮烈なイメージを残した。第一次選挙の結果はヒンデンブルク1865万1497票（得票率49.6%）、ヒトラー1133万9446票（得票率30.2%）、テールマン498万3341票（得票率13.2%）、ディスターベルク255万7729票（得票率6.8%）、ヴィンター11万1423票（得票率0.3%）となり、ヒトラーはライバルである共産党テールマンと大きく差をつけ、また現役大統領ヒンデンブルクの得票率過半数獲得を防ぐ善戦をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大統領になるには過半数の得票率が必要であったため、上位者三名による[[決選投票]]が行われ、その投票ではヒンデンブルク1935万9983（得票率53.1%）、ヒトラー1341万8517票（得票率36.7%）、テールマン370万6759票（得票率10.1%）をそれぞれ獲得した。ヒトラーはヒンデンブルクに敗れるが、一次選挙よりも大きく得票を増やして存在感を見せつけた。[[ドイツ共産党]]にとってはナチスと差をつけられ始めてきていることを物語る選挙となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 権力の掌握 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-S38324, Tag von Potsdam, Adolf Hitler, Paul v. Hindenburg.jpg|thumb|220px|ヒンデンブルク大統領と握手するヒトラー首相（1933年3月）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 102-14439, Rede Adolf Hitlers zum Ermächtigungsgesetz.jpg|thumb|220px|全権委任法成立後に演説を行うヒトラー（1933年3月）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:HitlerMussolini1934Venice.jpg|thumb|220px|ムッソリーニとともに（1934年）]]&lt;br /&gt;
{{main|ナチ党の権力掌握}}&lt;br /&gt;
ヒトラーは大統領選には敗れたものの、続く1932年7月の[[国会 (ドイツ)|国会]]議員選挙ではナチ党は37.8%（1930年選挙時18.3%）の得票率を得て230議席（改選前107議席）を獲得し、改選前第一党だった社会民主党を抜いて国会の第一党となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月には[[フランツ・フォン・パーペン|パーペン]]内閣に不信任案を提出して可決、選挙を迎えた（[[ドイツ国会1932年選挙 (11月)]]）。この時[[ベルリン]]の[[大管区指導者]]ゲッベルスは[[ドイツ共産党]]が主導する大規模な交通[[ストライキ]]に突撃隊員を参加させた。しかしこれが財界やベルリン市民から危機感をもたれ、ナチ党の得票率は4%ほど落ちて33.1%になり、議席数も196に減少したが、第一党の地位は保持した。危機感を抱いたヒトラーは一転して[[ストライキ]]取り締まり側に加担し、自派新聞で自らの立場のドイツ共産党との違いについて長広舌を振るい、財界を安心させようとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で事態を打開することが出来なかったパーペン内閣は[[クルト・フォン・シュライヒャー]]の策動により崩壊し、後継内閣はシュライヒャーが組織した。シュライヒャーはナチス左派を取り込もうとしたが失敗。グレゴール・シュトラッサーは[[除名]]され国会議員を辞職、引退を余儀なくされた。シュライヒャーに反発したパーペンの協力もあり、ヒンデンブルク大統領の承認を得たヒトラーは国家人民党の協力を取り付けることに成功した。[[1933年]][[1月30日]]、ついに[[ヒトラー内閣]]が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内閣発足の2日後である[[2月1日]]に議会を解散し、国会議員選挙日を[[3月5日]]と決定した。[[2月27日]]の深夜、国会議事堂が炎上する事件が発生（[[ドイツ国会議事堂放火事件]]）。その直後から共産党員や反ナチ的人物が次々に放火の疑いで逮捕された。翌28日にヒンデンブルク大統領に憲法の基本的人権条項を停止し、共産党員などを法手続に拠らずに逮捕できる大統領緊急令を発令させた。この状況下の[[ドイツ国会1933年選挙 (3月)|3月5日の選挙]]ではナチスは議席数で45%の288議席を獲得したが、単独過半数は獲得できなかった。しかし、共産党議員はすでに逮捕・拘禁されており、さらに社会民主党や諸派の一部議員も逮捕された。これらの議員を「出席したが、投票に参加しない者と見なす」ように議院運営規則を改正することで、ナチ党は憲法改正的法令に必要な3分の2の賛成を獲得出来るようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月24日]]には国家人民党と中央党の協力を得て[[全権委任法]]を可決させ、議会と大統領の権力は完全に形骸化した。7月14日にはナチ党以外の政党を禁止し、12月1日にはナチ党と国家が不可分の存在であるとされた。以降ドイツではナチ党を中心とした体制が強化され、党の思想を強く反映した政治が行われるようになった。しかし上層部とは異なった構想を持っていた[[突撃隊]]幹部との対立が高まり、[[1934年]][[6月30日]]の「[[長いナイフの夜]]」によって突撃隊参謀長[[エルンスト・レーム]]を初めとする党内外の政敵を非合法的手段で粛清した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1934年[[8月2日]]、ヒンデンブルク大統領が在任のまま死去した。ヒトラーは直ちに「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」を発効させ[[国家元首]]である大統領の職務を首相の職務と合体させ、さらに「指導者兼首相（[[:de:Führer und Reichskanzler|Führer und Reichskanzler]]）であるアドルフ・ヒトラー」個人に大統領の職能を移した&amp;lt;ref&amp;gt;[[南利明 (法学者)|南利明]]『[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/3574/1/090603026.pdf &amp;lt;論説&amp;gt;指導者-国家-憲法体制の構成]』[[静岡大学]]法政研究第7巻3号、19p。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この措置は[[8月19日]]に[[国民投票]]を行い、89.93%という支持率を得て国民にも承認された。ただし「故大統領に敬意を表して」、大統領（[[:de:Reichspräsident|Reichspräsident]]）という称号は使用せず、自身のことは従来通り「Führer（指導者）」と呼ぶよう国民に求めた。これ以降、日本の報道でヒトラーの地位を「[[総統#ドイツ|総統]]」と呼ぶことが始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国家元首に就任して以降国際的な行動を実行する日はしばしば土曜日を選んだ。週末は他国政府の対応が遅くなるという理由からである。1935年3月16日の[[ドイツ再軍備宣言]]、1936年3月7日の[[ラインラント進駐]]はどちらも土曜日である&amp;lt;ref&amp;gt;集英社 学習漫画 世界の歴史15 ヒトラーと第二次世界大戦 164ページ 土曜日にこうしたことを行えば、相手国の政府の活動が、週末でにぶっているため、対応がおそくなり、ドイツに少しでも有利になると考えたからです。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ナチス・ドイツの政策 ===&lt;br /&gt;
{{main|ナチス・ドイツ#政治}}&lt;br /&gt;
ヒトラーは党と政治機構の一体化を進めるとともに、[[ドイツ航空省|航空省]]の設置などヴェルサイユ条約で禁止されていた再軍備を推し進めた。このため1933年には600万人を数えていた失業者も1934年には300万人に減少している。一方で新聞の統制化も行い、1934年には三百紙の新聞が廃刊となった。営業不振となった新聞社・雑誌社はナチス党の出版社[[フランツ・エーア・フェルラーグ]]に買収され、情報の一元化が進んでいった&amp;lt;ref&amp;gt;児島、第1巻 392-396P&amp;lt;/ref&amp;gt;。1935年3月16日には[[ドイツ再軍備宣言]]を発し、公然と軍備拡張を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1936年]]には国の威信をかけた[[ベルリンオリンピック]]大会を行った。ヒトラーは[[レニ・リーフェンシュタール]]に対して、「自分はユダヤ人が牛耳るオリンピックには関心がない」と漏らしていたが&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/berlin.htm レニ・リーフェンシュタールが語る”政治とオリンピック”][[岩上安身]]公式サイト&amp;lt;/ref&amp;gt;、1933年3月にはベルリン大会支持の声明を出している&amp;lt;ref&amp;gt;児島、第1巻 474-485&amp;lt;/ref&amp;gt;。またこれまで都市主催であったオリンピックに国家が積極的に介入することで、ベルリンオリンピックはかつて無い大規模なものとなった。また、リーフェンシュタールが撮影した記録映画「[[オリンピア_(映画)|オリンピア]]」は世界で高い評価を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベルリンオリンピック開催前後には諸外国からの批判を受け、一時的にユダヤ人迫害政策を緩和したが、その後は国力の増強とともに、ドイツ国民の圧倒的な支持の基「ゲルマン民族の優越」と「反ユダヤ主義」を掲げ、ユダヤ人に対する人種差別をもとにした迫害を強化していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「生存圏の拡大」 ===&lt;br /&gt;
1936年には[[スペイン内戦]]へ介入し[[フランシスコ・フランコ]]の反乱軍を支援し、1937年4月26日にはドイツ空軍「[[コンドル軍団]]」による[[ゲルニカ空爆]]が行われた。1936年3月には[[ヴェルサイユ条約]]と[[ロカルノ条約]]に反して非武装地帯と定められていた[[ラインラント進駐|ラインラントへの進駐]]を実行した。フランス軍からの攻撃はなかった。ヒトラーは「ラインラントへ兵を進めた後の48時間は私の人生で最も不安なときであった。 もし、フランス軍がラインラントに進軍してきたら、貧弱な軍備のドイツ軍部隊は、反撃できずに、尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった。」と後に述べている。この成功はヒトラーに対外進出への自信をつけさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1972-028-14, Anschluss Österreich.jpg|thumb|220px|right|オーストリア併合後にウィーン市内をパレードするヒトラー（1938年）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-R69173, Münchener Abkommen, Staatschefs.jpg|thumb|220px|right|ミュンヘンに集まった英仏独伊の首脳。左からチェンバレン、[[エドゥアール・ダラディエ|ダラディエ]]、ヒトラー、ムッソリーニ、[[ガレアッツォ・チャーノ|チャーノ]]伊外相]]&lt;br /&gt;
[[1931年]]に発生した[[満州事変]]以降、ソ連やイギリス、アメリカとの間の関係悪化が鮮明化していた日本との関係が親密化を増し、1936年11月には、駐独日本国[[特命全権大使]]の[[武者小路公共]]とドイツ外相[[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]]の間で[[日独防共協定]]が結ばれ、[[ヨシフ・スターリン]]率いる[[ソビエト連邦]]への対抗を目指した（なお同協定は翌[[1937年]]11月6日にイタリアも入り[[日独伊防共協定]]となった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーは着々とナチズムに基づくドイツを作り上げていった。その最終目的は『我が闘争』に示されたように東方における「[[生存圏]]」の獲得であった。その目的のため、この計画に批判的であった[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク|ブロンベルク]]国防相らを陰謀によって追放し、独立傾向があった軍を完全に掌握した（[[ブロンベルク罷免事件]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1938年]]3月には武力による威嚇でオーストリアの首相に[[アルトゥル・ザイス＝インクヴァルト]]を付けさせ、[[アンシュルス|オーストリア併合]]にこぎつけた。3月12日にはヒトラー自身がオーストリアに入り、ウィーンや生まれ故郷リンツに戻った。ヒトラーは故郷リンツでこのように演説した。「もし神がドイツ国家の指導者たるべく私をこの町に召したのだとすれば、それは私に一つの任務を授けるためである。その任務とはわが愛する故国をドイツ国家に還付することである。私はその任務を信じた。私はそのために生き、そのために戦ってきた。そして今その任務を果たしたと信じる」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オーストリアを支配下に入れたヒトラーは続いて[[チェコスロバキア]]を狙い、まずドイツ系住民がほとんどを占める[[ズデーテン地方]]を併合しようとした。1938年9月29日にはイギリス首相[[ネヴィル・チェンバレン]]、フランス首相[[エドゥアール・ダラディエ]]、イタリア首相ムッソリーニを招いて[[ミュンヘン会談]]をおこない、ズデーテンをドイツに譲ることが確定した。イギリスとフランスからも屈服を要求されたチェコスロバキアはズデーテンを差し出すしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにこの後チェコで民族運動が激化し、混乱に乗じてハンガリーがチェコスロバキア侵略をほのめかすようになった。チェコスロバキアはドイツ軍に応援を依頼するしかなくなり、さらにドイツから武力による威圧も受けて[[エミール・ハーハ]]大統領は1939年3月に併合文書に署名した（[[チェコスロバキア併合]]）。ヒトラーの指示によりスロバキアは独立し&amp;lt;ref&amp;gt;ただしスロバキアにもドイツ軍が進駐し、傀儡国家の[[独立スロバキア|スロバキア共和国]]となった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、チェコはドイツの一部「[[ベーメン・メーレン保護領]]」となった。この直後の1939年3月23日にはリトアニア政府に[[メーメル]]を割譲させることにも成功している。これらのドイツの拡張政策に対してイギリスやフランス、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などは懸念を表明したものの、直接的な軍事対立を避けるために事実上黙認していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後もドイツの軍備拡張への対応が遅れていたイギリスは、チェンバレン政権下においてはミュンヘン会談に代表される[[宥和政策]]を取り続け、事実上ヒトラーの軍事恫喝による国土拡張政策（旧ドイツ帝国領の回復）を黙認していた。軍備を整える時間稼ぎのためとも、[[反共主義|反共]]の防波堤として、対[[ソビエト連邦]][[勢力均衡|抑止力]]としてドイツを利用しようとしたためともいわれる。このためヒトラーはチェコの実質的な併合などの領土拡張政策を推し進めることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第二次世界大戦開戦 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:MolotovRibbentropStalin.jpg|thumb|220px|right|独ソ不可侵条約に調印する[[ヴャチェスラフ・モロトフ|モロトフ]]ソ連外相。後列の右から2人目はスターリン]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-M1112-500, Waffenstillstand von Compiègne, Hitler, Göring.jpg|thumb|220px|right|フランス代表との降伏調印式に出席したヒトラー（1940年）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Matsuoka visits Hitler.jpg|thumb|220px|right|ドイツを訪問した日本の[[松岡洋右]]外相とともに（1941年）]]&lt;br /&gt;
ヒトラーは更に[[ポーランド]]に対して、[[グダニスク|ダンツィヒ]]自由市及び[[東プロイセン]]との間の回廊地帯を要求したが、ポーランドは英仏の保証を受けて抵抗した。こうした中、1939年[[8月23日]]にヒトラーは宿敵であるはずのソ連との間に[[独ソ不可侵条約]]を結んで世界を驚かせ、直後の[[9月1日]]にソ連との秘密協定を元に[[ポーランド侵攻]]を開始した。同[[9月3日]]にはこれに対してイギリスとフランスがドイツへの[[宣戦布告]]を行い、これによって[[第二次世界大戦]]が開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ軍は空軍の支援の下[[機甲部隊]]を主力とした[[電撃戦]]によって、旧退化した兵器と戦略しか持たないポーランドをたちまち占領した。[[1940年]]に入ると、北ヨーロッパの[[デンマーク]]と[[ノルウェー]]を[[北欧侵攻|相次いで占領]]し、更に西部では[[ベネルクス|ベネルクス三国]]の制圧に続いて[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|フランスを打倒]]し、5月に行われた[[ダンケルクの戦い]]でイギリス軍やフランス軍からなる連合国軍をヨーロッパ大陸からたたき出した。しかしこの際にイギリス軍を徹底的にたたかなかったことも影響し、イギリス侵攻はその後の[[バトル・オブ・ブリテン]]での敗北により果たせなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月21日に[[フィリップ・ペタン]]を首班とする[[ヴィシー政権|フランス政府]]はドイツに休戦を申し込み、ヒトラー自ら第一次世界大戦の降伏文書の調印場である、因縁の[[コンピエーニュの森]]でのフランス代表との降伏調印式に臨み、その後[[パリ]]市内の視察を行った。なお[[7月31日]]には国防軍最高司令官に就任し、作戦面でも戦争の最高指導者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月27日]]には、1937年に締結されていた日独伊防共協定の強化を画策していた日本とイタリアとの3国の間で「[[日独伊三国軍事同盟|日独伊三国条約]]」を結び、更なる関係の強化を図った。大戦初期に結ばれたこの日独伊三国の軍事同盟は、第二次世界大戦における[[枢軸国]]の原型となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1941年]]にはイギリス軍が抵抗を続けていたユーゴスラビアとギリシアを占領して[[バルカン半島の戦い|バルカン半島を制圧]]し、北アフリカではイギリス軍の前に敗退を続けていたイタリア軍を援けて攻勢に転じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 独ソ戦開戦 ===&lt;br /&gt;
同年[[6月22日]]には、わずか2年弱前に不可侵条約を結んだばかりのソ連に侵攻を開始した（[[バルバロッサ作戦]]）。この突然のソ連への侵攻においては12月には[[モスクワ]]まであとわずかのところまでに迫る勢いであったものの、補給難と冬の到来によってドイツ軍の戦力は限界に達し、後退を余儀なくされた。ヒトラーは陸軍総司令官の[[ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ]][[元帥 (ドイツ)|元帥]]を解任して自ら陸軍総司令官を兼任し、東部戦線のドイツ軍に後退を厳禁して、何とか戦線の全面崩壊は免れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対ソ戦におけるドイツ軍の最初の後退が行われた直後の[[12月7日]]に行われた、[[大日本帝国陸軍|日本軍]]によるイギリス領[[マレーの戦い|マレー半島進攻]]と、それに続くアメリカ、[[ハワイ州|ハワイ]]の[[真珠湾攻撃]]の直後の1941年[[12月11日]]の演説では「我々は戦争に負けるはずがない。我々には三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ」と日本を賞賛し、日本に続いてアメリカに宣戦を布告した&amp;lt;ref&amp;gt;なお、ヒトラーは日本は対外戦争にて一度も負けたことが無いと誤解しているが実際には663年、[[白村江の戦い]]で唐に敗北している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後は[[遣独潜水艦作戦|遣日潜水艦作戦]]を展開するなど様々な形で共同作戦を行うよう指示を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヒトラーとホロコースト ===&lt;br /&gt;
{{main|ホロコースト}}&lt;br /&gt;
1940年、ヒトラーはドイツ国内のユダヤ人をマダガスカルに移送させる計画（[[マダガスカル計画]]）を検討させた。これはドイツの影響下からユダヤ勢力を排除するための作戦であり絶滅作戦ではなかったが、戦局の悪化により移送は不可能になった。1941年12月には閣僚の提案によってユダヤ人滅亡作戦を指示した。1942年1月にはドイツ国内や占領地区におけるユダヤ人の強制収容所への移送や強制収容所内での大量虐殺などの、いわゆる[[ホロコースト]]の方針を決定づける[[ヴァンゼー会議]]が行われた。しかしながら、文章上では絶滅や殺害と言った直接的な語句は使われず、追放や移民と言った語句が最後まで使用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラー自身がユダヤ人絶滅自体を命じたという書類は現存していない。このため、ホロコーストの命令に関しては「ヒトラーが包括的・決定的・集中的な一回限りの絶滅命令を口頭で指令した」という[[ジェラルド・フレミング]]、[[クリストファー・ブロウニング]]（[[:en:Christopher Browning|en]]）らの説、「正規の集中的絶滅命令は存在せず、軍政・民政・党・親衛隊の各部局が部分的絶滅政策を行った。ヒトラーはこれらの政策に同意や支持を与えていた。」とし、絶滅政策が一貫したものではなく即興性を持つものであるというミュンヘンの現代史研究所所長[[マルティン・ブロシャート]]（[[:en:Martin Broszat|en]]）、[[ハンス・モムゼン]]（[[:en:Hans Mommsen|en]]）、[[ラウル・ヒルバーグ]]らの説がある&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、283-284p（16版後書き）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1941年12月12日に全国指導者や大管区指導者を集めて行われた会議（[[:en:Reich Chancellery meeting of 12 December 1941|en]]）においてヒトラーは「ユダヤ人の絶滅は必然的結果でなければならない。」と演説しており、その演説はゲッベルスの日記に記録されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20060112Gerlach41-12-12Hitlersbefehl.htm ゲッベルス日記（41年12月13日）][[横浜市立大学]][[教授]][[永岑三千輝]]永岑研究室&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[ヒトラー・ユーゲント]]指導者の[[バルドゥール・フォン・シーラッハ]]の夫人である[[ヘンリエッテ・フォン・シーラッハ|ヘンリエッテ]]の回想は、ヒトラーがホロコーストに関してそれを指示し、賛同する立場であったことを証明するものとされている。ヘンリエッテは、ドイツ占領下の地に住むユダヤ人が次々と逮捕され、列車に詰め込まれ収容所に送られていることを知り、ヒトラーに直訴することを考えた。1943年4月7日、パーティの場でヘンリエッテがそのことを告げると、ヒトラーは激怒して「その問題にあなたが口を挟む権限はない」と告げて立ち去った。その後、ヘンリエッテは2度とヒトラーから招待を受けることはなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれにしても、「わが闘争」でユダヤ人を罵り、その後も対ユダヤ人迫害政策を自国の影響圏において行わせてきた国家指導者であるヒトラーが、ユダヤ人を絶滅に追い込む政策の進展を支持、賛同こそせよ反対、中止させなかったことは事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦局の頽勢 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-B24543, Hauptquartier Heeresgruppe Süd, Lagebesprechung.jpg|thumb|220px|right|作戦指揮を行うヒトラー（1942年）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1970-097-76, Hitler-Attentat vom 20. Juli 1944.jpg|thumb|220px|right|暗殺未遂事件現場をムッソリーニと訪れたヒトラー（1944年7月）]]&lt;br /&gt;
その後、開戦から3年目に入った[[1942年]]には、再び東部戦線と北アフリカでドイツ軍は攻勢に転じたが、やがて、東部戦線での[[スターリングラード攻防戦]]や[[アフリカ]]戦線での[[エル・アラメインの戦い]]などでの敗北により、ドイツ軍は守勢に転換せざるを得なくなり、[[1943年]]には東部戦線でのドイツ軍の最後の大攻勢である[[クルスクの戦い]]での攻勢失敗や、枢軸国の一員であったイタリア王国の[[ピエトロ・バドリオ|バドリオ]]政権が降伏して[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の側につくなど苦しい立場におかれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお[[9月12日]]に、イタリア王国の降伏後に新政権に捕えられ幽閉されたムッソリーニを、[[オットー・スコルツェニー]]率いる特殊部隊により救出させ（[[グラン・サッソ襲撃]]）、その後、ドイツが支配下に置いた北イタリアに、ドイツの支援を受けた[[イタリア社会共和国]]（RSI）の樹立を宣言し、その首班に就任させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーは大戦末期は[[総統大本営]]「[[ヴォルフスシャンツェ|狼の巣]]」と名づけた地下壕にこもって昼夜逆転の生活を送りながら、新兵器の開発による奇跡の大逆転を望む日々を過ごした。[[1944年]]には、[[ノルマンディー上陸作戦]]の成功による西部での第二戦線の確立と、東部戦線でのソ連の大攻勢（[[バグラチオン作戦]]による中央軍集団の壊滅）などにより、ドイツ軍は完全に敗勢に陥った。労働力も不足に陥り、国内の秘密工場で働かせるために、東方の収容所やハンガリーのユダヤ人が移送され、多くの犠牲者が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーのお気に入りの軍人は、ドイツが攻勢であった大戦前半は、華々しい攻勢作戦を指揮した[[ロンメル]]、[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]、[[ハインツ・グデーリアン]]らであったが、守勢に立たされて以降は、頑強な守備作戦の指揮に定評のあった、[[ヴァルター・モーデル]]、[[フェルディナント・シェルナー]]らがこれに代わった。また、[[ゲルト・フォン・ルントシュテット]]元帥はその旧プロイセン軍人風の威厳が好まれて、何度も解任されてはまた重要なポストに再起用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1944年[[7月20日]]に、ドイツ陸軍の[[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]]大佐が仕掛けた爆弾による[[暗殺]]未遂事件が起こり、数人の側近が死亡し、参席者全員が負傷したがヒトラーは奇跡的に軽傷で済んだ。事件直後に暗殺計画関係者の追及を行い、処罰を行った人数は、死刑となった[[ヴィルヘルム・カナリス|ヴィルヘルム・フランツ・カナリス]]海軍大将（国防軍情報部長）、[[エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン]]元帥、[[フリードリヒ・フロム]]上級大将を始め4,000名に及んだ。また、かつては英雄視された[[エルヴィン・ロンメル]]元帥と、[[ギュンター・フォン・クルーゲ]]元帥も、かかわりを疑われて自殺を強要された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{main|ヒトラー暗殺計画}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 敗北 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-1985-0104-501, Ardennenoffensive, Grenadiere in Luxemburg.jpg|thumb|220px|right|アルデンヌ攻勢で戦うドイツ兵]]&lt;br /&gt;
1944年12月からの[[バルジの戦い|アルデンヌ攻勢]]では、連合国軍を一時的に大きく押し戻し、ヒトラーの賭けは一時的には成功したかに見えたが、結局は物量に勝る連合国軍に圧倒され、ドイツ軍最後の予備兵力をいたずらに損耗する結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後[[ライン川]]を突破されたドイツ軍は、ヒトラーの命により[[1945年]][[3月15日]]より[[ハンガリー]]の首都である[[ブダペスト]]の奪還と、ハンガリー領内の油田の安全確保のため[[春の目覚め作戦]]を行うが、圧倒的な連合軍の物量の前に失敗する。この主要戦線から離れた所で行われた、軍事的に無意味な作戦により完全に兵力を失ったヒトラーは、'''「ドイツは世界の支配者となりえなかった。ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るほかない」'''と述べ、連合軍の侵攻が近いドイツ国内の生産施設を全て破壊するよう「焦土命令」（または「[[ネロ指令]]」）と呼ばれる命令を発するが、軍需大臣のシュペーアは聞き入れず、ほぼ回避された。なお、この頃以降ヒトラーはラジオ放送も止めベルリンの総統官邸の地下にある[[総統地下壕]]にとどまり、国民の前から姿を消すことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大戦中を通じてヒトラーは、しばしば政治上の必要性を重視するあまり戦略的に意味のない地域の確保にこだわったり、無謀な拠点死守命令を出したりして敗北の原因を作った。また形勢が不利になると作戦の細部にまで介入するようになり、参謀本部との関係が険悪になった。しかし、自殺前に行われた最後の声明に到っても、戦争に負けた原因を参謀本部にあるとして非難した。この態度にはわけがある。ヒトラーは側近には自分のイエスマンしかおかず、自分より優秀な人間や意見を少しでも言おうものなら即座に更迭をするなどということを繰り返した。そうなると当然意見や正確な状況を伝えるということをしなくなり、ヒトラーの末期の言動を調べてみると、ヒトラーは戦況自体がまるでわかっていないということがわかる。つまりそういった戦況を正しく知らせなかったことを非難しているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]][[4月16日]]にソ連軍は、ベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動した。[[4月20日]]に総統誕生日を祝うために、軍とナチス高官が総統官邸に集まった。この日開催された軍事会議で、アメリカ軍とソ連軍がエルベ河で合流した場合に備え、ドイツ北部を[[カール・デーニッツ]]元帥が指揮することになったが、南部の指揮権は明示されなかった&amp;lt;ref&amp;gt;4月24日に陸軍総司令部の統帥権はノイルーフェン基地に脱出した[[国防軍総司令部]]]に委譲され、南部の指揮権は国防軍総司令部次長[[アルフレート・ヴィンター|ヴィンター]]中将、[[中央軍集団]]司令官[[フェルディナント・シェルナー|シェルナー]]元帥、[[南部方面軍集団]][[ロタール・レンデュリック|レンデュリック]]大将が分担することになった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。又、各種政府機関も即時ベルリンを退去することが決まり、ゲーリングら主要な幹部も立ち去っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-1983-0331-500, Hermann Göring und Adolf Hitler bei Truppenbesuch.jpg|thumb|220px|right|部隊を視察するヒトラーとゲーリング（1945年4月）]]&lt;br /&gt;
ソ連軍は圧倒的な物量を持ってベルリンに迫り、首都の死守を命令されたベルリン守備隊との間で激しい市街戦が行われ、多くの軍人や市民が銃弾が飛び交うベルリン市内で命を落とした。[[ベルリンの戦い]]で敗北が迫ると、ヒトラーは側近からベルリンからの退避を勧められたものの拒否した上、[[七年戦争]]における[[フリードリヒ大王]]の[[ブランデンブルクの奇跡]]を引き合いに出して、最後まで勝利を信じて疑わなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月23日]]には、総統地下壕を脱出した[[カール・コラー (軍人)|カール・コラー]]空軍参謀総長が、国防軍最高司令部作戦部長[[アルフレート・ヨードル]]上級大将の伝言を携えゲーリングのもとを訪れる。ヨードルの伝言は「総統が自決する意志を固め、連合軍との交渉はゲーリングが適任だと言った」という内容だった。ゲーリングは不仲であった[[マルティン・ボルマン]]の工作を疑い、総統地下壕に1941年の総統布告に基づく権限委譲の確認を求めた電報を送る。電報を受け取ったボルマンは、「ゲーリングに反逆の意図がある」とヒトラーに告げる。ヒトラーは激怒し、ゲーリングの逮捕とナチス党からの除名、そして別荘への監禁を命じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自殺 ===&lt;br /&gt;
{{main|アドルフ・ヒトラーの死}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Stars &amp;amp; Stripes &amp;amp; Hitler Dead2.jpg|thumb|220px|right|ヒトラーの死を伝える[[アメリカ軍]]の新聞]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月29日]]に、ハインリヒ・ヒムラーがヒトラーの許可を得ることなく英米に対し降伏を申し出たことが世界中に放送され、ヒトラーに最後の打撃を与えた。終末が近づいたことを悟ったヒトラーは、個人的、政治的遺書の口述を行い、ベルリンの地下壕で[[エヴァ・ブラウン]]（エファ・ブラウン）と結婚式を挙げる。その翌日、[[総統官邸]][[総統地下壕]]において、愛犬[[ブロンディ (犬)|ブロンディ]]を自ら毒殺した後、妻エヴァ・ブラウンと共に自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーは遺言によって、自分の後任の大統領兼国防軍最高司令官職に[[カール・デーニッツ]]海軍元帥、首相職に[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]宣伝相、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]担当大臣に[[マルティン・ボルマン]]党官房長をそれぞれ指名している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自殺の際ヒトラーは拳銃を用いたが（しかし銃創は額にあり不自然である）エヴァは毒を仰いだ。遺体が連合軍の手に渡るのを恐れて140リットルの[[ガソリン]]がかけられ焼却されたため、死亡は側近らの証言によって間接的に確認されただけだった。ひどく損壊した遺体はソ連軍が回収し、[[検死]]もソ連軍[[医師]]のみによるものだった（この数年後ヒトラーの遺灰はソ連の飛行機によって空中散布された）ため、西側諸国にはヒトラーの死亡に関し疑わしい部分が残り、後に'''ヒトラー生存説'''が唱えられる原因となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、スターリンも、その死体が本当にヒトラーのものであると確信が持てず、イギリスとアメリカ軍が密かにヒトラーを匿っているのではないのかと疑心暗鬼におちいった。そのため、英米ソ軍とも戦後しばらくヒトラーと容貌が似た人物を手当たり次第逮捕して取り調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおドイツにとって最大の同盟国の日本は、先に死去したアメリカの[[フランクリン・D・ルーズヴェルト]]大統領の死去に際し、正式に弔意を示す声明を発表したものの、ドイツという最大の同盟国の国家元首の自殺の報を受けても、弔意を示す声明を発することも、[[半旗]]の掲揚を行うなどの外交儀礼を行うことはなかった&amp;lt;ref&amp;gt;『戦時下のドイツ大使館』P.158 エルヴィン・リッケルト 中央公論社&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、駐日ドイツ[[大使館]]は恐らく世界の公的機関として唯一の追悼式を行ってヒトラーの死を悼んだ。しかしヒトラーの死とその後のデーニッツ政権下のドイツの降伏、そして事実上の国交断絶を予想し幻滅した日本政府は、これに対しても外務省の儀典課長を寄こすのみであった&amp;lt;ref&amp;gt;『戦時下のドイツ大使館』P.159 エルヴィン・リッケルト 中央公論社&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治思想・政治手法 ==&lt;br /&gt;
=== 『わが闘争』 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Erstausgabe von Mein Kampf.jpg|thumb|220px|わが闘争初版本。1925年発行]]&lt;br /&gt;
[[ナチズム]]の[[聖典]]というべきヒトラーの著書『[[わが闘争]]』は、ナチ党政権時代のドイツで[[聖書]]と同じくらいの部数が発行されたとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その内容は自らの半生と世界観を語った第一部「[[民族主義]]的世界観」と、今後の政策方針を示した第二部「[[国民社会主義]]運動」の二つに分かれる。この中でヒトラーは'''[[アーリア民族]]の[[人種]]的優越、[[東方]]における[[生存圏]]の獲得'''を説いており、後に[[同盟]]をくむ[[日本人]]もまた二流民族として扱われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{main|わが闘争}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[独]]の[[哲学者]]、[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]の著作である『[[権力への意志]]』の影響が強く見られ、ヒトラーの超人的思想に見る完全支配のような考えを、「力こそがすべて」という本書から誤読、もしくは自分なりに解釈し直しているのではないかと指摘される。また日本でも、日本人関連の記述を除いた[[翻訳版]]が出版された。ナチス政権時の発行数からは「ナチス公認の最重要文献」として扱われていたことがうかがえる。しかしヒトラーは後に「わが闘争は古い本だ。私はあんな昔から多くのことを決め付けすぎていた」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;アルベルト・シュペーアの回顧録&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、現在のドイツでは『わが闘争』は反ナチ法（扇動法）に基づき発禁本のリストの中に入っている。とよく誤解されるが、実際の理由は、現在著作権と出版権を委ねられているバイエルン州政府がどの出版社にも著作権を渡さないことにある。ただし、現在バイエルン州が握っている著作権の保護期間は2015年12月31日までであり、これ以降出版は自由になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 演説手法 ===&lt;br /&gt;
政治学や力学を体系的に学ばなかったヒトラーを最終的に権力の座に就かせた最大の要因は演説であった。現在ヒトラーの演説といえば大げさな身振り手振りをし、過激な言葉を怒鳴り散らすというイメージが強いが、実は場合によっては演説の手法に手を加えていることもあった。例えば一般的によく知られている激しい手法はどちらかといえば中・下層階級をターゲットとした演説であり、一方では学生時代の[[アルベルト・シュペーア]]が魅了された、知的程度の高い層向けに編み出された穏やかに語りかけるかのような手法を使っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 先見性 ===&lt;br /&gt;
==== メディアの利用 ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv_Bild_183-1987-0703-506,_Adolf_Hitler_vor_Rundfunk-Mikrofon.jpg|thumb|220px|right|ラジオ放送を行うヒトラー。1933年2月]]&lt;br /&gt;
当時の最新メディアであった[[ラジオ]]や[[テレビ]]、[[映画]]などを使用してプロパガンダを広めるなど、[[メディア]]の力を重視していた。情報を素早く伝達させるため、ラジオを安値で普及させた（[[国民ラジオ]]）。また、これらの一環としてベルリンオリンピックでは、女性監督の[[レニ・リーフェンシュタール]]による2部作の記録映画『[[オリンピア (映画)|オリンピア]]』を制作させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 抜擢 ====&lt;br /&gt;
若年期芸術家を志して挫折した過去があるためか、若く才気あふれる人物とみなした人物には[[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]、[[ハンナ・ライチュ]]、[[フェルディナント・ポルシェ]]をはじめ、できるかぎりの機会を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 健康政策 ====&lt;br /&gt;
ヒトラーはドイツ民族の健康を守ることにも強い関心を持っていた。特に、1907年に母親クララを乳癌で失ったヒトラーにとって癌の治療は特別な意味を持っていた。厚生事業のスローガンとして「健康は国民の義務」を定め、[[喫煙]]に対しても[[ナチス・ドイツの反タバコ運動|反タバコ運動]]に積極的に行った。環境や職場における危険を排除し（[[発癌性]]のある殺虫剤や着色料の禁止）、早期発見を推奨した。医師達はとくにタバコの害を熱心に訴え、彼らは世界で最も早く[[喫煙]]を[[肺癌]]と結びつけた&amp;lt;ref&amp;gt;ロバート・N.プロクター 著[[宮崎尊]] 訳『健康帝国ナチス』 [[草思社]] ISBN 978-4794212269&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、「健全な民族の未来は女性にある」として女性の体育を奨励したことでも知られる。そのため現在のドイツでは、政府による過度の健康問題への介入や[[禁煙]][[禁酒運動]]をナチズムを彷彿させるものとしてタブー視する傾向にある&amp;lt;ref&amp;gt;産経新聞 2006年12月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dw-world.de/dw/article/0,,2221894,00.html 独公共放送ドイチェ・ウェレ電子版2006年11月1日]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.dw-world.de/dw/article/0,,2258133,00.html 独公共放送ドイチェ・ウェレ電子版 2006年12月2日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヒトラーと反ユダヤ主義 ===&lt;br /&gt;
ヒトラー本人の著作や発言等から、ヒトラーは少年時から様々な反ユダヤ主義に影響された「生粋の[[アーリア人至上主義]]者」と見なされる傾向が強い。しかし、ヒトラー個人と付き合いがあった人々の証言からは、ヒトラーがいつそのような人種概念を身につけたのか判断するのは難しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーが幼い頃に母親と通った[[質屋]]の主人がユダヤ人であり、その主人がヒトラー親子の品を安値でしか買い取ってくれず、そのためヒトラーはユダヤ人に対して不信感を抱くようになったという俗説もあるが、父の恩給を受給していたヒトラー一家が経済的に困窮していた事実はない。なお、この頃ヒトラーの母親を治療した医師はユダヤ人であった。この医師は後にユダヤ人迫害が開始された後も「[[名誉アーリア人]]」として手厚く保護され、その後外国に解放されたという。ヒトラーは自分に対して恩のある人間にはユダヤ人であっても例外的に扱ったのではないかという指摘もある。また、ナチス政権下で、「名誉アーリア人」として航空省次官となった[[エアハルト・ミルヒ]]の父親はユダヤ人であったという説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラー自身も言っていたように、ウィーン生活を送る1910年夏ごろに反ユダヤ主義的思想を固めたと見られている&amp;lt;ref&amp;gt;フランツ・イェツィンガー、村瀬興雄ら。村瀬、『アドルフ・ヒトラー』138p&amp;lt;/ref&amp;gt;。ウィーン時代の友人にユダヤ人がいたとされている。ただ、その友人と金銭トラブルがあったようで、このことは警察にも記録されていることから、このことがヒトラーに大きな影響を与えたという説を唱える者もある。また、ヒトラーの友人であったクビツェクはウィーンで同居していた頃に、すでに反ユダヤ的思想を持っていたと証言している&amp;lt;ref&amp;gt;村瀬、『ナチズム』16p&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、ヒトラーと関係があったユダヤ人には、第一次世界大戦下でヒトラーの叙勲を推薦した上官や、第一次世界大戦後にヒトラーがミュンヘンで住んだアパートの管理人がいる。ヒトラーは管理人が作った食事を食べながら、党幹部と打ち合わせを度々行っていた。しかし党勢の拡大とともにヒトラーはそのアパートを引き払った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれにしろ、入党後の1920年8月23日には『ホフブロイハウス』で「ユダヤ人は寄生動物であり、彼らを殺す以外にはその被害から逃れる方法はない」と演説するほどの確固たる反ユダヤ主義者となっていた&amp;lt;ref&amp;gt;[[村瀬興雄]] 『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景』（中公新書） ISBN 978-4121004789&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方[[スラブ人]]をも劣等人種として扱っていたが、スラブ人の音楽家である[[ピョートル・チャイコフスキー]]や[[セルゲイ・ラフマニノフ]]、さらにユダヤ人の[[ブロニスラフ・フーベルマン]]や[[アルトゥル・シュナーベル]]のレコードを所持していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090314/erp0903141301002-n1.htm 【音楽の政治学】ヒトラーの偽善 「劣等」と呼んだ人種のレコードを隠し持つ] 産経ニュース 2009.3.14&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
=== 体格 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Former British Prime Minister David Lloyd George and Adolf Hitler.jpg|thumb|220px|[[デビッド・ロイド・ジョージ]]元イギリス首相と並ぶヒトラー（[[1936年]]）]]&lt;br /&gt;
身長はよく172～3cmなどとされている資料を見かけるが、1914年のザルツブルクでの徴兵検査（このときは虚弱のため兵役不能と診断された）の際の徴兵検査表に175cmと記されているためこれが正確な数字であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ヒトラーは自分の身長が高官たちに比して低いことにコンプレックスを抱いており、靴の中に細工をしたりして身長を高く見せようとしたり、自分の机は段差の上に置いたりしていた」などの話はあるが、これは戦後ヒトラーを小物として印象づけるために成されたデマの一つである。ただし、ヒトラーの車は、ヒトラーの座席、床はかさ上げされている。これはパレードの時に同乗者より目立たせるためであり、多くのパレード用リムジンにも同じような構造が施されている。なお、遺体検証の際身長を「推定163cmほど」と記録されたことから、小柄というイメージにより拍車をかけたと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
瞳は青色で、幼少時は金髪であったが、長じるに従い黒髪になった。現実のナチス高官は理想的なアーリア人種の体格とはほど遠い人物が多く、当時流行ったジョークにも「理想的アーリア人とは、ヒトラーのように金髪で、[[ヘルマン・ゲーリング|ゲーリング]]のようにスマートで、[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]のように背が高いこと」（[[エーミール・ルートヴィヒ]]）と皮肉られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
栄養状態が良くなかった当時のドイツ人全体の平均では、必ずしもヒトラーは小柄ではなかったが、「チビのチョビ髭」というイメージが[[チャーリー・チャップリン]]の映画『[[独裁者 (映画)|独裁者]]』以降定着するようになった。なお、ヒトラーは『独裁者』を二度鑑賞しているが、感想は遺されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、第二次世界大戦中には運動不足からヒトラーの体重は増加し、1944年1月には体重が230ポンド（約104kg）に達したという&amp;lt;ref&amp;gt;児島襄『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』6巻 228p&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーは遺伝的に[[薄毛]]で、前頭部から生え際が後退していることが写真で確認できる。また、ヒトラーには睾丸が一つしかなかったといわれるが、ヒトラーの主治医はこれを否定した。もっとも、実際にヒトラーの睾丸を見たかという点は定かではない。ソ連軍の遺体検証では左睾丸がなく、わざわざ恥骨に引っ込んでいるのではないかと調査しても見つからなかったという記録がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日常生活 ===&lt;br /&gt;
母がタバコ嫌いだったためか、自らもタバコを吸わず健康に気を遣い、部下やナチス高官が[[喫煙]]するのを見た時には、「体に悪いから」と禁煙するよう勧めるほどであったという。エヴァ・ブラウンを含め、ヒトラーの部下や周辺人物のほとんどが喫煙者であったが、ヒトラーの前やヒトラーが出入りする部屋で喫煙することは厳禁であった。さらに父が酒好きで酒場で[[脳血管障害|脳卒中]]をおこして死亡したせいか、飲酒もほとんどしなかった。[[バルジの戦い]]の初期、ドイツ軍の攻勢が順調に進んでいる事を祝ってヒトラーが[[ワイン]]を口にするのを見て驚いたという側近の証言が残されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同時代の国家指導者である[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]や[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]、[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]等が飲酒と喫煙を非常に好んだのとは対照的である。ただし、この過剰な健康志向は中年になり政治活動に身を投じてからのようで、ウィーンを放浪していた時期を知る人物によると、酒やタバコに手は出さなかったものの、深夜徘徊するなど乱れた生活を送っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボルマンが控えた『ボルマン覚え書き』によると、ヒトラーは放浪時代には喫煙をしていたが、金が底をついたために辞める決意をし、タバコを川へ捨てたと言葉を残していることから、放浪時代には喫煙をしていたことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どちらかといえば夜型であったため、軍会議などもしばしば深夜に行われることが多かった。また、会議が無い時でも明け方近くまで側近達を集めてティー・パーティを開いた。側近達は途中で退席することもできず、ヒトラーが眠るまでつきあわされた。このため昼間の業務も行わなくてはならない側近達は非常に苦労した。またようやくヒトラーが眠りにつくと、何事があろうと起こすことは許されなかった。これが災いして[[ノルマンディー上陸作戦]]の対応に遅れたとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
溺愛した姪の[[アンゲラ・ラウバル|ゲリ]]の自殺後は[[菜食主義者]]となったとされるが、実際には[[ダンプリング|レバーのダンプリング]]を食べることもあった。伝記作家のロバート・ペインによると、特にソーセージは好物であり、ヒトラーが厳格な菜食主義者であったとする神話は、ゲッベルスによる印象操作であるとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[[:en:Pierre Stephen Robert Payne|Robert Payne]]著『The Life and Death of Adolf Hitler』ISBN 978-0445082540&amp;lt;/ref&amp;gt;。戦時中には菜食主義者団体を弾圧したという説があったが、[[アメリカベジタリアン協会]]の歴史アドバイザーである[[リン・ベリー]]（[[:en:Rynn Berry]]）等に否定されている&amp;lt;ref&amp;gt;Rynn Berry著『Hitler: Neither Vegetarian Nor Animal Lover』ISBN 978-0962616969&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健康状態 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-H13192, Adolf Hitler im Sudetenland.jpg|thumb|220px|right|ズデーテンラントで食卓を囲むヒトラー（1938年）]]&lt;br /&gt;
ヒトラーは政治活動に身を投じてからより健康に気を遣い始めた。消化不良と時折の胃痛に悩んでいたため、食事も菜食中心に努め、飲酒や喫煙も控えた。しかし、1933年頃にはすでに体調を崩していた。ヒトラーは母親が癌で苦しんだ様を見ていたため、自らも癌で死ぬのではないかという思いにとりつかれ、しばしばその旨を語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1936年頃には胃痙攣、不眠、とめどない放屁、足の湿疹に悩まされるようになる。その治療にあたったのがエヴァ・ブラウンが紹介した開業医、[[テオドール・モレル]]であった。ヒトラーの症状は一時的に改善されたが、モレルの処方した薬には劇物が多かったため依存性や副作用が強く、ヒトラーの心身を次第に蝕んでいった。モレルの診断や処方する薬には他の医師達も懐疑的であり、エヴァを始めとする側近達も次第に不信感を強めたが、ヒトラーの信頼は厚く、最期を迎える寸前までモレルは主治医を務めた&amp;lt;ref&amp;gt;1944年10月1日には総統医師団の一人、軍医ギーシングがモレルの解任を求めた。しかしヒトラーは承諾しなかった。その後、ヒトラーの指示を受けたヒムラーによってモレル以外の総統専属医師は解任された。ただしモレルの治療と投薬は中止され、以降ヒトラーの治療は[[ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー|シュトゥンプフエッガー]]SS少佐が担当することになる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1942年頃から、彼の左手は震えはじめた。1944年頃になると震えに加えて背が猫背になり、よちよち歩きをするようになった。おまけに55歳の彼は老けて75に見えたという。戦局が悪化すると興奮することが多くなり、不眠症に拍車を掛けた。そのため体力も急速に衰え始め、数十メートルほどしか歩けなくなり、従者の体に寄りかかったり、総統専用のベンチに座って休憩をしなければならなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
左手の震えは、徹底した撮影アングルの規制と[[検閲]]によって記録フィルムからカットされたが、検閲漏れを起こしたニュース・フィルムと、カットされたものの破棄されずに残った一部のフィルムによって確認されている。映像を見た神経科医や、晩年のヒトラーと接見した[[親衛隊大佐]]兼国防軍軍医の[[エルンスト・ギュンター・シェンク]]教授は[[パーキンソン病]]と断定している。当時は治療法がなく、症状は確実に進み、肉体と思考能力を低下させていった。食事の際も震えはとまらず、右手も不自由になりしばしばスープをこぼしてシミがついた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シュペーアの証言では、晩年には美術学生時代のノウハウは失われ、対面した際地図に直線を引くつもりが線は次第に曲がっていった。署名も判読することができなくなり、ボルマンに悪用されることになった。視力も著しく衰え、専用の通常より三倍も大きな文字で打たれた書類ですら大きな虫眼鏡で目を通さなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[多汗症]]で、演説を終えた時にはシャワーを浴びなければならないほどであったという。若い頃から[[腋臭症]]による強い臭気を放ち、シュペーアは「暑くなり、彼が上着を脱ぐ動作を始めると背筋が凍った」という。{{要出典}}。しかし、コーカソイドやネグロイドが多数を占める社会では、腋臭形質を持つ者が持たない者の数を上回るため、社会的にごく一般的な人体形質とみられている。そのため、腋臭症であることを気にする人は日本と比べれば少ないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
運動不足を心配した医者に「私にとっての最大のスポーツは演説だ」と反論したことがある。事実あまりにも激しい熱弁を振るった後の彼の体重は数kgも減少していた。また、第一次大戦時の負傷、ミュンヘン一揆の際肩を脱臼していたため、激しいスポーツは出来なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 対人関係 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1987-004-09A, Amin al Husseini und Adolf Hitler.jpg|thumb|220px|[[パレスチナ]]の指導者のハーッジ・[[アミーン・フサイニー]]と会見するヒトラー（1941年）]]&lt;br /&gt;
ヒトラーは対人コミュニケーションにいささか問題があったようで、シュペーアによれば「彼は気取らないリラックスした会話ができなかったようだ」と観察し、「不機嫌な時の言葉は学童とほぼ同じ程度だった」と証言した。粛清された[[エルンスト・レーム]]も「彼は批判されるのが嫌いで、党内で彼の提案が疑問視されるとすぐさまその場から消え、自分が通じていない話をするのも嫌がった」と記している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「知識はあるが感性のない連中」と、高級軍人や官僚を始めとする知識人も嫌っており、自分の知識を見せるとまずいと案じた幹部は次第に口を出さなくなった。特に軍隊生活の最終階級が低かったため、ヒンデンブルク大統領や[[ゲルト・フォン・ルントシュテット]]や[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]らを筆頭とする国防軍士官の中枢を占めていた[[ユンカー]]との間には感情的なしこりが存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユンカー系の軍人らは陰で「ボヘミアの伍長」と侮蔑していた。また、軍事作戦に関して彼らが反対意見を述べたり、時に命令を無視することをヒトラーは快く思っていなかった。ヒトラーは平民出身者が多数を占める[[武装親衛隊]]を巨大化させ、これに対抗しようとした。このため、戦中も両組織の対立は決定的なものとなった。また、[[ヒトラー暗殺計画]]の関係者もユンカーが多数派であったこともあり、後にヒトラーは敗戦の責任をユンカーが多数を占める陸軍参謀本部が原因とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同時代の人物では政治家を志してから政権獲得まで、イタリアのベニート・ムッソリーニに心酔に近い感情を抱いていた事で知られている。豊富な学識から新しい政治思想「[[ファシズム]]」を理論化し、政治家としてもイタリアでの独裁権獲得と経済立て直しに成功していたムッソリーニをヒトラーは自らの手本としていた。バイエルン時代には自らが設計した党本部の執務室に[[フリードリヒ大王]]の絵画と共に、ムッソリーニの胸像を掲げていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だがムッソリーニの側はヒトラーを学の無い新参者と見下している向きがあり、「私は二流国の一流指導者なら、彼は一流国の二流指導者だ」と皮肉る発言をしている。実際にヒトラーと初会談の席を設けられた時も、ヒトラーを「道化者」と酷評している。ナチス政権成立後も主従的な間柄は続き、英仏との融和を模索するムッソリーニに対し、逆にヒトラーは外務省内の英仏派を退けてファシスト陣営の形成を目指している。しかし第二次世界大戦勃発後は目覚しい圧勝を重ねるドイツに対して、次第にイタリアの発言権は弱まっていった。これに従いヒトラーとムッソリーニの間柄も移り変わり、何時しか逆転した関係になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1971-016-31, Albert Speer, Adolf Hitler, Architekt Ruff.jpg|thumb|220px|right|設計図に手を入れるヒトラーとシュペーア（1934年）]]&lt;br /&gt;
一方で、ヒトラーは「自分の本質は政治家ではなく芸術家である」と信じており、優秀な芸術家（特に建築家）に対しては敬意と愛情を持って接した。建築家[[アルベルト・シュペーア]]（後、軍需相）への態度は格別で、シュペーアと建築の話をしだすと何時間でも熱中し、その間は政治的決裁はすべて後回しにされて側近を困らせた。ナチ党唯一の知識人を自認していた宣伝相[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]も、ヒトラーとの話の中には芸術の話題をちりばめてヒトラーを楽しませることに心を砕いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、側近達との[[ピクニック]]や[[散歩]]を好み、戦局がかなり悪化してからもティータイムを取ることを欠かさなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性関係 ===&lt;br /&gt;
ヒトラーは死の直前まで結婚しなかったが、ヒトラーが紳士であったことに加え、政治家として「女性からの支持を得るには独身のほうが都合がよい」と考えていたためだという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーの女性の好みは単純明快で、ふくよかな丸顔と脚線美を持つ女性を美人とみなした。姪の[[ゲリ・ラウバル]]には通常の叔父と姪の関係を超えた愛情を注ぎ、[[近親相姦]]関係にあったという説も唱えられている。しかしゲリは1931年に自殺し、ヒトラーは大きな衝撃を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーからアプローチをうけたと称する女性や、[[ユニティー・ヴァルキリー・ミットフォード]]や[[ヴィニフレート・ワーグナー]]など噂になった女性も少なからず存在している。中でもヴィニフレートはワーグナーの息子[[ジークフリート・ワーグナー|ジークフリート]]の未亡人であり、[[ワグネリアン]]として有名であったヒトラーの強い後援を受けており、彼女の主宰する[[バイロイト音楽祭]]は国家行事化していた。当時もヒトラーとヴィニフレートの結婚の噂が何度も流れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、確実にヒトラーと恋人関係になったといえるのは最期を共にした[[エヴァ・ブラウン|エヴァ（エーファ）・ブラウン]]のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv B 145 Bild-F051673-0059, Adolf Hitler und Eva Braun auf dem Berghof.jpg|thumb|220px|[[ベルクホーフ]]にて、エヴァ・ブラウンとヒトラー、愛犬ブロンディ（[[1942年]][[6月14日]]）]]&lt;br /&gt;
エヴァ・ブラウンとヒトラーが知り合ったのは[[1927年]]10月はじめのことで、ナチ党専属写真師ホフマンの写真館に勤めるエヴァに魅かれたヒトラーが食事や[[映画]]に誘うようになったという。しかし結婚を望むエヴァにヒトラーは応えなかった。1932年11月1日エヴァはピストル自殺を図ったが未遂に終わり、このとき自殺に失敗したエヴァが呼んだ医師は写真師ホフマンの義弟だったためにこのスキャンダルは内密におさまった。一般の病院に連絡しなかったという配慮にヒトラーはいたく感動し、以後二人の関係はいっそう深まった。エヴァは正式な結婚をあきらめ、影の恋人としてひたすら[[オーバーザルツベルク]]の[[ベルクホーフ]]でヒトラーを待つ生活を続けることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]]に戦局が悪化してベルリンの陥落が間近に迫った時、エヴァはヒトラーの反対を押し切り、ベルリンの総統地下壕にやって来た。ヒトラーは彼女に報いるため4月29日に結婚し、正式な夫婦となった。エヴァは周囲の人々に、とうとう結婚できた自分の幸せを喜び、「可哀そうなアドルフ、彼は世界中に裏切られたけれど私だけはそばにいてあげたい」と語ったという。翌日、ヒトラー夫妻は自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-2004-1202-500, Adolf Hitler, Joseph Goebbels, Tochter.jpg|thumb|220px|right|ゲッベルスの子供とヒトラー（1933年8月）]]&lt;br /&gt;
ヒトラーは身近な女性や子供に対しては親切で寛容であったという。秘書や使用人のミスに怒声を上げた事もなく、専属の調理婦には常に敬意をもって接していた。恰幅の良い女性に弱かったという証言もある。この傾向は敗戦が近づくにつれ顕著になっていった。個人的に接した子供たちからは「アディおじさん」と呼ばれて親しまれ、ヒトラー自身も子供を可愛がった。たとえば、宣伝相[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]に対しては常に、彼と[[マグダ・ゲッベルス|マグダ夫人]]との間に生まれた6人の子供の近況を話すように求めたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヒトラーの子供 ===&lt;br /&gt;
ヒトラーが第一次世界大戦に従軍した際、部隊の駐屯地であったフランス北部[[サン＝カンタン]]で現地の女性と親しい関係になり、男の子が生まれたという説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この説は[[1978年]]6月にミュンヘン現代史研究所の[[ヴェルナー・マーザー]]（[[:de:Werner Maser]]）が発表した。マーザーはその子供を、現地でドイツ兵の私生児として知られていたジャン＝マリー・ロレ（[[:en:Jean_Loret|Jean-Marie Loret]]）と推定した。ロレは母親が死ぬ際に父親がヒトラーであると語ったと証言していた。ロレの証言によると、ロレが生まれた時にはヒトラーは目の負傷により後方に送られていたため、ロレの存在は彼に伝えられなかったとしている。また、ロレは第二次世界大戦時には対独[[レジスタンス]]に加わり、ドイツ軍に逮捕されたこともあるが出自への同情からか釈放され、後は経済的支援を受けたと主張していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このニュースは世界中で話題となり、日本にも[[TBSテレビ|TBS]]のテレビ番組に出演するためにロレが訪れている。同年[[TBSブリタニカ]]から『ヒトラー・ある息子の父親』という書籍も発売されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ロレの叔母はロレの母親の相手であるドイツ兵はヒトラーではないと主張しており、ロレの母親が『ドイツ人の息子』と言っただけであるのに『ヒトラー』と勘違いしたとしている。その他多くの矛盾点も見つかり、マーザーの説を支持する者は少数派となった。[[1979年]]に[[アシャッフェンブルク]]で開かれた[[:de:Aschaffenburger Gespräche|歴史討論会]]においてこの問題が議論された際、マーザーは当初は静かだったが、突然「ヒトラーに非嫡出子がいたかどうかが問題」だと宣言し、以降の議論において完全に沈黙した。マーザーは経済的な理由でロレとも衝突し、以降ロレに言及することは無くなった。ロレはその後自叙伝を出したが、[[1985年]]に死亡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]になり[[ベルギー]]のジャーナリスト[[ジャン＝ポール・ムルダー]]（[[:nl:Jean-Paul_Mulders]]）はヒトラーの血縁者のDNA、及びロレのDNAを専門機関に送り比較の検査させた。その結果として「ロレはヒトラーの子供ではないという」結論を発表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 愛好家としてのヒトラー ===&lt;br /&gt;
==== 犬 ====&lt;br /&gt;
ヒトラーが愛犬家であったことは有名である。側近に「犬は忠実で主を最後まで裏切らない」と常々語っていた。第一次世界大戦に従軍した時、戦場で[[テリア]]犬を拾い、「フクスル」と名付け、餌を与え芸を仕込むなど可愛がった。その後盗まれたとの説があるが、ヒトラー自身が語るところによると大戦中陣から出たフクスルを追ってヒトラーが飛び出した直後、陣に砲弾が直撃してヒトラーは助かったが、フクスルは死んだという。ヒトラーは後年、犬が命を賭して助けてくれたと語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治家に転身した後も、ヒトラーは数頭の犬を飼っている。大成した後のヒトラーの愛犬は[[ジャーマン・シェパード・ドッグ|アルザス犬]]の「[[ブロンディ (犬)|ブロンディ]]」である。ブロンディは数匹の子犬を産み、ヒトラーの側近くで飼われ続けたが、自殺前の1945年4月末に自殺用の青酸カリの効能を確認するため薬殺された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 乗用車 ====&lt;br /&gt;
ヒトラーは乗用車愛好家（カーマニア）でもあった。ナチスが弱小政党だった1920年代初頭にナチス党財政の金策に私財を投じて質素な生活を送っていた中で車に執着し、自分の資産で買える範囲として初めて購入した車が天蓋がない中古車であった（ただし、ヒトラー自身が車を運転をすることはなかった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1933年にヒトラーは首相時代に自動車設計者の[[フェルディナント・ポルシェ]]がナチスに送った高性能小型大衆車構想に興味を示して、ポルシェと会談を行った。その後に、ベルリン自動車ショーの席上でアウトバーン建設と共に、国民車構想計画を打ち出して具現化が進む。しかし、ヒトラーはポルシェに対して国民車について低価格、頑丈性、低燃費、高速度、空冷など条件を突きつけたことで難航する（もっとも、ヒトラーの条件は価格を除けばポルシェの目指していた国民車コンセプトに多く合致していた）。しかし1938年には最終プロトタイプが完成し、1939年に工場建設も終了目前になり量産化目前になったが、第二次世界大戦勃発によって軍用車生産が優先となったため、この計画による大衆車生産が中止となった。しかし、この大衆車構想は戦争の中でも工業基盤が残り、最終プロトタイプは1945年に戦争が終了した後で[[フォルクスワーゲン・タイプ1|フォルクスワーゲン・ビートル]]となってドイツの国民車として浸透した。ビートルは2003年に生産終了となるまで65年の長期にわたって生産させ続ける伝説的大衆車となった。なお、ヒトラーがフォルクスワーゲンの試作車に乗っている写真が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 競馬 ====&lt;br /&gt;
ヒトラーが[[競馬]]好きであったことはあまり知られていない。特に[[フランス]]を[[占領]]後、フランスから数多の名馬をドイツに集め、ドイツの[[軽種馬]][[育種]]に、自殺する寸前まで関わっていた記録が残されている。ヒトラーの死後、名馬達は「[[美術品]]」扱いとして、ドイツからフランスに帰されて行った。1995年のジャパンカップで、ランドがドイツの生産馬として初めてジャパンカップを制したが、ランドの血統を調べた結果、ヒトラーの軽種馬育種の賜物である事が証明された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ディズニー ====&lt;br /&gt;
政治家になる前、画家を目指していたヒトラーは[[ディズニー]]作品のファンであった事は余り知られていない。政治家になった時も国税を遣い、「ディズニーを倒せ」とばかり国営アニメーションスタジオも立ち上げている。2008年2月23日付けの英[[テレグラフ]]紙の記事には、ヒトラーが描いたとされるディズニーキャラクターの水彩画4点が[[ノルウェー]]北部の戦争博物館で発見される。この水彩画は1937年公開の『白雪姫』のキャラクターをスケッチしたもので、同館長はドイツのオークションで300ドルで落札。スケッチの一つには「A.H.」のイニシャルが明記されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 記録 ==&lt;br /&gt;
テレビ番組などでは彼の映像はもっぱら白黒が用いられるが、実際にはカラー映像も数多く残されている（例：ベルリンオリンピック開会式やエヴァがベルヒテスガーデンで撮影したプライベートフィルム等）。ただし、当時はカラーフィルム黎明期で価格も高く、技術的に未成熟でまだまだ珍しく、彼の登場する公的記録映像（演説シーンなど）のほとんどは信頼性が高い白黒で撮影されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、幹部であるシュペーア、[[ヘルマン・ラウシュニング]]、[[エルンスト・ハンフシュテングル]]（[[:en:Ernst Hanfstaengl|en]]）、側近である秘書の[[トラウデル・ユンゲ]]や護衛兵であった[[ローフス・ミシュ]]などがヒトラーの言動を記した著書を残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヒトラーにまつわる仮説 ==&lt;br /&gt;
=== ヒトラー＝ユダヤ人説 ===&lt;br /&gt;
==== 疑問 ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Alois Hitler.jpeg|thumb|220px|アロイス・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
ヒトラーの父アロイス・ヒトラー（シックルグルーバー）の出生には不明な点があり、ヒトラーが[[ユダヤ人]]の血を引いているという説の根拠となっていた。異母兄アロイス2世の子であった[[ウィリアム・パトリック・ヒトラー]]が英米のマスコミに「アロイスの父親がユダヤ人である可能性がある」と吹聴したことが原因であるという向きもあるが、ヒトラー生存中からそれは根強く存在した。[[手塚治虫]]のフィクション漫画『[[アドルフに告ぐ]]』では物語のメインテーマとなった。ただ、そこには生存中はヒトラー政権へのダメージ、死後はヒトラーの犯罪性の緩和に利用する政治的意図があるのかもしれないと言われている&amp;lt;ref&amp;gt;一例として、1930年の総選挙の投票日にオーストリアの新聞「ヴィエンナ・ゾン・ウント・モンタグ・ツァイトング」が「ハイル・シックルグルーバー」という題名でヒトラーの家系図を掲載した。この新聞はベルリンなどにも配布されたが、これはオーストリア首相[[エンゲルベルト・ドルフース|ドルフース]]の工作であるとあるとされている。（[[児島襄]]「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラー自身もこのことをかなり気にしており、1930年にヒトラーの顧問弁護士であった[[ハンス・フランク]]（後のポーランド[[総督]]）に調査を命じている。ヒトラーは自分の祖父がユダヤ人ではないかと案じたせいか、調査はヒトラーの命令で中止されたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後に[[グラーツ大学]]のプレラドヴィク（Nikolaus Preradovic）[[教授]]が行った調査で、この地方に[[1856年]]（アロイス誕生の一年前）以前にユダヤ人が居住していたという記録は見つからなかった。このためプレラドヴィクはヒトラーの祖父がユダヤ人だった可能性はないとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 父の出生 ====&lt;br /&gt;
フランクの調査によると、ヒトラーの父親、アロイス・ヒトラー（シックルグルーバー）は1837年6月7日に、彼の母親マリア・アンナ・シックルグルーバーの私生児として、奉公先の[[グラーツ]]にあったフランケンベルガーまたはフランケンライターという裕福なユダヤ人の家庭で彼女が召使をしていた時に生まれたとされていた。しかし戦後の調査では住民台帳に記載されているフランケンベルガー家は地元バイエルン系のカトリック教徒であり、しかも当時は没落し貧乏になっていた。現在も父親は誰なのか判明していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、戦時中にはマリアの奉公先が[[ロスチャイルド]]家であるという風説も流れた。かつてヒトラーのスポンサーとなった[[フリッツ・ティッセン]]（[[:en:Fritz_Thyssen|en]]）は、亡命中の1941年にイギリスで発行した著書『I Paid Hitler』の中で「ヒトラーの祖母が[[ウィーン]]でロスチャイルド男爵家」で奉公し、若き日のヒトラーがウィーン滞在中にロスチャイルド家に宿泊したとしている。これは[[OSS]]がまとめたヒトラーの精神分析[[:en:The Mind of Adolf Hitler|The Mind of Adolf Hitler]]にも採用された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nizkor.org/hweb/people/h/hitler-adolf/oss-papers/text/oss-profile-04-01.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;が、現在マリアがウィーンで奉公していたという記録は見つかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて、アロイスが5歳になる時に旅まわりの粉挽き職人のヨハン・ゲオルク・ヒードラーとマリアは結婚したが、マリアはその5年後病死した。継父ヨハンは出奔したためにヒードラーの弟ヨハン・ネポムクにアロイス・シックルグルーバーは育てられた。1876年、アロイスはヒトラーと不法に姓を変更した（理由は不明だが、認知によってアロイスはヒトラーと改名した。しかし、法的には故人が父となる認知は訴訟によるほか認められず、しかも、母親が証言することが要件であるので、認知は手続き的には不法なものである）。ヒードラーではなくあえてヒトラーと改名したことも、当事者達や教会の間で真実でない何かを彼らが知っていたことを疑わせる根拠との指摘がある。ただし、このことについては単に言いやすい呼び方に変更したとの立場もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヒトラー生存説 ===&lt;br /&gt;
ヒトラーの遺体が西側諸国に公式に確認されなかった上、終戦直前から戦後にかけて、[[アドルフ・アイヒマン]]などの多くのナチス高官が[[Uボート]]を使用したり、[[バチカン]]などの協力を受け、イタリアや[[スペイン]]、[[北ヨーロッパ|北欧]]を経由してアルゼンチンやチリなどの[[中南米]]の友好国などに逃亡したため、ヒトラーも同じように逃亡したという説が戦後まことしやかに囁かれるようになった。その上、副官の[[オットー・ギュンシェ]]やリンゲらをはじめとするヒトラーの遺体を処分した腹心たちの証言がそれぞれ「銃で自殺した」「青酸カリを飲んだ」「安楽死」とまったく異なることも噂に火をつけた。戦後アルゼンチンで降伏した[[潜水艦]]「U977」のハインツ・シェッファー艦長は、ヒトラーをどこに運んだかを尋問されたことや、当時の新聞でのいい加減な生存説の報道ぶりを自伝の戦記に書き残している。アメリカやイギリスなどの西側諸国もこの可能性を本気で探ったものの、後に正式に否定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それらの噂には、「まだ戦争を続けていた同盟国日本にUボートで亡命した」という説や、「アルゼンチン経由で戦前に[[南極]]に作られた探検基地まで逃げた」という突飛な説、果ては「ヒトラーはずっと生きていて、つい最近[[心臓発作]]のため102歳で死去した」という報道（[[1992年]]。[[フロリダ州]]で発行されているタブロイド新聞より）まで現れた。その他、[[東機関]]（TO諜報機関とも）のアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコの証言の中に、「ヒトラーは自殺せず、ボルマンに連れられて逃亡した」というものもあるが、信憑性はきわめて低い。この生存説を主題にした作品の1つに[[落合信彦]]の『[[20世紀最後の真実]]』がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
俗説のひとつに、晩年のスターリンが「ヒトラーが生存しているのではないか」といううわさが立つたびに、自宅の裏庭から木箱を掘り起こし中の頭蓋骨を確認して埋め戻したというエピソードがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]9月、アメリカの考古学者[[ニック・ベラントーニ]]が、それまでヒトラーのものであるとされてきた頭蓋骨を鑑定。頭蓋骨が女性としての特徴を示したためにDNA鑑定を行ったところ、ヒトラーのものではなく非常に若い女性の頭蓋骨であると結論づけられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヒトラーを演じた俳優 ==&lt;br /&gt;
=== 映画 ===&lt;br /&gt;
* [[チャールズ・チャップリン]]『[[独裁者 (映画)|独裁者]]』ヒトラーを風刺した作品（但し劇中における正確な役名は「トメニア国」の「ヒンケル」）。&lt;br /&gt;
* [[ジョン・クリーズ]]『[[モンティ・パイソン]]』『[[フォルティ・タワーズ]]』など&lt;br /&gt;
* [[ブルーノ・ガンツ]] 『[[ヒトラー 〜最期の12日間〜]]』（[[ヨアヒム・フェスト]]と[[トラウデル・ユンゲ|トラウドゥル・ユンゲ]]原作によるドイツ語映画。原題：Der Untergang）&lt;br /&gt;
* [[ノア・テイラー]]『[[アドルフの画集]]』（第一次大戦後のヒトラーの画家時代を描いた映画。原題''Max''&lt;br /&gt;
* [[メル・ブルックス]]『[[メル・ブルックス珍説世界史PARTI]]』パロディ映画&lt;br /&gt;
* [[ロバート・カーライル]]『[[ヒットラー (映画)|ヒットラー]]』（[[クリスチャン・デュゲイ]]監督。二部構成）&lt;br /&gt;
* [[アレック・ギネス]]『[[アドルフ・ヒトラー/最後の10日間]]』（[[エンニオ・デ・コンチーニ]]監督。原題:HITLER: THE LAST TEN DAYS）&lt;br /&gt;
* [[アンソニー・ホプキンス]]『[[ヒトラー最期の日]]』（[[ジョージ・シェーファー]]監督。原題:THE BUNKER）&lt;br /&gt;
* [[レオニード・マズガヴォイ]]『[[モレク神]]』（[[アレクサンドル・ソクーロフ]]監督。原題:Moloch）&lt;br /&gt;
* [[アンドリュー・ヒューズ]]『[[大冒険]]』（[[古澤憲吾]]監督。[[クレージーキャッツ]]結成10周年記念作品&lt;br /&gt;
* [[デヴィッド・バンバー]]『[[ワルキューレ (映画)|ワルキューレ]]』（[[ブライアン・シンガー]]監督。原題: Valkyrie）&lt;br /&gt;
* [[マルティン・ヴトケ]]『[[イングロリアス・バスターズ]]』（[[クエンティン・タランティーノ]]監督。原題:Inglourious Basterds）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他、下記作品でもヒトラー役の俳優が出演する。&lt;br /&gt;
* 『[[ファーザーランド|ファーザーランド/生きていたヒトラー]]』（[[クリストファー・メノール]]監督。原題:FATHERLAND）&lt;br /&gt;
* [[マイケル・シェアード]]『[[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]]』（[[スティーヴン・スピルバーグ]]監督。原題:Indiana Jones and the Last Crusade）&lt;br /&gt;
* 『[[ベルリン陥落]]』（[[ミハイル・チアウレリ]]監督）&lt;br /&gt;
* 『[[ヨーロッパの解放]]』（[[イーゴリ・スラブネヴィチ]]監督）&lt;br /&gt;
* 『[[わが教え子、ヒトラー]]』（[[ダニ・レビ]]監督）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞台 ===&lt;br /&gt;
* [[日下武史]]『[[わが闘争]]』&lt;br /&gt;
* [[村上冬樹]]『[[わが友ヒットラー]]』 [[三島由紀夫]]作品、[[新潮文庫]]ほか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビ番組 ===&lt;br /&gt;
* [[宮内洋]]『[[ジャッカー電撃隊]]』（番場壮吉の変装バリエーションとして）&lt;br /&gt;
時空警察　ヒトラーのストーリーがあり、洗脳された風間優子(小池栄子が演じた)。が名前連呼するシーンがあった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ヒトラーを取り扱ったドキュメンタリー ==&lt;br /&gt;
* 「ヒトラー」[[1977年]]、西ドイツ（当時）&lt;br /&gt;
: ヒトラーの生涯とナチの盛衰を描いた、典型的なヒトラーのドキュメンタリー。&lt;br /&gt;
* 「放浪者と独裁者」（The Tramp and the Dictator）[[2001年]]、英独合作。監督：マイケル・クロフト、[[ケヴィン・ブラウンロウ]]&lt;br /&gt;
: 誕生日が4日違いのヒトラーとチャップリンの生涯を、「独裁者」完成までのストーリーを織り交ぜつつ対比させているドキュメンタリー。&lt;br /&gt;
* 「死因検証ファイル アドルフ・ヒトラー」[[2003年]]、（[[ディスカバリーチャンネル]]）アメリカ&lt;br /&gt;
: ヒトラーの持病と噂されてきた[[パーキンソン病]]や[[梅毒]]について、検証。&lt;br /&gt;
* 「ヒトラー家の人々」[[2005年]]、ドイツ&lt;br /&gt;
: ヒトラーの家系・家族に焦点を当てたドキュメンタリー。&lt;br /&gt;
* 「ヒトラーの山荘」（Exploring Hitler’s Mountain）[[2005年]]、ドイツSpiegel TV。監督：マイケル・クロフト&lt;br /&gt;
: [[2005年]]までベルヒテスガーデンにあったヒトラーの山荘「ベルクホーフ」を中心に、ヒトラーが構想した戦略を扱ったドキュメンタリー。公開年に山荘が解体されたので、貴重な記録である。&lt;br /&gt;
* 「ヒットラーと将軍たち」[[2005年]]、ドイツ&lt;br /&gt;
: ヒトラーと[[ヴィルヘルム・カイテル|カイテル]]、[[エルヴィン・ロンメル|ロンメル]]、[[ヴィルヘルム・カナリス|カナリス]]、[[フリードリヒ・パウルス|パウルス]]、[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン|マンシュタイン]]ら[[元帥 (ドイツ)|元帥]]との関係から、ヒトラーと国防軍の人物に迫った5部作のドキュメンタリー。&lt;br /&gt;
* 「[[葬られた歴史の真相]]」シリーズ 第1回『ヒトラーの死』（[[ナショナルジオグラフィックチャンネル]]）アメリカ&lt;br /&gt;
: 第二次世界大戦終結直後、ヒトラーの遺体と自殺の事実を隠蔽し、生存説を流布させ続けた旧ソ連スターリン書記長の思惑を解説。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アドルフ・ヒトラーの画像 ==&lt;br /&gt;
[[画像:アドルフ・ヒトラー_1.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_2.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_3.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_4.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_5.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_6.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_7.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_8.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラー_9.jpg|300px]][[画像:Soutou.jpg|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラーPNG_1.png|300px]][[画像:アドルフ・ヒトラーPNG_2.png|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|scroll3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著書・語録・書簡集 ===&lt;br /&gt;
* 完訳[[わが闘争]] （[[角川文庫]]上下 [[1973年]]、改版[[2001年]]） ISBN 404322401X、ISBN 4043224028&lt;br /&gt;
* 続わが闘争―生存圏と領土問題（角川文庫、2004年） ISBN 4043224036&lt;br /&gt;
: 別訳で、「ヒトラー第二の書」―自身が刊行を禁じた続・わが闘争（[[成甲書房]]、2004年）&lt;br /&gt;
* ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944 （[[三交社]]上下、1995年）ISBN 4879191221、ISBN 487919123X&lt;br /&gt;
* ヒトラーの遺言 [[1945年]]2月4日-4月2日 （[[原書房]]、[[1991年]]） ISBN 4562022469&lt;br /&gt;
* [[アンドレ・フランソワ＝ポンセ]]編 『ヒトラー＝[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]秘密往復書簡』 [[大久保昭男]]訳 （[[草思社]]、1996年）ISBN 4794207255&lt;br /&gt;
* ヴェルナー・マーザー編 『ヒトラー自身のヒトラー』 [[西義之]]訳（読売新聞社、1974年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関係者の回想と証言 ===&lt;br /&gt;
* [[アルベルト・シュペーア]] 『[[第三帝国]]の神殿にて ナチス軍需相の証言』 品田豊治訳（[[中公文庫]]上下、2001年）&lt;br /&gt;
* [[アウグスト・クビツェク]] 『アドルフ・ヒトラーの青春 親友クビツェクの回想と証言』 橘正樹訳（[[三交社]]、2005年）&lt;br /&gt;
* ゲルハルト・エンゲル 『第三帝国の中枢にて 総統付き陸軍副官の日記』 八木正三訳（バジリコ、2008年）&lt;br /&gt;
* [[トラウデル・ユンゲ]] 『[[ヒトラー 〜最期の12日間〜|私はヒトラーの秘書だった]]』 足立ラーベ加代・高島市子訳、（[[草思社]]、2004年） ISBN 4794212763&lt;br /&gt;
* [[ローフス・ミシュ]] 『ヒトラーの死を見とどけた男 地下壕最後の生き残りの証言』 小林修訳（草思社、2006年）&lt;br /&gt;
* 『ヒトラー・コード』 ヘンリク・エーベルレ、マティアス・ウール編 （高木玲訳、[[講談社]]、2006年）&lt;br /&gt;
* 『KGB秘調書 ヒトラー最期の真実』 （佐々洋子ほか訳、[[光文社]] 2001年）&lt;br /&gt;
* 『ヒットラーはこう語った』 アイバンホー・プレダウ編 （小松光昭訳、原書房、1976年）&lt;br /&gt;
* 『ヒトラーは語る 1931年の秘密会談の記録』 カリック編 （鹿毛達雄訳、[[中央公論社]]、1977年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヒトラーについての伝記 ===&lt;br /&gt;
; ※研究伝記の主要な著作、品切れ絶版も入る。当然ごく一部である。&lt;br /&gt;
* [[第三帝国の興亡]] （全5巻、新訳2008年-09年、[[東京創元社]]） [[ウイリアム・シャイラー]]著&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラー（トーランド）|アドルフ・ヒトラー]]（[[1979年]]、[[集英社]]上下、1990年に[[集英社文庫]]全4巻） [[ジョン・トーランド]]著&lt;br /&gt;
* アドルフ・ヒトラー （全2巻、[[1960年]]ほか、[[みすず書房]]） [[アラン・ブロック]]著&lt;br /&gt;
* ヒトラーと[[スターリン]] [[対比列伝]] （全3巻、草思社、[[2003年]]） アラン・ブロック著&lt;br /&gt;
* ヒトラーとスターリン 死の抱擁の瞬間 （上下、[[2001年]]、みすず書房）　&amp;lt;br&amp;gt; アンソニー・リード／デーヴィッド・フィッシャー共著&lt;br /&gt;
* [[ヒトラー（フェスト）|ヒトラー]] （上下、[[1975年]]、[[河出書房新社]]、原題「ヒトラー、ある伝記」）、[[ヨアヒム・フェスト]]著&lt;br /&gt;
* ヒトラーの秘密図書館 （[[2010年]]、[[文藝春秋]]）、ティモシー・ライバック著&lt;br /&gt;
* アドルフ・ヒトラー 五つの肖像 （2004年、[[原書房]]）[[グイド・クノップ]]著&lt;br /&gt;
* ヒトラー　権力掌握の二〇カ月（2010年、[[中央公論新社]]）グイド・クノップ著&lt;br /&gt;
* ヒトラーという男 史上最大のデマゴーグ （1998年、[[講談社]]選書メチエ）ハラルト・シュテファン著&lt;br /&gt;
* ヒトラーとは何か （初版1979年、草思社） セバスチャン・ハフナー著&lt;br /&gt;
* ヒトラー権力の本質 （1999年、新版2009年 [[白水社]]） イアン・カーショー著&lt;br /&gt;
* ヒトラー ある&amp;amp;lt;革命家&amp;amp;gt;の肖像 （2002年、[[三交社]]）マーティン・ハウスデン著&lt;br /&gt;
* ヒトラー伝 人間としてのヒトラー／政治家としてのヒトラー&amp;lt;br&amp;gt;　（全2巻、[[1976年]]、[[サイマル出版会]]）、ヴェルナー・マーザー著&lt;br /&gt;
* ヒトラー最期の日 （1975年、復刊1985年、筑摩叢書） [[ヒュー・トレヴァ=ローパー]]著&lt;br /&gt;
* ヒトラー最期の日 50年目の新事実 （1996年、[[原書房]]） エイダ・ペトロヴァ／ピーター・ワトソン著&lt;br /&gt;
* ヒトラー検死報告 法医学からみた死の真実（1996年、同朋舎出版）[[ヒュー・トーマス]]著&lt;br /&gt;
* [[ヒトラー 最期の12日間]] （2004年、[[岩波書店]]）ヨアヒム・フェスト著 ISBN 4000019341&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本人の研究著作 ===&lt;br /&gt;
* 村瀬興雄 『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景』（[[中公新書]]、1977年）&lt;br /&gt;
* [[大澤武男]] 『ヒトラーとユダヤ人』（[[講談社現代新書]]、1995年）&lt;br /&gt;
** 『青年ヒトラー』 （[[平凡社新書]]、2009年）&lt;br /&gt;
* ヒトラー全記録 20645日の軌跡 1889 - 1945 （[[柏書房]] 2001年） 、阿部良男編著&lt;br /&gt;
* ヒトラーとは何者だったのか? 厳選220冊から読み解く （[[学研ホールディングス|学研]]M文庫 2008年）、阿部良男編著&lt;br /&gt;
** ヒトラーを読む3000冊 （[[刀水書房]]、1995年）、阿部良男編著-'''この2冊はブックガイドの正続篇&lt;br /&gt;
* [[児島襄]] 『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』 （[[文春文庫]]全10巻、[[1993年]]）、'''初版は小学館全15巻&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦前戦中期の文献 ===&lt;br /&gt;
;※演説・語録、あくまでも一部である。&lt;br /&gt;
* 『ヒトラーの獅子吼 復興独逸の英雄ヒトラー首相演説集』滝清訳（日本講演社、1933年）&lt;br /&gt;
: 原題（Das junge Deutschland will Arbeit und Frieden 1933年）&lt;br /&gt;
* 『ナチとは何か』佐藤荘一郎訳（青年書房、1939年）&lt;br /&gt;
: （Adolf Hitlers Reden 第二版 1933年の訳）&lt;br /&gt;
* 『わが闘争』 [[大久保康雄]]訳 （[[三笠書房]]、1937年） 抄訳&lt;br /&gt;
* 『ヒットラー語録』西村隆三郎編訳（ヘラルド雑誌社、1939年）&lt;br /&gt;
* 『青年に檄す』近藤春雄編訳（[[三省堂]]、1940年）&lt;br /&gt;
* 『ヒトラー総統演説集』工藤長祝訳（鉄十字社、1940年）&lt;br /&gt;
* 『我が新秩序（上巻）』堀真人訳（青年書房、1942年）&lt;br /&gt;
* 『独逸の決戦態度 ヒトラー総統最近の宣言』工藤長祝訳（鉄十字社、1943年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[総統閣下シリーズ]]&lt;br /&gt;
* Hitler’s Jewish Friends http://younghitler.com/hitlers_jewish_friends.htm&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラーの政治観]]（[[:en:Adolf Hitler's political views]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラーの宗教観]]（[[:en:Adolf Hitler's religious views]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラーの演説一覧]]（[[:en:List of speeches given by Adolf Hitler]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラーの健康状態]]（[[:en:Adolf_Hitler's_health]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラーに関する書籍の一覧 (英語)]]&lt;br /&gt;
* [[素顔 (インタビュー集)]]（[[:en:Unmasked: two confidential interviews with Hitler in 1931]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラーの性的関係]]（[[:en:Sexuality of Adolf Hitler]]）&lt;br /&gt;
* [[優生学]]&lt;br /&gt;
* [[ゲルマニア計画]]&lt;br /&gt;
* [[ホロコースト]]&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラー・シューレ]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]&lt;br /&gt;
* [[国家社会主義ドイツ労働者党]]&lt;br /&gt;
* [[ハーケンクロイツ]]&lt;br /&gt;
* [[ジークハイル]]&lt;br /&gt;
* [[ゲシュタポ]] - [[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]] - [[突撃隊]] - [[ヒトラーユーゲント]]&lt;br /&gt;
* [[バーデンヴァイラー行進曲]]&lt;br /&gt;
* [[ヒトラーのキンタマ]]&lt;br /&gt;
* [[クララ・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
* [[ネオナチ]]&lt;br /&gt;
* [[ポル・ポト]]（「メコンのヒトラー」と呼ばれる）&lt;br /&gt;
* [[メイル・カハネ]]（「ユダヤのヒトラー」と呼ばれる）&lt;br /&gt;
* [[イディ・アミン]]（「ヒトラーを尊敬した人物」として知られている）&lt;br /&gt;
* [[サッダーム・フセイン]]（「中東のヒトラー」と呼ばれる。自身はヒトラーを嫌っていた）&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドル・ルカシェンコ]]（ヒトラーを尊敬している[[ベラルーシ]]の大統領）&lt;br /&gt;
* [[金正日]]&lt;br /&gt;
* [[サパルムラト・ニヤゾフ]]([[トルクメニスタン]]の元大統領)&lt;br /&gt;
* [[ベニート・ムッソリーニ]]&lt;br /&gt;
* [[東條英機]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{wikiquote|アドルフ・ヒトラー}}&lt;br /&gt;
{{Commons|Adolf Hitler}}&lt;br /&gt;
* [http://www.youtube.com/watch?v=bfy6R-nBCGQ Youtube【World War II In Color】Adolf Hitler] 阿道夫·希特勒「中文字幕」&lt;br /&gt;
* [http://ww2db.com/person_bio.php?person_id=G95 WW2DB: アドルフ・ヒトラー]&lt;br /&gt;
* [http://ww1.m78.com/weimal/weimal%20republic.html ワイマール共和国そしてヒトラー]&lt;br /&gt;
* [http://vvipvideo.com/hitler Hitler's Videos]&lt;br /&gt;
* [http://wais.stanford.edu/Dictators/dictators_hitlermussolini.htm Leadership: Hitler and Mussolini]&lt;br /&gt;
* [http://www.answers.com/hitler Answer.com: Hitler, several sources including Wikipedia]&lt;br /&gt;
* [http://www.adel-genealogie.de/Hitler/is_toc.htm Hitler's genealogy]&lt;br /&gt;
* [http://www.mondopolitico.com/library/meinkampf/introduction.htm Mondo Politico Library's presentation of Adolf Hitler's book, ''Mein Kampf'' (full text, formatted for easy on-screen reading)] [http://gutenberg.net.au/ebooks02/0200601.zip Project Gutenberg of Australia downloadable eBook]&lt;br /&gt;
* [http://www.historyplace.com/worldwar2/riseofhitler/25points.htm Hitler's 25 point national socialist program]&lt;br /&gt;
* [http://www.hierarchypedia.com/wiki/index.php/Hitler_family Hitler family genealogy]&lt;br /&gt;
* [http://www.threetwoone.org/diagrams/hitler-family-tree.gif A detailed chart of Hitler's family tree]&lt;br /&gt;
* [http://history1900s.about.com/library/holocaust/aa070197.htm Ancestry of Adolf Hitler: Who was Adolf's grandfather?]&lt;br /&gt;
* [http://samvak.tripod.com/hitler.html Assessment of Adolf Hitler]&lt;br /&gt;
* [http://www.straightdope.com/classics/a3_325b.html The Straight Dope: Was Hitler part Jewish?]&lt;br /&gt;
* [http://timelines.ws/countries/GERM1939_1944.HTML Timeline Germany 1939-1944]&lt;br /&gt;
* [http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/HitlerAdolf/ Hitler's life as a timetable] （ドイツ語）&lt;br /&gt;
* [http://www.lawschool.cornell.edu/library/donovan/hitler 1943 Psychological Profile of Hitler] written by Dr. Henry A. Murray for the wartime Office of Strategic Services [1943 OSS Archives, DD247.H5 M87 1943]&lt;br /&gt;
* [http://www.hitler.org/art/ Hitler's Art]ヒトラーの描いたスケッチや絵画を紹介しているサイト。&lt;br /&gt;
* [http://www.nizkor.org/hweb/people/h/hitler-adolf/oss-papers/text/profile-index.html OSS Psychological Profile of Hitler] 戦時中に行われたOSSによるヒトラーの精神分析。[[ニツコー・プロジェクト]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{flagicon|DEU1935}} [[ドイツの大統領|ドイツ国国家元首]]&lt;br /&gt;
 | years = 1934 - 1945&lt;br /&gt;
 | before = [[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]&lt;br /&gt;
 | beforenote = （ドイツ大統領）&lt;br /&gt;
 | after = [[カール・デーニッツ]]&lt;br /&gt;
 | afternote = （ドイツ国大統領）&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{flagicon|DEU1935}} [[ドイツの首相|ドイツ国首相]]&lt;br /&gt;
 | years = 1933 - 1945&lt;br /&gt;
 | before = [[クルト・フォン・シュライヒャー]]&lt;br /&gt;
 | after = [[パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{flagicon|DEU1935}} [[国家社会主義ドイツ労働者党|国家社会主義ドイツ労働者党指導者]]&lt;br /&gt;
 | years = 1921 - 1945&lt;br /&gt;
 | before = [[アントン・ドレクスラー]]&lt;br /&gt;
 | after = （党消滅）&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{flagicon|DEU1935}} [[国家社会主義ドイツ労働者党]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[突撃隊#突撃隊最高指導者|突撃隊最高指導者]]&lt;br /&gt;
 | years = 第5代：1930 - 1945&lt;br /&gt;
 | before = [[フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン]]&lt;br /&gt;
 | after = （党消滅）&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
{{s-mil}}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = [[陸軍総司令部|ドイツ国陸軍総司令官]]&lt;br /&gt;
 | years = 第3代：1941 - 1945&lt;br /&gt;
 | before = [[ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ]]&lt;br /&gt;
 | after = [[フェルディナント・シェルナー]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アドルフ・ヒトラー}}&lt;br /&gt;
{{ナチ党}}&lt;br /&gt;
{{ナチス・ドイツ}}&lt;br /&gt;
{{国家社会主義ドイツ労働者党党首|1921-1945}}&lt;br /&gt;
{{ヒトラー内閣}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひとら あとるふ}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|ar}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|el}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|es}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|he}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|nl}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|no}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|pt}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|sh}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|ceb}}&lt;br /&gt;
[[Category:アドルフ・ヒトラー|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ナチス・ドイツ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:第一次世界大戦期ドイツの軍人]]&lt;br /&gt;
[[Category:バイエルンの軍人]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドイツの首相]]&lt;br /&gt;
[[Category:ナチ党指導者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヴァイマル共和国の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1889年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1945年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:カッコ良すぎる漢]]&lt;br /&gt;
[[Category:カワイすぎる漢]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2&amp;diff=344752</id>
		<title>アンサイクロペディア</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2&amp;diff=344752"/>
				<updated>2017-09-13T14:49:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses3|フリー八百科事典のウェブサイト}}&lt;br /&gt;
'''アンサイクロペディア'''（Uncyclopedia）とは、ユーモア・風刺を目的とした[[ウィキペディア]]パロディサイト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
*ユーモアがどうとか言っているが、アンサイクロペディアの記事にユーモアらしきものは見当たらない。ガキが考えるようなかなり低レベルのギャグ？や、ただの悪口をブラックジョークだと言い張っている勘違い記事はたまに見られるが、まあとにかくクソである。記事を作った本人はおもしろいと思っているのだろうか？パロディ記事を目指しているのか'''失笑'''されることを目指しているのか不明である。&lt;br /&gt;
*'''サーバーが落ちすぎる。'''。重すぎる。'''ほんっと何やってんだ!ユーザーの気持ちわかっとんか?'''&lt;br /&gt;
*記事をせっかく書いても、反映されるのが遅い（10年前から、加筆部分の反映が全くされなくなった。履歴から最新版を参照しなければならない）。&lt;br /&gt;
*明らかに[[著作権]]の侵害と思しき記事や画像などが多く使われている。&lt;br /&gt;
**アンサイクロペディアにおけるユアペディアの記事は、'''ユアペディアにある「Chakuwikiの管理者」の記事の名刺部分だけを改竄したもの。'''さすがパロディを自称するだけのことはある。&lt;br /&gt;
*侮辱罪や名誉毀損に当たるような記事や、ユーモアと全く関係ない完全な個人的見解を堂々と保護しているにも関わらず、俺ルールや管理者の意思を優先（新規ユーザーによる新規ページ作成はイチャモンを付けて積極的に削除するなど）。&lt;br /&gt;
*「免責テンプレート」を貼れば、誹謗中傷がある程度許容される。&lt;br /&gt;
*[[野比のび太]]を悪く書いているが、仮管理者はのび太君と呼ばれている。&lt;br /&gt;
*[[アドルフ・ヒトラー]]と[[金正日]]を美化して書いている。&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア|本家]]顔負けの非常に厳しい[[検閲]]がある。&lt;br /&gt;
*近年大手検索サイトにおけるヒット率の上昇及びそれによる利用者の増加が見られるが、それとともに管理者&amp;amp;特定投稿人が権力を振りかざすようになり、理不尽な新記事の削除や、そういった姿勢に対し批判するユーザーへのブロックなど、まるで本家[[wikipedia]]と同様の様態を呈するようになって来た。&lt;br /&gt;
*事実を皮肉った[[ポケモン板]]の記事はチラシの裏にでも書いてろとすぐ削除するくせに、明らかにユーモアが欠けまくっている[[鴨厨(ポケモン)|鴨厨]]が書いた悪口だらけのカスミとヒカリの記事は削除しない。&lt;br /&gt;
*データが幾度となく予告なく消失する。&lt;br /&gt;
*管理者権限の付与や剥奪が[[Asakaze|こういう奴]]や[[Muttley|天皇]]の一存にゆだねられており、半ば独裁。&lt;br /&gt;
*知名度が急上昇してるのか、外国からも意味不明な投稿や荒らし行為が行われている。&lt;br /&gt;
**更に暴走を抑えようと[[投稿ブロック]]で誤爆すると、相手の荒らし行為を棚に上げて更にあらゆる言いがかりをつけて逆に投稿ブロックにする。&lt;br /&gt;
*自分が作成した記事を後日改修しても「荒らし」と判断され、その日のうちに無期限の編集停止などの措置も行われているほどであり[[ウィキペディア|本家]]よりも厳しく独裁的かつ規制の基準が不明である。&lt;br /&gt;
*ウィキペディアが一般利用者へ募っている寄付金で購入されたサーバのディスクスペースにも、アンサイクロペティアは活用されているようだ。&lt;br /&gt;
*[[埼玉県]]をダ埼玉県と言うけど、あいつらは、&amp;lt;s&amp;gt;ダ&amp;lt;/s&amp;gt;サイクロペディアンだ。&lt;br /&gt;
*東方信者に都合の悪い記述は問答無用ですぐに削除される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 編集方針 ==&lt;br /&gt;
あからさまな差別記事は、削除という方針である。しかし、遠まわしな差別記事は、ユーモアとして許容される。以下に例を載せる。&lt;br /&gt;
*[[パクリ]]→[[大韓民国]]に転送。[[盗作]]→[[韓国式作曲法]]に転送。、その記事中で「朴理（パクリ）」という韓国の主要産業であると説明している（大韓民国#朴理（パクリ） - アンサイクロぺディア]）。また、[[盗作]]は韓国式作曲法に転送され、ここでは上記の「朴理」を用いて作曲する手法であると述べられている（盗作 - アンサイクロぺディア]）。さらに、[[強姦]]は韓国の国技・朝鮮民族（[[ネット右翼]]の脳内に存在する[[UMA]]で、拉致と食糞が特徴）という記事もある。&lt;br /&gt;
*[[特定アジア]]という記事があり、[[大阪民国]]が含まれる。&lt;br /&gt;
などの人種差別（特に韓国を揶揄する）の記事が多数存在する。&lt;br /&gt;
*[[自由民主党 (日本)|自民党]]・[[創価学会]]・[[公明党]]など政権党や[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[日本共産党|共産党]]・[[社会民主党|社民党]]などの野党まで、政治家を揶揄する記事もある。&lt;br /&gt;
*[[亀田大毅]]が切腹して死んだことになっており、切腹してない等と書き込めば削除される（ただし、亀田はその8日後に復活したことになっている）、切腹してない等と書き込めば削除される。&lt;br /&gt;
*一番揶揄の対象になっているのは、[[hyde]]である。彼の低身長を揶揄する記事が多くみられる（関係の無いところで「'''[[hydeの身長は156cm]]である'''」と書き加えられている）。&lt;br /&gt;
*[[アニメ]]や[[声優]]といったサブカルチャー系の記事が豊富である。また、[[2ちゃんねる]]や[[ニコニコ動画]]と関わりの深い項目が多くあることから、[[2ちゃんねらー]]や[[ニコ厨]]の関与が多いと思われる。&lt;br /&gt;
*有名な記事として『'''エクストリーム・謝罪'''』が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアの問題点 ==&lt;br /&gt;
ユーモアとは名ばかりの批判・中傷が多数存在する。WIKIPEDIAと同じく管理者や利用者の縄張り意識が強く、かれらの気に食わない書き込みをすると、難癖をつけて消去される（例：「文字数が少ない」「どうしようもない記事」など。その記事よりずっと文字数の少ないページが存在していようが都合の悪い事は無視）。※削除されたものについては[[:Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事|基地外どもの検閲]]を参照の事。酷い時には投稿ブロックされてしまったりと、記事の基準があいまいなために本家ウィキより醜い争いが繰り広げられることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逆に管理者や有力ユーザーが書き込んだ記事については、どんな糞記事（妄想・内輪ネタ・悪口など）であっても除されない。（例：[[ひよこ陛下]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにアンサイクロペディアでは、管理者と一部の悪質な利用者による恣意的な管理がまかり通っている。この傾向は近年とみに酷くなり、新規ユーザーによる新項目の書き込み等に対し色々とケチを付けて積極的に潰している。反面、過去の糞記事は何のかんのと理由をでっちあげて保護する(若干の例外もあるにはあるが、元々パロディサイトという性質を鑑みると、現状ごく些少というのが正直な所である)。また、一人の利用者がある発言をすると管理者を含めた他の利用者達も同じようなことを言う。（例:削除議論、差し戻しなど）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
滑稽なのは、アンサイクロペディアの「[[マスコミ]]('''マスゴミ'''と書いても同じ所に通じる)」という項目であろう。いわく「'''マスコミがネットを『悪』と決め付けるのは、そこに流れる「生」の情報がマスコミの意図的な偏向姿勢を露見してしまうからである'''」･･････アンサイクロペディア自身がこの記事で言うところの「マスゴミ」になっているわけだが、'''当のアンサイクロペディア（の管理側）は気付いていない'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者によって無期限ブロックされたユーザーの利用者ページには、以下のような悪意に満ちたテンプレートが貼られる。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;messagebox standard-talk plainlinks&amp;quot; style=&amp;quot;float:center;background-color: wheat; border:solid goldenrod 1px; margin: auto; padding:5px; width:auto; text-align:center; clear:both&amp;quot;&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;6&amp;quot; | [[Image:Book of kralnor.jpg|85px|無期限ブロック]]  &lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;font-size:large&amp;quot; |'''すべての賞賛と栄光は、彼らのものです！'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|このユーザはついに[[Uncyclopedia:馬鹿にならずにバカバカしくやる方法|バカ]]の[[金正日|帝王]]の栄誉を獲得しました。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|彼らのサイトに対するあふれんがばかりの貢献と才能のため、彼らは一切の雑用から解放されたのです。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|その他の栄誉とは異なり、この栄誉は生涯継続されます。彼らはもはや[[Special:Contributions/{{PAGENAME}}|以前の仕事]]には戻りません。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|もしあなたが会話の回答を期待しても残念ながら失望するだけです。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|そのようなちっぽけな仕事は彼らの[{{fullurl:Special:Ipblocklist|ip={{PAGENAME}}}} '''タスクリスト''']上には存在しないからです。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的にアンサイクロペディアにおいては[[wikipedia]]の風刺も容認されているが、その風刺対象であるwikipediaが陥っている落し穴に、'''自らもまたそれをトレースするかのごとくすっぽりと嵌っている'''その様は、まるで'''自分で自分を風刺してくれ'''、と言わんばかりの滑稽なアイロニーであるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
但しアンサイクロペディアの場合、ウィキペディアとは決定的に異なり「公平中立」「公正明大」「百科事典」という'''自ら掲げる建前も元より存在せず'''、かつ大手検索サイトと密接な繋がりを持つウィキペディアと異なり、アンサイクロペディアはあくまでマイノリティとしてのスタンスを('''むしろ意図的に''')堅持しており、その属性としても前述のウィキペディアにおける「建前」が存在しない為、ここユアペディアと同様に形式的にはウィキペディアと同じようなものであっても、あくまで、ごく「私」的なHPであるという事であり、である以上、こういった諸々の問題点も(道義的にはともかく)形式的には「問題ない」「嫌なら見るな」で片付けられてしまう帰来があるようだ。ただし近年は少しずつメジャーに近付いており(後述)、このまま順調に世間一般への認知度が高まっていけば、それにつれてそういった杜撰な対応が自分の首を絞める事になるといった、ウィキペディア(特に日本語版)の陥っているドロ沼を忠実になぞっている傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、反感を覚えた一部の利用者が立ち上がり、日本さいころペディアを立ち上げたが、さびれてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2ちゃんねるの反応 ===&lt;br /&gt;
ttp://gadgetlife2ch.blomaga.jp/articles/34555.html&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== このページに戦いを挑んで敗退したアンサイクロペディアン一覧 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:AOI]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:根岸明穂]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:ゆーきん]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディア英語版の利用者]]&lt;br /&gt;
* [[アンサイクロペディアの怖さ]]&lt;br /&gt;
* [[hydeの身長は156cm]]&lt;br /&gt;
* [[あああああああああ!]]&lt;br /&gt;
* [[ユアペディア (アンサイクロペディアンの妄想)]]&lt;br /&gt;
* [[アンサイ八分]]&lt;br /&gt;
* [[ネトゴミ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部サイト ==&lt;br /&gt;
* [http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 アンサイクロペディア]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あんさいくろへていあ}}&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディア|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウェブサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC&amp;diff=344750</id>
		<title>セブンスター</title>
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				<updated>2017-09-13T14:45:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| align=right cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:left; border:1px solid #d3d3d3; background:#f5f5f5;&amp;quot;&lt;br /&gt;
! colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;width:100%; font-size:120%;&amp;quot;|セブンスター&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 英語表記&lt;br /&gt;
| Seven Stars（一部ボックスはSEVEN STARS表記）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 種類&lt;br /&gt;
| [[タバコ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 発売&lt;br /&gt;
| [[1969年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 製造販売元&lt;br /&gt;
| [[日本たばこ産業]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 外部リンク&lt;br /&gt;
| [http://www.jti.co.jp/products/tobacco/sevenstars/ セブンスター]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''セブンスター'''（Seven Stars、一部ボックスはSEVEN STARS表記）は、[[日本たばこ産業|日本たばこ産業（JT）]]から製造・販売されている[[日本]]の代表的な[[たばこ]]の銘柄の一つで、JTの主力銘柄のひとつ。通称に「セッター」などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[1969年]]（昭和44年）[[2月1日]]、日本で初めてチャコールフィルターを採用したタバコとして発売された。国産の葉タバコを中心としたドメスティックブレンドと呼ばれる日本独自の製品で、現在でもJTの全銘柄の中で販売実績上位に必ず入っている人気銘柄。オリジナルのソフトパックは、[[1975年]]から[[1977年]]まで売り上げ第1位を記録し、その後は派生商品のマイルドセブン（現：[[メビウス (タバコ)|メビウス]]）のオリジナル・ライト・スーパーライトに次ぐ売り上げとなっていたが、2008年度第1四半期（4月 - 6月）に売り上げ第1位に返り咲き、2012年現在でもその座を守り続けている。愛称は「セッタ」、「ブンタ」、「七つ星」など。メンソールは「セタメン」など。これまでに巻紙やチップペーパーのデザインと長さの変更は何度か行われたが、星小紋のパッケージの目立ったデザイン変更は発売当初から行われていない（[[1993年]]にキングサイズに変更された際および1999年にボックス製品の&amp;quot;Seven Stars&amp;quot; のロゴに若干の変更が加えられた）。21世紀に入ってからは、低タール製品･メンソール製品などの発売が行われている。[[2009年]]（平成21年）[[8月3日]]発売の「セブンスター・ブラック・チャコールメンソール・ボックス」（[[2011年]][[2月]]下旬にセブンスター・ソリッド・メンソール・ボックスにリニューアル）では、活性炭を特殊な膜で覆い、メンソールの吸着を防いだ「アドバンスド・チャコールテック・フィルター」を採用することで、日本で初めてメンソールタバコにチャコールフィルターを採用した商品として発売されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[2010年]][[10月1日]]よりたばこ税増税のため、セブンスターシリーズは全て一律440円に値上げされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年3月中旬頃にパッケージを変更した。&lt;br /&gt;
#背景の星小紋の色（金/銀）に高輝度インクを使用&lt;br /&gt;
#封かん紙の星小紋の色を白から銀に変更&lt;br /&gt;
#オープニングテープの銀色の輝きを高め艶を出した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==モータースポーツ==&lt;br /&gt;
[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]]等の耐久レースの[[本田技研工業]]のワークスチームで「セブンスターホンダ」として、[[2003年]]から2台体制で参戦しており、翌年の鈴鹿8耐で7号車（ライダー：宇川徹・井筒仁康）が総合優勝を果たし、[[2005年]]は7号車（ライダー：宇川徹・清成龍一）が総合優勝、11号車（ライダー：藤原克昭・クリスバーミューレン）が2位となり1-2フィニッシュとなった。また、8耐期間中の鈴鹿サーキットにおいてSeven Stars Honda限定パッケージのセブンスターが販売された。&lt;br /&gt;
==宣伝活動==&lt;br /&gt;
オリジナルシリーズに[[豊川悦司]]、カスタムライト（現在のミディアム）に[[杉本哲太]]、メンソールシリーズに[[照英]]を起用していた時期があった。セブンスターのキャッチフレーズは「SILENT SMOKE（1990年代後半 - 2000年代初頭）」「静かに、高ぶる。（現在）」、メンソールシリーズは「味わえるメンソール」「ゆるぎない、強メンソール。」である。[[2002年]]のカスタムライトとメンソールライトのデザイン変更時のキャッチフレーズは、カスタムライトが「ALL NEW」、メンソールライトが「BOX NEW」であった。ブラック・チャコールメンソールの発売時のキャッチフレーズは、「日本唯一。鋭さ極めた、チャコールメンソール。」、廃止商品のキャッチコピーはブラック・インパクトが「冴えるキレ味、うまさ際立つブラック。」、ライト・メンソールが「突き刺さる、強メンソール。」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は、「セブンスターと響きあう男たち」と題して、[[ブンブンサテライツ]]、CHAKI（[[THE LOWBROWS]]）、大野雅央（ripvanwinkle）がWeb上や雑誌広告などで起用されている。現在のそれぞれの商品のキャッチフレーズは、オリジナルが「ただひとつ、確かな味わい。」、ミディアムが「ゆずれない、うまさ。」、ライトが「研ぎ澄まされた、うまさ。」、ソリッドが「冴えるキレ味。ソリッドテイスト。」、ディープ・メンソールが「深く鋭く。ディープ・メンソール。」、ソリッド・メンソールが「鋭さ際立つ。ソリッド・メンソール。」、カッティング・メンソールが「極細。メンソール、一点集中。」、アラスカ・メンソールが「過激な冷たさ。アラスカ・メンソール。」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==製品一覧==&lt;br /&gt;
===現行販売製品===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;toccolours&amp;quot; border=&amp;quot;1&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse: collapse;  font-size: 0.8em; background: white;&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#ffcccc; white-space:nowrap;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!製品名&lt;br /&gt;
!発売年月日&lt;br /&gt;
!価格&lt;br /&gt;
!本数&lt;br /&gt;
!タール&lt;br /&gt;
!ニコチン&lt;br /&gt;
!販売地域&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター&lt;br /&gt;
|1969年2月1日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |14mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |1.2mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2005年に数量限定で[[阪神タイガース]]パッケージが発売。また、限定パッケージとして2008年にブラックエディションが、2009年にスペシャルエディションがそれぞれ数量限定で発売された。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター・ボックス&lt;br /&gt;
|1995年8月1日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |14mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |1.2mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2007年に数量限定でサイドスライドボックス（リミテッド・エディション）が発売。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター・ミディアム・ボックス&lt;br /&gt;
|1990年5月1日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |10mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.8mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2008年10月まではカスタムライト・ボックスの名称。ボックストップが金色だった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター・ライト・ボックス&lt;br /&gt;
|2004年7月1日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.7mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;[[2004年]]の発売当初は福岡県限定の商品だったが、その翌年の[[2005年]]からは全国販売に販売エリアを拡大。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター・ソリッド・ボックス&lt;br /&gt;
|2010年4月1日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.7mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2011年2月下旬より「セブンスター・ブラック・インパクト・ボックス」からリニューアルした。味は刺激が抑えられ、吸いやすさが高まった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#66cc66&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・ディープ・メンソール・ボックス&lt;br /&gt;
|2000年8月1日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |12mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.9mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2007年・2009年に数量限定でサイドスライドボックス（リミテッド・エディション）が発売。2011年2月下旬までは「セブンスター・メンソール・ボックス」だったが、プレーンフィルターからチャコールフィルターに変更され、メンソール感がより強くなった。また。ニコチン表示値が0.8mgから0.9mgになっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#66cc66&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・ソリッド・メンソール・ボックス&lt;br /&gt;
|2009年8月3日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.6mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;日本初のチャコールフィルター・メンソール。2011年2月下旬までは「セブンスター・ブラック・チャコール・メンソール・ボックス」だったが、リニューアルされ、メンソール感がより強くなった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#66cc66&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・カッティング・メンソール&lt;br /&gt;
|2011年8月29日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.6mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;セブンスター初のスーパースリム製品。フィルターはフレーバー・スレッド入りプレーンフィルター。2011年11月中旬より、さらにメンソール感を高めている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#66cc66&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・アラスカ・メンソール・ボックス&lt;br /&gt;
|2008年12月2日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |5mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.4mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2011年10月より[[セーラム (タバコ)|セーラム]]・アラスカ・メンソールからブランド移行。フィルターはフレーバー・スレッド入りプレーンフィルター。トリプルミント製法として、ペパーミント・コーンミント・スペアミントを最適なバランスでブレンドし、刻み・フィルター・内包アルミの3つの部位にメンソールを加香することで、よりメンソール感を際立たせ、「凍りつくような超強メンソール感」を実現している。 &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#66cc66&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・メンソール・スナップボックス&lt;br /&gt;
|2012年9月3日&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.7mg&lt;br /&gt;
|地域限定&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===販売終了製品===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;toccolours&amp;quot; border=&amp;quot;1&amp;quot; style=&amp;quot;border-collapse: collapse;  font-size: 0.8em; background: white;&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;1&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#bdbdb7; white-space:nowrap;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!製品名&lt;br /&gt;
!発売年月日&lt;br /&gt;
!廃止年月&lt;br /&gt;
!価格&lt;br /&gt;
!本数&lt;br /&gt;
!タール&lt;br /&gt;
!ニコチン&lt;br /&gt;
!販売地域&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター・EX&lt;br /&gt;
|1986年10月1日&lt;br /&gt;
|1993年12月&lt;br /&gt;
|240円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |14mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |1.3mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;1986年当時、ロングサイズ（80mm）だったセブンスターのキングサイズ（85mm）版として発売。ただし、葉のブレンドは異なり、ドメスティックブレンドではなくマイルドセブンと同じアメリカンブレンドであった。また、当時のセブンスターとの比較でT値は1mg低く、N値は0.1mg高く設定されていた。セブンスターの1993年のキングサイズ化に伴い廃止。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;white-space:nowrap;&amp;quot; |セブンスター・カスタムライト&lt;br /&gt;
|1993年11月1日&lt;br /&gt;
|1995年10月&lt;br /&gt;
|240円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |11mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |1.0mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|ソフトパック&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|セブンスター・ブラック・インパクト&lt;br /&gt;
|2009年2月2日&lt;br /&gt;
|2011年5月&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.7mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;黒を身にまとったセブンスター。発売40周年記念として発売された。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background-color:#9dd29c&amp;quot;&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |セブンスター・メンソール・ライト・ボックス&lt;br /&gt;
|2001年6月4日&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;white-space:nowrap;&amp;quot; |2008年10月31日&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;white-space:nowrap;&amp;quot; |300円&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;white-space:nowrap;&amp;quot; |20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |8mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.6mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |{{Nowrap|規格変更に伴いソフトパッ}}クのライト・メンソールとのタール値統一&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#9dd29c&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・ライト・メンソール&lt;br /&gt;
|2008年2月4日&lt;br /&gt;
|2011年5月&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.6mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;限定パッケージとして2009年にスペシャルエディションが数量限定で発売された。ボックストップが黄緑色。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#9dd29c&amp;quot;&lt;br /&gt;
|セブンスター・ライト・メンソール・ボックス&lt;br /&gt;
|2008年11月1日&lt;br /&gt;
|2011年5月&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.6mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|&amp;lt;ref&amp;gt;2008年11月に名称および喫味変更（ソフトパックと統一）。2009年に数量限定でサイドスライドボックス（リミテッド・エディション）が発売。2008年10月まではメンソールライトの名称でボックストップが銀色だったが、パッケージ変更時に黄緑色に塗り替えられた。パッケージはソフトパックと同じ。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |セブンスター・レボ・スーパーライト・ボックス&lt;br /&gt;
|2005年7月1日&lt;br /&gt;
|2011年1月&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |5mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.5mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |[[D-spec]]　ライトとカスタムライトの葉を使っている。&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#9dd29c&amp;quot;&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |セブンスター・レボ・ライト・メンソール・ボックス&lt;br /&gt;
|2005年2月1日&lt;br /&gt;
|2011年1月&lt;br /&gt;
|440円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |7mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.6mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |D-spec　セブンスターメンソールの葉を使っている。&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#9dd29c&amp;quot;&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;line-height:1.4em;&amp;quot; |セブンスター・レボ・ウルトラライト・メンソール・ボックス&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;white-space:nowrap;&amp;quot; |2006年1月16日&lt;br /&gt;
|2009年1月&lt;br /&gt;
|320円&lt;br /&gt;
|20本&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |3mg&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot; |0.2mg&lt;br /&gt;
|全国&lt;br /&gt;
|D-spec&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[美瑛町]] - [[1976年]]にテレビCMで使われた柏の木があり、「セブンスターの木」と名付けられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.jti.co.jp/products/tobacco/sevenstars/ セブンスターファミリー | JT ウェブサイト]&lt;br /&gt;
*[http://www.e-7stars.jp/ SevenStars（JT）] - ログインが必要&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:せふんすた}}&lt;br /&gt;
[[Category:タバコの銘柄]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本たばこ産業]]&lt;br /&gt;
[[en:Seven Stars (cigarette)]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%82%AA%E5%BE%B3%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=344749</id>
		<title>悪徳企業の一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%82%AA%E5%BE%B3%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=344749"/>
				<updated>2017-09-13T14:42:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
{{Otheruses3|詐欺を行う企業の一覧|従業員を奴隷のごとく扱う企業の一覧|ブラック企業の一覧}}&lt;br /&gt;
'''悪徳企業の一覧'''（あくとくきぎょうのいちらん）は、詐欺を行う企業の一覧のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 全国区 ==&lt;br /&gt;
*[[ステーキハウスけん|エムグラントフードサービス]]&lt;br /&gt;
*[[理化学研究所]]（[[理研ビタミン]]等）&lt;br /&gt;
*[[共同通信社]]&lt;br /&gt;
*[[時事通信社]]&lt;br /&gt;
*[[東洋経済新報社]]（週刊東洋経済）&lt;br /&gt;
*[[シナノ企画]]&lt;br /&gt;
*[[LINE (企業)|LINE]]&lt;br /&gt;
*[[ユニマット]]&lt;br /&gt;
*[[ベネッセ]]&lt;br /&gt;
*[[川崎重工業]]&lt;br /&gt;
*[[アルペン (企業)|アルペン]]&lt;br /&gt;
*[[オリコン]]（[[オリコン・エンタテインメント]]等）&lt;br /&gt;
*[[NHK]]&lt;br /&gt;
*[[ソフトバンク]]（[[ソフトバンクテレコム]]、[[ソフトバンクモバイル]]等）&lt;br /&gt;
*[[みずほフィナンシャルグループ]]（[[みずほ銀行]]、[[宝くじ]]等）&lt;br /&gt;
*[[ジャパンレンタカー]]&lt;br /&gt;
*[[損保ジャパン日本興亜ホールディングス]]（[[損害保険ジャパン日本興亜]]、[[セゾン自動車火災保険]]等）&lt;br /&gt;
*[[ミクシィ (企業)|ミクシィ]]&lt;br /&gt;
*[[アムウェイ]]&lt;br /&gt;
*[[ニュースキン]]&lt;br /&gt;
*[[ゲームフリーク]]&lt;br /&gt;
*[[小松製作所]]&lt;br /&gt;
*[[TBS|東京放送ホールディングス]]（[[TBSテレビ]]、[[赤坂サカス]]、[[JNN]]各局([[毎日放送]]・[[中部日本放送]]・[[中国放送]]・[[RKB毎日放送]]・[[東北放送]]・[[北海道放送]]・[[新潟放送]])等）&lt;br /&gt;
*[[毎日新聞]]（[[変態新聞]]）&lt;br /&gt;
*[[フジ・メディア・ホールディングス]]（[[フジテレビ]]、[[ビーエスフジ]]等）&lt;br /&gt;
*[[楽天]]（楽天市場、楽天証券等）&lt;br /&gt;
*[[メットライフ生命保険]]&lt;br /&gt;
*[[日本テレビホールディングス]]（[[日本テレビ放送網]]等）&lt;br /&gt;
*[[読売新聞]]（[[讀賣テレビ放送]]等）&lt;br /&gt;
*[[テレビ東京]]&lt;br /&gt;
*[[TOKYO MX]]&lt;br /&gt;
*[[テレビ埼玉]]&lt;br /&gt;
*[[千葉テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[テレビ神奈川]]&lt;br /&gt;
*[[クボタ]]&lt;br /&gt;
*[[プレナス]]（ほっともっと等）&lt;br /&gt;
*[[とちぎテレビ]]&lt;br /&gt;
*[[群馬テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[はるやま商事]]&lt;br /&gt;
*[[東京モノレール]]&lt;br /&gt;
*[[アヴァンス法律事務所]]&lt;br /&gt;
*[[アディーレ法律事務所]]&lt;br /&gt;
*[[ニチイ学館]]（COCO塾等）&lt;br /&gt;
*[[フーズフォーラス]]&amp;lt;ref&amp;gt;すでに廃業済み&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[三井物産]]（[[三井食品]]、[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル]]、[[三井石油]]、[[キッズステーション]]等）&lt;br /&gt;
*[[味の素]]（[[味の素ゼネラルフーヅ]]、[[ダノンジャパン]]）&lt;br /&gt;
*[[吉本興業]]&lt;br /&gt;
*[[小林製薬]]&lt;br /&gt;
*[[武田薬品工業]]（[[天藤製薬]]、[[あすか製薬]]、[[千寿製薬]]、[[帝国臓器製薬]]、[[ジョンソン・エンド・ジョンソン]]、[[日本製薬]]等）&lt;br /&gt;
*[[セブンアイ]]（[[イトーヨーカ堂]]、[[セブンイレブン]]、[[デニーズ]]、[[そごう]]、[[西武デパート]]、[[LOFT]]、[[ヨークマート]]、[[ヨークベニマル]]等）&lt;br /&gt;
*[[家庭教師のトライ]]&lt;br /&gt;
*[[中日新聞]]（[[東京新聞]]）&lt;br /&gt;
*[[花王]]（[[ニベア花王]]、[[カネボウ化粧品]]等）&lt;br /&gt;
*[[ライオン (企業)|ライオン]]&lt;br /&gt;
*[[住友重機械工業]]（[[IHI]]、[[住友ナコ マテリアル ハンドリング]]、[[セイサ]]、[[ボルボ|日本ボルボ]]等）&lt;br /&gt;
*[[DCMホールディングス]]（カーマホームセンター）&lt;br /&gt;
*[[富士フイルムホールディングス]]（[[富士フイルム]]、[[富士ゼロックス]]等）&lt;br /&gt;
*[[三菱商事]]（[[ケンタッキーフライドチキン]]、[[ローソン]]等）&lt;br /&gt;
*[[三菱電機]]&lt;br /&gt;
*[[三菱重工業|三菱重工]]（[[キャタピラージャパン]]等）&lt;br /&gt;
*[[三菱自動車工業|三菱自動車]]（[[三菱ふそうトラック・バス]]）&lt;br /&gt;
*[[三菱UFJフィナンシャルグループ]]（[[三菱東京UFJ銀行]]、[[三菱UFJモルガン・スタンレー証券|三菱UFJ証券]]、[[三菱UFJニコス]]等）&lt;br /&gt;
*[[麒麟麦酒]]（[[キリンビバレッジ]]）&lt;br /&gt;
*[[コカ・コーラ]]&lt;br /&gt;
*[[JX日鉱日石エネルギー]]&lt;br /&gt;
*[[上海アリス幻樂団]]（[[東方Project]]）&lt;br /&gt;
*[[日立グループ]]（[[日立製作所]]、[[日立アプライアンス]]等）&lt;br /&gt;
*[[サッポロホールディングス]]（[[サッポロビール]]等）&lt;br /&gt;
*[[日産自動車]]（[[UDトラックス]]、[[カルソニックカンセイ]]等）&lt;br /&gt;
*[[東芝]]（[[東芝キヤリア]]、[[TDK]]等）&lt;br /&gt;
*[[セガ]]（[[セガトイズ]]、[[トムス・エンタテイメント]]等）&lt;br /&gt;
*[[トヨタホールディングス]]（[[トヨタ自動車]]、[[日野自動車]]、[[ダイハツ工業]]、[[ジェイ・バス]]等）&lt;br /&gt;
*[[大同特殊鋼]]&lt;br /&gt;
*[[日本化薬]]&lt;br /&gt;
*[[昭和電工]]&lt;br /&gt;
*[[住友化学]]&lt;br /&gt;
*[[日本電気|NEC]]（[[Biglobe]]等）&lt;br /&gt;
*[[アサヒビール]]（[[アサヒ飲料]]）&lt;br /&gt;
*[[ファミリーマート]]&lt;br /&gt;
*[[エイベックス]]&lt;br /&gt;
*[[日本経済新聞]]&lt;br /&gt;
*[[東京電力]]&lt;br /&gt;
*[[朝日新聞]]（[[週刊朝日]]）&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]&lt;br /&gt;
*[[亀田製菓]]&lt;br /&gt;
*[[三井住友フィナンシャルグループ]]（[[三井住友銀行]]、[[住信SBIネット銀行]]、[[SMBCコンシューマーファイナンス|プロミス]]）&lt;br /&gt;
*[[三井生命保険]]&lt;br /&gt;
*[[住友生命保険]]&lt;br /&gt;
*[[MS&amp;amp;ADインシュアランスグループホールディングス]]（[[三井住友海上火災保険]]、[[あいおいニッセイ同和損害保険]]等）&lt;br /&gt;
*[[オリエンタルランド]]（[[東京ディズニーランド]]）&lt;br /&gt;
*[[アニプレックス]]&lt;br /&gt;
*[[ボンズ]]&lt;br /&gt;
*[[キングレコード]]&lt;br /&gt;
*[[ロッテ]]&lt;br /&gt;
*[[テレビ朝日]]（[[朝日放送]]等）&lt;br /&gt;
*[[トンボ鉛筆]]&lt;br /&gt;
*[[日本テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[ニトリ]]&lt;br /&gt;
*[[ファーストリテイリング]]（[[ユニクロ]]）&lt;br /&gt;
*[[宝塚歌劇団]]&lt;br /&gt;
*[[NTT]]（[[東日本電信電話]]、[[西日本電信電話]]、[[NTTドコモ]]、[[NTTファシリティーズ]]、[[goo]]）&lt;br /&gt;
*[[インテル]]&lt;br /&gt;
*[[三菱ケミカルホールディングス]]（[[三菱化学]]、[[三菱レイヨン]]、[[レナウン (企業)|レナウン]]、[[田辺三菱製薬]]、[[佐藤製薬]]、[[ノバルティスファーマ]]等）&lt;br /&gt;
*[[栄光ゼミナール]]&lt;br /&gt;
*[[第一三共]]（[[第一三共ヘルスケア]]）&lt;br /&gt;
*[[ノバルティス]]（[[チバビジョン]]）&lt;br /&gt;
*[[富士通]]（[[ニフティ]]）&lt;br /&gt;
*[[キヤノン]]&lt;br /&gt;
*[[ソニー]]（[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]）&lt;br /&gt;
*[[エプソン]]&lt;br /&gt;
*[[ダイキン工業]]&lt;br /&gt;
*[[ユニー]]（[[サークルKサンクス]]、[[さが美]]、[[ユニフード]]）&lt;br /&gt;
*[[KDDI]]（[[au (携帯電話)|au]]）&lt;br /&gt;
*[[ゼンショー]]（[[すき家]]）&lt;br /&gt;
*[[アディダス]]&lt;br /&gt;
*[[サイゾー]]&lt;br /&gt;
*[[ヤマダ電機]]&lt;br /&gt;
*[[伊藤園]]&lt;br /&gt;
*[[東京ビッグサイト]]（[[東京国際展示場]]）&lt;br /&gt;
*[[ウェザーニューズ]]&lt;br /&gt;
*[[ニッポン放送]]&lt;br /&gt;
*[[トイザらス]]&lt;br /&gt;
*[[東京海上ホールディングス]]（[[東京海上日動火災保険]]等）&lt;br /&gt;
*[[シャープ]]&lt;br /&gt;
*[[日本航空]]&lt;br /&gt;
*[[ライブドア]]&lt;br /&gt;
*[[パナソニック]]（[[パナソニック電工]]、[[日本オーチス・エレベータ]]、[[TDK]]、[[三洋電機]]等）&lt;br /&gt;
*[[横河電機]]（[[日本ヒューレット・パッカード]]、[[GEヘルスケア・ジャパン]]、トレインジャパン等）&lt;br /&gt;
*[[いすゞ自動車]]&lt;br /&gt;
*[[ヤマトホールディングス]]（[[ヤマト運輸]]、[[スワン]]、[[ヤマトシステム開発]]等）&lt;br /&gt;
*[[味覚党]]&lt;br /&gt;
*[[任天堂]]（[[株式会社ポケモン|ポケモン]]等）&lt;br /&gt;
*[[佐川急便]]&lt;br /&gt;
*[[西日本高速道路]]&lt;br /&gt;
*[[平和堂]]&lt;br /&gt;
*[[平和堂貿易]]&lt;br /&gt;
*[[ダイソー]]&lt;br /&gt;
*[[インテル]]&lt;br /&gt;
*[[上新電機]]（ジョーシン）&lt;br /&gt;
*[[JR西日本]]&lt;br /&gt;
*[[JR東日本]]（ルミネ、Suica等）&lt;br /&gt;
*[[JR北海道]]&lt;br /&gt;
*[[京王電鉄]]&lt;br /&gt;
*[[西武鉄道]]（[[埼玉西武ライオンズ]]）&lt;br /&gt;
*[[ヤクルト]]（[[東京ヤクルトスワローズ]]）&lt;br /&gt;
*[[ダスキン]]（[[ミスタードーナツ]]等）&lt;br /&gt;
*[[グルメ杵屋]]&lt;br /&gt;
*[[ヤンマー]]&lt;br /&gt;
*[[シャフト]]&lt;br /&gt;
*[[京都アニメーション]]&lt;br /&gt;
*[[京セラ]]&lt;br /&gt;
*[[神戸製鋼]]&lt;br /&gt;
*[[富士重工業]]（[[スバル]]）&lt;br /&gt;
*[[イオン (企業)|イオン]]（[[ジャスコ]]、[[ミニストップ]]、[[ウエルシア]]、[[やまや]]）&lt;br /&gt;
*[[ワタミ]]&lt;br /&gt;
*[[モスバーガー]]&lt;br /&gt;
*[[マツダ]]&lt;br /&gt;
*[[コーセー]]&lt;br /&gt;
*[[日本生命保険]]&lt;br /&gt;
*[[農業協同組合]]（[[JAバンク]]）&lt;br /&gt;
*[[アパグループ]]（[[アパホテル]]）&lt;br /&gt;
*[[日本たばこ産業]]（[[ジェイティフーズ]]）&lt;br /&gt;
*[[マルハニチロホールディングス]]（[[マルハニチロ]]、[[ハインツ日本]]、[[マース ジャパン]]）&lt;br /&gt;
*[[マクドナルド]]（[[日本マクドナルド]]）&lt;br /&gt;
*[[矢崎総業]]&lt;br /&gt;
*[[前川製作所]]&lt;br /&gt;
*[[昭和鉄工]]&lt;br /&gt;
*[[新晃工業]]&lt;br /&gt;
*[[秋田書店]]&lt;br /&gt;
*[[講談社]]（[[日刊ゲンダイ]]等）&lt;br /&gt;
*[[集英社]]&lt;br /&gt;
*[[未来検索ブラジル]]（[[ニコニコ大百科]]等）&lt;br /&gt;
*[[スクウェア・エニックス]]&lt;br /&gt;
*[[カプコン]]&lt;br /&gt;
*[[LIXIL]]（[[LIXIL住宅研究所]]）&lt;br /&gt;
*[[Google]]（[[Youtube]]）&lt;br /&gt;
*[[ドワンゴ]]（[[ニコニコ動画]]）&lt;br /&gt;
*[[旭化成]]（[[へーベルハウス]]）&lt;br /&gt;
*[[サントリー]]（[[サントリーフーズ]]）&lt;br /&gt;
*[[資生堂]]&lt;br /&gt;
*[[プロクター・アンド・ギャンブル|P&amp;amp;G]]&lt;br /&gt;
*[[再春館製薬所]]&lt;br /&gt;
*[[電通]]（[[ビデオリサーチ]]）&lt;br /&gt;
*[[大幸薬品]]&lt;br /&gt;
*[[アートコーポレーション]]&lt;br /&gt;
*[[マクドナルド]]&lt;br /&gt;
*[[京浜急行電鉄]]&lt;br /&gt;
*[[大塚製薬]]（[[アース製薬]]、[[大塚食品]]等）&lt;br /&gt;
*[[株式会社やまや食工房]]&lt;br /&gt;
*[[株式会社サニーワークス]]&lt;br /&gt;
*[[トリンプ・インターナショナル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地域別 ==&lt;br /&gt;
=== 関東 ===&lt;br /&gt;
*[[支那そばや]]&lt;br /&gt;
*[[陸援隊]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中部 ===&lt;br /&gt;
*[[北陸電力]]&lt;br /&gt;
*[[新潟テレビ21]]&lt;br /&gt;
*[[東海テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[戸塚ヨットスクール]]&lt;br /&gt;
*[[富山テレビ]]&lt;br /&gt;
*[[北日本放送]]&lt;br /&gt;
*[[北日本新聞]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関西 ===&lt;br /&gt;
*[[液クロサイエンス]]&lt;br /&gt;
*[[エステート24]]&lt;br /&gt;
*[[エレガントマナースクール]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中四国 ===&lt;br /&gt;
*[[祝部LB]]&lt;br /&gt;
*[[西日本放送]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 九州 ===&lt;br /&gt;
*[[九州電力]]&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
{{蛆虫}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あくとくききよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:悪徳商法|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:一覧]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0&amp;diff=344748</id>
		<title>日本会議</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0&amp;diff=344748"/>
				<updated>2017-09-13T14:42:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;「日本会議」は、改憲翼賛・復古主義の日本最大のカルト団体である。「美しい日本の憲法をつくる会」「国家基本問題研究所」「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」「「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会」「放送法遵守を求める視聴者の会」などの本体。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２００２年９月以来、「１０万人ネットワーク」（設立５周年事業リーフレット）を目指して活動を続けている。また、これに協力する「日本会議国会議員懇談会」（現在２４２人、会長・麻生太郎衆議院議員）を持ち、国会と地方議会に強い影響力がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石田和外が立ち上げた「元号法制化実現国民会議」が改組した「日本を守る国民会議」（運営委員長・黛敏郎）と、円覚寺管長・朝比奈宗源が生長の家初代総裁・谷口雅春と語らって結成した「日本を守る会」が１９９７年、組織統合して結成されたもので、機関誌『日本の息吹』を毎月発行してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１．憲法改正（[[大東亜戦争]]肯定、「太平洋戦争」の呼称否定）　２．教育基本法改正　３．靖国公式参拝の定着　４．夫婦別姓法案反対　５．より良い教科書を子供たちに、の5大スローガンを掲げて活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所在地は目黒区青葉台の「パシフィックマークス青葉台」6階。政治団体「日本協議会」の本部が隣接している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「日本会議」役員'''&lt;br /&gt;
    名誉会長：元最高裁判所長官、政治活動家・三好達&lt;br /&gt;
    会長：杏林大学名誉教授　田久保忠衛&lt;br /&gt;
    副会長：東京大学名誉教授　小堀桂一郎、神社本庁総長  工藤伊豆&lt;br /&gt;
    理事長：明治神宮権宮司 　田中安比呂&lt;br /&gt;
    事務総長：日本協議会会長　椛島有三&lt;br /&gt;
    国会議員懇談会会長：麻生太郎&lt;br /&gt;
    国会議員懇談会会長代行：中川昭一&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「日本会議国会議員懇談会」'''&lt;br /&gt;
    会長：麻生太郎（外務大臣）　&lt;br /&gt;
    会長代行：中川昭一（自由民主党政調会長）　&lt;br /&gt;
    副会長：谷垣禎一（前財務大臣）　&lt;br /&gt;
    副幹事長：小池百合子（内閣総理大臣補佐官（国家安全保障問題担当））&lt;br /&gt;
    副幹事長：安倍晋三（内閣総理大臣、自由民主党総裁）&lt;br /&gt;
    小野清子（参議院議員、元国務大臣）&lt;br /&gt;
    石破茂（元防衛庁長官）&lt;br /&gt;
〔 「日本会議、日本会議国会議員懇談会設立五周年記念大会」大会決議（http://www.nipponkaigi.org/about/5years ）から構成〕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「民間教育臨調」と「日本会議」'''&lt;br /&gt;
　「日本の教育改革」有識者懇談会（以下「民間教育臨調」）の副会長は５人のうち４人までを「日本会議」の役員が占め、同会に大きな影響力をもつ体制が作られている。「日本会議」の役員７７人のうち、「民間教育臨調」に名を連ねている者は３０人にも達する。名前を加えていない４７人のうち２５人は宗教団体役員であり、４人が「[[軍人恩給連盟]]」「日本遺族会」「日本郷友連盟」「英霊にこたえる会」など旧軍・自衛隊関係団体の役員、そして会長・事務総長の２人である。「日本会議」の四割近い（３９％）役員を「民間教育臨調」に送り込みながら、明らかにそれと分かる会長・事務総長、および３分の１以上を占める宗教団体および旧軍関係者等を表に出さない工夫と努力がなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''宗教団体と「日本会議」'''&lt;br /&gt;
　「日本会議」は、１９９７年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合体して結成された。「国民会議」は、保守系文化人を中心としつつ旧軍関係者とも共闘する組織であった。「守る会」の方は、&amp;lt;b&amp;gt;神社本庁・生長の家・仏所護念会・[[念法眞教]]・モラロジー&amp;lt;/b&amp;gt;など宗教・修養団体が中心となり、そこに&amp;lt;b&amp;gt;曹洞宗管長・日蓮宗管長&amp;lt;/b&amp;gt;なども名前を連ねる宗教関係者中心の団体であった。&lt;br /&gt;
　「&amp;lt;b&amp;gt;キリストの幕屋&amp;lt;/b&amp;gt;」も「日本会議」の有力な構成団体である。「キリストの幕屋」は毎週、サンケイプラザで日曜集会を行なっている。http://www.makuya.or.jp/hikari/sankei.htm&lt;br /&gt;
　「日本会議大阪」の構成団体をみると、キリストの幕屋のみならず、&amp;lt;b&amp;gt;神道政治連盟（神社本庁）・国柱会・仏所護念会・ＩＩＣ（霊友会）・崇教真光・[[念法眞教]]・神道青年会&amp;lt;/b&amp;gt;などの宗教団体が名を連ねているし、大阪府遺族連合会という&amp;lt;b&amp;gt;日本遺族会&amp;lt;/b&amp;gt;の下部団体も名を連ねている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「夫婦別姓反対」「在日選挙権反対」「首相の靖国公式参拝」と「日本会議」'''&lt;br /&gt;
　 「日本会議」の結成は、文化人中心の「国民会議」が、献身的で巨大な財政力・組織力・動員力を持つ宗教団体連合の「守る会」と合体することにより、国民動員的な巨大組織を目指したものであった。その結果、彼らはこれまで「夫婦別姓反対」や「在日の選挙権反対」などで大きな成果を挙げてきた（いずれの法案も提出されたが棚ざらしになっている）し、「首相の靖国公式参拝」にも力を入れてきた。&lt;br /&gt;
〔以上、出典　http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm から構成〕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''日本会議の支部'''（一部）&lt;br /&gt;
日本会議熊本　http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/　 熊本市宮内3-1 （熊本県神社庁内）&lt;br /&gt;
日本会議広島　http://park6.wakwak.com/~nipponkaigi-hiro/&lt;br /&gt;
日本会議大阪　http://homepage2.nifty.com/nippon-kaigi/　大阪市中央区久太郎町４丁目渡辺６号　大阪府神社庁内&lt;br /&gt;
日本会議愛媛県本部　http://nippon-ehime.cool.ne.jp/　松山市勝山町1-7-20　友愛ビル202&lt;br /&gt;
日本会議福岡　http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/　北九州支部　〒800-0244　北九州市小倉南区下曽根新町１０－１　(株)北九州地域開発 内　&lt;br /&gt;
日本会議奈良　http://www.naraken.jp/nipponkaigi-nara/&lt;br /&gt;
日本会議宮城県本部　http://nipponkaigi.net/&lt;br /&gt;
日本会議東京本部　http://www.nipponkaigi-tokyo.com/　〒153-0042 東京都目黒区青葉台3-10-1-601&lt;br /&gt;
日本青年協議会　http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5936/　後　援　日本会議大阪／日本会議大阪河内支部　〒153-0042　東京都目黒区青葉台3-10-1-602&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''九七年結成時の「日本会議」「日本会議国会議員懇談会」'''の役員は以下の通り。&lt;br /&gt;
◆　日本会議本部&lt;br /&gt;
会長　[[塚本幸一]]ワコール会長（98年6月死去）&lt;br /&gt;
副会長　小堀桂一郎、[[石井公一郎]]（元ブリヂストンサイクル会長）、岡本健治（神社本庁総長）・[[小田村四郎]]（拓殖大学総長）、[[安西愛子]]・山本卓眞]]（98.9.22から、富士通名誉会長）&lt;br /&gt;
理事長　田中安比呂（明治神宮権宮司98.9.22まで）、戸澤眞（98.9.22から、明治神宮崇敬会理事長。&amp;lt;b&amp;gt;勝共連合&amp;lt;/b&amp;gt;元顧問。）&lt;br /&gt;
事務総長　[[椛島有三]]（[[日本青年協議会]]議長）&lt;br /&gt;
事務局長：松村俊明&lt;br /&gt;
　　結成　：1997年5月30日（旧「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」の組織統一・再編による）&lt;br /&gt;
　　本部　：〒153-0042　東京都目黒区青葉台3-10-1-601&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆　日本会議国会議員懇談会（日本会議と支援・連帯する国会議員の組織）&lt;br /&gt;
会長　島村宜伸（前農林水産大臣）&lt;br /&gt;
幹事長　平沼赳夫&lt;br /&gt;
事務局長　[[小山孝雄]]&lt;br /&gt;
　　結成：1997年5月29日&lt;br /&gt;
　　事務所：〒102-0093　東京都千代田区平河町2-7-5　砂防会館3F（日本会議第2事務所が同居）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''「日本会議」中央役員名簿（2002年5月）'''　（ &amp;lt; 　&amp;gt; が宗教関係団体）&lt;br /&gt;
【顧　問】&lt;br /&gt;
１ [[石川六郎]]　[[日本商工会議所]]名誉会頭、２ [[宇野精一　東京大学名誉教授、３ 加瀬俊一（物故）　鹿島出版会相談役、４ [[北白川道久]]&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神宮大宮司&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;gt;、５ [[久邇邦昭]]&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神社本庁&amp;lt;/b&amp;gt;統理&amp;gt;、６ 櫻井勝之進　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;皇学館大学&amp;lt;/b&amp;gt;常任顧問&amp;gt;、７ 白井永二&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;鶴岡八幡宮&amp;lt;/b&amp;gt;名誉宮司&amp;gt;　８ 瀬島龍三　伊藤忠商事(株)特別顧問、９ 戸田義雄&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;国学院大学日本文化研究所&amp;lt;/b&amp;gt;名誉所員&amp;gt;、10 服部貞弘　&amp;lt;岩津天満宮名誉宮司&amp;gt;、11 福島信義&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;名誉宮司&amp;gt;、12 渡辺恵進&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;天台座主&amp;lt;/b&amp;gt;&amp;gt;&lt;br /&gt;
【会　長】　&lt;br /&gt;
13 三好達　前最高裁判所長官&lt;br /&gt;
【副会長】　&lt;br /&gt;
14 安西愛子　声楽家、15 石井公一郎　ブリヂストンサイクル(株)元社長、16 小田村四郎　拓殖大学総長、17 工藤伊豆　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神社本庁&amp;lt;/b&amp;gt;総長&amp;gt;、18 小堀桂一郎　東京大学名誉教授、19 山本卓眞　富士通(株)名誉会長&lt;br /&gt;
【代表委員】&lt;br /&gt;
20 石原慎太郎　作家、21 [[井尻千男]]　拓殖大学日本文化研究所所長、22 [[出雲井晶]]　作家・日本画家、23 板垣正　元参議院議員、24 [[伊藤憲一]]　青山学院大学教授、25 稲山霊芳&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;念法眞教&amp;lt;/b&amp;gt;燈主&amp;gt;、26 井上太郎&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;霊友会&amp;lt;/b&amp;gt;総務理事&amp;gt;、27 [[入江隆則]]　明治大学教授、28 宇佐美忠信　(財)富士社会教育センター理事長、29 海老原義彦　&amp;lt;b&amp;gt;軍恩連盟&amp;lt;/b&amp;gt;全国連合会会長、30 [[大石泰彦]]　東京大学名誉教授、31 岡田恵珠&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;崇教真光&amp;lt;/b&amp;gt;教え主&amp;gt;、32 岡野聖法&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;解脱会&amp;lt;/b&amp;gt;法主&amp;gt;、33 小串和夫&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;熱田神宮&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;、34 尾辻秀久　日本遺族会副会長、35 小野田寛郎　(財)小野田自然塾理事長、36 加瀬英明　外交評論家、37 [[勝部真長]]　お茶の水女子大学名誉教授（物故）、38 加藤芳郎　漫画家、39 上村和男　(社)国民文化研究会理事長、40 [[城内康光]]　前ギリシャ大使、41 清原恵光&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;比叡山延暦寺&amp;lt;/b&amp;gt;代表役員執行&amp;gt;、42 黒川紀章　建築家、43 黒住宗晴&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;黒住教&amp;lt;/b&amp;gt;教主&amp;gt;、44 慶野義雄　日本教師会会長、45 佐伯彰一　文芸評論家、46 [[境川尚]]　前日本相撲協会理事、47 [[佐藤和男]]　青山学院大学名誉教授、48 志摩淑子　(株)朝日写真ニュース社社長、49 春風亭柳昇（物故）　落語家、50 鈴木俊一　日本倶楽部会長、51 関口徳高&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;仏所護念会&amp;lt;/b&amp;gt;教団会長&amp;gt;、52 [[千玄室]]　茶道裏千家前家元、53 副島廣之&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;常任顧問&amp;gt;、54 園田天光光　各種女性団体連合会長、55 瀧藤尊教　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;総本山四天王寺&amp;lt;/b&amp;gt;元管長&amp;gt;、56 田久保忠衛　外交評論家、57 武原誠郎　イムカ株式会社代表取締役、58 [[竹本忠雄]]　筑波大学名誉教授、59 坪井栄孝　日本医師会会長、60 寺島泰三　(社)日本郷友連盟会長、61 外山勝志&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;、62 中野良子　オイスカインターナショナル総裁、63 中村清彦　富士産業(株)代表取締役、64 能村龍太郎　太陽工業(株)代表取締役会長、65 [[長谷川三千子]]　埼玉大学教授、66 廣池幹堂&amp;lt;(財)&amp;lt;b&amp;gt;モラロジー&amp;lt;/b&amp;gt;研究所理事長&amp;gt;、67 藤岡重孝&amp;lt;神宮少宮司&amp;gt;、68 古谷幸三郎　(株)茨城木工所代表取締役社長、69 堀江正夫　&amp;lt;b&amp;gt;英霊にこたえる会&amp;lt;/b&amp;gt;会長、70 丸山敏秋&amp;lt;(社)&amp;lt;b&amp;gt;倫理研究所&amp;lt;/b&amp;gt;理事長&amp;gt;、71 宮崎義敬&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;神道政治連盟&amp;lt;/b&amp;gt;会長&amp;gt;、72 宮西惟道&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;東京都神社庁&amp;lt;/b&amp;gt;庁長・&amp;lt;b&amp;gt;日枝神社&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;、73 村尾次郎　[[全国地名保存連盟]]会長、74 [[村松英子]]　女優、75 湯澤貞　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;靖国神社&amp;lt;/b&amp;gt;宮司&amp;gt;&lt;br /&gt;
【理 事 長】　76 田中安比呂　&amp;lt;&amp;lt;b&amp;gt;明治神宮&amp;lt;/b&amp;gt;権宮司&amp;gt;&lt;br /&gt;
【事務総長】　77 椛島有三　日本会議理事&lt;br /&gt;
〔出典　http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm〕&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9_(%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2)&amp;diff=344747</id>
		<title>ピース (アンサイクロペディア)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9_(%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2)&amp;diff=344747"/>
				<updated>2017-09-13T14:40:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:080313 0823~0001.jpg|thumb|ピースを追放する会の象徴]]&lt;br /&gt;
'''ピース'''とは、[[アンサイクロペディア]]において、元管理者の{{User2|Peacementhol}}の別名である。ちなみに[[利用者:ピース]]というアカウント名は、アンサイクロペディアには実質的には登録されていない。ウィキペディアの長期荒らしの[[Peace]]とは無関係である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 編集傾向 ==&lt;br /&gt;
他人の利用者会話ページにようこそメッセージを必要ないユーザーにまで貼り付ける。理由は利用者ページリンクを稼ぐためである。記事の執筆は最近はしていない。利用者の投稿記録を見る限り、ほとんどが会話ページの履歴ばかりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんと、過去にはソックパペットも作成していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ピースを追放する会 ==&lt;br /&gt;
'''ピースを追放する会'''は、アンサイクロペディアの元管理者{{User2|Peacementhol}}を追放することを目的に活動することを標榜している謎の組織である。結成の地、主な活動拠点は[[アンサイクロペディア運営委員会]]とみられており、組織の構成員は現在2名ほど確認されている。&lt;br /&gt;
[[Image:080313 0908~0001.jpg|thumb|長蛇の陣と鶴翼の陣でぶつかり合う模様]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ピース氏とは ===&lt;br /&gt;
一体、{{User2|Peacementhol}}とは、何者なのだろうか。この組織の最大の謎は、実際のところ、アンサイクロペディアには、叩きの理由となるような{{User2|Peacementhol}}が活躍した記録はまるで見られないことにある。それどころか、そのような名前のアカウントが作られた形跡すらないのである。にも関わらず、どういうわけか様々な活動実績が以下のように報告されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;background:#eee; padding:0.5em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9 ：&amp;lt;span style=&amp;quot;color:green; font-weight:bold;&amp;quot;&amp;gt;名無しの愉しみ&amp;lt;/span&amp;gt; ：2008/02/29(金) 15:05:52 ID:+6th4ufa &lt;br /&gt;
:ピースは純真なおばかさんっぽいから可愛い &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10 ：&amp;lt;span style=&amp;quot;color:green; font-weight:bold;&amp;quot;&amp;gt;名無しの愉しみ&amp;lt;/span&amp;gt; ：2008/02/29(金) 15:55:19 ID:dkunXGkt &lt;br /&gt;
:・勤勉な問題児 &lt;br /&gt;
:ピース &lt;br /&gt;
:[[お察しください]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:・勤勉な無能 &lt;br /&gt;
:[[お察しください]] &lt;br /&gt;
:・その他&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
61 ：&amp;lt;span style=&amp;quot;color:green; font-weight:bold;&amp;quot;&amp;gt;ピース&amp;lt;/span&amp;gt; ：2008/03/02(日) 18:24:10 ID:rYK+6/bj &lt;br /&gt;
:おっ！ようこそ撒き散らしてきた。ピースは荒らしばっかりにようこそするから &lt;br /&gt;
:なんとか追放しないとな。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:080313 0824~0001.jpg|thumb|ピースを徹底拒絶するロゴ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会的背景 ===&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]は風刺と皮肉をモットーとしており、架空国家ネタや想像による創作などは禁忌とされている。しかし、なぜか実際にはいもしないのに、{{User2|Peacementhol}}の存在は、[[2ちゃんねる|アンサイクロペディアの裏側]]では実在しているかのように扱われており、激しい叩きの的になっている。なお、ピースを追放する会の最終目的は以下の書き込みに象徴されているように、{{User2|Peacementhol}}の追放の一点のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;background:#eee; padding:0.5em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
271 : &amp;lt;span style=&amp;quot;color:green; font-weight:bold;&amp;quot;&amp;gt;ピースを追放する会&amp;lt;/span&amp;gt; ：2008/03/12(水) 19:42:35 ID:hT8x59qg &lt;br /&gt;
:俺が追放したいのはピースだけ。あとはしらね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クォリティの点では、ページデザインをむやみやたらといじり回す'''タギング'''、[[電車]]や公共施設の壁などに文字だけ[[落書き]]して回る'''スローアップ'''よりも、最低1個のキャラクターと3色以上のペイントを駆使して利用者ページなどに名前を残す'''ピース'''は、最も価値の高いものとされている。しかし、ピースの上にタグやスローアップを書き込むことができないため、事実上編集保護と同じ状態になる。また、ヒップホップ文化への理解が薄い日本では、[[珍走団]]扱いされる例すらある。このことから、[[桜木町駅|桜木町]]のガード下など、[[wiki:グラフィティ|グラフィティ]]の聖地とされる場所では長年の軋轢がある模様で、[[ウィキペディア|くそまじめな百科事典]]でも[[wiki:Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期|長年にわたって紛争状態]]となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[Peace]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*{{WPuser|Peacementhol}} - ウィキペディアのアカウント&lt;br /&gt;
*{{UCPuser|Peacementhol}} - アンサイクロペディアのアカウント&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{スタブ}}&lt;br /&gt;
{{Uncyclopedia/Ja|ピースを追放する会}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひいすをついほうするかい}}&lt;br /&gt;
[[category:アンサイクロペディアン]]&lt;br /&gt;
[[category:アンサイクロペディアの管理者|元]]&lt;br /&gt;
[[category:ユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会現象]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:腐れ外道]]&lt;br /&gt;
[[Category:Peacementhol]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニコチン中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:Peacementhol]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ウィキホリック]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ソックパペッター]]   &lt;br /&gt;
[[Category:マルチポスター]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ネットビースト]]   &lt;br /&gt;
[[Category:利用者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]  &lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:コピペディア]]     &lt;br /&gt;
[[Category:2ちゃんねらー]]   &lt;br /&gt;
[[Category:2ちゃんねるで投稿禁止処分を下された人物]]  &lt;br /&gt;
[[Category:mixi会員]]   &lt;br /&gt;
[[Category:facebook会員]]   &lt;br /&gt;
[[Category:Twitterの利用者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:Google+の利用者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:アルコール依存症の人物]]      &lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]] &lt;br /&gt;
[[Category:長期荒らしメンバー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット恐喝者]]  &lt;br /&gt;
[[Category:ネット犯罪者]]    &lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:インターネット依存症の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]   &lt;br /&gt;
[[Category:富岡市国際交流協会]]   &lt;br /&gt;
[[Category:鏡獅子会]]&lt;br /&gt;
[[Category:上州鏡獅子会]]&lt;br /&gt;
[[Category:カブラJFC]]   &lt;br /&gt;
[[Category:PTA役員の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:偽善者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:妻子がいる人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:コスプレイヤー]]   &lt;br /&gt;
[[Category:羞恥プレイヤー]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ヘリテイジ仮面]]   &lt;br /&gt;
[[Category:悪の組織デビルシャドウ]]   &lt;br /&gt;
[[Category:同性愛者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ホモ]]   &lt;br /&gt;
[[Category:小児性愛者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:少年愛者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ショタコン]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]   &lt;br /&gt;
[[Category:LGBTの人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:狂人]]   &lt;br /&gt;
[[Category:発達障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:学習障害の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:アスペルガー障害の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ADHDの人物]] &lt;br /&gt;
[[Category:権力志向者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:中二病]] &lt;br /&gt;
[[Category:メンタルヘルス]]     &lt;br /&gt;
[[Category:精神障害の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:躁病の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:偏執狂の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:依存症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:被害妄想の人物]]  &lt;br /&gt;
[[Category:人格障害の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:解離性統一障害の人物]]  &lt;br /&gt;
[[Category:回避性パーソナリティ障害の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:統合失調症の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:虚言癖を持つ人物]]  &lt;br /&gt;
[[Category:二枚舌]]   &lt;br /&gt;
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:自己主張の強い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:卑屈な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:卑怯者]]&lt;br /&gt;
[[Category:嫌われ者]]&lt;br /&gt;
[[Category:非協調的な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:我儘な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:傲慢な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:無責任な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:信頼の置けない人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:懲りない人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:反省ができない人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人の反感を買う人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人から恨まれる人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落者]]&lt;br /&gt;
[[Category:前科者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会不適応者]]    &lt;br /&gt;
[[Category:社会復帰途上の人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:引籠もりの人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:対話不能者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:引きこもり]]   &lt;br /&gt;
[[Category:マゾヒスト]]   &lt;br /&gt;
[[Category:決め付け厨]]   &lt;br /&gt;
[[Category:自宅警備員]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ひも]]   &lt;br /&gt;
[[Category:パラサイト]]   &lt;br /&gt;
[[Category:無職]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ヒール]]   &lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]]   &lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]] &lt;br /&gt;
[[Category:歪曲マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:粘着マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:誹謗中傷マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:個人攻撃マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:編集合戦マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:誣告マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:歪曲マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:粘着マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:烙印マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:根比べマニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:肥大化マニア]]   &lt;br /&gt;
[[Category:真如苑信者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:幸福の科学]]   &lt;br /&gt;
[[Category:創価学会]]   &lt;br /&gt;
[[Category:日蓮正宗]] &lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア被害者の会]]   &lt;br /&gt;
[[Category:1967年生]]   &lt;br /&gt;
[[Category:1月19日生まれの人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ヘイトクライマー]]   &lt;br /&gt;
[[Category:前科者]]   &lt;br /&gt;
[[Category:犯罪予備軍]]   &lt;br /&gt;
[[Category:ストーカー]]   &lt;br /&gt;
[[Category:職業訓練を本気で受けるべき人物]]   &lt;br /&gt;
[[Category:星椎水精に浄霊をしてもらうべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:某・霊能者に呪殺されるべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:先編集権が主張された記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=pixiv%E3%81%AB%E4%BD%8F%E3%81%BF%E7%9D%80%E3%81%8F%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC&amp;diff=344445</id>
		<title>pixivに住み着くキチガイユーザー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=pixiv%E3%81%AB%E4%BD%8F%E3%81%BF%E7%9D%80%E3%81%8F%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC&amp;diff=344445"/>
				<updated>2017-09-12T15:27:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: 153.205.98.134 (トーク) による版 344246 を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[pixiv]]および[[ピクペディア]]内で荒らしや誹謗中傷などを行っているユーザー。膨大になった[[pixivユーザー]]から分離し記述する。&lt;br /&gt;
{{Notice|不快だからと言って、pixiv内でアカウントを所得して下記に書かれているユーザーを注意・誹謗中傷を行った後に執筆者隠匿のためすぐ退会する行為は'''絶対にしないで下さい'''。pixivではこれも荒らしとして扱われます。}}&lt;br /&gt;
==英数字==&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=16876000 BDBOOK]===&lt;br /&gt;
キャラヘイト絶対に許さないマン(笑)&lt;br /&gt;
キャラを擁護している自分に酔っているだけの阿呆 &lt;br /&gt;
強者には媚び諂い弱者には威張り散らすチキン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===mumu===&lt;br /&gt;
{{Main|mumu}}&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=13795131 gurosu]===&lt;br /&gt;
ネタバレを心底嫌うユーザー('''クロスアンジュ、遊戯王系。他作品には一切してこない''')。&lt;br /&gt;
周囲への配慮を一切せず一方的な編集を行う。注意されると逆ギレする。&lt;br /&gt;
またプロフ文の「感情論isクソ」は過去にupのプロフ文に記載されていたものであるためup本人である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===up===&lt;br /&gt;
該当記事へ→[http://ja.yourpedia.org/wiki/up up]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2819526 UZA]===&lt;br /&gt;
ROM専だが、コメント欄で誹謗中傷をする奴。ご丁寧にプロフィールに「ウザい奴お断り」と書いている。''ウザいのはどっちなんでしょうね?''名前からして、内輪乗りや、強引なアホは嫌い…と見ている。'''こいつは早くpixivから追放されるべきである。'''残念ながら[[捨てアカウント]]の利用者の模様。そんな事してないで'''ボランティアをしろ!クソガキ!!'''&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=12778998 Piggy]===&lt;br /&gt;
サミュエル江藤智、石油泥棒名義の複数アカウントで立て逃げを行うユーザー。多い時は一日で50～60近くの記事を立てている。主に中国語韓国語アラビア語といった外国語の表記ゆれ、一般動詞が基本。ただしその多くが使い道がわからない物ばかり。何だよサイホンボルテックス式とかブローアウト式とかセミサイホン式とかって。加えて一時はアカウント取得後記事を作っては即退会を繰り返していた。現在は鰡名義で活動をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あ〜た行==&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=3070931 あかりちゃん大好き]===&lt;br /&gt;
[[石川県]]出身の大学男児。「あかりちゃん大好き」というハンドルネームである通り、投函イラストはジュエルペット関連と戦車ものばかり。ブックマークでもそれに準している。この事から完全に'''ジュエルペットてぃんくる厨'''である事が伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに他人のイラストを平気で罵る悪魔性ももっている。こいつは早くpixivから追放されるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=143053 アス]===&lt;br /&gt;
東京都出身、[[10月16日]]生まれの男性の自称フリーター。『[[凉宮ハルヒの憂鬱|ハルヒ]]』や『[[らき☆すた]]』といったヲタ向けアニメが大好きで、『ハルヒ』見てればアニメ通気取れると思っている。イラストも投函せずにブックマーク登録ばかり、その上他人の絵を勝手に下手糞と評価する。[[エクレロ孫法師]]のイラストを「'''下手なのにアップしすぎww'''」と中傷した[[反エクレロ勢力]]。ブックマークは18禁（主に女性キャラクターの裸体）ばかり。これは酷い2次元精子脳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1460463 居眠狂四郎]===&lt;br /&gt;
{{Main|居眠狂四郎}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=246602 ウーソキマスラ]===&lt;br /&gt;
''詳細は[[エクレロ孫法師|こちら]]を参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
yourpediaのウーソキマスラのこと。この記事を作った張本人。yourpedia、ピクペディア問わず自分と意見が合わない者を反エクレロ勢力として攻撃するのが特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
yourpediaでは自身の意見に同調しない者達を、私怨で片っ端から反エクレロ勢力という括りで私怨によって攻撃し、これに便乗した[[#靖也|MAC-BB]]が悪意によって身勝手な記事を乱立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結果、彼は無期限ブロックによりyourpediaを追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://touch.pixiv.net/member.php?id=7310518 神凪]===&lt;br /&gt;
自分の気に入らない記事や内容を見つけると勝手に編集したり削除を行ったりする悪質ユーザー。&lt;br /&gt;
とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。 &lt;br /&gt;
また、被害を受けているユーザーは多数いて抗議をしても無視をする。&lt;br /&gt;
また、一部の記事は修復されると、まるで待っていたかのように復旧して間も無いうちに編集・削除されており、ほぼ全ての時間帯で出没していることから、就寝時含め一日中PCの前に張り付いて監視しているように思えてくる。編集後のコメントにに必ず「kijisyuu」と書き残す。とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。 &lt;br /&gt;
レイアウト変更や、記事の整理を主にやっているが、コメントに「kijisyuu」とだけしか書かない。そのため、編集意図が伝わらない。最近では吐き気を催す邪悪、人間のクズタグがついている記事に対する編集を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===逆賊吉野朝廷陸賊軍團隊市民・香川県香川郡香川町・南朝軍国関西道大阪州後醍醐帝王etc===&lt;br /&gt;
[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=7389862 和継狼]===&lt;br /&gt;
旧名：[http://www.pixiv.net/member.php?id=5330926 克弘]。twitterのIDは[https://twitter.com/Katuro_zo1_7193 @Katuro_zo1_7193]。pixivを嫌韓・嫌中の溜まり場にしようとするネトウヨ。一見無関係な記事においてパッシングやプロパガンダ染みた記述を行ったり、国記事で「この国は親日国である」といった(しかもその理由が大体くだらない)書き込みをしている。何度追い出されても戻ってくる。敵対する者は全部左翼扱い。場違い極まりない。しかし高齢者である事は確かなため、老衰で消え去ってくれる事を待つしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=327298 ギガリス]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=339963 キル]===&lt;br /&gt;
「立体・造形物はガイドライン違反」だと指摘と言う名の自分の考えを押し付けていく。自称自営業（笑）。他人の心配するより、自分の心配しろ。自分では投稿出来ないんですね。わかります。2013年現在、逃げずにROMっている。自分の心配しなきゃダメでしょうが!（大笑）&amp;lt;br&amp;gt;メッセージを送ってもスルースキルがあるので、いただけない相手。カス中のカス。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://touch.pixiv.net/member.php?id=4184310 黒乃桜]===&lt;br /&gt;
'''詳細は[[黒乃桜]]を参照。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4187047 ゲル・ゲラルーダ]===&lt;br /&gt;
削除厨&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小倉川===&lt;br /&gt;
東方シリーズから派生したキャラ「ゆっくり」を虐待しているイラスト「ゆっくり虐待」を投稿しているユーザーに誹謗中傷や暴言を吐いた。「帰れよ」や「お前もゆっくり虐待を描いていたんだな」と噛みついては去って行くチキン。しかし、飽きたのかpixivを退会したようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1952966 五斗米道]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=6610778 こばP]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
西川がアッキーナにBASARAは？と聞いた事やツイッターで大人気ないことを言った事を知らないのにpixiv大百科を乗っ取った事実は免罪符だから何をしても許されると思い込んでいる人間のクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=860228 ささかつ]===&lt;br /&gt;
プリキュア関係のコラボ記事をこれでもかと作っては周囲を呆れさせている乱立ユーザー。[http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%82%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7 プリキュアシリーズのコラボタグ一覧]の内容が膨大になっている要因の一つでありその殆どがささかつの独断と偏見で作られている。&lt;br /&gt;
未確認情報やネタバレで記事を作る事も多く、ニチアサの害悪の一人として知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=3276288 じごふみ]、[http://www.pixiv.net/member.php?id=6655978 hy589pg]===&lt;br /&gt;
30歳の女性。'''極端な[[ドキドキ!プリキュア|相田マナ]]厨'''であるが故に二次創作（'''特にキュアハートの変態化'''）を'''徹底的に嫌う悪魔'''。ブックマークではR17.9なイラストも登録してる癖にイラストの投函自体も行わない。しかも多重アカウントを平然と利用しているのが驚きだ（その証拠にブックマークがほぼ全て一緒である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=7784513 ジニ (荒らしの方)]===&lt;br /&gt;
{{Main|ピクペディアの一覧荒らし集団}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=364766 シャドウ]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2030953 じゅうさ]===&lt;br /&gt;
自称・[[井口裕香|井口病]]患者。『イカ娘』の声優がまだ判明していない（2010年6月初め時点で）のに'''勝手に井口裕香と思い込んでいて、声優が井口と決まったような妄想イラストまで投函する'''ほどである。もし井口じゃないと判明した時の反応は・・・想像できない・・・。現在は退会してTINAMIに行ったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=991946 靖也]===&lt;br /&gt;
ゴミのようなイラストを量産し絵師を気取っている勘違い男。正体はyourpedia利用者、MAC-BBその人である。pixivのIDと同一であることが動かぬ証拠。被害妄想の塊であり、私怨でわめき散らす様は幼稚かつ滑稽だが、本人の知性に欠陥があるようなので気が付くことはないだろう。ハバネロ三太夫なる名義でも活動しているようだが、こちらも各所で問題児のレッテルを貼られており、真性のキチガイユーザーであることは疑いようが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=638495 ゼロス]===&lt;br /&gt;
萌え豚。魔法少女まどか☆マギカの巴マミのグロイラストに対し、「気持ちが悪い」と暴言を吐くROM専。前述の作者がR-18Gタグの貼り忘れで叩く。過剰防衛のカス。仕事見つからなくていいよ。'''一生。'''こちらも残念ながら捨てアカウント。設定ミスとは言え、'''気持ちが悪い'''と書き込んで、責任転換させるが…。見てしまったお前の責任だろ…'''お前に働ける場所は無い!のたれ死ね!!23歳のクソガキ!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4739790 ちょういち]===&lt;br /&gt;
神奈川県出身の'''キチガイ'''厨房。人の作品に「'''削除希望'''」タグを付けた精神異常者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=3053315 月月]===&lt;br /&gt;
二次創作が大嫌い。故にピクペディアでそれを見つけると平然と差し替えてくるor削除してくるので注意。ほとんどブックマークしかやっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=217782 通りすがりの遊び人]===&lt;br /&gt;
ネトウヨ嫌いのオッサン。ブログは[http://ilovenoel.blog18.fc2.com/ http://ilovenoel.blog18.fc2.com/]、twitterのIDは[https://twitter.com/Noel_suki @Noel_suki]。ピクペディアで和継狼が編集した記事を見つけるとすぐに差し戻すスルースキルの低い筋金入りのキチガイサヨクであり、敵対するユーザー全てを右翼扱いし「ウヨぴょん」「ネトウヨ」「アホウヨ」とレッテルを貼っている。&lt;br /&gt;
また、ピクペディアで「レイシストをしばき隊」の項目も編集しており、しばき隊を擁護する内容に差し替えている。そのためしばき隊の信者である事が伺える(実際twitter内でもしばき隊に関する事や繋がりのある人物に関してリツイートしている)。他にも、「火病」の記事においてもその詳細が書かれているイラストがメイン画像として記載されているだけで火病って「No Image」と書かれたものに差し替えるなどの行為も行っている（別のユーザーからは「火病記事でも火病か」と呆れられている）。&lt;br /&gt;
やってることが朝鮮人と同類であり、多くのユーザーからも在日認定されている。&lt;br /&gt;
このことから常に火病っていることが伺える。&lt;br /&gt;
'''そんなことをしているのなら朝鮮半島へ帰れよ!!不逞鮮人!!'''&lt;br /&gt;
また、ツイートの内容もほとんどが「ばるばるでイベントプレイ中♪」という気持ち悪いものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===通りすがりの稲敷美浦===&lt;br /&gt;
削除厨。タグとして使われていない記事を見つけると火病って記事を白紙化する質の悪いユーザーであり、ドンCと同一人物の可能性が示唆されている。現在は退会済み。&lt;br /&gt;
'''[http://dic.pixiv.net/a/%E7%A8%B2%E6%95%B7%E7%BE%8E%E6%B5%A6 本人は「ピクシブ百科事典は、pixivのタグについて、記事を作成できるサービスです」という一文を鵜呑みにし、タグとして使われていない記事はしっかりした内容で書かれていても削除しなければならないと考えているようである。]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
pixivから離れたのかと思われたが、「帰ってくれ稲敷美浦」というユーザー名でアカウントを取得して復帰している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4517928 ドミトリ]===&lt;br /&gt;
[[ハイスクールD×D]]の[[レイナーレ]]が好きなあまり、彼女のエロ画像（しかもすごい下手）を大量に投稿し、当該記事のイラストサンプルを独占する。しかも自分で作った非公認キャラのイラストにまで[[ハイスクールD×D]]のタグを張って検索妨害をしているから迷惑なことこの上ない。他にもピクペディアにおけるレイナーレの記事を編集してレイナーレを過剰に賛美するだけの事実無根の内容にしており、他のユーザーに書き換えられると即座に自分が書いた内容に戻している。&lt;br /&gt;
こいつのおかげでレイナーレファンがみんなキチだと思われているので、不満は全部コイツにぶつけよう。&lt;br /&gt;
ひどい時には火病を起こすこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長期に渡る編集合戦のおかげでレイナーレの記事は編集保護されたが、ドミトリ本人は「あの編集合戦の際には、'''大百科の趣旨をよく理解しておらず、また、ついムキになって思慮に欠けた行動を取ってしまった事で、こちらにおられる方々に不快な思いをさせてしまい、また、記事が編集不可能になるという事態も招いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。今後は二度と、こうした思慮に欠けた行動を取らない事を誓います。皆様、本当に申し訳ありませんでした。'''」とコメントしている。'''どの口使ってそんな事を言っているのか。'''しかも、ピクシブ百科事典のことを「'''大百科'''」といっているので'''完全に馬鹿としか言いようがない。'''&lt;br /&gt;
おそらくそのコメントを打つ直前までニコニコ大百科における同キャラ記事の掲示板を荒らしていたから「'''大百科'''」という言葉が出たのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニコニコ動画のアカウントを持っており、気持ち悪いコメントを残しているほか、「天目山」というアカウント名で公式のイラストやアニメのシーンの静止画を自分が書いたかのように投稿しているなど、無断転載を行っている。更にそこのコメント欄でも、ピクペディアと同じように自分の妄想を事実だと言って憚らないうえに、配信終了していて確認できないからととあるソーシャルゲームについての捏造もしている。この様子では全く反省していないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更にアニメ3期でレイナーレが出たからか、今度は【女ザコ・敵女・悪女専用】画像掲示板を荒らしている。雑談版では上述のニコニコ大百科を荒らしていた時と同じ言動で暴れ、画像掲示板では趣旨違いにも関わらず、連日大して差異の無い彼女の画像を貼る、他の誰かが貼るとすぐ自分好みの画像を貼って埋めるなどして私物化している。&lt;br /&gt;
その後ハイスクールD×Dの画像掲示板が強制sage進行にされると、自分でレイナーレだけの画像掲示板を作った。しかし奴以外に誰もコメントすることが無かった為か、また上記の画像掲示板に戻り、ハイスクールD×Dのソーシャルゲームでレイナーレやその取り巻きのカードが出る度に貼り続けている。おとなしく自分の巣に籠ってればいいのに・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いい加減pixivとニコニコを退会しろ!ドミトリ!いや、'''ゴミトリ!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ドンC===&lt;br /&gt;
ピクシブ百科事典で白紙化を繰り返した削除厨にしてpixiv最大の迷惑ユーザー。野々村フミヤと編集合戦を繰り広げてきた。魔法少女まどか☆マギカに関する記事や一覧記事が大嫌いなようで見つけると火病ってすぐに削除をする。&lt;br /&gt;
現在はアカウント停止中。&lt;br /&gt;
アカウントを複数持っている疑いがあり、「D氏」「ドンコ」「ドンドン」「たなかさん」「ドンド」「トント-G」「Z-san」「正直犬」「zara」「通りすがりの稲敷美浦」などのユーザーがドンCと同じように白紙化を繰り返しているが、同一人物であるかは不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では御城プロジェクトの関連記事を荒らし記事認定しては削除するユーザーが登場しており、こちらもドンC説が浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な〜わ行==&lt;br /&gt;
===並ガラシ===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するユーザー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===西田===&lt;br /&gt;
声優記事を大量に立て逃げした乱立厨。'''その声優が何を演じたのかすら書かない'''上に立てた記事に関しては親記事を作ってからはノータッチといういい加減さであった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
現在はアカウントを停止されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=295786 ヒロポン・@・須賀]===&lt;br /&gt;
{{Main|ヒロポン・@・須賀}}&lt;br /&gt;
'''詳細は[[ヒロポン・@・須賀]]を参照。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4737121 まどかファン]===&lt;br /&gt;
[http://www.pixiv.net/member.php?id=339963 キル]と同じアンチ実写教徒…ではあるのだが、そのHNの通りまどか関連の作品を投稿しているユーザーにしか絡まない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ぶっちゃけた話が「俺様の崇拝するまどマギに異を唱える者は皆消えろ」というものであり、人はそれを「盲信」と呼ぶ。現在はこんなHNでありながら、ほとんどのまどかファンから不可触扱いされている。バーカ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1095047 まとら]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1770479 まな]===&lt;br /&gt;
プロレス、格闘技関係の交流企画で、顔の書き分けすらできない稚拙な絵にもかかわらず、自分のキャラを最強扱いしない他の参加者を作品のキャプションや小説投稿で誹謗中傷を繰り返すキチガイ。&lt;br /&gt;
現在では殆どの参加者から交流を拒否されており、相変わらず進歩のない同じ顔、同じポーズの正面画を投稿し続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4810360 無題]===&lt;br /&gt;
tk8氏のポケモン擬人化絵(ネタや可愛い作品に定評がある)に喧嘩を売った23歳児。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''「ポケモン擬人化と称して全然関係ない絵あげるの辞めろ、不愉快」'''とほざいた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ネタ絵を理解していない時点で'''ユーモアセンスの欠片やボキャブラリーも貧困。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみに、'''「八意えーりんがヤンマーソンの嫁ならこいしちゃんは俺の嫁な」'''と自己紹介欄に書いている程の[[東方厨]]である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
暇人。アルバイトも受からずに排泄物や、嘔吐物を好んで食う人種である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2097465 ルイドー]===&lt;br /&gt;
一覧厨。主にベルトスクロールアクションゲーム関連の記事を編集しているが、自己流攻略法や稼働店舗情報等を載せて自分が満足する内容にしていたり、自身が気に入らない記述を見つけたら即座に削除していたりする「ピクペディア記事の私物化」を行っているキチガイ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
彼自身の作品も、大半が所持しているエミュからの画像転載だったり、子供向けアニメからのトレスだったりと、非常に質の悪い作品が多数を占めている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
かつてゲームカタログ系@wikiにて『非合法マリオ』名義で荒らしを行っていた前科があり、彼の悪行についてまとめられたwikiがある等、色々な意味で問題のある人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=20949 老神(ルシアン)]===&lt;br /&gt;
ロボットアニメ好きのキチガイ絵師にして専門家気取りの自治厨。静岡県出身のアルバイト。TwitterのIDは'''[https://twitter.com/zennsoukyoku @zennsoukyoku]'''と'''[https://twitter.com/oigami2 @oigami2]（老神P名義）'''。個人サイト名は'''[http://zennsoukyoku.web.fc2.com/ Roost]'''。ブログ名は'''[http://zennsoukyo.exblog.jp/ russian’ｓ blog]'''。&lt;br /&gt;
ピクペディアでロボットアニメ関連の記事を編集しているが、時々自分が気に入らない内容を見つけるとすぐに自分が満足する内容に差し替えたり、余談が書いてある記事を見つけては即座に削除するほか、無断転載して引用元を明記せずに改変する行為も行っている。この事については「リジェネレイトガンダム」の記事における編集履歴で他のユーザーから指摘されている。本人は、公式サイト及びwikipediaから引用したものをある程度改変したものなら無断転載ではないと考えている模様。'''だったら引用元を明記していればいいのに。'''&lt;br /&gt;
「アレス・ガイスト」の記事でも他のユーザーが編集したのを見つけると自分が気に入った内容に差し替えており、編集合戦にまで発展したこともある。[http://dic.pixiv.net/history/list/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88 （アレス・ガイストの編集履歴）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ザメル」の記事においては他の作品にも登場していることを書いているのにかかわらず、きりがないという理由で意見を聞き入れずに削除していたこともある（現在は記載されている）。&lt;br /&gt;
「ガルスJ」の記事では別のユーザーが書いた余談を平気で削除したり、「グスタフ・カール」の記事でも他のユーザーによって変更されたメイン画像をすぐに自分が気に入ったものに差し替えては「自分の所行を悔い改めろ」と吐き捨てるなどの身勝手な行為も行っている。「シュツルム・ディアス」の記事においては「辞典サイトで必要なのはネタではなく解説です」と言い放ってシュツルム・ディアスから派生したSDガンダムの「闘士シュツルムディアス」の記述を削除しており、この様子から「ピクシブ百科事典でネタを交えて書くのはダメ」と決めつけていることが伺える。その異常な執着ぶりから'''「誹謗中傷や誤情報であればともかく、少なくとも記事に関った二名のユーザにとっては不必要なものではないし、ピクシブ百科事典はあなたの想定する辞典サイトの規則によって活動せねばならぬと規定されているものでもない。このサイトは「みんなでつくるpixivの百科事典」であり、ネタ記事が存在しネタ記事を禁止していないのだから、それはあなたにとって不必要であるからという理由で他のユーザーの活動を阻害することを保証するものにはならないだろう。あとネットバトル続けるとしてもこの欄でするのはやめようね(釘)」「記事の編集でそれが自分の理想に沿ってないからと、そんな理由で個人攻撃か…」'''（シュツルム・ディアスの編集履歴のコメントより）などと他のユーザーに言われている。&lt;br /&gt;
スルースキルは殆ど無く、ガンダム関連の記事の編集履歴にはほぼ「ルシアン」の名前が乗っており、ガンダム関連の記事が新しく作成されると寄生虫のようにいち早く食らいついている。&lt;br /&gt;
また、「pixivのガイドラインを参照してください」などと偉そうに指図したり、「イラストの無い段階で記事を作るのは関心しません」と言って規約にはないことを押し付けたり、「メイン画像はなるべく記事とする対象をメインに描かれているものを選ぶように。」と指図するなど、運営になりすましては必要以上に過剰な自治をしているような行為も行っている。&lt;br /&gt;
無断転載と改変が他のユーザーの調査によって明らかになっているのにもかかわらず、「'''事実と異なる'''」「'''ホント人に濡れ衣着せる人間死ねばいいのに'''」（Twitterでのツイート）と白を切るからすごくたちが悪い。まるで朝鮮人と同じである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[http://dic.pixiv.net/history/list/妖怪ウォッチ 妖怪ウォッチ]の記事では折角{{User|WiiU}}氏が努力して調べ上げてきた内容を書けば荒らしとする[[左翼]]の[[蛆虫]]である。当然、妖怪ウォッチが北朝鮮製であることは紛れもない事実であり、レベルファイブは翻訳したのに過ぎないのが真相である。詰まり、この人物は自らが気に入らない記事に書き換えられれば、例えそれが事実でも荒らしだと認定し、差戻すようなキチガイであり、同時に彼がポケモンファンのWiiUを敵対視し、妖怪ウォッチが日本製だの言う廃人化した病的左翼妖怪信者を擁護するという姿勢から[[反日]]主義者・[[反ポケモン勢力]]であると断定出来る。これらの事実から彼は[[在日朝鮮人]]である可能性が非常に高く、同時に自己中かつ重度の発達障害・知的障害を患っている可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひどい時には火病の発作を起こして暴言を吐くこともあるので見つけたらこいつに不満をぶつけるか、運営に通報しよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://theinterviews.jp/zennsoukyoku/363269 「自分勝手な人が苦手」]と言っているけど、'''自分勝手はお前だろうが。こんなことしてるからお前は正社員になれないんだよ。バーカ。'''&lt;br /&gt;
さっさとpixivをやめろ!!'''火病るシアン!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2404181 ロギノア123]===&lt;br /&gt;
'''詳細は[[ロギノア123]]を参照。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひくしふにすみつくきちかい}}&lt;br /&gt;
[[Category:pixivユーザー|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ブサヨ御三家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:泊優稀]]&lt;br /&gt;
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[[Category:創価学会]]&lt;br /&gt;
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[[Category:利用者]]&lt;br /&gt;
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[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
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[[Category:売国奴]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚候補]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:先編集権を侵害されている記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:特別支援学校出身者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=pixiv%E3%81%AB%E4%BD%8F%E3%81%BF%E7%9D%80%E3%81%8F%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC&amp;diff=344444</id>
		<title>pixivに住み着くキチガイユーザー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=pixiv%E3%81%AB%E4%BD%8F%E3%81%BF%E7%9D%80%E3%81%8F%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC&amp;diff=344444"/>
				<updated>2017-09-12T15:27:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: 153.205.98.134 (トーク) による版 344248 を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[pixiv]]および[[ピクペディア]]内で荒らしや誹謗中傷などを行っているユーザー。膨大になった[[pixivユーザー]]から分離し記述する。&lt;br /&gt;
{{Notice|不快だからと言って、pixiv内でアカウントを所得して下記に書かれているユーザーを注意・誹謗中傷を行った後に執筆者隠匿のためすぐ退会する行為は'''絶対にしないで下さい'''。pixivではこれも荒らしとして扱われます。}}&lt;br /&gt;
==英数字==&lt;br /&gt;
===mumu===&lt;br /&gt;
{{Main|mumu}}&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=13795131 gurosu]===&lt;br /&gt;
ネタバレを心底嫌うユーザー('''クロスアンジュ、遊戯王系。他作品には一切してこない''')。&lt;br /&gt;
周囲への配慮を一切せず一方的な編集を行う。注意されると逆ギレする。&lt;br /&gt;
またプロフ文の「感情論isクソ」は過去にupのプロフ文に記載されていたものであるためup本人である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=7731761 JGUN]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===TAKALEN===&lt;br /&gt;
{{Main|TAKALEN}}&lt;br /&gt;
ポケモン・ガンダム・特撮関連の記事で頻繁にイラスト差し替え・記事の乱立、私物化などを行うユーザー。常に独善的かつ独占欲の強い態度で周りの意見を無視した編集行為を行い、逆らうユーザーには煽り・粘着・嫌がらせをし、対話に応じようともしない。&lt;br /&gt;
特に自分に対する意見は、例えそれが自身に利益をもたらすものであったとしても批判と判断して耳を塞ぎ、相手を荒らしと決めつける（批判を受けたユーザーの一覧で自分の事が記述されたら即座に削除し、さらに批判を行っているサイトへのリンクも削除する）。&lt;br /&gt;
主観的・利己的・自分本位な編集は事典サイトではあまり歓迎される物ではなく、また記事の作成・編集の方向性も意図が読めない物ばかりである。このこともあり、TAKALENの作成した記事の掲示板には時折「これは本当に必要なのか」という旨の書き込みが寄せられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===up===&lt;br /&gt;
該当記事へ→[http://ja.yourpedia.org/wiki/up up]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2819526 UZA]===&lt;br /&gt;
ROM専だが、コメント欄で誹謗中傷をする奴。ご丁寧にプロフィールに「ウザい奴お断り」と書いている。''ウザいのはどっちなんでしょうね?''名前からして、内輪乗りや、強引なアホは嫌い…と見ている。'''こいつは早くpixivから追放されるべきである。'''残念ながら[[捨てアカウント]]の利用者の模様。そんな事してないで'''ボランティアをしろ!クソガキ!!'''&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=12778998 Piggy]===&lt;br /&gt;
サミュエル江藤智、石油泥棒名義の複数アカウントで立て逃げを行うユーザー。多い時は一日で50～60近くの記事を立てている。主に中国語韓国語アラビア語といった外国語の表記ゆれ、一般動詞が基本。ただしその多くが使い道がわからない物ばかり。何だよサイホンボルテックス式とかブローアウト式とかセミサイホン式とかって。加えて一時はアカウント取得後記事を作っては即退会を繰り返していた。現在は鰡名義で活動をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あ〜た行==&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=3070931 あかりちゃん大好き]===&lt;br /&gt;
[[石川県]]出身の大学男児。「あかりちゃん大好き」というハンドルネームである通り、投函イラストはジュエルペット関連と戦車ものばかり。ブックマークでもそれに準している。この事から完全に'''ジュエルペットてぃんくる厨'''である事が伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに他人のイラストを平気で罵る悪魔性ももっている。こいつは早くpixivから追放されるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=143053 アス]===&lt;br /&gt;
東京都出身、[[10月16日]]生まれの男性の自称フリーター。『[[凉宮ハルヒの憂鬱|ハルヒ]]』や『[[らき☆すた]]』といったヲタ向けアニメが大好きで、『ハルヒ』見てればアニメ通気取れると思っている。イラストも投函せずにブックマーク登録ばかり、その上他人の絵を勝手に下手糞と評価する。[[エクレロ孫法師]]のイラストを「'''下手なのにアップしすぎww'''」と中傷した[[反エクレロ勢力]]。ブックマークは18禁（主に女性キャラクターの裸体）ばかり。これは酷い2次元精子脳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1460463 居眠狂四郎]===&lt;br /&gt;
{{Main|居眠狂四郎}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=246602 ウーソキマスラ]===&lt;br /&gt;
''詳細は[[エクレロ孫法師|こちら]]を参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
yourpediaのウーソキマスラのこと。この記事を作った張本人。yourpedia、ピクペディア問わず自分と意見が合わない者を反エクレロ勢力として攻撃するのが特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
yourpediaでは自身の意見に同調しない者達を、私怨で片っ端から反エクレロ勢力という括りで私怨によって攻撃し、これに便乗した[[#靖也|MAC-BB]]が悪意によって身勝手な記事を乱立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結果、彼は無期限ブロックによりyourpediaを追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://touch.pixiv.net/member.php?id=7310518 神凪]===&lt;br /&gt;
自分の気に入らない記事や内容を見つけると勝手に編集したり削除を行ったりする悪質ユーザー。&lt;br /&gt;
とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。 &lt;br /&gt;
また、被害を受けているユーザーは多数いて抗議をしても無視をする。&lt;br /&gt;
また、一部の記事は修復されると、まるで待っていたかのように復旧して間も無いうちに編集・削除されており、ほぼ全ての時間帯で出没していることから、就寝時含め一日中PCの前に張り付いて監視しているように思えてくる。編集後のコメントにに必ず「kijisyuu」と書き残す。とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。 &lt;br /&gt;
レイアウト変更や、記事の整理を主にやっているが、コメントに「kijisyuu」とだけしか書かない。そのため、編集意図が伝わらない。最近では吐き気を催す邪悪、人間のクズタグがついている記事に対する編集を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===逆賊吉野朝廷陸賊軍團隊市民・香川県香川郡香川町・南朝軍国関西道大阪州後醍醐帝王etc===&lt;br /&gt;
[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=7389862 和継狼]===&lt;br /&gt;
旧名：[http://www.pixiv.net/member.php?id=5330926 克弘]。twitterのIDは[https://twitter.com/Katuro_zo1_7193 @Katuro_zo1_7193]。pixivを嫌韓・嫌中の溜まり場にしようとするネトウヨ。一見無関係な記事においてパッシングやプロパガンダ染みた記述を行ったり、国記事で「この国は親日国である」といった(しかもその理由が大体くだらない)書き込みをしている。何度追い出されても戻ってくる。敵対する者は全部左翼扱い。場違い極まりない。しかし高齢者である事は確かなため、老衰で消え去ってくれる事を待つしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=327298 ギガリス]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=339963 キル]===&lt;br /&gt;
「立体・造形物はガイドライン違反」だと指摘と言う名の自分の考えを押し付けていく。自称自営業（笑）。他人の心配するより、自分の心配しろ。自分では投稿出来ないんですね。わかります。2013年現在、逃げずにROMっている。自分の心配しなきゃダメでしょうが!（大笑）&amp;lt;br&amp;gt;メッセージを送ってもスルースキルがあるので、いただけない相手。カス中のカス。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://touch.pixiv.net/member.php?id=4184310 黒乃桜]===&lt;br /&gt;
'''詳細は[[黒乃桜]]を参照。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4187047 ゲル・ゲラルーダ]===&lt;br /&gt;
削除厨&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小倉川===&lt;br /&gt;
東方シリーズから派生したキャラ「ゆっくり」を虐待しているイラスト「ゆっくり虐待」を投稿しているユーザーに誹謗中傷や暴言を吐いた。「帰れよ」や「お前もゆっくり虐待を描いていたんだな」と噛みついては去って行くチキン。しかし、飽きたのかpixivを退会したようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1952966 五斗米道]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=6610778 こばP]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
西川がアッキーナにBASARAは？と聞いた事やツイッターで大人気ないことを言った事を知らないのにpixiv大百科を乗っ取った事実は免罪符だから何をしても許されると思い込んでいる人間のクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=860228 ささかつ]===&lt;br /&gt;
プリキュア関係のコラボ記事をこれでもかと作っては周囲を呆れさせている乱立ユーザー。[http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%82%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7 プリキュアシリーズのコラボタグ一覧]の内容が膨大になっている要因の一つでありその殆どがささかつの独断と偏見で作られている。&lt;br /&gt;
未確認情報やネタバレで記事を作る事も多く、ニチアサの害悪の一人として知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=3276288 じごふみ]、[http://www.pixiv.net/member.php?id=6655978 hy589pg]===&lt;br /&gt;
30歳の女性。'''極端な[[ドキドキ!プリキュア|相田マナ]]厨'''であるが故に二次創作（'''特にキュアハートの変態化'''）を'''徹底的に嫌う悪魔'''。ブックマークではR17.9なイラストも登録してる癖にイラストの投函自体も行わない。しかも多重アカウントを平然と利用しているのが驚きだ（その証拠にブックマークがほぼ全て一緒である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=7784513 ジニ (荒らしの方)]===&lt;br /&gt;
{{Main|ピクペディアの一覧荒らし集団}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=364766 シャドウ]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2030953 じゅうさ]===&lt;br /&gt;
自称・[[井口裕香|井口病]]患者。『イカ娘』の声優がまだ判明していない（2010年6月初め時点で）のに'''勝手に井口裕香と思い込んでいて、声優が井口と決まったような妄想イラストまで投函する'''ほどである。もし井口じゃないと判明した時の反応は・・・想像できない・・・。現在は退会してTINAMIに行ったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=10376782 す]===&lt;br /&gt;
TAKALENの狗&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=991946 靖也]===&lt;br /&gt;
ゴミのようなイラストを量産し絵師を気取っている勘違い男。正体はyourpedia利用者、MAC-BBその人である。pixivのIDと同一であることが動かぬ証拠。被害妄想の塊であり、私怨でわめき散らす様は幼稚かつ滑稽だが、本人の知性に欠陥があるようなので気が付くことはないだろう。ハバネロ三太夫なる名義でも活動しているようだが、こちらも各所で問題児のレッテルを貼られており、真性のキチガイユーザーであることは疑いようが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=638495 ゼロス]===&lt;br /&gt;
萌え豚。魔法少女まどか☆マギカの巴マミのグロイラストに対し、「気持ちが悪い」と暴言を吐くROM専。前述の作者がR-18Gタグの貼り忘れで叩く。過剰防衛のカス。仕事見つからなくていいよ。'''一生。'''こちらも残念ながら捨てアカウント。設定ミスとは言え、'''気持ちが悪い'''と書き込んで、責任転換させるが…。見てしまったお前の責任だろ…'''お前に働ける場所は無い!のたれ死ね!!23歳のクソガキ!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4739790 ちょういち]===&lt;br /&gt;
神奈川県出身の'''キチガイ'''厨房。人の作品に「'''削除希望'''」タグを付けた精神異常者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=3053315 月月]===&lt;br /&gt;
二次創作が大嫌い。故にピクペディアでそれを見つけると平然と差し替えてくるor削除してくるので注意。ほとんどブックマークしかやっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=217782 通りすがりの遊び人]===&lt;br /&gt;
ネトウヨ嫌いのオッサン。ブログは[http://ilovenoel.blog18.fc2.com/ http://ilovenoel.blog18.fc2.com/]、twitterのIDは[https://twitter.com/Noel_suki @Noel_suki]。ピクペディアで和継狼が編集した記事を見つけるとすぐに差し戻すスルースキルの低い筋金入りのキチガイサヨクであり、敵対するユーザー全てを右翼扱いし「ウヨぴょん」「ネトウヨ」「アホウヨ」とレッテルを貼っている。&lt;br /&gt;
また、ピクペディアで「レイシストをしばき隊」の項目も編集しており、しばき隊を擁護する内容に差し替えている。そのためしばき隊の信者である事が伺える(実際twitter内でもしばき隊に関する事や繋がりのある人物に関してリツイートしている)。他にも、「火病」の記事においてもその詳細が書かれているイラストがメイン画像として記載されているだけで火病って「No Image」と書かれたものに差し替えるなどの行為も行っている（別のユーザーからは「火病記事でも火病か」と呆れられている）。&lt;br /&gt;
やってることが朝鮮人と同類であり、多くのユーザーからも在日認定されている。&lt;br /&gt;
このことから常に火病っていることが伺える。&lt;br /&gt;
'''そんなことをしているのなら朝鮮半島へ帰れよ!!不逞鮮人!!'''&lt;br /&gt;
また、ツイートの内容もほとんどが「ばるばるでイベントプレイ中♪」という気持ち悪いものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===通りすがりの稲敷美浦===&lt;br /&gt;
削除厨。タグとして使われていない記事を見つけると火病って記事を白紙化する質の悪いユーザーであり、ドンCと同一人物の可能性が示唆されている。現在は退会済み。&lt;br /&gt;
'''[http://dic.pixiv.net/a/%E7%A8%B2%E6%95%B7%E7%BE%8E%E6%B5%A6 本人は「ピクシブ百科事典は、pixivのタグについて、記事を作成できるサービスです」という一文を鵜呑みにし、タグとして使われていない記事はしっかりした内容で書かれていても削除しなければならないと考えているようである。]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
pixivから離れたのかと思われたが、「帰ってくれ稲敷美浦」というユーザー名でアカウントを取得して復帰している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4517928 ドミトリ]===&lt;br /&gt;
[[ハイスクールD×D]]の[[レイナーレ]]が好きなあまり、彼女のエロ画像（しかもすごい下手）を大量に投稿し、当該記事のイラストサンプルを独占する。しかも自分で作った非公認キャラのイラストにまで[[ハイスクールD×D]]のタグを張って検索妨害をしているから迷惑なことこの上ない。他にもピクペディアにおけるレイナーレの記事を編集してレイナーレを過剰に賛美するだけの事実無根の内容にしており、他のユーザーに書き換えられると即座に自分が書いた内容に戻している。&lt;br /&gt;
こいつのおかげでレイナーレファンがみんなキチだと思われているので、不満は全部コイツにぶつけよう。&lt;br /&gt;
ひどい時には火病を起こすこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長期に渡る編集合戦のおかげでレイナーレの記事は編集保護されたが、ドミトリ本人は「あの編集合戦の際には、'''大百科の趣旨をよく理解しておらず、また、ついムキになって思慮に欠けた行動を取ってしまった事で、こちらにおられる方々に不快な思いをさせてしまい、また、記事が編集不可能になるという事態も招いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。今後は二度と、こうした思慮に欠けた行動を取らない事を誓います。皆様、本当に申し訳ありませんでした。'''」とコメントしている。'''どの口使ってそんな事を言っているのか。'''しかも、ピクシブ百科事典のことを「'''大百科'''」といっているので'''完全に馬鹿としか言いようがない。'''&lt;br /&gt;
おそらくそのコメントを打つ直前までニコニコ大百科における同キャラ記事の掲示板を荒らしていたから「'''大百科'''」という言葉が出たのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニコニコ動画のアカウントを持っており、気持ち悪いコメントを残しているほか、「天目山」というアカウント名で公式のイラストやアニメのシーンの静止画を自分が書いたかのように投稿しているなど、無断転載を行っている。更にそこのコメント欄でも、ピクペディアと同じように自分の妄想を事実だと言って憚らないうえに、配信終了していて確認できないからととあるソーシャルゲームについての捏造もしている。この様子では全く反省していないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更にアニメ3期でレイナーレが出たからか、今度は【女ザコ・敵女・悪女専用】画像掲示板を荒らしている。雑談版では上述のニコニコ大百科を荒らしていた時と同じ言動で暴れ、画像掲示板では趣旨違いにも関わらず、連日大して差異の無い彼女の画像を貼る、他の誰かが貼るとすぐ自分好みの画像を貼って埋めるなどして私物化している。&lt;br /&gt;
その後ハイスクールD×Dの画像掲示板が強制sage進行にされると、自分でレイナーレだけの画像掲示板を作った。しかし奴以外に誰もコメントすることが無かった為か、また上記の画像掲示板に戻り、ハイスクールD×Dのソーシャルゲームでレイナーレやその取り巻きのカードが出る度に貼り続けている。おとなしく自分の巣に籠ってればいいのに・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いい加減pixivとニコニコを退会しろ!ドミトリ!いや、'''ゴミトリ!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ドンC===&lt;br /&gt;
ピクシブ百科事典で白紙化を繰り返した削除厨にしてpixiv最大の迷惑ユーザー。野々村フミヤと編集合戦を繰り広げてきた。魔法少女まどか☆マギカに関する記事や一覧記事が大嫌いなようで見つけると火病ってすぐに削除をする。&lt;br /&gt;
現在はアカウント停止中。&lt;br /&gt;
アカウントを複数持っている疑いがあり、「D氏」「ドンコ」「ドンドン」「たなかさん」「ドンド」「トント-G」「Z-san」「正直犬」「zara」「通りすがりの稲敷美浦」などのユーザーがドンCと同じように白紙化を繰り返しているが、同一人物であるかは不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では御城プロジェクトの関連記事を荒らし記事認定しては削除するユーザーが登場しており、こちらもドンC説が浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な〜わ行==&lt;br /&gt;
===並ガラシ===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するユーザー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===西田===&lt;br /&gt;
声優記事を大量に立て逃げした乱立厨。'''その声優が何を演じたのかすら書かない'''上に立てた記事に関しては親記事を作ってからはノータッチといういい加減さであった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
現在はアカウントを停止されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=16876000 氷雨丸]===&lt;br /&gt;
キャラヘイト絶対に許さないマン(笑)&lt;br /&gt;
キャラを擁護している自分に酔っているだけの阿呆 &lt;br /&gt;
強者には媚び諂い弱者には威張り散らすチキン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=295786 ヒロポン・@・須賀]===&lt;br /&gt;
{{Main|ヒロポン・@・須賀}}&lt;br /&gt;
'''詳細は[[ヒロポン・@・須賀]]を参照。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4737121 まどかファン]===&lt;br /&gt;
[http://www.pixiv.net/member.php?id=339963 キル]と同じアンチ実写教徒…ではあるのだが、そのHNの通りまどか関連の作品を投稿しているユーザーにしか絡まない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ぶっちゃけた話が「俺様の崇拝するまどマギに異を唱える者は皆消えろ」というものであり、人はそれを「盲信」と呼ぶ。現在はこんなHNでありながら、ほとんどのまどかファンから不可触扱いされている。バーカ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1095047 まとら]===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=1770479 まな]===&lt;br /&gt;
プロレス、格闘技関係の交流企画で、顔の書き分けすらできない稚拙な絵にもかかわらず、自分のキャラを最強扱いしない他の参加者を作品のキャプションや小説投稿で誹謗中傷を繰り返すキチガイ。&lt;br /&gt;
現在では殆どの参加者から交流を拒否されており、相変わらず進歩のない同じ顔、同じポーズの正面画を投稿し続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=4810360 無題]===&lt;br /&gt;
tk8氏のポケモン擬人化絵(ネタや可愛い作品に定評がある)に喧嘩を売った23歳児。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''「ポケモン擬人化と称して全然関係ない絵あげるの辞めろ、不愉快」'''とほざいた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ネタ絵を理解していない時点で'''ユーモアセンスの欠片やボキャブラリーも貧困。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみに、'''「八意えーりんがヤンマーソンの嫁ならこいしちゃんは俺の嫁な」'''と自己紹介欄に書いている程の[[東方厨]]である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
暇人。アルバイトも受からずに排泄物や、嘔吐物を好んで食う人種である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2097465 ルイドー]===&lt;br /&gt;
一覧厨。主にベルトスクロールアクションゲーム関連の記事を編集しているが、自己流攻略法や稼働店舗情報等を載せて自分が満足する内容にしていたり、自身が気に入らない記述を見つけたら即座に削除していたりする「ピクペディア記事の私物化」を行っているキチガイ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
彼自身の作品も、大半が所持しているエミュからの画像転載だったり、子供向けアニメからのトレスだったりと、非常に質の悪い作品が多数を占めている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
かつてゲームカタログ系@wikiにて『非合法マリオ』名義で荒らしを行っていた前科があり、彼の悪行についてまとめられたwikiがある等、色々な意味で問題のある人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=20949 老神(ルシアン)]===&lt;br /&gt;
ロボットアニメ好きのキチガイ絵師にして専門家気取りの自治厨。静岡県出身のアルバイト。TwitterのIDは'''[https://twitter.com/zennsoukyoku @zennsoukyoku]'''と'''[https://twitter.com/oigami2 @oigami2]（老神P名義）'''。個人サイト名は'''[http://zennsoukyoku.web.fc2.com/ Roost]'''。ブログ名は'''[http://zennsoukyo.exblog.jp/ russian’ｓ blog]'''。&lt;br /&gt;
ピクペディアでロボットアニメ関連の記事を編集しているが、時々自分が気に入らない内容を見つけるとすぐに自分が満足する内容に差し替えたり、余談が書いてある記事を見つけては即座に削除するほか、無断転載して引用元を明記せずに改変する行為も行っている。この事については「リジェネレイトガンダム」の記事における編集履歴で他のユーザーから指摘されている。本人は、公式サイト及びwikipediaから引用したものをある程度改変したものなら無断転載ではないと考えている模様。'''だったら引用元を明記していればいいのに。'''&lt;br /&gt;
「アレス・ガイスト」の記事でも他のユーザーが編集したのを見つけると自分が気に入った内容に差し替えており、編集合戦にまで発展したこともある。[http://dic.pixiv.net/history/list/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88 （アレス・ガイストの編集履歴）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ザメル」の記事においては他の作品にも登場していることを書いているのにかかわらず、きりがないという理由で意見を聞き入れずに削除していたこともある（現在は記載されている）。&lt;br /&gt;
「ガルスJ」の記事では別のユーザーが書いた余談を平気で削除したり、「グスタフ・カール」の記事でも他のユーザーによって変更されたメイン画像をすぐに自分が気に入ったものに差し替えては「自分の所行を悔い改めろ」と吐き捨てるなどの身勝手な行為も行っている。「シュツルム・ディアス」の記事においては「辞典サイトで必要なのはネタではなく解説です」と言い放ってシュツルム・ディアスから派生したSDガンダムの「闘士シュツルムディアス」の記述を削除しており、この様子から「ピクシブ百科事典でネタを交えて書くのはダメ」と決めつけていることが伺える。その異常な執着ぶりから'''「誹謗中傷や誤情報であればともかく、少なくとも記事に関った二名のユーザにとっては不必要なものではないし、ピクシブ百科事典はあなたの想定する辞典サイトの規則によって活動せねばならぬと規定されているものでもない。このサイトは「みんなでつくるpixivの百科事典」であり、ネタ記事が存在しネタ記事を禁止していないのだから、それはあなたにとって不必要であるからという理由で他のユーザーの活動を阻害することを保証するものにはならないだろう。あとネットバトル続けるとしてもこの欄でするのはやめようね(釘)」「記事の編集でそれが自分の理想に沿ってないからと、そんな理由で個人攻撃か…」'''（シュツルム・ディアスの編集履歴のコメントより）などと他のユーザーに言われている。&lt;br /&gt;
スルースキルは殆ど無く、ガンダム関連の記事の編集履歴にはほぼ「ルシアン」の名前が乗っており、ガンダム関連の記事が新しく作成されると寄生虫のようにいち早く食らいついている。&lt;br /&gt;
また、「pixivのガイドラインを参照してください」などと偉そうに指図したり、「イラストの無い段階で記事を作るのは関心しません」と言って規約にはないことを押し付けたり、「メイン画像はなるべく記事とする対象をメインに描かれているものを選ぶように。」と指図するなど、運営になりすましては必要以上に過剰な自治をしているような行為も行っている。&lt;br /&gt;
無断転載と改変が他のユーザーの調査によって明らかになっているのにもかかわらず、「'''事実と異なる'''」「'''ホント人に濡れ衣着せる人間死ねばいいのに'''」（Twitterでのツイート）と白を切るからすごくたちが悪い。まるで朝鮮人と同じである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[http://dic.pixiv.net/history/list/妖怪ウォッチ 妖怪ウォッチ]の記事では折角{{User|WiiU}}氏が努力して調べ上げてきた内容を書けば荒らしとする[[左翼]]の[[蛆虫]]である。当然、妖怪ウォッチが北朝鮮製であることは紛れもない事実であり、レベルファイブは翻訳したのに過ぎないのが真相である。詰まり、この人物は自らが気に入らない記事に書き換えられれば、例えそれが事実でも荒らしだと認定し、差戻すようなキチガイであり、同時に彼がポケモンファンのWiiUを敵対視し、妖怪ウォッチが日本製だの言う廃人化した病的左翼妖怪信者を擁護するという姿勢から[[反日]]主義者・[[反ポケモン勢力]]であると断定出来る。これらの事実から彼は[[在日朝鮮人]]である可能性が非常に高く、同時に自己中かつ重度の発達障害・知的障害を患っている可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひどい時には火病の発作を起こして暴言を吐くこともあるので見つけたらこいつに不満をぶつけるか、運営に通報しよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://theinterviews.jp/zennsoukyoku/363269 「自分勝手な人が苦手」]と言っているけど、'''自分勝手はお前だろうが。こんなことしてるからお前は正社員になれないんだよ。バーカ。'''&lt;br /&gt;
さっさとpixivをやめろ!!'''火病るシアン!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://www.pixiv.net/member.php?id=2404181 ロギノア123]===&lt;br /&gt;
'''詳細は[[ロギノア123]]を参照。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひくしふにすみつくきちかい}}&lt;br /&gt;
[[Category:pixivユーザー|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ブサヨ御三家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:泊優稀]]&lt;br /&gt;
[[Category:在日コリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:創価学会]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソックパペッター]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]]&lt;br /&gt;
[[Category:長期荒らしメンバー]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネット依存症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:偽善者]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪の組織デビルシャドウ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ＪＣＮ関東のユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:狂人]]&lt;br /&gt;
[[Category:発達障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:アスペルガー障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:中二病]]&lt;br /&gt;
[[Category:精神障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:躁病の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:偏執狂の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:依存症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人格障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:解離性統一障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:統合失調症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:虚言癖を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会復帰途上の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:引籠もりの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:対話不能者]]&lt;br /&gt;
[[Category:引きこもり]]&lt;br /&gt;
[[Category:自宅警備員]]&lt;br /&gt;
[[Category:無職]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:誹謗中傷マニア]]&lt;br /&gt;
[[Category:個人攻撃マニア]]&lt;br /&gt;
[[Category:幸福の科学]]&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[Category:特別支援学校出身者]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:前科者]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪予備軍]]&lt;br /&gt;
[[Category:職業訓練を本気で受けるべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:星椎水精に浄霊をしてもらうべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本共産党]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本教職員組合]]&lt;br /&gt;
[[Category:政治的左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:無期限ブロックを受けたユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヒール]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:粘着]]&lt;br /&gt;
[[Category:編集合戦マニア]]&lt;br /&gt;
[[Category:偏執狂の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:戸塚宏に扱いてもらうべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:売国奴]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚候補]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:先編集権を侵害されている記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:特別支援学校出身者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=pixiv%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC&amp;diff=344443</id>
		<title>pixivのキチガイユーザー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=pixiv%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC&amp;diff=344443"/>
				<updated>2017-09-12T15:26:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ノ口ケン: 153.205.98.134 (トーク) による版 344247 を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[pixiv]]および[[ピクペディア]]内で[[荒らし]]や[[誹謗中傷]]などを行っているユーザー。膨大になった[[pixivユーザー]]から分離し記述する。&lt;br /&gt;
{{Notice|不快だからと言って、[[pixiv]]内でアカウントを所得して下記に書かれているユーザーを注意・誹謗中傷を行った後に執筆者隠匿のためすぐ退会する行為は'''絶対にしないでください'''。[[pixiv]]ではこれも[[荒らし]]として扱われます。}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==英数字==&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|BDBOOK|16876000}}===&lt;br /&gt;
キャラヘイト絶対に許さないマン(笑)&lt;br /&gt;
キャラを擁護している自分に酔っているだけの阿呆 &lt;br /&gt;
強者には媚び諂い弱者には威張り散らすチキン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===BotMultichill===&lt;br /&gt;
記事の白紙化を行ったユーザー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|kimutake|5565307}}===&lt;br /&gt;
深夜アニメのキャラや専門用語の記事を作りたがる乱立厨。モブに名前が付いただけのキャラや一話だけのゲストキャラ、さらにはモブそのものの記事すらピクシブのイラスト投稿状況を考えずに作ろうとする。&lt;br /&gt;
記事乱立が著しいニチアサみたくするのが百科事典の流儀だと思っているらしく、注意されても数日後にはその事を忘れるように記事を作るなど痴呆の疑いがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===mumu===&lt;br /&gt;
{{Main|mumu}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|gurosu|13795131}}===&lt;br /&gt;
ネタバレを心底嫌うユーザー('''クロスアンジュ系、ポケモン、アニメ遊戯王系などで活動''')。&lt;br /&gt;
周囲への配慮を一切せず一方的な編集を行う。注意されると逆ギレする。&lt;br /&gt;
プロフ文の「感情論isクソ」は過去にupのプロフ文に記載されていたものであるためup本人である可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子役の記事にヘイト表現を書き込む、コメント欄に罵詈雑言を書き込むなど、問題行動を起こしては屁理屈で自己正当化を繰り返している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「何度正論を言っても聞き入れないアホを見てると「馬鹿を論破することは出来ない」は本当なんだなとわかる。」などと発言して、自分の行動についての説明を一切拒否しているが'''冗談ではない、お前の行動が反社会的なのは他人のせいではない'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然、何度もアカウントを停止されているが「卑怯な編集者コミュニティの妨害工作(意訳)」として反省する気配はない。'''彼に必要なのはパソコンではなく医者である'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|JGUN|7731761}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== LOAD ===&lt;br /&gt;
{{Main|LOAD}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|sk18527698|10695867}}===&lt;br /&gt;
主に外国語を解説した記事を白紙化している傾向があるユーザー。pixivでは外国人ユーザーが英語をはじめとした外国語のタグを付けて投稿している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===up===&lt;br /&gt;
該当記事へ→[http://ja.yourpedia.org/wiki/up up]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|UZA|2819526}}===&lt;br /&gt;
ROM専だが、コメント欄で誹謗中傷をする奴。ご丁寧にプロフィールに「ウザい奴お断り」と書いている。''ウザいのはどっちなんでしょうね?''名前からして、内輪乗りや、強引なアホは嫌い…と見ている。'''こいつは早くpixivから追放されるべきである。'''残念ながら[[捨てアカウント]]の利用者の模様。そんな事してないで'''ボランティアをしろ!クソガキ!!'''&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|Piggy|12778998}}===&lt;br /&gt;
サミュエル江藤智、石油泥棒名義の複数アカウントで立て逃げを行うユーザー。多い時は一日で50～60近くの記事を立てている。主に中国語韓国語アラビア語といった外国語の表記ゆれ、一般動詞が基本。ただしその多くが使い道がわからない物ばかり。何だよサイホンボルテックス式とかブローアウト式とかセミサイホン式とかって。加えて一時はアカウント取得後記事を作っては即退会を繰り返していた。現在は鰡名義で活動をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser| ｘｘｘ |4629429}}および天馬===&lt;br /&gt;
※この2アカウントは同一人物です！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重度の[[作品病|ドロシー厨]]で、無職（＝犯罪者予備軍）、変態、オウム信者、養護学校出身の精神異常者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドロシーの記事では本来はドロシーの愛称である「ドロカス」の意味をろくに理解せず「'''カス呼ばわりは明らかな蔑称であり、それを嫌うファンが多く存在する'''」という嘘っぱちの理由をつけて改竄。'''一部CPの記載すらアンチに見える'''という異質人間。さらに「レオそふぃ」では「'''明らかにこのカップリングを嫌がる人間が多い'''」という根拠ゼロの情報を付けて改竄するという悪質人間&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、自分にとって納得いかない編集に対しては「'''[https://dic.pixiv.net/history/list/%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%91%E3%83%A9　お前こそ一方的な視点から特定キャラを貶めるような記載は控えるべきだ]'''」と喧嘩を売っているようなコメントすら残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''こんなドロシー厨レオそふぃアンチのウンコ野郎を運営はさっさとアカウント停止すべきである。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|riruaku|283810}}===&lt;br /&gt;
自民党と日本を憎み民主党としばき隊と韓国と在日朝鮮人をこよなく愛する典型的パヨク。主にそれ界隈の記事に出没、粘着する。&lt;br /&gt;
議論しようとすると「交渉する気はない」などと言い出すほど日本語が不自由・・・どうも議論という単語すら知らないのかもしれない。論破されることが怖いらしく相手の反論をきちんと読まない、しかしそのことを悟られたくないのか架空の反論に反論してマウントして偉ぶりまるできちんと反論したかのような態度をとる。これは相手の編集内容に対しても一緒。&lt;br /&gt;
しかし内容が支離滅裂すぎて即ばれる。そんなことを繰り返していくうちに開き直ったのか前述の「交渉する気はない」しか言わなくなりだした。&lt;br /&gt;
自分で遠回しとは言え荒らしであると宣言しながら荒らす珍しい荒らし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==あ〜た行==&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|あ|19459267}}===&lt;br /&gt;
後述の[[神凪(pixivユーザー)]]同様自分の気に入らない記事や内容を見つけると勝手に編集したり削除を行ったりする悪質ユーザー。とくにユーザー自身が考えたオリキャラの記事に対しては「作者本人によるオリキャラ記事の作成はマナー違反であり、自演記事と呼ばれています。」などと決めつけ、さらに記事の内容全体を「記事編集を繰り返す前にピクシブのマナーをよく学び、己の無知を恥じましょう。 公共のものを私物化してはいけません。子供じゃないのだからそれくらいわかるでしょう。 多くの方に迷惑をかける事の無いように。」などといった内容に書き換え、編集内容にも同様の文章のコピペを貼り付け、そのまま編集をおこなうという手口を確認。運営者になりすます行為もいいとこである。運営側が自身が考えたのオリジナルキャラクターの記事を自身で作成することが違反ではないと伝えているにもかかわらずそれでも当該ユーザーは攻撃対象のユーザーが自身で考えたオリジナルキャラクターの記事を白紙化して嫌がらせをおこなっている。運営側が規約違反ではないと判断したものを個々のユーザーが勝手に規約違反と言い張るほうがよっぽど子供である。規約違反でないとわかったらそれを受け入れるのが大人の対応である。したがって当該ユーザーがやっていることは低年齢であり、こいつのほうが迷惑をかけていると見受けられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証拠画像その１&lt;br /&gt;
https://www.fastpic.jp/images.php?file=3111099241.png&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして他のユーザーが復旧してなおも自演記事などと言いがかりをつけて白紙化を行うという行為をしていることから記事そのものの監視をおこなっていることが考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証拠画像その２&lt;br /&gt;
https://www.fastpic.jp/images.php?file=9300506155.png&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|アグバー|10641586}}===&lt;br /&gt;
アニメ・特撮の悪役を貶したくてしかたがない、吐き気を催す邪悪絶対許さないマン。&lt;br /&gt;
物語の進行上で悪行を行ったキャラクターをとにかくヘイトしたがる上にそういった悪役を接点がほとんどないにも関わらず関連付けたがる。&lt;br /&gt;
自分で記事を作ることもあるが内容は一行だけ書いただけで後は他人任せ、その上で記事が編集されたら差し戻して悦に入る、乱立厨にして一覧厨にして自治厨。&lt;br /&gt;
そもそも悪役は劇中でヒーローが清々しく撃退するのだから過剰にまくしたてる必要は無いのだが、そういった言葉にまるで耳を傾けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|アス|143053}}===&lt;br /&gt;
東京都出身、[[10月16日]]生まれの男性の自称フリーター。『[[凉宮ハルヒの憂鬱|ハルヒ]]』や『[[らき☆すた]]』といったヲタ向けアニメが大好きで、『ハルヒ』見てればアニメ通気取れると思っている。イラストも投函せずにブックマーク登録ばかり、その上他人の絵を勝手に下手糞と評価する。[[エクレロ孫法師]]のイラストを「'''下手なのにアップしすぎww'''」と中傷した[[反エクレロ勢力]]。ブックマークは18禁（主に女性キャラクターの裸体）ばかり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|アソカ|10301190}}===&lt;br /&gt;
『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』の二次小説の書き手として一定の評価を得ているが、自身の作品や他人の作品のコメント欄でその攻撃性を発揮する。自身の作品においては、貶された際に反撃するのはもちろん、悪意がないと思われる質問あるいは擁護してくれるコメントにすら過剰反応して皮肉や暴言を吐く。他人の作品においては、荒らしと受け取られても仕方ない誹謗中傷を書き込み、反論する作者や他の読者と口論になるのが常。書き手としての自負が強いのか、作品投稿のないユーザーを見下す傾向にある。かといって作品投稿のあるユーザーに対しては、その作品を罵りつつユーザー本人も罵る。（例：作品、見ましたけど…だから幼稚なのですね。）基本的に話を聞かないので議論にすらならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その悪意に満ちたコメントがきっかけで、作品投稿を引退して投稿作品をすべて削除してしまったユーザーがいるほどである。⇒{{pixivuser|にゃおやP|556724}}　しかもその引退文にすら平然と荒らしコメントを書いており、罪悪感は一切感じていない様子。厚顔無恥ここに極まれり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自己紹介文は「俺ガイルＳＳ、２万件以上を読んでいます」……だからなんだよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|居眠狂四郎|1460463}}===&lt;br /&gt;
{{Main|居眠狂四郎}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ウーソキマスラ|246602}}===&lt;br /&gt;
{{Main|エクレロ孫法師}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
yourpediaのウーソキマスラのこと。この記事を作った張本人。yourpedia、ピクペディア問わず自分と意見が合わない者を反エクレロ勢力として攻撃するのが特徴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
yourpediaでは自身の意見に同調しない者達を、私怨で片っ端から反エクレロ勢力という括りで私怨によって攻撃し、これに便乗した[[#靖也|MAC-BB]]が悪意によって身勝手な記事を乱立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結果、彼は無期限ブロックによりyourpediaを追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|神凪|7310518}}===&lt;br /&gt;
自分の気に入らない記事や内容を見つけると勝手に編集したり削除を行ったりする悪質ユーザー。&lt;br /&gt;
とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。 &lt;br /&gt;
また、被害を受けているユーザーは多数いて抗議をしても無視をする。&lt;br /&gt;
また、一部の記事は修復されると、まるで待っていたかのように復旧して間も無いうちに編集・削除されており、ほぼ全ての時間帯で出没していることから、就寝時含め一日中PCの前に張り付いて監視しているように思えてくる。編集後のコメントにに必ず「kijisyuu」と書き残す。とくにオリキャラの記事に於いては一方的に“自作自演”と決めつけ白紙化を行う。 &lt;br /&gt;
レイアウト変更や、記事の整理を主にやっているが、コメントに「kijisyuu」とだけしか書かない。そのため、編集意図が伝わらない。最近では吐き気を催す邪悪、人間のクズタグがついている記事に対する編集を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===逆賊吉野朝廷陸賊軍團隊市民・香川県香川郡香川町・南朝軍国関西道大阪州後醍醐帝王etc===&lt;br /&gt;
{{Main|藤原朝臣二川藤太郎光綱}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ギガリス|327298}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|キル|339963}}===&lt;br /&gt;
「立体・造形物はガイドライン違反」だと指摘と言う名の自分の考えを押し付けていく。自称自営業（笑）。他人の心配するより、自分の心配しろ。自分では投稿出来ないんですね。わかります。2013年現在、逃げずにROMっている。自分の心配しなきゃダメでしょうが!（大笑）&amp;lt;br&amp;gt;メッセージを送ってもスルースキルがあるので、いただけない相手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|4187047}}===&lt;br /&gt;
削除厨&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小倉川===&lt;br /&gt;
東方シリーズから派生したキャラ「ゆっくり」を虐待しているイラスト「ゆっくり虐待」を投稿しているユーザーに誹謗中傷や暴言を吐いた。「帰れよ」や「お前もゆっくり虐待を描いていたんだな」と噛みついては去って行くチキン。しかし、飽きたのかpixivを退会したようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|五斗米道|1952966}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|このは|17684475}}===&lt;br /&gt;
プリキュア関連記事に出入りする編集者…と言えば聞こえはいいが'''実質は削除厨'''。&lt;br /&gt;
明確なコラボ記事以外（要は作品自体や登場キャラクターの記事）に他作品や声優ネタの記述がされるのを極端に毛嫌いしており、客観的に多数の共通点が認められる作品の関連タグ記載や、出演声優自身の『プリキュア』関連エピソードであってもとにかく削除。その一方で自身による'''有用な内容の追記は皆無'''。&lt;br /&gt;
本人的にはクリーンアップをしているつもりなのだろうが、実際には'''無味乾燥化'''している事例の方が圧倒的に多い。&lt;br /&gt;
また、[http://dic.pixiv.net/comment/view/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%82%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7 コラボタグ一覧の掲示板コメント]において「女の子向け作品とのコラボが少ない」と愚痴りながらも'''自分でどうにかしよう（＝新規に記事を作ろう）という姿勢も皆無'''。&lt;br /&gt;
編集内容や掲示板コメントを読む限り本来のターゲットである年少女子のようではあるが、プロフィール画面から読み取れる情報があまりに少ないので既存悪質ユーザーのなりすましでは? という疑念も払拭できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|こばP|6610778}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
西川がアッキーナにBASARAは？と聞いた事やツイッターで大人気ないことを言った事を知らないのにpixiv大百科を乗っ取った事実は免罪符だから何をしても許されると思い込んでいる人間のクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ささかつ|860228}}===&lt;br /&gt;
プリキュア関係のコラボ記事をこれでもかと作っては周囲を呆れさせている乱立ユーザー。[http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%82%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7 プリキュアシリーズのコラボタグ一覧]の内容が膨大になっている要因の一つでありその殆どがささかつの独断と偏見で作られている。&lt;br /&gt;
未確認情報やネタバレで記事を作る事も多く、ニチアサの害悪の一人として知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|じごふみ|3276288}}、{{pixivuser|hy589pg|6655978}}===&lt;br /&gt;
30歳の女性。'''極端な[[ドキドキ!プリキュア|相田マナ]]厨'''であるが故に二次創作（'''特にキュアハートの変態化'''）を'''徹底的に嫌う悪魔'''。ブックマークではR17.9なイラストも登録してる癖にイラストの投函自体も行わない。しかも多重アカウントを平然と利用しているのが驚きだ（その証拠にブックマークがほぼ全て一緒である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ジニ (荒らしの方)|7784513}}===&lt;br /&gt;
{{Main|ピクペディアの一覧荒らし集団}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|シャドウ|364766}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|じゅうさ|2030953}}===&lt;br /&gt;
自称・[[井口裕香|井口病]]患者。『イカ娘』の声優がまだ判明していない（2010年6月初め時点で）のに'''勝手に井口裕香と思い込んでいて、声優が井口と決まったような妄想イラストまで投函する'''ほどである。もし井口じゃないと判明した時の反応は・・・想像できない・・・。現在は退会してTINAMIに行ったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===十四松のジオラマ===&lt;br /&gt;
デマを息をするるかのごとく口にする誤報発生器。&lt;br /&gt;
アニメ「おそ松さん」の未公開エピソードと称して自分の妄想を押し付けたり、自分が荒らしたサイトの悪口をピクシブ百科事典で記事にした（Wikipediaでも同じ事やってアク禁になった）。&lt;br /&gt;
もっともらしいことから離れた行動をしているが、自分の記事が白紙化されたら「主観で白紙化するのはよくない」と自分の行動を正当化しようとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|靖也|991946}}===&lt;br /&gt;
ゴミのようなイラストを量産し絵師を気取っている勘違い男。正体はyourpedia利用者、MAC-BBその人である。pixivのIDと同一であることが動かぬ証拠。被害妄想の塊であり、私怨でわめき散らす様は幼稚かつ滑稽だが、本人の知性に欠陥があるようなので気が付くことはないだろう。ハバネロ三太夫なる名義でも活動しているようだが、こちらも各所で問題児のレッテルを貼られており、真性のキチガイユーザーであることは疑いようが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ゼロス|638495}}===&lt;br /&gt;
萌え豚。魔法少女まどか☆マギカの巴マミのグロイラストに対し、「気持ちが悪い」と暴言を吐くROM専。前述の作者がR-18Gタグの貼り忘れで叩く。過剰防衛のカス。仕事見つからなくていいよ。'''一生。'''こちらも残念ながら捨てアカウント。設定ミスとは言え、'''気持ちが悪い'''と書き込んで、責任転換させるが…。見てしまったお前の責任だろ…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ちょういち|4739790}}===&lt;br /&gt;
神奈川県出身の'''キチガイ'''厨房。人の作品に「'''削除希望'''」タグを付けた精神異常者。&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|月月|3053315}}===&lt;br /&gt;
二次創作が大嫌い。故にピクペディアでそれを見つけると平然と差し替えてくるor削除してくるので注意。ほとんどブックマークしかやっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|通りすがりの遊び人|217782}}===&lt;br /&gt;
ネトウヨ嫌いのオッサン。ブログは[http://ilovenoel.blog18.fc2.com/ http://ilovenoel.blog18.fc2.com/]、twitterのIDは[https://twitter.com/Noel_suki @Noel_suki]。ピクペディアで韓国や北朝鮮や在日朝鮮人に僅かでも都合の悪い記事を見つけるとすぐに白紙化やデマや中傷まみれの荒らし記事に編集する行為を行うスルースキルの低い筋金入りのキチガイサヨクであり、敵対するユーザー全てを右翼扱いし「ウヨぴょん」「ネトウヨ」「アホウヨ」とレッテルを貼っている。&lt;br /&gt;
また、ピクペディアで「レイシストをしばき隊」の項目も編集しており、しばき隊を擁護する内容に差し替えている。そのためしばき隊の信者である事が伺える(実際twitter内でもしばき隊に関する事や繋がりのある人物に関してリツイートしている)。他にも、「火病」の記事においてもその詳細が書かれているイラストがメイン画像として記載されているだけで火病って「No Image」と書かれたものに差し替えるなどの行為も行っている（別のユーザーからは「火病記事でも火病か」と呆れられている）。&lt;br /&gt;
やってることが朝鮮人と同類であり、多くのユーザーからも在日認定されている。&lt;br /&gt;
このことから常に火病っていることが伺える。&lt;br /&gt;
また、ツイートの内容もほとんどが「ばるばるでイベントプレイ中♪」という気持ち悪いものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===通りすがりの稲敷美浦===&lt;br /&gt;
削除厨。タグとして使われていない記事を見つけると火病って記事を白紙化する質の悪いユーザーであり、ドンCと同一人物の可能性が示唆されている。現在は退会済み。&lt;br /&gt;
'''[http://dic.pixiv.net/a/%E7%A8%B2%E6%95%B7%E7%BE%8E%E6%B5%A6 本人は「ピクシブ百科事典は、pixivのタグについて、記事を作成できるサービスです」という一文を鵜呑みにし、タグとして使われていない記事はしっかりした内容で書かれていても削除しなければならないと考えているようである。]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
pixivから離れたのかと思われたが、「帰ってくれ稲敷美浦」というユーザー名でアカウントを取得して復帰している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ドミトリ|4517928}}===&lt;br /&gt;
[[ハイスクールD×D]]の[[レイナーレ]]が好きなあまり、彼女のエロ画像（しかもすごい下手）を大量に投稿し、当該記事のイラストサンプルを独占する。しかも自分で作った非公認キャラのイラストにまで[[ハイスクールD×D]]のタグを張って検索妨害をしているから迷惑なことこの上ない。他にもピクペディアにおけるレイナーレの記事を編集してレイナーレを過剰に賛美するだけの事実無根の内容にしており、他のユーザーに書き換えられると即座に自分が書いた内容に戻している。&lt;br /&gt;
こいつのおかげでレイナーレファンがみんなキチだと思われているので、不満は全部コイツにぶつけよう。&lt;br /&gt;
ひどい時には火病を起こすこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長期に渡る編集合戦のおかげでレイナーレの記事は編集保護されたが、ドミトリ本人は「あの編集合戦の際には、'''大百科の趣旨をよく理解しておらず、また、ついムキになって思慮に欠けた行動を取ってしまった事で、こちらにおられる方々に不快な思いをさせてしまい、また、記事が編集不可能になるという事態も招いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。今後は二度と、こうした思慮に欠けた行動を取らない事を誓います。皆様、本当に申し訳ありませんでした。'''」とコメントしている。'''どの口使ってそんな事を言っているのか。'''しかも、ピクシブ百科事典のことを「'''大百科'''」といっているので'''完全に馬鹿としか言いようがない。'''&lt;br /&gt;
おそらくそのコメントを打つ直前までニコニコ大百科における同キャラ記事の掲示板を荒らしていたから「'''大百科'''」という言葉が出たのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニコニコ動画のアカウントを持っており、気持ち悪いコメントを残しているほか、「天目山」というアカウント名で公式のイラストやアニメのシーンの静止画を自分が書いたかのように投稿しているなど無断転載を行っている。更にそこのコメント欄でも、ピクペディアと同じように自分の妄想を事実だと言って憚らないうえに、配信終了していて確認できないからととあるソーシャルゲームについての捏造もしている。この様子では全く反省していないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更にアニメ3期でレイナーレが出たからか、今度は【女ザコ・敵女・悪女専用】画像掲示板を荒らしている。雑談版では上述のニコニコ大百科を荒らしていた時と同じ言動で暴れ、画像掲示板では趣旨違いにも関わらず、連日大して差異の無い彼女の画像を貼る、他の誰かが貼るとすぐ自分好みの画像を貼って埋めるなどして私物化している。&lt;br /&gt;
その後ハイスクールD×Dの画像掲示板が強制sage進行にされると、自分でレイナーレだけの画像掲示板を作った。しかし奴以外に誰もコメントすることが無かった為か、また上記の画像掲示板に戻り、ハイスクールD×Dのソーシャルゲームでレイナーレやその取り巻きのカードが出る度に貼り続けている。おとなしく自分の巣に籠ってればいいのに・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{テンプレート:検閲により削除/広い範囲で}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ドンC===&lt;br /&gt;
ピクシブ百科事典で白紙化を繰り返した削除厨にしてpixiv最大の迷惑ユーザー。野々村フミヤと編集合戦を繰り広げてきた。魔法少女まどか☆マギカに関する記事や一覧記事が大嫌いなようで見つけると火病ってすぐに削除をする。&lt;br /&gt;
現在はアカウント停止中。&lt;br /&gt;
アカウントを複数持っている疑いがあり、「D氏」「ドンコ」「ドンドン」「たなかさん」「ドンド」「トント-G」「Z-san」「正直犬」「zara」「通りすがりの稲敷美浦」などのユーザーがドンCと同じように白紙化を繰り返しているが、同一人物であるかは不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では御城プロジェクトの関連記事を荒らし記事認定しては削除するユーザーが登場しており、こちらもドンC説が浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==な〜わ行==&lt;br /&gt;
===並ガラシ===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するユーザー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|Nijinsky|4166114}}===&lt;br /&gt;
記事内の赤リンク(百科事典内で記事が未作成の状態でリンクを貼られてる項目)をすべて青リンクにすることに命がけの編集者。「THE KING OF FIGHTERS」「ガールフレンド(仮)」といった登場人物が大量に出て来るコンテンツを目を付けて、カバーリング(記事が未作成)されてないキャラの記事を片っ端から作りまくる。…ここまではいいのだが、とにかくデタラメ・あてずっぽう・いい加減で情報が足りないままで立項する編集態度が批判されている。しかもその間違いもチョイと検索を掛ければ、正解が出て来るような物ばかり。正確な記事が出来てると思いきや、wikipediaからの丸写しととにかく、'''自分で考えて物を書く事が出来ないのである。'''よくこんな壊滅的な国語力で今まで生きて行けたのか、呆れを通り越してただただ感心する(皮肉)。補完は建前で「みんな、ボクのことを無視しないで」と言わんばかりに爪痕を残してるだけにしか見えず、訂正や修正もせず間違いっぱなしのため、周囲から顰蹙を買いまくっているが、本人は知らん顔で今日もなにかしら間違いだらけの記事を立項している。'''そんなに自分が来た爪痕を残したいなら電柱でやっとけ。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===西田===&lt;br /&gt;
声優記事を大量に立て逃げした乱立厨。'''その声優が何を演じたのかすら書かない'''上に立てた記事に関しては新規記事を作ってからはノータッチといういい加減さであった。&lt;br /&gt;
現在はアカウント停止中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===博霊。===&lt;br /&gt;
東方をやっているのかどうかすら怪しい東方偏愛者。&lt;br /&gt;
アンチは絶対許さないという（身勝手な）信念の下に2ちゃんねるのアンチスレの情報だけを頼りに東方アンチが持ち上げている（と思っている）艦隊これくしょん、おそ松さんなどの関連記事を荒らして回る、素晴らしいほどのクズ。特攻当然の荒らしを繰り返してその都度アカウントを削除されているがまるで反省の色を見せずに翌日同じ事を繰り返して垢バンされるどころか、逆に垢バンした運営を東方アンチ扱いするキチガイっぷりを見せる。ここまで来ると本当に頭の病気を疑うレベルである。&lt;br /&gt;
艦これは朝鮮が日本軍のイメージダウンのために立ち上げたコンテンツだと騒ぎ立て、おそ松さん関連記事では主人公のおそ松が公衆の面前で脱糞したことを強調している（そもそも劇中でモノを出すまでには至っていない。というか、それやったの一松だから、キャラクターの名前ちゃんと正確に把握しようよ？）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[http://touch.pixiv.net/member.php?id=3932767 ひるぜん]===&lt;br /&gt;
アクバーと同じく悪役はどれだけ悪く言っても許されると勘違いし、自分の気に入らないキャラクターをとにかく貶したいと思ってやまない偽善者。&lt;br /&gt;
そのためなら百科事典のルールなど一切考慮しない。あと記事の乱立もちょっと考え物。&lt;br /&gt;
DQNや初心者狩りといった言葉を安易に使いたがる傾向が強くさらに自分が批判されたらその事実をもみ消す自己中。そのせいで編集合戦になった記事もそれなりにある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ヒロポン・@・須賀|295786}}===&lt;br /&gt;
{{Main|ヒロポン・@・須賀}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ポンつゆ|10225537}}===&lt;br /&gt;
ラブライブ！という作品の園田海未というキャラクターに対する誹謗中傷の常習犯。他のユーザーに対して対象のキャラクターをバッシングするためのイラストを無理やり描かせようとする行為も確認されている。当該ユーザーは２回アカウント停止処分を受けてなおも同様の手口を繰り返している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|まとら|1095047}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|無題|4810360}}===&lt;br /&gt;
tk8氏のポケモン擬人化絵(ネタや可愛い作品に定評がある)に喧嘩を売った23歳児。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''「ポケモン擬人化と称して全然関係ない絵あげるの辞めろ、不愉快」'''とほざいた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ネタ絵を理解していない時点で'''ユーモアセンスの欠片やボキャブラリーも貧困。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみに、'''「八意えーりんがヤンマーソンの嫁ならこいしちゃんは俺の嫁な」'''と自己紹介欄に書いている程の[[東方厨]]である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
暇人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|らららー|3070931}}===&lt;br /&gt;
[[石川県]]出身の大学男児。かつては「あかりちゃん大好き」というハンドルネームであったが、現在は名前を変更。投函イラストは旧ハンドルネームの通りジュエルペット関連と戦車ものばかりだった。ブックマークでもそれに準していた。この事から完全に'''ジュエルペットてぃんくる厨'''である事が伺えた。現在はイラストの趣旨を変更している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに他人のイラストを平気で罵る悪魔性ももっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ルイドー|2097465}}===&lt;br /&gt;
一覧厨&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|老神（ルシアン）|20949}}===&lt;br /&gt;
ロボットアニメ好きのキチガイ絵師にして専門家気取りの自治厨。静岡県出身のアルバイト。TwitterのIDは'''[https://twitter.com/zennsoukyoku @zennsoukyoku]'''と'''[https://twitter.com/oigami2 @oigami2]（老神P名義）'''。個人サイト名は'''[http://zennsoukyoku.web.fc2.com/ Roost]'''。ブログ名は'''[http://zennsoukyo.exblog.jp/ russian’ｓ blog]'''。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ピクペディアでロボットアニメ関連の記事を編集しているが、時々自分が気に入らない内容を見つけるとすぐに自分が満足する内容に差し替えたり、余談が書いてある記事を見つけては即座に削除するほか、無断転載して引用元を明記せずに改変する行為も行っている。この事については「リジェネレイトガンダム」の記事における編集履歴で他のユーザーから指摘されている。本人は、公式サイト及びwikipediaから引用したものをある程度改変したものなら無断転載ではないと考えている模様。'''だったら引用元を明記していればいいのに。'''&lt;br /&gt;
「アレス・ガイスト」の記事でも他のユーザーが編集したのを見つけると自分が気に入った内容に差し替えており、編集合戦にまで発展したこともある[http://dic.pixiv.net/history/list/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88 （アレス・ガイストの編集履歴）]。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「ザメル」の記事においては他の作品にも登場していることを書いているのにかかわらず、きりがないという理由で意見を聞き入れずに削除していたこともある（現在は記載されている）。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「ガルスJ」の記事では別のユーザーが書いた余談を平気で削除したり、「グスタフ・カール」の記事でも他のユーザーによって変更されたメイン画像をすぐに自分が気に入ったものに差し替えては「自分の所行を悔い改めろ」と吐き捨てるなどの身勝手な行為も行っている。「シュツルム・ディアス」の記事においては「辞典サイトで必要なのはネタではなく解説です」と言い放ってシュツルム・ディアスから派生したSDガンダムの「闘士シュツルムディアス」の記述を削除しており、この様子から「ピクシブ百科事典でネタを交えて書くのはダメ」と決めつけていることが伺える。その異常な執着ぶりから'''「誹謗中傷や誤情報であればともかく、少なくとも記事に関った二名のユーザにとっては不必要なものではないし、ピクシブ百科事典はあなたの想定する辞典サイトの規則によって活動せねばならぬと規定されているものでもない。このサイトは「みんなでつくるpixivの百科事典」であり、ネタ記事が存在しネタ記事を禁止していないのだから、それはあなたにとって不必要であるからという理由で他のユーザーの活動を阻害することを保証するものにはならないだろう。あとネットバトル続けるとしてもこの欄でするのはやめようね(釘)」「記事の編集でそれが自分の理想に沿ってないからと、そんな理由で個人攻撃か…」'''（シュツルム・ディアスの編集履歴のコメントより）などと他のユーザーに言われている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
スルースキルは殆ど無く、ガンダム関連の記事の編集履歴にはほぼ「ルシアン」の名前が乗っており、ガンダム関連の記事が新しく作成されると寄生虫のようにいち早く食らいついている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、「pixivのガイドラインを参照してください」などと偉そうに指図したり、「イラストの無い段階で記事を作るのは関心しません」と言って規約にはないことを押し付けたり、「メイン画像はなるべく記事とする対象をメインに描かれているものを選ぶように。」と指図するなど、運営になりすましては必要以上に過剰な自治をしているような行為も行っている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
無断転載と改変が他のユーザーの調査によって明らかになっているのにもかかわらず、「'''事実と異なる'''」「'''ホント人に濡れ衣着せる人間死ねばいいのに'''」（Twitterでのツイート）と白を切るからすごくたちが悪い。まるで朝鮮人と同じである。ひどい時には火病の発作を起こして暴言を吐くこともあるので見つけたらこいつに不満をぶつけるか、運営に通報しよう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://theinterviews.jp/zennsoukyoku/363269 「自分勝手な人が苦手」]と言っているけど、自分勝手はお前だろうが。こんなことしてるから'''お前は正社員になれないんだよ。'''バーカ。さっさとpixivをやめろ!!'''火病るシアン!!'''。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;現在は'''老神'''という名前に変えているが、やっていることはエスカレートしており、'''他人の意向を無視し、気に入らない相手を荒らし認定し、他人の編集を最速（1分未満で）で差し戻して編集合戦を発生させたり、[http://echo.2ch.net/test/read.cgi/internet/1474902445/161 記事に関わったユーザーをストーカー扱いする]'''という異常なやり方で記事を独占している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|レタス720|5706105}}===&lt;br /&gt;
ホテイガーデンという同人サークルで同人活動を行う同人作家。針金ボディーに「けいおん!」や「東方Project」の登場人物の頭を引っ付けただけのクソに例えるのもおこがましいクソ漫画を描いている。何をトチ狂ったか、pixiv百科事典で自身が作った平沢唯のパロキャラ「唯もどき」の記事を立項。記事には自身の出した出版物や同人グッズを羅列し、その維持に執着するようになる。もはや、百科事典ではなく自身のサークルのカタログにしかなっておらず[http://dic.pixiv.net/comment/view/%E5%94%AF%E3%82%82%E3%81%A9%E3%81%8D コメント欄]で'''「作者以外にも2人が唯もどきに完成するイラストにタグとして使用している」'''←単なる内輪ネタ。他所でやれ。'''「pixivは唯もどき本編の1,2,9巻が無料で読める唯一の場所であり、重要な活動拠点である」'''←公共のスペースで誰からの許可も得ずに露店をやるに等しい暴挙であり、なおのこと自身のHPでやるべき。'''「また、今冬には唯もどきの合同誌が予定されており、タグや百科の記事の需要拡大が見込める 」'''←さも、自身が売れっ子の作家のように驕り、これでもなお営利目的や宣伝ではないと言い張る。'''「（白紙化する人間に対して）貴方は活動をしている人の気持ちが分からないのではないか？ 唯もどきは貴方の目には適当に見えるものかも知れないが、作者は本気で描いるのである 」'''（誤字はそのまま）←非はレタスにしかないにもかかわらず、「他人の気持ちがわからない」「本気でやってる」と精神論と個人攻撃。使ってるインターネットサイトにルールがある以上それに従うべきだという理屈も通じない。などなど耳を貸す価値もない見苦しい醜態で反論している。あくまで、「何の落ち度もないのに、キ◯ガイが因縁付けて絡んできた」というスタンスで悪いことをしてるという自覚もない。当然、コイツがやってることは[https://www.pixiv.net/terms/?page=term 禁止行為]の「3.当社もしくは第三者の著作権、意匠権等の知的財産権、その他の権利を侵害する行為、又は侵害する恐れのある行為」「12.商業用の広告、宣伝又は勧誘を目的とする投稿作品の情報」に抵触するものであり、到底許されることではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ロギノア123|2404181}}===&lt;br /&gt;
{{Main|ロギノア123}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ろむしか出来ない…orz|1383927}}===&lt;br /&gt;
自分だけ安全なところから他人を誹謗中傷するクズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==や〜よ行==&lt;br /&gt;
==={{pixivuser|ユーマ|3353686}}===&lt;br /&gt;
「プリキュア」や「ポケットモンスター」といった低年齢の子供向けコンテンツの記事の作成とそれらの維持に執心する'''『頭脳は子供・身体は大人』'''という逆江戸川コナンを体現したような障害児。'''特撮・子供向けアニメをメーンとする編集者は地雷が多い'''とされるが、コイツも例外ではない。というか、地雷など生やさしいものではない。他の利用者との相談もなく皆が使っていた記事を勝手に転送扱いにしたり、記載揺れの分割記事を建てたり、他人がどう思うかなど関係なく自己中心的かつ承認欲求の赴くまま行動する。当然、スルーなぞ理知的な行動や思考などできるはずもなく、年柄年中編集合戦を行っている。pixiv百科事典で、ユーマと[https://dic.pixiv.net/search?query=%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%9E 検索]すると、コイツを中傷する記事まみれになっていかに嫌われ者となってるのかが見て取れる。そして過剰な自治行為・煽り・挑発とも受け取れる行為を繰り返し、さらにアンチが生まれ、百科事典で暴れるという悪循環に陥った。自分の思い通りに行かないと泣いて暴れて駄々を捏ねるクソガキそのものであり、一刻も早く退会及びアカウントの剥奪を望まれるユーザーの一人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ぴくしぶのきちがいゆーざー}}&lt;br /&gt;
[[Category:pixivユーザー|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ブサヨ御三家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:泊優稀]]&lt;br /&gt;
[[Category:偽善者]]&lt;br /&gt;
[[Category:機治外]]&lt;br /&gt;
[[Category:在日コリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:創価学会]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソックパペッター]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
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[[Category:インターネット依存症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:偽善者]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪の組織デビルシャドウ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ＪＣＮ関東のユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:狂人]]&lt;br /&gt;
[[Category:発達障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:アスペルガー障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:中二病]]&lt;br /&gt;
[[Category:精神障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:躁病の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:偏執狂の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:依存症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人格障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:解離性統一障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:統合失調症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:虚言癖を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会復帰途上の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:引籠もりの人物]]&lt;br /&gt;
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		<author><name>ノ口ケン</name></author>	</entry>

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