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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-04-13T09:15:00Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E8%94%B5&amp;diff=411242</id>
		<title>石崎伝蔵</title>
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				<updated>2025-11-01T08:18:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 2歳年上説を否定した人が無期限ブロック・追放されやすいジンクス */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''石崎 伝蔵'''（いしざき でんぞう、(石崎 傳藏）、[[1886年]]（[[明治]]19年）/[[1884年]]（明治17年）{{Refnest|group=注釈|name=michinoku|戸籍届けが2年遅れたため、実際の生年は[[1884年]]で没年齢は114歳とする説もある。この場合、[[秋野やす]]は女性長寿日本一になりながら長寿日本一、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、[[渡名喜元完]]は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一になっていない可能性もある。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|title=みちのくが始まる街からの通信&lt;br /&gt;
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210817172993/http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|archivedate=2021-08-17&lt;br /&gt;
|accessdate=2022-01-03&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[10月2日]]{{Refnest|group=注釈|name=GRG|戸籍上では「10月2日」だが、GRGは「10月20日」としている。&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
- [[1999年]]（[[平成]]11年）[[4月29日]]）は、日本[[長寿|最高齢]]であり、明治10年代生まれ最後の生き残りだった男性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茨城県出身で同県金砂郷町在住だった。&lt;br /&gt;
旧制・茨城県立太田中学校（現在の[[茨城県立太田第一高等学校・附属中学校|茨城県立太田第一高等学校]]）を卒業後、教員となり、[[茨城県]]内の旧制[[高等小学校]]の[[校長]]などを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2次世界大戦後の[[1946年]]（昭和21年）に妻が死去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戸籍上で109歳まで茨城から東京に出掛けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生前、健康の秘訣は「1日5000回の足踏み、[[風呂]]はぬるめ、[[肉]]ならば[[牛]]」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*1996年（平成8年）10月2日 - 戸籍上で満110歳の誕生日。&lt;br /&gt;
*1997年（平成9年）1月24日 - [[渡名喜元完]]の死去により戸籍上で日本最高齢の男性になる。&lt;br /&gt;
*1998年（平成10年）10月2日 - 戸籍上で満112歳の誕生日。年齢に確証のある日本人男性では戸籍上で渡名喜元完に次いで2人目であった。&lt;br /&gt;
*同年12月25日 - 戸籍上で世界最高齢の男性になる&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*同年12月28日 - 112歳87日で、戸籍上で渡名喜元完の記録を上回り、戸籍上の男性としては日本歴代最高齢の人物となる。&lt;br /&gt;
*1999年（平成11年）2月12日 - [[秋野やす]]の死去により戸籍上で日本最高齢の人物になる。&lt;br /&gt;
*同年4月29日、[[多臓器不全]]のため、茨城県[[久慈郡]][[金砂郷町]]（現在の[[常陸太田市]]）で死去した。戸籍上で112歳と209日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==2歳年上説についての考察==&lt;br /&gt;
上記通り、石崎伝蔵には2歳年上説が存在する。&lt;br /&gt;
戸籍上では1886年生まれだが、[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 1999年に戸籍上での長寿日本一になった時に書かれたサイトのページ]に「ホントは114歳ですが（戸籍届けが2年遅れた）」と書かれており、戸籍届けが2年遅れた事により実際には2歳年上で1884年に生まれたとする説があった事が明らかになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事並びにページが書かれたのが戸籍上で長寿日本一になった2日後の1999年2月14日であり、この日にこのページが書かれた理由が、金砂郷町長だった成井光一郎が石崎本人の元を訪れ際に、石崎本人が「別に何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話した事で、それについての記事が書かれた新聞記事を見たページの作者本人が石崎本人やその家族に電話して、2歳年上の1884年生まれ説がある事を明かし、ページに載せたと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下はその新聞記事の紹介である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;quot;　成井光一郎町長が自宅を訪れ、最高齢になった感想を尋ねると、石崎さんは「別に 何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話したという。 　１昨年に腰を痛めてからは外出を控えているが１０９歳まではよく東京にも出かけ ていた。１９８５年にあったつくば万博には７回足を運んだという。耳は遠くなった が、新聞や本は眼鏡なしで読める。寝床にも本を持ち込む読書家だが、「読まない本 は買わない」がポリシー。 &amp;quot;（朝日新聞朝刊、1999年2月13日付、茨城面、「長寿日本１は金砂郷の石崎さん１１２歳　読書に眼鏡ナシ　／ 茨城  」より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戸籍届けが遅れた理由については&lt;br /&gt;
*石崎が実際に生まれたとされる1884年の茨城県では自由民権運動が激化しており、加波山事件が起きるなどかなり混乱しており、自由民権運動のほとぼりが冷めるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
*両親がだらけていた事により、戸籍届けが2年遅れた事。&lt;br /&gt;
*当時は乳幼児死亡率が高く、十分に育つ年齢になるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年遅れて戸籍届けをして、その際、実際に生まれた日を生年月日に登録したら官吏に叱責されるのを恐れ、実際に2歳になった日を生年月日に登録した、あるいは他人から指摘されて提出した日か、届け出日の数日前の日付を記入したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あるいは両親が石崎の本来の誕生日の記憶がなくなり、提出した日か届け出の数日前の日付を記入した可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上説は[[Hydeの身長は156cm|hydeの身長156cm説]]のようだが、hydeの身長156cm説は憶測に過ぎなかったのに対し、石崎伝蔵さんの2歳年上説は石崎さん本人を知っている方がネットサイトに書き、その方が亡くなってサイトが閉鎖された後もアーカイブ(魚拓)に残っており、hydeの身長156cm説よりは確証性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、114歳209日没で、1995年9月9日に鶴英寿さんの記録を抜いてから、2011年11月14日(木村次郎右衛門さんの1ヶ月年上説を考慮した場合は同年10月14日)に木村次郎右衛門さんに抜かれるまでの16年にも渡って日本男性歴代最高齢だった事になって、渡名喜元完と中願寺雄吉は日本男性歴代最高齢になっておらず、それ以外でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、場合によっては渡名喜元完は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一に、宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一になっていない事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、男性長寿日本一には1991年9月28日の岡儀平さんの死去から2770日、海外に移住した日本出身者を考慮した場合は1992年2月16日の衛藤衛さんの死去から2629日、長寿日本一には1998年11月18日の松永タセさんの死去から162日、男性長寿世界一には1998年4月25日のクリスチャン・モーテンセンさんの死去から369日在位した事になり、男性長寿日本一在位は確認されている中で現在までの歴代最長記録になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚註 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[福西基]] - 茨城県在住の男性長寿日本一になった人で、石崎同様に校長だった。&lt;br /&gt;
*[[日本の長寿者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 戸籍上での存命男性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1998年12月25日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = ウォルター・リチャードソン&lt;br /&gt;
    | after  = アントニオ・ウレア・エルナンデス&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1999年2月12日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = [[秋野やす]]&lt;br /&gt;
    | after  = 藤井カヨ&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命男性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1997年1月24日 - 1999年4月29日 &lt;br /&gt;
    | before = [[渡名喜元完]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[田辺定義]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしさき てんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:茨城県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=411033</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2025-08-27T00:37:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* ベタな日本の長寿者の法則 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
#20世紀には小林やすさん→中村重兵衛さん→泉重千代さん→石崎伝蔵さんと年齢に疑いがある人が長く長寿日本一に居た事により誰が長寿日本一になったかが不明な時期が長い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#*誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[都千代]]===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[知念カマ]]====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[田島ナビ]]====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#しかしこの人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E8%94%B5&amp;diff=410925</id>
		<title>石崎伝蔵</title>
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				<updated>2025-07-14T15:27:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 2歳年上説を書いた人が無期限ブロック・追放されやすいジンクス */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''石崎 伝蔵'''（いしざき でんぞう、(石崎 傳藏）、[[1886年]]（[[明治]]19年）/[[1884年]]（明治17年）{{Refnest|group=注釈|name=michinoku|戸籍届けが2年遅れたため、実際の生年は[[1884年]]で没年齢は114歳とする説もある。この場合、[[秋野やす]]は女性長寿日本一になりながら長寿日本一、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、[[渡名喜元完]]は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一になっていない可能性もある。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|title=みちのくが始まる街からの通信&lt;br /&gt;
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210817172993/http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|archivedate=2021-08-17&lt;br /&gt;
|accessdate=2022-01-03&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[10月2日]]{{Refnest|group=注釈|name=GRG|戸籍上では「10月2日」だが、GRGは「10月20日」としている。&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
- [[1999年]]（[[平成]]11年）[[4月29日]]）は、日本[[長寿|最高齢]]であり、明治10年代生まれ最後の生き残りだった男性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茨城県出身で同県金砂郷町在住だった。&lt;br /&gt;
旧制・茨城県立太田中学校（現在の[[茨城県立太田第一高等学校・附属中学校|茨城県立太田第一高等学校]]）を卒業後、教員となり、[[茨城県]]内の旧制[[高等小学校]]の[[校長]]などを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2次世界大戦後の[[1946年]]（昭和21年）に妻が死去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戸籍上で109歳まで茨城から東京に出掛けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生前、健康の秘訣は「1日5000回の足踏み、[[風呂]]はぬるめ、[[肉]]ならば[[牛]]」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*1996年（平成8年）10月2日 - 戸籍上で満110歳の誕生日。&lt;br /&gt;
*1997年（平成9年）1月24日 - [[渡名喜元完]]の死去により戸籍上で日本最高齢の男性になる。&lt;br /&gt;
*1998年（平成10年）10月2日 - 戸籍上で満112歳の誕生日。年齢に確証のある日本人男性では戸籍上で渡名喜元完に次いで2人目であった。&lt;br /&gt;
*同年12月25日 - 戸籍上で世界最高齢の男性になる&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*同年12月28日 - 112歳87日で、戸籍上で渡名喜元完の記録を上回り、戸籍上の男性としては日本歴代最高齢の人物となる。&lt;br /&gt;
*1999年（平成11年）2月12日 - [[秋野やす]]の死去により戸籍上で日本最高齢の人物になる。&lt;br /&gt;
*同年4月29日、[[多臓器不全]]のため、茨城県[[久慈郡]][[金砂郷町]]（現在の[[常陸太田市]]）で死去した。戸籍上で112歳と209日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==2歳年上説についての考察==&lt;br /&gt;
上記通り、石崎伝蔵には2歳年上説が存在する。&lt;br /&gt;
戸籍上では1886年生まれだが、[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 1999年に戸籍上での長寿日本一になった時に書かれたサイトのページ]に「ホントは114歳ですが（戸籍届けが2年遅れた）」と書かれており、戸籍届けが2年遅れた事により実際には2歳年上で1884年に生まれたとする説があった事が明らかになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事並びにページが書かれたのが戸籍上で長寿日本一になった2日後の1999年2月14日であり、この日にこのページが書かれた理由が、金砂郷町長だった成井光一郎が石崎本人の元を訪れ際に、石崎本人が「別に何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話した事で、それについての記事が書かれた新聞記事を見たページの作者本人が石崎本人やその家族に電話して、2歳年上の1884年生まれ説がある事を明かし、ページに載せたと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下はその新聞記事の紹介である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;quot;　成井光一郎町長が自宅を訪れ、最高齢になった感想を尋ねると、石崎さんは「別に 何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話したという。 　１昨年に腰を痛めてからは外出を控えているが１０９歳まではよく東京にも出かけ ていた。１９８５年にあったつくば万博には７回足を運んだという。耳は遠くなった が、新聞や本は眼鏡なしで読める。寝床にも本を持ち込む読書家だが、「読まない本 は買わない」がポリシー。 &amp;quot;（朝日新聞朝刊、1999年2月13日付、茨城面、「長寿日本１は金砂郷の石崎さん１１２歳　読書に眼鏡ナシ　／ 茨城  」より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戸籍届けが遅れた理由については&lt;br /&gt;
*石崎が実際に生まれたとされる1884年の茨城県では自由民権運動が激化しており、加波山事件が起きるなどかなり混乱しており、自由民権運動のほとぼりが冷めるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
*両親がだらけていた事により、戸籍届けが2年遅れた事。&lt;br /&gt;
*当時は乳幼児死亡率が高く、十分に育つ年齢になるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年遅れて戸籍届けをして、その際、実際に生まれた日を生年月日に登録したら官吏に叱責されるのを恐れ、実際に2歳になった日を生年月日に登録した、あるいは他人から指摘されて提出した日か、届け出日の数日前の日付を記入したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あるいは両親が石崎の本来の誕生日の記憶がなくなり、提出した日か届け出の数日前の日付を記入した可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上説は[[Hydeの身長は156cm|hydeの身長156cm説]]のようだが、hydeの身長156cm説は憶測に過ぎなかったのに対し、石崎伝蔵さんの2歳年上説は石崎さん本人を知っている方がネットサイトに書き、その方が亡くなってサイトが閉鎖された後もアーカイブ(魚拓)に残っており、hydeの身長156cm説よりは確証性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、114歳209日没で、1995年9月9日に鶴英寿さんの記録を抜いてから、2011年11月14日(木村次郎右衛門さんの1ヶ月年上説を考慮した場合は同年10月14日)に木村次郎右衛門さんに抜かれるまでの16年にも渡って日本男性歴代最高齢だった事になって、渡名喜元完と中願寺雄吉は日本男性歴代最高齢になっておらず、それ以外でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、場合によっては渡名喜元完は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一に、宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一になっていない事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、男性長寿日本一には1991年9月28日の岡儀平さんの死去から2770日、海外に移住した日本出身者を考慮した場合は1992年2月16日の衛藤衛さんの死去から2629日、長寿日本一には1998年11月18日の松永タセさんの死去から162日、男性長寿世界一には1998年4月25日のクリスチャン・モーテンセンさんの死去から369日在位した事になり、男性長寿日本一在位は確認されている中で現在までの歴代最長記録になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2歳年上説を否定した人が無期限ブロック・追放されやすいジンクス===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定した馬鹿共のユーザーは無期限ブロック・追放されるジンクスがあり、中国語版Wikipediaでは石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が一度消されており、消したO645rfy187fHrjmaさんは中国語版WikipediaでR1t5のソックパペットとして無期限ブロックどころかグローバルブロックされており、Дејан2021は英語版Wikipediaで無期限ブロックされており、長寿者研究フォーラムで石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定したア◯◯◯イさんは追放されている事から、日本語版Wikipediaで石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を除去した青◯午◯0◯◯◯分◯2弾さんや灰◯◯海さんや松◯さんや謎◯◯者さん(Ku◯◯◯◯2kさん)が、イタリア語版Wikipediaで石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を除去したRupelianoさんが無期限ブロックされると、このジンクスは強固になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ア◯◯◯イさんは秋野やすさんが居住していた東海地方出身で、青◯午◯0◯◯◯分◯2弾さんはその静岡県出身で、灰◯◯海さんはその静岡県在住であり、秋野やすさんの男女を含めた長寿日本一が幻になる事から、秋野やすさんを擁護するために消したり否定したと思う。&lt;br /&gt;
また、消したり否定した日本人ユーザー全ては日本の端で江戸時代まで別の国だった沖縄県在住の渡名喜元完さんを擁護しており、男性長寿日本一の最長在位記録が幻になる為に消したり否定したと思う。&lt;br /&gt;
特にア◯◯◯イさんは渡名喜元完さんが石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説のせいで男性長寿日本一になっていないと書くと石崎伝蔵さんのその説を否定したし、日本の端で江戸時代まで別の国だった沖縄県在住者の男性長寿日本一の最長在位記録が幻になるのは可哀想と思ったから否定したと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南西諸島在住の長寿者は不運で恵まれないジンクスを間接的に否定したユーザーは無期限ブロック・追放されるジンクスがある。&lt;br /&gt;
つまり南西諸島在住者、特に渡名喜元完さんや南西諸島在住ではないが秋野やすさんや海外在住だがジョンソン・パークスさんやウォルター・リチャードソンさんを擁護すると無期限ブロック・追放されるジンクスがある。&lt;br /&gt;
要するに石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定して南西諸島在住者、特に渡名喜元完さんや南西諸島在住ではないが秋野やすさんや海外在住だがジョンソン・パークスさんやウォルター・リチャードソンさんを擁護したユーザーは無期限ブロック・追放されるので、してはいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長寿者研究フォーラムで追放者が出ると閉鎖かそれの危機に瀕するジンクスがあるが、それとも関連している。&lt;br /&gt;
2019年にS.M.が追放されると一時期には同年10月31日を以て閉鎖が決定していたし、2024年の年初にア○○○イが追放され、Y○○1も追放されると、7月に閉鎖された。&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんが実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没である事を言わず、戸籍上での生年月日が1886年10月2日である事を書いたY○○1も追放されており、石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定した方は無期限ブロック・追放されるジンクスがあり、Y○○1も言っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚註 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[福西基]] - 茨城県在住の男性長寿日本一になった人で、石崎同様に校長だった。&lt;br /&gt;
*[[日本の長寿者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 戸籍上での存命男性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1998年12月25日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = ウォルター・リチャードソン&lt;br /&gt;
    | after  = アントニオ・ウレア・エルナンデス&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1999年2月12日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = [[秋野やす]]&lt;br /&gt;
    | after  = 藤井カヨ&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命男性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1997年1月24日 - 1999年4月29日 &lt;br /&gt;
    | before = [[渡名喜元完]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[田辺定義]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしさき てんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:茨城県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E8%94%B5&amp;diff=410924</id>
		<title>石崎伝蔵</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E8%94%B5&amp;diff=410924"/>
				<updated>2025-07-14T15:17:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 2歳年上説についての考察 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''石崎 伝蔵'''（いしざき でんぞう、(石崎 傳藏）、[[1886年]]（[[明治]]19年）/[[1884年]]（明治17年）{{Refnest|group=注釈|name=michinoku|戸籍届けが2年遅れたため、実際の生年は[[1884年]]で没年齢は114歳とする説もある。この場合、[[秋野やす]]は女性長寿日本一になりながら長寿日本一、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、[[渡名喜元完]]は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一になっていない可能性もある。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|title=みちのくが始まる街からの通信&lt;br /&gt;
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210817172993/http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|archivedate=2021-08-17&lt;br /&gt;
|accessdate=2022-01-03&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[10月2日]]{{Refnest|group=注釈|name=GRG|戸籍上では「10月2日」だが、GRGは「10月20日」としている。&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
- [[1999年]]（[[平成]]11年）[[4月29日]]）は、日本[[長寿|最高齢]]であり、明治10年代生まれ最後の生き残りだった男性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茨城県出身で同県金砂郷町在住だった。&lt;br /&gt;
旧制・茨城県立太田中学校（現在の[[茨城県立太田第一高等学校・附属中学校|茨城県立太田第一高等学校]]）を卒業後、教員となり、[[茨城県]]内の旧制[[高等小学校]]の[[校長]]などを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2次世界大戦後の[[1946年]]（昭和21年）に妻が死去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戸籍上で109歳まで茨城から東京に出掛けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生前、健康の秘訣は「1日5000回の足踏み、[[風呂]]はぬるめ、[[肉]]ならば[[牛]]」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*1996年（平成8年）10月2日 - 戸籍上で満110歳の誕生日。&lt;br /&gt;
*1997年（平成9年）1月24日 - [[渡名喜元完]]の死去により戸籍上で日本最高齢の男性になる。&lt;br /&gt;
*1998年（平成10年）10月2日 - 戸籍上で満112歳の誕生日。年齢に確証のある日本人男性では戸籍上で渡名喜元完に次いで2人目であった。&lt;br /&gt;
*同年12月25日 - 戸籍上で世界最高齢の男性になる&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*同年12月28日 - 112歳87日で、戸籍上で渡名喜元完の記録を上回り、戸籍上の男性としては日本歴代最高齢の人物となる。&lt;br /&gt;
*1999年（平成11年）2月12日 - [[秋野やす]]の死去により戸籍上で日本最高齢の人物になる。&lt;br /&gt;
*同年4月29日、[[多臓器不全]]のため、茨城県[[久慈郡]][[金砂郷町]]（現在の[[常陸太田市]]）で死去した。戸籍上で112歳と209日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==2歳年上説についての考察==&lt;br /&gt;
上記通り、石崎伝蔵には2歳年上説が存在する。&lt;br /&gt;
戸籍上では1886年生まれだが、[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 1999年に戸籍上での長寿日本一になった時に書かれたサイトのページ]に「ホントは114歳ですが（戸籍届けが2年遅れた）」と書かれており、戸籍届けが2年遅れた事により実際には2歳年上で1884年に生まれたとする説があった事が明らかになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事並びにページが書かれたのが戸籍上で長寿日本一になった2日後の1999年2月14日であり、この日にこのページが書かれた理由が、金砂郷町長だった成井光一郎が石崎本人の元を訪れ際に、石崎本人が「別に何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話した事で、それについての記事が書かれた新聞記事を見たページの作者本人が石崎本人やその家族に電話して、2歳年上の1884年生まれ説がある事を明かし、ページに載せたと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下はその新聞記事の紹介である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;quot;　成井光一郎町長が自宅を訪れ、最高齢になった感想を尋ねると、石崎さんは「別に 何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話したという。 　１昨年に腰を痛めてからは外出を控えているが１０９歳まではよく東京にも出かけ ていた。１９８５年にあったつくば万博には７回足を運んだという。耳は遠くなった が、新聞や本は眼鏡なしで読める。寝床にも本を持ち込む読書家だが、「読まない本 は買わない」がポリシー。 &amp;quot;（朝日新聞朝刊、1999年2月13日付、茨城面、「長寿日本１は金砂郷の石崎さん１１２歳　読書に眼鏡ナシ　／ 茨城  」より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戸籍届けが遅れた理由については&lt;br /&gt;
*石崎が実際に生まれたとされる1884年の茨城県では自由民権運動が激化しており、加波山事件が起きるなどかなり混乱しており、自由民権運動のほとぼりが冷めるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
*両親がだらけていた事により、戸籍届けが2年遅れた事。&lt;br /&gt;
*当時は乳幼児死亡率が高く、十分に育つ年齢になるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年遅れて戸籍届けをして、その際、実際に生まれた日を生年月日に登録したら官吏に叱責されるのを恐れ、実際に2歳になった日を生年月日に登録した、あるいは他人から指摘されて提出した日か、届け出日の数日前の日付を記入したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あるいは両親が石崎の本来の誕生日の記憶がなくなり、提出した日か届け出の数日前の日付を記入した可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上説は[[Hydeの身長は156cm|hydeの身長156cm説]]のようだが、hydeの身長156cm説は憶測に過ぎなかったのに対し、石崎伝蔵さんの2歳年上説は石崎さん本人を知っている方がネットサイトに書き、その方が亡くなってサイトが閉鎖された後もアーカイブ(魚拓)に残っており、hydeの身長156cm説よりは確証性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、114歳209日没で、1995年9月9日に鶴英寿さんの記録を抜いてから、2011年11月14日(木村次郎右衛門さんの1ヶ月年上説を考慮した場合は同年10月14日)に木村次郎右衛門さんに抜かれるまでの16年にも渡って日本男性歴代最高齢だった事になって、渡名喜元完と中願寺雄吉は日本男性歴代最高齢になっておらず、それ以外でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、場合によっては渡名喜元完は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一に、宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一になっていない事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、男性長寿日本一には1991年9月28日の岡儀平さんの死去から2770日、海外に移住した日本出身者を考慮した場合は1992年2月16日の衛藤衛さんの死去から2629日、長寿日本一には1998年11月18日の松永タセさんの死去から162日、男性長寿世界一には1998年4月25日のクリスチャン・モーテンセンさんの死去から369日在位した事になり、男性長寿日本一在位は確認されている中で現在までの歴代最長記録になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2歳年上説を書いた人が無期限ブロック・追放されやすいジンクス===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定した馬鹿共のユーザーは無期限ブロック・追放されるジンクスがあり、中国語版Wikipediaでは石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が一度消されており、消したO645rfy187fHrjmaさんは中国語版WikipediaでR1t5のソックパペットとして無期限ブロックどころかグローバルブロックされており、Дејан2021は英語版Wikipediaで無期限ブロックされており、長寿者研究フォーラムで石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定したア◯◯◯イさんは追放されている事から、日本語版Wikipediaで石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を除去した青◯午◯0◯◯◯分◯2弾さんや灰◯◯海さんや松◯さんや謎◯◯者さん(Ku◯◯◯◯2kさん)が、イタリア語版Wikipediaで石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を除去したRupelianoさんが無期限ブロックされると、このジンクスは強固になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ア◯◯◯イさんは秋野やすさんが居住していた東海地方出身で、青◯午◯0◯◯◯分◯2弾さんはその静岡県出身で、灰◯◯海さんはその静岡県在住であり、秋野やすさんの男女を含めた長寿日本一が幻になる事から、秋野やすさんを擁護するために消したり否定したと思う。&lt;br /&gt;
また、消したり否定した日本人ユーザー全ては日本の端で江戸時代まで別の国だった沖縄県在住の渡名喜元完さんを擁護しており、男性長寿日本一の最長在位記録が幻になる為に消したり否定したと思う。&lt;br /&gt;
特にア◯◯◯イさんは渡名喜元完さんが石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説のせいで男性長寿日本一になっていないと書くと石崎伝蔵さんのその説を否定したし、日本の端で江戸時代まで別の国だった沖縄県在住者の男性長寿日本一の最長在位記録が幻になるのは可哀想と思ったから否定したと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
南西諸島在住の長寿者は不運で恵まれないジンクスを間接的に否定したユーザーは無期限ブロック・追放されるジンクスがある。&lt;br /&gt;
つまり南西諸島在住者、特に渡名喜元完さんや南西諸島在住ではないが秋野やすさんや海外在住だがジョンソン・パークスさんやウォルター・リチャードソンさんを擁護すると無期限ブロック・追放されるジンクスがある。&lt;br /&gt;
要するに石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定して南西諸島在住者、特に渡名喜元完さんや南西諸島在住ではないが秋野やすさんや海外在住だがジョンソン・パークスさんやウォルター・リチャードソンさんを擁護したユーザーは無期限ブロック・追放されるので、してはいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長寿者研究フォーラムで追放者が出ると閉鎖かそれの危機に瀕するジンクスがあるが、それとも関連している。&lt;br /&gt;
2019年にS.M.が追放されると一時期には同年10月31日を以て閉鎖が決定していたし、2024年の年初にア○○○イが追放され、Y○○1も追放されると、7月に閉鎖された。&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんが実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没である事を言わず、戸籍上での生年月日が1886年10月2日である事を書いたY○○1も追放されており、石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定した方は無期限ブロック・追放されるジンクスがあり、Y○○1も言っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚註 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[福西基]] - 茨城県在住の男性長寿日本一になった人で、石崎同様に校長だった。&lt;br /&gt;
*[[日本の長寿者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 戸籍上での存命男性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1998年12月25日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = ウォルター・リチャードソン&lt;br /&gt;
    | after  = アントニオ・ウレア・エルナンデス&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1999年2月12日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = [[秋野やす]]&lt;br /&gt;
    | after  = 藤井カヨ&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命男性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1997年1月24日 - 1999年4月29日 &lt;br /&gt;
    | before = [[渡名喜元完]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[田辺定義]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしさき てんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:茨城県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410923</id>
		<title>Tc79929</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410923"/>
				<updated>2025-07-14T13:10:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: 光王 (トーク) による版 410922 を取り消し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{投稿禁止|{{CWuser|Tc79929}}}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:勇者プクリンモザイク.png|thumb|Tc79929の正体]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:プーチン2.jpg|thumb|Tc79929のもう一つの顔]]&lt;br /&gt;
Tc79929は[[Chakuwiki]]の糞管理者野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に富士見野男とともに管理者昇格。噂によれば[[Muttley]]本人とか。従って[[☁]]である。モンブランやむらまさの靴下という説もある。そして言うまでもなく[[七星]]である。その荒らしぶりから「☁Tc79929☁」とも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[勇者プクリン]]や[[ちんことまんこのプラトニックセックス]]という説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になった途端身勝手な管理編集を行ってユーザーを困らせており、悪意のない編集をうるさいくらいマルチポストと見なして差し戻してそのページを保護したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに管理者であることをいいことに葬式画像や盗撮画像をサイトにアップしており、一般常識はゼロと言える。典型的なアンサイクロペディアで言う[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%8A%E5%AD%90%E6%A7%98%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC お子様ユーザー]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近よく現れている恒心系のアカウントは彼の自作自演だと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪意のない編集をする人をLTAと勝手に認定し、それによって市外局番の投稿が規制され、最終的には番号ネタそのものが規制されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更には独裁管理を批判してもTc本人はうるさく誹謗中傷とか言い張るので批判してもあまり意味がない位かなりの独裁管理者野郎と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{CWuser|理不尽}}及び{{CWuser|うぇっへいへい}}、並びに{{CWuser|サンピア}}は彼のソックパペットと言われている。最近になって七星であることも判明した。恒心系LTAとも言われている。最近{{CWuser|山岡先生}}というソックパペットがあることも発覚した。更には自身のソックパペットをブロックするマッチポンプも行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな悪行を繰り返してるとむらまさの二の舞になるだろう。&lt;br /&gt;
こんな管理者野郎ごときは権限剥奪とともに無期限ブロックされるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
むらまさ、MuttleyとともにChakuwikiの3大糞管理者野郎と言われていたが、この2人を大きく上回る超極悪糞管理者野郎であることが2020年に入って露呈した。管理者に加えて利用者調査者にも任命され、彼の独裁体制に輪をかけることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北地方、特に宮城県出身・福島県在住とされるが、その地域を襲った東日本大震災や福島第一原発事故関係の投稿をあまりせず、むしろその地域に関する不満ばかり投稿している事からも東北地方民としての自覚や資質は全くなく、実際には西日本、特に中国地方・四国・九州の何れかに在住していると見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
善良な利用者である中之島線に対しこんな[https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%AD%E4%B9%8B%E5%B3%B6%E7%B7%9A#.E8.AD.A6.E5.91.8A]暴言を吐いていることからもわかるように管理者どころか人間として生きる資質は皆無と言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴言はさらに続き、何の罪もない中之島線に対しストーカー行為を行って謝罪を要求するまでに至っている。こんなことではサイトそのものの存亡にも関わる。さらに勝手なルールを作ってサイトを硬直化させようとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年3月11日にはちょっとしたことでマルチポストとか勝手に理由をつけて彼に2週間ものブロックを課した。これではもう手の施しようがない。さらに中之島線が意見を言うと自分自身を侮辱してるとして無期限ブロックを突きつけた。これは奇しくもTcの住むとされている福島県を襲った東日本大震災の発生日でもある。'''利用者を侮辱しているのはお前自身だろうが!。Tc自身もマルチポストをやってるのによく人のことを言うわ。震災の被災地在住とされ本来なら辛い記憶として永久に忘れられない日に無期限ブロックを下すのは人間として生きる資質は全くないのだ!。'''あのむらまさでも無期限ブロックはやっていないのに。こんな身勝手な独裁的な管理をしているようではオーナーの逆鱗に触れる可能性は大だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中之島線を無期限ブロックした後もしつこく侮辱行為を繰り返している。とにかくしつこい。特に5chでは「ナマポ島線」として侮辱している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は利用者のブロックを趣味にしているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のやっていることは威力業務妨害罪でなおかつ名誉毀損に問われかねないものである。最悪警察沙汰だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後どういう処置が取られるかが見ものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近投稿が減ってるのは間違いなく彼の暴走が原因だろう。ワンパターンとか勝手に理由をつけて投稿を消してるし。その癖山岡先生が批判を投稿しても容認するのにそれ以外のユーザーが批判を投稿するのは許さないというダブスタも平気で行っている。もはやかつてのむらまさよりも酷い。事実こいつが管理者になってからサイトは衰退傾向が激しい。近いうちにサイトを破滅に追い込むだろう。最近になって喉仏系や恒心系の荒らしということもわかった。更にはChakuwikiを支配するだけでは飽き足らず遂には山岡と共謀してヲチスレをも乗っ取り自分達のマンセースレに変えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ヲチスレすら活気を失っているが間違いなく彼のせいだろう。更には無いですと共謀して山岡が批判を投稿しても容認する様に圧力をもかけている。それどころか山岡の投稿を批判じゃないと言い張る等その目は節穴以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
典型的な自分に優しく他人に厳しい、人間としても最悪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
☁はChakuwikiから去るべきである。しかしむらまさ・Kの特急・Muttleyと中之島線をブロックした管理者はことごとく権限を失うジンクスがあることから彼もいずれは管理者権限を剥奪されることは間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
WikipediaではLTA:XYZとしてLTA認定されている。同名の利用者[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tc79929]はいるが無期限ブロックされている。本人で間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年にはオーナーの死によってサイトが存亡の危機に瀕したが表向きはそれが理由であるものの実際には彼の独裁的な悪徳管理がサイトの破滅を招いたと言える。オーナーの遺族もサイトの存続に消極的だが彼の悪徳管理がわかっていたために他ならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本サイトが閉鎖された後にできたクローンサイトでは「みどり」という名前で活躍しているようだ。その後[[Miraheze]]版もできたがこちらでも「シチクニ」の名で管理者に就任し荒らしを働いている。Miraheze版ができた後クローンサイトからは撤退して、Miraheze版でも2021年9月以来活動を休止している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その状況だが、一部ではTc79929並びに独裁管理を支持・肯定する人も居て、予断を許さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関連性は不明だがYourpediaの{{User|Tc79929}}についてはアカウントの大量作成を理由にブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929のソックパペット一覧==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|理不尽}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|山岡先生}} - 寵愛されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|うぇっへいへい}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|サンピア}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ちんことまんこのプラトニックセックス}} - 本垢。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Nanatuboshi0622}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|白鳥}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|りょうち}} - ☁&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ASD123}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|飯田壮太}} - 5chで関連性が指摘されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|切干大根}} - Wikipediaにも同名のアカウントがあるがこちらも無期限ブロック済。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|おおぞら}} &lt;br /&gt;
*{{CWuser|なぎさ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|塩たまご}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|あや}} - ソックパペットでの管理活動を行っている。&lt;br /&gt;
*かちゅう - org版で荒らしを働いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に無期限ブロックされたLTA以外のユーザー==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Norinachi0411}} - Tc本人の独裁管理をいち早く批判。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Tadamarisa}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|中之島線}} - Tcより先にchakuwikiに登録し、chakuwikiに長年に渡り貢献するも、付きまとわられて無期限ブロック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に与えられた称号==&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*蛆虫格破綻者　&lt;br /&gt;
*[[バカ]]&lt;br /&gt;
*[[アホ]]&lt;br /&gt;
*[[この野郎]]&lt;br /&gt;
*[[卑怯者]]　&lt;br /&gt;
*[[童貞|生涯童貞]]&lt;br /&gt;
*[[ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
*[[蛆虫]]&lt;br /&gt;
*[[くたばれ]]&lt;br /&gt;
*[[チンカス]]&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[サイコパス]]&lt;br /&gt;
*[[精神分裂病]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[統合失調症]]&lt;br /&gt;
*[[死ね]]&lt;br /&gt;
*[[マヌケ]]&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[シゾフレニア]]&lt;br /&gt;
*社会のゴミ&lt;br /&gt;
*[[穀つぶし]]&lt;br /&gt;
*[[白痴]]&lt;br /&gt;
*[[ド低能]]&lt;br /&gt;
*腐れ脳みそ&lt;br /&gt;
*[[売国奴]]&lt;br /&gt;
*[[売国野郎]]&lt;br /&gt;
*[[非国民]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[馬鹿野郎]]&lt;br /&gt;
*国賊&lt;br /&gt;
*クズ&lt;br /&gt;
*役立たず&lt;br /&gt;
*[[ケフカ]]&lt;br /&gt;
*[[キモヲタ]]&lt;br /&gt;
*[[偽善者]]&lt;br /&gt;
*[[嫌韓厨]]&lt;br /&gt;
*[[ニート右翼]]&lt;br /&gt;
*[[万年ニート]]&lt;br /&gt;
*[[産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[人権屋]]&lt;br /&gt;
*[[糞]]&lt;br /&gt;
*[[糞野郎]]&lt;br /&gt;
*[[腐れ外道]]&lt;br /&gt;
*[[酸素の無駄遣い]]&lt;br /&gt;
*[[公害]]&lt;br /&gt;
*[[寄生虫]]&lt;br /&gt;
*[[害虫]]&lt;br /&gt;
*[[ダニ]]&lt;br /&gt;
*[[虱]]&lt;br /&gt;
*[[回虫]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[精神異常者]]&lt;br /&gt;
*[[知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
*[[ボウフラ]]&lt;br /&gt;
*[[勝木諒]]&lt;br /&gt;
*[[真性包茎]]&lt;br /&gt;
*[[毒虫]]&lt;br /&gt;
*[[自宅警備員]]&lt;br /&gt;
*[[脳が不自由]]&lt;br /&gt;
*[[崔吉竜]]&lt;br /&gt;
*[[死刑囚]]候補&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[厨房]]&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教|オウム]]工作員&lt;br /&gt;
*[[創価]]の手先&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]&lt;br /&gt;
*[[TBS]]工作員&lt;br /&gt;
*[[幼稚園児]]以下&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[池沼]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮の将軍様]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮以下]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキ]]の恥さらし&lt;br /&gt;
*[[無能管理者]]&lt;br /&gt;
*[[管理者野郎]]&lt;br /&gt;
*[[ハエたたき]]&lt;br /&gt;
*[[池沼 (150.7.242.14)|腐った生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[クソ虫]]&lt;br /&gt;
*[[暇蛆]]&lt;br /&gt;
*[[大便]]&lt;br /&gt;
*[[汚物]]&lt;br /&gt;
*[[恒心教教祖]]&lt;br /&gt;
*[[☁]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[森谷辰也]]&lt;br /&gt;
*[[そ○や]]&lt;br /&gt;
*[[rxy]]&lt;br /&gt;
*[[裸の独裁者の親衛隊]]&lt;br /&gt;
*[[ダブスタ大好きマッチポンプ消防士]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのテドロス]]&lt;br /&gt;
*[[xyz系LTA]]&lt;br /&gt;
*[[炭鉱]]で働くべきニート&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]&lt;br /&gt;
*[[上級国民]]&lt;br /&gt;
*[[ウラジーミル・プーチン]]&lt;br /&gt;
*[[ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのヒトラー]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[もしTc79929が○○だったら]]&lt;br /&gt;
*[[Tc79929独裁の悲劇]]&lt;br /&gt;
*[[偽Tc79929の特徴]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキホリック]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:借民]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ]]&lt;br /&gt;
[[Category:吐き気を催す邪悪]]&lt;br /&gt;
[[Category:勇者プクリン]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アホ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410922</id>
		<title>Tc79929</title>
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				<updated>2025-07-14T12:42:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{投稿禁止|{{CWuser|Tc79929}}}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:勇者プクリンモザイク.png|thumb|Tc79929の正体]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:プーチン2.jpg|thumb|Tc79929のもう一つの顔]]&lt;br /&gt;
Tc79929は[[Chakuwiki]]の糞管理者野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に富士見野男とともに管理者昇格。噂によれば[[Muttley]]本人とか。従って[[☁]]である。モンブランやむらまさの靴下という説もある。そして言うまでもなく[[七星]]である。その荒らしぶりから「☁Tc79929☁」とも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[勇者プクリン]]や[[ちんことまんこのプラトニックセックス]]という説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になった途端身勝手な管理編集を行ってユーザーを困らせており、悪意のない編集をうるさいくらいマルチポストと見なして差し戻してそのページを保護したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに管理者であることをいいことに葬式画像や盗撮画像をサイトにアップしており、一般常識はゼロと言える。典型的なアンサイクロペディアで言う[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%8A%E5%AD%90%E6%A7%98%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC お子様ユーザー]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近よく現れている恒心系のアカウントは彼の自作自演だと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪意のない編集をする人をLTAと勝手に認定し、それによって市外局番の投稿が規制され、最終的には番号ネタそのものが規制されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更には独裁管理を批判してもTc本人はうるさく誹謗中傷とか言い張るので批判してもあまり意味がない位かなりの独裁管理者野郎と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{CWuser|理不尽}}及び{{CWuser|うぇっへいへい}}、並びに{{CWuser|サンピア}}は彼のソックパペットと言われている。最近になって七星であることも判明した。恒心系LTAとも言われている。最近{{CWuser|山岡先生}}というソックパペットがあることも発覚した。更には自身のソックパペットをブロックするマッチポンプも行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな悪行を繰り返してるとむらまさの二の舞になるだろう。&lt;br /&gt;
こんな管理者野郎ごときは権限剥奪とともに無期限ブロックされるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
むらまさ、MuttleyとともにChakuwikiの3大糞管理者野郎と言われていたが、この2人を大きく上回る超極悪糞管理者野郎であることが2020年に入って露呈した。管理者に加えて利用者調査者にも任命され、彼の独裁体制に輪をかけることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北地方、特に宮城県出身・福島県在住とされるが、その地域を襲った東日本大震災や福島第一原発事故関係の投稿をあまりせず、むしろその地域に関する不満ばかり投稿している事からも東北地方民としての自覚や資質は全くなく、実際には西日本、特に中国地方・四国・九州の何れかに在住していると見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
善良な利用者である中之島線に対しこんな[https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%AD%E4%B9%8B%E5%B3%B6%E7%B7%9A#.E8.AD.A6.E5.91.8A]暴言を吐いていることからもわかるように管理者どころか人間として生きる資質は皆無と言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴言はさらに続き、何の罪もない中之島線に対しストーカー行為を行って謝罪を要求するまでに至っている。こんなことではサイトそのものの存亡にも関わる。さらに勝手なルールを作ってサイトを硬直化させようとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年3月11日にはちょっとしたことでマルチポストとか勝手に理由をつけて彼に2週間ものブロックを課した。これではもう手の施しようがない。さらに中之島線が意見を言うと自分自身を侮辱してるとして無期限ブロックを突きつけた。これは奇しくもTcの住むとされている福島県を襲った東日本大震災の発生日でもある。'''利用者を侮辱しているのはお前自身だろうが!。Tc自身もマルチポストをやってるのによく人のことを言うわ。震災の被災地在住とされ本来なら辛い記憶として永久に忘れられない日に無期限ブロックを下すのは人間として生きる資質は全くないのだ!。'''あのむらまさでも無期限ブロックはやっていないのに。こんな身勝手な独裁的な管理をしているようではオーナーの逆鱗に触れる可能性は大だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中之島線を無期限ブロックした後もしつこく侮辱行為を繰り返している。とにかくしつこい。特に5chでは「ナマポ島線」として侮辱している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は利用者のブロックを趣味にしているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のやっていることは威力業務妨害罪でなおかつ名誉毀損に問われかねないものである。最悪警察沙汰だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後どういう処置が取られるかが見ものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近投稿が減ってるのは間違いなく彼の暴走が原因だろう。ワンパターンとか勝手に理由をつけて投稿を消してるし。その癖山岡先生が批判を投稿しても容認するのにそれ以外のユーザーが批判を投稿するのは許さないというダブスタも平気で行っている。もはやかつてのむらまさよりも酷い。事実こいつが管理者になってからサイトは衰退傾向が激しい。近いうちにサイトを破滅に追い込むだろう。最近になって喉仏系や恒心系の荒らしということもわかった。更にはChakuwikiを支配するだけでは飽き足らず遂には山岡と共謀してヲチスレをも乗っ取り自分達のマンセースレに変えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ヲチスレすら活気を失っているが間違いなく彼のせいだろう。更には無いですと共謀して山岡が批判を投稿しても容認する様に圧力をもかけている。それどころか山岡の投稿を批判じゃないと言い張る等その目は節穴以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
典型的な自分に優しく他人に厳しい、人間としても最悪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
☁はChakuwikiから去るべきである。しかしむらまさ・Kの特急・Muttleyと中之島線をブロックした管理者はことごとく権限を失うジンクスがあることから彼もいずれは管理者権限を剥奪されることは間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
WikipediaではLTA:XYZとしてLTA認定されている。同名の利用者[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tc79929]はいるが無期限ブロックされている。本人で間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年にはオーナーの死によってサイトが存亡の危機に瀕したが表向きはそれが理由であるものの実際には彼の独裁的な悪徳管理がサイトの破滅を招いたと言える。オーナーの遺族もサイトの存続に消極的だが彼の悪徳管理がわかっていたために他ならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本サイトが閉鎖された後にできたクローンサイトでは「みどり」という名前で活躍しているようだ。その後[[Miraheze]]版もできたがこちらでも「シチクニ」の名で管理者に就任し荒らしを働いている。Miraheze版ができた後クローンサイトからは撤退して、Miraheze版でも2021年9月以来活動を休止している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その状況だが、一部ではTc79929並びに独裁管理を支持・肯定する人も居て、予断を許さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関連性は不明だがYourpediaの{{User|Tc79929}}についてはアカウントの大量作成を理由にブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929のソックパペット一覧==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|理不尽}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|山岡先生}} - 寵愛されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|うぇっへいへい}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|サンピア}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ちんことまんこのプラトニックセックス}} - 本垢。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Nanatuboshi0622}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|白鳥}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|りょうち}} - ☁&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ASD123}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|飯田壮太}} - 5chで関連性が指摘されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|切干大根}} - Wikipediaにも同名のアカウントがあるがこちらも無期限ブロック済。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|おおぞら}} &lt;br /&gt;
*{{CWuser|なぎさ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|塩たまご}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|あや}} - ソックパペットでの管理活動を行っている。&lt;br /&gt;
*かちゅう - org版で荒らしを働いている。&lt;br /&gt;
*ア○○○イ - [[石崎伝蔵]]さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定して、書いた人を誹謗中傷して個人情報を特定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に無期限ブロックされたLTA以外のユーザー==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Norinachi0411}} - Tc本人の独裁管理をいち早く批判。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Tadamarisa}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|中之島線}} - Tcより先にchakuwikiに登録し、chakuwikiに長年に渡り貢献するも、付きまとわられて無期限ブロック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に与えられた称号==&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*蛆虫格破綻者　&lt;br /&gt;
*[[バカ]]&lt;br /&gt;
*[[アホ]]&lt;br /&gt;
*[[この野郎]]&lt;br /&gt;
*[[卑怯者]]　&lt;br /&gt;
*[[童貞|生涯童貞]]&lt;br /&gt;
*[[ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
*[[蛆虫]]&lt;br /&gt;
*[[くたばれ]]&lt;br /&gt;
*[[チンカス]]&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[サイコパス]]&lt;br /&gt;
*[[精神分裂病]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[統合失調症]]&lt;br /&gt;
*[[死ね]]&lt;br /&gt;
*[[マヌケ]]&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[シゾフレニア]]&lt;br /&gt;
*社会のゴミ&lt;br /&gt;
*[[穀つぶし]]&lt;br /&gt;
*[[白痴]]&lt;br /&gt;
*[[ド低能]]&lt;br /&gt;
*腐れ脳みそ&lt;br /&gt;
*[[売国奴]]&lt;br /&gt;
*[[売国野郎]]&lt;br /&gt;
*[[非国民]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[馬鹿野郎]]&lt;br /&gt;
*国賊&lt;br /&gt;
*クズ&lt;br /&gt;
*役立たず&lt;br /&gt;
*[[ケフカ]]&lt;br /&gt;
*[[キモヲタ]]&lt;br /&gt;
*[[偽善者]]&lt;br /&gt;
*[[嫌韓厨]]&lt;br /&gt;
*[[ニート右翼]]&lt;br /&gt;
*[[万年ニート]]&lt;br /&gt;
*[[産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[人権屋]]&lt;br /&gt;
*[[糞]]&lt;br /&gt;
*[[糞野郎]]&lt;br /&gt;
*[[腐れ外道]]&lt;br /&gt;
*[[酸素の無駄遣い]]&lt;br /&gt;
*[[公害]]&lt;br /&gt;
*[[寄生虫]]&lt;br /&gt;
*[[害虫]]&lt;br /&gt;
*[[ダニ]]&lt;br /&gt;
*[[虱]]&lt;br /&gt;
*[[回虫]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[精神異常者]]&lt;br /&gt;
*[[知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
*[[ボウフラ]]&lt;br /&gt;
*[[勝木諒]]&lt;br /&gt;
*[[真性包茎]]&lt;br /&gt;
*[[毒虫]]&lt;br /&gt;
*[[自宅警備員]]&lt;br /&gt;
*[[脳が不自由]]&lt;br /&gt;
*[[崔吉竜]]&lt;br /&gt;
*[[死刑囚]]候補&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[厨房]]&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教|オウム]]工作員&lt;br /&gt;
*[[創価]]の手先&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]&lt;br /&gt;
*[[TBS]]工作員&lt;br /&gt;
*[[幼稚園児]]以下&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[池沼]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮の将軍様]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮以下]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキ]]の恥さらし&lt;br /&gt;
*[[無能管理者]]&lt;br /&gt;
*[[管理者野郎]]&lt;br /&gt;
*[[ハエたたき]]&lt;br /&gt;
*[[池沼 (150.7.242.14)|腐った生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[クソ虫]]&lt;br /&gt;
*[[暇蛆]]&lt;br /&gt;
*[[大便]]&lt;br /&gt;
*[[汚物]]&lt;br /&gt;
*[[恒心教教祖]]&lt;br /&gt;
*[[☁]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[森谷辰也]]&lt;br /&gt;
*[[そ○や]]&lt;br /&gt;
*[[rxy]]&lt;br /&gt;
*[[裸の独裁者の親衛隊]]&lt;br /&gt;
*[[ダブスタ大好きマッチポンプ消防士]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのテドロス]]&lt;br /&gt;
*[[xyz系LTA]]&lt;br /&gt;
*[[炭鉱]]で働くべきニート&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]&lt;br /&gt;
*[[上級国民]]&lt;br /&gt;
*[[ウラジーミル・プーチン]]&lt;br /&gt;
*[[ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのヒトラー]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[もしTc79929が○○だったら]]&lt;br /&gt;
*[[Tc79929独裁の悲劇]]&lt;br /&gt;
*[[偽Tc79929の特徴]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキホリック]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:借民]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ]]&lt;br /&gt;
[[Category:吐き気を催す邪悪]]&lt;br /&gt;
[[Category:勇者プクリン]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アホ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410669</id>
		<title>Tc79929</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410669"/>
				<updated>2025-04-24T11:36:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* Tc79929のソックパペット一覧 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{投稿禁止|{{CWuser|Tc79929}}}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:勇者プクリンモザイク.png|thumb|Tc79929の正体]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:プーチン2.jpg|thumb|Tc79929のもう一つの顔]]&lt;br /&gt;
Tc79929は[[Chakuwiki]]の糞管理者野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に富士見野男とともに管理者昇格。噂によれば[[Muttley]]本人とか。従って[[☁]]である。モンブランやむらまさの靴下という説もある。そして言うまでもなく[[七星]]である。その荒らしぶりから「☁Tc79929☁」とも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[勇者プクリン]]や[[ちんことまんこのプラトニックセックス]]という説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になった途端身勝手な管理編集を行ってユーザーを困らせており、悪意のない編集をうるさいくらいマルチポストと見なして差し戻してそのページを保護したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに管理者であることをいいことに葬式画像や盗撮画像をサイトにアップしており、一般常識はゼロと言える。典型的なアンサイクロペディアで言う[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%8A%E5%AD%90%E6%A7%98%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC お子様ユーザー]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近よく現れている恒心系のアカウントは彼の自作自演だと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪意のない編集をする人をLTAと勝手に認定し、それによって市外局番の投稿が規制され、最終的には番号ネタそのものが規制されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更には独裁管理を批判してもTc本人はうるさく誹謗中傷とか言い張るので批判してもあまり意味がない位かなりの独裁管理者野郎と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{CWuser|理不尽}}及び{{CWuser|うぇっへいへい}}、並びに{{CWuser|サンピア}}は彼のソックパペットと言われている。最近になって七星であることも判明した。恒心系LTAとも言われている。最近{{CWuser|山岡先生}}というソックパペットがあることも発覚した。更には自身のソックパペットをブロックするマッチポンプも行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな悪行を繰り返してるとむらまさの二の舞になるだろう。&lt;br /&gt;
こんな管理者野郎ごときは権限剥奪とともに無期限ブロックされるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
むらまさ、MuttleyとともにChakuwikiの3大糞管理者野郎と言われていたが、この2人を大きく上回る超極悪糞管理者野郎であることが2020年に入って露呈した。管理者に加えて利用者調査者にも任命され、彼の独裁体制に輪をかけることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北地方、特に宮城県出身・福島県在住とされるが、その地域を襲った東日本大震災や福島第一原発事故関係の投稿をあまりせず、むしろその地域に関する不満ばかり投稿している事からも東北地方民としての自覚や資質は全くなく、実際には西日本、特に中国地方・四国・九州の何れかに在住していると見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
善良な利用者である中之島線に対しこんな[https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%AD%E4%B9%8B%E5%B3%B6%E7%B7%9A#.E8.AD.A6.E5.91.8A]暴言を吐いていることからもわかるように管理者どころか人間として生きる資質は皆無と言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴言はさらに続き、何の罪もない中之島線に対しストーカー行為を行って謝罪を要求するまでに至っている。こんなことではサイトそのものの存亡にも関わる。さらに勝手なルールを作ってサイトを硬直化させようとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年3月11日にはちょっとしたことでマルチポストとか勝手に理由をつけて彼に2週間ものブロックを課した。これではもう手の施しようがない。さらに中之島線が意見を言うと自分自身を侮辱してるとして無期限ブロックを突きつけた。これは奇しくもTcの住むとされている福島県を襲った東日本大震災の発生日でもある。'''利用者を侮辱しているのはお前自身だろうが!。Tc自身もマルチポストをやってるのによく人のことを言うわ。震災の被災地在住とされ本来なら辛い記憶として永久に忘れられない日に無期限ブロックを下すのは人間として生きる資質は全くないのだ!。'''あのむらまさでも無期限ブロックはやっていないのに。こんな身勝手な独裁的な管理をしているようではオーナーの逆鱗に触れる可能性は大だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中之島線を無期限ブロックした後もしつこく侮辱行為を繰り返している。とにかくしつこい。特に5chでは「ナマポ島線」として侮辱している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は利用者のブロックを趣味にしているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のやっていることは威力業務妨害罪でなおかつ名誉毀損に問われかねないものである。最悪警察沙汰だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後どういう処置が取られるかが見ものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近投稿が減ってるのは間違いなく彼の暴走が原因だろう。ワンパターンとか勝手に理由をつけて投稿を消してるし。その癖山岡先生が批判を投稿しても容認するのにそれ以外のユーザーが批判を投稿するのは許さないというダブスタも平気で行っている。もはやかつてのむらまさよりも酷い。事実こいつが管理者になってからサイトは衰退傾向が激しい。近いうちにサイトを破滅に追い込むだろう。最近になって喉仏系や恒心系の荒らしということもわかった。更にはChakuwikiを支配するだけでは飽き足らず遂には山岡と共謀してヲチスレをも乗っ取り自分達のマンセースレに変えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ヲチスレすら活気を失っているが間違いなく彼のせいだろう。更には無いですと共謀して山岡が批判を投稿しても容認する様に圧力をもかけている。それどころか山岡の投稿を批判じゃないと言い張る等その目は節穴以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
典型的な自分に優しく他人に厳しい、人間としても最悪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
☁はChakuwikiから去るべきである。しかしむらまさ・Kの特急・Muttleyと中之島線をブロックした管理者はことごとく権限を失うジンクスがあることから彼もいずれは管理者権限を剥奪されることは間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
WikipediaではLTA:XYZとしてLTA認定されている。同名の利用者[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tc79929]はいるが無期限ブロックされている。本人で間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年にはオーナーの死によってサイトが存亡の危機に瀕したが表向きはそれが理由であるものの実際には彼の独裁的な悪徳管理がサイトの破滅を招いたと言える。オーナーの遺族もサイトの存続に消極的だが彼の悪徳管理がわかっていたために他ならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本サイトが閉鎖された後にできたクローンサイトでは「みどり」という名前で活躍しているようだ。その後[[Miraheze]]版もできたがこちらでも「シチクニ」の名で管理者に就任し荒らしを働いている。Miraheze版ができた後クローンサイトからは撤退して、Miraheze版でも2021年9月以来活動を休止している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その状況だが、一部ではTc79929並びに独裁管理を支持・肯定する人も居て、予断を許さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関連性は不明だがYourpediaの{{User|Tc79929}}についてはアカウントの大量作成を理由にブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929のソックパペット一覧==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|理不尽}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|山岡先生}} - 寵愛されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|うぇっへいへい}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|サンピア}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ちんことまんこのプラトニックセックス}} - 本垢。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Nanatuboshi0622}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|白鳥}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|りょうち}} - ☁&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ASD123}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|飯田壮太}} - 5chで関連性が指摘されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|切干大根}} - Wikipediaにも同名のアカウントがあるがこちらも無期限ブロック済。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|おおぞら}} &lt;br /&gt;
*{{CWuser|なぎさ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|塩たまご}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|あや}} - ソックパペットでの管理活動を行っている。&lt;br /&gt;
*かちゅう - org版で荒らしを働いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に無期限ブロックされたLTA以外のユーザー==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Norinachi0411}} - Tc本人の独裁管理をいち早く批判。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Tadamarisa}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|中之島線}} - Tcより先にchakuwikiに登録し、chakuwikiに長年に渡り貢献するも、付きまとわられて無期限ブロック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に与えられた称号==&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*蛆虫格破綻者　&lt;br /&gt;
*[[バカ]]&lt;br /&gt;
*[[アホ]]&lt;br /&gt;
*[[この野郎]]&lt;br /&gt;
*[[卑怯者]]　&lt;br /&gt;
*[[童貞|生涯童貞]]&lt;br /&gt;
*[[ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
*[[蛆虫]]&lt;br /&gt;
*[[くたばれ]]&lt;br /&gt;
*[[チンカス]]&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[サイコパス]]&lt;br /&gt;
*[[精神分裂病]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[統合失調症]]&lt;br /&gt;
*[[死ね]]&lt;br /&gt;
*[[マヌケ]]&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[シゾフレニア]]&lt;br /&gt;
*社会のゴミ&lt;br /&gt;
*[[穀つぶし]]&lt;br /&gt;
*[[白痴]]&lt;br /&gt;
*[[ド低能]]&lt;br /&gt;
*腐れ脳みそ&lt;br /&gt;
*[[売国奴]]&lt;br /&gt;
*[[売国野郎]]&lt;br /&gt;
*[[非国民]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[馬鹿野郎]]&lt;br /&gt;
*国賊&lt;br /&gt;
*クズ&lt;br /&gt;
*役立たず&lt;br /&gt;
*[[ケフカ]]&lt;br /&gt;
*[[キモヲタ]]&lt;br /&gt;
*[[偽善者]]&lt;br /&gt;
*[[嫌韓厨]]&lt;br /&gt;
*[[ニート右翼]]&lt;br /&gt;
*[[万年ニート]]&lt;br /&gt;
*[[産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[人権屋]]&lt;br /&gt;
*[[糞]]&lt;br /&gt;
*[[糞野郎]]&lt;br /&gt;
*[[腐れ外道]]&lt;br /&gt;
*[[酸素の無駄遣い]]&lt;br /&gt;
*[[公害]]&lt;br /&gt;
*[[寄生虫]]&lt;br /&gt;
*[[害虫]]&lt;br /&gt;
*[[ダニ]]&lt;br /&gt;
*[[虱]]&lt;br /&gt;
*[[回虫]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[精神異常者]]&lt;br /&gt;
*[[知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
*[[ボウフラ]]&lt;br /&gt;
*[[勝木諒]]&lt;br /&gt;
*[[真性包茎]]&lt;br /&gt;
*[[毒虫]]&lt;br /&gt;
*[[自宅警備員]]&lt;br /&gt;
*[[脳が不自由]]&lt;br /&gt;
*[[崔吉竜]]&lt;br /&gt;
*[[死刑囚]]候補&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[厨房]]&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教|オウム]]工作員&lt;br /&gt;
*[[創価]]の手先&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]&lt;br /&gt;
*[[TBS]]工作員&lt;br /&gt;
*[[幼稚園児]]以下&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[池沼]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮の将軍様]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮以下]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキ]]の恥さらし&lt;br /&gt;
*[[無能管理者]]&lt;br /&gt;
*[[管理者野郎]]&lt;br /&gt;
*[[ハエたたき]]&lt;br /&gt;
*[[池沼 (150.7.242.14)|腐った生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[クソ虫]]&lt;br /&gt;
*[[暇蛆]]&lt;br /&gt;
*[[大便]]&lt;br /&gt;
*[[汚物]]&lt;br /&gt;
*[[恒心教教祖]]&lt;br /&gt;
*[[☁]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[森谷辰也]]&lt;br /&gt;
*[[そ○や]]&lt;br /&gt;
*[[rxy]]&lt;br /&gt;
*[[裸の独裁者の親衛隊]]&lt;br /&gt;
*[[ダブスタ大好きマッチポンプ消防士]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのテドロス]]&lt;br /&gt;
*[[xyz系LTA]]&lt;br /&gt;
*[[炭鉱]]で働くべきニート&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]&lt;br /&gt;
*[[上級国民]]&lt;br /&gt;
*[[ウラジーミル・プーチン]]&lt;br /&gt;
*[[ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのヒトラー]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[もしTc79929が○○だったら]]&lt;br /&gt;
*[[Tc79929独裁の悲劇]]&lt;br /&gt;
*[[偽Tc79929の特徴]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキホリック]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:借民]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ]]&lt;br /&gt;
[[Category:吐き気を催す邪悪]]&lt;br /&gt;
[[Category:勇者プクリン]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アホ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410667</id>
		<title>Tc79929</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410667"/>
				<updated>2025-04-24T06:34:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* Tc79929のソックパペット一覧 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{投稿禁止|{{CWuser|Tc79929}}}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:勇者プクリンモザイク.png|thumb|Tc79929の正体]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:プーチン2.jpg|thumb|Tc79929のもう一つの顔]]&lt;br /&gt;
Tc79929は[[Chakuwiki]]の糞管理者野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に富士見野男とともに管理者昇格。噂によれば[[Muttley]]本人とか。従って[[☁]]である。モンブランやむらまさの靴下という説もある。そして言うまでもなく[[七星]]である。その荒らしぶりから「☁Tc79929☁」とも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[勇者プクリン]]や[[ちんことまんこのプラトニックセックス]]という説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になった途端身勝手な管理編集を行ってユーザーを困らせており、悪意のない編集をうるさいくらいマルチポストと見なして差し戻してそのページを保護したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに管理者であることをいいことに葬式画像や盗撮画像をサイトにアップしており、一般常識はゼロと言える。典型的なアンサイクロペディアで言う[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%8A%E5%AD%90%E6%A7%98%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC お子様ユーザー]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近よく現れている恒心系のアカウントは彼の自作自演だと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪意のない編集をする人をLTAと勝手に認定し、それによって市外局番の投稿が規制され、最終的には番号ネタそのものが規制されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更には独裁管理を批判してもTc本人はうるさく誹謗中傷とか言い張るので批判してもあまり意味がない位かなりの独裁管理者野郎と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{CWuser|理不尽}}及び{{CWuser|うぇっへいへい}}、並びに{{CWuser|サンピア}}は彼のソックパペットと言われている。最近になって七星であることも判明した。恒心系LTAとも言われている。最近{{CWuser|山岡先生}}というソックパペットがあることも発覚した。更には自身のソックパペットをブロックするマッチポンプも行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな悪行を繰り返してるとむらまさの二の舞になるだろう。&lt;br /&gt;
こんな管理者野郎ごときは権限剥奪とともに無期限ブロックされるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
むらまさ、MuttleyとともにChakuwikiの3大糞管理者野郎と言われていたが、この2人を大きく上回る超極悪糞管理者野郎であることが2020年に入って露呈した。管理者に加えて利用者調査者にも任命され、彼の独裁体制に輪をかけることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北地方、特に宮城県出身・福島県在住とされるが、その地域を襲った東日本大震災や福島第一原発事故関係の投稿をあまりせず、むしろその地域に関する不満ばかり投稿している事からも東北地方民としての自覚や資質は全くなく、実際には西日本、特に中国地方・四国・九州の何れかに在住していると見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
善良な利用者である中之島線に対しこんな[https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%AD%E4%B9%8B%E5%B3%B6%E7%B7%9A#.E8.AD.A6.E5.91.8A]暴言を吐いていることからもわかるように管理者どころか人間として生きる資質は皆無と言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴言はさらに続き、何の罪もない中之島線に対しストーカー行為を行って謝罪を要求するまでに至っている。こんなことではサイトそのものの存亡にも関わる。さらに勝手なルールを作ってサイトを硬直化させようとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年3月11日にはちょっとしたことでマルチポストとか勝手に理由をつけて彼に2週間ものブロックを課した。これではもう手の施しようがない。さらに中之島線が意見を言うと自分自身を侮辱してるとして無期限ブロックを突きつけた。これは奇しくもTcの住むとされている福島県を襲った東日本大震災の発生日でもある。'''利用者を侮辱しているのはお前自身だろうが!。Tc自身もマルチポストをやってるのによく人のことを言うわ。震災の被災地在住とされ本来なら辛い記憶として永久に忘れられない日に無期限ブロックを下すのは人間として生きる資質は全くないのだ!。'''あのむらまさでも無期限ブロックはやっていないのに。こんな身勝手な独裁的な管理をしているようではオーナーの逆鱗に触れる可能性は大だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中之島線を無期限ブロックした後もしつこく侮辱行為を繰り返している。とにかくしつこい。特に5chでは「ナマポ島線」として侮辱している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は利用者のブロックを趣味にしているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のやっていることは威力業務妨害罪でなおかつ名誉毀損に問われかねないものである。最悪警察沙汰だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後どういう処置が取られるかが見ものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近投稿が減ってるのは間違いなく彼の暴走が原因だろう。ワンパターンとか勝手に理由をつけて投稿を消してるし。その癖山岡先生が批判を投稿しても容認するのにそれ以外のユーザーが批判を投稿するのは許さないというダブスタも平気で行っている。もはやかつてのむらまさよりも酷い。事実こいつが管理者になってからサイトは衰退傾向が激しい。近いうちにサイトを破滅に追い込むだろう。最近になって喉仏系や恒心系の荒らしということもわかった。更にはChakuwikiを支配するだけでは飽き足らず遂には山岡と共謀してヲチスレをも乗っ取り自分達のマンセースレに変えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ヲチスレすら活気を失っているが間違いなく彼のせいだろう。更には無いですと共謀して山岡が批判を投稿しても容認する様に圧力をもかけている。それどころか山岡の投稿を批判じゃないと言い張る等その目は節穴以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
典型的な自分に優しく他人に厳しい、人間としても最悪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
☁はChakuwikiから去るべきである。しかしむらまさ・Kの特急・Muttleyと中之島線をブロックした管理者はことごとく権限を失うジンクスがあることから彼もいずれは管理者権限を剥奪されることは間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
WikipediaではLTA:XYZとしてLTA認定されている。同名の利用者[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tc79929]はいるが無期限ブロックされている。本人で間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年にはオーナーの死によってサイトが存亡の危機に瀕したが表向きはそれが理由であるものの実際には彼の独裁的な悪徳管理がサイトの破滅を招いたと言える。オーナーの遺族もサイトの存続に消極的だが彼の悪徳管理がわかっていたために他ならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本サイトが閉鎖された後にできたクローンサイトでは「みどり」という名前で活躍しているようだ。その後[[Miraheze]]版もできたがこちらでも「シチクニ」の名で管理者に就任し荒らしを働いている。Miraheze版ができた後クローンサイトからは撤退して、Miraheze版でも2021年9月以来活動を休止している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その状況だが、一部ではTc79929並びに独裁管理を支持・肯定する人も居て、予断を許さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関連性は不明だがYourpediaの{{User|Tc79929}}についてはアカウントの大量作成を理由にブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929のソックパペット一覧==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|理不尽}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|山岡先生}} - 寵愛されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|うぇっへいへい}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|サンピア}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ちんことまんこのプラトニックセックス}} - 本垢。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Nanatuboshi0622}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|白鳥}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|りょうち}} - ☁&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ASD123}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|飯田壮太}} - 5chで関連性が指摘されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|切干大根}} - Wikipediaにも同名のアカウントがあるがこちらも無期限ブロック済。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|おおぞら}} &lt;br /&gt;
*{{CWuser|なぎさ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|塩たまご}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|あや}} - ソックパペットでの管理活動を行っている。&lt;br /&gt;
*かちゅう - org版で荒らしを働いている。&lt;br /&gt;
*アルトケイ - [[石崎伝蔵]]さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定して、書いた人を誹謗中傷して個人情報を特定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に無期限ブロックされたLTA以外のユーザー==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Norinachi0411}} - Tc本人の独裁管理をいち早く批判。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Tadamarisa}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|中之島線}} - Tcより先にchakuwikiに登録し、chakuwikiに長年に渡り貢献するも、付きまとわられて無期限ブロック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に与えられた称号==&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*蛆虫格破綻者　&lt;br /&gt;
*[[バカ]]&lt;br /&gt;
*[[アホ]]&lt;br /&gt;
*[[この野郎]]&lt;br /&gt;
*[[卑怯者]]　&lt;br /&gt;
*[[童貞|生涯童貞]]&lt;br /&gt;
*[[ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
*[[蛆虫]]&lt;br /&gt;
*[[くたばれ]]&lt;br /&gt;
*[[チンカス]]&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[サイコパス]]&lt;br /&gt;
*[[精神分裂病]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[統合失調症]]&lt;br /&gt;
*[[死ね]]&lt;br /&gt;
*[[マヌケ]]&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[シゾフレニア]]&lt;br /&gt;
*社会のゴミ&lt;br /&gt;
*[[穀つぶし]]&lt;br /&gt;
*[[白痴]]&lt;br /&gt;
*[[ド低能]]&lt;br /&gt;
*腐れ脳みそ&lt;br /&gt;
*[[売国奴]]&lt;br /&gt;
*[[売国野郎]]&lt;br /&gt;
*[[非国民]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[馬鹿野郎]]&lt;br /&gt;
*国賊&lt;br /&gt;
*クズ&lt;br /&gt;
*役立たず&lt;br /&gt;
*[[ケフカ]]&lt;br /&gt;
*[[キモヲタ]]&lt;br /&gt;
*[[偽善者]]&lt;br /&gt;
*[[嫌韓厨]]&lt;br /&gt;
*[[ニート右翼]]&lt;br /&gt;
*[[万年ニート]]&lt;br /&gt;
*[[産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[人権屋]]&lt;br /&gt;
*[[糞]]&lt;br /&gt;
*[[糞野郎]]&lt;br /&gt;
*[[腐れ外道]]&lt;br /&gt;
*[[酸素の無駄遣い]]&lt;br /&gt;
*[[公害]]&lt;br /&gt;
*[[寄生虫]]&lt;br /&gt;
*[[害虫]]&lt;br /&gt;
*[[ダニ]]&lt;br /&gt;
*[[虱]]&lt;br /&gt;
*[[回虫]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[精神異常者]]&lt;br /&gt;
*[[知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
*[[ボウフラ]]&lt;br /&gt;
*[[勝木諒]]&lt;br /&gt;
*[[真性包茎]]&lt;br /&gt;
*[[毒虫]]&lt;br /&gt;
*[[自宅警備員]]&lt;br /&gt;
*[[脳が不自由]]&lt;br /&gt;
*[[崔吉竜]]&lt;br /&gt;
*[[死刑囚]]候補&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[厨房]]&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教|オウム]]工作員&lt;br /&gt;
*[[創価]]の手先&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]&lt;br /&gt;
*[[TBS]]工作員&lt;br /&gt;
*[[幼稚園児]]以下&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[池沼]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮の将軍様]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮以下]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキ]]の恥さらし&lt;br /&gt;
*[[無能管理者]]&lt;br /&gt;
*[[管理者野郎]]&lt;br /&gt;
*[[ハエたたき]]&lt;br /&gt;
*[[池沼 (150.7.242.14)|腐った生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[クソ虫]]&lt;br /&gt;
*[[暇蛆]]&lt;br /&gt;
*[[大便]]&lt;br /&gt;
*[[汚物]]&lt;br /&gt;
*[[恒心教教祖]]&lt;br /&gt;
*[[☁]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[森谷辰也]]&lt;br /&gt;
*[[そ○や]]&lt;br /&gt;
*[[rxy]]&lt;br /&gt;
*[[裸の独裁者の親衛隊]]&lt;br /&gt;
*[[ダブスタ大好きマッチポンプ消防士]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのテドロス]]&lt;br /&gt;
*[[xyz系LTA]]&lt;br /&gt;
*[[炭鉱]]で働くべきニート&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]&lt;br /&gt;
*[[上級国民]]&lt;br /&gt;
*[[ウラジーミル・プーチン]]&lt;br /&gt;
*[[ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのヒトラー]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[もしTc79929が○○だったら]]&lt;br /&gt;
*[[Tc79929独裁の悲劇]]&lt;br /&gt;
*[[偽Tc79929の特徴]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキホリック]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:借民]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ]]&lt;br /&gt;
[[Category:吐き気を催す邪悪]]&lt;br /&gt;
[[Category:勇者プクリン]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アホ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410666</id>
		<title>Tc79929</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=Tc79929&amp;diff=410666"/>
				<updated>2025-04-24T06:34:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* Tc79929のソックパペット一覧 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{投稿禁止|{{CWuser|Tc79929}}}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:勇者プクリンモザイク.png|thumb|Tc79929の正体]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:プーチン2.jpg|thumb|Tc79929のもう一つの顔]]&lt;br /&gt;
Tc79929は[[Chakuwiki]]の糞管理者野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に富士見野男とともに管理者昇格。噂によれば[[Muttley]]本人とか。従って[[☁]]である。モンブランやむらまさの靴下という説もある。そして言うまでもなく[[七星]]である。その荒らしぶりから「☁Tc79929☁」とも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[勇者プクリン]]や[[ちんことまんこのプラトニックセックス]]という説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者になった途端身勝手な管理編集を行ってユーザーを困らせており、悪意のない編集をうるさいくらいマルチポストと見なして差し戻してそのページを保護したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに管理者であることをいいことに葬式画像や盗撮画像をサイトにアップしており、一般常識はゼロと言える。典型的なアンサイクロペディアで言う[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%8A%E5%AD%90%E6%A7%98%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC お子様ユーザー]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近よく現れている恒心系のアカウントは彼の自作自演だと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪意のない編集をする人をLTAと勝手に認定し、それによって市外局番の投稿が規制され、最終的には番号ネタそのものが規制されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更には独裁管理を批判してもTc本人はうるさく誹謗中傷とか言い張るので批判してもあまり意味がない位かなりの独裁管理者野郎と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{CWuser|理不尽}}及び{{CWuser|うぇっへいへい}}、並びに{{CWuser|サンピア}}は彼のソックパペットと言われている。最近になって七星であることも判明した。恒心系LTAとも言われている。最近{{CWuser|山岡先生}}というソックパペットがあることも発覚した。更には自身のソックパペットをブロックするマッチポンプも行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな悪行を繰り返してるとむらまさの二の舞になるだろう。&lt;br /&gt;
こんな管理者野郎ごときは権限剥奪とともに無期限ブロックされるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
むらまさ、MuttleyとともにChakuwikiの3大糞管理者野郎と言われていたが、この2人を大きく上回る超極悪糞管理者野郎であることが2020年に入って露呈した。管理者に加えて利用者調査者にも任命され、彼の独裁体制に輪をかけることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東北地方、特に宮城県出身・福島県在住とされるが、その地域を襲った東日本大震災や福島第一原発事故関係の投稿をあまりせず、むしろその地域に関する不満ばかり投稿している事からも東北地方民としての自覚や資質は全くなく、実際には西日本、特に中国地方・四国・九州の何れかに在住していると見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
善良な利用者である中之島線に対しこんな[https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%AD%E4%B9%8B%E5%B3%B6%E7%B7%9A#.E8.AD.A6.E5.91.8A]暴言を吐いていることからもわかるように管理者どころか人間として生きる資質は皆無と言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴言はさらに続き、何の罪もない中之島線に対しストーカー行為を行って謝罪を要求するまでに至っている。こんなことではサイトそのものの存亡にも関わる。さらに勝手なルールを作ってサイトを硬直化させようとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年3月11日にはちょっとしたことでマルチポストとか勝手に理由をつけて彼に2週間ものブロックを課した。これではもう手の施しようがない。さらに中之島線が意見を言うと自分自身を侮辱してるとして無期限ブロックを突きつけた。これは奇しくもTcの住むとされている福島県を襲った東日本大震災の発生日でもある。'''利用者を侮辱しているのはお前自身だろうが!。Tc自身もマルチポストをやってるのによく人のことを言うわ。震災の被災地在住とされ本来なら辛い記憶として永久に忘れられない日に無期限ブロックを下すのは人間として生きる資質は全くないのだ!。'''あのむらまさでも無期限ブロックはやっていないのに。こんな身勝手な独裁的な管理をしているようではオーナーの逆鱗に触れる可能性は大だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中之島線を無期限ブロックした後もしつこく侮辱行為を繰り返している。とにかくしつこい。特に5chでは「ナマポ島線」として侮辱している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近は利用者のブロックを趣味にしているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼のやっていることは威力業務妨害罪でなおかつ名誉毀損に問われかねないものである。最悪警察沙汰だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後どういう処置が取られるかが見ものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近投稿が減ってるのは間違いなく彼の暴走が原因だろう。ワンパターンとか勝手に理由をつけて投稿を消してるし。その癖山岡先生が批判を投稿しても容認するのにそれ以外のユーザーが批判を投稿するのは許さないというダブスタも平気で行っている。もはやかつてのむらまさよりも酷い。事実こいつが管理者になってからサイトは衰退傾向が激しい。近いうちにサイトを破滅に追い込むだろう。最近になって喉仏系や恒心系の荒らしということもわかった。更にはChakuwikiを支配するだけでは飽き足らず遂には山岡と共謀してヲチスレをも乗っ取り自分達のマンセースレに変えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ヲチスレすら活気を失っているが間違いなく彼のせいだろう。更には無いですと共謀して山岡が批判を投稿しても容認する様に圧力をもかけている。それどころか山岡の投稿を批判じゃないと言い張る等その目は節穴以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
典型的な自分に優しく他人に厳しい、人間としても最悪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
☁はChakuwikiから去るべきである。しかしむらまさ・Kの特急・Muttleyと中之島線をブロックした管理者はことごとく権限を失うジンクスがあることから彼もいずれは管理者権限を剥奪されることは間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
WikipediaではLTA:XYZとしてLTA認定されている。同名の利用者[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tc79929]はいるが無期限ブロックされている。本人で間違いないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2020年にはオーナーの死によってサイトが存亡の危機に瀕したが表向きはそれが理由であるものの実際には彼の独裁的な悪徳管理がサイトの破滅を招いたと言える。オーナーの遺族もサイトの存続に消極的だが彼の悪徳管理がわかっていたために他ならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本サイトが閉鎖された後にできたクローンサイトでは「みどり」という名前で活躍しているようだ。その後[[Miraheze]]版もできたがこちらでも「シチクニ」の名で管理者に就任し荒らしを働いている。Miraheze版ができた後クローンサイトからは撤退して、Miraheze版でも2021年9月以来活動を休止している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その状況だが、一部ではTc79929並びに独裁管理を支持・肯定する人も居て、予断を許さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関連性は不明だがYourpediaの{{User|Tc79929}}についてはアカウントの大量作成を理由にブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929のソックパペット一覧==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|理不尽}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|山岡先生}} - 寵愛されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|うぇっへいへい}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|サンピア}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ちんことまんこのプラトニックセックス}} - 本垢。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Nanatuboshi0622}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|白鳥}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|りょうち}} - ☁&lt;br /&gt;
*{{CWuser|ASD123}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|飯田壮太}} - 5chで関連性が指摘されている。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|切干大根}} - Wikipediaにも同名のアカウントがあるがこちらも無期限ブロック済。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|おおぞら}} &lt;br /&gt;
*{{CWuser|なぎさ}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|塩たまご}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|あや}} - ソックパペットでの管理活動を行っている。&lt;br /&gt;
*かちゅう - org版で荒らしを働いている。&lt;br /&gt;
*アルトケイ - [[石崎伝蔵]]さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を否定して、書いた人を誹謗中傷して個人情報を特定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に無期限ブロックされたLTA以外のユーザー==&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Norinachi0411}} - Tc本人の独裁管理をいち早く批判。&lt;br /&gt;
*{{CWuser|Tadamarisa}}&lt;br /&gt;
*{{CWuser|中之島線}} - Tcより先にchakuwikiに登録し、chakuwikiに長年に渡り貢献するも、付きまとわられて無期限ブロック。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Tc79929に与えられた称号==&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*蛆虫格破綻者　&lt;br /&gt;
*[[バカ]]&lt;br /&gt;
*[[アホ]]&lt;br /&gt;
*[[この野郎]]&lt;br /&gt;
*[[卑怯者]]　&lt;br /&gt;
*[[童貞|生涯童貞]]&lt;br /&gt;
*[[ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
*[[蛆虫]]&lt;br /&gt;
*[[くたばれ]]&lt;br /&gt;
*[[チンカス]]&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[サイコパス]]&lt;br /&gt;
*[[精神分裂病]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[統合失調症]]&lt;br /&gt;
*[[死ね]]&lt;br /&gt;
*[[マヌケ]]&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[シゾフレニア]]&lt;br /&gt;
*社会のゴミ&lt;br /&gt;
*[[穀つぶし]]&lt;br /&gt;
*[[白痴]]&lt;br /&gt;
*[[ド低能]]&lt;br /&gt;
*腐れ脳みそ&lt;br /&gt;
*[[売国奴]]&lt;br /&gt;
*[[売国野郎]]&lt;br /&gt;
*[[非国民]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[馬鹿野郎]]&lt;br /&gt;
*国賊&lt;br /&gt;
*クズ&lt;br /&gt;
*役立たず&lt;br /&gt;
*[[ケフカ]]&lt;br /&gt;
*[[キモヲタ]]&lt;br /&gt;
*[[偽善者]]&lt;br /&gt;
*[[嫌韓厨]]&lt;br /&gt;
*[[ニート右翼]]&lt;br /&gt;
*[[万年ニート]]&lt;br /&gt;
*[[産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[人権屋]]&lt;br /&gt;
*[[糞]]&lt;br /&gt;
*[[糞野郎]]&lt;br /&gt;
*[[腐れ外道]]&lt;br /&gt;
*[[酸素の無駄遣い]]&lt;br /&gt;
*[[公害]]&lt;br /&gt;
*[[寄生虫]]&lt;br /&gt;
*[[害虫]]&lt;br /&gt;
*[[ダニ]]&lt;br /&gt;
*[[虱]]&lt;br /&gt;
*[[回虫]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[精神異常者]]&lt;br /&gt;
*[[知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
*[[ボウフラ]]&lt;br /&gt;
*[[勝木諒]]&lt;br /&gt;
*[[真性包茎]]&lt;br /&gt;
*[[毒虫]]&lt;br /&gt;
*[[自宅警備員]]&lt;br /&gt;
*[[脳が不自由]]&lt;br /&gt;
*[[崔吉竜]]&lt;br /&gt;
*[[死刑囚]]候補&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[厨房]]&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教|オウム]]工作員&lt;br /&gt;
*[[創価]]の手先&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]&lt;br /&gt;
*[[TBS]]工作員&lt;br /&gt;
*[[幼稚園児]]以下&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[池沼]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮の将軍様]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮以下]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキ]]の恥さらし&lt;br /&gt;
*[[無能管理者]]&lt;br /&gt;
*[[管理者野郎]]&lt;br /&gt;
*[[ハエたたき]]&lt;br /&gt;
*[[池沼 (150.7.242.14)|腐った生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[クソ虫]]&lt;br /&gt;
*[[暇蛆]]&lt;br /&gt;
*[[大便]]&lt;br /&gt;
*[[汚物]]&lt;br /&gt;
*[[恒心教教祖]]&lt;br /&gt;
*[[☁]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[森谷辰也]]&lt;br /&gt;
*[[そ○や]]&lt;br /&gt;
*[[rxy]]&lt;br /&gt;
*[[裸の独裁者の親衛隊]]&lt;br /&gt;
*[[ダブスタ大好きマッチポンプ消防士]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのテドロス]]&lt;br /&gt;
*[[xyz系LTA]]&lt;br /&gt;
*[[炭鉱]]で働くべきニート&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]&lt;br /&gt;
*[[上級国民]]&lt;br /&gt;
*[[ウラジーミル・プーチン]]&lt;br /&gt;
*[[ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]&lt;br /&gt;
*[[チャクウィキのヒトラー]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[もしTc79929が○○だったら]]&lt;br /&gt;
*[[Tc79929独裁の悲劇]]&lt;br /&gt;
*[[偽Tc79929の特徴]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアで無期限投稿ブロック処分となったユーザー]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキホリック]]&lt;br /&gt;
[[Category:チャクウィキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:借民]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアの利用者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネット中毒者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ]]&lt;br /&gt;
[[Category:吐き気を催す邪悪]]&lt;br /&gt;
[[Category:勇者プクリン]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アホ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%81%BDTc79929%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4&amp;diff=409849</id>
		<title>偽Tc79929の特徴</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%81%BDTc79929%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4&amp;diff=409849"/>
				<updated>2025-01-17T14:59:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#独裁管理をしない。&lt;br /&gt;
#*よって罪のない可変IPユーザーがLTAに分類されたりする事はなく、Norinachi0411やTadamarisaや中之島線が無期限ブロックされる事はなかった。&lt;br /&gt;
#宮城県出身・福島県在住だけあって東日本大震災関連の投稿をよくする。&lt;br /&gt;
#*このため在住地域への不満の投稿はなく、東日本大震災発生の日に中之島線を無期限ブロックしなかった。&lt;br /&gt;
#**それどころか中之島線を管理者に昇格させた。&lt;br /&gt;
#*もしくは宮城県出身・福島県在住ではないために、東日本大震災関連の投稿をしない。&lt;br /&gt;
#*むしろ関西在住の癖に阪神・淡路大震災関連の投稿をせず、むしろ発生の日に東北在住ユーザーを無期限ブロックした。&lt;br /&gt;
#むしろ広島県出身・岡山県在住だ。&lt;br /&gt;
#*もしくは鹿児島県出身・在住だ。&lt;br /&gt;
#*あるいは北海道出身・在住だ。&lt;br /&gt;
#盗撮や葬式の画像を載せない。&lt;br /&gt;
#芸能に詳しくない。&lt;br /&gt;
#*鉄道やバスにも詳しくない。&lt;br /&gt;
#*それどころか社会全体にも詳しくない。&lt;br /&gt;
#Tc1からTc79928まで黒歴史。&lt;br /&gt;
#*M72970やMc73970も黒歴史。&lt;br /&gt;
#ユーザー名の通り、1979年9月29日生まれだ。&lt;br /&gt;
#[[☁]]ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:Tc79929|にせちいしい]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409803</id>
		<title>田島ナビ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409803"/>
				<updated>2025-01-09T18:05:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''田島 ナビ'''（たじま ナビ、[[1900年]]〈[[明治]]33年〉&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated Living Supercentenarians|work=Gerontology Research Group|accessdate=2015-04-02|language=英語}}&amp;lt;/ref&amp;gt;/[[1901年]]〈[[明治]]34年〉{{Refnest|group=注釈|name=110 club|1901年生まれ説があるが、空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためで、場合によっては国内最高齢になっていない事になる。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591&lt;br /&gt;
|title=The 110 Club - Undisputed Oldest People Ever&lt;br /&gt;
|accessdate=2024-12-26&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[8月4日]] - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[4月21日]]）は、[[日本]]の[[スーパーセンテナリアン]]。[[鹿児島県]][[喜界町]]在住の[[長寿]]の女性。[[2017年]][[9月15日]]以降死去するまで戸籍上で長寿世界一となっていた。また戸籍上では世界最後の[[19世紀]]生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
1900年8月4日に鹿児島県[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]荒木地区の集落で田島家の長女として誕生。[[喜界島]]に在住し、[[尋常小学校]]を卒業後、織工場で働く&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot;&amp;gt;{{PDF|[https://www.town.kikai.lg.jp/koho/machi/koho/documents/kouhou201806.pdf 広報きかい　平成30年（2018年）6月号]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1919年]]に富二子（とみにし）を婿として迎え、共に[[サトウキビ]]農業を80歳頃まで勤めた。富二子は1991年（[[平成]]3年）に94歳で亡くなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=【動画】国内最高齢・田島ナビさん１１６歳誕生日|newspaper=鹿児島テレビ|date=2016-08-04|url=http://news.ktstv.net/e65359.html|archiveurl=https://archive.is/20160804110553/http://news.ktstv.net/e65359.html|archivedate=2016-08-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170917032300/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|archivedate=2017-09-17}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。富二子の死後は長男夫妻のもとで生活していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=子孫１４０人…発酵飲料好み、よく食べ　国内最高齢１１７歳の田島ナビさん|newspaper=[[産経WEST]]|date=2017-09-15|url=http://www.sankei.com/west/news/170915/wst1709150053-n1.html|accessdate=2017-09-22|archiveurl=https://archive.is/TQQYk|archivedate=2017-09-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年（平成14年）2月に特別養護老人ホーム「喜界園」に入居した&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=117歳　世界一へ県民栄誉検討　田島ナビさんを知事訪問　鹿児島県喜界町|date=2017-09-19|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00010003-nankainn-l46|accessdate=2017-09-21|newspaper=|archive-date=2017-10-28|archive-url=https://archive.ph/V2O3W}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。入居後も杖をついて歩くことが出来たが、転倒による骨折が原因で車いす生活を送る&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富二子との間に9人の[[子]]（7男2女）をもうけ、2011年（平成23年）の[[敬老の日]]の時点で、[[孫]]が28人、[[ひ孫]]が56人、[[続柄#玄孫|玄孫]]が35人いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot; /&amp;gt;。[[2015年]]（平成27年）9月の時点では、玄孫の子にあたる[[続柄#来孫|来孫]]を含む140人以上の子孫がいた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=「ナビばあちゃんちばりよー」／喜界町の田島さんに県祝い状|newspaper=南海日日新聞|date=2015-09-16|url=http://www.nankainn.com/local/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%93%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%82%88%E3%83%BC%E3%80%8D%EF%BC%8F%E5%96%9C%E7%95%8C%E7%94%BA%E3%81%AE%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%81%95|accessdate=2015-11-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2017年]]（平成29年）9月の時点では、約160人の子孫がいた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1日3回の[[食事]]は欠かさず、[[粥]]や[[味噌汁]]など5品を[[ミキサー (調理器具)|ミキサー]]にかけたものをとっていた。元気の良い日は[[島唄|シマ唄]]に合わせて手踊りをしていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-09-22|archive-date=2016-09-21|archive-url=https://web.archive.org/web/20160921103825/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[2011年]]9月時点で鹿児島県内の最高齢者として認定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |title=広報きかい 平成23年（2011年）10月号 |access-date=2022-04-29 |date=2011-10 |website=喜界町 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150413031908/http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |archive-date=2015-04-13 |format=PDF}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2015年]][[9月27日]]、[[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|東京都在住の氏名非公表の女性]]（[[1900年]]〈[[明治]]33年〉[[3月15日]]生まれ）が死去したため、115歳54日で戸籍上の存命する日本最高齢の人物となった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=国内最高齢の女性死去＝都内の115歳－厚労省|newspaper=時事通信|date=2015-09-28|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archiveurl=https://archive.is/20150928134335/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archivedate=2015-09-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2017年]][[9月1日]]、戸籍上で117歳28日で[[大川ミサヲ]]の年齢を上回り、日本人の史上最高齢記録を更新した。&lt;br /&gt;
* 同年[[9月15日]]、[[ヴァイオレット・ブラウン]]が死去したことに伴い、117歳42日で戸籍上で世界最高齢の存命人物、並びに戸籍上で最後の19世紀生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
* [[2018年]][[4月21日]]午後7時58分、老衰のため喜界町内の病院で死去した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Asahi 2018/4/21&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK 2018.4.21&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=“世界最高齢か” 117歳の田島ナビさん死去|newspaper=NHK|date=2018-04-21|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html|accessdate=2018-04-22|archive-date=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424030010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。戸籍上で117歳260日没&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |title=国内最高齢１１７歳、鹿児島の田島ナビさん死去 |publisher=産業経済新聞社 |date=2018-04-21 |accessdate=2019-11-26 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180428220608/http://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |archive-date=2018-04-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。田島の死去に伴い、同じく日本の[[都千代]]（[[1901年]]〈明治34年〉生まれ）が戸籍上で世界最高齢となり、戸籍上で19世紀生まれの全員がこの世を去った。告別式は同月23日午後1時に行われ、ひ孫ら約100人が参列し、島歌を捧げるなどして別れを惜しんだ。喜界町副町長の嶺義久は「町民の誇りでした」と追悼の意を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=世界最高齢１１７歳で死去　田島ナビさん　告別式|newspaper=MBC西日本放送|date=2018-04-23|url=http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|accessdate=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424202447/http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|archive-date=2018-4-24}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[田中カ子]]が[[2020年]][[9月19日]]に記録を更新するまで、戸籍上で日本並びに[[アジア]]における史上最長寿の人物だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注釈&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[センテナリアン]]&lt;br /&gt;
* [[木村次郎右衛門]] - 男性における19世紀生まれ世界最後の生存者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{S-start}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
| years = 2015年9月27日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|（氏名非公表）]]&lt;br /&gt;
| after = [[都千代]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での歴代の日本最高齢&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月1日 - 2020年9月18日&lt;br /&gt;
| before = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
| after = [[田中カ子]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = 戸籍上での存命人物のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月15日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[ヴァイオレット・ブラウン]]&lt;br /&gt;
| after = 都千代&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{S-end}}&lt;br /&gt;
{{長寿世界一}}&lt;br /&gt;
{{長寿日本一}}&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:たしま なひ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:鹿児島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1900年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1901年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2018年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409802</id>
		<title>田島ナビ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409802"/>
				<updated>2025-01-09T18:01:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''田島 ナビ'''（たじま ナビ、[[1900年]]〈[[明治]]33年〉&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated Living Supercentenarians|work=Gerontology Research Group|accessdate=2015-04-02|language=英語}}&amp;lt;/ref&amp;gt;/[[1901年]]〈[[明治]]34年〉{{Refnest|group=注釈|name=110 club|1901年生まれ説があるが、空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためで、場合によっては国内最高齢になっていない事になる。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591&lt;br /&gt;
|title=The 110 Club - Undisputed Oldest People Ever&lt;br /&gt;
|accessdate=2024-12-26&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[8月4日]] - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[4月21日]]）は、[[日本]]の[[スーパーセンテナリアン]]。[[鹿児島県]][[喜界町]]在住の[[長寿]]の女性。[[2017年]][[9月15日]]以降死去するまで戸籍上で長寿世界一となっていた。また戸籍上では世界最後の[[19世紀]]生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
1900年8月4日に鹿児島県[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]荒木地区の集落で田島家の長女として誕生。[[喜界島]]に在住し、[[尋常小学校]]を卒業後、織工場で働く&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot;&amp;gt;{{PDF|[https://www.town.kikai.lg.jp/koho/machi/koho/documents/kouhou201806.pdf 広報きかい　平成30年（2018年）6月号]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1919年]]に富二子（とみにし）を婿として迎え、共に[[サトウキビ]]農業を80歳頃まで勤めた。富二子は1991年（[[平成]]3年）に94歳で亡くなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=【動画】国内最高齢・田島ナビさん１１６歳誕生日|newspaper=鹿児島テレビ|date=2016-08-04|url=http://news.ktstv.net/e65359.html|archiveurl=https://archive.is/20160804110553/http://news.ktstv.net/e65359.html|archivedate=2016-08-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170917032300/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|archivedate=2017-09-17}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。富二子の死後は長男夫妻のもとで生活していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=子孫１４０人…発酵飲料好み、よく食べ　国内最高齢１１７歳の田島ナビさん|newspaper=[[産経WEST]]|date=2017-09-15|url=http://www.sankei.com/west/news/170915/wst1709150053-n1.html|accessdate=2017-09-22|archiveurl=https://archive.is/TQQYk|archivedate=2017-09-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年（平成14年）2月に特別養護老人ホーム「喜界園」に入居した&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=117歳　世界一へ県民栄誉検討　田島ナビさんを知事訪問　鹿児島県喜界町|date=2017-09-19|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00010003-nankainn-l46|accessdate=2017-09-21|newspaper=|archive-date=2017-10-28|archive-url=https://archive.ph/V2O3W}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。入居後も杖をついて歩くことが出来たが、転倒による骨折が原因で車いす生活を送る&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富二子との間に9人の[[子]]（7男2女）をもうけ、2011年（平成23年）の[[敬老の日]]の時点で、[[孫]]が28人、[[ひ孫]]が56人、[[続柄#玄孫|玄孫]]が35人いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot; /&amp;gt;。[[2015年]]（平成27年）9月の時点では、玄孫の子にあたる[[続柄#来孫|来孫]]を含む140人以上の子孫がいた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=「ナビばあちゃんちばりよー」／喜界町の田島さんに県祝い状|newspaper=南海日日新聞|date=2015-09-16|url=http://www.nankainn.com/local/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%93%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%82%88%E3%83%BC%E3%80%8D%EF%BC%8F%E5%96%9C%E7%95%8C%E7%94%BA%E3%81%AE%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%81%95|accessdate=2015-11-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2017年]]（平成29年）9月の時点では、約160人の子孫がいた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1日3回の[[食事]]は欠かさず、[[粥]]や[[味噌汁]]など5品を[[ミキサー (調理器具)|ミキサー]]にかけたものをとっていた。元気の良い日は[[島唄|シマ唄]]に合わせて手踊りをしていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-09-22|archive-date=2016-09-21|archive-url=https://web.archive.org/web/20160921103825/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[2011年]]9月時点で鹿児島県内の最高齢者として認定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |title=広報きかい 平成23年（2011年）10月号 |access-date=2022-04-29 |date=2011-10 |website=喜界町 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150413031908/http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |archive-date=2015-04-13 |format=PDF}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2015年]][[9月27日]]、[[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|東京都在住の氏名非公表の女性]]（[[1900年]]〈[[明治]]33年〉[[3月15日]]生まれ）が死去したため、115歳54日で戸籍上の存命する日本最高齢の人物となった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=国内最高齢の女性死去＝都内の115歳－厚労省|newspaper=時事通信|date=2015-09-28|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archiveurl=https://archive.is/20150928134335/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archivedate=2015-09-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2017年]][[9月1日]]、戸籍上で117歳28日で[[大川ミサヲ]]の年齢を上回り、日本人の史上最高齢記録を更新した。&lt;br /&gt;
* 同年[[9月15日]]、[[ヴァイオレット・ブラウン]]が死去したことに伴い、117歳42日で戸籍上で世界最高齢の存命人物、並びに戸籍上で最後の19世紀生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
* [[2018年]][[4月21日]]午後7時58分、老衰のため喜界町内の病院で死去した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Asahi 2018/4/21&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK 2018.4.21&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=“世界最高齢か” 117歳の田島ナビさん死去|newspaper=NHK|date=2018-04-21|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html|accessdate=2018-04-22|archive-date=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424030010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。戸籍上で117歳260日没&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |title=国内最高齢１１７歳、鹿児島の田島ナビさん死去 |publisher=産業経済新聞社 |date=2018-04-21 |accessdate=2019-11-26 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180428220608/http://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |archive-date=2018-04-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。田島の死去に伴い、同じく日本の[[都千代]]（[[1901年]]〈明治34年〉生まれ）が戸籍上で世界最高齢となり、戸籍上で19世紀生まれの全員がこの世を去った。告別式は同月23日午後1時に行われ、ひ孫ら約100人が参列し、島歌を捧げるなどして別れを惜しんだ。喜界町副町長の嶺義久は「町民の誇りでした」と追悼の意を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=世界最高齢１１７歳で死去　田島ナビさん　告別式|newspaper=MBC西日本放送|date=2018-04-23|url=http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|accessdate=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424202447/http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|archive-date=2018-4-24}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[田中カ子]]が[[2020年]][[9月19日]]に記録を更新するまで、戸籍上で日本並びに[[アジア]]における史上最長寿の人物だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注釈&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[センテナリアン]]&lt;br /&gt;
* [[木村次郎右衛門]] - 男性における19世紀生まれ世界最後の生存者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{S-start}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} [[長寿#歴代の長寿日本一記録者|存命人物のうち日本最高齢]]&lt;br /&gt;
| years = 2015年9月27日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|（氏名非公表）]]&lt;br /&gt;
| after = [[都千代]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} 歴代の日本最高齢&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月1日 - 2020年9月18日&lt;br /&gt;
| before = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
| after = [[田中カ子]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = [[長寿#歴代の長寿世界一記録者(1955年以降)|存命人物のうち世界最高齢]]&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月15日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[ヴァイオレット・ブラウン]]&lt;br /&gt;
| after = 都千代&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{S-end}}&lt;br /&gt;
{{長寿世界一}}&lt;br /&gt;
{{長寿日本一}}&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:たしま なひ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:鹿児島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1900年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1901年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2018年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E8%94%B5&amp;diff=409801</id>
		<title>石崎伝蔵</title>
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				<updated>2025-01-09T17:55:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 2歳年上説についての考察 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''石崎 伝蔵'''（いしざき でんぞう、(石崎 傳藏）、[[1886年]]（[[明治]]19年）/[[1884年]]（明治17年）{{Refnest|group=注釈|name=michinoku|戸籍届けが2年遅れたため、実際の生年は[[1884年]]で没年齢は114歳とする説もある。この場合、[[秋野やす]]は女性長寿日本一になりながら長寿日本一、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、[[渡名喜元完]]は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一になっていない可能性もある。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|title=みちのくが始まる街からの通信&lt;br /&gt;
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210817172993/http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|archivedate=2021-08-17&lt;br /&gt;
|accessdate=2022-01-03&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[10月2日]]{{Refnest|group=注釈|name=GRG|戸籍上では「10月2日」だが、GRGは「10月20日」としている。&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
- [[1999年]]（[[平成]]11年）[[4月29日]]）は、日本[[長寿|最高齢]]であり、明治10年代生まれ最後の生き残りだった男性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茨城県出身で同県金砂郷町在住だった。&lt;br /&gt;
旧制・茨城県立太田中学校（現在の[[茨城県立太田第一高等学校・附属中学校|茨城県立太田第一高等学校]]）を卒業後、教員となり、[[茨城県]]内の旧制[[高等小学校]]の[[校長]]などを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2次世界大戦後の[[1946年]]（昭和21年）に妻が死去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戸籍上で109歳まで茨城から東京に出掛けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生前、健康の秘訣は「1日5000回の足踏み、[[風呂]]はぬるめ、[[肉]]ならば[[牛]]」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*1996年（平成8年）10月2日 - 戸籍上で満110歳の誕生日。&lt;br /&gt;
*1997年（平成9年）1月24日 - [[渡名喜元完]]の死去により戸籍上で日本最高齢の男性になる。&lt;br /&gt;
*1998年（平成10年）10月2日 - 戸籍上で満112歳の誕生日。年齢に確証のある日本人男性では戸籍上で渡名喜元完に次いで2人目であった。&lt;br /&gt;
*同年12月25日 - 戸籍上で世界最高齢の男性になる&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*同年12月28日 - 112歳87日で、戸籍上で渡名喜元完の記録を上回り、戸籍上の男性としては日本歴代最高齢の人物となる。&lt;br /&gt;
*1999年（平成11年）2月12日 - [[秋野やす]]の死去により戸籍上で日本最高齢の人物になる。&lt;br /&gt;
*同年4月29日、[[多臓器不全]]のため、茨城県[[久慈郡]][[金砂郷町]]（現在の[[常陸太田市]]）で死去した。戸籍上で112歳と209日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==2歳年上説についての考察==&lt;br /&gt;
上記通り、石崎伝蔵には2歳年上説が存在する。&lt;br /&gt;
戸籍上では1886年生まれだが、[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 1999年に戸籍上での長寿日本一になった時に書かれたサイトのページ]に「ホントは114歳ですが（戸籍届けが2年遅れた）」と書かれており、戸籍届けが2年遅れた事により実際には2歳年上で1884年に生まれたとする説があった事が明らかになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事並びにページが書かれたのが戸籍上で長寿日本一になった2日後の1999年2月14日であり、この日にこのページが書かれた理由が、金砂郷町長だった成井光一郎が石崎本人の元を訪れ際に、石崎本人が「別に何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話した事で、それについての記事が書かれた新聞記事を見たページの作者本人が石崎本人やその家族に電話して、2歳年上の1884年生まれ説がある事を明かし、ページに載せたと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下はその新聞記事の紹介である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;quot;　成井光一郎町長が自宅を訪れ、最高齢になった感想を尋ねると、石崎さんは「別に 何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話したという。 　１昨年に腰を痛めてからは外出を控えているが１０９歳まではよく東京にも出かけ ていた。１９８５年にあったつくば万博には７回足を運んだという。耳は遠くなった が、新聞や本は眼鏡なしで読める。寝床にも本を持ち込む読書家だが、「読まない本 は買わない」がポリシー。 &amp;quot;（朝日新聞朝刊、1999年2月13日付、茨城面、「長寿日本１は金砂郷の石崎さん１１２歳　読書に眼鏡ナシ　／ 茨城  」より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戸籍届けが遅れた理由については&lt;br /&gt;
*石崎が実際に生まれたとされる1884年の茨城県では自由民権運動が激化しており、加波山事件が起きるなどかなり混乱しており、自由民権運動のほとぼりが冷めるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
*両親がだらけていた事により、戸籍届けが2年遅れた事。&lt;br /&gt;
*当時は乳幼児死亡率が高く、十分に育つ年齢になるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年遅れて戸籍届けをして、その際、実際に生まれた日を生年月日に登録したら官吏に叱責されるのを恐れ、実際に2歳になった日を生年月日に登録した、あるいは他人から指摘されて提出した日か、届け出日の数日前の日付を記入したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あるいは両親が石崎の本来の誕生日の記憶がなくなり、提出した日か届け出の数日前の日付を記入した可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上説は[[Hydeの身長は156cm|hydeの身長156cm説]]のようだが、hydeの身長156cm説は憶測に過ぎなかったのに対し、石崎伝蔵さんの2歳年上説は石崎さん本人を知っている方がネットサイトに書き、その方が亡くなってサイトが閉鎖された後もアーカイブ(魚拓)に残っており、hydeの身長156cm説よりは確証性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、114歳209日没で、1995年9月9日に鶴英寿さんの記録を抜いてから、2011年11月14日(木村次郎右衛門さんの1ヶ月年上説を考慮した場合は同年10月14日)に木村次郎右衛門さんに抜かれるまでの16年にも渡って日本男性歴代最高齢だった事になって、渡名喜元完と中願寺雄吉は日本男性歴代最高齢になっておらず、それ以外でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、場合によっては渡名喜元完は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一に、宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一になっていない事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、男性長寿日本一には1991年9月28日の岡儀平さんの死去から2770日、海外に移住した日本出身者を考慮した場合は1992年2月16日の衛藤衛さんの死去から2629日、長寿日本一には1998年11月18日の松永タセさんの死去から162日、男性長寿世界一には1998年4月25日のクリスチャン・モーテンセンさんの死去から369日在位した事になり、男性長寿日本一在位は確認されている中で現在までの歴代最長記録になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚註 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[福西基]] - 茨城県在住の男性長寿日本一になった人で、石崎同様に校長だった。&lt;br /&gt;
*[[日本の長寿者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 戸籍上での存命男性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1998年12月25日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = ウォルター・リチャードソン&lt;br /&gt;
    | after  = アントニオ・ウレア・エルナンデス&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1999年2月12日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = [[秋野やす]]&lt;br /&gt;
    | after  = 藤井カヨ&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命男性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1997年1月24日 - 1999年4月29日 &lt;br /&gt;
    | before = [[渡名喜元完]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[田辺定義]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしさき てんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:茨城県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%82%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%8C%E2%97%8B%E2%97%8B%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89&amp;diff=409770</id>
		<title>もしあの人が○○だったら</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%82%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%8C%E2%97%8B%E2%97%8B%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89&amp;diff=409770"/>
				<updated>2025-01-06T12:10:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「==政治家== ===橋本大二郎=== ;宮崎県知事を務めていたら #宮崎県3局目は普通に開局していた。 #東国原英夫の宮崎県知事就任は...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==政治家==&lt;br /&gt;
===橋本大二郎===&lt;br /&gt;
;宮崎県知事を務めていたら&lt;br /&gt;
#宮崎県3局目は普通に開局していた。&lt;br /&gt;
#東国原英夫の宮崎県知事就任は現実通り。&lt;br /&gt;
;福井県知事を務めていたら&lt;br /&gt;
#福井県3局目は普通に開局していた。&lt;br /&gt;
#イオンが福井県から撤退することもなかったかもしれない。&lt;br /&gt;
;高知県知事にならなかったら&lt;br /&gt;
#高知さんさんテレビは開局せず、高知県は現在も民放2局のまま。&lt;br /&gt;
#山形テレビのネットチェンジもなかった場合、5大民放の系列局の開局は岩手朝日テレビで終了していた。&lt;br /&gt;
===ウラジーミル・プーチン===&lt;br /&gt;
;1889年にドイツで生まれていたら&lt;br /&gt;
#ヒトラーの代わりにナチスの指導者になっていた。&lt;br /&gt;
#*ヒトラーが史実通りだったらヒトラーのライバルになっていた。&lt;br /&gt;
#名前がアドルフだったら尚更。&lt;br /&gt;
#史実のヒトラーの様にドイツ経済を立て直して熱狂的に支持されていたが、史実通り対外膨張意欲が強ければ、第二次世界大戦を起こして結果は史実のヒトラーと変わらず。&lt;br /&gt;
;1537年に日本で生まれていたら&lt;br /&gt;
#三英傑が四英傑になっていた。&lt;br /&gt;
#*あるいは豊臣秀吉が世に出なかったかも。&lt;br /&gt;
#秀吉に代わる存在になっていたら信長亡き後に天下統一に尽力し、1590年に天下を統一していた。&lt;br /&gt;
#*だが、対外膨張意欲が史実通りなら、史実の秀吉のごとく朝鮮に出兵していた。&lt;br /&gt;
#*結果、史実通り朝鮮や明に敗北して撤退していた。&lt;br /&gt;
#*そして徳川家康に天下を奪われていた。&lt;br /&gt;
==芸能人==&lt;br /&gt;
===蛯原友里===&lt;br /&gt;
;1980年にブラジルで生まれていたら&lt;br /&gt;
#双子の妹を持つモデルとしてジゼル・ブンチェンのライバルになっていた。&lt;br /&gt;
#もしかしたら日系ブラジル人だったかも。&lt;br /&gt;
;グラビア界に進出していたら&lt;br /&gt;
#前代未聞の美貌を持つグラビアアイドルになっていた。&lt;br /&gt;
#男性から人気を集めていた。&lt;br /&gt;
;ギャル系モデルだったら&lt;br /&gt;
#2000年代後半になってもギャルブームは続いていた。&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
===豊臣秀吉===&lt;br /&gt;
;太平洋戦争期に生きていたら&lt;br /&gt;
#軍国主義政権の中心になっていた。&lt;br /&gt;
#並びに対外侵攻は史実通り。&lt;br /&gt;
#*よって東条英機や近衛文麿の影が薄くなっていた。&lt;br /&gt;
#*A級戦犯で処刑されていた。&lt;br /&gt;
===宮崎駿===&lt;br /&gt;
;幼児期を北海道で過ごしていたら&lt;br /&gt;
#宮崎本人の作品に北海道をロケ地としたものが増えていた。&lt;br /&gt;
#札幌生まれだとしたら戦時中に岩見沢や三笠あたりに疎開していた。&lt;br /&gt;
#生家は鉄道関係の部品工場だったかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[カテゴリ: 整理検討歴史のif検討委員会]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%B4%8E%E4%BC%9D%E8%94%B5&amp;diff=409692</id>
		<title>石崎伝蔵</title>
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				<updated>2024-12-27T15:22:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''石崎 伝蔵'''（いしざき でんぞう、(石崎 傳藏）、[[1886年]]（[[明治]]19年）/[[1884年]]（明治17年）{{Refnest|group=注釈|name=michinoku|戸籍届けが2年遅れたため、実際の生年は[[1884年]]で没年齢は114歳とする説もある。この場合、[[秋野やす]]は女性長寿日本一になりながら長寿日本一、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、[[渡名喜元完]]は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一になっていない可能性もある。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|title=みちのくが始まる街からの通信&lt;br /&gt;
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210817172993/http://kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html&lt;br /&gt;
|archivedate=2021-08-17&lt;br /&gt;
|accessdate=2022-01-03&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[10月2日]]{{Refnest|group=注釈|name=GRG|戸籍上では「10月2日」だが、GRGは「10月20日」としている。&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
- [[1999年]]（[[平成]]11年）[[4月29日]]）は、日本[[長寿|最高齢]]であり、明治10年代生まれ最後の生き残りだった男性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茨城県出身で同県金砂郷町在住だった。&lt;br /&gt;
旧制・茨城県立太田中学校（現在の[[茨城県立太田第一高等学校・附属中学校|茨城県立太田第一高等学校]]）を卒業後、教員となり、[[茨城県]]内の旧制[[高等小学校]]の[[校長]]などを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2次世界大戦後の[[1946年]]（昭和21年）に妻が死去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戸籍上で109歳まで茨城から東京に出掛けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生前、健康の秘訣は「1日5000回の足踏み、[[風呂]]はぬるめ、[[肉]]ならば[[牛]]」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*1996年（平成8年）10月2日 - 戸籍上で満110歳の誕生日。&lt;br /&gt;
*1997年（平成9年）1月24日 - [[渡名喜元完]]の死去により戸籍上で日本最高齢の男性になる。&lt;br /&gt;
*1998年（平成10年）10月2日 - 戸籍上で満112歳の誕生日。年齢に確証のある日本人男性では戸籍上で渡名喜元完に次いで2人目であった。&lt;br /&gt;
*同年12月25日 - 戸籍上で世界最高齢の男性になる&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/m.HTM World's Oldest Men (WOM) Titleholders Since 1972] （[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*同年12月28日 - 112歳87日で、戸籍上で渡名喜元完の記録を上回り、戸籍上の男性としては日本歴代最高齢の人物となる。&lt;br /&gt;
*1999年（平成11年）2月12日 - [[秋野やす]]の死去により戸籍上で日本最高齢の人物になる。&lt;br /&gt;
*同年4月29日、[[多臓器不全]]のため、茨城県[[久慈郡]][[金砂郷町]]（現在の[[常陸太田市]]）で死去した。戸籍上で112歳と209日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==2歳年上説についての考察==&lt;br /&gt;
上記通り、石崎伝蔵には2歳年上説が存在する。&lt;br /&gt;
戸籍上では1886年生まれだが、[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 1999年に戸籍上での長寿日本一になった時に書かれたサイトのページ]に「ホントは114歳ですが（戸籍届けが2年遅れた）」と書かれており、戸籍届けが2年遅れた事により実際には2歳年上で1884年に生まれたとする説があった事が明らかになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事並びにページが書かれたのが戸籍上で長寿日本一になった2日後の1999年2月14日であり、この日にこのページが書かれた理由が、金砂郷町長だった成井光一郎が石崎本人の元を訪れ際に、石崎本人が「別に何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話した事で、それについての記事が書かれた新聞記事を見たページの作者本人が石崎本人やその家族に電話して、2歳年上の1884年生まれ説がある事を明かし、ページに載せたと見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下はその新聞記事の紹介である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;quot;　成井光一郎町長が自宅を訪れ、最高齢になった感想を尋ねると、石崎さんは「別に 何とも思わない」と答え、「秋野さんはかわいそうだったねえ」と話したという。 　１昨年に腰を痛めてからは外出を控えているが１０９歳まではよく東京にも出かけ ていた。１９８５年にあったつくば万博には７回足を運んだという。耳は遠くなった が、新聞や本は眼鏡なしで読める。寝床にも本を持ち込む読書家だが、「読まない本 は買わない」がポリシー。 &amp;quot;（朝日新聞朝刊、1999年2月13日付、茨城面、「長寿日本１は金砂郷の石崎さん１１２歳　読書に眼鏡ナシ　／ 茨城  」より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戸籍届けが遅れた理由については&lt;br /&gt;
*石崎が実際に生まれたとされる1884年の茨城県では自由民権運動が激化しており、加波山事件が起きるなどかなり混乱しており、自由民権運動のほとぼりが冷めるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
*両親がだらけていた事により、戸籍届けが2年遅れた事。&lt;br /&gt;
*当時は乳幼児死亡率が高く、十分に育つ年齢になるまで戸籍届けをしなかった事。&lt;br /&gt;
が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年遅れて戸籍届けをして、その際、実際に生まれた日を生年月日に登録したら官吏に叱責されるのを恐れ、実際に2歳になった日を生年月日に登録した、あるいは他人から指摘されて提出した日か、届け出日の数日前の日付を記入したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石崎伝蔵さんの2歳年上説は[[Hydeの身長は156cm|hydeの身長156cm説]]のようだが、hydeの身長156cm説は憶測に過ぎなかったのに対し、石崎伝蔵さんの2歳年上説は石崎さん本人を知っている方がネットサイトに書き、その方が亡くなってサイトが閉鎖された後もアーカイブ(魚拓)に残っており、hydeの身長156cm説よりは確証性はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、114歳209日没で、1995年9月9日に鶴英寿さんの記録を抜いてから、2011年11月14日(木村次郎右衛門さんの1ヶ月年上説を考慮した場合は同年10月14日)に木村次郎右衛門さんに抜かれるまでの16年にも渡って日本男性歴代最高齢だった事になって、渡名喜元完と中願寺雄吉は日本男性歴代最高齢になっておらず、それ以外でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンは男性長寿世界一になっておらず、場合によっては渡名喜元完は男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスは男性長寿世界一に、宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても長寿日本一になっていない事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれかつ誕生日が戸籍と同じ10月2日の場合、男性長寿日本一には1991年9月28日の岡儀平さんの死去から2770日、海外に移住した日本出身者を考慮した場合は1992年2月16日の衛藤衛さんの死去から2629日、長寿日本一には1998年11月18日の松永タセさんの死去から162日、男性長寿世界一には1998年4月25日のクリスチャン・モーテンセンさんの死去から369日在位した事になり、男性長寿日本一在位は確認されている中で現在までの歴代最長記録になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚註 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[福西基]] - 茨城県在住の男性長寿日本一になった人で、石崎同様に校長だった。&lt;br /&gt;
*[[日本の長寿者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 戸籍上での存命男性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1998年12月25日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = ウォルター・リチャードソン&lt;br /&gt;
    | after  = アントニオ・ウレア・エルナンデス&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1999年2月12日 - 1999年4月29日&lt;br /&gt;
    | before = [[秋野やす]]&lt;br /&gt;
    | after  = 藤井カヨ&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 戸籍上での存命男性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 1997年1月24日 - 1999年4月29日 &lt;br /&gt;
    | before = [[渡名喜元完]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[田辺定義]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしさき てんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:茨城県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1884年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E5%84%80%E5%B9%B3&amp;diff=409691</id>
		<title>岡儀平</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E5%84%80%E5%B9%B3&amp;diff=409691"/>
				<updated>2024-12-27T15:21:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''岡 儀平'''（おか ぎへい、[[1883年]][[1月30日]] - [[1991年]][[9月28日]]）は、かつて男性[[長寿]]日本一だった[[栃木県]][[小山市]]の人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
小山市生まれ。20代で小山駅前に下駄屋を開店。その後靴店に衣替えし、70代まで現役として働いた。子供4人、孫13人、ひ孫17人に恵まれた&amp;lt;ref&amp;gt;朝日新聞、1991年9月29日東京朝刊31面「岡儀平さん死去　男性長寿日本一」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;朝日新聞、1991年1月31日東京地方版栃木「小山の岡儀平さん、１０８歳の誕生日　栃木県最高齢者」&amp;lt;/ref&amp;gt;。108歳になっても「高下駄づくりは難しい」と当時の思い出を話すこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
108歳の誕生日時点では、朝食を介助を受けながらもしっかり食べ、新聞を30分ほどかけて読む生活であった。「お茶か水がほしい。年寄りの冷や水というからな」と冗談を飛ばす程であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誕生日には孫・ひ孫のうち15人が参加し、ロウソクをしっかり吹き消した。そして孫たちの励ましにもと笑顔でこたえた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1991年6月18日に[[福岡県]]の[[医師]] [[原志免太郎]]が死去し、男性長寿日本一になった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/JapaneseCent.htm Japanese Centenarian Record Holders {{Nowiki|[1978 - 2001]}}]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年9月28日に108歳で死去。岡の死去により、[[渡名喜元完]]が戸籍上での男性長寿日本一となった。&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;etou&amp;quot;&amp;gt;ただし、海外に移住した日本人も含めれば、[[衛藤衛]]が岡の次代の最高齢者となる。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;ishizaki&amp;quot;&amp;gt;[[石崎伝蔵]]が戸籍届けが2年遅れて実際には1884年生まれとされるために、石崎が岡の次代の最高齢者の可能性がある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年生まれの著名人に[[鳩山一郎]]、[[志賀直哉]]、[[高村光太郎]]、[[北大路魯山人]]、[[北一輝]]らがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|男性長寿日本一|{{Nowrap|&amp;amp;nbsp;[[1991年]][[6月18日]] - [[1991年]][[9月28日]]&amp;amp;nbsp;}}|[[原志免太郎]]|[[渡名喜元完]]&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;etou&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;ishizaki&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おか きへい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:栃木県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1883年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1991年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%A5%E5%BF%B5%E3%82%AB%E3%83%9E&amp;diff=409680</id>
		<title>知念カマ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%A5%E5%BF%B5%E3%82%AB%E3%83%9E&amp;diff=409680"/>
				<updated>2024-12-26T10:52:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''知念 カマ'''（ちねん カマ、1895年〈明治28年〉5月10日?&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.grg.org/Archives/E.HTM Validated living supercentenarians] ジ...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''知念 カマ'''（ちねん カマ、[[1895年]]〈[[明治]]28年〉[[5月10日]]?&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.grg.org/Archives/E.HTM Validated living supercentenarians] [[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]による、記録の確かな裏づけがある生存中の世界長寿者の記録リストによる。&amp;lt;/ref&amp;gt; - [[2010年]]〈[[平成]]22年〉[[5月2日]]&amp;lt;ref name=yomiuri20100503&amp;gt;{{cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100503-OYT1T00752.htm|title=国内最高齢114歳、沖縄の女性死亡|work=YOMIURI ONLINE|publisher=[[読売新聞]]|date=2010-05-03|accessdate=2010-05-03 |archiveurl=https://archive.is/9GHed |archivedate=2013-08-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）は、かつて[[長寿]]世界一だったとされる[[沖縄県]]の女性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長らく家族の意向により氏名非公表とされてきたが、長寿世界一となったのを期に実名が報道された。死去の報道では氏名を公表しているものと非公表としているものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
氏名が公表されなかった事や南西諸島在住者である事から、年齢に疑いがあるとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
* 2008年4月5日 - [[山中かく]]が死去したため、112歳331日で長寿[[日本一の一覧|日本一]]となったとされる。&lt;br /&gt;
* 同年9月20日 - 年齢が検証され、GRGのリストに掲載された。&lt;br /&gt;
* 2009年9月11日 - [[ガートルード・ベインズ]]が死去したため、114歳124日で長寿世界一となったとされる&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=115歳の米国人女性が死去、日本女性が世界最高齢に|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-11472220090913|work=Reuters|date=2009-09-13|access-date=2022-06-08|language=ja}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 2010年5月2日 - 午後2時40分、沖縄県内の病院で死去&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=「世界最高齢」　沖縄の１１４歳女性死去|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|date=2010-05-03|url=http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/100503/wlf1005032259000-n1.htm|access-date=2022-08-20|archive-url=https://web.archive.org/web/20100507103957/http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/100503/wlf1005032259000-n1.htm|archive-date=2010-05-07}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。戸籍上で114歳357日没。115歳の誕生日の8日前のことであった。世界最高齢は[[ウジェニー・ブランシャール]]、日本最高齢は[[長谷川チヨノ]]となった&amp;lt;ref name=&amp;quot;yomiuri20100503&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[メアリー・ジョゼフィン・レイ]] - 知念カマより7日だけ年下だったアメリカの女性。2010年3月7日に死去。&lt;br /&gt;
*[[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|渋谷区在住の女性]] - 長寿日本一でありながら氏名を公表していなかった2例目の女性。知念と違い、2015年に没した後も氏名は公表されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=注釈}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{S-start}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ちねん かま}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1895年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2010年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=409679</id>
		<title>日本の長寿者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=409679"/>
				<updated>2024-12-26T10:47:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 知念カマ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#*誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[都千代]]===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[知念カマ]]====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[田島ナビ]]====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#しかしこの人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E9%83%BD%E5%8D%83%E4%BB%A3&amp;diff=409678</id>
		<title>都千代</title>
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				<updated>2024-12-26T09:16:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''都 千代'''（みやこ ちよ、[[1901年]]〈[[明治]]34年〉[[5月2日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|title=国内最高齢、１１７歳女性が死去 横浜の都千代さん |url=https://www.asahi.com/articles/ASL7V5X1PL7VUTFK013.html |website=朝日新聞デジタル |access-date=2022-06-10 |date=2018-07-26}}&amp;lt;/ref&amp;gt; - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[7月22日]]）&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33451750W8A720C1CC1000/|title=都千代さんが死去　国内最高齢|publisher=日本経済新聞|date=2018-07-26|accessdate=2020-07-26}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/SC/WorldSCRankingsList.html GRG World Supercentenarian Rankings List] GRG&amp;lt;/ref&amp;gt;は、[[和歌山県]][[湯浅町]]出身で[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]在住&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201509/images/phpgLAsPw.pdf#search='%E6%98%8E%E6%B2%BB%EF%BC%93%EF%BC%94%E5%B9%B4%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C+%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82' 平成27年横浜市内百歳以上のお祝いについて] 健康福祉局高齢健康福祉課 2016年9月11日(PDF)&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[長寿]]の[[女性]]。[[20世紀]]初年の1901年生まれにおいて世界最後の生存者であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2018年]][[4月21日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=訃報：田島ナビさん１１７歳＝世界最高齢|newspaper=毎日新聞|date=2018年4月21日23時31分|url=https://mainichi.jp/articles/20180422/k00/00m/040/091000c|accessdate=2018-04-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;以来、死去するまで戸籍上の日本及び世界における最高齢の人物となった。（田島ナビさんには1901年生まれ説があり、場合によっては[[2015年]][[12月5日]]の[[石黒喜代子]]の死去から日本最高齢に、2017年9月15日のヴァイオレット・ブラウンさんの死去から世界最高齢になった。）ただし、彼女より約半年早く生まれていたとされる[[ジュリア・フローレス・コルケ]]の生年月日が正しければ世界最高齢にはならなかった事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
[[1901年]]（[[明治]]34年）[[5月2日]]、[[和歌山県]]にて出生。[[日本国有鉄道]]で働いていた都勝次と結婚する&amp;lt;ref name=GWR&amp;gt;[http://www.guinnessworldrecords.com/news/2018/7/oldest-person-title-officially-achieved-by-117-year-old-chiyo-miyako-before-her-d-534017 Oldest person title officially achieved by 117-year-old Chiyo Miyako before her death] ギネス・ワールド・レコーズ 2018年7月26日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に戸籍上で世界最高齢になるまでは、彼女の生涯については僅かに[[日本抗加齢医学会]]による雑誌『アンチ・エイジング医学』の[[2015年]]10月号において紹介された以外、生年月日や年齢などの記録的な事柄を除いてほとんど報道されていなかった。前述の雑誌によると、都の好物は[[ウナギ|うなぎ]]、[[ワイン]]と[[クリームソーダ]]であり、また[[喫煙]]は一度もしたことが無かったといい、趣味は夫との海外旅行であったという。この雑誌に掲載された114歳の時点ではっきりと会話ができていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;J0038&amp;quot;&amp;gt;[http://www.m-review.co.jp/files/tachiyomi_J0038_1105_0012-0015.pdf#search=%27%E9%83%BD%E5%8D%83%E4%BB%A3+%E9%95%B7%E5%AF%BF%27　美味しい食事とワインで幸せライフ] アンチエジング医学　日本抗加齢医学雑誌11巻4号 2017年7月閲覧(PDF)&amp;lt;/ref&amp;gt;。晩年には[[閉塞性動脈硬化症]]を患い、2015年5月17日に114歳15日で右足を、2017年5月8日には116歳6日で左足を切断する手術を受けた。これは外科手術の世界最高齢記録であり、ギネス世界記録に認定されている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|title=Oldest surgery patient|url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/67555-oldest-patient|website=Guinness World Records|accessdate=2022-05-12|language=en}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[ギネス・ワールド・レコーズ]]によれば、会話好きで怒ったことがなかったという。趣味は習字。美味しいものが好物で、[[寿司]]や[[うなぎ]]などをよく食べていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|title=都 千代さん、117歳81日で「存命中の女性最長寿」に認定 |url=https://guinnessworldrecords.jp/news/2018/7/oldest-person-title-officially-achieved-by-117-year-old-chiyo-miyako-before-her-d-534017 |website=ギネス世界記録 |date=2018-07-26 |access-date=2022-06-10}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
孫は医療法人社団[[愛優会]]の理事長である都直人で、世界最高齢になった時点では同法人が運営する[[横浜市]]内の[[介護老人保健施設]]に入所していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;J0038&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*[[2015年]]&lt;br /&gt;
** 12月5日：[[石黒喜代子]]（1901年3月4日生まれ）の死去により、[[田島ナビ]]が1901年生まれである場合によっては日本最高齢の人物となった。&lt;br /&gt;
* [[2017年]]&lt;br /&gt;
** 9月15日：[[ジャマイカ]]の[[ヴァイオレット・ブラウン]]（1900年3月10日生まれ）の死去により、田島ナビが1901年生まれである場合によっては世界最高齢の人物となった。&lt;br /&gt;
** 12月15日：[[スペイン]]の[[アナ・ベラ＝ルビオ]]（1901年10月29日生まれ&amp;lt;ref name=GRG/&amp;gt;）の死去により、1901年生まれの最後の生存者となった。&lt;br /&gt;
* [[2018年]]&lt;br /&gt;
** 4月21日：117歳260日だった[[田島ナビ]]の死去により、116歳354日で戸籍上で世界及び日本最高齢の人物となった。&lt;br /&gt;
** 7月22日：117歳81日（満117歳81日）で死去した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://this.kiji.is/395138804765820001 |title=国内最高齢の都千代さん死去 |access-date=2022-06-11 |website=共同通信 |date=2018-07-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180727125250/https://this.kiji.is/395138804765820001 |archive-date=2018-07-27 |url-status=dead|url-status-date=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20180727/k00/00m/040/085000c |title=１１７歳の都千代さん死去 |access-date=2022-06-11 |date=2018-07-27 |website=毎日新聞 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180727054645/https://mainichi.jp/articles/20180727/k00/00m/040/085000c |archive-date=2018-07-27 |url-status=dead|url-status-date=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。死去後は、1903年生まれの日本人女性である[[田中カ子]]が世界最高齢者となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* {{Cite book|year=2015|title=アンチ・エイジング医学 アグレッシブに加齢に対抗する新たな予防医学|publisher=日本抗加齢医学会雑誌|page=644-647|isbn=978-4-7792-1588-9}}&lt;br /&gt;
* {{Cite book|author=[[クレイグ・グレンディ]]|year=2016|title=ギネス世界記録2017|publisher=[[角川アスキー総合研究所]]|page=76-77|isbn=978-4-04-899606-8}}&lt;br /&gt;
* {{Cite book|author=クレイグ・グレンディ|year=2017|title=ギネス世界記録2018|publisher=角川アスキー総合研究所|page=68-69|isbn=978-4-04-899609-9}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[寿命]]&lt;br /&gt;
* [[不老不死]]（[[生物学における不老不死|生物学]]）&lt;br /&gt;
* [[センテナリアン]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:みやこ ちよ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:和歌山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:切断障害を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1901年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2018年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E9%83%BD%E5%8D%83%E4%BB%A3&amp;diff=409677</id>
		<title>都千代</title>
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				<updated>2024-12-26T09:15:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''都 千代'''（みやこ ちよ、1901年〈明治34年〉5月2日&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|title=国内最高齢、１１７歳女性が死去 横浜の都...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''都 千代'''（みやこ ちよ、[[1901年]]〈[[明治]]34年〉[[5月2日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|title=国内最高齢、１１７歳女性が死去 横浜の都千代さん |url=https://www.asahi.com/articles/ASL7V5X1PL7VUTFK013.html |website=朝日新聞デジタル |access-date=2022-06-10 |date=2018-07-26}}&amp;lt;/ref&amp;gt; - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[7月22日]]）&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33451750W8A720C1CC1000/|title=都千代さんが死去　国内最高齢|publisher=日本経済新聞|date=2018-07-26|accessdate=2020-07-26}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=GRG&amp;gt;[http://www.grg.org/SC/WorldSCRankingsList.html GRG World Supercentenarian Rankings List] GRG&amp;lt;/ref&amp;gt;は、[[和歌山県]][[湯浅町]]出身で[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]在住&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201509/images/phpgLAsPw.pdf#search='%E6%98%8E%E6%B2%BB%EF%BC%93%EF%BC%94%E5%B9%B4%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C+%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82' 平成27年横浜市内百歳以上のお祝いについて] 健康福祉局高齢健康福祉課 2016年9月11日(PDF)&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[長寿]]の[[女性]]。[[20世紀]]初年の1901年生まれにおいて世界最後の生存者であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2018年]][[4月21日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=訃報：田島ナビさん１１７歳＝世界最高齢|newspaper=毎日新聞|date=2018年4月21日23時31分|url=https://mainichi.jp/articles/20180422/k00/00m/040/091000c|accessdate=2018-04-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;以来、死去するまで戸籍上の日本及び世界における最高齢の人物となった。（田島ナビさんには1901年生まれがあり、場合によっては[[2015年]][[12月5日]]の[[石黒喜代子]]の死去から日本最高齢に、2017年9月15日のヴァイオレット・ブラウンさんの死去から世界最高齢になった。）ただし、彼女より約半年早く生まれていたとされる[[ジュリア・フローレス・コルケ]]の生年月日が正しければ世界最高齢にはならなかった事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
[[1901年]]（[[明治]]34年）[[5月2日]]、[[和歌山県]]にて出生。[[日本国有鉄道]]で働いていた都勝次と結婚する&amp;lt;ref name=GWR&amp;gt;[http://www.guinnessworldrecords.com/news/2018/7/oldest-person-title-officially-achieved-by-117-year-old-chiyo-miyako-before-her-d-534017 Oldest person title officially achieved by 117-year-old Chiyo Miyako before her death] ギネス・ワールド・レコーズ 2018年7月26日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2018年4月に戸籍上で世界最高齢になるまでは、彼女の生涯については僅かに[[日本抗加齢医学会]]による雑誌『アンチ・エイジング医学』の[[2015年]]10月号において紹介された以外、生年月日や年齢などの記録的な事柄を除いてほとんど報道されていなかった。前述の雑誌によると、都の好物は[[ウナギ|うなぎ]]、[[ワイン]]と[[クリームソーダ]]であり、また[[喫煙]]は一度もしたことが無かったといい、趣味は夫との海外旅行であったという。この雑誌に掲載された114歳の時点ではっきりと会話ができていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;J0038&amp;quot;&amp;gt;[http://www.m-review.co.jp/files/tachiyomi_J0038_1105_0012-0015.pdf#search=%27%E9%83%BD%E5%8D%83%E4%BB%A3+%E9%95%B7%E5%AF%BF%27　美味しい食事とワインで幸せライフ] アンチエジング医学　日本抗加齢医学雑誌11巻4号 2017年7月閲覧(PDF)&amp;lt;/ref&amp;gt;。晩年には[[閉塞性動脈硬化症]]を患い、2015年5月17日に114歳15日で右足を、2017年5月8日には116歳6日で左足を切断する手術を受けた。これは外科手術の世界最高齢記録であり、ギネス世界記録に認定されている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|title=Oldest surgery patient|url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/67555-oldest-patient|website=Guinness World Records|accessdate=2022-05-12|language=en}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[ギネス・ワールド・レコーズ]]によれば、会話好きで怒ったことがなかったという。趣味は習字。美味しいものが好物で、[[寿司]]や[[うなぎ]]などをよく食べていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|title=都 千代さん、117歳81日で「存命中の女性最長寿」に認定 |url=https://guinnessworldrecords.jp/news/2018/7/oldest-person-title-officially-achieved-by-117-year-old-chiyo-miyako-before-her-d-534017 |website=ギネス世界記録 |date=2018-07-26 |access-date=2022-06-10}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
孫は医療法人社団[[愛優会]]の理事長である都直人で、世界最高齢になった時点では同法人が運営する[[横浜市]]内の[[介護老人保健施設]]に入所していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;J0038&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
*[[2015年]]&lt;br /&gt;
** 12月5日：[[石黒喜代子]]（1901年3月4日生まれ）の死去により、[[田島ナビ]]が1901年生まれである場合によっては日本最高齢の人物となった。&lt;br /&gt;
* [[2017年]]&lt;br /&gt;
** 9月15日：[[ジャマイカ]]の[[ヴァイオレット・ブラウン]]（1900年3月10日生まれ）の死去により、田島ナビが1901年生まれである場合によっては世界最高齢の人物となった。&lt;br /&gt;
** 12月15日：[[スペイン]]の[[アナ・ベラ＝ルビオ]]（1901年10月29日生まれ&amp;lt;ref name=GRG/&amp;gt;）の死去により、1901年生まれの最後の生存者となった。&lt;br /&gt;
* [[2018年]]&lt;br /&gt;
** 4月21日：117歳260日だった[[田島ナビ]]の死去により、116歳354日で戸籍上で世界及び日本最高齢の人物となった。&lt;br /&gt;
** 7月22日：117歳81日（満117歳81日）で死去した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://this.kiji.is/395138804765820001 |title=国内最高齢の都千代さん死去 |access-date=2022-06-11 |website=共同通信 |date=2018-07-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180727125250/https://this.kiji.is/395138804765820001 |archive-date=2018-07-27 |url-status=dead|url-status-date=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20180727/k00/00m/040/085000c |title=１１７歳の都千代さん死去 |access-date=2022-06-11 |date=2018-07-27 |website=毎日新聞 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180727054645/https://mainichi.jp/articles/20180727/k00/00m/040/085000c |archive-date=2018-07-27 |url-status=dead|url-status-date=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。死去後は、1903年生まれの日本人女性である[[田中カ子]]が世界最高齢者となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* {{Cite book|year=2015|title=アンチ・エイジング医学 アグレッシブに加齢に対抗する新たな予防医学|publisher=日本抗加齢医学会雑誌|page=644-647|isbn=978-4-7792-1588-9}}&lt;br /&gt;
* {{Cite book|author=[[クレイグ・グレンディ]]|year=2016|title=ギネス世界記録2017|publisher=[[角川アスキー総合研究所]]|page=76-77|isbn=978-4-04-899606-8}}&lt;br /&gt;
* {{Cite book|author=クレイグ・グレンディ|year=2017|title=ギネス世界記録2018|publisher=角川アスキー総合研究所|page=68-69|isbn=978-4-04-899609-9}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[寿命]]&lt;br /&gt;
* [[不老不死]]（[[生物学における不老不死|生物学]]）&lt;br /&gt;
* [[センテナリアン]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:みやこ ちよ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:和歌山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:切断障害を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1901年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2018年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=409676</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-12-26T08:21:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 都千代 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#*誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[都千代]]===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[田島ナビ]]====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#しかしこの人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=409675</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-12-26T08:19:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 田島ナビ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#*誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[田島ナビ]]====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#しかしこの人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=409674</id>
		<title>日本の長寿者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=409674"/>
				<updated>2024-12-26T08:19:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 田島ナビ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#*誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[田島ナビ]]====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409673</id>
		<title>田島ナビ</title>
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				<updated>2024-12-26T08:13:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''田島 ナビ'''（たじま ナビ、[[1900年]]〈[[明治]]33年〉&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated Living Supercentenarians|work=Gerontology Research Group|accessdate=2015-04-02|language=英語}}&amp;lt;/ref&amp;gt;/[[1901年]]〈[[明治]]34年〉{{Refnest|group=注釈|name=110 club|1901年生まれ説があるが、空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためで、場合によっては国内最高齢になっていない事になる。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591&lt;br /&gt;
|title=The 110 Club - Undisputed Oldest People Ever&lt;br /&gt;
|accessdate=2024-12-26&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[8月4日]] - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[4月21日]]）は、[[日本]]の[[スーパーセンテナリアン]]。[[鹿児島県]][[喜界町]]在住の[[長寿]]の女性。[[2017年]][[9月15日]]以降死去するまで戸籍上で長寿世界一となっていた。また戸籍上では世界最後の[[19世紀]]生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
1900年8月4日に鹿児島県[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]荒木地区の集落で田島家の長女として誕生。[[喜界島]]に在住し、[[尋常小学校]]を卒業後、織工場で働く&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot;&amp;gt;{{PDF|[https://www.town.kikai.lg.jp/koho/machi/koho/documents/kouhou201806.pdf 広報きかい　平成30年（2018年）6月号]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1919年]]に富二子（とみにし）を婿として迎え、共に[[サトウキビ]]農業を80歳頃まで勤めた。富二子は1991年（[[平成]]3年）に94歳で亡くなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=【動画】国内最高齢・田島ナビさん１１６歳誕生日|newspaper=鹿児島テレビ|date=2016-08-04|url=http://news.ktstv.net/e65359.html|archiveurl=https://archive.is/20160804110553/http://news.ktstv.net/e65359.html|archivedate=2016-08-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170917032300/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|archivedate=2017-09-17}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。富二子の死後は長男夫妻のもとで生活していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=子孫１４０人…発酵飲料好み、よく食べ　国内最高齢１１７歳の田島ナビさん|newspaper=[[産経WEST]]|date=2017-09-15|url=http://www.sankei.com/west/news/170915/wst1709150053-n1.html|accessdate=2017-09-22|archiveurl=https://archive.is/TQQYk|archivedate=2017-09-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年（平成14年）2月に特別養護老人ホーム「喜界園」に入居した&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=117歳　世界一へ県民栄誉検討　田島ナビさんを知事訪問　鹿児島県喜界町|date=2017-09-19|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00010003-nankainn-l46|accessdate=2017-09-21|newspaper=|archive-date=2017-10-28|archive-url=https://archive.ph/V2O3W}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。入居後も杖をついて歩くことが出来たが、転倒による骨折が原因で車いす生活を送る&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富二子との間に9人の[[子]]（7男2女）をもうけ、2011年（平成23年）の[[敬老の日]]の時点で、[[孫]]が28人、[[ひ孫]]が56人、[[続柄#玄孫|玄孫]]が35人いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot; /&amp;gt;。[[2015年]]（平成27年）9月の時点では、玄孫の子にあたる[[続柄#来孫|来孫]]を含む140人以上の子孫がいた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=「ナビばあちゃんちばりよー」／喜界町の田島さんに県祝い状|newspaper=南海日日新聞|date=2015-09-16|url=http://www.nankainn.com/local/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%93%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%82%88%E3%83%BC%E3%80%8D%EF%BC%8F%E5%96%9C%E7%95%8C%E7%94%BA%E3%81%AE%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%81%95|accessdate=2015-11-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2017年]]（平成29年）9月の時点では、約160人の子孫がいた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1日3回の[[食事]]は欠かさず、[[粥]]や[[味噌汁]]など5品を[[ミキサー (調理器具)|ミキサー]]にかけたものをとっていた。元気の良い日は[[島唄|シマ唄]]に合わせて手踊りをしていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-09-22|archive-date=2016-09-21|archive-url=https://web.archive.org/web/20160921103825/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[2011年]]9月時点で鹿児島県内の最高齢者として認定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |title=広報きかい 平成23年（2011年）10月号 |access-date=2022-04-29 |date=2011-10 |website=喜界町 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150413031908/http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |archive-date=2015-04-13 |format=PDF}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2015年]][[9月27日]]、[[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|東京都在住の氏名非公表の女性]]（[[1900年]]〈[[明治]]33年〉[[3月15日]]生まれ）が死去したため、115歳54日で戸籍上の存命する日本最高齢の人物となった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=国内最高齢の女性死去＝都内の115歳－厚労省|newspaper=時事通信|date=2015-09-28|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archiveurl=https://archive.is/20150928134335/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archivedate=2015-09-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2017年]][[9月1日]]、戸籍上で117歳28日で[[大川ミサヲ]]の年齢を上回り、日本人の史上最高齢記録を更新した。&lt;br /&gt;
* 同年[[9月15日]]、[[ヴァイオレット・ブラウン]]が死去したことに伴い、117歳42日で戸籍上で世界最高齢の存命人物、並びに戸籍上で最後の19世紀生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
* [[2018年]][[4月21日]]午後7時58分、老衰のため喜界町内の病院で死去した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Asahi 2018/4/21&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK 2018.4.21&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=“世界最高齢か” 117歳の田島ナビさん死去|newspaper=NHK|date=2018-04-21|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html|accessdate=2018-04-22|archive-date=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424030010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。戸籍上で117歳260日没&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |title=国内最高齢１１７歳、鹿児島の田島ナビさん死去 |publisher=産業経済新聞社 |date=2018-04-21 |accessdate=2019-11-26 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180428220608/http://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |archive-date=2018-04-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。田島の死去に伴い、同じく日本の[[都千代]]（[[1901年]]〈明治34年〉生まれ）が戸籍上で世界最高齢となり、戸籍上で19世紀生まれの全員がこの世を去った。告別式は同月23日午後1時に行われ、ひ孫ら約100人が参列し、島歌を捧げるなどして別れを惜しんだ。喜界町副町長の嶺義久は「町民の誇りでした」と追悼の意を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=世界最高齢１１７歳で死去　田島ナビさん　告別式|newspaper=MBC西日本放送|date=2018-04-23|url=http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|accessdate=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424202447/http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|archive-date=2018-4-24}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[田中カ子]]が[[2020年]][[9月19日]]に記録を更新するまで、戸籍上で日本並びに[[アジア]]における史上最長寿の人物だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注釈&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[センテナリアン]]&lt;br /&gt;
* [[木村次郎右衛門]] - 男性における19世紀生まれ世界最後の生存者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{S-start}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} [[長寿#歴代の長寿日本一記録者|存命人物のうち日本最高齢]]&lt;br /&gt;
| years = 2015年9月27日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|（氏名非公表）]]&lt;br /&gt;
| after = [[都千代]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} 歴代の日本最高齢&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月1日 - 2020年9月18日&lt;br /&gt;
| before = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
| after = [[田中カ子]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = [[長寿#歴代の長寿世界一記録者(1955年以降)|存命人物のうち世界最高齢]]&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月15日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[ヴァイオレット・ブラウン]]&lt;br /&gt;
| after = 都千代&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{S-end}}&lt;br /&gt;
{{長寿世界一}}&lt;br /&gt;
{{長寿日本一}}&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:たしま なひ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:鹿児島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1900年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2018年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409672</id>
		<title>田島ナビ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%83%8A%E3%83%93&amp;diff=409672"/>
				<updated>2024-12-26T08:12:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''田島 ナビ'''（たじま ナビ、1900年〈明治33年〉&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated L...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''田島 ナビ'''（たじま ナビ、[[1900年]]〈[[明治]]33年〉&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated Living Supercentenarians|work=Gerontology Research Group|accessdate=2015-04-02|language=英語}}&amp;lt;/ref&amp;gt;/[[1901年]]〈[[明治]]34年〉{{Refnest|group=注釈|name=110 club|1901年生まれ説があるが、空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためで、場合によっては国内最高齢になっていない事になる。&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591&lt;br /&gt;
|title=The 110 Club - Undisputed Oldest People Ever&lt;br /&gt;
|accessdate=2024-12-26&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;}}[[8月4日]] - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[4月21日]]）は、[[日本]]の[[スーパーセンテナリアン]]。[[鹿児島県]][[喜界町]]在住の[[長寿]]の女性。[[2017年]][[9月15日]]以降死去するまで長寿世界一となっていた。また、生年月日に確証のある人物としては世界最後の[[19世紀]]生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
1900年8月4日に鹿児島県[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]荒木地区の集落で田島家の長女として誕生。[[喜界島]]に在住し、[[尋常小学校]]を卒業後、織工場で働く&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot;&amp;gt;{{PDF|[https://www.town.kikai.lg.jp/koho/machi/koho/documents/kouhou201806.pdf 広報きかい　平成30年（2018年）6月号]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1919年]]に富二子（とみにし）を婿として迎え、共に[[サトウキビ]]農業を80歳頃まで勤めた。富二子は1991年（[[平成]]3年）に94歳で亡くなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai06&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=【動画】国内最高齢・田島ナビさん１１６歳誕生日|newspaper=鹿児島テレビ|date=2016-08-04|url=http://news.ktstv.net/e65359.html|archiveurl=https://archive.is/20160804110553/http://news.ktstv.net/e65359.html|archivedate=2016-08-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170917032300/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|archivedate=2017-09-17}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。富二子の死後は長男夫妻のもとで生活していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=子孫１４０人…発酵飲料好み、よく食べ　国内最高齢１１７歳の田島ナビさん|newspaper=[[産経WEST]]|date=2017-09-15|url=http://www.sankei.com/west/news/170915/wst1709150053-n1.html|accessdate=2017-09-22|archiveurl=https://archive.is/TQQYk|archivedate=2017-09-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年（平成14年）2月に特別養護老人ホーム「喜界園」に入居した&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=117歳　世界一へ県民栄誉検討　田島ナビさんを知事訪問　鹿児島県喜界町|date=2017-09-19|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00010003-nankainn-l46|accessdate=2017-09-21|newspaper=|archive-date=2017-10-28|archive-url=https://archive.ph/V2O3W}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。入居後も杖をついて歩くことが出来たが、転倒による骨折が原因で車いす生活を送る&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei2017&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富二子との間に9人の[[子]]（7男2女）をもうけ、2011年（平成23年）の[[敬老の日]]の時点で、[[孫]]が28人、[[ひ孫]]が56人、[[続柄#玄孫|玄孫]]が35人いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot; /&amp;gt;。[[2015年]]（平成27年）9月の時点では、玄孫の子にあたる[[続柄#来孫|来孫]]を含む140人以上の子孫がいた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=「ナビばあちゃんちばりよー」／喜界町の田島さんに県祝い状|newspaper=南海日日新聞|date=2015-09-16|url=http://www.nankainn.com/local/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%93%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%82%88%E3%83%BC%E3%80%8D%EF%BC%8F%E5%96%9C%E7%95%8C%E7%94%BA%E3%81%AE%E7%94%B0%E5%B3%B6%E3%81%95|accessdate=2015-11-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2017年]]（平成29年）9月の時点では、約160人の子孫がいた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sept2017yahoo&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1日3回の[[食事]]は欠かさず、[[粥]]や[[味噌汁]]など5品を[[ミキサー (調理器具)|ミキサー]]にかけたものをとっていた。元気の良い日は[[島唄|シマ唄]]に合わせて手踊りをしていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=鹿児島）国内最高齢の田島さん１１６歳　穏やかに暮らす|newspaper=朝日新聞|date=2016-09-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html|accessdate=2017-09-22|archive-date=2016-09-21|archive-url=https://web.archive.org/web/20160921103825/http://www.asahi.com/articles/ASJ9J5VQ2J9JTLTB00L.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[2011年]]9月時点で鹿児島県内の最高齢者として認定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kikai2011&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |title=広報きかい 平成23年（2011年）10月号 |access-date=2022-04-29 |date=2011-10 |website=喜界町 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150413031908/http://www.town.kikai.lg.jp/kikai08/forms/kouhou201110.pdf |archive-date=2015-04-13 |format=PDF}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2015年]][[9月27日]]、[[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|東京都在住の氏名非公表の女性]]（[[1900年]]〈[[明治]]33年〉[[3月15日]]生まれ）が死去したため、115歳54日で戸籍上の存命する日本最高齢の人物となった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=国内最高齢の女性死去＝都内の115歳－厚労省|newspaper=時事通信|date=2015-09-28|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archiveurl=https://archive.is/20150928134335/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&amp;amp;k=2015092800486|archivedate=2015-09-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2017年]][[9月1日]]、戸籍上で117歳28日で[[大川ミサヲ]]の年齢を上回り、日本人の史上最高齢記録を更新した。&lt;br /&gt;
* 同年[[9月15日]]、[[ヴァイオレット・ブラウン]]が死去したことに伴い、117歳42日で戸籍上で世界最高齢の存命人物、並びに戸籍上で最後の19世紀生まれの人物となった。&lt;br /&gt;
* [[2018年]][[4月21日]]午後7時58分、老衰のため喜界町内の病院で死去した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Asahi 2018/4/21&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK 2018.4.21&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|title=“世界最高齢か” 117歳の田島ナビさん死去|newspaper=NHK|date=2018-04-21|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html|accessdate=2018-04-22|archive-date=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424030010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011413001000.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。戸籍上で117歳260日没&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |title=国内最高齢１１７歳、鹿児島の田島ナビさん死去 |publisher=産業経済新聞社 |date=2018-04-21 |accessdate=2019-11-26 |url-status=dead|url-status-date=2022-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180428220608/http://www.sankei.com/west/news/180421/wst1804210076-n1.html |archive-date=2018-04-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。田島の死去に伴い、同じく日本の[[都千代]]（[[1901年]]〈明治34年〉生まれ）が戸籍上で世界最高齢となり、戸籍上で19世紀生まれの全員がこの世を去った。告別式は同月23日午後1時に行われ、ひ孫ら約100人が参列し、島歌を捧げるなどして別れを惜しんだ。喜界町副町長の嶺義久は「町民の誇りでした」と追悼の意を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=世界最高齢１１７歳で死去　田島ナビさん　告別式|newspaper=MBC西日本放送|date=2018-04-23|url=http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|accessdate=2018-04-24|archive-url=https://web.archive.org/web/20180424202447/http://www.mbc.co.jp/news/mbc_news.php?ibocd=2018042300029141|archive-date=2018-4-24}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[田中カ子]]が[[2020年]][[9月19日]]に記録を更新するまで、戸籍上で日本並びに[[アジア]]における史上最長寿の人物だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注釈&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[センテナリアン]]&lt;br /&gt;
* [[木村次郎右衛門]] - 男性における19世紀生まれ世界最後の生存者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{S-start}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} [[長寿#歴代の長寿日本一記録者|存命人物のうち日本最高齢]]&lt;br /&gt;
| years = 2015年9月27日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[115歳まで生存した女性 (1900年3月15日生)|（氏名非公表）]]&lt;br /&gt;
| after = [[都千代]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = {{flagicon|JPN}} 歴代の日本最高齢&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月1日 - 2020年9月18日&lt;br /&gt;
| before = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
| after = [[田中カ子]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{Succession box&lt;br /&gt;
| title = [[長寿#歴代の長寿世界一記録者(1955年以降)|存命人物のうち世界最高齢]]&lt;br /&gt;
| years = 2017年9月15日 - 2018年4月21日&lt;br /&gt;
| before = [[ヴァイオレット・ブラウン]]&lt;br /&gt;
| after = 都千代&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{S-end}}&lt;br /&gt;
{{長寿世界一}}&lt;br /&gt;
{{長寿日本一}}&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:たしま なひ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:鹿児島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1900年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2018年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]&lt;br /&gt;
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<title>石黒喜代子</title>
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				<updated>2024-12-26T07:23:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「 '''石黒 喜代子'''（いしぐろ きよこ&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/press/pre20080517.html|title=100歳以上の高齢者数過去...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
'''石黒 喜代子'''（いしぐろ きよこ&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/press/pre20080517.html|title=100歳以上の高齢者数過去最高　市長が市内の長寿者にお祝いメッセージ {{!}} 平塚市|date=2008-08-29|accessdate=2020-12-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[1901年]]〈明治34年〉[[3月4日]] - [[2015年]]〈平成27年〉[[12月5日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|和書|url=http://www.kanaloco.jp/article/138767|title=県内最高齢１１４歳、石黒さん死去、平塚|newspaper=神奈川新聞|date=2015年12月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151211125551/http://www.kanaloco.jp/article/138767|archivedate=2015年12月11日|accessdate=2020年12月29日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）は、かつて[[神奈川県]][[平塚市]]に在住していた[[長寿]]の女性&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|和書|title=県内最高齢の114歳死去|newspaper=朝日新聞|date=2015-12-08|page=横浜29面}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。神奈川県では最長寿であり、死去時には日本で[[田島ナビ]]（[[1900年]][[8月4日]]生）に次ぐ2番目、世界全体でも5番目の長寿者であった。2015年12月5日に[[老衰]]のため死去。114歳276日没。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[助産師]]として、生涯で3,000人の出産に関わった&amp;lt;ref name=&amp;quot;yomiuri20151208&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|和書|title=県内最高齢 石黒さん死去 114歳 全国でも2位の長寿|newspaper=読売新聞|date=2015-12-08|page=横浜33面}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。長寿の秘訣として「のんき」を挙げていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|和書|title=114歳、長寿のひけつは「のんき」 平塚の県最高齢、市長が訪問|newspaper=朝日新聞|date=2015-09-03|page=横浜29面}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|url=https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-64432.html|title=長生きのひけつは「のんき」　県内最高齢の石黒さん|newspaper=神奈川新聞|date=2015-09-03|accessdate=2020-12-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
田島ナビさんには1901年生まれ説があるので、場合によっては2015年9月27日から自身の死去まで長寿日本一だった可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{People-stub}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしくろ きよこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:1901年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2015年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%99%BD%E7%9F%B3%E3%83%81%E3%83%A8&amp;diff=409576</id>
		<title>白石チヨ</title>
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				<updated>2024-12-02T02:28:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''白石 チヨ'''（しらいし ちよ、明治28年（1895年）8月6日 - 平成21年（2009年）11月19日）は、かつて日本で2...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''白石 チヨ'''（しらいし ちよ、[[明治]]28年（[[1895年]]）[[8月6日]] - [[平成]]21年（[[2009年]]）[[11月19日]]）は、かつて[[日本]]で2番目に[[長寿]]だった人物。[[福島県]]生まれで、晩年は[[茨城県]][[常陸太田市]]に住んでいた。19歳の時に嫁いできて、[[子供]]6人、[[孫]]8人、[[曾孫]]12人、[[玄孫]]が2人いた。[[広島市|広島]]への[[広島市への原子爆弾投下|原爆]]投下時、満50歳の誕生日を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年4月5日より実際に日本一だった[[知念カマ]]が家族の意向により実名が非公開とされていたため、一時的に彼女が長寿日本一として公表されていた。また、存命中は[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]により認定された、世界で4番目に高齢の存命人物だった。&lt;br /&gt;
また、知念の年齢に疑いがある場合は長寿日本一になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年11月19日に老衰のため死去&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=訃報：白石チヨさん１１４歳＝長寿日本２位|url=http://mainichi.jp/select/person/news/20091121k0000m040109000c.html|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2009-11-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091124042914/http://mainichi.jp/select/person/news/20091121k0000m040109000c.html|archivedate=2009年11月24日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。114歳と105日だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しらいし ちよ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:福島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1895年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2009年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408107</id>
		<title>日本の長寿者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408107"/>
				<updated>2024-08-02T11:10:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 石崎伝蔵 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#*誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%85%AB%E7%94%B0%E8%88%87%E4%B8%80&amp;diff=408086</id>
		<title>八田與一</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%85%AB%E7%94%B0%E8%88%87%E4%B8%80&amp;diff=408086"/>
				<updated>2024-07-29T15:04:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 人物&lt;br /&gt;
|氏名 = 八田 與一&lt;br /&gt;
|ふりがな = はった よいち&lt;br /&gt;
|画像 = Yoichi Hatta.jpg&lt;br /&gt;
|画像サイズ = 250&lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|出生名 = &lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1886年]][[2月21日]]&lt;br /&gt;
|生誕地 = [[石川県]][[河北郡]][[花園村 (石川県)|花園村]]（現：[[金沢市]]今町）&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1942年]][[5月8日]]（56歳没）&lt;br /&gt;
|死没地 = [[長崎県]][[五島列島]]沖&lt;br /&gt;
|国籍 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|別名 = &lt;br /&gt;
|出身校 = [[第四高等学校 (旧制) |第四高等学校]]&amp;lt;br&amp;gt;[[東京帝国大学]][[東京大学大学院工学系研究科・工学部|工学部]]土木科&lt;br /&gt;
|配偶者 = 外代樹（とよき）&lt;br /&gt;
|職業 = [[農業工学|水利技術者]]&lt;br /&gt;
|著名な実績 = [[烏山頭ダム]]建設&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''八田 與一'''（はった よいち、常用漢字：'''八田 与一'''、[[1886年]]〈[[明治]]19年〉[[2月21日]] – [[1942年]]〈[[昭和]]17年〉[[5月8日]]）は、[[日本]]の[[農業工学|水利技術者]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022年6月29日に大分県別府市で発生したひき逃げ事件で重要指名手配されている容疑者とは同姓同名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち - 台湾へ ==&lt;br /&gt;
1886年（明治19年）に[[石川県]][[河北郡]][[花園村 (石川県)|花園村]]（現：[[金沢市]]今町）に生まれる。[[石川県立金沢泉丘高等学校|石川県尋常中学]]、[[第四高等学校 (旧制) |第四高等学校（四高）]]を経て、[[1910年]]（明治43年）に[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学工学部]]土木科を卒業後&amp;lt;ref name=teidai&amp;gt;{{NDLDC|813186/298|format=NDLJP}}『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学 1911年 （134頁）&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[台湾総督府]][[台湾総督府内務局|内務局]]土木課の技手として就職した&amp;lt;ref name=rireki&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854800O2XldR#JTU0 「技手八田與一（府技師ニ任用ノ件）」大正三年台湾総督府公文類纂永久保存]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 &amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085492bJDxrqf#0Os8 「昭和十七年元在官職者履歷書其一專専売局」（台湾）國史館臺灣文献館]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本統治時代の台湾]]では、初代民政長官であった[[後藤新平]]以来、[[マラリア]]などの[[伝染病]]予防対策が重点的に採られ、八田も当初は衛生事業に従事し、[[嘉義市|嘉義]]・[[台南市|台南]]・[[高雄市|高雄]]など各都市の上下[[水道]]の整備を担当した。その後、発電・[[灌漑]]事業の部門に移り、1910年総督府土木部工務課で'''[[浜野弥四郎]]'''に仕えることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot;&amp;gt;{{Zh-tw icon}}{{cite book|url=http://www.ctwwa.org.tw/ctwwa_fn05/ctwwa_page0503_1.aspx?Key=2017 |title=自來水會刊第 36 卷第 4 期 臺灣現代化自來水建設之開拓者 都市的醫師－濱野彌四郎 |year=2017-11 |author=吳世紀 |pages=79-80|publisher=中華民國自來水協會(CTWWA)  |accessdate=2018-09-02 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[旧台南水道|台南水道]]の事業で実地調査を共にするうちに、八田は浜野から多くのことを学び、後述の嘉南大圳や烏山頭ダムにその経験が活かされることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot; /&amp;gt;。[[1919年]]に浜野が離任で台湾を去ると、八田は台南水道に浜野の像を建立している。浜野像は戦時中の金属供出令で資材に流用されたが、[[奇美実業]]創業者の[[許文龍]]により再制作、[[2005年]]に元の水源地に設置されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八田は、28歳で当時着工中であった{{仮リンク|桃園大圳|zh|桃園大圳}}の水利工事を一任されたが、これを成功させ高い評価を受けた。当時の台湾は、まさに上述の[[インフラストラクチャー]]建設のまっただ中で、水利技術者には大いに腕の振るい甲斐のある舞台であった。31歳のとき、故郷金沢の[[開業医]]で後に[[石川県議会|石川県議]]なども務めた米村吉太郎の長女・外代樹（とよき、当時16歳）と[[結婚]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 嘉南大圳 ==&lt;br /&gt;
{{see also|嘉南大圳}}&lt;br /&gt;
[[1918年]]（[[大正]]7年）、八田は台湾南部の[[嘉南平原|嘉南平野]]の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万[[ヘクタール]]ほどある田畑は常に[[旱魃]]の危険にさらされていた。そこで八田は民政長官[[下村海南]]の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに[[隧道]]を建設して[[曽文渓]]から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官佃渓埤圳組合（のち嘉南大圳組合）」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、[[1920年]]（大正9年）から[[1930年]]（昭和5年）まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000[[ヘクタール|ha]]、有効貯水量1億5,000万[[立方メートル|m&amp;lt;sup&amp;gt;3&amp;lt;/sup&amp;gt;]]の大貯水池・[[烏山頭ダム]]として完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000[[キロメートル|km]]にわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が[[嘉南大圳]]（かなんたいしゅう）と呼ばれている。ダム建設に際して作業員の福利厚生を充実させるため宿舎・学校・病院なども建設した。爆発事故の翌年には関東大震災が起こり予算削減の為に作業員を解雇しなければならなかった。八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/files/documents2017/dentou_suishinsiryo028.pdf 日本と台湾の架け橋となった 八田 與一]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Ushantoushiugu1.jpg|thumb|250px|烏山頭ダム。[[下村海南]]によって'''珊瑚潭'''の美称が与えられている（2004年3月11日）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年代以降も烏山頭ダムは嘉南平野を潤しているが、その大きな役割を今は{{仮リンク|曽文渓ダム|zh|曾文水庫}}に譲っている。この曽文渓ダムは1973年に完成したダムで、建設の計画自体も八田によるものであった。また、八田の採った粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法（[[コンクリート]]をほとんど使用しない）という手法によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。烏山頭ダムは公園として整備され、八田の銅像と墓が中にある。また、八田を顕彰する記念館も併設されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:重建的八田與一住宅.JPG|thumb|250px|ダム公園内に復元された八田與一の住居]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 台湾総督府復帰 - 殉職 ==&lt;br /&gt;
1939年（昭和14年）、八田は台湾総督府に復帰し、[[勅任]]待遇技師として台湾の産業計画の策定などに従事した。また1935年（昭和10年）に中華民国[[福建省 (中華民国)|福建省]]主席の[[陳儀]]の招聘を受け、開発について諮問を受けるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]中の1942年（昭和17年）5月、陸軍の命令によって3人の部下と共に客船「[[大洋丸]]」に乗船した八田は、[[フィリピン]]の綿作灌漑調査のため[[広島県]]宇品港で乗船、出港したがその途中、「大洋丸」は[[五島列島]]付近で[[アメリカ海軍]]の[[潜水艦]]「[[グレナディアー (SS-210)|グレナディアー]]」の雷撃で撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した&amp;lt;ref name=taiyo&amp;gt;{{アジア歴史資料センター|C01000429200|大洋丸遭難に関する件}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。八田の遺体は対馬海流に乗って山口県萩市沖に漂着し、萩の漁師によって引き揚げられたと伝えられる&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite book|title=台湾と山口をつなぐ旅|url=https://www.worldcat.org/oclc/1105258434|publisher=西日本出版社|date=2018.12|isbn=9784908443398|oclc=1105258434|others=栖来ひかり|year=}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本敗戦後の[[1945年]]（昭和20年）[[9月1日]]、妻の外代樹も夫の八田の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口に投身自殺を遂げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
*1910年（明治43年）&lt;br /&gt;
**7月 [[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学工学部]]土木科を卒業する&amp;lt;ref name=teidai /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月28日 台湾総督府土木部技手に任命され、工務課勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1911年（明治44年）10月6日 官制改正のため台湾総督府技手、土木局勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1914年（大正3年）6月23日 台湾総督府技師、民政局土木局土木課勤務衛生工事係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085388h=esMZp#4FV8 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第520号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1915年（大正5年）8月24日 衛生工事係を免じられ、監査係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1919年（大正8年）&lt;br /&gt;
**4月9日 兼任臨時台湾総督府工事部技師となり、工事課勤務設計係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085405n==fJem#lI4c 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1804号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**9月8日 土木局設計係兼工事係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1920年（大正9年）&lt;br /&gt;
**9月17日 公共埤圳官佃溪埤圳組合事務嘱の件総督府から許可される&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1921年（大正10年）&lt;br /&gt;
**4月1日 公共埤圳官佃溪埤圳組合は公共埤圳嘉南大圳組合と改称される&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**11月8日 依願免本官&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085416A5=nD=Y#9lI4 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2242号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**11月19日 組合の監督課長兼工事課長、監督課監査係長代理となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**12月5日 兼務で烏山頭出張所長となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1922年（大正11年）3月15日 組合令が改正され、烏山頭出張所長となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1930年（昭和5年）&lt;br /&gt;
**1月7日 内務局勤務、土木課勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**5月29日 嘉南大圳新設工事が竣工し所長の職をとかれ、技術顧問となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月15日 台湾総督府技師に任命される。内務局土木課勤務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854202wxpN_Y#1ls9 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1036号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1937年（昭和12年）&lt;br /&gt;
**4月13日 兼任台湾総督府専売局技師、塩腦課勤務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854422Alh781#alIe 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2954号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**11月20日 殖産局農務課兼務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854438lw=l8M#5a13 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3139号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1939年（昭和14年）6月30日 勅任官待遇となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085451LLJ_5gh#ab79 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3622号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1942年（昭和17年）5月8日 東シナ海において、遭難殉職、公務死亡と認定される&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref name=taiyo /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==栄典==&lt;br /&gt;
叙位&lt;br /&gt;
*[[従七位]] 1914年（大正3年）8月20日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085392IF=6zdt#58u 「叙位」『台湾総督府報 第573号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正七位]] 1916年（大正5年）11月9日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085400gk_iJKR#5ue0 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1148号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従六位]] 1919年（大正8年）5月10日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085408meBRZS=#btv3 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1833号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従五位]] 1930年（昭和5年）9月15日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854248j=erwN#6Os9 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1061号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正五位]] 1935年（昭和10年）10月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085436X9JNI6w#d56f 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2508号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従四位]] 1940年（昭和15年）11月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085457B_OQwIj#6Os3 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第4046号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正四位]] 1942年（昭和17年）5月8日 特旨ヲ以テ位一級被進&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854692wA1t=G#53Hf 「叙任及辞令」『台湾総督府 官報 第77号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
叙勲&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲六等瑞宝章]] 1934年（昭和9年）4月5日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085429MaQ5=9=#8dL 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2068号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲五等瑞宝章]] 1938年（昭和13年）5月9日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854444_XGp4P#d674 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3277号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲四等瑞宝章]] 1939年（昭和14年）9月23日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085454z=RroWg#74L 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3695号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
[[File:Yoichi Hatta's statue and tomb-P1010493.JPG|thumb|八田の銅像と墓]]&lt;br /&gt;
[[File:The Statue of Toyoki Hatta in Hatta's House.jpg|thumb|八田宅に展示されている妻・外代樹の像]]&lt;br /&gt;
日本よりも八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、[[烏山頭ダム]]では八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[中学生]]向け[[教科書]]『[[認識台湾]] 歴史篇』に八田の業績が詳しく紹介されている。[[2004年]]（[[平成]]16年）末に訪日した[[李登輝]][[中華民国総統]]は、八田の故郷・[[金沢市]]も訪問した。[[2007年]]5月21日、[[陳水扁]]総統は八田に対して褒章令を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、当時の[[馬英九]]総統も[[2008年]]5月8日の烏山頭ダムでの八田の慰霊祭に参加した。翌年の慰霊祭に参加し、八田がダム建設時に住んでいた[[宿舎]]跡地を復元・整備して「八田與一記念公園」を建設すると語った&amp;lt;ref&amp;gt;[https://web.archive.org/web/20090511201547/http://sankei.jp.msn.com/world/china/090508/chn0905081957006-n1.htm 台湾の水利事業に尽力、八田与一氏たたえ記念公園 馬総統が明言]、産経新聞、2009年5月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2009年7月30日に記念公園の安全祈願祭、2010年2月10日に着工式が行われ、2011年5月8日に完成した。完成式典には、馬英九総統や八田の故郷・石川県出身の元内閣総理大臣[[森喜朗]]が参加した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Citation|和書&lt;br /&gt;
 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20110510024549/http://mainichi.jp/select/world/news/20110509k0000m030086000c.html&lt;br /&gt;
 | title = 八田与一技師：「台湾農業の恩人」…台南に記念公園&lt;br /&gt;
 | publisher = [[毎日新聞]]&lt;br /&gt;
 | date = 2011年5月8日&lt;br /&gt;
 | url = http://mainichi.jp/select/world/news/20110509k0000m030086000c.html&lt;br /&gt;
 | deadlinkdate = 2017年12月13日&lt;br /&gt;
 | archivedate = 2011年5月10日&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。記念公園は約5万平方メートルだが、約200棟の官舎や宿舎のうち4棟は当時の姿に復元された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c8%ac%c5%c4%e7%d0%b0%ec&amp;amp;k=201105/2011050800065 「ダムの父」記念公園がオープン＝邦人技師の八田與一氏たたえ－台湾] - 時事通信 2011年5月8日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011051901000673.html 台湾総統「私は友日派」 故宮日本展は3年内に] - 東京新聞 2011年5月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。宿舎は一般公開されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年には台南市の主要道路のひとつが「八田路」と命名された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妻の外代樹も顕彰の対象となり、2013年9月1日には八田與一記念公園内に外代樹の銅像が建立された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八田の業績と、嘉南の人達との触れ合いを取材したテレビドキュメンタリー番組「[[テレメンタリー]]96 たった一つの銅像 〜衷心感謝八田與一先生〜」が 1996年（平成8年）6月30日にテレビ朝日系列で放送された。2008年には、八田を描いた長編アニメ映画「[[パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜]]」が制作された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022年5月8日は没後80年にあたる。烏山頭ダム付近にある墓で慰霊祭が行われた。頼清徳副総統は八田の偉業を広めてきたことで日台の交流が深まったとして「台日の友人関係を一層強化させ、国際社会の諸問題に対応していきたい」と期待を込めた&amp;lt;ref&amp;gt;台湾でダム建設主導　日本人技師の慰霊祭『産経新聞』2022年5月10日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 烏山頭ダムに設置された銅像 ===&lt;br /&gt;
烏山頭ダム傍にある八田の[[銅像]]は、ダム完成後の[[1931年]]（昭和6年）に作られたものである。住民の民意と周囲からの意見で出来上がったユニークな銅像は、像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置され、同年7月8日、八田立会いのもと除幕式が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[国家総動員法]]に基づく[[金属]]類回収令により供出された際に行方不明となった。後年発見され、もとの場所に戻されたが、[[1949年]]以降の[[中華民国]]の[[蔣介石]]時代には[[日本統治時代の台湾|日本]]の残した建築物や[[顕彰]][[石碑|碑]]の破壊がなされたため再び撤去され、[[1981年]]1月1日、再びダムを見下ろす元の場所に設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2017年]][[4月16日]]朝、銅像の首から上が切断されているのをダム関係者が発見し、警察に通報した&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASK4J52ZJK4JUHBI00Q.html |title=台湾で日本人銅像の頭部壊される ダム建設貢献の技師 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=2017-04-16 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=8kM6WSuCS58 八田與一銅像遭斬首!KANO導演：滿難過]&amp;lt;/ref&amp;gt;。犯人は[[中華統一促進党]]に所属し、以前新党の市議会議員として[[台北市]]議会議員を務めた{{仮リンク|李承龍|zh|李承龍}}で、翌[[4月17日]]に警察へ出頭した。同時期に台湾各所で頻発していた蔣介石像に対する悪戯への反発心が八田に向けられたとされている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASK4K6GZKK4KUHBI057.html |title=元台北市議の男が出頭 日本人技師像の頭部破壊で |publisher=朝日新聞デジタル |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20170417-F6KCYCOTVNLPHGTEGCYL5OUSUI/ |title=台湾・八田像損壊犯は元台北市議だった FBで公表し出頭 |publisher=[[産経新聞|産経ニュース]] |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://news.ltn.com.tw/news/society/breakingnews/2038880 |title=八田「斬首者」抓到了！統派成員認砍頭 |author=王冠仁 |publisher=[[自由時報]] |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 |language=[[中国語]] }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。台南市政府からは、八田の命日である5月8日までに銅像を修復する意向が示され&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi&amp;quot; /&amp;gt;、浜野像復活でも尽力した[[許文龍]]が[[奇美博物館]]で保管していたレプリカを用いて修復された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201704170003.aspx 壊された八田与一像、台南・奇美博物館が週内に修復へ／台湾]2017-04-17,フォーカス台湾&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{Main|{{仮リンク|八田與一銅像破壊事件|zh|八田與一銅像破壞事件}}}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 八田與一を演じた人 ==&lt;br /&gt;
*[[井上和彦 (声優)|井上和彦]] - [[石黒昇]]監督のアニメ『[[パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜]]』で八田の声優を務めた。&lt;br /&gt;
*[[大沢たかお]] - [[第17回全国中等学校優勝野球大会|1931年夏の甲子園]]で準優勝した[[全国中等学校優勝野球台湾大会|台湾公立嘉義農林学校]]（現・[[国立嘉義大学]]）野球部を描いた台湾映画『[[KANO 1931海の向こうの甲子園]]』で八田を演じた&amp;lt;ref&amp;gt;[https://web.archive.org/web/20140106194850/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&amp;amp;d=0115&amp;amp;f=entertainment_0115_012.shtml　台湾映画『ＫＡＮＯ』、永瀬正敏・大沢たかおら出演で注目度高まる]サーチナ、2013/01/15&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[陳冠霖]] -台湾テレビドラマ『水色嘉南』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[邱永漢]] - 「台湾の恩人・八田技師（この人の事を知ってほしい）」(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1959年、252-260頁)&lt;br /&gt;
* [[司馬遼太郎]] - 「八田與一のこと」、「珊瑚潭のほとり」(『[[街道をゆく]] 40 [[台湾紀行]]』 [[朝日新聞社]]、1994年、281-293頁、295-306頁)&lt;br /&gt;
* まつだしょういち、たにうちまさと『よいっつぁん夢は大きく‐台湾の「ダムの父」・八田與一』 [[北國新聞社]]出版局、2007年、ISBN 978-4833015653&lt;br /&gt;
* 胎中千鶴 - 『植民地台湾を語るということ—八田與一の「物語」を読み解く』 風響社、2007年、ISBN 978-4894897274&lt;br /&gt;
* [[古川勝三]] - 『台湾を愛した日本人(改訂版) -土木技師 八田與一の生涯』 創風社出版、2009年、ISBN 978-4860371234&lt;br /&gt;
* [[斎藤充功]] - 『日台の架け橋・百年ダムを造った男』　[[時事通信出版局]]、2009年、ISBN 978-4788709508&lt;br /&gt;
* [[酒井亨]] - 『台湾入門』 日中出版、2006年、ISBN 978-4817512680&lt;br /&gt;
* [[片倉佳史]] - 『台湾に生きている「日本」』 [[祥伝社]]、2009年、ISBN 978-4396111496&lt;br /&gt;
* [[越澤明]] - 『後藤新平 －大震災と帝都復興』[[ちくま新書]]、2011年。ISBN 978-4-480-06639-8&lt;br /&gt;
*『小学館版学習まんが 八田與一』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[金沢ふるさと偉人館]] - [[金沢市]]が設置する文化施設。金沢ゆかりの偉人として紹介されている。&lt;br /&gt;
* [[外交部 (中華民国)]] - 外交部にも八田与一の銅像が安置してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [https://market.cloud.edu.tw/content/junior/history/ks_edu/taiwan/chap6/teach63.htm 『認識台湾 歴史篇』の中華民国教育部による指導案] [[リンク切れ|&amp;lt;sup&amp;gt;[リンク切れ]&amp;lt;/sup&amp;gt;]]日本植民統治時期- 繁体中国語&lt;br /&gt;
* [http://a-eda.net/taiwan/hatta/hatta.html 『台湾最大の穀倉地をつくった八田與一』大事業「嘉南用水路（嘉南大しゅう)」]&lt;br /&gt;
* [http://www.mushi-pro.co.jp/2010/08/パッテンライ！！〜南の島の水ものがたり〜/ 長編アニメ映画　パッテンライ!!〜南の島の水ものがたり〜]　公式サイト(虫プロダクション)&lt;br /&gt;
* [https://www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1710046 金沢市立花園小学校]（八田の母校にあたる） [http://cms.kanazawa-city.ed.jp/hanazono-e/view.php?pageId=1135 『花園偉人館』 ～八田與一技師～ のこと]&lt;br /&gt;
* [http://www.taisei.co.jp/about_us/library/column/tachi/2005/index.html 週刊文春「立ち話」（2005年9月8日〜22日）]&amp;lt;sup&amp;gt;[[リンク切れ|[リンク切れ]]]&amp;lt;/sup&amp;gt;（[[大成建設]]が『[[週刊文春]]』に連載しているコラム）&lt;br /&gt;
* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/WAll.cgi?db3=135 (財）日本ダム協会『ダム便覧』烏山頭ダム]&lt;br /&gt;
* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=452 (財）日本ダム協会『ダム便覧』ダムインタビュー（22）吉越洋さんに聞く]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:はつた よいち}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の土木技術者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ダム]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のダム|人はつた]]&lt;br /&gt;
[[Category:第二次世界大戦の戦災死者]]&lt;br /&gt;
[[Category:台湾総督府の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県立金沢泉丘高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:旧制第四高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:従七位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正七位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従六位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従五位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正五位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従四位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正四位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲六等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲五等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲四等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本人墓地]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%85%AB%E7%94%B0%E8%88%87%E4%B8%80&amp;diff=408085</id>
		<title>八田與一</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%85%AB%E7%94%B0%E8%88%87%E4%B8%80&amp;diff=408085"/>
				<updated>2024-07-29T15:03:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 人物&lt;br /&gt;
|氏名 = 八田 與一&lt;br /&gt;
|ふりがな = はった よいち&lt;br /&gt;
|画像 = Yoichi Hatta.jpg&lt;br /&gt;
|画像サイズ = 250&lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|出生名 = &lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1886年]][[2月21日]]&lt;br /&gt;
|生誕地 = [[石川県]][[河北郡]][[花園村 (石川県)|花園村]]（現：[[金沢市]]今町）&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1942年]][[5月8日]]（56歳没）&lt;br /&gt;
|死没地 = [[長崎県]][[五島列島]]沖&lt;br /&gt;
|国籍 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|別名 = &lt;br /&gt;
|出身校 = [[第四高等学校 (旧制) |第四高等学校]]&amp;lt;br&amp;gt;[[東京帝国大学]][[東京大学大学院工学系研究科・工学部|工学部]]土木科&lt;br /&gt;
|配偶者 = 外代樹（とよき）&lt;br /&gt;
|職業 = [[農業工学|水利技術者]]&lt;br /&gt;
|著名な実績 = [[烏山頭ダム]]建設&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''八田 與一'''（はった よいち、常用漢字：'''八田 与一'''、[[1886年]]〈[[明治]]19年〉[[2月21日]] – [[1942年]]〈[[昭和]]17年〉[[5月8日]]）は、[[日本]]の[[農業工学|水利技術者]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022年6月29日に大分県別府市で発生したひき逃げ事件の重要指名手配されている容疑者とは同姓同名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち - 台湾へ ==&lt;br /&gt;
1886年（明治19年）に[[石川県]][[河北郡]][[花園村 (石川県)|花園村]]（現：[[金沢市]]今町）に生まれる。[[石川県立金沢泉丘高等学校|石川県尋常中学]]、[[第四高等学校 (旧制) |第四高等学校（四高）]]を経て、[[1910年]]（明治43年）に[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学工学部]]土木科を卒業後&amp;lt;ref name=teidai&amp;gt;{{NDLDC|813186/298|format=NDLJP}}『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学 1911年 （134頁）&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[台湾総督府]][[台湾総督府内務局|内務局]]土木課の技手として就職した&amp;lt;ref name=rireki&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854800O2XldR#JTU0 「技手八田與一（府技師ニ任用ノ件）」大正三年台湾総督府公文類纂永久保存]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 &amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085492bJDxrqf#0Os8 「昭和十七年元在官職者履歷書其一專専売局」（台湾）國史館臺灣文献館]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本統治時代の台湾]]では、初代民政長官であった[[後藤新平]]以来、[[マラリア]]などの[[伝染病]]予防対策が重点的に採られ、八田も当初は衛生事業に従事し、[[嘉義市|嘉義]]・[[台南市|台南]]・[[高雄市|高雄]]など各都市の上下[[水道]]の整備を担当した。その後、発電・[[灌漑]]事業の部門に移り、1910年総督府土木部工務課で'''[[浜野弥四郎]]'''に仕えることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot;&amp;gt;{{Zh-tw icon}}{{cite book|url=http://www.ctwwa.org.tw/ctwwa_fn05/ctwwa_page0503_1.aspx?Key=2017 |title=自來水會刊第 36 卷第 4 期 臺灣現代化自來水建設之開拓者 都市的醫師－濱野彌四郎 |year=2017-11 |author=吳世紀 |pages=79-80|publisher=中華民國自來水協會(CTWWA)  |accessdate=2018-09-02 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[旧台南水道|台南水道]]の事業で実地調査を共にするうちに、八田は浜野から多くのことを学び、後述の嘉南大圳や烏山頭ダムにその経験が活かされることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot; /&amp;gt;。[[1919年]]に浜野が離任で台湾を去ると、八田は台南水道に浜野の像を建立している。浜野像は戦時中の金属供出令で資材に流用されたが、[[奇美実業]]創業者の[[許文龍]]により再制作、[[2005年]]に元の水源地に設置されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八田は、28歳で当時着工中であった{{仮リンク|桃園大圳|zh|桃園大圳}}の水利工事を一任されたが、これを成功させ高い評価を受けた。当時の台湾は、まさに上述の[[インフラストラクチャー]]建設のまっただ中で、水利技術者には大いに腕の振るい甲斐のある舞台であった。31歳のとき、故郷金沢の[[開業医]]で後に[[石川県議会|石川県議]]なども務めた米村吉太郎の長女・外代樹（とよき、当時16歳）と[[結婚]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 嘉南大圳 ==&lt;br /&gt;
{{see also|嘉南大圳}}&lt;br /&gt;
[[1918年]]（[[大正]]7年）、八田は台湾南部の[[嘉南平原|嘉南平野]]の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万[[ヘクタール]]ほどある田畑は常に[[旱魃]]の危険にさらされていた。そこで八田は民政長官[[下村海南]]の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに[[隧道]]を建設して[[曽文渓]]から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官佃渓埤圳組合（のち嘉南大圳組合）」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、[[1920年]]（大正9年）から[[1930年]]（昭和5年）まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000[[ヘクタール|ha]]、有効貯水量1億5,000万[[立方メートル|m&amp;lt;sup&amp;gt;3&amp;lt;/sup&amp;gt;]]の大貯水池・[[烏山頭ダム]]として完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000[[キロメートル|km]]にわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が[[嘉南大圳]]（かなんたいしゅう）と呼ばれている。ダム建設に際して作業員の福利厚生を充実させるため宿舎・学校・病院なども建設した。爆発事故の翌年には関東大震災が起こり予算削減の為に作業員を解雇しなければならなかった。八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/files/documents2017/dentou_suishinsiryo028.pdf 日本と台湾の架け橋となった 八田 與一]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Ushantoushiugu1.jpg|thumb|250px|烏山頭ダム。[[下村海南]]によって'''珊瑚潭'''の美称が与えられている（2004年3月11日）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年代以降も烏山頭ダムは嘉南平野を潤しているが、その大きな役割を今は{{仮リンク|曽文渓ダム|zh|曾文水庫}}に譲っている。この曽文渓ダムは1973年に完成したダムで、建設の計画自体も八田によるものであった。また、八田の採った粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法（[[コンクリート]]をほとんど使用しない）という手法によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。烏山頭ダムは公園として整備され、八田の銅像と墓が中にある。また、八田を顕彰する記念館も併設されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:重建的八田與一住宅.JPG|thumb|250px|ダム公園内に復元された八田與一の住居]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 台湾総督府復帰 - 殉職 ==&lt;br /&gt;
1939年（昭和14年）、八田は台湾総督府に復帰し、[[勅任]]待遇技師として台湾の産業計画の策定などに従事した。また1935年（昭和10年）に中華民国[[福建省 (中華民国)|福建省]]主席の[[陳儀]]の招聘を受け、開発について諮問を受けるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]中の1942年（昭和17年）5月、陸軍の命令によって3人の部下と共に客船「[[大洋丸]]」に乗船した八田は、[[フィリピン]]の綿作灌漑調査のため[[広島県]]宇品港で乗船、出港したがその途中、「大洋丸」は[[五島列島]]付近で[[アメリカ海軍]]の[[潜水艦]]「[[グレナディアー (SS-210)|グレナディアー]]」の雷撃で撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した&amp;lt;ref name=taiyo&amp;gt;{{アジア歴史資料センター|C01000429200|大洋丸遭難に関する件}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。八田の遺体は対馬海流に乗って山口県萩市沖に漂着し、萩の漁師によって引き揚げられたと伝えられる&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite book|title=台湾と山口をつなぐ旅|url=https://www.worldcat.org/oclc/1105258434|publisher=西日本出版社|date=2018.12|isbn=9784908443398|oclc=1105258434|others=栖来ひかり|year=}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本敗戦後の[[1945年]]（昭和20年）[[9月1日]]、妻の外代樹も夫の八田の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口に投身自殺を遂げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
*1910年（明治43年）&lt;br /&gt;
**7月 [[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学工学部]]土木科を卒業する&amp;lt;ref name=teidai /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月28日 台湾総督府土木部技手に任命され、工務課勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1911年（明治44年）10月6日 官制改正のため台湾総督府技手、土木局勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1914年（大正3年）6月23日 台湾総督府技師、民政局土木局土木課勤務衛生工事係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085388h=esMZp#4FV8 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第520号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1915年（大正5年）8月24日 衛生工事係を免じられ、監査係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1919年（大正8年）&lt;br /&gt;
**4月9日 兼任臨時台湾総督府工事部技師となり、工事課勤務設計係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085405n==fJem#lI4c 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1804号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**9月8日 土木局設計係兼工事係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1920年（大正9年）&lt;br /&gt;
**9月17日 公共埤圳官佃溪埤圳組合事務嘱の件総督府から許可される&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1921年（大正10年）&lt;br /&gt;
**4月1日 公共埤圳官佃溪埤圳組合は公共埤圳嘉南大圳組合と改称される&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**11月8日 依願免本官&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085416A5=nD=Y#9lI4 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2242号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**11月19日 組合の監督課長兼工事課長、監督課監査係長代理となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**12月5日 兼務で烏山頭出張所長となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1922年（大正11年）3月15日 組合令が改正され、烏山頭出張所長となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1930年（昭和5年）&lt;br /&gt;
**1月7日 内務局勤務、土木課勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**5月29日 嘉南大圳新設工事が竣工し所長の職をとかれ、技術顧問となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月15日 台湾総督府技師に任命される。内務局土木課勤務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854202wxpN_Y#1ls9 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1036号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1937年（昭和12年）&lt;br /&gt;
**4月13日 兼任台湾総督府専売局技師、塩腦課勤務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854422Alh781#alIe 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2954号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**11月20日 殖産局農務課兼務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854438lw=l8M#5a13 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3139号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1939年（昭和14年）6月30日 勅任官待遇となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085451LLJ_5gh#ab79 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3622号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1942年（昭和17年）5月8日 東シナ海において、遭難殉職、公務死亡と認定される&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref name=taiyo /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==栄典==&lt;br /&gt;
叙位&lt;br /&gt;
*[[従七位]] 1914年（大正3年）8月20日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085392IF=6zdt#58u 「叙位」『台湾総督府報 第573号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正七位]] 1916年（大正5年）11月9日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085400gk_iJKR#5ue0 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1148号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従六位]] 1919年（大正8年）5月10日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085408meBRZS=#btv3 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1833号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従五位]] 1930年（昭和5年）9月15日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854248j=erwN#6Os9 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1061号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正五位]] 1935年（昭和10年）10月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085436X9JNI6w#d56f 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2508号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従四位]] 1940年（昭和15年）11月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085457B_OQwIj#6Os3 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第4046号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正四位]] 1942年（昭和17年）5月8日 特旨ヲ以テ位一級被進&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854692wA1t=G#53Hf 「叙任及辞令」『台湾総督府 官報 第77号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
叙勲&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲六等瑞宝章]] 1934年（昭和9年）4月5日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085429MaQ5=9=#8dL 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2068号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲五等瑞宝章]] 1938年（昭和13年）5月9日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854444_XGp4P#d674 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3277号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲四等瑞宝章]] 1939年（昭和14年）9月23日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085454z=RroWg#74L 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3695号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
[[File:Yoichi Hatta's statue and tomb-P1010493.JPG|thumb|八田の銅像と墓]]&lt;br /&gt;
[[File:The Statue of Toyoki Hatta in Hatta's House.jpg|thumb|八田宅に展示されている妻・外代樹の像]]&lt;br /&gt;
日本よりも八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、[[烏山頭ダム]]では八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[中学生]]向け[[教科書]]『[[認識台湾]] 歴史篇』に八田の業績が詳しく紹介されている。[[2004年]]（[[平成]]16年）末に訪日した[[李登輝]][[中華民国総統]]は、八田の故郷・[[金沢市]]も訪問した。[[2007年]]5月21日、[[陳水扁]]総統は八田に対して褒章令を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、当時の[[馬英九]]総統も[[2008年]]5月8日の烏山頭ダムでの八田の慰霊祭に参加した。翌年の慰霊祭に参加し、八田がダム建設時に住んでいた[[宿舎]]跡地を復元・整備して「八田與一記念公園」を建設すると語った&amp;lt;ref&amp;gt;[https://web.archive.org/web/20090511201547/http://sankei.jp.msn.com/world/china/090508/chn0905081957006-n1.htm 台湾の水利事業に尽力、八田与一氏たたえ記念公園 馬総統が明言]、産経新聞、2009年5月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2009年7月30日に記念公園の安全祈願祭、2010年2月10日に着工式が行われ、2011年5月8日に完成した。完成式典には、馬英九総統や八田の故郷・石川県出身の元内閣総理大臣[[森喜朗]]が参加した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Citation|和書&lt;br /&gt;
 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20110510024549/http://mainichi.jp/select/world/news/20110509k0000m030086000c.html&lt;br /&gt;
 | title = 八田与一技師：「台湾農業の恩人」…台南に記念公園&lt;br /&gt;
 | publisher = [[毎日新聞]]&lt;br /&gt;
 | date = 2011年5月8日&lt;br /&gt;
 | url = http://mainichi.jp/select/world/news/20110509k0000m030086000c.html&lt;br /&gt;
 | deadlinkdate = 2017年12月13日&lt;br /&gt;
 | archivedate = 2011年5月10日&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。記念公園は約5万平方メートルだが、約200棟の官舎や宿舎のうち4棟は当時の姿に復元された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c8%ac%c5%c4%e7%d0%b0%ec&amp;amp;k=201105/2011050800065 「ダムの父」記念公園がオープン＝邦人技師の八田與一氏たたえ－台湾] - 時事通信 2011年5月8日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011051901000673.html 台湾総統「私は友日派」 故宮日本展は3年内に] - 東京新聞 2011年5月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。宿舎は一般公開されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年には台南市の主要道路のひとつが「八田路」と命名された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妻の外代樹も顕彰の対象となり、2013年9月1日には八田與一記念公園内に外代樹の銅像が建立された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八田の業績と、嘉南の人達との触れ合いを取材したテレビドキュメンタリー番組「[[テレメンタリー]]96 たった一つの銅像 〜衷心感謝八田與一先生〜」が 1996年（平成8年）6月30日にテレビ朝日系列で放送された。2008年には、八田を描いた長編アニメ映画「[[パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜]]」が制作された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022年5月8日は没後80年にあたる。烏山頭ダム付近にある墓で慰霊祭が行われた。頼清徳副総統は八田の偉業を広めてきたことで日台の交流が深まったとして「台日の友人関係を一層強化させ、国際社会の諸問題に対応していきたい」と期待を込めた&amp;lt;ref&amp;gt;台湾でダム建設主導　日本人技師の慰霊祭『産経新聞』2022年5月10日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 烏山頭ダムに設置された銅像 ===&lt;br /&gt;
烏山頭ダム傍にある八田の[[銅像]]は、ダム完成後の[[1931年]]（昭和6年）に作られたものである。住民の民意と周囲からの意見で出来上がったユニークな銅像は、像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置され、同年7月8日、八田立会いのもと除幕式が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[国家総動員法]]に基づく[[金属]]類回収令により供出された際に行方不明となった。後年発見され、もとの場所に戻されたが、[[1949年]]以降の[[中華民国]]の[[蔣介石]]時代には[[日本統治時代の台湾|日本]]の残した建築物や[[顕彰]][[石碑|碑]]の破壊がなされたため再び撤去され、[[1981年]]1月1日、再びダムを見下ろす元の場所に設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2017年]][[4月16日]]朝、銅像の首から上が切断されているのをダム関係者が発見し、警察に通報した&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASK4J52ZJK4JUHBI00Q.html |title=台湾で日本人銅像の頭部壊される ダム建設貢献の技師 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=2017-04-16 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=8kM6WSuCS58 八田與一銅像遭斬首!KANO導演：滿難過]&amp;lt;/ref&amp;gt;。犯人は[[中華統一促進党]]に所属し、以前新党の市議会議員として[[台北市]]議会議員を務めた{{仮リンク|李承龍|zh|李承龍}}で、翌[[4月17日]]に警察へ出頭した。同時期に台湾各所で頻発していた蔣介石像に対する悪戯への反発心が八田に向けられたとされている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASK4K6GZKK4KUHBI057.html |title=元台北市議の男が出頭 日本人技師像の頭部破壊で |publisher=朝日新聞デジタル |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20170417-F6KCYCOTVNLPHGTEGCYL5OUSUI/ |title=台湾・八田像損壊犯は元台北市議だった FBで公表し出頭 |publisher=[[産経新聞|産経ニュース]] |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://news.ltn.com.tw/news/society/breakingnews/2038880 |title=八田「斬首者」抓到了！統派成員認砍頭 |author=王冠仁 |publisher=[[自由時報]] |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 |language=[[中国語]] }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。台南市政府からは、八田の命日である5月8日までに銅像を修復する意向が示され&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi&amp;quot; /&amp;gt;、浜野像復活でも尽力した[[許文龍]]が[[奇美博物館]]で保管していたレプリカを用いて修復された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201704170003.aspx 壊された八田与一像、台南・奇美博物館が週内に修復へ／台湾]2017-04-17,フォーカス台湾&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{Main|{{仮リンク|八田與一銅像破壊事件|zh|八田與一銅像破壞事件}}}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 八田與一を演じた人 ==&lt;br /&gt;
*[[井上和彦 (声優)|井上和彦]] - [[石黒昇]]監督のアニメ『[[パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜]]』で八田の声優を務めた。&lt;br /&gt;
*[[大沢たかお]] - [[第17回全国中等学校優勝野球大会|1931年夏の甲子園]]で準優勝した[[全国中等学校優勝野球台湾大会|台湾公立嘉義農林学校]]（現・[[国立嘉義大学]]）野球部を描いた台湾映画『[[KANO 1931海の向こうの甲子園]]』で八田を演じた&amp;lt;ref&amp;gt;[https://web.archive.org/web/20140106194850/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&amp;amp;d=0115&amp;amp;f=entertainment_0115_012.shtml　台湾映画『ＫＡＮＯ』、永瀬正敏・大沢たかおら出演で注目度高まる]サーチナ、2013/01/15&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[陳冠霖]] -台湾テレビドラマ『水色嘉南』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[邱永漢]] - 「台湾の恩人・八田技師（この人の事を知ってほしい）」(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1959年、252-260頁)&lt;br /&gt;
* [[司馬遼太郎]] - 「八田與一のこと」、「珊瑚潭のほとり」(『[[街道をゆく]] 40 [[台湾紀行]]』 [[朝日新聞社]]、1994年、281-293頁、295-306頁)&lt;br /&gt;
* まつだしょういち、たにうちまさと『よいっつぁん夢は大きく‐台湾の「ダムの父」・八田與一』 [[北國新聞社]]出版局、2007年、ISBN 978-4833015653&lt;br /&gt;
* 胎中千鶴 - 『植民地台湾を語るということ—八田與一の「物語」を読み解く』 風響社、2007年、ISBN 978-4894897274&lt;br /&gt;
* [[古川勝三]] - 『台湾を愛した日本人(改訂版) -土木技師 八田與一の生涯』 創風社出版、2009年、ISBN 978-4860371234&lt;br /&gt;
* [[斎藤充功]] - 『日台の架け橋・百年ダムを造った男』　[[時事通信出版局]]、2009年、ISBN 978-4788709508&lt;br /&gt;
* [[酒井亨]] - 『台湾入門』 日中出版、2006年、ISBN 978-4817512680&lt;br /&gt;
* [[片倉佳史]] - 『台湾に生きている「日本」』 [[祥伝社]]、2009年、ISBN 978-4396111496&lt;br /&gt;
* [[越澤明]] - 『後藤新平 －大震災と帝都復興』[[ちくま新書]]、2011年。ISBN 978-4-480-06639-8&lt;br /&gt;
*『小学館版学習まんが 八田與一』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[金沢ふるさと偉人館]] - [[金沢市]]が設置する文化施設。金沢ゆかりの偉人として紹介されている。&lt;br /&gt;
* [[外交部 (中華民国)]] - 外交部にも八田与一の銅像が安置してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [https://market.cloud.edu.tw/content/junior/history/ks_edu/taiwan/chap6/teach63.htm 『認識台湾 歴史篇』の中華民国教育部による指導案] [[リンク切れ|&amp;lt;sup&amp;gt;[リンク切れ]&amp;lt;/sup&amp;gt;]]日本植民統治時期- 繁体中国語&lt;br /&gt;
* [http://a-eda.net/taiwan/hatta/hatta.html 『台湾最大の穀倉地をつくった八田與一』大事業「嘉南用水路（嘉南大しゅう)」]&lt;br /&gt;
* [http://www.mushi-pro.co.jp/2010/08/パッテンライ！！〜南の島の水ものがたり〜/ 長編アニメ映画　パッテンライ!!〜南の島の水ものがたり〜]　公式サイト(虫プロダクション)&lt;br /&gt;
* [https://www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1710046 金沢市立花園小学校]（八田の母校にあたる） [http://cms.kanazawa-city.ed.jp/hanazono-e/view.php?pageId=1135 『花園偉人館』 ～八田與一技師～ のこと]&lt;br /&gt;
* [http://www.taisei.co.jp/about_us/library/column/tachi/2005/index.html 週刊文春「立ち話」（2005年9月8日〜22日）]&amp;lt;sup&amp;gt;[[リンク切れ|[リンク切れ]]]&amp;lt;/sup&amp;gt;（[[大成建設]]が『[[週刊文春]]』に連載しているコラム）&lt;br /&gt;
* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/WAll.cgi?db3=135 (財）日本ダム協会『ダム便覧』烏山頭ダム]&lt;br /&gt;
* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=452 (財）日本ダム協会『ダム便覧』ダムインタビュー（22）吉越洋さんに聞く]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:はつた よいち}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の土木技術者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ダム]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のダム|人はつた]]&lt;br /&gt;
[[Category:第二次世界大戦の戦災死者]]&lt;br /&gt;
[[Category:台湾総督府の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県立金沢泉丘高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:旧制第四高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:従七位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正七位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従六位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従五位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正五位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従四位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正四位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲六等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲五等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲四等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本人墓地]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: 水利技術者の八田與一（1886〜1942）。烏山頭ダムを建設し、台湾の農業の発展に尽力した。2022年に大分県別府市で発生したひき逃げ事件で重要指名手配されている容疑者とは同姓同名。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;水利技術者の八田與一（1886〜1942）。烏山頭ダムを建設し、台湾の農業の発展に尽力した。2022年に大分県別府市で発生したひき逃げ事件で重要指名手配されている容疑者とは同姓同名。&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>八田與一</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「{{Infobox 人物 |氏名 = 八田 與一 |ふりがな = はった よいち |画像 = Yoichi Hatta.jpg |画像サイズ = 250 |画像説明 =  |出生名 =  |生年月...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 人物&lt;br /&gt;
|氏名 = 八田 與一&lt;br /&gt;
|ふりがな = はった よいち&lt;br /&gt;
|画像 = Yoichi Hatta.jpg&lt;br /&gt;
|画像サイズ = 250&lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|出生名 = &lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1886年]][[2月21日]]&lt;br /&gt;
|生誕地 = [[石川県]][[河北郡]][[花園村 (石川県)|花園村]]（現：[[金沢市]]今町）&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1942年]][[5月8日]]（56歳没）&lt;br /&gt;
|死没地 = [[長崎県]][[五島列島]]沖&lt;br /&gt;
|国籍 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|別名 = &lt;br /&gt;
|出身校 = [[第四高等学校 (旧制) |第四高等学校]]&amp;lt;br&amp;gt;[[東京帝国大学]][[東京大学大学院工学系研究科・工学部|工学部]]土木科&lt;br /&gt;
|配偶者 = 外代樹（とよき）&lt;br /&gt;
|職業 = [[農業工学|水利技術者]]&lt;br /&gt;
|著名な実績 = [[烏山頭ダム]]建設&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''八田 與一'''（はった よいち、常用漢字：'''八田 与一'''、[[1886年]]〈[[明治]]19年〉[[2月21日]] – [[1942年]]〈[[昭和]]17年〉[[5月8日]]）は、[[日本]]の[[農業工学|水利技術者]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022年6月29日に大分県別府市で発生したひき逃げ事件の重要指名手配されている容疑者とは同姓同名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち - 台湾へ ==&lt;br /&gt;
1886年（明治19年）に[[石川県]][[河北郡]][[花園村 (石川県)|花園村]]（現：[[金沢市]]今町）に生まれる。[[石川県立金沢泉丘高等学校|石川県尋常中学]]、[[第四高等学校 (旧制) |第四高等学校（四高）]]を経て、[[1910年]]（明治43年）に[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学工学部]]土木科を卒業後&amp;lt;ref name=teidai&amp;gt;{{NDLDC|813186/298|format=NDLJP}}『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学 1911年 （134頁）&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[台湾総督府]][[台湾総督府内務局|内務局]]土木課の技手として就職した&amp;lt;ref name=rireki&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854800O2XldR#JTU0 「技手八田與一（府技師ニ任用ノ件）」大正三年台湾総督府公文類纂永久保存]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 &amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085492bJDxrqf#0Os8 「昭和十七年元在官職者履歷書其一專専売局」（台湾）國史館臺灣文献館]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本統治時代の台湾]]では、初代民政長官であった[[後藤新平]]以来、[[マラリア]]などの[[伝染病]]予防対策が重点的に採られ、八田も当初は衛生事業に従事し、[[嘉義市|嘉義]]・[[台南市|台南]]・[[高雄市|高雄]]など各都市の上下[[水道]]の整備を担当した。その後、発電・[[灌漑]]事業の部門に移り、1910年総督府土木部工務課で'''[[浜野弥四郎]]'''に仕えることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot;&amp;gt;{{Zh-tw icon}}{{cite book|url=http://www.ctwwa.org.tw/ctwwa_fn05/ctwwa_page0503_1.aspx?Key=2017 |title=自來水會刊第 36 卷第 4 期 臺灣現代化自來水建設之開拓者 都市的醫師－濱野彌四郎 |year=2017-11 |author=吳世紀 |pages=79-80|publisher=中華民國自來水協會(CTWWA)  |accessdate=2018-09-02 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[旧台南水道|台南水道]]の事業で実地調査を共にするうちに、八田は浜野から多くのことを学び、後述の嘉南大圳や烏山頭ダムにその経験が活かされることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot; /&amp;gt;。[[1919年]]に浜野が離任で台湾を去ると、八田は台南水道に浜野の像を建立している。浜野像は戦時中の金属供出令で資材に流用されたが、[[奇美実業]]創業者の[[許文龍]]により再制作、[[2005年]]に元の水源地に設置されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;ctwwa&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八田は、28歳で当時着工中であった{{仮リンク|桃園大圳|zh|桃園大圳}}の水利工事を一任されたが、これを成功させ高い評価を受けた。当時の台湾は、まさに上述の[[インフラストラクチャー]]建設のまっただ中で、水利技術者には大いに腕の振るい甲斐のある舞台であった。31歳のとき、故郷金沢の[[開業医]]で後に[[石川県議会|石川県議]]なども務めた米村吉太郎の長女・外代樹（とよき、当時16歳）と[[結婚]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 嘉南大圳 ==&lt;br /&gt;
{{see also|嘉南大圳}}&lt;br /&gt;
[[1918年]]（[[大正]]7年）、八田は台湾南部の[[嘉南平原|嘉南平野]]の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万[[ヘクタール]]ほどある田畑は常に[[旱魃]]の危険にさらされていた。そこで八田は民政長官[[下村海南]]の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに[[隧道]]を建設して[[曽文渓]]から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官佃渓埤圳組合（のち嘉南大圳組合）」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、[[1920年]]（大正9年）から[[1930年]]（昭和5年）まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000[[ヘクタール|ha]]、有効貯水量1億5,000万[[立方メートル|m&amp;lt;sup&amp;gt;3&amp;lt;/sup&amp;gt;]]の大貯水池・[[烏山頭ダム]]として完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000[[キロメートル|km]]にわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が[[嘉南大圳]]（かなんたいしゅう）と呼ばれている。ダム建設に際して作業員の福利厚生を充実させるため宿舎・学校・病院なども建設した。爆発事故の翌年には関東大震災が起こり予算削減の為に作業員を解雇しなければならなかった。八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/files/documents2017/dentou_suishinsiryo028.pdf 日本と台湾の架け橋となった 八田 與一]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Ushantoushiugu1.jpg|thumb|250px|烏山頭ダム。[[下村海南]]によって'''珊瑚潭'''の美称が与えられている（2004年3月11日）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年代以降も烏山頭ダムは嘉南平野を潤しているが、その大きな役割を今は{{仮リンク|曽文渓ダム|zh|曾文水庫}}に譲っている。この曽文渓ダムは1973年に完成したダムで、建設の計画自体も八田によるものであった。また、八田の採った粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法（[[コンクリート]]をほとんど使用しない）という手法によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。烏山頭ダムは公園として整備され、八田の銅像と墓が中にある。また、八田を顕彰する記念館も併設されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:重建的八田與一住宅.JPG|thumb|250px|ダム公園内に復元された八田與一の住居]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 台湾総督府復帰 - 殉職 ==&lt;br /&gt;
1939年（昭和14年）、八田は台湾総督府に復帰し、[[勅任]]待遇技師として台湾の産業計画の策定などに従事した。また1935年（昭和10年）に中華民国[[福建省 (中華民国)|福建省]]主席の[[陳儀]]の招聘を受け、開発について諮問を受けるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]中の1942年（昭和17年）5月、陸軍の命令によって3人の部下と共に客船「[[大洋丸]]」に乗船した八田は、[[フィリピン]]の綿作灌漑調査のため[[広島県]]宇品港で乗船、出港したがその途中、「大洋丸」は[[五島列島]]付近で[[アメリカ海軍]]の[[潜水艦]]「[[グレナディアー (SS-210)|グレナディアー]]」の雷撃で撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した&amp;lt;ref name=taiyo&amp;gt;{{アジア歴史資料センター|C01000429200|大洋丸遭難に関する件}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。八田の遺体は対馬海流に乗って山口県萩市沖に漂着し、萩の漁師によって引き揚げられたと伝えられる&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite book|title=台湾と山口をつなぐ旅|url=https://www.worldcat.org/oclc/1105258434|publisher=西日本出版社|date=2018.12|isbn=9784908443398|oclc=1105258434|others=栖来ひかり|year=}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本敗戦後の[[1945年]]（昭和20年）[[9月1日]]、妻の外代樹も夫の八田の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口に投身自殺を遂げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
*1910年（明治43年）&lt;br /&gt;
**7月 [[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学工学部]]土木科を卒業する&amp;lt;ref name=teidai /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月28日 台湾総督府土木部技手に任命され、工務課勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1911年（明治44年）10月6日 官制改正のため台湾総督府技手、土木局勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1914年（大正3年）6月23日 台湾総督府技師、民政局土木局土木課勤務衛生工事係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085388h=esMZp#4FV8 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第520号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1915年（大正5年）8月24日 衛生工事係を免じられ、監査係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1919年（大正8年）&lt;br /&gt;
**4月9日 兼任臨時台湾総督府工事部技師となり、工事課勤務設計係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085405n==fJem#lI4c 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1804号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**9月8日 土木局設計係兼工事係となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1920年（大正9年）&lt;br /&gt;
**9月17日 公共埤圳官佃溪埤圳組合事務嘱の件総督府から許可される&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1921年（大正10年）&lt;br /&gt;
**4月1日 公共埤圳官佃溪埤圳組合は公共埤圳嘉南大圳組合と改称される&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**11月8日 依願免本官&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085416A5=nD=Y#9lI4 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2242号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**11月19日 組合の監督課長兼工事課長、監督課監査係長代理となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**12月5日 兼務で烏山頭出張所長となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1922年（大正11年）3月15日 組合令が改正され、烏山頭出張所長となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1930年（昭和5年）&lt;br /&gt;
**1月7日 内務局勤務、土木課勤務となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**5月29日 嘉南大圳新設工事が竣工し所長の職をとかれ、技術顧問となる&amp;lt;ref name=rireki /&amp;gt;&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月15日 台湾総督府技師に任命される。内務局土木課勤務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854202wxpN_Y#1ls9 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1036号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1937年（昭和12年）&lt;br /&gt;
**4月13日 兼任台湾総督府専売局技師、塩腦課勤務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854422Alh781#alIe 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2954号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**11月20日 殖産局農務課兼務となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854438lw=l8M#5a13 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3139号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1939年（昭和14年）6月30日 勅任官待遇となる&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085451LLJ_5gh#ab79 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3622号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1942年（昭和17年）5月8日 東シナ海において、遭難殉職、公務死亡と認定される&amp;lt;ref name=rireki2 /&amp;gt;&amp;lt;ref name=taiyo /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==栄典==&lt;br /&gt;
叙位&lt;br /&gt;
*[[従七位]] 1914年（大正3年）8月20日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085392IF=6zdt#58u 「叙位」『台湾総督府報 第573号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正七位]] 1916年（大正5年）11月9日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085400gk_iJKR#5ue0 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1148号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従六位]] 1919年（大正8年）5月10日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085408meBRZS=#btv3 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1833号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従五位]] 1930年（昭和5年）9月15日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854248j=erwN#6Os9 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第1061号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正五位]] 1935年（昭和10年）10月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085436X9JNI6w#d56f 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2508号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[従四位]] 1940年（昭和15年）11月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085457B_OQwIj#6Os3 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第4046号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[正四位]] 1942年（昭和17年）5月8日 特旨ヲ以テ位一級被進&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854692wA1t=G#53Hf 「叙任及辞令」『台湾総督府 官報 第77号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
叙勲&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲六等瑞宝章]] 1934年（昭和9年）4月5日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085429MaQ5=9=#8dL 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第2068号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲五等瑞宝章]] 1938年（昭和13年）5月9日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/10854444_XGp4P#d674 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3277号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[瑞宝章|勲四等瑞宝章]] 1939年（昭和14年）9月23日&amp;lt;ref&amp;gt;[https://onlinearchives.th.gov.tw/index.php?act=Display/image/1085454z=RroWg#74L 「叙任及辞令」『台湾総督府報 第3695号』]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
[[File:Yoichi Hatta's statue and tomb-P1010493.JPG|thumb|八田の銅像と墓]]&lt;br /&gt;
[[File:The Statue of Toyoki Hatta in Hatta's House.jpg|thumb|八田宅に展示されている妻・外代樹の像]]&lt;br /&gt;
日本よりも八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、[[烏山頭ダム]]では八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[中学生]]向け[[教科書]]『[[認識台湾]] 歴史篇』に八田の業績が詳しく紹介されている。[[2004年]]（[[平成]]16年）末に訪日した[[李登輝]][[中華民国総統]]は、八田の故郷・[[金沢市]]も訪問した。[[2007年]]5月21日、[[陳水扁]]総統は八田に対して褒章令を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、当時の[[馬英九]]総統も[[2008年]]5月8日の烏山頭ダムでの八田の慰霊祭に参加した。翌年の慰霊祭に参加し、八田がダム建設時に住んでいた[[宿舎]]跡地を復元・整備して「八田與一記念公園」を建設すると語った&amp;lt;ref&amp;gt;[https://web.archive.org/web/20090511201547/http://sankei.jp.msn.com/world/china/090508/chn0905081957006-n1.htm 台湾の水利事業に尽力、八田与一氏たたえ記念公園 馬総統が明言]、産経新聞、2009年5月8日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2009年7月30日に記念公園の安全祈願祭、2010年2月10日に着工式が行われ、2011年5月8日に完成した。完成式典には、馬英九総統や八田の故郷・石川県出身の元内閣総理大臣[[森喜朗]]が参加した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Citation|和書&lt;br /&gt;
 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20110510024549/http://mainichi.jp/select/world/news/20110509k0000m030086000c.html&lt;br /&gt;
 | title = 八田与一技師：「台湾農業の恩人」…台南に記念公園&lt;br /&gt;
 | publisher = [[毎日新聞]]&lt;br /&gt;
 | date = 2011年5月8日&lt;br /&gt;
 | url = http://mainichi.jp/select/world/news/20110509k0000m030086000c.html&lt;br /&gt;
 | deadlinkdate = 2017年12月13日&lt;br /&gt;
 | archivedate = 2011年5月10日&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。記念公園は約5万平方メートルだが、約200棟の官舎や宿舎のうち4棟は当時の姿に復元された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c8%ac%c5%c4%e7%d0%b0%ec&amp;amp;k=201105/2011050800065 「ダムの父」記念公園がオープン＝邦人技師の八田與一氏たたえ－台湾] - 時事通信 2011年5月8日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011051901000673.html 台湾総統「私は友日派」 故宮日本展は3年内に] - 東京新聞 2011年5月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。宿舎は一般公開されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年には台南市の主要道路のひとつが「八田路」と命名された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妻の外代樹も顕彰の対象となり、2013年9月1日には八田與一記念公園内に外代樹の銅像が建立された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八田の業績と、嘉南の人達との触れ合いを取材したテレビドキュメンタリー番組「[[テレメンタリー]]96 たった一つの銅像 〜衷心感謝八田與一先生〜」が 1996年（平成8年）6月30日にテレビ朝日系列で放送された。2008年には、八田を描いた長編アニメ映画「[[パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜]]」が制作された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2022年5月8日は没後80年にあたる。烏山頭ダム付近にある墓で慰霊祭が行われた。頼清徳副総統は八田の偉業を広めてきたことで日台の交流が深まったとして「台日の友人関係を一層強化させ、国際社会の諸問題に対応していきたい」と期待を込めた&amp;lt;ref&amp;gt;台湾でダム建設主導　日本人技師の慰霊祭『産経新聞』2022年5月10日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 烏山頭ダムに設置された銅像 ===&lt;br /&gt;
烏山頭ダム傍にある八田の[[銅像]]は、ダム完成後の[[1931年]]（昭和6年）に作られたものである。住民の民意と周囲からの意見で出来上がったユニークな銅像は、像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置され、同年7月8日、八田立会いのもと除幕式が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[国家総動員法]]に基づく[[金属]]類回収令により供出された際に行方不明となった。後年発見され、もとの場所に戻されたが、[[1949年]]以降の[[中華民国]]の[[蔣介石]]時代には[[日本統治時代の台湾|日本]]の残した建築物や[[顕彰]][[石碑|碑]]の破壊がなされたため再び撤去され、[[1981年]]1月1日、再びダムを見下ろす元の場所に設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2017年]][[4月16日]]朝、銅像の首から上が切断されているのをダム関係者が発見し、警察に通報した&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASK4J52ZJK4JUHBI00Q.html |title=台湾で日本人銅像の頭部壊される ダム建設貢献の技師 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=2017-04-16 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=8kM6WSuCS58 八田與一銅像遭斬首!KANO導演：滿難過]&amp;lt;/ref&amp;gt;。犯人は[[中華統一促進党]]に所属し、以前新党の市議会議員として[[台北市]]議会議員を務めた{{仮リンク|李承龍|zh|李承龍}}で、翌[[4月17日]]に警察へ出頭した。同時期に台湾各所で頻発していた蔣介石像に対する悪戯への反発心が八田に向けられたとされている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASK4K6GZKK4KUHBI057.html |title=元台北市議の男が出頭 日本人技師像の頭部破壊で |publisher=朝日新聞デジタル |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20170417-F6KCYCOTVNLPHGTEGCYL5OUSUI/ |title=台湾・八田像損壊犯は元台北市議だった FBで公表し出頭 |publisher=[[産経新聞|産経ニュース]] |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://news.ltn.com.tw/news/society/breakingnews/2038880 |title=八田「斬首者」抓到了！統派成員認砍頭 |author=王冠仁 |publisher=[[自由時報]] |date=2017-04-17 |accessdate=2017-04-17 |language=[[中国語]] }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。台南市政府からは、八田の命日である5月8日までに銅像を修復する意向が示され&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi&amp;quot; /&amp;gt;、浜野像復活でも尽力した[[許文龍]]が[[奇美博物館]]で保管していたレプリカを用いて修復された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201704170003.aspx 壊された八田与一像、台南・奇美博物館が週内に修復へ／台湾]2017-04-17,フォーカス台湾&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{Main|{{仮リンク|八田與一銅像破壊事件|zh|八田與一銅像破壞事件}}}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 八田與一を演じた人 ==&lt;br /&gt;
*[[井上和彦 (声優)|井上和彦]] - [[石黒昇]]監督のアニメ『[[パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜]]』で八田の声優を務めた。&lt;br /&gt;
*[[大沢たかお]] - [[第17回全国中等学校優勝野球大会|1931年夏の甲子園]]で準優勝した[[全国中等学校優勝野球台湾大会|台湾公立嘉義農林学校]]（現・[[国立嘉義大学]]）野球部を描いた台湾映画『[[KANO 1931海の向こうの甲子園]]』で八田を演じた&amp;lt;ref&amp;gt;[https://web.archive.org/web/20140106194850/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&amp;amp;d=0115&amp;amp;f=entertainment_0115_012.shtml　台湾映画『ＫＡＮＯ』、永瀬正敏・大沢たかおら出演で注目度高まる]サーチナ、2013/01/15&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[陳冠霖]] -台湾テレビドラマ『水色嘉南』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[邱永漢]] - 「台湾の恩人・八田技師（この人の事を知ってほしい）」(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1959年、252-260頁)&lt;br /&gt;
* [[司馬遼太郎]] - 「八田與一のこと」、「珊瑚潭のほとり」(『[[街道をゆく]] 40 [[台湾紀行]]』 [[朝日新聞社]]、1994年、281-293頁、295-306頁)&lt;br /&gt;
* まつだしょういち、たにうちまさと『よいっつぁん夢は大きく‐台湾の「ダムの父」・八田與一』 [[北國新聞社]]出版局、2007年、ISBN 978-4833015653&lt;br /&gt;
* 胎中千鶴 - 『植民地台湾を語るということ—八田與一の「物語」を読み解く』 風響社、2007年、ISBN 978-4894897274&lt;br /&gt;
* [[古川勝三]] - 『台湾を愛した日本人(改訂版) -土木技師 八田與一の生涯』 創風社出版、2009年、ISBN 978-4860371234&lt;br /&gt;
* [[斎藤充功]] - 『日台の架け橋・百年ダムを造った男』　[[時事通信出版局]]、2009年、ISBN 978-4788709508&lt;br /&gt;
* [[酒井亨]] - 『台湾入門』 日中出版、2006年、ISBN 978-4817512680&lt;br /&gt;
* [[片倉佳史]] - 『台湾に生きている「日本」』 [[祥伝社]]、2009年、ISBN 978-4396111496&lt;br /&gt;
* [[越澤明]] - 『後藤新平 －大震災と帝都復興』[[ちくま新書]]、2011年。ISBN 978-4-480-06639-8&lt;br /&gt;
*『小学館版学習まんが 八田與一』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[金沢ふるさと偉人館]] - [[金沢市]]が設置する文化施設。金沢ゆかりの偉人として紹介されている。&lt;br /&gt;
* [[外交部 (中華民国)]] - 外交部にも八田与一の銅像が安置してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [https://market.cloud.edu.tw/content/junior/history/ks_edu/taiwan/chap6/teach63.htm 『認識台湾 歴史篇』の中華民国教育部による指導案] [[リンク切れ|&amp;lt;sup&amp;gt;[リンク切れ]&amp;lt;/sup&amp;gt;]]日本植民統治時期- 繁体中国語&lt;br /&gt;
* [http://a-eda.net/taiwan/hatta/hatta.html 『台湾最大の穀倉地をつくった八田與一』大事業「嘉南用水路（嘉南大しゅう)」]&lt;br /&gt;
* [http://www.mushi-pro.co.jp/2010/08/パッテンライ！！〜南の島の水ものがたり〜/ 長編アニメ映画　パッテンライ!!〜南の島の水ものがたり〜]　公式サイト(虫プロダクション)&lt;br /&gt;
* [https://www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1710046 金沢市立花園小学校]（八田の母校にあたる） [http://cms.kanazawa-city.ed.jp/hanazono-e/view.php?pageId=1135 『花園偉人館』 ～八田與一技師～ のこと]&lt;br /&gt;
* [http://www.taisei.co.jp/about_us/library/column/tachi/2005/index.html 週刊文春「立ち話」（2005年9月8日〜22日）]&amp;lt;sup&amp;gt;[[リンク切れ|[リンク切れ]]]&amp;lt;/sup&amp;gt;（[[大成建設]]が『[[週刊文春]]』に連載しているコラム）&lt;br /&gt;
* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/WAll.cgi?db3=135 (財）日本ダム協会『ダム便覧』烏山頭ダム]&lt;br /&gt;
* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=452 (財）日本ダム協会『ダム便覧』ダムインタビュー（22）吉越洋さんに聞く]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Normdaten}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:はつた よいち}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の土木技術者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ダム]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のダム|人はつた]]&lt;br /&gt;
[[Category:第二次世界大戦の戦災死者]]&lt;br /&gt;
[[Category:台湾総督府の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県立金沢泉丘高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:旧制第四高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1886年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:従七位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正七位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従六位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従五位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正五位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:従四位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:正四位受位者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲六等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲五等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲四等瑞宝章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本人墓地]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
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				<updated>2024-07-29T12:04:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* ウクライナへの付きまといと侵攻 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:プーチン2.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン3.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン4.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン5.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
'''ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン'''、[[1952年]][[10月7日]] - ）は、[[ロシア|ロシア連邦]]の[[政治家]]。第2代[[ロシア連邦大統領]]（在任[[2000年]] - [[2008年]]）。第5代および第9代[[ロシアの首相|政府議長（首相）]]、[[統一ロシア]]党首（[[2008年]]より）。'''[[ベラルーシ・ロシア連合国家]]'''（正式名称は「'''連合国家'''」）の[[閣僚評議会議長 (ベラルーシ・ロシア連合国家)|閣僚評議会議長]]（首相）。[[サンクトペテルブルク]]の副市長を務めたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウクライナを付きまとって侵攻したせいで、☁である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概説 ==&lt;br /&gt;
[[学歴|最終学歴]]は[[サンクトペテルブルク大学|レニングラード大学]][[法学部]]卒業。[[学位]]は[[学士|法学士]]（[[サンクトペテルブルク大学]]）、経済学博士候補（[[1997年]]、ただし、ロシアにおける「博士候補」は欧米諸国の「博士(Ph.D.)」に相当する）。[[軍隊における階級呼称一覧|階級]]は予備役[[大佐]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[柔道家]]でもあり、[[段級位制|段位]]は柔道五段（来日時に柔道六段を[[講道館]]柔道において贈られるも辞退。詳細は後述）。[[称号]]は、[[サンボ (格闘技)|サンボ]]と[[柔道]]のロシア連邦[[スポーツマスター]]。[[2005年]]12月より[[ヨーロッパ柔道連盟]]名誉会長を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]][[12月31日]]の[[ボリス・エリツィン]]の大統領辞任により大統領代行を務めたのち、[[2000年ロシア大統領選挙]]に勝利して正式に大統領に就任する。[[2004年ロシア大統領選挙|2004年の大統領選挙]]では再選を果たし、2008年[[5月7日]]まで大統領を務める。そして後任の大統領である[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]の指名により同月8日に首相に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8年間のプーチン政権でロシア経済は危機を脱して大きく成長し、ロシア社会から高い支持と評価を受けている。実際、[[国内総生産]]（GDP）は6倍に増大（[[購買力平価説]]では72%）し、貧困は半分以下に減り、平均月給が80[[ドル]]から640ドルに増加し、実質GDPが150%になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、[[第二次チェチェン紛争]]での[[人権蹂躙|人権侵害]]などにより、ロシア国外の政府や[[人権団体]]からロシアの[[人権]]と[[自由]]について追及されている。またロシア経済についても、[[ウラジーミル・ヤクーニン]]のような[[:en:Political groups during Vladimir Putin's presidency|プーチンと親密な関係にある人物たち]]による統制がマスメディアの取材で明らかになっている。こうした統制は、[[ボリス・ネムツォフ]]らプーチン政権の反対派によって厳しく批判されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出自 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin as a child.jpg|thumb|right|140px|少年時代のプーチン]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Spiridon Putin.jpg|thumb|left|140px|祖父スピリドン]]&lt;br /&gt;
[[1952年]][[10月7日]]、レニングラードにて、父ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン（[[1911年]] - 1999年）と母マリア・イワーノヴナ・シェロモーワ（1911年 - [[1998年]]）とのあいだに生まれる。母は工場などで働いていた。父は[[ロシア海軍|ソ連海軍]]に徴兵され、[[1930年代]]には潜水艦隊に配属となり、[[第二次世界大戦]]では[[内務人民委員部]]（NKVD）の破壊工作部隊に所属し、[[独ソ戦]]（大祖国戦争）で[[傷痍軍人]]となった。戦後は機械技師としてレニングラードの鉄道車両工場で働いた。2人の兄は、いずれもプーチンが生まれる前の1930年代に死亡（1人目は幼くして、2人目は[[レニングラード包囲戦]]のあいだに[[ジフテリア]]で死亡）していたため、プーチンは一人っ子として育つ。プーチンの父方の[[祖父]]であるスピリドン・イワノヴィチ・プーチン（[[1879年]]{{ndash}}[[1965年]]）はプロの[[料理人]]であり、[[ヨシフ・スターリン]]の[[ダーチャ]]（別荘）の1つにて給仕しており、それ以前は[[ウラジーミル・レーニン]]に仕えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プーチンは自伝で少年時代を振り返り、家庭環境はあまり裕福でなく、少年時代はレニングラードの共同アパートで過ごしたと語っている。[[1960年]][[9月1日]]に共同アパートと同じ通りにある第193小学校に通い始める。小学生だったプーチンに[[ドイツ語]]を教えていた教師によると、プーチンは母親似であるが、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいたという。また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言している。プーチン自身も後に幼少時代は相当な悪童であったと告白している。しかし6年生になると変化し、成績も上がり、[[ピオネール]]入団も許可された。この頃にはサンボと柔道も始めている。小学校卒業後、プーチンは[[化学]]の中等専門学校に入学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== KGB時代 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin with parents in 1985.jpg|200px|thumb|[[1985年]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に出発する前に。父ウラジーミル・スピリドノヴィチ、母マリア・イヴァーノヴナと]]&lt;br /&gt;
やがてプーチンは映画や小説から[[スパイ]]に憧れを抱き、[[ソ連国家保安委員会]]（KGB）への就職を考えるようになる。14才の9年生（日本でいう中学3年生）の時に彼はKGB支部を訪問し、応対した職員にどうすればKGBに就職できるのか質問した。職員は少年の質問にきわめて真率に対応し、KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しないため、今後は自分からKGBにコンタクトしてはならないこと、[[大学]]の専攻は[[法学部]]が有利であること、言動や思想的な問題点があってはならないこと、スポーツの実績は対象者の選考で有利に働くことなどの現実的な助言を与えた。プーチン少年は以後そのアドバイスを忠実に守り、柔道に打ち込み、[[サンクトペテルブルク大学|レニングラード大学]]では法学部を選択し、在学中も自分からはKGBに接触しなかった。そして大学4年生のときにKGBからのリクルートを受け、プーチンは[[1975年]]に同大学を卒業後、KGBへ就職する。KGBでの任務は、[[諜報]]・[[防諜]]・国内治安対策・思想統制のほか、[[国境警備隊]]による国境警備と[[通関業務]]、旅券発行および外国人の旅券紛失証明に関する事務手続きといった、一般にイメージされる諜報機関よりも業務は幅広い。法学部の需要があるとはいえ、必ずしも法学部優先とは限らない。また、情報工作員に関してはリクルートの段階から秘密裏に行っており、細部は不明であるということを付け加える。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
KGBでは、最初にレニングラード支部事務局、その後訓練を経て対諜報活動局に配属される。それからさらなる研修を受けた後、第1総局（対外諜報部）レニングラード支部に勤務する。そして外国で[[諜報活動]]を行うために[[対外情報アカデミー|KGB赤旗大学]]で学び、[[1985年]]に[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[ドレスデン]]へと派遣される。東ドイツには[[1990年]]まで滞在し、政治関係の情報を集める諜報活動に従事したとプーチン自身は語っている。しかし[[ドイツ再統一|東西ドイツ統一]]によりレニングラードに戻り、母校のレニングラード大学に学長補佐官として勤務することになった。このころに、大学生の頃に教わっていた[[アナトリー・サプチャーク]]と懇意になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政界へ ==&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン6.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
1990年、プーチンはKGBに辞表を提出し、レニングラード市[[ソビエト]]議長だったサプチャークの国際関係担当顧問となった。[[1991年]][[6月]]にサプチャークがレニングラード（同年[[11月]]にサンクトペテルブルクに名称を変更）市長に当選すると、対外関係委員会議長に就任する。その後、[[1992年]]にサプチャークによりサンクトペテルブルク市副市長、[[1994年]][[3月]]にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命された。サンクトペテルブルク市の職員としてプーチンは外国企業誘致を行い外国からの投資の促進に努めた。またサプチャークの下で陰の実力者として活躍したため、「灰色の[[枢機卿]]」と呼ばれた（ロシアでは、[[ゲンナジー・ブルブリス]]など陰の実力者に対し、このようなあだ名が付けられることがある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]]にサプチャークがサンクトペテルブルク市長選挙で[[ウラジーミル・ヤコブレフ]]に敗れて退陣すると、プーチンはそれに伴い第一副市長を辞職する。ヤコブレフによる慰留もあったが、結局はそれを拒否した。その後、[[ロシア大統領府]]総務局長の[[パーヴェル・ボロジン]]による抜擢で（[[アナトリー・チュバイス]]説もある）ロシア大統領府総務局次長として[[モスクワ]]に異動した。プーチンはこの職に就任して法務とロシアの保有する海外資産の管理を担当した。[[1997年]]3月にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1997年6月、プーチンは[[サンクトペテルブルク国立鉱山大学]]に「市場経済移行期における地域資源の戦略的計画」という論文を提出し、経済科学準博士の学位を得る。この論文の内容は、「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」というものだった（この論文に関しては、[[2007年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の学者が盗作説を主張するも、その後立ち消えとなる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年[[5月]]にプーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。ここでは地方行政を担当し、地方の[[知事]]との連絡役を務めたが、後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている。同年[[7月]]にはKGBの後身である[[ロシア連邦保安庁]]（FSB）の長官に就任。この時、ボリス・エリツィン大統領（当時）の[[資金洗浄|マネーロンダリング]]疑惑を捜査していた[[ユーリ・スクラトフ]]検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、[[ロシアの首相|首相]]だった[[エフゲニー・プリマコフ]]のエリツィン追い落とし[[クーデター]]を未然に防いだ。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 首相職（1999年） ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin with Boris Yeltsin-2.jpg|thumb|200px|[[1999年]]、大統領代行就任に伴い[[ボリス・エリツィン]]（左）からロシア連邦憲法の大統領専用の複写を渡されるプーチン]]&lt;br /&gt;
プーチンはエリツィンによって1999年[[8月9日]]に第一副首相に任命された（同日[[セルゲイ・ステパーシン]]が首相を解任されたためそのまま首相代行に任命）。この時、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明していた。さらに1週間後の[[8月16日]]には正式に首相に任命される。首相に就任すると[[ロシア高層アパート連続爆破事件]]をきっかけにして勃発した第二次チェチェン紛争の制圧に辣腕をふるい、「強いリーダー」というイメージを高め国民の支持を獲得した。当時、次期大統領選のプーチンの有力な対抗馬として元首相のプリマコフがいたが、同年[[12月19日]]に行われた[[1999年ロシア下院選挙|ロシア下院選挙]]で、プーチンを支持する[[与党]]・「統一」の獲得議席数がプリマコフらによって結党された「[[祖国・全ロシア]]」の議席数を超えて[[ロシア連邦共産党]]に次ぐ第二党となったことにより、プーチンは次期大統領の座にさらに近づいた（後にプリマコフは次期大統領選への出馬を断念した）。そして同年12月31日に健康上の理由で引退を宣言したエリツィンによって大統領代行に指名される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大統領職 ==&lt;br /&gt;
=== 1期目（2000年～2004年） ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin taking the Presidential Oath, 7 May 2000.jpg|thumb|150px|[[2000年]]、大統領就任式典で就任宣誓を行うプーチン（左）。右は前大統領のエリツィン]]&lt;br /&gt;
大統領代行となったプーチンが最初に行ったのは、大統領経験者とその一族の生活を保障するという大統領令に署名することだった。これは、エリツィンに不[[逮捕]]・不[[起訴]]特権を与え、エリツィン一族による[[汚職]]やマネーロンダリングの追及をさせず、引退後のエリツィンの安全を確保するものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プーチンは2000年の大統領選挙で過半数の得票を受け決選投票なしで当選した。正式に大統領となったプーチンは「強いロシア」の再建を目標とした。まず、地方政府に中央政府の法体系と矛盾した法律を乱発されるなど、地方政府への制御が利かなくなっていたため、プーチンは中央政府の権限を強化する政策を打ち出す。2000年5月、ロシア全土85の地域を7つに分けた[[連邦管区]]を設置し、各地域の知事を大統領全権代表に監督させた。ほかに知事の[[連邦会議 (ロシア)|上院]]議員兼務禁止、大統領への知事解任権付与などの政策を実行した。プーチンはこれらの政策により[[中央集権]]化を推進し、「垂直統治機構」と呼ばれるシステムを確立した。さらに、同年12月に[[ソビエト連邦の国歌]]の歌詞を変えて[[ロシアの国歌|新国歌]]に制定した。これはロシア国民に「強かった時代のロシア（ソ連）」を呼び起こすためだとする意見がある。このような強い指導力は反対派からは「強硬である」と批判されたが、ロシア国民の支持を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年の[[ロシア財政危機|ロシア金融危機]]で打撃を受けた[[経済]]が回復し成長を続けたことも、多くのロシア国民がプーチンを支持する一因となった。経済成長は[[原油価格]]の上昇によるところが大きいが、プーチン政権下でさまざまな経済改革が行われたことも理由として挙げられる。[[所得税]]率を3段階による課税から一律13％の[[フラット・タックス]]制に改革したり、[[法人税]]や[[消費税|付加価値税]]（消費税）を引き下げたりするなどの税制改革は、税負担の軽減により、横行していた[[脱税]]を減少させ、国家財政再建に寄与した。また、これらの税制改革や土地売買の自由化など法制度の整備によって外国からの投資を呼び込み、ロシア経済が活性化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 財閥との対決 ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 31 May 2001-2.jpg|thumb|200px|[[2001年]]、オリガルヒの代表格だった[[ミハイル・ホドルコフスキー]]（右）と]]&lt;br /&gt;
エリツィン時代はエリツィンと側近および支持基盤の[[ロシアの新興財閥|新興財閥]]「オリガルヒ」の時代であった。[[エゴール・ガイダル]]、アナトリー・チュバイスの急進的[[資本主義]]化は、急激な価格自由化がハイパー[[インフレーション|インフレ]]を招き、[[年金]]生活者を中心に民衆が大打撃を受けたり、金融危機を招くなどロシア経済の混乱と国民の[[経済格差]]拡大を招いた。このような状況の中で台頭したのは[[国有財産]]であった[[企業]]を資本主義化の過程において廉価で手に入れたオリガルヒである。オリガルヒは莫大な資産を所有した上、国有財産を私物化するようになり、エリツィン[[政権]]との癒着によって政治的影響力を強めていった。こうした癒着は腐敗を生み、オリガルヒの納税回避により国家財政は危機に陥り[[ロシア連邦軍|軍]]の弱体化や金融危機の原因となった[[国債]]乱発を引き起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしエリツィンに首相として引立てられたKGB出身のプーチンが大統領になると、プーチンは警察・軍出身者の[[シロヴィキ]]を登用しオリガルヒと対決した。オリガルヒは所有するメディアでプーチンを攻撃したが、プーチンは脱税・横領などの捜査で[[ウラジーミル・グシンスキー]]や[[ミハイル・ホドルコフスキー]]といったオリガルヒを逮捕して制圧。恭順を誓った企業と和解し、恭順企業にメディアを支配させた。プーチンは企業の政治介入を排除し、恭順を誓ったオリガルヒに納税させ国家財政と崩壊寸前だったロシア軍を再建した。そして[[右派連合 (ロシア)|右派連合]]等オリガルヒ系政党を少数派に追いやり、与党・[[統一ロシア]]（前述の「統一」と「祖国・全ロシア」が合併して結成）に支持され[[権力]]を確立した。プーチン政権当初に首相を務めた[[ミハイル・カシヤノフ]]など、プーチン政権内のオリガルヒと密接な関係にあるとされた政治家も遠ざけ、代わってシロヴィキやプーチンと同郷のサンクトペテルブルク出身者（サンクト派）を重用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2期目（2004年～2008年） ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Putin talk 05 09 2005 v2.jpg|thumb|200px|[[2005年]]、[[クレムリン]]にて[[ロシアの首相|首相]]（当時）の[[ミハイル・フラトコフ]]（左）、[[連邦会議 (ロシア)|上院]]議長の[[セルゲイ・ミロノフ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 9 January 2007-2.jpg|thumb|200px|[[2007年]]、クレムリンにて閣議を行うプーチン]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin, Klaus Schwab - World Economic Forum Russia CEO Roundtable 2007.jpg|thumb|200px|2007年、[[世界経済フォーラム]]ロシア[[最高経営責任者|CEO]]円卓会議にて主宰の[[クラウス・シュワブ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 8 February 2008-4.jpg|thumb|200px|[[2008年]]、クレムリンで行われた国家評議会にて「[[2020年]]までの発展戦略」を発表するプーチン]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 2 March 2008-2.jpg|thumb|left|200px|2008年、[[2008年ロシア大統領選挙|大統領選]]に勝利した[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]（右）とともにロックコンサート会場で支持者の声援を受けるプーチン]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 15 April 2008-2.jpg|thumb|200px|2008年、第9回統一ロシア党大会にて拍手の中で立つプーチン]]&lt;br /&gt;
プーチンは2期目となる2004年の大統領選挙に70[[%]]以上の圧倒的な得票率で再選した。再選後、同年[[9月]]に[[ベスラン学校占拠事件]]が発生したことから、ロシアの国家統一の必要性を理由として、地方の知事を直接選挙から大統領による任命制に改め、より一層の中央集権化を進め、大統領権限を強化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロシア経済は原油価格の高騰に伴い2期目も実質GDP成長率で年6～8%台の成長（[[2004年]]{{ndash}}2007年）を続けた。ただしその多くがエネルギー資源に依存していたため、その経済構造を是正し、より一層の経済発展を達成することを目的として、プーチンは2005年7月に製造業とハイテク産業の拠点とするための[[経済特区]]を設置する連邦法に署名した。それによって同年12月に6箇所の経済特区が設けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ロシア政府は2005年に[[国際通貨基金]]（IMF）からの債務、[[2006年]]に[[パリクラブ]]からの債務を完済し、ロシア経済は安定して国際的な信用を取り戻した。この対外債務返済に大きく貢献したのが2004年に創設した[[ソブリン・ウエルス・ファンド|政府系ファンド]]の「[[ロシア連邦安定資金|安定化基金]]」である。この基金は原油価格下落のリスクに備えるのを目的とし、原油の輸出[[関税]]と採掘税の税収を原油価格の高いときに基金に繰り入れ、資金を積み立てる構造になっていたが、この基金を利用することにより対外債務が返済された。その後2008年に安定化基金は原資となる税収に天然ガスと石油製品の輸出関税と[[天然ガス]]の採掘税を追加した上で「準備基金」と「国民福祉基金」に分割された。前者は従来のように原油価格下落時の対応を目的とし、後者は年金支払いの補充など国民福祉向上のために使われることを目的としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも依然として多くのロシア国民（2009年の時点で6人にひとりとも）が最低生活水準を下回る生活をしていることや、[[死亡率]]の高さにより[[人口]]が減少傾向にあることを憂慮し、2005年[[10月]]に「優先的国家プロジェクト」を大統領令によって立ち上げた。これは保健・教育・住宅建設・農業の4分野で改革を行って社会基盤を整備し、生活水準向上を目指す計画である。具体的には、このプロジェクトに沿って、保健分野では子育て支援や医師と看護師の給料増額など、教育分野では新大学の設立や奨学金制度の確立など、住宅分野では[[住宅ローン]]の規模拡大や住宅建設への融資など、農業分野では若い農業専門家に対する住宅の保障などが計画された。このプロジェクトを推進するため、大統領府長官の[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]を同年11月に第一副首相に任命した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしプーチン政権の2期目は、経済成長の達成の裏で、その政治手法が強権的・[[独裁]]的だとして欧米諸国から強い非難を浴びることになる。オリガルヒが逮捕・投獄された後にオリガルヒが所有していた天然資源会社を政府の強い影響下に置いたことは大きな波紋を呼んだ。前述のように、[[2003年]]に[[ユコス]]社の社長ミハイル・ホドルコフスキーが逮捕された後、ユコス社は脱税による追徴課税が祟って2006年[[8月1日]]に破産に追い込まれ、2007年[[5月3日]]に資産が競売により国営企業の[[ロスネフチ]]に落札された。だがこのような手法は、オリガルヒに膨大な富が集中したことに対して不満を持っていたロシア国民から支持を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、プーチン政権を批判していた人物が次々と不審な死を遂げ、ロシア政府による暗殺説が浮上したことも、欧米諸国にマイナスイメージを持たれる一因になった。2006年10月、反プーチンのロシア人女性[[ジャーナリスト]]の[[アンナ・ポリトコフスカヤ]]が、自宅アパート内にてルスタム・マフムドフによって射殺された。この事件にはロシア政府による何らかの関与があったとする見方がある。一方、プーチンはこの事件を「恐ろしく残酷な犯罪」としたうえで、「犯人が罰せられないことがあってはならない」と述べた。なお、この事件は2008年6月に容疑者4人が起訴され、捜査の終了が発表された。この事件のほか、プーチンを批判して[[イギリス]]に亡命し写真が公開されたKGB・FSBの元職員[[アレクサンドル・リトビネンコ]]が2006年11月に死亡している。死亡原因として、「多量の放射能物質[[ポロニウム]]を食事などに混合されて摂取したため」とイギリス警察が発表し、[[トニー・ブレア]]首相（当時）がロシア政府に対し協議したいと要望した。FSBによる暗殺だとする説も浮上した。イギリス政府内では、ロシア政府による暗殺との見方が強い。イギリス警察当局は、この事件で主犯とされる旧KGB元職員アンドレイ・ルゴボイ容疑者と実業家のドミトリー・コフトゥン容疑者の身柄引き渡しをロシア政府に求めた。ロシア側はこれに対し身柄引き渡しを拒否した。さらに、2007年[[6月21日]]にはイギリスに[[亡命]]したオリガルヒである[[ボリス・ベレゾフスキー]]への暗殺計画が発覚し、その容疑者がロシアに強制送還される事件が起こっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロシアの大統領は連続3選が憲法により禁止されているため、大統領退任後の去就が注目されていたが、2007年10月に開かれた与党・統一ロシアの第8回党大会で、大統領退任後は首相に就任して政界にとどまることに意欲を示した。 同年[[12月2日]]に行われた[[2007年ロシア下院選挙|ロシア下院選挙]]では統一ロシアの[[比例代表]]名簿第1位に記載され、同党の選挙大勝につながった。[[12月10日]]には後継として第一副首相のメドヴェージェフを指名し、[[2008年ロシア大統領選挙|2008年の大統領選挙]]で支持することを表明。2008年[[2月8日]]には「[[2020年]]までの発展戦略」を発表し、大統領退任後も政界にとどまる姿勢を見せた。この中でプーチンはエネルギー資源依存型経済から[[イノベーション]]主導型経済への移行と、そのための人的資本蓄積を教育改革と福祉の充実によって達成する必要性を説いている。同年3月、大統領選挙でプーチンが支持したメドヴェージェフが70%以上の得票を集め大勝した。同年[[4月15日]]の第9回統一ロシア党大会でプーチンは同党の党首に就任することを受諾した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 首相職（2008年～現在） ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 8 May 2008-1.jpg|thumb|left|200px|2008年、首相承認に先立ち、[[ドゥーマ|連邦議会下院]]で演説を行うプーチン]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Dmitry Medvedev 12 May 2008-3.jpg|thumb|200px|2008年、メドヴェージェフ、[[第2次ウラジーミル・プーチン内閣|第2次プーチン内閣]]の閣僚たちと]]&lt;br /&gt;
2008年5月7日に大統領を退任したが、新しく大統領となったメドヴェージェフによって首相に指名され、翌日[[ドゥーマ|連邦議会下院]]で承認された。承認の前に下院で行った演説では、年金・最低賃金の引き上げや免税、インフレ率の抑制に努め、ロシアが世界有数の国際[[金融センター]]になることを目標にすると発言し、近い将来にロシアがイギリスを凌ぐ経済大国になると予測した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相就任によりメドヴェージェフとの[[タンデム体制]]となったが、プーチンは大統領を退いた後も事実上最高権力者として影響力を行使していると見られる。[[5月15日]]には、首相が議長となる「政府幹部会」を設置した。この会には副首相だけでなく大統領が管轄する外相や国防相も参加し、事実上の最高意思決定機関となる。また2000年に制定していた連邦管区大統領全権代表は代表権を失って首相のコンサルタント的な地位になり、さらに大統領による任命制に改められていた地方の知事を国家公務員にして首相の管轄下に置いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[11月5日]]に大統領のメドヴェージェフが年次報告演説を行い、その中で大統領の任期を4年から6年に延長することを提案したため、プーチンの大統領復帰説が流れ始めた。同年[[11月20日]]の第10回統一ロシア党大会では[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融危機]]の対応に積極的な姿勢を見せ、[[外貨]]準備や前述の「準備基金」と「国民福祉基金」を利用して景気対策を行うことを提言した。また、「準備基金」からIMFに10億[[ドル]]（約950億円）を拠出する意向を示した。このような積極的な姿勢も、プーチンの大統領復帰説を強くする一因となった。プーチンは自身の大統領復帰説に対し、同年[[12月4日]]に行われた市民との[[タウンミーティング]]において、「[[2012年]]になれば分かる」として明言はしなかった。翌2009年には2012年の次期大統領選挙について出馬する最も強く示唆する発言を行い、経済危機にも関わらず、有権者の間ではプーチン首相の人気は絶大で政界に君臨し続けている。次期大統領の任期は6年となったため、2012年に就任すれば2024年まで就任が可能となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年1月30日、[[カリーニングラード]]にて、10,000人の市民が抗議集会を行った。 彼らは、「プーチンと彼の政府は違法行為と虚偽で出来ている」と主張した。この抗議には様々な団体が参加しており（多くの団体の旗が掲げられた）、「[[連帯 (ロシア)|連帯]]」、「[[ヤブロコ]]」、「[[ロシア連邦共産党]]」、「[[ロシア自由民主党]]」などが抗議に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]][[12月17日]]、プーチンは[[2015年]]までにロシア政府が使用するコンピュータのソフトウェア（[[オペレーティングシステム|OS]]を含む）を、[[フリーソフトウェア]]に置換するよう命じた。コンピュータのソフトウェアをアメリカの企業である[[マイクロソフト]]に依存している現状からの脱却を目指すものであるとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]][[9月24日]]、モスクワで開催された統一ロシアの党大会で2012年大統領選挙に立候補を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治姿勢 ==&lt;br /&gt;
=== 内政 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin with Alexei II-1.jpg|thumb|220px|2000年、[[救世主ハリストス大聖堂]]にて[[ロシア正教会]][[モスクワ総主教]]の[[アレクシイ2世]]（右）と]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 21 February 2001-2.jpg|thumb|220px|ロシア国内の宗教指導者達と。左から[[仏教]]、[[イスラーム]]、[[正教]]（[[アレクシイ2世]]）。（2001年2月）]]&lt;br /&gt;
プーチンは[[ソビエト連邦]]時代の「強いロシア」の再建を標榜しており、ロシアの伝統的政治手法として、国民の[[愛国心]]に訴え、政府に対する求心力を強化しようとする政治家として知られる。そのため、ロシア各地でネオナチと呼ばれる[[極右]]勢力の増大を招き、モスクワの市場ではアジア系商人を襲撃する事件が頻発するなど、極右勢力を増長させる原因を作ったとの批判もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他方、宗教を徹底的に弾圧したソ連時代とは一線を画し、[[ロシア正教会]]を保護してもいる。2007年のロシア正教会と[[在外ロシア正教会]]の和解を斡旋し、和解の[[聖体礼儀]]に出席もしてスピーチを行った。[[イスラーム]]に対してはロシア正教会ほどに結び付きはなく、[[チェチェン共和国|チェチェン]]ではイスラム[[原理主義]]武装勢力との対決姿勢を鮮明にしてもいるが、[[タタールスタン共和国|タタールスタン]]の[[カザン・クレムリン]]において巨大な[[モスク]]も再建した[[ミンチメル・シャイミーエフ|シャイミーエフ]]のような穏健的な存在とは協力関係を築くなど、硬軟織り交ぜた対応がみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プーチン政権は独裁色が強いとロシア国外のメディアで報じられることがある。[[ロシア情報公開擁護財団]]によると、ロシアでは1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡・もしくは行方不明となっており、プーチン政権がこれらの事件に関わっているのではないかとの疑惑が浮上している（この点に関して[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]は、ロシアではジャーナリストが不審な死を遂げる事件がエリツィン政権時代から頻発しており、いずれも真相が明らかにされていないため、政権の関与が疑われてしまうと発言している）。この件に関しては、国際社会でもチェチェン勢力への人権侵害と相まって非難されている。また、その圧倒的な支持を背景に自身の強いリーダーシップをもって中央集権化を推進するプーチンの姿勢は[[権威主義]]的であると言われ、「[[ツァーリ]]」と呼ばれることもある。しかし、[[タイム (雑誌)|TIME誌]]に「自由より先に秩序を選択した」とあるように、エリツィン政権で治安が悪化し経済も崩壊したロシア社会に強力な指導力で秩序と安定をもたらしたという見方もできる。プーチン自身は「法の独裁」という言葉を用いて、自らの立場をよく説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
==== アメリカ合衆国・ヨーロッパ ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Victory Day Parade 2005-26.jpg|thumb|200px|2005年、戦勝60周年記念式典にて各国首脳と。左から[[日本]][[内閣総理大臣|首相]]の[[小泉純一郎]]、[[フランス]][[フランスの大統領|大統領]]の[[ジャック・シラク]]、[[ドイツ]][[連邦首相 (ドイツ)|首相]]の[[ゲアハルト・シュレーダー]]、プーチン、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の[[ジョージ・W・ブッシュ]]（役職はすべて当時のもの）]]&lt;br /&gt;
[[2001年]][[9月11日]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]以来、プーチンは[[テロリズム|テロ]]との戦いにおいてアメリカとの協調姿勢を見せた。同時多発テロ後に[[アメリカ軍]]が[[アフガニスタン]]に[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|侵攻]]を行う際には、ロシア国内の保守派からの反発があったにもかかわらず、かつてソビエト連邦を構成していた中央アジア諸国にアメリカ軍を駐留させることを認めるなど、アメリカ軍への支援を行った。アメリカとの協調路線を選んだのは、ロシアもチェチェン勢力によるテロに悩ませられていたため、アメリカと協調して国際的なテロ包囲網を構築することでチェチェン勢力のテロ攻撃を封じ込もうとしたからであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし次第にプーチンはアメリカの一極支配に抵抗する構えを見せるようになる。2003年に勃発した[[イラク戦争]]においてロシアは戦争に反対してアメリカと距離をおき、同じく戦争慎重派の[[フランス]]・[[ドイツ]]との連携を強化した。2007年2月にドイツの[[ミュンヘン]]で行われた「ミュンヘン国防政策国際会議」では、アメリカの一極支配体制は受け入れられないだけでなく、その行動は紛争の解決手段にならず、むしろ人道的な悲劇や新たな緊張が生じる原因となっているとして、アメリカの一極支配体制を批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカが[[東ヨーロッパ]]諸国と接近して影響力を高めようとする行動には警戒感を示し、「アメリカにとっても東ヨーロッパ諸国にとっても良いことではない」と発言している。特に、アメリカが「[[イラン]]と[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]への対抗」として[[チェコ]]と[[ポーランド]]に[[ミサイル防衛]]（MD）システム配備を計画していることに対しては、このシステムが対ロシア用だという疑念を持ち、強い反発を示した。プーチンはこの代替案として[[アゼルバイジャン]]にあるロシアのレーダー施設の共同使用や、[[トルコ]]や[[イラク]]への配備を促したが、結局アメリカはチェコと2008年7月に、ポーランドと同年8月にMDシステム配備協定に調印した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bush&amp;amp;Putin33rdG8.jpg|thumb|left|150px|2007年、[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダムサミット]]にてアメリカ大統領（当時）のジョージ・W・ブッシュ（左）と]]&lt;br /&gt;
[[北大西洋条約機構]]（NATO）の東方拡大（東欧諸国と旧ソ連諸国に加盟国を拡大）については強く反発している。そのためプーチンは2007年4月の年次教書演説で、ヨーロッパ各国による通常兵器の配備の上限を定めた[[ヨーロッパ通常戦力条約]]をNATO諸国が批准していないことを理由に、同条約の履行を停止することを表明した。そしてプーチンは同年7月に履行停止の大統領令に署名し、上下院で採択された履行停止法案に同年11月署名した。2008年4月のNATO首脳との会談では欧米諸国が妥協した場合は再び同条約を履行する意思を示したが、NATOの東方拡大に対しては「ロシアにとっての直接的な脅威」だとして反対の姿勢を崩さなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロシアにとって[[欧州連合]]（EU）諸国は最大の貿易相手である。その中でプーチンは[[連邦首相 (ドイツ)|ドイツ首相]]だった[[ゲアハルト・シュレーダー]]との個人的な友好関係からドイツと緊密な関係を築いた。ドイツ首相が[[アンゲラ・メルケル]]と交代しても、ドイツとは「戦略的パートナーシップ」を維持している。しかしEU諸国とは[[コソボ]]の[[コソボ地位問題|地位問題]]等で意見の相違も見られる。アメリカとともにEU諸国が支持したコソボ独立には、[[セルビア]]に同調して独立に反対し、「コソボはセルビアの一部」だという立場を取っている。プーチンは、EU諸国やアメリカによるコソボ独立の承認について、長期間にわたって構築されてきた国際関係を崩壊に追い込む「恐ろしい前例」になると発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 旧ソ連諸国 ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir_Putin_and_Yulia_Tymoshenko-2.jpg|thumb|200px|2008年、[[ウクライナ]][[ウクライナの首相|首相]]の[[ユーリヤ・ティモシェンコ]]（左）と]]&lt;br /&gt;
旧ソビエト連邦の構成国だった[[グルジア]]で2003年に[[バラ革命]]、同じく構成国だった[[ウクライナ]]で2004年に[[オレンジ革命]]が発生し、以降両国がロシアよりもアメリカとの関係を重視するようになると、両国に対してプーチンは強硬な手段で臨むこともあった。ウクライナには、2006年[[1月]]に天然ガス価格を引上げを表明し、これを拒否したウクライナへの流量を減らすなどの強硬手段をとって[[ロシア・ウクライナガス紛争]]を引き起こした。グルジアには、2008年[[8月7日]]にグルジアが同国自治州の[[南オセチア]]に侵攻したことに対し、南オセチアの独立を支持する立場から「報復」を宣言し、翌[[8月8日]]、ロシア軍を派遣して南オセチアに軍事介入を行った。グルジアの侵攻の原因については同年[[8月28日]]に米テレビ局[[CNN]]とのインタビューで「[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙|2008年の大統領選]]で共和党候補者の[[ジョン・マケイン]]を優位にするために[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]]政権がわざと起こしたものだ」として、アメリカのブッシュ政権を厳しく非難している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アジア太平洋 ====&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin at APEC Summit in Vietnam 18-19 November 2006-5.jpg|thumb|200px|2006年11月の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議にて、日本の首相（当時）の[[安倍晋三]]（左）と]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Putin and Hu Jintao Joint Declaration 2007.jpg|200px|thumb|2007年、[[中華人民共和国]][[中華人民共和国主席|国家主席]]の[[胡錦濤]]（左）と]]&lt;br /&gt;
日本の[[北方領土問題|北方領土]]返還要求に対しては、北方領土問題を解決して日露[[平和条約]]を締結することに意欲的な姿勢を示しているが、基本的に[[日ソ共同宣言]]を根拠に[[二島返還論|二島返還]]の立場を取っている。2001年には日本の首相（当時）の[[森喜朗]]とともに「イルクーツク声明」を出し、同宣言が北方領土返還交渉の出発点であることを確認した。しかし2005年の来日時前のロシア国内向けテレビ番組に出演した際には「北方領土の[[主権]]が現在ロシアにあることは[[国際法]]で確立され、[[第二次世界大戦]]の結果であるので、この点については交渉するつもりはない」と発言し、強硬な態度を示している。なお、来日時には日ソ共同宣言に基づき、二島を返還することで日本側を説得しようとした。その後も北方領土問題の解決と平和条約締結に意欲を見せるものの、問題が解決に至らないのは日ソ共同宣言を履行しない日本側の責任であるとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦略的には投資誘致や天然資源の輸出先として日本市場を重視し、2005年の来日時には100人以上の財界人を引き連れて日本側に投資の促進を訴えた。また[[自衛隊]]とロシア連邦軍の救難訓練も毎年行われるようになった。しかしアメリカへの対抗上[[中華人民共和国]]との提携をより重視した。2005年には[[上海協力機構]]に加盟し、[[中国人民解放軍]]と合同で[[軍事演習]]を行うなど関係強化も図っている。[[中ソ国境紛争|中露国境問題]]も中華人民共和国に譲歩する形で解決した。また[[シベリア]]のガスパイプライン建設でも日本ルートと中華人民共和国ルートの駆け引きが続いていたが、この問題も結局、日本向けの[[パイプライン輸送|パイプライン]]の着工の目処が立たないまま、「中国支線」と呼ばれる[[スコボロジノ]]・[[大慶市|大慶]]間のパイプラインが先に建設されることが決定された。一方で、こうした親中的な外交政策にも関わらず、[[中国共産党]]の認識である「一つの中国」に反するような、[[台湾]]を[[国家]]として認める発言が報じられもした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安全保障 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Akhmad Kadyrov and Vladimir Putin.jpg|thumb|200px|[[2002年]]、[[チェチェン共和国]]大統領（当時）の[[アフマド・カディロフ]]（左）と]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin Cockpit TU-160 Bomber.jpg|thumb|left|200px|2005年、長距離[[戦略爆撃機]]・[[Tu-160 (航空機)|tu-160]]に搭乗するプーチン]]&lt;br /&gt;
就任直後から[[チェチェン人]]の武装集団によってロシアの主要都市へテロが頻発すると、これを口実にチェチェンへの武力侵攻を強化した。ロシア軍はチェチェン各地で殺戮・[[強姦]]などの人権侵害を行い、これが更なるテロを誘発する原因となった。[[2002年]]の[[モスクワ劇場占拠事件]]では、立て籠もるテロリストを鎮圧するために[[KOLOKOL-1|有毒ガス]]の使用を許可した。その結果テロは鎮圧されたが、人質の市民も巻き添えとなり、100名を超える市民が死亡する惨事となってしまった。2006年に首謀者である[[シャミル・バサエフ]]をロシア特務機関が殺害してからチェチェン情勢は一応の安定を見せているものの、今でもチェチェン独立派の犯行と見られる小規模なテロが頻発している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように独立派に対しては武力を以って制する一方、第二次チェチェン紛争時には[[イスラム原理主義]]の浸透に反感を抱く[[アフマド・カディロフ]]等の帰順に成功し、彼らの[[民兵|不正規部隊]]をロシア連邦軍や[[ロシア内務省|内務省]]の指揮下にある[[ロシア国内軍]]などの正規軍に編入している&amp;lt;ref&amp;gt;ロシア連邦軍の指揮下にある[[ヴォストーク大隊]]と[[ザーパド大隊]]、ロシア国内軍の指揮下にある[[セーヴェル大隊]]と[[ユーク大隊]]がある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年[[1月]]まで投降者には刑事訴追の免除等の[[恩赦]]が約束されていた。また有力者には行政府の地位やロスネフチの子会社であるグロズネフチを通して利権が振舞われており、「[[飴と鞭|アメとムチ]]」を使い分けていると言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[8月]]に、[[1992年]]以来中断してきた長距離[[戦略爆撃機]]によるロシア国外への常時警戒飛行をロシアが再開していたことを初めてプーチン自身が公式に上海協力機構の軍事演習会場[[チェリャビンスク]]（Chelyabinsk）で発言することにより明らかになった。&lt;br /&gt;
これは、同年[[8月17日]][[イギリス空軍]]所属の[[ユーロファイター タイフーン]]がロシアの長距離爆撃機を北大西洋上で捕捉したことと符合する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
その経歴から、「冷酷な性格」や「粗野」という批評を受けることが多いが、ロシア国内ではメディアを通じて非常に紳士的な姿勢をアピールしており、ロシア国民からの人気もきわめて高い。しかし日本では「冷酷な紳士」で、尚且つ「有能な元工作員」と言う、スパイ映画などにおける定番のKGB職員のイメージで見られることが多い。&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 4 July 2007-5.jpg|thumb|150px|2007年、[[グアテマラ]]で行われた[[国際オリンピック委員会]]の総会にて[[英語]]でスピーチをし、[[ソチオリンピック]]誘致を訴えるプーチン]]&lt;br /&gt;
=== 人物像 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin 8 October 2001-1.jpg|thumb|left|150px|[[ミハイル・ゴルバチョフ]]（左）と（[[2001年]][[10月]]）]]&lt;br /&gt;
サンクトペテルブルク市の職員時代にともに働いていたサプチャークや[[ドミトリー・コザク]]によれば、プーチンは礼儀正しく、遠慮深く、落ち着いた人物であったという。また、権力欲がなく、地位よりも仕事を重視し、仕事一筋に生きるタイプであると見られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カメラの前では無表情を振舞っているが、実は取り留めないほどの冗談好きである。諜報員時代の上司から「お前は冷静すぎる」と言われたことがあるのだが、この逸話もプーチン自身にかかると「本当は『お前のようなおしゃべりはシュピオン（スパイ）には向かない』と言われたんです」になってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
KGB時代、東ドイツに派遣されたためドイツ語に堪能であることはよく知られているが、大統領任期期間中に[[英語]]の勉強を本格的に始めており、現在では各国首脳とも英語で会話している光景が見られる。2007年の[[国際オリンピック委員会]]の総会でも、[[ソチオリンピック]]誘致のために英語でスピーチを披露した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エリツィンに抜擢されたのでエリツィン派だったと思われているが、むしろ政治家としてはゴルバチョフに敬意を表している。しかし、ゴルバチョフに師事したことはなく、サプチャークからの間接的な影響だと思われる。サンクトペテルブルク時代に仕えた市長（当時）のサプチャークは、プーチンが学生時代に指導をうけた恩師でもあり、生涯の尊敬と忠誠を捧げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴史上の人物で尊敬するのは[[ピョートル1世]]と[[エカチェリーナ2世|エカテリーナ2世]]。また、外国の政治家で興味があるのは[[ナポレオン・ボナパルト]]、[[シャルル・ド・ゴール]]、[[ルートヴィヒ・エアハルト]]であるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家族 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lyudmila Putin favourite photo.jpg|130px|thumb|プーチンが「最も気に入っている」という妻リュドミラの写真]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチンの娘.jpg|350px|thumb|left|右がプーチンの次女]]&lt;br /&gt;
家族は妻と2人の娘がいる。妻の[[リュドミラ・プーチナ]]は元[[客室乗務員]]で、その後レニングラード大学で[[文献学]]を専攻する学生となり、[[1983年]][[7月28日]]にプーチンと結婚。[[1985年]]に長女マリーヤ、[[1986年]]には[[ドレスデン]]で次女カテリーナが生まれている。ロシア大衆紙『[[モスコフスキー・コムソモーレツ]]』（電子版2005年[[8月4日]]）によると、2人は姉妹そろって父と母の母校であるサンクトペテルブルク大学（旧レニングラード大学）に合格し、マリーヤは[[生物土壌学]]、カテリーナは[[日本史]]を専攻することになると報じた。また、マリーヤは2005年3月[[ギリシャ]]で結婚式を挙げた。結婚相手は明らかにされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 私生活 ===&lt;br /&gt;
釣りを趣味とし、[[競馬]]のファンでもある。[[煙草]]は吸わず、[[酒]]もほとんど飲まない。また、[[犬]]好きで、自身も[[ラブラドール・レトリーバー]]を飼っている。その愛犬は「[[コニー (犬)|コニー]]」という名前であり、徹夜でお産の世話をしたこともある。愛犬家だということもあってか、2003年5月の日露首脳会談では、当時の首相であった[[小泉純一郎]]から犬語翻訳機「[[バウリンガル]]」を贈られている。2008年10月には副首相の[[セルゲイ・イワノフ]]からコニー用にロシアの[[衛星測位システム]]である[[GLONASS]]（グロナス）の受信機がついた首輪を贈られ、コニーにその首輪が装着された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 格闘技 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Putin in judo uniform.jpg|thumb|left|150px|[[柔道#柔道と空手道の道衣|柔道着]]姿のプーチン]]&lt;br /&gt;
11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ロシア大学選手権に優勝、[[1976年]]には柔道のレニングラード市大会でも優勝した。政治家には珍しい逞しい肉体や戦闘技術を保有していることから、インターネット上では一部でカルト的な人気を博しており、自国ロシアのメディアも2008年[[8月31日]]に「研究者らによる野生の[[トラ]]の監視方法を視察するため国立公園を訪問していた際、カメラマンに向かって走ってきたトラにプーチンが麻酔銃を撃ってカメラマンを救出した」などと報じるほど、ことさら超人的なイメージが前面に打ち出されている。なお、プーチンの身長は168cmとの事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柔道について「柔道は単なるスポーツではない。柔道は[[哲学]]だ」と語っている。また、少年時代は喧嘩ばかりしている不良少年だったが、柔道と出会ってその生活態度が改まったと述懐している。大統領になってからも、大統領以前に書いた『Учимся дзюдо с Владимиром Путиным （プーチンと学ぶ柔道）』という本を出版しており、その中で[[嘉納治五郎]]、[[山下泰裕]]、[[姿三四郎]]を柔道家として尊敬していると記している。得意技は[[払腰]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin in Japan 3-5 September 2000-23.jpg|thumb|200px|2000年、日本を訪問した際に[[講道館]]で柔道の技の型を演武するプーチン]]&lt;br /&gt;
2000年7月の[[第26回主要国首脳会議|九州・沖縄サミット]]では[[沖縄県]][[具志川市]]（現・[[うるま市]]）を訪問し、柔道の練習に飛び入り参加。掛かり稽古（お互いが交互に投げる練習形式）を行い、相手の中学生を投げたあとに、今度は同じ相手に投げられるというパフォーマンスを披露した。中学生は大統領相手にためらったが、プーチンに促されて投げたという。投げられるプーチンの姿は印象的で、その写真や映像は世界中に報道された。警備員や[[セキュリティポリス|SP]]は稽古とはいえ大統領が投げさせるとは考えられなかったようで、非常に驚いたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年9月の来日時には、講道館で技の型を首相の森喜朗（当時）に演武した。またこの際に講道館より柔道六段の名誉段位贈呈を提示されたが「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」と述べて丁重に辞退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名前 ==&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン1.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
プーチンは元KGB情報部員であり、その過去についても不明な点が多く、首相就任時には影の薄かった彼が大統領に就任した時は、その謎に包まれた経歴から[[ロシア帝国|帝政ロシア]]末期の怪僧「[[グリゴリー・ラスプーチン|ラスプーチン]]」に引っかけられ、'''「ラス・プーチン」'''と揶揄されたことがある。ただし、プーチンという姓はロシア語で[[道路|道]]を意味するプーチを思わせ、ラスプーチンのラスは（さまざまな意味があるがその1つとして）「逆」という意味があるため、ロシア人のあいだでは、プーチンは「道」、ラスプーチンは「道がない」という逆の意味だと、好意的に捉える者もいる。また、天然ガスなどの[[資源ナショナリズム|資源外交]]を行うことから、同じくラスプーチンと引っ掛けて'''「ガスプーチン」'''と揶揄されたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 暗殺未遂 ==&lt;br /&gt;
プーチンに対しては、明らかになっているだけで過去4度[[暗殺]]が試みられたが、いずれも未然に阻止されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
# 2000年[[2月24日]] - サンクトペテルブルクでのアナトリー・サプチャークの葬式時。[[ロシア連邦警護庁]]（FSO）によれば、チェチェン独立派が背後に立つ某組織が計画した。「標準より際立った保安措置」により計画は阻止された。&lt;br /&gt;
# 2000年[[8月18日]]～[[8月19日|19日]] - [[ヤルタ]]での非公式の[[独立国家共同体|CIS]][[サミット]]時。国外より情報がもたらされ、チェチェン人4人とアラブ人数人が拘束された。&lt;br /&gt;
# 2002年[[1月9日]]～[[1月10日|10日]] - アゼルバイジャン、[[バクー]]の公式訪問時。[[アゼルバイジャン国家保安省]]により阻止。アフガニスタンで訓練を受け、チェチェン独立派と関係を有する[[イラク]]人、キャナン・ロスタムが逮捕され、懲役10年を言い渡された。&lt;br /&gt;
# 2008年[[3月2日]] - モスクワでのロシア大統領選当日。ロシア連邦保安庁（FSB）が察知し、直前に阻止した。現場からは[[小銃|ライフル銃]]や[[AK-47|カラシニコフ銃]]などが発見され、[[タジク人]]1名が逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言一覧 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Vladimir Putin beefcake-2.jpg|150px|thumb|2007年、[[エニセイ川]]上流で釣りをするプーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン7.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン8.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
* 「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」（1999年、チェチェン武装勢力に関して）&lt;br /&gt;
**「たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる」（さらに別の場面で）&lt;br /&gt;
* 「ソ連が恋しくない者には心（心臓）がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」（2000年）&lt;br /&gt;
* 「日本は、不倫や[[近親相姦]]を題材とした小説を紙幣に印刷して流通させるほど社会が堕落したのか」（2000年7月、[[第26回主要国首脳会議|九州・沖縄サミット]]で[[内閣総理大臣|日本の首相]]の[[森喜朗]]が[[二千円紙幣]]を各国首脳に配布した時に）&lt;br /&gt;
* 「あれは沈んだ」（2000年9月、[[オスカー級原子力潜水艦#クルスク沈没事故と余波|ロシアの原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件]]について）&lt;br /&gt;
* 「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」（2001年5月）&lt;br /&gt;
* 「もしあなたが[[イスラーム過激派|イスラム過激派]]になりたくて[[割礼]]が必要ならモスクワに招待する」 （2002年11月、「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して）&lt;br /&gt;
* 「（[[地球温暖化]]のおかげで）毛皮のコートを買う金も節約できる」（2003年9月、気候変動会議の開幕式で）&lt;br /&gt;
* 「国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい」（2004年6月、[[サッカー]][[UEFA欧州選手権|欧州選手権]]・[[サッカーロシア代表|ロシア]]対[[サッカースペイン代表|スペイン]]戦開始前の国歌斉唱で）&lt;br /&gt;
* 「謝罪は1回すれば十分だ」（2005年5月、第二次世界大戦の際にソ連とドイツが密約を交わしソ連の[[バルト三国]]併合を取り決めたことに対して）&lt;br /&gt;
* 「バルト三国はロシアの小銭」（2005年5月、ソ連によるバルト三国支配への批判に対して）&lt;br /&gt;
* 「（[[金正日]]は）国をよい方向に変化させたいと望んでいる」（2005年5月）&lt;br /&gt;
* 「我々が戦っている相手は残酷な連中、人間に化けた獣だ」 （2005年11月、チェチェン武装勢力に関して）&lt;br /&gt;
* 「かわいくてついやってしまった」（2006年7月、[[クレムリン]]宮殿の中庭で少年のシャツをめくって腹にキスするというスキャンダルを起こす。後にこう釈明）&lt;br /&gt;
* 「10人をレイプした強い男性でうらやましい」（2006年10月、[[イスラエル]]の大統領[[モシェ・カツァブ]]に関して。記者会見後、冗談のつもりで大統領府職員に語ったところ、偶然マイクの電源が切られておらず、声を拾われてしまう。後に報道官が釈明）&lt;br /&gt;
* 「引き渡しを憲法で禁じているのなら改正しろと英国は言う。これは[[植民地]]主義的な考え方だ。英国の連中は脳を入れ替える必要がある」（2007年7月、リトビネンコ毒殺事件の容疑者引き渡し要求に反論して）&lt;br /&gt;
* 「EUは恥を知れ！国際社会のルールに反する勝手は許されない」（2008年2月、コソボ独立に強く反対して）&lt;br /&gt;
* 「[[中世]]のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」（2008年3月、ロシア国内の汚職の横行に関して）&lt;br /&gt;
* 「医者を送り込んで始末しなければならない」（2008年7月、ロシアの[[石炭]]大手企業であるメチェル社による[[不当廉売|ダンピング]]と脱税疑惑に関して）&lt;br /&gt;
* 「[[睾丸]]を縛ってつるし上げてやる」（2008年8月、[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]の際、グルジアの大統領[[ミヘイル・サアカシュヴィリ]]へ向けて）&lt;br /&gt;
* 「[[サッダーム・フセイン|フセイン]]より重罪だ」（2008年12月、南オセチア紛争におけるサアカシュヴィリについて、グルジアによるロシア軍への先制攻撃や一般の[[オセット人]]の虐殺を理由に）&lt;br /&gt;
* 「どんな難しい問題でも友人同士の間では解決できると確信する」。&lt;br /&gt;
* 「君たちは自らの野心や未熟さ、強欲で数千人の住民を人質に取った。私が来る前にゴキブリのように走り回りながら、なぜだれも問題を解決できないのだ」（[[2009年]][[6月4日]]、労働争議が起きていた工場を訪れた際、工場所有者である[[オリガルヒ|新興財閥]]の[[オレグ・デリパスカ]]らに対して）&lt;br /&gt;
* 「まだ地上でやるべきことが多くある」（2009年[[8月1日]]、バイカル湖の水深約1400メートルの湖底を、有人潜水艇の中から視察した後、報道陣に「次は宇宙旅行ですか」と聞かれた際に返した言葉）&lt;br /&gt;
* 「テロリストは抹殺される」　（[[2010年]] [[3月29日]]、モスクワでの連続テロに対してビデオ会議にて）&lt;br /&gt;
* 「裏切り者はろくな死に方をしない。たいていは酒かクスリにおぼれてのたれ死にする」（[[2010年]][[7月24日]]、米露のスパイ交換で諜報員達と面会した際）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウクライナへの付きまといと侵攻==&lt;br /&gt;
就任時から善良な民主主義国家にあるウクライナに付きまといを行ってきた。この時点で人間として生きる価値は皆無と言えよう。2014年にはクリミアに侵攻する悪態をついた。この時点でヒトラーレベルの独裁者である事はわかっていた。だが、2022年2月24日、ウクライナの国土全域に侵攻した。これによってヒトラーを大きく上回る'''超極悪独裁者'''である事が露呈した。&lt;br /&gt;
'''民主的な西側国家に侵攻するのはかなり悪い事だ。ロシア自体他国に侵攻された過去があるのによく言うは。父が戦争で苦しんだ癖に他国に戦争を仕向けるのは人間として生きる資質は全く無いのだ。'''&lt;br /&gt;
侵攻して以降、反戦を取り締まる法律を作って国を硬直化しようとしている。ロシアを破滅に追い込むだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後ロシアがどうなるかが見ものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際、プーチンと関係が深い人は[[安倍晋三]]が暗殺されており、[[ドナルド・トランプ]]が暗殺未遂に遭っており、[[山下泰裕]]は転倒して頸椎を損傷しリハビリ中であり、不運にあっているがプーチン本人も不運に遭うだろう。上記通り暗殺未遂に遭っており、ゆくゆくは暗殺されるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まさに[[Tc79929]]そのもので☁である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==プーチンに与えられた称号==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*蛆虫格破綻者　&lt;br /&gt;
*[[バカ]]&lt;br /&gt;
*[[アホ]]&lt;br /&gt;
*[[この野郎]]&lt;br /&gt;
*[[卑怯者]]　&lt;br /&gt;
*[[童貞|生涯童貞]]&lt;br /&gt;
*[[ネット弁慶]]&lt;br /&gt;
*[[蛆虫]]&lt;br /&gt;
*[[くたばれ]]&lt;br /&gt;
*[[チンカス]]&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[サイコパス]]&lt;br /&gt;
*[[精神分裂病]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[統合失調症]]&lt;br /&gt;
*[[死ね]]&lt;br /&gt;
*[[マヌケ]]&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[シゾフレニア]]&lt;br /&gt;
*社会のゴミ&lt;br /&gt;
*[[穀つぶし]]&lt;br /&gt;
*[[白痴]]&lt;br /&gt;
*[[ド低能]]&lt;br /&gt;
*腐れ脳みそ&lt;br /&gt;
*[[売国奴]]&lt;br /&gt;
*[[売国野郎]]&lt;br /&gt;
*[[非国民]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[馬鹿野郎]]&lt;br /&gt;
*国賊&lt;br /&gt;
*クズ&lt;br /&gt;
*役立たず&lt;br /&gt;
*[[ケフカ]]&lt;br /&gt;
*[[キモヲタ]]&lt;br /&gt;
*[[偽善者]]&lt;br /&gt;
*[[嫌ウクライナ厨]]&lt;br /&gt;
*[[ニート右翼]]&lt;br /&gt;
*[[万年ニート]]&lt;br /&gt;
*[[産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[人権屋]]&lt;br /&gt;
*[[糞]]&lt;br /&gt;
*[[糞野郎]]&lt;br /&gt;
*[[腐れ外道]]&lt;br /&gt;
*[[酸素の無駄遣い]]&lt;br /&gt;
*[[公害]]&lt;br /&gt;
*[[寄生虫]]&lt;br /&gt;
*[[害虫]]&lt;br /&gt;
*[[ダニ]]&lt;br /&gt;
*[[虱]]&lt;br /&gt;
*[[回虫]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[精神異常者]]&lt;br /&gt;
*[[知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
*[[ボウフラ]]&lt;br /&gt;
*[[勝木諒]]&lt;br /&gt;
*[[真性包茎]]&lt;br /&gt;
*[[毒虫]]&lt;br /&gt;
*[[自宅警備員]]&lt;br /&gt;
*[[脳が不自由]]&lt;br /&gt;
*[[崔吉竜]]&lt;br /&gt;
*[[死刑囚]]候補&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
*[[厨房]]&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教|オウム]]工作員&lt;br /&gt;
*[[創価]]の手先&lt;br /&gt;
*[[加藤智大]]&lt;br /&gt;
*[[TBS]]工作員&lt;br /&gt;
*[[幼稚園児]]以下&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[池沼]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮の将軍様]]&lt;br /&gt;
*[[北朝鮮以下]]&lt;br /&gt;
*[[ロシア]]の恥さらし&lt;br /&gt;
*[[無能大統領]]&lt;br /&gt;
*[[大統領野郎]]&lt;br /&gt;
*[[ハエたたき]]&lt;br /&gt;
*[[池沼 (150.7.242.14)|腐った生ゴミ]]&lt;br /&gt;
*[[クソ虫]]&lt;br /&gt;
*[[暇蛆]]&lt;br /&gt;
*[[大便]]&lt;br /&gt;
*[[汚物]]&lt;br /&gt;
*[[恒心教教祖]]&lt;br /&gt;
*[[☁]]&lt;br /&gt;
|valign&amp;quot;top&amp;quot;|&lt;br /&gt;
*[[森谷辰也]]&lt;br /&gt;
*[[そ○や]]&lt;br /&gt;
*[[rxy]]&lt;br /&gt;
*[[裸の独裁者の親衛隊]]&lt;br /&gt;
*[[ダブスタ大好きマッチポンプ消防士]]&lt;br /&gt;
*[[ロシアのテドロス]]&lt;br /&gt;
*[[xyz系LTA]]&lt;br /&gt;
*[[炭鉱]]で働くべきニート&lt;br /&gt;
*[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]&lt;br /&gt;
*[[上級国民]]&lt;br /&gt;
*[[Tc79929]]&lt;br /&gt;
*[[ロシアのヒトラー]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年譜 ==&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン9.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン10.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン11.jpg|300px|thumb|プーチン]]&lt;br /&gt;
* [[1952年]] - レニングラード（[[サンクトペテルブルク]]）に生まれる。&lt;br /&gt;
* [[1975年]] - [[レニングラード大学]][[法学部]]を卒業し、[[ソ連国家保安委員会]]（KGB）に勤務。KGBレニングラード局第1課（人事課）に配属。&lt;br /&gt;
* [[1984年]] - [[対外情報アカデミー|KGB赤旗大学]]に入校。&lt;br /&gt;
* [[1985年]] - [[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に派遣。[[ドレスデン]]のソ独友好会館館長をカバーとして、ソ連人学生を監督。&lt;br /&gt;
* [[1990年]] - 故郷レニングラードに戻り、国際問題担当レニングラード大学学長補佐官。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]12月 - サンクトペテルブルク市対外関係委員会議長。&lt;br /&gt;
* [[1992年]] - 中佐の階級で予備役編入。サンクトペテルブルク市副市長。&lt;br /&gt;
* [[1994年]]3月 - サンクトペテルブルク市第一副市長。&lt;br /&gt;
* [[1996年]]6月 - [[ロシア大統領府]]総務局次長に就任し、中央政界に転じる。&lt;br /&gt;
* [[1997年]]3月 - ロシア大統領府監督総局長。&lt;br /&gt;
* [[1998年]]5月 - ロシア大統領府第一副長官。&lt;br /&gt;
* 1998年7月 - [[ロシア連邦保安庁]]（FSB）長官。&lt;br /&gt;
* [[1999年]]3月 - FSB長官と[[ロシア連邦安全保障会議]]書記を兼任。&lt;br /&gt;
* 1999年[[8月9日]] - エリツィン大統領により第一副首相に指名される（同日、ステパーシン首相が退陣したため、そのまま首相代行）。8月16日、[[ロシアの首相|首相]]。&lt;br /&gt;
* 1999年[[12月31日]] - 引退を宣言したエリツィンにより大統領代行に指名。&lt;br /&gt;
* [[2000年]][[3月26日]] - 過半数の得票を受け大統領に当選。&lt;br /&gt;
* [[2004年]][[2月24日]] - [[ミハイル・カシヤノフ]]内閣を総辞職させる。&lt;br /&gt;
* 2004年[[3月5日]] - [[ミハイル・フラトコフ]]を新首相に指名。&lt;br /&gt;
* 2004年[[3月14日]] - 大統領に再選。&lt;br /&gt;
* [[2005年]][[12月]] - ヨーロッパ柔道連盟名誉会長に就任。&lt;br /&gt;
* [[2007年]][[9月12日]] - 内閣を総辞職させ[[ヴィクトル・ズブコフ]]を新首相に指名。&lt;br /&gt;
* [[2008年]]4月 - [[ルードヴィ・ノーベル賞]]を受賞。&lt;br /&gt;
* [[5月7日]] - 大統領を退任。同日統一ロシア党首、翌日首相に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* ウラジミール・プーチン、ワシーリー・シェスタコフ、アレクセイ・レヴィツキー（共著） 『[[:ru:Учимся дзюдо с Владимиром Путиным|Учимся дзюдо с Владимиром Путиным]] （プーチンと学ぶ柔道）』　[[:ru:ОЛМА-ПРЕСС|ОЛМА-ПРЕСС]]（オルマ・プレス）、2002年1月 ISBN 522403325X 　（ロシア語の著書。[[ラテン文字化|ラテン文字転写の例]]；Uchimsia [[Judo|Dziudo]] S Vladimirom Putinym）&amp;lt;ref&amp;gt;この著書をベースにした[[DVD]]教材『Учимся [[Judo|дзюдо]] с Владимиром Путиным （プーチンと学ぶ柔道）』（ロシア最大のインターネットショッピングサイト（[[:ru:Ozon.ru|Ozon.ru]]）参照。ロシア語外部リンク： [http://www.ozon.ru/context/detail/id/4180651/ Internet-Shop Ozon.ru]）が、プーチン首相の誕生日の前日である2008年10月6日に発表された（「[http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081007/erp0810071020005-n1.htm プーチン首相が柔道DVD　背負い投げも披露]」 [[産経新聞|MSN産経ニュース]] モスクワ（写真は[[共同通信社]]）、2008年10月7日。&amp;quot;[http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/7658574.stm Learn judo with Vladimir Putin]&amp;quot; [[BBC]], Octorber 8, 2008. ※ BBCでは柔道家としてのプーチンの映像が見られる）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:※1.英訳では『[[Judo|JUDO]]』というタイトルで出版されている（[[:en:North Atlantic Books|North Atlantic Books]]、2003年2月 ISBN 1556434456）。&lt;br /&gt;
:※2.邦訳では原著を編集、抜粋して『プーチンと柔道の心』という題名で出版されている（[[朝日新聞出版]]、2009年5月 ISBN 4022505931）&amp;lt;ref&amp;gt;イーゴリ・アレクサンドロフによる原著の翻訳を、山下泰裕と[[小林和男 (ジャーナリスト)|小林和男]]が合同で編集、抜粋。原著の説明や大統領当時（2003年）のプーチンへのインタビュー、プーチンの柔道の師であるアナトーリー・ラフリンへのインタビューを合わせて収録。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連文献 ==&lt;br /&gt;
[[Image:プーチン12.jpg|350px|thumb|ウラジーミル・プーチン]]&lt;br /&gt;
* 中澤孝之 『エリツィンからプーチンへ』 東洋書店、2000年7月 ISBN 4885952972&lt;br /&gt;
* 西村拓也 『過去を消した男プーチンの正体』 [[小学館]]、2000年7月 ISBN 4094046119&lt;br /&gt;
* ナタリア・ゲヴォルクヤン、アンドレイ・コレスニコフ、ナタリア・チマコワ（共著） 『プーチン、自らを語る』  [[扶桑社]]、2000年8月 ISBN 4594029604&lt;br /&gt;
* ロイ・メドヴェージェフ 『プーチンの謎』 現代思潮新社、2000年8月 ISBN 4329004135&lt;br /&gt;
* 梅津和郎 『プーチンのロシア その産業と貿易』 [[晃洋書房]]、2000年9月 ISBN 4771011982&lt;br /&gt;
* [[袴田茂樹]] 『プーチンのロシア 法独裁への道』 [[エヌ・ティ・ティ出版|NTT出版]]、2000年10月 ISBN 4757120516&lt;br /&gt;
* [[木村汎]] 『プーチン主義とは何か』 [[角川書店]]、2000年12月 ISBN 404704010X&lt;br /&gt;
* 上野俊彦 『ポスト共産主義ロシアの政治 エリツィンからプーチンへ』 日本国際問題研究所、2001年7月 ISBN 4819303864&lt;br /&gt;
* 木村明生 『ロシア同時代史権力のドラマ ゴルバチョフからプーチンへ』 [[朝日新聞社]]、2002年2月 ISBN 402259795X&lt;br /&gt;
* 永綱憲悟 『大統領プーチンと現代ロシア政治』 東洋書店、2002年3月、ISBN 4885953804&lt;br /&gt;
* 徳永晴美 『ロシア・CIS南部の動乱 岐路に立つプーチン政権の試練』 清水弘文堂書房、2003年3月 ISBN 4879505617&lt;br /&gt;
* 木村汎、[[佐瀬昌盛]]（共編） 『プーチンの変貌? 9・11以後のロシア』 [[勉誠出版]]、2003年5月 ISBN 458505085X&lt;br /&gt;
* 山内聡彦 『ドキュメント・プーチンのロシア』 日本放送出版協会、2003年8月 ISBN 4140808098&lt;br /&gt;
* 池田元博 『プーチン』 [[新潮社]]&amp;lt;[[新潮新書]]&amp;gt;、2004年2月 ISBN 4106100541&lt;br /&gt;
* [[小林和男 (ジャーナリスト)|小林和男]] 『白兎で知るロシア ゴルバチョフからプーチンまで』 かまくら春秋社、2004年3月 ISBN 4774002577&lt;br /&gt;
* 江頭寛 『プーチンの帝国 ロシアは何を狙っているのか』 [[草思社]]、2004年6月 ISBN 4794213166&lt;br /&gt;
* [[中村逸郎]] 『帝政民主主義国家ロシア プーチンの時代』 [[岩波書店]]、2005年4月 ISBN 4000240137&lt;br /&gt;
* [[アンナ・ポリトコフスカヤ]] 『プーチニズム 報道されないロシアの現実』 [[日本放送出版協会]]、2005年6月 ISBN 4140810548&lt;br /&gt;
* エレーヌ・ブラン 『KGB帝国 ロシア・プーチン政権の闇』 [[創元社]]、2006年2月 ISBN 4422202634&lt;br /&gt;
* 加藤志津子 『市場経済移行期のロシア企業 ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンの時代』 文眞堂、2006年8月 ISBN 4830945532&lt;br /&gt;
* ロデリック・ライン、渡邊幸治、[[ストローブ・タルボット]]（共著） 『プーチンのロシア 21世紀を左右する地政学リスク』 [[日本経済新聞社]]、2006年11月 ISBN 4532352290&lt;br /&gt;
* 寺谷ひろみ 『暗殺国家ロシア リトヴィネンコ毒殺とプーチンの野望』 [[学研ホールディングス|学習研究社]]、2007年6月 ISBN 4054034586&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドル・リトビネンコ|アレクサンドル・リトヴィネンコ]]、ユーリー・フェリシチンスキー（共著） 『ロシア闇の戦争 プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く』 [[光文社]]、2007年6月 ISBN 4334961983&lt;br /&gt;
* 林克明 『プーチン政権の闇 チェチェン 戦争/独裁/要人暗殺』 [[高文研]]、2007年9月 ISBN 4874983901&lt;br /&gt;
* 木村汎 『プーチンのエネルギー戦略』 北星堂書店、2008年1月 ISBN 4590012359&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[プーチン主義]]([[:en:Putinism]])&lt;br /&gt;
* [[ナーシ]]&lt;br /&gt;
* [[2000年ロシア大統領選挙]]&lt;br /&gt;
* [[2004年ロシア大統領選挙]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.government.ru/content/ ロシア連邦政府] {{ru icon}}&lt;br /&gt;
* [http://www.premier.gov.ru/ ロシア連邦首相公式サイト] {{ru icon}}&lt;br /&gt;
* [http://premier.gov.ru/eng ロシア連邦首相公式サイト] {{en icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{Flagicon|RUS}} [[ロシアの首相|ロシア連邦首相]]&lt;br /&gt;
 | years = 第9代：2008 -&amp;lt;br/&amp;gt;第5代：1999 - 2000&lt;br /&gt;
 | before = [[ヴィクトル・ズブコフ]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[セルゲイ・ステパーシン]]&lt;br /&gt;
 | after = （現職）&amp;lt;br/&amp;gt;[[ミハイル・カシヤノフ]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{Flagicon|RUS}} [[ロシア連邦大統領]]&lt;br /&gt;
 | titlenote = 1999-2000年：代行&lt;br /&gt;
 | years = 第2代：2000 - 2008&lt;br /&gt;
 | before = [[ボリス・エリツィン]]&lt;br /&gt;
 | after = [[ドミートリー・メドヴェージェフ]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{Flagicon|RUS}} [[ロシア連邦安全保障会議|ロシア連邦安全保障会議書記]]&lt;br /&gt;
 | years = 第8代：1999&lt;br /&gt;
 | before = [[ニコライ・ボルジュジャ]]&lt;br /&gt;
 | after = [[セルゲイ・イワノフ]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{Flagicon|RUS}} [[ロシア連邦保安庁|ロシア連邦保安庁長官]]&lt;br /&gt;
 | years = 第4代：1998 - 1999&lt;br /&gt;
 | before = [[ニコライ・コヴァレフ]]&lt;br /&gt;
 | after = [[ニコライ・パトルシェフ]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{Flagicon|RUS}} [[ロシア大統領府|ロシア大統領府監督総局長]]&lt;br /&gt;
 | years = 第5代：1998 - 1999&lt;br /&gt;
 | before = [[アレクセイ・クドリン]]&lt;br /&gt;
 | after = [[ニコライ・パトルシェフ]]&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = [[ファイル:Flag of Saint Petersburg Russia.svg|22x20px]] [[サンクトペテルブルク|サンクトペテルブルク市]]&amp;lt;br/&amp;gt;対外関係委員会議長&lt;br /&gt;
 | years = 初代：1991 - 1996&lt;br /&gt;
 | before = （創設）&lt;br /&gt;
 | after = Gennadiy Tkachyov&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = {{URB}}&amp;lt;br/&amp;gt;閣僚評議会議長&lt;br /&gt;
 | years = 初代：2008 - &lt;br /&gt;
 | before = （創設）&lt;br /&gt;
 | after = （現職）&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = [[統一ロシア|統一ロシア党首]]&lt;br /&gt;
 | years = 2008 - &lt;br /&gt;
 | before = [[ボリス・グルイズロフ]]&lt;br /&gt;
 | after = （現職）&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
{{s-dip}}&lt;br /&gt;
 {{Succession box&lt;br /&gt;
 | title = [[主要国首脳会議|主要国首脳会議議長]]&lt;br /&gt;
 | years = 2006&lt;br /&gt;
 | before = [[トニー・ブレア]]&lt;br /&gt;
 | beforenote = イギリス&lt;br /&gt;
 | after = [[アンゲラ・メルケル]]&lt;br /&gt;
 | afternote = ドイツ連邦&lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ロシアの大統領}}&lt;br /&gt;
{{ロシアの首相}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふうちん うらしいみる}}&lt;br /&gt;
[[Category:ロシアの首相]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシアの大統領]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシアの政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシアの柔道家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1952年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:画像が多い記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:サンクトペテルブルク出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシアの正教徒]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アホ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408017</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-13T10:14:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 石崎伝蔵 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#***違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408016</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-13T09:59:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 曻地三郎 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====曻地三郎====&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408015</id>
		<title>日本の長寿者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408015"/>
				<updated>2024-07-13T09:58:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 石崎伝蔵 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#*誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===曻地三郎===&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408013</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-12T12:09:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 長生きした有名人 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===曻地三郎===&lt;br /&gt;
#しいのみ学園の創設者。&lt;br /&gt;
#106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<title>もし中国国民党が中国共産党に勝っていたら</title>
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				<updated>2024-07-12T10:21:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「==全般== #中国が韓国側に立って参戦するため、朝鮮戦争はもし朝鮮戦争が○○だったら#もし朝鮮戦争で韓国が勝っていたら|...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==全般==&lt;br /&gt;
#中国が韓国側に立って参戦するため、朝鮮戦争は[[もし朝鮮戦争が○○だったら#もし朝鮮戦争で韓国が勝っていたら|韓国側の一方的勝利]]に終わる。&lt;br /&gt;
#*そもそも朝鮮戦争が起こらない。&lt;br /&gt;
#**中国国内で、朝鮮戦争みたいな分断戦争が起きていた。そして、ソビエト連邦に近い旧満州国が、中華人民共和国になった。&lt;br /&gt;
#***この場合[[#満州に逃れた場合|こうなる。]]&lt;br /&gt;
#**ソ連側が面白くないと国境紛争を理由に侵攻するが、ソ連のぼろ負けで終わる。&lt;br /&gt;
#**朝鮮特需もなく高度経済成長も起きないため、日本では終戦直後の貧困状態がずっと続くことになる（昭和40年代の沖縄を想像していただきたい）。&lt;br /&gt;
#*共産中国も北朝鮮も無いとなれば、東アジアは現実の数十倍は平和だったってことだな。&lt;br /&gt;
#**中国・韓国（統一朝鮮）・日本で「東アジア連合」結成とか。&lt;br /&gt;
#***1960年頃に結成され、資本主義国家条約機構設立時にNATOやASEANと合体していた。&lt;br /&gt;
#**朝鮮戦争が起きないので、韓国は中国よりも遅いが日本と同時期に高度経済成長を遂げていた。&lt;br /&gt;
#***下手すれば日本の高度経済成長が韓国より遅れていた。この場合、ソウルオリンピックが1976年に、東京オリンピックが1988年に開催されていたかも。&lt;br /&gt;
#****この場合、日本は韓国よりも発展しておらず、技術力も中国どころか韓国よりも低く、日本がパクリ大国になっていた。&lt;br /&gt;
#*****そもそも朝鮮特需がなければ日本は戦前より貧しい農業国だったかも知れない。それならパクリ以上の独自の物を作れるはずがない。&lt;br /&gt;
#*****発展した中国資本の進出でそれなりに発展していたのでは？それこそ史実の中華人民共和国のような立ち位置。&lt;br /&gt;
#****在日朝鮮人ではなく在韓日本人がネタにされていた。&lt;br /&gt;
#****酷い場合、日本は農業国に転落していた。&lt;br /&gt;
#**北朝鮮がなく共産中国もないので、現実の北朝鮮に当たる地域は大発展していた。&lt;br /&gt;
#***これと同様に日本人から見た独裁者といえばヒトラーかスターリンか下記の虐殺数から見れば蒋介石となっていた。&lt;br /&gt;
#***史実では北朝鮮は国共内戦終結前の1948年に成立したが、国共内戦で国民党が共産党に勝っていたら、建国後すぐさま崩壊していた。&lt;br /&gt;
#***もし共産党の残党が大陸のどこか（満洲？）で国家設立していたら、そこが「東アジアの火薬庫」と呼ばれて北朝鮮的なポジだった。&lt;br /&gt;
#*よって東アジアでは冷戦の影響が国共内戦を除けば余りなかった。&lt;br /&gt;
#やっぱり抗日資料館が中国全土に建設されている。&lt;br /&gt;
#*意外と親日国家になったりして。&lt;br /&gt;
#**中共以外の中国語圏は[[OTAKU|オタク文化]]好きだったりするから、あり得る。&lt;br /&gt;
#*下記の尖閣諸島の領土問題や日清戦争敗戦、日中戦争の辛い記憶がある事から日本とロシアみたいな関係になっていた。&lt;br /&gt;
#*反日教育をやらないから、反日感情はそれほど強くなかった。&lt;br /&gt;
#**仮にあったとしても史実ほど歪んだことを叩き込ませてはいない。&lt;br /&gt;
#*日本の高度経済成長が中国より遅れたため、中華思想の存在から中国が日本を見下していた。&lt;br /&gt;
#*特定アジアという言葉はなかったかもしれない。&lt;br /&gt;
#**日本が向こうから特定アジアとみなされていた。&lt;br /&gt;
#今でも元号（民国○○年）が続いている。&lt;br /&gt;
#*民国n年は大正n年と一致するので、民国n年を大正n年と言い換える人も居ただろう。&lt;br /&gt;
#単に「民国」といえば[[韓国|大韓民国]]ではなく、中華民国のことを指していた。&lt;br /&gt;
#平均寿命は1950年頃に50歳だったのが1980年に72歳、2000年頃に79歳、2020年頃に84歳に伸びていた。&lt;br /&gt;
#教育に関しては識字率が1950年に40%だったのが、1980年に80%、2000年に99%に達し以降は横ばいなっていた。&lt;br /&gt;
#*並びにピンインは国語ローマ字に声調記号を使用した改良版で史実の国語注音符号第二式に近いものが用いられている。&lt;br /&gt;
#*注音記号も現在も中国大陸で用いられている。&lt;br /&gt;
#*繁体字が今でも使われていたら文盲率は1%どころじゃ済まないはず（史実でも繁体字を使っている台湾は、教育制度が確立された先進国の中では最も文盲率が高い）。&lt;br /&gt;
#宇宙開発については1960年代辺りに初の人工衛星打ち上げ、70年代辺りに有人宇宙飛行を成し遂げていた。&lt;br /&gt;
#*国際宇宙ステーションにも参加している。1980年代以降の覇権国家が中国になっていた場合、国際宇宙ステーションは中国が中心になっていた。&lt;br /&gt;
#**むしろ米国とソ連の宇宙開発競争がないため、宇宙開発が史実より進まなかったかも。&lt;br /&gt;
#***宇宙開発とナショナリズムが結び付くこともなかった。&lt;br /&gt;
#****とくにソ連が早く崩壊していた場合、軍事目的利用の意味も薄くなるため、予算を打ち切られていた可能性がある。&lt;br /&gt;
#*****宇宙よりも採算性が高く利益が上げやすい海底探索競争に移行していた可能性がある。史実よりも海底は潜水艦やロボットだらけになっており、資源を採掘しまくっていたかも。&lt;br /&gt;
#ここまでナショナリズムが沸騰してアメリカと対立して冷戦がアメリカvsソ連からアメリカvsソ連vs中国になる前提でいるが、国民党中国がアメリカと協力して国力がソ連を抜いた時点でアメリカと並んで西側陣営の中心となり、冷戦がアメリカvsソ連からアメリカ・中国vsソ連となる方の可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*また、国力がソ連を抜いた時点で西側陣営中に中国軍を駐留させるような協定をアメリカと結んで、中国にアメリカ軍を駐留させる事への見返りとしてアメリカに中国軍を駐留させていた。&lt;br /&gt;
#*そして国力がアメリカを抜いて冷戦が終結しソ連が崩壊した後の1986年にアメリカにとって代わって世界の覇権国家になっていた。&lt;br /&gt;
#**それと同時に中国軍が世界展開する代わりに、アメリカ軍が一部地域を除いて撤退していた。&lt;br /&gt;
#***日本にあるアメリカ軍基地も一部を除いて中国軍基地に転換していた。&lt;br /&gt;
#****上記通り、日華安保が結ばれていたら冷戦時代の日本ではアメリカ軍基地より中国軍基地の数が多くなっていた。&lt;br /&gt;
#*****無論、中国に近い九州や沖縄には多数の中国軍基地がある。&lt;br /&gt;
#****並びに中国軍のせいで反東京ジャイアニズムになる地域もあった。&lt;br /&gt;
#**1986年に世界の覇権国家が中国となった時点でNATOと東アジア連合とASEANを発展的解消し合体して、中国を中心国として上海に本部を置き日本や韓国も加盟する、資本主義国家条約機構（仮）が出来ていた。&lt;br /&gt;
#***それが'''上海協力機構（SCO）'''を名乗っていた。&lt;br /&gt;
#世界中で中国が好かれるようになっていた。&lt;br /&gt;
#*ならびに上記の高度経済成長があったら尚更。&lt;br /&gt;
#*逆に日本は好かれていなかった。下手すると反日国が増えていた。&lt;br /&gt;
#**上記通り反日教育をやらないため、中国は現実程反日ではないが、太平洋戦争で日本に侵略された辛い記憶がある東南アジアは現実の特定アジア程ではないが、反日になっていただろう。&lt;br /&gt;
#***日本がインフラを建設しなければパラオも史実ほど親日ではなかったかもしれない。&lt;br /&gt;
#**他にも太平洋戦争の交戦国であるアメリカやイギリスやソ連の後継のロシアも現実の特定アジア程ではないが反日になっていた。&lt;br /&gt;
#***この世界の中国の反日感情はこの世界の東南アジアやアメリカやイギリスやロシア並みだった。&lt;br /&gt;
#**下手すると日本は韓国並みに嫌われていた。&lt;br /&gt;
#**日本の戦争犯罪を追求しても共産圏をアシストすることにならないため、史実より西側陣営、欧米からの追求が厳しかったかも。&lt;br /&gt;
#***特に交戦していたアメリカが日本を援助することに消極的だった可能性がある。&lt;br /&gt;
#***朝鮮戦争がなければ自衛隊は設立されないため、今以上に米軍におんぶにだっこだった。おそらくパラオやミクロネシアのような自由連合（独自の軍隊は持てない代わりに米軍が防衛の全責任を負う）だっただろう。&lt;br /&gt;
#***これと上記の「高度経済成長が起きない」が組み合わさると、日本の国際的地位は今よりずっと低くなる。アメリカに潰されたという意味ではハワイ王国と大差ない評価だったかも（ハワイと違って名目上の国名は残るが、実質は植民地なので）。&lt;br /&gt;
#****「日本って知ってるか？」「ああ、そんな国あったな。確かプランテーション農業が盛んなんだろ？昔は大国だったみたいだけど」「そうだ。フィリピンやガーナのように、先進国民の食べ物をせっせと作ってる貧しい国だ」&lt;br /&gt;
#**親日反日という言葉自体が流行らなかったかも。&lt;br /&gt;
#***ドイツ同様今でも自虐史観教育が継続していて、それに異議を唱えたり反日扱いすることは許されなかったため。&lt;br /&gt;
#****これに加えて自衛隊も存在しない場合は、旭日旗は戦前の遺物「戦犯旗」とみなされてタブー視されていた。&lt;br /&gt;
#2003年のSARS並びに2020年のコロナウイルス感染症もなかった。&lt;br /&gt;
#*2020年の夏季五輪は大阪で実現していた。&lt;br /&gt;
#*仮にあったとしても政府の対応は現実よりうまくいっていただろう。&lt;br /&gt;
#*SARSはともかく、コロナは中共武漢研究所の作ったウイルスなんだから最初から無いでしょ。&lt;br /&gt;
#世界的に見て社会主義、共産主義並びにそれらの概念は現実よりも早く、1970年代に衰退していた。&lt;br /&gt;
#*1956年ハンガリー動乱は成功しました。&lt;br /&gt;
#*ペレストロイカやグラスノスチ、ソ連崩壊や東ヨーロッパの民主化、東西ドイツの統一は1970年代のうちに起こっていた。&lt;br /&gt;
#**恐らく東欧民主化やベルリンの壁崩壊や冷戦終結が1977年、東西ドイツの統一が1978年、ソ連崩壊が1979年に起きていた。&lt;br /&gt;
#***むしろベルリンの壁は建設すらされなかったかも。&lt;br /&gt;
#***どの道アフガニスタンのあのような惨状はなかった。&lt;br /&gt;
#****サハロフが軟禁される事もない。&lt;br /&gt;
#****2021年に中国がタリバンに資金援助してガニ政権が瓦解することも無かった。&lt;br /&gt;
#***モスクワでのオリンピックは今でも実現していない。&lt;br /&gt;
#****1980年のオリンピックはパリで開催されていた。&lt;br /&gt;
#*****資本主義の上海で開催だったかも。&lt;br /&gt;
#****ソ連はオリンピックを開催できないまま崩壊した。&lt;br /&gt;
#**北方領土の返還が実現していたかも。&lt;br /&gt;
#***北方領土のロシア人はソ連よりかはいい暮らしができると喜ぶ。&lt;br /&gt;
#**外満州は中国へ返還される。&lt;br /&gt;
#**現実よりロシアは弱体化していた。よってチェチェンやジョージアやウクライナへの侵攻もなかった。&lt;br /&gt;
#***北方領土の日本への返還や外満州の中国への返還どころかシベリアやチェチェンも独立し、この場合、資源が豊富ではなくなるため、ロシアは格段に弱体化していた。&lt;br /&gt;
#***主要国首脳会議のメンバーにならず、中国・日本・統一朝鮮・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの8カ国のG8になっていた。&lt;br /&gt;
#****この世界の日本はあまり発展していない新興国扱いなので入ってるわけがない。&lt;br /&gt;
#****辛うじてロシアはG20には入り、G8に次ぐ経済大国を築いていた。&lt;br /&gt;
#****この世界線で特にカナダが衰退する理由がないのでカナダを含むG9だったのではないだろうか。&lt;br /&gt;
#*****それともカナダの左傾化が進んで仮想敵国になっていた？&lt;br /&gt;
#*****モントリオール五輪がないので、カナダは現実程発展していなかった。&lt;br /&gt;
#******経済発展の結果として五輪開催が可能になることはあっても、五輪で発展するわけではないからカナダは関係ない。むしろ産業構造が競合するロシアの衰退はカナダにとってはチャンス。&lt;br /&gt;
#***議員内閣制や連邦構成主体が大きな権力を持つ連邦制が導入され、ロシアにも民主主義が根付いていた。&lt;br /&gt;
#****プーチンは2000年代初頭から20年以上に亘り首相に居る。&lt;br /&gt;
#*****70歳になる2022年を以って勇退し、メドベージェフに禅譲していたかも。&lt;br /&gt;
#****ロシアの政治体制はドイツに近くなっていた。&lt;br /&gt;
#***そもそも国名がロシアではなくモスコビアになっていた。むしろロシアはロシア帝国の領土を継承した旧ソ連並びにそれの大州の呼称になっていた。&lt;br /&gt;
#***軽武装までは行かないが、軍事に力を入れる事もないので、代わりに経済成長に力を入れ、世界の工場となり、「MADE IN MOSCOVIA」製品が世界を席巻していた。&lt;br /&gt;
#*フルシチョフは失脚しなかった。&lt;br /&gt;
#**ブレジネフは書記長になれず、ゴルバチョフはロシア連邦初代大統領になっていた。&lt;br /&gt;
#*毛沢東や周恩来が史実通り1976年に死去していた場合、毛沢東や周恩来の死去が冷戦終結期の一連の出来事の始まりとなっていた。&lt;br /&gt;
#**「あのう、毛沢東とか周恩来って、いったい誰？」（1976年当時の若者）「ああ、三十年ばかり前に、蒋総統にコテンパンにやっつけられた共産党のトップで、確かモスクワに亡命してたはずなんだけど、最近まで生きてたとはねえ！」（1976年当時の年配者）&lt;br /&gt;
#**晩年は溥儀（1967年歿）みたいなオワコン扱いだった。&lt;br /&gt;
#*アフリカに共産主義国家は誕生しなかったかもしれない。&lt;br /&gt;
#*史実の日本のように、中国が「アジア唯一の先進国」だったら中華思想をこじらせてアフリカをはじめとする途上国を蔑視していただろうから、史実の中華人民共和国のようなアフリカ支援を行っていなかったかもしれない。&lt;br /&gt;
#**あるいは（史実の一帯一路よりも酷い）援助とは名ばかりの事実上の朝貢だった。&lt;br /&gt;
#パンダは現実より早く日本に来ていた。&lt;br /&gt;
#*飼育する動物園も現実よりも多かった。&lt;br /&gt;
#*シフゾウも。&lt;br /&gt;
#サミットにも中国が入っていた。が代わりに日本が入っていなかった。&lt;br /&gt;
#*ただ、入るにしても蒋経国死去による民主化以降となっていた。&lt;br /&gt;
#故宮博物院が2つある状況になっていない。&lt;br /&gt;
#*台北の故宮博物院の貯蔵品も北京のそれに貯蔵されている。&lt;br /&gt;
#中国の海洋進出もなかったか、あっても大人しい形で行っていた。&lt;br /&gt;
#中国の略称としては「中」より「華」が一般的となっていた。&lt;br /&gt;
#*そのため日中戦争ではなく日華戦争の呼称が一般化していた。&lt;br /&gt;
#*そもそも中華民国は中華と呼ばれる事が多いため、中国の事を中華と呼ぶ事が増えていた。そのため[[中国地方]]との混同が減っていた。&lt;br /&gt;
#*日本風にアレンジされた中華料理と区別するために、本場風のそれを'''中国料理'''と呼ぶ用法はなかった。&lt;br /&gt;
#**むしろ中国より中華のほうが格式の高い言葉。&lt;br /&gt;
#中国における国共内戦の呼称は抗共戦争となっていた。&lt;br /&gt;
#*中国各地に抗共の名が入った地名や施設が多くできていた。&lt;br /&gt;
#**しかし、かつて大陸で共産主義が席巻していたことを知らない中国の若者は「抗共？何それおいしいの？」&lt;br /&gt;
#中華民国が大陸に居座るため、略称のROCが有名になっていた。&lt;br /&gt;
#*そのためロシア・オリンピック委員会の略称が変わっていた。&lt;br /&gt;
#**選手団はピョンチャンの時と同様OARと名乗る？&lt;br /&gt;
#**語順を変えてOCR？（それは文字認識ソフト）&lt;br /&gt;
#*そもそも2つの中国を区別する必要性がないので普通にChinaだと思う。Chinese TaipeiもChinese Hong Kongも全部China。&lt;br /&gt;
#古くから中国の長寿者は多く、人口を考えると現実の日本やアメリカ以上の世界一の長寿者大国になっていた。&lt;br /&gt;
#*中国の平均寿命は日本を抜き、史実の香港並みだった。&lt;br /&gt;
#朝鮮戦争やベトナム戦争やソ連のアフガン侵攻が起きないので20世紀後半以降の戦争が減り、第二次世界大戦後の世界は比較的平和になっていた。&lt;br /&gt;
#*場合によってはキューバ危機も起きなかった。&lt;br /&gt;
#*ソ連の後継のロシアも弱体化しているのでクリミア侵攻やウクライナ侵攻も起きなかった。&lt;br /&gt;
#結論として、現実の台湾を大きくした国になっていた。&lt;br /&gt;
#*上海の街並みはもっとごちゃついた感じで「東洋の魔都」のイメージ通りだった。&lt;br /&gt;
#**だからといって垢抜けないわけではなく、むしろ上海市民のファッションセンスは東京と並ぶアジアの最先端だった。&lt;br /&gt;
#**上海はむしろ香港みたいな感じだった。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--オチとして一番最後に--&amp;gt;&lt;br /&gt;
#こうなっていた方が全般的に良かった気がする。&lt;br /&gt;
#*日本も経済成長が遅れた分、失われた30年がないので総合的にもこの方が良かったと思う。&lt;br /&gt;
#**良いわけはないだろう。ひょっとしたら史実の中国並に「未富先老（成長しきらないうちに人口ボーナスが尽きる）」していたかも。&lt;br /&gt;
#**就職氷河期がなかったので、21世紀における日本社会もうまく回っていた。&lt;br /&gt;
#***いや、高度経済成長がないと終戦直後の貧困状態がずっと続いていて史実以上に格差や貧困が深刻である。&lt;br /&gt;
#**ひょっとしたら高度経済成長期は21世紀に入ってから、ベトナムやインドネシアとほぼ同時期だっかもしれない。&lt;br /&gt;
#***1964年が北京オリンピックで、2020年が東京オリンピックだった。&lt;br /&gt;
#***商業五輪自体がオワコン化しつつあった2020年が初開催だったら、やはり盛り上がりが足りなかったか？&lt;br /&gt;
#*社会主義や共産主義が衰退していたので、世界は現実の10倍平和になっていたと思う。&lt;br /&gt;
#**高校進学に関しても地元集中運動などがなかったので、競争原理が保たれていた。&lt;br /&gt;
#***1970年代以後の高校増設も現実ほどではなく、その分廃校も少なかった。&lt;br /&gt;
#****同時期に東京や大阪などであった革新政治もなかったので公共交通機関が現実よりも早く整備されていた。&lt;br /&gt;
#*****2000年以降の新自由主義を先取りする課題が1970年代にすでに起きていた。&lt;br /&gt;
#*****しかし共産勢力に対抗する目的の右傾化も起きないため、GHQが作った左翼的な法律が残ってしまい、史実の革新政治と変わらなくなる。&lt;br /&gt;
#****その分1970～90年代における高校進学率は現実より下がっていたかも。&lt;br /&gt;
#*****現実で公立高校に進学できていた者でも私学に進学せざるを得なかったケースも出ていた。&lt;br /&gt;
#******史実では私立高校がほとんど存在しない地方が何県もあるが、そうした地域にも私立高校ができていたかも。&lt;br /&gt;
#*******あくまでも滑り止めとしてね。&lt;br /&gt;
#*******公立高校が希少化し、公立高校は公立大学並みのステータスだった。&lt;br /&gt;
#***美濃部さえいなければ公教育の崩壊も、私立の進学校化もなかった。&lt;br /&gt;
#****先取り学習を行う中高一貫校が存在していなければ大学受験者全体の平均的な学力が下がるため、今でもゆとり世代のような入試問題が出されていた。&lt;br /&gt;
#***基本的に旧制中学を継承した公立高校がエリートなので、中学受験がエリートの本流とはみなされなかった。&lt;br /&gt;
#****岸田総理も開成でなく日比谷出身だった。&lt;br /&gt;
#*****とはいえ開成も旧制中学からの伝統があるから、日比谷の併願校として優秀な生徒を集められた。&lt;br /&gt;
#*****しかし、その隣県である千葉と埼玉は今でも公立王国だった。&lt;br /&gt;
#******千葉高の中高一貫化（旧制'''中学'''の復活）もなかった。&lt;br /&gt;
#****一億総[[福岡県|修羅の国]]。地元の中学校が荒れていても「憧れの県立御三家」に行くために我慢するしかない。&lt;br /&gt;
#**日本においても[[社会民主党|社会党]]や[[日本共産党|共産党]]が衰退していたので、1993年に55年体制が崩壊することはなかった。&lt;br /&gt;
#***必然的に自民党1強状態が続くが、それでも現実ほど政治のレベルが低下することはなかった。&lt;br /&gt;
#***新進党や[[民主党]]、[[民進党]]と言った新党は誕生しなかった。&lt;br /&gt;
#****[[日本維新の会]]、[[立憲民主党]]、[[国民民主党]]も誕生しなかった。&lt;br /&gt;
#***但し[[公明党]]は[[自由民主党|自民党]]とは完全に独立していた。&lt;br /&gt;
#***革新勢力に対抗する目的がないので、保守合同が起きなかった可能性もある。&lt;br /&gt;
#****その場合比例代表制中心の選挙制度で、保守優位ながら複数の保守政党が集合･離散と合従連衡を繰り返していた可能性もある。チェコなどに見られるパターン&lt;br /&gt;
#*何だかこの方が暮らしの良い世の中になっていた気がする。&lt;br /&gt;
#*中華人民共和国や北朝鮮と言った世界にとって脅威になる国家が存在せず、ロシアも現実より弱体化していたため、世界全体が現実より平和になっていた。&lt;br /&gt;
#**21世紀に入って、ひょっとしたら核兵器を撲滅できていたかもしれない。&lt;br /&gt;
#***日本においても憲法改正の議論が盛り上がらず、憲法改正は一部のタカ派が主張していた。&lt;br /&gt;
#***憲法9条を「お花畑」として一笑に付す風潮は皆無で、むしろ民主化後のロシアや東欧諸国が日本の憲法9条を見習っていた。&lt;br /&gt;
#**2022年のロシアのウクライナ侵攻も行われず、諸物価の上昇はなかったか現実ほどではなかった。&lt;br /&gt;
#***そもそも貧しい農業国だったら、ウクライナ関係なく生活は苦しいはずだが。&lt;br /&gt;
#*戦争が現実より減り、中国の一人っ子政策がなかったため世界の人口は2022年現在で85億人にまで増えて、2050年には110億人、2100年には125億人にまで増えると予想されている。&lt;br /&gt;
#*中国の人口はインドの2倍近くあった。&lt;br /&gt;
#共産勢力が伸長しなかかったため修正資本主義も広まらず、世界全体で資本格差は現実よりはるかに厳しかった。&lt;br /&gt;
#*それは欧米の話。日本は戦前回帰が起きなければ今でも格差が少なかった。&lt;br /&gt;
#当然ながら文化大革命は起きず、平和な中国だった。&lt;br /&gt;
#*伝統文化や文化財の喪失は免れたが、その分中国社会全体の合理化は遅れた。良くも悪くも台湾みたいになる。&lt;br /&gt;
#この項目のタイトルは「もし中国共産党が中国国民党に勝っていたら」になっていた。&lt;br /&gt;
#*「東欧のように90年代に体制崩壊する」というように、史実と異なる推測をする者もいたかも&lt;br /&gt;
#*日本はかなり発展していると予測されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地域別==&lt;br /&gt;
#[[尖閣諸島]]や[[南沙諸島]]はもちろん、[[モンゴル]]の領有も主張している。&lt;br /&gt;
#*と思いきや1960～70年代位に中蒙国交正常化が行われ、領有主張放棄。&lt;br /&gt;
#**マジレスすると、1946年に中蒙国交正常化が行われている。&lt;br /&gt;
#***しかし台北遷都後にモンゴル承認を取り消しているのが史実。&lt;br /&gt;
#**共産モンゴルなんて認めんという立場になっていただろうから民主化以降まで国交がなかったかも。&lt;br /&gt;
#***むしろモンゴルの民主化が早まっていた。&lt;br /&gt;
#****下にある通り、ソ連崩壊が1979年に起きているからその翌年の1980年に民主化していた。&lt;br /&gt;
#*[[もしあの地域が○○領だったら#沖縄が○○領|沖縄が中国領になっていたら]]奄美群島の領有権を主張していた。&lt;br /&gt;
#**この場合、中華民国沖縄省か台湾省の一部となり中国軍の基地軍がおかれる国防戦略的に重要な地域になっていた。&lt;br /&gt;
#**奄美群島を実効支配もしていたら、種子島には自衛隊の基地が置かれ、国防戦略的に重要な地域になっていた。&lt;br /&gt;
#***宇宙センターの隣は自衛隊の基地となっていた。&lt;br /&gt;
#****中国自体が共産化していない以上、日本が中国（すなわち中華民国）を仮想敵国視して警戒する理由自体が最初から存在していないはずなんだが…&lt;br /&gt;
#***沖縄は国民党の統治のもとで史実よりも経済成長していた。&lt;br /&gt;
#***沖縄と台湾は同一の経済圏を構成するため、街並みも似通っていた。沖縄は「パスポートのいらない中華風の街」として人気だった。&lt;br /&gt;
#日本や韓国の米軍基地がない代わりに、中国東北部は米軍基地だらけになる。&lt;br /&gt;
#*この世界で史実通りにイラン・イラク戦争、湾岸戦争、9.11テロなどが発生した場合、イスラム勢力の東進を阻むために、後年になってウイグルや東トルキスタンなどに米軍が駐留する。&lt;br /&gt;
#**ウイグルとアフガニスタンは陸続きのため、在華米軍が中国軍とともに陸路でアフガニスタンに侵攻した。&lt;br /&gt;
#*否、米軍基地は日本国にも存在する。中華民国と同様に、ホワイトハウスの一大拠点として。&lt;br /&gt;
#*ただ沖縄に関しては史実より少なかった。&lt;br /&gt;
#**沖縄は奄美と同時に日本に返還されていた。&lt;br /&gt;
#***小笠原諸島も。&lt;br /&gt;
#**むしろ沖縄には中国軍基地が多くなっていた。&lt;br /&gt;
#***日華安保や日華地位協定が結ばれていたら尚更。&lt;br /&gt;
#***結果として沖縄では中国軍関係者による犯罪や交通事故が多くなり、中国本土に距離的に近いだけあって、中国の植民地に近い状態になっていた。&lt;br /&gt;
#***那覇には横浜や神戸や長崎並みに大きな中華街が出来、三大中華街が四大中華街になっていた。&lt;br /&gt;
#****並びに琉球料理と中華料理が融合した琉華料理なる料理が出来て、沖縄の食文化は中華化が進んでいた。&lt;br /&gt;
#***中国に近い沖縄では中国軍基地がある事で、中国との関係が成り立ち、中国軍が経済を支えており、中国を身近に感じられるようになっており、中国と良好な関係になっていた。このため、反基地派は現実より少ない。&lt;br /&gt;
#****現実の青森県三沢市のようになっていた。&lt;br /&gt;
#***高度経済成長が遅れ、沖縄が既に日本に復帰しており、日中国交正常化といった出来事もないため日本での1972年と言えば高度経済成長が本格化して真っ只中の1年という認識だった。&lt;br /&gt;
#*もし冷戦がアメリカvsソ連vs中国になっていた場合は上記の米軍基地は中国軍基地に変更され、中国東北部はベーリング海峡以上に緊張していた地域になっていた。&lt;br /&gt;
#*西側陣営がアメリカと中国の二頭制になっていた場合、冷戦終結・ソ連崩壊と同時に中国に返還されていた。&lt;br /&gt;
#首都は北京ではなく、南京になっている。&lt;br /&gt;
#*そもそも「北京」ではなく「北平」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
#*「北京」と言う名前の期間が長かった事を考えると何処かのタイミングで「北京」に戻していた。&lt;br /&gt;
#**おそらく国共内戦終結後の1950年代初頭に北平から北京に戻していた。&lt;br /&gt;
#*南京が統一王朝の首都だったのが明朝初期だけだった一方で、北京が元朝時代以来、南京が首都だった時期を除いてずっと首都だったや近代中国語の標準語が北京語である事から国共内戦終結後の1950年代初頭に北京に移していた。この場合、1964年のオリンピックは北京で開催され、同時に開業した中国最初の高速鉄道は北京～南京〜杭州〜広州や南京〜上海〜杭州で開業していた。&lt;br /&gt;
#**この場合、1964年に北京で夏冬両方のオリンピックが開催され、ハルビン冬季オリンピックは1994年に開催されていた。&lt;br /&gt;
#***北京の初のオリンピック立候補は1960年の夏冬両方のオリンピックだが、呆気なく落選していた。&lt;br /&gt;
#**広州オリンピックが2000年に開催され、南京が2032年のオリンピック開催地になっていた。&lt;br /&gt;
#***2000年のオリンピック招致で広州と名古屋もしくは福岡が争うが、結局広州に決定。&lt;br /&gt;
#***この場合、シドニーオリンピックは2008年に開催されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===香港===&lt;br /&gt;
#香港の経済と映画産業は史実ほど発展しない&lt;br /&gt;
#*何故なら香港の発展は中国の共産化の影響で大量の資本家が亡命してきたため、尚且つ中国本土が資本主義なら山岳部の多い香港を金融拠点にするメリットが薄れたはず&lt;br /&gt;
#**香港の高層ビルが大幅に少なくなる、よって世界有数の夜景もなくなる&lt;br /&gt;
#**中国が資本主義なので、中国の高度経済成長後は衰退し、返還前はイギリスの政策次第にもよるが、経済や産業は発展したとしても史実ほどは発展せず、人口も史実より少なくせいぜい400万人程度に留まる。返還後はさらに衰退する。&lt;br /&gt;
#*上海が中国映画の中心地のままになる&lt;br /&gt;
#**ブルース・リーやジャッキー・チェンも上海在住&lt;br /&gt;
#**温暖な気候を考えると広州かも。&lt;br /&gt;
#*深センの発展も大幅に遅れる&lt;br /&gt;
#**広東省の経済の中心は広州のまま、深センは広州の外港として発展していた&lt;br /&gt;
#**深圳の街自体存在せずに農村のままな可能性もある。&lt;br /&gt;
#**香港はイギリスの貿易で中国への窓口として経済的に発展していたので、史実ではその隣の深圳は経済特区に指定されて発展してきました。なので、深圳は史実通り発展はしていたはず。それも国共内戦に国民党が勝ち、史実よりかなり早くから高度経済成長をしていたので、史実より早く1960年代前半頃から急速に発展し、史実のような大都市になっていた。民主化後、中国が覇権国家になっていたらむしろ史実よりも発展していた。&lt;br /&gt;
#**中国と欧米の経済格差が最初から無ければ「イギリス領」であることにそこまで旨味がないため、せいぜい史実のマカオ・珠海くらいの発展だった。&lt;br /&gt;
#*その香港やマカオの返還は現実通りだが、現在では単なる直轄市（省相当）になっている。&lt;br /&gt;
#**マカオは[[ポルトガル]]本国のカーネーション革命後の1975年に返還されていた。&lt;br /&gt;
#***香港も1970年代に返還されていただろう。&lt;br /&gt;
#***史実の沖縄返還辺りで返還されていた。また、730のような対面交通の転換も行われていた。&lt;br /&gt;
#**よって香港やマカオが沖縄みたいになっていた。&lt;br /&gt;
#**返還後に広東省に編入され、香港が地級市の香港市となり、マカオは面積が小さいので隣の珠海市に編入される。この場合、香港とマカオは中国本土として扱われ、オリンピックなどでも香港やマカオの選手は「中国選手団」として出場している。&lt;br /&gt;
#*租界や租借地が返還時に特別区と称する中国の特別地域に移行するケースも多かったので現実通りでは。&lt;br /&gt;
#*広東語より上海語（呉語）の地位が高くなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===台湾===&lt;br /&gt;
#台湾独立主張など起こらない。&lt;br /&gt;
#*むしろ早い段階で独立主張がおきる。&lt;br /&gt;
#*結局、台湾省に大幅な自治権を付与することで落ち着くが、それでも独立主張をする人は一部にいる。&lt;br /&gt;
#**しかし影響力は琉球独立運動と同レベル。&lt;br /&gt;
#それでも台湾は日本領になってない。&lt;br /&gt;
#*むしろ沖縄が中国領になっていたりして。&lt;br /&gt;
#史実とは逆に[[#台湾に逃れた場合|国共内戦に敗れた中国共産党が台湾に逃れていた]]。&lt;br /&gt;
#*地政学的に見て中共はむしろ東北（旧満州）に逃げる方が自然だろう。&lt;br /&gt;
#**その場合の国号は「満洲人民共和国」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===チベット===&lt;br /&gt;
#チベットには現在もダライラマがいる。ただ封建的な社会なので格差がひどいまま。&lt;br /&gt;
#*戦前は独立国だったので1950年代に中蔵国交正常化が実施されていた。&lt;br /&gt;
#*史実の[[ブータン]]を大きくしたような国になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===インドシナ===&lt;br /&gt;
#インドシナ一帯が共産主義国家にはならなかった。&lt;br /&gt;
#*インドシナは3つの共産主義国（ベトナム、カンボジア、ラオス）に分断しなかった。&lt;br /&gt;
#*意外と早くに経済成長していたかも。&lt;br /&gt;
#**少なくともベトナムやカンボジアは現実のタイ並みに発展していた。&lt;br /&gt;
#*ベトナム戦争はなかった。&lt;br /&gt;
#*代わりにインドが共産化し、インド戦争で南北に分断された恐れもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===インド===&lt;br /&gt;
#中印国境紛争は…ソビエト連邦がインドを支援していたから現実通りか。&lt;br /&gt;
#*シッキム王国が現在も続いていたかも。&lt;br /&gt;
#上に書いてあるとおり、インドシナのかわりに共産化してインド戦争で南北に分断された恐れがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ソ連===&lt;br /&gt;
#やはりソ連とは対立していた。&lt;br /&gt;
#*アメリカ以上に反共主義が席巻していた。&lt;br /&gt;
#*中ソ国境紛争もおそらく史実通り。&lt;br /&gt;
#**下手すると中国は外満州（沿海州など）の領有権も主張していた。&lt;br /&gt;
#*蒋介石が民主化運動を弾圧し、経済成長により対米貿易摩擦も起こりナショナリズムも沸騰するのでアメリカとも対立し、冷戦がアメリカvsソ連vs中国（中華民国）の三つ巴になっていた。&lt;br /&gt;
#*資本主義陣営がアメリカと中国の二頭制になっていた場合、中国とアメリカが反共で協力していた。&lt;br /&gt;
#*いや、蒋介石がソ連と仲良くしていた事を考えると現実ほど対立していない。資本主義陣営がアメリカと中国の二頭制になっていたら、資本主義陣営の中心国家の内のソ連と仲が良い方として、資本主義陣営、特にアメリカと共産主義陣営、特にソ連との橋渡し役になっていた。&lt;br /&gt;
#**蒋・スターリンの蜜月はあくまで第二次世界大戦中までの話。このスレ自体が国共内戦の発生を前提としている以上、中共のバックにいたスターリンと友好関係を保てていたとは考えにくい。むしろ敗れた毛沢東がソ連に亡命していたのでは？&lt;br /&gt;
#いずれにせよこの場合、中国（中華民国）が西側陣営に留まる以上、ソ連圏の勢力は史実より圧倒的に劣勢となっている以上、スターリン死去からフルシチョフによるスターリン批判の発生がもし史実通りのタイミングで起きていた場合、おそらくフルシチョフが史実におけるゴルバチョフの役割を果たして、おそらく東欧革命からベルリンの壁崩壊を経てソ連解体に到る一連の過程も、史実より30年ばかり前倒しされていていた可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*この場合ソ連解体後の混乱も、史実ほど熾烈にはならずに済んでいただろうから、その後のプーチン独裁が発生する条件も整わず、結果的にロシアもより穏健な形で民主化を徐々に進めていったのではなかろうか？&lt;br /&gt;
#**しかしそうなればロシアは結局経済的にもかなり中国への依存に傾斜せざるを得なかったろうから、結局は史実と似た成り行きとなっていたかもしれない（もっともこの場合の「中国」が「中華民国」である点だけは史実と異なるわけだが…）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本===&lt;br /&gt;
#日本において[[もし日本国有鉄道が存続していたら|国鉄の分割民営化は現在に至るまで行われていない。]]&lt;br /&gt;
#*国労の支持母体である共産党が衰退していたので現実ほど荒れることはなかった。&lt;br /&gt;
#*ひいては営団地下鉄や大阪市営地下鉄の民営化もなかった。電電公社や専売公社は微妙。&lt;br /&gt;
#*郵便事業や道路公団民営化もなかった。&lt;br /&gt;
#*国鉄のままでも車両や設備の近代化が行われていた。&lt;br /&gt;
#日本は敗戦後の経済停滞を1960年代まで引きずるも、そこから高度経済成長期に突入し、1976年に東京オリンピック、1980年に大阪万博、1984年に札幌冬季オリンピックを開催し、1982年に統一ドイツを抜いて世界第3の経済大国になるも、[[阪神・淡路大震災]]で高度経済成長は終結し、以後は[[東日本大震災]]まで安定成長期となり、東日本大震災で安定成長期が終結した後は、低成長期になっていた。&lt;br /&gt;
#*長野冬季オリンピックは2010年に開催され、2020年のオリンピックは大阪で、2025年の万博は福岡で開催されている。&lt;br /&gt;
#**一方で名古屋のオリンピックへの立候補はなかった。&lt;br /&gt;
#***立候補するにしても2000年だが、呆気なく落選していた。&lt;br /&gt;
#***もしくは福岡だったかも。&lt;br /&gt;
#**東京の戦後初のオリンピックへの立候補は1972年だが、呆気なく落選していた。&lt;br /&gt;
#*2005年の万博は現実通り。&lt;br /&gt;
#**大阪の花博は2000年に開催されていた。&lt;br /&gt;
#*現実にバブル崩壊後に起こった就職氷河期はなかったことから1990年代以降の出生数は現実よりも多く、うまく行けば第3次ベビーブームが起こっていた。&lt;br /&gt;
#**企業内の年齢構成が歪になることもなく、団塊世代の定年退職後に人手不足が問題になることもなかった。ひいては技術伝承もうまくいっていた。&lt;br /&gt;
#**1970年代生まれの結婚率が以後の世代に抜かれることはなかった。&lt;br /&gt;
#***つまり1970年代生まれが現実の1960年代生まれみたいになり、1980年代生まれが現実の1970年代生まれみたいになっていた。&lt;br /&gt;
#*[[東海道新幹線]]は1975年頃に開業していた。&lt;br /&gt;
#**[[青函トンネル]]は札幌冬季五輪に合わせて1983～84年に開業していた。五輪期間中には青函トンネルを経由して臨時の寝台列車なども運転されていた。&lt;br /&gt;
#***やっぱり現実通りかも。&lt;br /&gt;
#**[[山陽新幹線]]は1980年頃に開業し、[[東北新幹線]]は青函トンネル開通に合わせて1988年に青森まで開業。&lt;br /&gt;
#***東北新幹線は東京駅で東海道新幹線と繋がっていた。&lt;br /&gt;
#**[[九州新幹線]]は下記通り九州が大発展している事から1988年に開業し、[[上越新幹線|上越]]・[[長野新幹線]]は長野冬季オリンピックに合わせて2009年に開業していた。[[北陸新幹線]]や[[北海道新幹線]]の開業時期は現実と変わらない。&lt;br /&gt;
#***いや、大阪が史実ほど衰退しなかったことから北陸新幹線は大阪五輪が開催される2020年を目処に新大阪まで延伸されていた。&lt;br /&gt;
#**日本の鉄道整備は1970年代半ばまでは史実よりも遅れたが、その後は急速に進み2020年頃には現実以上に整備されていた。&lt;br /&gt;
#*日本の大学進学率は低いままだったかもしれない。&lt;br /&gt;
#**上がったとしても2000年代中盤くらいからだろう。&lt;br /&gt;
#*日本の高度経済成長は1963年頃に始まっていた。&lt;br /&gt;
#*むしろ2000年代の好景気がバブル景気と呼ばれていた。&lt;br /&gt;
#**その頃日本は経済大国と言われるようになり、中国に肩を並べていた。&lt;br /&gt;
#***一人当たりGDPはね。&lt;br /&gt;
#**小泉内閣がバブル景気を起こしていた。&lt;br /&gt;
#***中国の人口が圧倒的に多いため、国全体でのGDPは中国に敵わず2割位になるが、1人辺りでは中国と肩を並べていた。&lt;br /&gt;
#***2008年のリーマンショックがバブル崩壊となっていた。&lt;br /&gt;
#****リーマンショック自体起きるとしたら中国で起きていた。&lt;br /&gt;
#*****その原因が四川地震で、四川地震は日本の好景気を終わらせるなど世界中に不況をもたらした大地震とされていた。&lt;br /&gt;
#*つまり[[もし日本の高度経済成長が20年遅れて起きていたら]]に近い状況になる訳だね。&lt;br /&gt;
#*日本の出生率は1960年代まで3人台で推移したが、丙午の1966年に2.4人となった後は1970年代前半に3人台に回復するも、そこから減少し1980年代半ばに2.2人、1990年代半ばに1.8人に落ちるも、2000年代に2.1人台に回復するも、その後は減少し2020年には1.8人台までに落ちていた。&lt;br /&gt;
#**その為、日本の人口は1億4000万人位となって2021年現在でも増加し続けていた。&lt;br /&gt;
#***いや、経済成長途中に欧米の価値観が入ってきて、韓国みたいに少子化開始が早まっていた。&lt;br /&gt;
#*1950年代の日本は軍国主義主義でない以外は1930年代とほぼ変わらなかった。&lt;br /&gt;
#**史実の1940年代後半の日本、1972年以前の沖縄を思い浮かべてほしい。&lt;br /&gt;
#*池田勇人政権が高度経済成長政策を始め、田中角栄政権が所得倍増を行っていた。&lt;br /&gt;
#*中曽根内閣が現実通りだとしたら、1991年に終わっていて、1990年代には阪神・淡路大震災もあった事から低成長期になっていた。&lt;br /&gt;
#[[もし個人情報保護法が○○だったら|個人情報保護法は施行されなかった]]か、施行されていても現実ほど秘密主義にならなかった。&lt;br /&gt;
#*むしろ中国の方が先に施行していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==交通==&lt;br /&gt;
#高速鉄道は史実より早く開通。&lt;br /&gt;
#*1960年代には開通していた。もしかしたら新幹線は中国が発明し、中国の技術提供で日本に建設されていた。&lt;br /&gt;
#*下にある通り、日本を凌ぐ世界一の鉄道大国になっていた。&lt;br /&gt;
#「中正国際空港」とは台北空港ではなく南京空港のことを指していた。&lt;br /&gt;
#日本を凌ぐ世界一の鉄道大国になっていた。&lt;br /&gt;
#*乗降客数世界一の駅は上海駅になっていた。&lt;br /&gt;
#*世界の駅別乗降客数Top100のほとんどを中国の駅で占めている。&lt;br /&gt;
#*上海や北平や広州や南京の周辺は世界一の私鉄王国になっている。&lt;br /&gt;
#**私鉄王国にならなくても中国国鉄による大都市近郊電車が出来て、かなり栄えていた。&lt;br /&gt;
#**その中国国鉄は国共内戦で国民党が勝利した後の1950年に中国各地の国有鉄道と国有化されていない鉄道を国有化して合体して出来たが、1988年の民主化と同時に民営化した。&lt;br /&gt;
#*新幹線のような高速鉄道は中国が開発した。&lt;br /&gt;
#**1964年の南京オリンピックに合わせて南京～上海間が開業後、1980年までにほぼ全ての省に新幹線網が張り巡らされていた。&lt;br /&gt;
#***南京オリンピックに合わせて最初に開通するのは、距離的に南京を経由する上海〜武漢間だと思うんだが。&lt;br /&gt;
#***その後、重慶などを経由して成都まで延伸される。&lt;br /&gt;
#**リニア新幹線も2020年代前半に南京～上海間で開業後、2040年頃までにほぼ全ての省にリニア新幹線網が張り巡らされる予定となっている。&lt;br /&gt;
#*一人当たりの鉄道利用回数も世界一となっている。&lt;br /&gt;
#*鉄道技術も世界一になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政治==&lt;br /&gt;
#右翼は中国を支持していた。&lt;br /&gt;
#*逆に左翼が中国を支持していなかった。下記の蒋介石による共産主義の大弾圧があったら尚更。&lt;br /&gt;
#サンフランシスコ講和条約会議にも参加している。&lt;br /&gt;
#*1950年代の段階で日本と中国の関係が正常化していた。&lt;br /&gt;
#環境汚染問題についてまともに取り組んでいる。&lt;br /&gt;
#共産党独裁は存在しないが、役人・官僚の腐敗が蔓延。結果的に中央政府が汚職に対して厳しい姿勢は現実と同じ。&lt;br /&gt;
#*天安門正面に掲げられている毛沢東の肖像は当然存在しないか、蒋介石の肖像に替えられる。&lt;br /&gt;
#**民主化後に孫文に替えられていた。&lt;br /&gt;
#*蒋介石ら国民党は共産主義を弾圧していたが、中国の人口があまりにも多いため、2000万人もの人が殺されていた。その為、蒋介石はヒトラーやスターリンと並ぶ3大極悪人に名を連ねて、世界的に見れば中国の高度経済成長を遂げて超大国へと導いた一方で2000万人もの人を殺した独裁者というイメージが付いていた。&lt;br /&gt;
#**これに対し、中国では「大虐殺より高度経済成長を行って日中戦争で中国を、国共内戦で国民党勝利に導いた偉大な人物」「大虐殺は国共内戦で国民党を勝利に導き、高度経済成長を遂げるために仕方なかった」とされ、蒋介石はスターリンのような扱いを受け、中国人が選んだ偉大な歴史上の中国人の順位の上位に入っていた。&lt;br /&gt;
#**でもアメリカは当初は反共のため、覇権国家の中国への移行後は覇権国家の中国におもねるために大虐殺を認めているが、一方で民主国家の独裁時代の悪行を認める事になるため、アメリカでは賛否両論が起こっていた。&lt;br /&gt;
#**蒋経国が蒋介石時代の規制や虐殺などの圧政を緩めていた。&lt;br /&gt;
#**だが史実のように強大な中共軍に対抗する必要がなくなっているため、史実の台湾でのように独裁体制を維持できる口実がなくなっている以上、より早い段階で民主化運動が発生していたのでは？&lt;br /&gt;
#色々あった挙げ句、蒋経国死去時の民主化時に連邦制に移行している。&lt;br /&gt;
#*[[アメリカ]]や[[ドイツ]]のように、省政府が大きな権限を持つ。&lt;br /&gt;
#**省や直轄市ごとに法律が異なる。&lt;br /&gt;
#*地域政党も多く設立され、「[[台湾]]民進党」「[[新疆ウイグル|東トルキスタン]]党」「[[内モンゴル]]人民党&amp;lt;!--実在する非合法政党が元ネタ--&amp;gt;」などが存在している。&lt;br /&gt;
#**ダライラマ本人が党首の「[[チベット]]・ラマ党」もある。&lt;br /&gt;
#***何れにせよ、ウイグル人やチベット人がかわいそうな目に遭う事はなかった。&lt;br /&gt;
#*香港・マカオも他の省と同じ扱いではあるものの、旧宗主国に由来する独自の法律が残る。&lt;br /&gt;
#**道路も左側通行のままである。&lt;br /&gt;
#*史実の[[インド]]に近い体制になっている。&lt;br /&gt;
#**「中国は国ではなく大陸である」という格言が生まれる。&lt;br /&gt;
#*李登輝氏は台湾省のカリスマ知事として名を残す。&lt;br /&gt;
#クーデターが起こって史実の冷戦終結期まで反共軍事独裁政権が続く可能性も・・・&lt;br /&gt;
#*現実の国民党政権も北伐の際に各軍閥に大幅に譲歩する形で中国に勢力圏を広げていったため、そのため国民党政権時代の中国は各旧軍閥による内乱が度々起こっていた&lt;br /&gt;
#*その場合、国民党は史実の韓国における韓民党やその系統の政党のように中国の民主化運動を指導していた&lt;br /&gt;
#*1989年の南京で民主化を求める学生デモに軍が発砲した事件が起きたかも。&lt;br /&gt;
#*蒋継国死去まで独裁が続いていたかも。&lt;br /&gt;
#*アメリカとは独裁政治であることやナショナリズムの沸騰から喧嘩別れして米華対立が起こり、冷戦がアメリカvsソ連vs中国の三つ巴になっていたかも。&lt;br /&gt;
#**民主化と同時に東トルキスタンと台湾が独立し、チベットは大チベット全域を領土とするようになっていた。&lt;br /&gt;
#**とするとこの陣営につくのはピノチェト政権時代のチリとかカラマンリス帰国前のギリシャとかか?&lt;br /&gt;
#**むしろ国力がソ連を抜いた時点でアメリカと対等関係になり、冷戦がアメリカvsソ連からアメリカ・中国vsソ連になっていた。&lt;br /&gt;
#初の核実験は1970年辺りに実施していた。&lt;br /&gt;
#一人っ子政策もないため、人口は20億人近くになっていた。&lt;br /&gt;
#*出生率は1965年の段階で6.6人だった事を考えると2018年現在で2.3人程はあった。&lt;br /&gt;
#*むしろ1960年代の出生率上昇がなく5.5人程度で、2020年現在の出生率が1.8～2.0人程度になり、人口は15億人程度に落ち着いていた。&lt;br /&gt;
#**となると、1950～1960年代に5.5人だったのが、1980年に3.7人、2000年に2.1人となり、2020年には1.9人となっていた。&lt;br /&gt;
#*第二次大戦の戦勝国だし、蒋氏父子による独裁から民主化しても独裁時代の名残から強靭な少子化対策が出来るので、先進国としてはイギリスやフランスやアメリカ並みに出生率が高くなっていた。&lt;br /&gt;
#*更に冷戦終結・ソ連崩壊後に世界の覇権国家になっていた場合、中国が世界一の移民受け入れ国になるが、中国の人口が15億人位で世界一多い事を考えると人口に対する移民の割合はかなり小さい。&lt;br /&gt;
#*世界中に華僑が広がっていた。&lt;br /&gt;
#民主化を機にトップの肩書きが「総統」から「大統領」に変わっていた。&lt;br /&gt;
#*むしろそのままだろう。&lt;br /&gt;
#*そもそも中国語の「総統（ツォントン）」自体がpresidentの翻訳語なんだけど…&lt;br /&gt;
#無論、中国がパクりをやることもなかった。&lt;br /&gt;
#*下手すれば日本がむしろパクリ国家になっていた。&lt;br /&gt;
#蒋経国死去後に民主化した中国では政党活動が自由化され、リベラル政党の民主党などが結党されていた。&lt;br /&gt;
#*2021年現在では国民党と民主党が互いに総統を出す二大政党制に近い状況になっていた。&lt;br /&gt;
#*国民党は保守政党となっていた。&lt;br /&gt;
#*蒋経国死去が現実通り1988年の場合、1988年に最初の総統選挙が行われ、任期が4年なら4の倍数の年に総統選挙が行われていた。&lt;br /&gt;
#**並びに総統の任期は4年2期までの制限が設けられていた。&lt;br /&gt;
#**並びに中国が冷戦終結後に世界の覇権国家になっていた場合、中国総統選が世界で一番注目される選挙になっていた。&lt;br /&gt;
#***しかもアメリカ大統領選挙と同じ年に行われるので、その分アメリカ大統領選挙の影が薄くなっていた。&lt;br /&gt;
#***並びに日本語で総統と言えば中国の総統を指す事が多くなり、ヒトラーのような全体主義国家の元首を指す事が減っていた。&lt;br /&gt;
#当然ながら一つの中国問題はなかった。&lt;br /&gt;
#中国での蒋介石は日本との戦争に勝ち高度経済成長を遂げた英雄的指導者か共産党や反体制派を弾圧するなどした独裁者で評価が分かれていた。&lt;br /&gt;
#*一方で毛沢東は黒歴史となっていた。&lt;br /&gt;
#*1968年前後で資本主義陣営各国で左翼運動や学生運動が高じていたことを考えればこの世界線の中国でも同様の理由から60年前後では(かつて日本が北朝鮮を礼賛したように)インテリの間で毛沢東が祭り上げられていた可能性はある。しかし国民党による反共独裁体制が敷かれていたならば、実質的に確実に赤狩りが発生するため、史実より早い段階で天安門事件のようなことが起こっていたのではないかという見方もできる。&lt;br /&gt;
#日本の天皇・皇族の中国訪問も早まっていた。&lt;br /&gt;
#*1960年代中に昭和天皇夫妻が、1970年代中に明仁皇太子夫妻と三笠宮夫妻が、1980年代中に常陸宮夫妻が中国を訪問していた。&lt;br /&gt;
#今でも青天白日満地紅旗は中国の国旗である。&lt;br /&gt;
#1988年の蒋経国死後、史実で共産中国の国家主席になっていた江沢民や胡錦濤、習近平は中華民国の総統になっていた。&lt;br /&gt;
#国慶節は辛亥革命の発端となった武昌起義が起こった10月10日となり、下記の1964年の南京オリンピックの開会式が10月10日となっていたら、翌年の1965年からは国慶体育節となっていた。&lt;br /&gt;
#当然ながら[[もし常任理事国が中華民国のままだったら|常任理事国は中華民国のままだった]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経済==&lt;br /&gt;
#資本主義「中華民国」は順調に経済発展するが、やがてナショナリズムが沸騰し日本やアメリカと対立。&lt;br /&gt;
#*台湾は中国領になるので、日本のシーレーンが脅かされる。&lt;br /&gt;
#*韓国は中国側につき、朝鮮海峡を挟んで日本と対立。&lt;br /&gt;
#*遅くとも日本でバブルが崩壊したあたりでGDPが日本を追い抜く。&lt;br /&gt;
#**ただし国内格差がひどいのは史実同様。&lt;br /&gt;
#**実史のアルゼンチンかフィリピンのような感じになる&lt;br /&gt;
#***流石にアルゼンチンとか言う転落国家と比べるのは中国に対して失礼、アヘン戦争前は文句無しのGDP一位だったしキャパシティは十分。ただ一人当たりに直すと南米よりも低いかも。&lt;br /&gt;
#**2000年代にはアメリカをGDPで抜いていた。&lt;br /&gt;
#***むしろオイルショックの時期にGDPでアメリカを抜いていた。&lt;br /&gt;
#**というかバブル時代がなかったか、あったとしても2000年代だった。&lt;br /&gt;
#*むしろ上記のように中国の方が先に経済成長を遂げていた。&lt;br /&gt;
#**ほぼ確実に。&lt;br /&gt;
#1960年代には高度成長期をむかえているだろう。&lt;br /&gt;
#*北京・上海などの大都市には史実より早く高層ビルが立ち並んでいた。&lt;br /&gt;
#*1960年代に南京オリンピック、1970年代に上海万博と北平冬季オリンピックが行われている。&lt;br /&gt;
#**上記通り、1964年に南京オリンピックが、1970年に上海万博、1972年に北平冬季オリンピックが行われている。&lt;br /&gt;
#*よって1970年代には中国製品が世界中を席巻し、1980年頃にはアメリカで中国製品不買運動が起こった。&lt;br /&gt;
#**しかし下手すれば史実の日本のように1970年代の成功体験が呪縛となり、1990年代のIT革命と共に没落する一方、遅れて産業が立ち上がった日本がIT大国になるかも。&lt;br /&gt;
#***この場合、DeNAが史実のテンセント、楽天がアリババの位置付けになる。&lt;br /&gt;
#***経済状況に関しては政治体制も関係してくるから言い切るのは不可能。&lt;br /&gt;
#***1980年代は下に書いているようなアメリカにとって代わる覇権国家になるための準備期間のために、むしろそれはない。&lt;br /&gt;
#**1980年頃の中国製品不買運動の後の中国は21世紀の覇権国家になるための準備をして、1986年の資本主義国家条約機構設立と同時に世界の覇権国家になっていた。&lt;br /&gt;
#**下にある通り唐山地震が起きた1976年から80年にかけて中国経済は停滞し、1976年の中国はマイナス成長になっていた。とは言えアメリカに再びGDPで抜かれる事はない。&lt;br /&gt;
#自動車界は中国車が席巻。&lt;br /&gt;
#*一方で日本車の影は薄い。&lt;br /&gt;
#**[[デトロイト]]を衰退させたのは中国車が原因だった。よってデトロイトには反華主義者が多く、中国の覇権国家化に反対する人も多かった。&lt;br /&gt;
#**TopGearで日本車がいわゆる「アジアンカー」にカテゴライズされていたかも。※この世界の中国車はアジアンカーとは別枠&lt;br /&gt;
#*鉄道車両業界でも中国車両が席巻していた。&lt;br /&gt;
#*ルノーは日産&amp;amp;三菱ではなく中国車メーカーと提携し、オランダで多国籍企業連合を設立。&lt;br /&gt;
#Facebook、Google、Netflix、Twitter、YouTubeなどは中国の企業が作っていた。&lt;br /&gt;
#上海都市圏が1965年頃にニューヨークを抜いて世界最大の都市圏になっていた。&lt;br /&gt;
#*一方で東京の人口が1000万人を突破したのは1972年にずれていた。&lt;br /&gt;
#*上海が世界一の世界都市となる一方、東京はソウル位の世界都市止まりだった。冷戦終結・ソ連崩壊後に中国が覇権国家になっていたら尚更。&lt;br /&gt;
#中国が1980年代に世界の覇権国家になる事から、それ以降には中国を中心としたグローバル化が進み、中国語由来のカタカナ語が増えて、コンピューターなどIT業界の企業も中国のものが多くなっていた。&lt;br /&gt;
#*百度がGoogle、優酷がYoutube、微博がTwitterやFacebookの立ち位置になっていた。&lt;br /&gt;
#**QQや微信がLINEの立ち位置になっていた。&lt;br /&gt;
#**当然GAFAという言葉は誕生しない。&lt;br /&gt;
#*中国語はそれより前の1970年代半ばにアラビア語の国連公用語化と同時に国連作業言語になっていた。&lt;br /&gt;
#*そして中国語は2030年頃に英語に代わって、世界共通語になる事から、1990年代に世界中の学校で中国語が小学校の内から必修科目となっていた。&lt;br /&gt;
#**一方で英語は2030年頃から凋落し、小学校や中学校における英語教育も2050年頃には廃止され、その分アメリカのスペイン語化が進み、2070年頃には英語とスペイン語の話者数が逆転し、2090年頃にはアメリカが完全にスペイン語の国になっていた。&lt;br /&gt;
#*世界共通通貨も米ドルから中国元に代わり、経済などの指標通貨に中国元が用いられるようになっていた。&lt;br /&gt;
#**「圓」がアジア共通通貨となっていた。通貨マークは\(Yuen)&lt;br /&gt;
#*国連本部の上海移転が真剣に検討され、早ければ2020年代には上海に移転していた。&lt;br /&gt;
#**少なくとも一部の国連機関は本部を中国に移転していた。&lt;br /&gt;
#*オリンピックの競技時間は中国のゴールデンタイムに合わせて行われ、夏季オリンピックの競技時期も中国の7～8月は暑い事から10月に行われるようになっていた。&lt;br /&gt;
#**1964年の南京オリンピックや2008年の広州オリンピックは10月開催となっていた。&lt;br /&gt;
#***南京オリンピックは国慶節に合わせるため10月10日が開会式となり、広州オリンピックも国慶節に合わせるため10月7日が開会式となっていた。&lt;br /&gt;
#**恐らく日本にとっても都合が良かっただろう。東京や大阪で五輪をやったとしてもマラソン競技を札幌に移すこともなかった。&lt;br /&gt;
#**オリンピックで莫大な放映権料を支払うのは中国版NHKであり、その中国版NHKの言いなりに従うように競技時期や競技時間が決められていた。&lt;br /&gt;
#**その中国版NHKは蒋氏父子独裁時代には国営だったが、民主化後に独立行政法人に移行した。&lt;br /&gt;
#**オリンピックの開会式も日本時間で言う昼間に行われていた。&lt;br /&gt;
#**中国人がIOCの会長に就任していただろう。&lt;br /&gt;
#**IOC本部の中国移転も検討され、早ければ2020年代に実現していた。&lt;br /&gt;
#*1990年代以降のグローバル化は中国が中心となっていた。&lt;br /&gt;
#*そのため世界の国を日本の都道府県に例えると中国=東京・埼玉・神奈川武蔵地域、統一朝鮮=千葉となっていた。&lt;br /&gt;
#*2001年の同時多発テロは上海辺りで起きていた。&lt;br /&gt;
#**ひょっとしたら事件そのものが起きなかった可能性がある。&lt;br /&gt;
#*1986年に覇権国家になった後は中国一極体制になるも、不況が現実通りだとしたら1997年の世界通貨危機でそれが揺るぎ始め、2008年の世界金融危機で一極体制が弱まり、以降は多極体制になっていた。&lt;br /&gt;
#*アメリカが唯一の超大国として一極体制を築く事はなかった。&lt;br /&gt;
#2021年現在における東アジア3カ国の発展度は中国&amp;gt;日本&amp;gt;韓国になっていた。&lt;br /&gt;
#中国が世界一の技術大国になっていた。&lt;br /&gt;
#*特許出願件数も1965年以来、半世紀以上に亘って世界一にいる。&lt;br /&gt;
#*知的財産権に関しては中国が1番うるさくなっていた。&lt;br /&gt;
#**著作権などに関しては逆に日本は甘かった。&lt;br /&gt;
#*中国人が建設したり製造したりしたものは、頑丈で壊れないという安全神話が存在している。&lt;br /&gt;
#**日本に中国製の鉄道車両が存在していたかもしれない。&lt;br /&gt;
#*中国が世界一のものづくり大国になっていた。&lt;br /&gt;
#*中国国内で起きる事故（衝突事故や落下事故）の数が現実よりかなり減っていた。&lt;br /&gt;
#*「中国の科学力は世界一ィィィ！」と言われていた。&lt;br /&gt;
#*逆に日本の技術力が低かった。&lt;br /&gt;
#中国産食品の安全性に問題が出る事もなかった。&lt;br /&gt;
#*2008年の毒ギョーザ騒動もなかった。&lt;br /&gt;
#*それどころか中国製品の安全性に問題が出る事もなかった。&lt;br /&gt;
#中国国内で発生した自然災害の死者が現実よりかなり減っていた。&lt;br /&gt;
#*1976年の唐山地震の死者は2万人位に、2008年の四川地震の死者は1万人位に抑えられていた。&lt;br /&gt;
#*それどころか中国の防災も現実より進んでいる。&lt;br /&gt;
#*日本の防災は進まず、毎年台風シーズンになると伊勢湾台風並みの被害が出る。また阪神淡路大震災と東日本大震災ではそれぞれ万単位の死者を出す。&lt;br /&gt;
#中国が世界一のODA（政府開発援助）大国になっていた。&lt;br /&gt;
#*OECDに加盟するのは民主化の辺りになっていた。&lt;br /&gt;
#*一方で日本は経済成長が遅れたため、ODA大国になっておらず、OECD加盟も中国と同時期の1980年代になっていた。&lt;br /&gt;
#**無論、中国が日本からODAを受ける事はなかった。&lt;br /&gt;
#**日本が中国から受けていたのでは？&lt;br /&gt;
#BRICSの名前も変わっていた。&lt;br /&gt;
#*インドネシアのIが入ってBRIISかメキシコのMが入ってBRIMSになっていた。&lt;br /&gt;
#中国の経済成長が早く内陸部の開発が現実より早く行われた事から、黄砂の量が1970年代には現実の2000年代と同じくらいに増えていた。&lt;br /&gt;
#中国が冷戦終結後に世界の覇権国家になるため、1997年のアジア通貨危機や2008年の世界金融危機はなかったかもしれない。&lt;br /&gt;
#*現実通りあったとしたら中国で起きていた。特に前者は発生時点で中国が世界の覇権国家になっていたため、世界中で金融危機が起きていた。&lt;br /&gt;
#**その結果、中国は世界規模の不況を抑える能力はなく、中国の覇権は無能であるのを理由に中国の覇権から離れる国が出て、2010年代には中国を覇権国家としながらも世界中の大国がしのぎを削り合う多極体制になっていた。&lt;br /&gt;
#**特に冷戦時代に東側の中心国家で西側の中心国家の一つの中国に対抗してきたソ連の後継のロシアは前者のタイミングで中国の覇権から離れ始め、後者のタイミングで完全に中国の覇権から完全に離れていた。&lt;br /&gt;
#***並びに2010年代にはロシアは中国やアメリカと冷戦時代のソ連程ではないが対立するようになっていた。&lt;br /&gt;
#***この世界のロシアは中国との関係はアメリカ並みに良くない。&lt;br /&gt;
#***でも弱体化しているのでクリミアやウクライナに侵攻する事はなかった。&lt;br /&gt;
#***イランの体制が現実通りなら、現実のアメリカほどではないが中国と対立するようになっていた。並びに現実通り上記のロシアと並んで某ユーザーにネタにされるようになっていた。&lt;br /&gt;
#*2008年の世界金融危機の原因が四川地震となっていたかもしれない。この場合、四川地震が世界経済に悪影響をもたらした地震として後世まで語り継がれていた。&lt;br /&gt;
#**つまり史実の「1995年の阪神淡路大震災後の関西経済の凋落」とちょうど同じことが世界最大の超大国で起きていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本経済===&lt;br /&gt;
#朝鮮戦争が起こらず、軍事特需もなくアメリカが国民党中国を支援するので日本の戦後復興は遅れていた。&lt;br /&gt;
#*そのため日本のGDPが1961年に中国を抜くことはなく、高度経済成長が10年遅れていた。&lt;br /&gt;
#**中国は国共内戦終結直後の1950年頃に日本より早く高度経済成長期に入り、GDPはアメリカのそれをオイルショックの辺りで抜いていた。&lt;br /&gt;
#***このため南京オリンピックが1964年に、上海万博が1970年、北平冬季オリンピックが1972年に実施されていた。&lt;br /&gt;
#****この場合東京オリンピックは1976年、大阪万博は1980年、札幌冬季オリンピックは1984年に開催されている。&lt;br /&gt;
#****この南京オリンピックで太極拳が正式種目に追加される代わりに柔道の追加が遅れ、下手すれば今でも正式種目に採用されていない。&lt;br /&gt;
#*****この場合、太極拳と柔道の立場が逆転していた。&lt;br /&gt;
#******テコンドーがオリンピック種目に追加されることもなかった。&lt;br /&gt;
#******1976年の東京オリンピックで一回だけ公開競技となり、その後2000年頃に正式種目となる。&lt;br /&gt;
#****何れにせよモントリオールがオリンピック開催地にならないため、同都市が数十年にも渡り借金を税金で返済する事態に陥る事はなかった。&lt;br /&gt;
#*****サラエボもオリンピック開催地にならなかった。&lt;br /&gt;
#****南京は1960年のオリンピック開催地に立候補するも、落選していた。&lt;br /&gt;
#****戦後初の東京のオリンピック立候補は1972年になっていた。&lt;br /&gt;
#****インドネシアが共産中国と関係を深めないから、新興国競技大会も実施されず、1964年の南京オリンピックにも無事に参加できていた。&lt;br /&gt;
#****チャスラフスカは中国人の間で人気になる一方で日本での知名度は低く、一方でコマネチが日本人の間での人気が史実以上になっていた。&lt;br /&gt;
#***こうなっていたら、冷戦の構造が1970年頃までに変わり、アメリカvsソ連vs中国の三つ巴になっていた。&lt;br /&gt;
#****恐らく民主主義vs共産主義vs開発独裁の間の冷戦になっていた。&lt;br /&gt;
#****もしくは国力がソ連を抜いた時点で中国はアメリカと対等な関係になり、冷戦がアメリカvsソ連からアメリカ・中国vsソ連になり、国力がアメリカを抜いて冷戦が終結しソ連が崩壊した後の1980年代にアメリカに取って代わって世界の覇権国家になっていた。。&lt;br /&gt;
#***蒋経国の死去と同時に民主化していた。&lt;br /&gt;
#***中国は文句なしでアジアの中心になっていた。&lt;br /&gt;
#***中国語の地位も現実より高く2030年頃には英語から取って代わって世界共通語になると予想されている。&lt;br /&gt;
#****中国語は冷戦終結後に国連事務局の作業言語に追加されていた。&lt;br /&gt;
#***冷戦終結後に中国はサミットやOECDに加盟し、前者がG8になっていた。&lt;br /&gt;
#***日本は中国の強い影響下に置かれ、日華安保が結ばれる代わりに、日米安保が史実より弱くアメリカの援助がないので高度経済成長が10年位遅れていた。&lt;br /&gt;
#****代わりに中国がアメリカと密接な関係を築き、中国がアジアの中心国となるも、国力がソ連を抜いた時点でアメリカとの関係が同盟国から対等関係国になっていた。&lt;br /&gt;
#*****1963年まで1ドル=36元という固定相場制があった。&lt;br /&gt;
#****日華安全保障条約と日華地位協定が結ばれ、日本は中国軍を日本に駐留させ、その中国軍に対し特権を提供し、結果として日本はアメリカよりもむしろ中国の属国となり、統一朝鮮も中国の属国となっていた。&lt;br /&gt;
#****1980年代以降、日本の政治は中国にベッタリとなり、日華同盟が強化されて中国の言いなりに従うようになっていた。&lt;br /&gt;
#*****一方で日本はアメリカから援助を受けないので、日米関係は現実程緊密ではない。下手したら[[もし日本が反米だったら|日本は反米になっていた]]。&lt;br /&gt;
#*****中華思想の存在を考えると中国は日本を冊封国・朝貢国のように扱い、日本を属国に置く事を冊封と呼んでいた。並びに日本の天皇・首相が中国の総統・首相の元を訪問する事を朝貢と呼び。その際には前者が後者に対し「三跪九叩頭の礼」みたいな儀式をやっていた。&lt;br /&gt;
#******中国は他の中国の属国も冊封国・朝貢国のように扱い、属国に置く事を冊封と呼んでいた。並びに属国の国家元首・首脳が中国の総統・首相の元を訪問する事を朝貢と呼び、その際には前者が後者に「三跪九叩頭の礼」みたいな儀式をやっていた。&lt;br /&gt;
#*****つまり史実で親米だった政権が親華となり、親中だった政権が親米になっていた。&lt;br /&gt;
#***中国の国連分担金の割合も、1970年代後半以降ずっと1位にいる。&lt;br /&gt;
#**恐らく戦後は日本と中国の立場が逆転していた。&lt;br /&gt;
#**日本は世界第二の経済大国やアジアNo.1になれず、第三の経済大国やアジアNo.2止まりだった。&lt;br /&gt;
#***日本が妙に自信を持つこともなく、国民性も控え目になっていた。&lt;br /&gt;
#****真面目に働かなくなり、アンダーテールのサンズのように、かなりマイペースで気楽な性格になっていた。&lt;br /&gt;
#**つまり中国の高度経済成長は1950～73年であり、オイルショックでつまずくも、以後は安定成長を続ける。&lt;br /&gt;
#***1960年代には世界中で低価格製品の多くが中国製になり、中国が「世界の工場」と呼ばれるようになっていた。&lt;br /&gt;
#***一方で日本はオイルショックの時はまだ経済成長が進んでおらず、エネルギーも石炭が中心なのでオイルショックの影響は小さかった。&lt;br /&gt;
#***だがオイルショックは中国が高度経済成長によりアメリカを抜いて世界一の経済大国になる時期に起きたので、石油価格は史実よりかなり上昇しており、このために日本経済への影響も史実程ではないが大きかった。&lt;br /&gt;
#****中国の高度経済成長が早かったので、1960年代の内に石油価格が上がっていた。&lt;br /&gt;
#***唐山地震が発生した1976年から80年までは中国経済が停滞し、76年の中国はマイナス成長になっていた。とは言えアメリカに再びGDPで抜かれる事はない。&lt;br /&gt;
#**中国は第2次世界大戦終結当初のアメリカの計画のように、戦勝国のよしみでアメリカの支援を受けて経済成長していた。&lt;br /&gt;
#***第二次世界大戦終結当時、アメリカは中国を日本に代わるアジアの大国にしようとしており、その計画が実現していた事になる。&lt;br /&gt;
#**一方で中国は中華思想の存在からかなり自信を持ち、国民性も積極的になっていた。&lt;br /&gt;
#**この中国の高度経済成長は最大都市にして経済の中心の上海と首都の南京を流れる長江に因み「長江の奇跡」と呼ばれていた。&lt;br /&gt;
#***一方で日本の高度経済成長は富士山に因み「フジヤマの奇跡」と呼ばれる事に。&lt;br /&gt;
#[[もしバブルがなかったら|日本におけるバブル景気はなかった。]]&lt;br /&gt;
#*あっても2000年代で、小泉政権の経済政策でバブル景気が起こっていた。&lt;br /&gt;
#**プラザ合意もないのに、到底起こるとは思えない。&lt;br /&gt;
#中国の高度経済成長が早かった事から、九州は大発展。上手くいけば福岡が東京・大阪に次ぐ日本第三の都市になっていた。&lt;br /&gt;
#*それどころか西日本も発展し、大阪の人口も現実以上に東京に迫っていた。&lt;br /&gt;
#*特に中国の覇権国家化後は対中国の拠点として、他の地方が衰退していく中で、九州だけが成長していったかも。&lt;br /&gt;
#**特に東日本大震災後は東北が衰退していく中で、九州だけが一人勝ち的に成長していったかも。&lt;br /&gt;
#***東日本大震災を契機に大阪遷都が検討されるようになっていたかも。実行されていたかどうかはわからないが。&lt;br /&gt;
#*長崎新幹線や東九州新幹線は2020年頃に全通していた。&lt;br /&gt;
#**四国新幹線の計画も早まっていただろう。明石海峡大橋は新幹線対応で建設され、豊後水道にも橋が架けられていた。&lt;br /&gt;
#***明石海峡大橋が現実通りだった場合、紀淡海峡大橋が実現していてそこに新幹線が通っていた。&lt;br /&gt;
#*さらに上手くいけば福岡は大阪を抜いて日本第二の都市になっていたかも。&lt;br /&gt;
#**福岡は他の5大都市と同じ1956年に政令指定都市に昇格していた（現実には1972年）。広島市も1972年に政令指定都市に昇格している。&lt;br /&gt;
#**福岡市の昇格はむしろ1980年では。広島市の昇格は1990年で、仙台市の昇格は1998年となっていた。&lt;br /&gt;
#*佐賀空港は九州国際空港として現実よりも大規模に作られていた。関西空港も現実より早く1980年代後半から遅くとも大阪で花博があった1990年までに開港していた。&lt;br /&gt;
#**神戸空港も現実より大規模になり、関空を補完していたか、関空自体が神戸に作られていた。&lt;br /&gt;
#*交通体系（特に鉄道）が東京一極集中になることはなく、大阪から東北以北に直通する寝台特急なんかも現実以上に運行されていた。さすがに広島や福岡からは遠いが。&lt;br /&gt;
#**大阪～新潟・青森を結ぶ「きたぐに」や「日本海」が廃止になることはなく、21世紀に入って新車に置き換えられていた。あと大阪～仙台にも寝台特急が設定されていた。&lt;br /&gt;
#**東海道と東北両新幹線の線路が東京駅で繋がっていたほか、日本海側にも新幹線ができていた。&lt;br /&gt;
#*東京・大阪・福岡の3大都市が均衡して発展している。&lt;br /&gt;
#**東名阪ではなく東阪福という言葉が生まれている。&lt;br /&gt;
#中国が日本より先に高度経済成長を遂げたため、中国とアメリカを結ぶ航路は現実より早く活性化し、航路に位置する鹿児島県は加工貿易の拠点として栄えていた。&lt;br /&gt;
#*このため鹿児島県の生活水準や県民所得は現実より上がり、福岡県と同じ水準になっていた。&lt;br /&gt;
#**川内や串木野や加世田や枕崎や山川や根占や鹿屋や志布志が加工貿易の拠点として栄えていた。このため南薩線や大隅線や志布志線は廃止されず、場合によっては宮之城線や山野線も廃止されなかった。&lt;br /&gt;
#***それらの都市には創業者が鹿児島県出身の京セラの工場が建設されていた。&lt;br /&gt;
#**九州自動車道は指宿が終点で、北薩横断道路や南薩縦貫道や大隅縦貫道は終点まで自動車専用道路で建設され、都城と末吉財部を結ぶ地域高規格道路の自動車専用道路（都城末吉道路・都城志布志道路とは平塚IC(都城市)付近で分岐）が建設されていた。&lt;br /&gt;
#***南九州西回り自動車道や東九州自動車道の大隅区間は建設ペースが現実より早まり、2025年までに開通していた。&lt;br /&gt;
#**鹿児島市は昭和末期～平成初期に政令指定都市に昇格していた。&lt;br /&gt;
#***九州新幹線は2004年の時点で博多～鹿児島中央が全通していた。&lt;br /&gt;
#****むしろ1988年に全通していた。&lt;br /&gt;
#***熊本市よりも人口は多かっただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==文化・サブカルチャー==&lt;br /&gt;
#ダイレンジャーが五星戦隊では無く「晴天戦隊」になってる。&lt;br /&gt;
#*普通に「中華戦隊」じゃないのか？&lt;br /&gt;
#**初期案の中華戦隊チャイナマンがそのまま実現するわけか･･･。&lt;br /&gt;
#*「三民戦隊」&amp;lt;!--孫文の政治理念「三民主義」に由来--&amp;gt;なんてのが頭に浮かんだが、これじゃ三人になってしまう…&lt;br /&gt;
#**「五族戦隊」はどうかな？&lt;br /&gt;
#民間放送局や民間新聞社が多く設立されていた。&lt;br /&gt;
#*私立学校も多く設置されていた。&lt;br /&gt;
#簡体文字はなかった。&lt;br /&gt;
#*中国と日本で字体を統一している可能性もある。&lt;br /&gt;
#**朝鮮半島は「漢字ハングル交じり」である。&lt;br /&gt;
#90年代後半からサブカルチャーが目まぐるしい発展を遂げる。&lt;br /&gt;
#*00年代のセカイ系ブームの1/3ぐらいが中国製作品になっている。&lt;br /&gt;
#*10年代後半には中国人声優ブームが到来。MXで華流アニメ枠が設立され、中国人声優をメインキャラに起用した日本製アニメ作品も作られ大きな話題になった。&lt;br /&gt;
#**当然アズレンや少女前線も中国人声優を起用。どちらも日本版で吹き替えが行われているかどうかはかなり怪しい。&lt;br /&gt;
#***前者のアニメは当然中国人が脚本を書き中国企業が制作しており、中国全土で最速放映(史実の中国がネット社会であることを考えると配信も？)されている。&lt;br /&gt;
#**華流アニメで中国語を学んだ人も少なくはない。&lt;br /&gt;
#*華流ドラマも韓流ドラマレベルに日本で放送されるようになる。&lt;br /&gt;
#**「THE KAROKU THEATER」は現在まで放送中。&lt;br /&gt;
#*中国人アーティストのBillboard Hot 100へのチャートインも何度か果たしている。&lt;br /&gt;
#**中国が冷戦終結・ソ連崩壊後に覇権国家になっていた場合、中国以外の歌手の中国のベストヒット100に入るのが一種のステータスになる。&lt;br /&gt;
#*「日本のアニメ産業が中国に追い抜かれる」という懸念が現実のものとなっていた可能性も否定できない。&lt;br /&gt;
#**むしろ中国のアニメ産業が発展しており、日本のそれは発展していなかった。&lt;br /&gt;
#*それどころか中国のサブカルチャーが発展しており、日本のそれは発展していなかった。&lt;br /&gt;
#上海ディズニーランドは1980年に東京より先に開業していた。&lt;br /&gt;
#*ユニバーサルスタジオ広州も1990年頃に開業していた。&lt;br /&gt;
#**もしくは北京。&lt;br /&gt;
#*90年代後半になって、やっと東京にもできる(香港と同時期)。&lt;br /&gt;
#中国国内では現在でも儒教が盛んに信仰されている。&lt;br /&gt;
#*並びに曲阜にある孔府には今でも孔子の子孫が住んでいる。&lt;br /&gt;
#*それどころか信教の自由が保証されていた。&lt;br /&gt;
#文化大革命もないため、中国国内の保存文化財の数が増えていた。&lt;br /&gt;
#大躍進もないため、雀が穀物を食べたりする一方で害虫を食べるという側面のイメージは付かなかった。&lt;br /&gt;
#冷戦が1977年に終結のため、『バトルフィーバーJ』のバトルコサックは別の戦士になっていた。&lt;br /&gt;
#中国から多数のノーベル賞受賞者が出ていた。&lt;br /&gt;
#*人口を考慮すると受賞者数は世界一になっていた。&lt;br /&gt;
#*一方で日本は少なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==スポーツ==&lt;br /&gt;
#中国の夏季オリンピックでのメダル獲得数は自国開催の1964年の南京で1位となった後、1976年の東京以降ずっと1位にいる。&lt;br /&gt;
#*1976年には唐山地震があったので、それをバネにメダル獲得数1位になっていた。&lt;br /&gt;
#*冬季オリンピックでのメダル獲得数も自国開催の1972年の北京で1位となった後、1984年の札幌以降ずっと1位にいる。&lt;br /&gt;
#**冬季については分からない。それなりに強くなっているとは思うけど。&lt;br /&gt;
#**フィギュアスケートは現実の日本みたいに1990年代から強くなり、2000年代には世界の強豪となり、2010年代には女子がロシアと張り合っていた。&lt;br /&gt;
#野球の普及率・レベルが現実の台湾並みに上がっていた。&lt;br /&gt;
#*人口・国力などを考えるとアメリカに匹敵する強豪だった可能性が高い。&lt;br /&gt;
#**アメリカではなく中国の球団に移る日本人選手もいた。&lt;br /&gt;
#***王貞治辺りが移っていたかも。&lt;br /&gt;
#**オイルショックの辺りでアメリカを抜いて世界最大の経済大国となり、1980年代に世界の覇権国家になるので、2000年頃には野球の本場と言えば中国と言える状況になっていた。&lt;br /&gt;
#**日本のプロ野球界でも多くの中国人選手が活躍している。&lt;br /&gt;
#*卓球も現実と変わらない程の強豪国になっていた。&lt;br /&gt;
#*一方でサッカーの普及率は現実同様低いまま。W杯出場は早くて1980年代、下手すれば日本と同じ98年となっていた。&lt;br /&gt;
#*中国出身の大相撲力士も早くから誕生していただろう。&lt;br /&gt;
#**下手したら現在の角界は中国人力士が大活躍している。&lt;br /&gt;
#*テニスの普及率も高く、現在のテニス界では中国選手が大活躍している。四大大会に中国オープンが加わり五大大会になっていた。中国が冷戦終結・ソ連崩壊後に世界の覇権国家になっていたら尚更。&lt;br /&gt;
#中国競馬業界が目指している、現役競走馬数10万頭・年間生産頭数2万頭といった世界トップクラスへの規模拡大も、国民党が勝ったことで史実の共産党による競馬禁止が行われず、既に達成する事が出来ていた。&lt;br /&gt;
#2002年のサッカーW杯は日韓華共催となっていた。&lt;br /&gt;
#*もしくは2002年のW杯が中国で開催され、2022年が日韓共催か日本単独開催になっていた。&lt;br /&gt;
#*中韓共催では？&lt;br /&gt;
#中国国内における他のオリンピックや万博については、1985年に西安万博、1998年にハルビン冬季オリンピック、2008年に広州オリンピック、2010年に武漢万博、現実通り2022年に北京冬季オリンピックが開催されている。&lt;br /&gt;
#*1988年のオリンピックに武漢が立候補するも、落選していた。&lt;br /&gt;
#**もちろんこの世界では2020年代の武漢コロナテロも起きていないので武漢と言えばオリンピックのイメージだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==共産党のその後==&lt;br /&gt;
===全般===&lt;br /&gt;
#どこに逃れようとも中華民国が中国の名を冠し続ける以上、共産党政府は「中共」もしくは「新中国」と呼ばれ続けていた。&lt;br /&gt;
#下にもあるようにソ連崩壊で立場がだいぶ危うくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===満州に逃れた場合===&lt;br /&gt;
#「中華人民共和国」は国境線を脅かされ、政治主義を超えて日米に接近。&lt;br /&gt;
#毛沢東はとっくの昔に失脚し、周恩来か林彪が実権を握り、日満国交正常化を実現させる。&lt;br /&gt;
#日本が残したインフラと豊富な資源を元に地道に発展を遂げ、今の[[ベトナム]]のような政体になっている。&lt;br /&gt;
#ソ連崩壊からしばらくして民主化されていたかも。&lt;br /&gt;
#果たして史実通り珍宝島事件は起こったのだろうか？&lt;br /&gt;
#*史実の中華人民共和国ほど国力がなく、ソ連に対抗することが出来ないため起こっていない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#**ソ連に有利なように国境線が一方的に決められていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===台湾に逃れた場合===&lt;br /&gt;
#共産党勢力が台湾に逃げ込んで、キューバのような状況になるのでは？&lt;br /&gt;
#台湾で文化大革命が起きていた。&lt;br /&gt;
#*そんな内乱状態にして外敵からの侵入を容易にはさせないだろう。むしろ共産党により二・二八事件のような虐殺がおきて戒厳令が敷かれる。&lt;br /&gt;
#なんとなく、対外強硬策はとっていないような気がする。&lt;br /&gt;
#*でも少なくとも沖縄の領有権は主張しそう。&lt;br /&gt;
#毛沢東の息子・毛岸英は朝鮮戦争に参加せず、戦死もしないため、親子の間で世襲交代が行われる。&lt;br /&gt;
#台湾の政治体制が共産主義になる他は、文化大革命がないため史実と同じように1980年代から高度経済成長期に入っていた。&lt;br /&gt;
#*改革･開放や中ソ対立による西側接近がなかった場合、今でも貧乏だったかも。&lt;br /&gt;
#**改革･開放や西側接近があっても、史実の中国ほど重要視されないため、そこまでは裕福にならなかった。ベトナム戦争のような国土が疲弊する出来事がないぶん史実のベトナムよりは早く経済成長に入ったと思われるが、史実のタイやマレーシアくらいの地位じゃないだろうか。&lt;br /&gt;
#中ソ対立があった場合、地理的に離れているので珍宝島事件のような衝突は起きなかった。&lt;br /&gt;
#80年代に崩壊していたか現在も共産主義だったかは微妙なところだ。&lt;br /&gt;
#*改革･開放や西側接近を行わなかった場合東欧革命の時期に崩壊していた気もするが、キューバやラオスの例を見るとなんともいえない。&lt;br /&gt;
#中ソ対立があっても、史実ほど海外に中国派や毛主義の勢力はできなかったかも。&lt;br /&gt;
#日本と非常に仲が悪い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ソ連に逃れた場合===&lt;br /&gt;
#毛沢東はソ連共産党員となっていたか、国民党政府に対抗するゲリラを結成していただろう。&lt;br /&gt;
#*やはり国民党中国はソ連と対立するので、それを生かして国民党政府に対抗していただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===新疆に逃れた場合===&lt;br /&gt;
#毛沢東は史実以上にソ連との関係を深めていた。&lt;br /&gt;
#ソ連崩壊でウイグル人が実権を握る「ウイグリスタン共和国」になっている。&lt;br /&gt;
#新疆の現地住民への弾圧は現実と変わらなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===なぜか日本に逃れた場合===&lt;br /&gt;
#[[もし日本が南北に分断されていたら|日本は分断国家になっていた。]]&lt;br /&gt;
#*東日本の首都は東京に、西日本の首都は大阪になっていた。&lt;br /&gt;
#**大阪は史実ほど東京に吸い取られなかったので衰退しなかっただろう。特に中共が東日本に行った場合。&lt;br /&gt;
#***むしろ現実以上に発展していた。&lt;br /&gt;
#***中曽根・小泉両内閣もなかったため、その後の新自由主義や失われた30年もなかった。&lt;br /&gt;
#***少なくとも小笠原諸島の東日本返還は無かった。&lt;br /&gt;
#*何れにせよ朝鮮戦争は起きなかった一方で、GHQと中共との間で日本戦争が起きていた。&lt;br /&gt;
#**その過程で米軍は伊豆諸島も武力で占拠していた。&lt;br /&gt;
#**ソ連も介入していたら北海道が大規模な戦火に巻き込まれるだろう。下手すると戦後、道全土がソ連領になっていたかもしれない。&lt;br /&gt;
#統一に成功していた場合[[もし日本が共産主義化していたら|こうなる。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===消滅した場合===&lt;br /&gt;
#どんな最期を迎えたのだろう？&lt;br /&gt;
#*「中国共産党の勃興から消滅までの物語」がハリウッドで映画化される。&lt;br /&gt;
#*恐らく、ソ連が共産党に勝ち目はない事で見捨ててて、共産党が自然的に崩壊かな。&lt;br /&gt;
#*その場合、ソ連の国力が落ちていたのでペレストロイカやグラスノスチ、冷戦終結やソ連崩壊が早まった。&lt;br /&gt;
#**少なくともフルシチョフは失脚しなかった。&lt;br /&gt;
#**北方領土の日本返還も1980年代あたりに実現していた。&lt;br /&gt;
#***やっぱり現地島民は生活水準が上がることを喜ぶ。&lt;br /&gt;
#*もしくは国共内戦中にソ連が崩壊し、後ろ楯を失った共産党が自然的に崩壊かな。&lt;br /&gt;
#*国共内戦中に毛沢東が命を落として、共産党が分裂して崩壊も有り得る。&lt;br /&gt;
#「中国共産党の後継者(残党)」を名乗る輩が中華民国にちょっかいを出し続けていたのは間違いなさそう。&lt;br /&gt;
#社会主義や共産主義と言った概念は1970年代には衰退していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[もし国共内戦が痛み分けに終わっていたら]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 中国史|こくみんとうかきようさんとうにかつていたら]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 冷戦史|ちゆうこくこくみんとうかきようさんとうにかつていたら]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408009</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-11T04:12:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし[https://imgur.com/sX7hwvT 実際は16歳年下の1860年生まれとされる。]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森元いと====&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現=在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=408008</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-11T04:01:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====守分梅====&lt;br /&gt;
#1956年頃に長寿日本一とされた。&lt;br /&gt;
#しかし実際は15歳年下とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===森元いと===&lt;br /&gt;
#1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現=在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=407981</id>
		<title>日本の長寿者</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=407981"/>
				<updated>2024-07-05T03:05:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 石崎伝蔵 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現=在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=407970</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-04T12:52:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 長谷川三之助 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現=在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%AF%BF%E8%80%85&amp;diff=407969</id>
		<title>日本の長寿者</title>
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				<updated>2024-07-04T12:52:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 長谷川三之助 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#日本国内の長生きした人についてまとめる。&lt;br /&gt;
#ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る（[[天皇伝/上代|上代の天皇]]みたいなのを入れていたらキリがないので。&lt;br /&gt;
#原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ベタな日本の長寿者の法則==&lt;br /&gt;
#禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。&lt;br /&gt;
#*下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。&lt;br /&gt;
#*肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる（≒良質なタンパク質を摂る）ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。&lt;br /&gt;
#**「肉が食べられるくらい胃が丈夫＝健康だから長生きできた」ということかもしれない。&lt;br /&gt;
#大体戦時中の話が出てくるのはデフォ&lt;br /&gt;
#*最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか[[西南戦争]]が飛び出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国内最高齢者==&lt;br /&gt;
===渡邊すゑ===&lt;br /&gt;
#記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県[[羽島市]]在住だった。&lt;br /&gt;
#110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。&lt;br /&gt;
#1953年1月中に没。&lt;br /&gt;
#ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===馬田鹿蔵===&lt;br /&gt;
#男性107歳第二号。&lt;br /&gt;
#男性初の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===廿日出徳三郎===&lt;br /&gt;
#男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===梅田ミト===&lt;br /&gt;
#GRG認定の日本最高齢第１号。1863年生まれで現在の[[熊本市]]南区出身。&lt;br /&gt;
#*ただ、結婚した年齢が37歳？　なのは疑問。&lt;br /&gt;
#国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===河本にわ===&lt;br /&gt;
#日本最高齢で史上初の113歳到達者。1863年生まれで[[滋賀]]県在住だった。&lt;br /&gt;
#最後の大政奉還以前生まれの日本人。&lt;br /&gt;
#孫は[[滋賀の経済#アヤハ|アヤハグループ]]創業者の河本嘉久蔵元参議院議員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===市川まん===&lt;br /&gt;
#日本最高齢になったけど2日で亡くなった。&lt;br /&gt;
#*山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===佐藤増太郎===&lt;br /&gt;
#廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。&lt;br /&gt;
#当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長田杢太郎===&lt;br /&gt;
#1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。&lt;br /&gt;
#*石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===白浜ワカ===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人114歳到達者。&lt;br /&gt;
#*なお速攻で抜かれた模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===猪飼たね===&lt;br /&gt;
#史上初の日本人115歳、116歳到達者。&lt;br /&gt;
#*ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。&lt;br /&gt;
#**ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。&lt;br /&gt;
#Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。&lt;br /&gt;
#多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。&lt;br /&gt;
#*死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは？&lt;br /&gt;
#愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===宮永スエキク===&lt;br /&gt;
#趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと&amp;quot;guitar and dance&amp;quot;って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。&lt;br /&gt;
#地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#*泉重千代翁は非公認記録なので。&lt;br /&gt;
#4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松永タセ===&lt;br /&gt;
#新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。&lt;br /&gt;
#112歳の時に進め！電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[石崎伝蔵]]===&lt;br /&gt;
#元学校の校長先生。&lt;br /&gt;
#戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど[https://web.archive.org/web/20211127151154/http://www.kawamata.co.jp/utyu/miti_1.html 実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*この説が事実場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。&lt;br /&gt;
#**並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。&lt;br /&gt;
#**茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。&lt;br /&gt;
#***並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
#**日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。&lt;br /&gt;
#**1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。&lt;br /&gt;
#**男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。&lt;br /&gt;
#***女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。&lt;br /&gt;
#***そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。&lt;br /&gt;
#日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。&lt;br /&gt;
#戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。&lt;br /&gt;
#趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。&lt;br /&gt;
#*戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。&lt;br /&gt;
#2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[織田信長]]にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[中願寺雄吉]]===&lt;br /&gt;
#確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。&lt;br /&gt;
#*割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[豊臣秀吉]]にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===小山ウラ===&lt;br /&gt;
#この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#*同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。&lt;br /&gt;
#*日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[木村次郎右衛門]]===&lt;br /&gt;
#日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。&lt;br /&gt;
#*男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。&lt;br /&gt;
#京都府内の歴代最高齢者であり、上の'''石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性'''。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。&lt;br /&gt;
#*京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。&lt;br /&gt;
#出生時の名前は三宅金治郎。&lt;br /&gt;
#*結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。&lt;br /&gt;
#前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大川ミサヲ===&lt;br /&gt;
#日本人初の117歳到達者。&lt;br /&gt;
#116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか？アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===(氏名非公開)===&lt;br /&gt;
#歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表&lt;br /&gt;
#*ただし誕生日と住所は判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===都千代===&lt;br /&gt;
#確実な証拠がある中で117歳到達第2号。&lt;br /&gt;
#好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。&lt;br /&gt;
#孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。&lt;br /&gt;
#114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田中カ子===&lt;br /&gt;
#日本人初の118歳、119歳到達者。&lt;br /&gt;
#'''「死ぬ気がせん」'''の人。&lt;br /&gt;
#*40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。&lt;br /&gt;
#*どんだけ生命力あんねんこの人……。&lt;br /&gt;
#2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。&lt;br /&gt;
#*と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。{{極小|自分も最初間違えて覚えていたが。}}&lt;br /&gt;
#*カはカタカナ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===巽フサ===&lt;br /&gt;
#田中カ子さんの次の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#「ごはんまだでっかー！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===糸岡富子===&lt;br /&gt;
#2023年12月現在の長寿日本一。&lt;br /&gt;
#登山が好きだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==男性国内最高齢者==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===織田惣三郎===&lt;br /&gt;
#男性初の107歳。&lt;br /&gt;
#長生きの家系だった。&lt;br /&gt;
#ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===長谷川三之助===&lt;br /&gt;
#105歳没だけど[https://imgur.com/k2ggfBy 戸籍届けが2年遅れたため、107歳没とする説がある。]&lt;br /&gt;
#*こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===松浦幾松===&lt;br /&gt;
#老人福祉法制定時点での男性最高齢者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===津江市作===&lt;br /&gt;
#木城村村長で新しき村の開発に協力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===高田栄作===&lt;br /&gt;
#男性初の108歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吉川与三太郎===&lt;br /&gt;
#1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===大野又一===&lt;br /&gt;
#男性初の109歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===鶴英寿===&lt;br /&gt;
#男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。&lt;br /&gt;
#後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===原志免太郎===&lt;br /&gt;
#お灸と関わりが深い医師だった。&lt;br /&gt;
#奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田辺定義===&lt;br /&gt;
#114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。&lt;br /&gt;
#*織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。&lt;br /&gt;
#一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===田鍋友時===&lt;br /&gt;
#↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。&lt;br /&gt;
#名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。&lt;br /&gt;
#113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。&lt;br /&gt;
#見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===百井盛===&lt;br /&gt;
#石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。&lt;br /&gt;
#福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===野中正造===&lt;br /&gt;
#20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。&lt;br /&gt;
#木村次郎右衛門さん没後としても初。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===渡邉智哲===&lt;br /&gt;
#浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===上田幹蔵===&lt;br /&gt;
#半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。&lt;br /&gt;
#112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===薗部儀三郎===&lt;br /&gt;
#2023年現在の男性長寿日本一&lt;br /&gt;
#事実上の最後の明治生まれの男性である。&lt;br /&gt;
#2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。&lt;br /&gt;
#*よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本一になったけど、なった事が疑問視されている人 ==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====中村重兵衛====&lt;br /&gt;
#1852年生まれ、1968年没。岩手県[[釜石市]]出身。&lt;br /&gt;
#三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。&lt;br /&gt;
#釜石市に同人の銅像がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====泉重千代====&lt;br /&gt;
#1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。&lt;br /&gt;
#[[徳之島]]出身。&lt;br /&gt;
#*本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。&lt;br /&gt;
#実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。&lt;br /&gt;
#*調べるとこの段階では[[奄美大島]]の龍郷町に1879年生まれ（1988年没）の男性、[[薩摩川内市|川内市]]（当時）に1878年生まれ（1987年没）の女性も健在だったとのこと。まあそれにしてもすごいのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[渡名喜元完]]====&lt;br /&gt;
#男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。&lt;br /&gt;
#*しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。&lt;br /&gt;
#**しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====小林やす====&lt;br /&gt;
#1846年生まれ、1964年没。山梨県[[大月市]]出身。&lt;br /&gt;
#初婚50歳？　うせやろ！？&lt;br /&gt;
#手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。&lt;br /&gt;
#「小林やそ」「小林やと」という表記もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====津川イネ====&lt;br /&gt;
#↑の[[#泉重千代|泉重千代翁]]の後に日本最高齢になったとされてきた人。&lt;br /&gt;
#実際には泉さんの前の人が彼より1年以上前に亡くなっている。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/ine-tsugawa-verified-or-unverified-t5450.htmlp22141803 実は年齢に疑問]があったりする。長男が出生時点で43歳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藤沢ミつ====&lt;br /&gt;
#↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。&lt;br /&gt;
#実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。&lt;br /&gt;
#*このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[秋野やす]]====&lt;br /&gt;
#松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====本郷かまと====&lt;br /&gt;
#1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。&lt;br /&gt;
#*実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。&lt;br /&gt;
#*調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。&lt;br /&gt;
#徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。&lt;br /&gt;
#生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。&lt;br /&gt;
#2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====知念カマ====&lt;br /&gt;
#生前には氏名を非公表としていた。&lt;br /&gt;
#*氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====田島ナビ====&lt;br /&gt;
#戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。&lt;br /&gt;
#晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。&lt;br /&gt;
#この人も[https://the110club.com/undisputed-oldest-people-ever-t3-s240.html#p40149591 年齢に疑いがある。] 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。&lt;br /&gt;
#*こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長生きした有名人==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====平櫛田中====&lt;br /&gt;
#国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。&lt;br /&gt;
#平櫛さんと田中さんのコンビではない。&lt;br /&gt;
#*田中が名前で、「でんちゅう」と読む。&lt;br /&gt;
#*田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。&lt;br /&gt;
#[[小平市]]に美術館がある。&lt;br /&gt;
#実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大西良慶====&lt;br /&gt;
#元清水寺の貫主。&lt;br /&gt;
#日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。&lt;br /&gt;
#平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====[[東久邇宮稔彦]]====&lt;br /&gt;
#首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか'''世界最長寿'''となった。&lt;br /&gt;
#*これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。&lt;br /&gt;
#首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。&lt;br /&gt;
#臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。&lt;br /&gt;
#*旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。&lt;br /&gt;
#**ブラジルに入植した一族もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下川原孝====&lt;br /&gt;
#100歳以上の記録を現=在でも数多く保持している。&lt;br /&gt;
#*マスターズ陸上選手。&lt;br /&gt;
#東日本大震災で被災し死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日野原重明====&lt;br /&gt;
#聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。&lt;br /&gt;
#ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====福井福太郎====&lt;br /&gt;
#101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。&lt;br /&gt;
#*100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。&lt;br /&gt;
#*宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。&lt;br /&gt;
#*ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====堀江正夫====&lt;br /&gt;
#元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。&lt;br /&gt;
#妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。&lt;br /&gt;
#*娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====中曽根康弘====&lt;br /&gt;
#首相としても三公社の民営化などの実績を残した。&lt;br /&gt;
#*こちらは現在でも有能宰相の一人に挙げられることも多い。&lt;br /&gt;
#**特に外交面の評価が高く、[[アメリカ合衆国]]との関係は非常に良好だった。また、ロナルド・レーガン大統領とは親友の関係だった。&lt;br /&gt;
#**ただ[[日本国有鉄道|国鉄]]（今の[[JR]]）の民営化に関しては大都市圏のサービスが向上したとして好意的な意見が多い一方で、「職員の労働環境はむしろ悪化した」「地方の鉄道の衰退を招いた）という批判的な意見もある。&lt;br /&gt;
#**バブル経済へ誘導したのも必ずしも高評価とは言い難い。&lt;br /&gt;
#首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。&lt;br /&gt;
#*衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。&lt;br /&gt;
#大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。&lt;br /&gt;
#首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。&lt;br /&gt;
#*1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。&lt;br /&gt;
#*そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)====&lt;br /&gt;
#双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・ＣＭに引っ張りだこになった。&lt;br /&gt;
#*妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。&lt;br /&gt;
#「[[楽曲/き#きんちゃんとぎんちゃん|きんちゃんとぎんちゃん]]」という歌で、歌手デビューしたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====森シノ====&lt;br /&gt;
#インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー&lt;br /&gt;
#*世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====後藤はつの====&lt;br /&gt;
#73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====吉行あぐり====&lt;br /&gt;
#その名の通り、NHKの朝ドラ「[[連続テレビ小説/1990年代#あぐり（97前）|あぐり]]」のモデルになった美容師。&lt;br /&gt;
#*「あぐり」放映当時（1997年）は90歳だったが、その後107歳まで生きた。&lt;br /&gt;
#*ただし「あぐり」自体は本名ではない。（本名は同じ読みで「安久利」と表記する。）&lt;br /&gt;
#私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人（作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵）のうち2人（淳之介、理恵）に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の長寿者==&lt;br /&gt;
===男性===&lt;br /&gt;
====五十嵐清====&lt;br /&gt;
#111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。&lt;br /&gt;
====山下義一====&lt;br /&gt;
#[[中国地方]]の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。&lt;br /&gt;
#110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。&lt;br /&gt;
#*書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===女性===&lt;br /&gt;
====中地シゲヨ====&lt;br /&gt;
#2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。&lt;br /&gt;
#*その田中カ子さんとは在住していた市が隣同士([[佐賀市]]・[[福岡市]])であった。&lt;br /&gt;
====乙成ヨシ====&lt;br /&gt;
#2022年1月に115歳で死去。&lt;br /&gt;
#当時田中カ子（当時119）がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。&lt;br /&gt;
#*各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。&lt;br /&gt;
#田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。&lt;br /&gt;
#*乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目・リンク==&lt;br /&gt;
*[[平均寿命]]&lt;br /&gt;
**[[平均寿命/日本]]&lt;br /&gt;
*[[もしあの長寿者が更に長生きしていたら]]&lt;br /&gt;
*[[wikipedia:ja:高齢で死去した著名人一覧|高齢で死去した著名人一覧(wikipedia)]]&lt;br /&gt;
*[https://sumohima.web.fc2.com/longlife/index.html 日本の長寿者]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:人物伝プラス]]&lt;br /&gt;
[[Category:Chakupedia]]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:にほんのちようしゆしや}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>大久保琴</title>
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				<updated>2024-06-16T03:07:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: /* 備考 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''大久保 琴'''（おおくぼ こと、[[1897年]]〈明治30年〉[[12月24日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011201001603.html |title=世界最高齢の日本女性死去　１１５歳、大久保琴さん |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=47NEWS |archive-url=https://web.archive.org/web/20130209195623/http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011201001603.html |archive-date=2013-02-09 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt; - [[2013年]]〈平成25年〉[[1月12日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |title=女性の世界最高齢、大久保琴さんが死去 115歳 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1202U_S3A110C1CC1000/ |website=日本経済新聞 |date=2013-01-12 |access-date=2022-06-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）は、[[日本]]の[[スーパーセンテナリアン]]。[[神奈川県]][[川崎市]]在住の[[長寿]]の女性。[[2012年]]（平成24年）[[12月17日]]から死去するまで存命中の女性長寿世界一となっていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000532-san-soci |title=世界最高齢の日本人女性死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=Yahoo!ニュース |archive-url=https://web.archive.org/web/20130118050030/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000532-san-soci |archive-date=2013-01-18 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
2011年9月14日時点では息子（三男）と共に高齢者施設にて生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年末から体調を崩していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
2011年12月2日に[[佐賀県]]在住の[[長谷川チヨノ]]が死去したことに伴い、113歳344日で日本で2番目の長寿（女性では日本最高齢）となる&amp;lt;ref name=&amp;quot;:0&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/130112/trd13011216230002-n1.htm |title=世界最高齢の日本人女性死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=MSN産経ニュース |archive-url=https://web.archive.org/web/20130112194730/http://sankei.jp.msn.com/life/news/130112/trd13011216230002-n1.htm |archive-date=2013-01-12 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月17日、[[ディーナ・マンフレディーニ]]が死去したことに伴い、114歳359日で[[木村次郎右衛門]]に次ぐ世界で2番目の長寿（女性では世界最高齢）となる&amp;lt;ref name=&amp;quot;:0&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/01/13/kiji/K20130113004965790.html |title=世界最高齢の日本女性　大久保琴さん１１５歳で死去 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-13 |website=スポニチAnnex |archive-url=https://web.archive.org/web/20130125213359/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/01/13/kiji/K20130113004965790.html |archive-date=2013-01-25 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000027-asahi-soci |title=世界最高齢の女性、大久保琴さん死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=Yahoo!ニュース |archive-url=https://web.archive.org/web/20130115051753/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000027-asahi-soci |archive-date=2013-01-15 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月24日、115歳の誕生日を迎えた。この時点で大久保は歴代の長寿記録保持者の上位30位以内に入っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年1月12日午前12時過ぎ、[[肺炎]]のため川崎市[[高津区]]の有料老人ホームで死去&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi2&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|url=http://www.asahi.com/obituaries/update/0112/TKY201301120144.html|title=世界最高齢の女性、大久保琴さん死去 115歳|agency=朝日新聞|archivedate=2013-11-8|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131108223709/http://www.asahi.com/obituaries/update/0112/TKY201301120144.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{age in years and days|1897|12|24|2013|1|12|to=none}}没。女性長寿日本一及び世界一は大阪府在住の[[大川ミサヲ]]となった。この時点で戸籍上は8カ月（実際には9カ月）年長である木村が存命であったため、男女を問わない長寿世界一となることはなかった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000m040011000c.html |title=訃報:世界最高齢女性、川崎の大久保琴さん死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-13 |website=毎日新聞 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130114220506/http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000m040011000c.html |deadlinkdate=2022-06 |archive-date=2013-01-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、1897年生まれの人物は木村のみとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 備考 ==&lt;br /&gt;
[[2011年]][[12月2日]]、[[佐賀県]]在住の[[長谷川チヨノ]]が死去したことに伴い、[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]（GRG）により大川が日本最高齢の女性と認定された&amp;lt;ref name=grg-e&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.grg.org/SC/WorldSCRankingsList.html| title=GRG World Supercentenarian Rankings List|publisher=[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]|accessdate=2017-01-15}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし厚生労働省は女性最長寿を神奈川県川崎市在住の女性としたため&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120201001661.html |title=長寿日本一長谷川さん死去　京都の男性が最高齢に |newspaper=47NEWS |agency=[[共同通信]] |publisher=[[全国新聞ネット]] |date=2011-12-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150929142120/http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120201001661.html |archivedate=2015-09-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、GRGとの見解に齟齬が生じていたが、2012年9月14日にGRGのリストに大川より72日間だけ年長の大久保が加えられたため、両者の見解は一致した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news |url=http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120914/ecc1209141455001-n2.htm |title=全国の１００歳以上高齢者が初の５万人超え　過去最多更新　最高齢は１１５歳 (2/2ページ) |newspaper=SankeiBiz（サンケイビズ） |publisher=[[産経新聞社]] |date=2012-09-14 |accessdate=2012-09-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121231071459/http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120914/ecc1209141455001-n2.htm |archivedate=2012-12-31}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女性長寿日本一になりながら、男女含めた長寿日本一になれなかったのは2022年現在大久保のみである（なお、津川イネさんの年齢に疑いがある場合は[[長田杢太郎]]の影に隠れた[[久保スウ]](1877-1985)、[[石崎伝蔵]]が戸籍届けが2年遅れた事により実際には1884年生まれとされるために、この場合は[[秋野やす]]も含まれる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[スーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 存命女性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 2012年12月17日 - 2013年1月12日&lt;br /&gt;
    | before = [[ディーナ・マンフレディーニ]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 存命女性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 2011年12月2日 - 2013年1月12日&lt;br /&gt;
    | before = [[長谷川チヨノ]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおくほ こと}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:川崎市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1897年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%90%B4&amp;diff=407868</id>
		<title>大久保琴</title>
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				<updated>2024-06-16T03:02:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''大久保 琴'''（おおくぼ こと、1897年〈明治30年〉12月24日&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011201001603.html |title=...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''大久保 琴'''（おおくぼ こと、[[1897年]]〈明治30年〉[[12月24日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011201001603.html |title=世界最高齢の日本女性死去　１１５歳、大久保琴さん |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=47NEWS |archive-url=https://web.archive.org/web/20130209195623/http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011201001603.html |archive-date=2013-02-09 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt; - [[2013年]]〈平成25年〉[[1月12日]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |title=女性の世界最高齢、大久保琴さんが死去 115歳 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1202U_S3A110C1CC1000/ |website=日本経済新聞 |date=2013-01-12 |access-date=2022-06-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;）は、[[日本]]の[[スーパーセンテナリアン]]。[[神奈川県]][[川崎市]]在住の[[長寿]]の女性。[[2012年]]（平成24年）[[12月17日]]から死去するまで存命中の女性長寿世界一となっていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000532-san-soci |title=世界最高齢の日本人女性死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=Yahoo!ニュース |archive-url=https://web.archive.org/web/20130118050030/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000532-san-soci |archive-date=2013-01-18 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
2011年9月14日時点では息子（三男）と共に高齢者施設にて生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年末から体調を崩していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 長寿記録 ==&lt;br /&gt;
2011年12月2日に[[佐賀県]]在住の[[長谷川チヨノ]]が死去したことに伴い、113歳344日で日本で2番目の長寿（女性では日本最高齢）となる&amp;lt;ref name=&amp;quot;:0&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/130112/trd13011216230002-n1.htm |title=世界最高齢の日本人女性死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=MSN産経ニュース |archive-url=https://web.archive.org/web/20130112194730/http://sankei.jp.msn.com/life/news/130112/trd13011216230002-n1.htm |archive-date=2013-01-12 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月17日、[[ディーナ・マンフレディーニ]]が死去したことに伴い、114歳359日で[[木村次郎右衛門]]に次ぐ世界で2番目の長寿（女性では世界最高齢）となる&amp;lt;ref name=&amp;quot;:0&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/01/13/kiji/K20130113004965790.html |title=世界最高齢の日本女性　大久保琴さん１１５歳で死去 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-13 |website=スポニチAnnex |archive-url=https://web.archive.org/web/20130125213359/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/01/13/kiji/K20130113004965790.html |archive-date=2013-01-25 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000027-asahi-soci |title=世界最高齢の女性、大久保琴さん死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-12 |website=Yahoo!ニュース |archive-url=https://web.archive.org/web/20130115051753/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000027-asahi-soci |archive-date=2013-01-15 |deadlinkdate=2022-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月24日、115歳の誕生日を迎えた。この時点で大久保は歴代の長寿記録保持者の上位30位以内に入っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年1月12日午前12時過ぎ、[[肺炎]]のため川崎市[[高津区]]の有料老人ホームで死去&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi2&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news|url=http://www.asahi.com/obituaries/update/0112/TKY201301120144.html|title=世界最高齢の女性、大久保琴さん死去 115歳|agency=朝日新聞|archivedate=2013-11-8|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131108223709/http://www.asahi.com/obituaries/update/0112/TKY201301120144.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{age in years and days|1897|12|24|2013|1|12|to=none}}没。女性長寿日本一及び世界一は大阪府在住の[[大川ミサヲ]]となった。この時点で戸籍上は8カ月（実際には9カ月）年長である木村が存命であったため、男女を問わない長寿世界一となることはなかった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000m040011000c.html |title=訃報:世界最高齢女性、川崎の大久保琴さん死去　１１５歳 |access-date=2022-06-21 |date=2013-01-13 |website=毎日新聞 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130114220506/http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000m040011000c.html |deadlinkdate=2022-06 |archive-date=2013-01-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、1897年生まれの人物は木村のみとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 備考 ==&lt;br /&gt;
[[2011年]][[12月2日]]、[[佐賀県]]在住の[[長谷川チヨノ]]が死去したことに伴い、[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]（GRG）により大川が日本最高齢の女性と認定された&amp;lt;ref name=grg-e&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.grg.org/SC/WorldSCRankingsList.html| title=GRG World Supercentenarian Rankings List|publisher=[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]|accessdate=2017-01-15}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし厚生労働省は女性最長寿を神奈川県川崎市在住の女性としたため&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120201001661.html |title=長寿日本一長谷川さん死去　京都の男性が最高齢に |newspaper=47NEWS |agency=[[共同通信]] |publisher=[[全国新聞ネット]] |date=2011-12-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150929142120/http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120201001661.html |archivedate=2015-09-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、GRGとの見解に齟齬が生じていたが、2012年9月14日にGRGのリストに大川より72日間だけ年長の大久保が加えられたため、両者の見解は一致した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news |url=http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120914/ecc1209141455001-n2.htm |title=全国の１００歳以上高齢者が初の５万人超え　過去最多更新　最高齢は１１５歳 (2/2ページ) |newspaper=SankeiBiz（サンケイビズ） |publisher=[[産経新聞社]] |date=2012-09-14 |accessdate=2012-09-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121231071459/http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120914/ecc1209141455001-n2.htm |archivedate=2012-12-31}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女性長寿日本一になりながら、男女含めた長寿日本一になれなかったのは2022年現在大久保のみである（なお、[[石崎伝蔵]]が戸籍届けが2年遅れた事により実際には1884年生まれとされるために、この場合は[[秋野やす]]も含まれる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[スーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ach|rec}}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = 存命女性のうち世界最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 2012年12月17日 - 2013年1月12日&lt;br /&gt;
    | before = [[ディーナ・マンフレディーニ]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
  {{Succession box&lt;br /&gt;
    | title  = {{flagicon|JPN}} 存命女性のうち日本最高齢&lt;br /&gt;
    | years  = 2011年12月2日 - 2013年1月12日&lt;br /&gt;
    | before = [[長谷川チヨノ]]&lt;br /&gt;
    | after  = [[大川ミサヲ]]&lt;br /&gt;
  }}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおくほ こと}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:川崎市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1897年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<title>衛藤衛</title>
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				<updated>2024-06-16T02:56:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''衛藤 衛'''（えとう まもる、1883年2月3日 - 1992年2月16日）は、日本の宣教師。アメリカの日系アメリカ人|日系...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''衛藤 衛'''（えとう まもる、[[1883年]][[2月3日]] - [[1992年]][[2月16日]]）は、日本の[[宣教師]]。アメリカの[[日系アメリカ人|日系人]]教会でも[[牧師]]を務めた。日本人[[マフィア]]の[[モンタナ・ジョー]]こと衛藤健の実父でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
[[大分県]][[竹田市|竹田]]に生まれる。[[大分師範学校]]卒業後、[[1903年]]（明治36年）[[徴兵検査]]に合格し、[[第12師団 (日本軍)|第12師団]]に所属。[[1904年]]（明治37年）の[[日露戦争]]の際には[[遼陽会戦]]に参加。歩兵連隊の司令部で戦闘報告書を書く任務に就く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[関西学院]]の創立にも関わり、体操の教師を務めた。[[1917年]]（大正6年）に日本政府より、日系アメリカ人の実態調査を命じられ、[[カリフォルニア州]]に派遣される。現地の日系人の荒んだ状態を目の当たりにした衛藤は、彼らを救済するために、[[ストックトン (カリフォルニア州)|ストックトン]]で教会を開く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1919年]]に長男・健（後の、ジョー・モンタナ）が誕生するも、[[1933年]]に健は父と喧嘩して家出し、後にマフィアになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
衛藤は、戦前から戦中の収容所生活を経て、戦後にも[[ハリウッド]]の祈りの家の主任牧師を勤め、[[北米ホーリネス教会]]に加わる。[[1992年]]に米国で109歳で死去する&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|title=連載 神戸秘話 ④　牧師の息子は稀代のギャングスター {{!}} 神戸っ子|url=https://kobecco.hpg.co.jp/9385/|website=kobecco.hpg.co.jp|accessdate=2021-12-09|work=月刊 神戸っ子 2017年4月号}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、日本国内で[[岡儀平]]が死去した際に、[[渡名喜元完]]が戸籍上で男性長寿日本一（[[石崎伝蔵]]が戸籍届けが2年遅れた事により実際には1884年生まれとされるために、場合によっては石崎が男性長寿日本一）となったが、国外に移住した人物を含めると衛藤が男性長寿日本一であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:えとう まもる}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦前日本の牧師]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の牧師]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の牧師]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の教育者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日系アメリカ人抑留]]&lt;br /&gt;
[[Category:日露戦争の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大分県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1883年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1992年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国のセンテナリアン]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E5%B2%A1%E5%84%80%E5%B9%B3&amp;diff=407866</id>
		<title>岡儀平</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ページの作成:「'''岡 儀平'''（おか ぎへい、1883年1月30日 - 1991年9月28日）は、かつて男性長寿日本一だった栃木県小山市の...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''岡 儀平'''（おか ぎへい、[[1883年]][[1月30日]] - [[1991年]][[9月28日]]）は、かつて男性[[長寿]]日本一だった[[栃木県]][[小山市]]の人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1991年6月18日に[[福岡県]]の[[医師]] [[原志免太郎]]が死去し、男性長寿日本一になった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.grg.org/Adams/JapaneseCent.htm Japanese Centenarian Record Holders {{Nowiki|[1978 - 2001]}}]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年9月28日に108歳で死去。岡の死去により、[[渡名喜元完]]が戸籍上での男性長寿日本一となった。&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;etou&amp;quot;&amp;gt;ただし、海外に移住した日本人も含めれば、[[衛藤衛]]が岡の次代の最高齢者となる。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;ishizaki&amp;quot;&amp;gt;[[石崎伝蔵]]が戸籍届けが2年遅れて実際には1884年生まれとされるために、石崎が岡の次代の最高齢者の可能性がある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年生まれの著名人に[[鳩山一郎]]、[[志賀直哉]]、[[高村光太郎]]、[[北大路魯山人]]、[[北一輝]]らがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|男性長寿日本一|{{Nowrap|&amp;amp;nbsp;[[1991年]][[6月18日]] - [[1991年]][[9月28日]]&amp;amp;nbsp;}}|[[原志免太郎]]|[[渡名喜元完]]&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;etou&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot; name=&amp;quot;ishizaki&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おか きへい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:栃木県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1883年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1991年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E7%A7%8B%E9%87%8E%E3%82%84%E3%81%99&amp;diff=407865</id>
		<title>秋野やす</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''秋野 やす'''（あきの やす、[[1885年]]〈明治18年〉[[3月1日]] - [[1999年]]〈平成11年〉[[2月12日]]）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.grg.org/Gallery/1885Gallery.html 1885Gallery] [[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]&amp;lt;/ref&amp;gt;は、[[1998年]][[11月]]から翌1999年[[2月]]まで[[長寿]][[日本一]]だったとされる[[静岡県]][[榛原郡]][[相良町]]（現[[牧之原市]]）の女性。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
100歳を過ぎても老人クラブに出席していた。[[1994年]]に自宅で転倒して足を骨折するが、杖を使用して歩行できるまでに回復。骨折するまでは元気に畑仕事もこなしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年7月に[[低血圧]]で入院したが回復し、9月に退院。最晩年までベッドの上でよく話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[内閣制度]]が制定された年の生まれで、生涯のうちに初代の[[伊藤博文]]から[[小渕恵三]]まで実に84代、54人の[[総理大臣]]がいたことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年2月、[[老衰]]によって[[死去]]。113歳と348日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[石崎伝蔵]]が戸籍届けの遅れから実際には1884年生まれとする説があり（詳しくは[[石崎伝蔵]]を参照）、この場合女性長寿日本一になりながら長寿日本一にはなっていない事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あきの やす}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:静岡県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1885年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

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		<title>アンナ・カラシニコワ</title>
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				<updated>2024-05-27T10:49:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;アンナ・イゴレフナ・カラシニコワ (ロシア語:Анна Игоревна Калашникова) ([[1984年]][[6月13日]]生まれ、[[スタヴロポリ]]) - ロシアの女優、司会者、[[モデル]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:アンナ・カラシニコワ.jpg|250px|thumb]]&lt;br /&gt;
アンナ・カラシニコワは、1984年6月13日にスタヴロポリ市で生まれました。 彼女は幼い頃から女優になることを夢見ており、創造性に興味を示していましたが、地方ではアンナが情熱を注いでいたことを行う機会がありませんでした。 カラシニコワは幼少期をピャチゴルスクで過ごし、金メダルを獲得して学校を卒業した後、演劇学校に入学するためにモスクワに行ったが、入学はすでに締め切られていたため、アンナは経済学部のモスクワ航空研究所に入学した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アンナは映画の夢から離れず、モスクワ航空研究所での勉強と並行して、カレン・シャフナザロフの本社にあるモスフィルムに就職した。 当初、彼女はエピソード的な役割を果たし、キャスティングに参加していましたが、後に映画「モスクワの窓」、「シンプルな真実」などでより深刻な役割をオファーされました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モスクワ航空研究所を卒業した後、アンナは長年の夢をかなえ、通信人民芸術大学の演技コースを修了し、モスクワ国立映画大学のジコフ・ポリャコフコースに入学します。 したがって、アンナはMAI州立工科大学、モスクワ航空研究所（州立工科大学）、経済学部を持っています。 エンジニアリング、経済学者、プログラマーの優等学位を取得。 通信 人民芸術大学演技科（集中演技コース）。 MGUKI モスクワ州立文化芸術大学演技科卒業。 その後、女優はアメリカに渡り、ロサンゼルス（アメリカ）のニューヨーク・フィルム・アカデミー（映画俳優）の学生となり、同時に演技スタジオで学ぶ：イヴァンナ・チャバック、マージー・ハーバー、レスリー・カーン（ロサンゼルス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、ロシアに戻った後、女優はA.アタネシアン、S.ソロヴィヨフ、A.マズノフ、P.バスロフ、B.カザコフ、D.ラブロフなどの監督と協力しました。 アンナは、M. ガルスティアン、S. スヴェトラコフ、K. クリュコフ、A. ヴェネス、その他多くの有名なロシアの俳優と同じ映画に出演しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィルモグラフィー ==&lt;br /&gt;
*「モスクワの窓」A.アラヴィン&lt;br /&gt;
*「単純な真実」 Y. ベレンキー、E. スタルコフ、V. シュメレフ&lt;br /&gt;
*「不誠実」A.セリバノフ&lt;br /&gt;
* 2010 『誘惑の街』 A. クリヤミン、S. ウラソフ&lt;br /&gt;
※2010年『犯罪は解決します-2』S・リビン、I・シチェゴレフ『冬の狩り』第10話&lt;br /&gt;
*「最高の祖母」E. ジガエワ、I. クビリカゼ著&lt;br /&gt;
※『マンティコア』W.キット著&lt;br /&gt;
*「クレイジーエンジェル」A.スカレフ&lt;br /&gt;
*「スペツコア」M.シェフチュク&lt;br /&gt;
*「愚かな弾丸」V.チチコフ&lt;br /&gt;
* 2008 「ヴォルコフの時間」 M. ユゾフスキー | ヴィカ | 「ダイヤモンド・ポイズン」第18話&lt;br /&gt;
*「いつか愛が生まれる」V.ニコラエフ、D.マゴノフ&lt;br /&gt;
*「オドノクラスニキ」S.A.ソロヴィエフ著&lt;br /&gt;
*「私たちのロシア」P.バスロフ著&lt;br /&gt;
*「マグ」 S. アンドレアシアン&lt;br /&gt;
※「結婚指輪」D.ゴールドマン&lt;br /&gt;
*「私の」A.コムコフ&lt;br /&gt;
*「赤毛」V.バベンコ著&lt;br /&gt;
*「円の十字」D.フェドロフ&lt;br /&gt;
*「嘘の迷宮」V. ポゴレロフ&lt;br /&gt;
* 2010年 「ジョーカー」 D. ラヴロフ | 受付の女の子&lt;br /&gt;
*「クレムリン士官候補生」V. コズロフスキー、A. グレベンキン&lt;br /&gt;
*「並外れた物語」O.バルコフスカヤ、I.プロコペンコ著。&lt;br /&gt;
※「私たちに青春をください！」 O.ランド&lt;br /&gt;
* 2010「メインバージョン」アレクサンダー・スミルノフ | モデル事務所の秘書 | 「リビンググッズ」第6話&lt;br /&gt;
*「歌手」A.キリエンコ&lt;br /&gt;
*「アンジェリカ」R.プロスヴィニン&lt;br /&gt;
*「探偵」I.ゴロワノフ、K.ザキロフ&lt;br /&gt;
* &amp;quot;私は生きる！&amp;quot; D.マゴノフ&lt;br /&gt;
*「愛のあるテロル」R.プロスヴィルニン著&lt;br /&gt;
*『ワイルド3』A.マズノフ&lt;br /&gt;
*「The Witch Doctor」B.カザコフ&lt;br /&gt;
※「トレース」シリーズWOMEN。 ユニバーサルロックピック。  — カティア・シモノワ / M. カルミコフ&lt;br /&gt;
* 2011 アマゾン シーズン 2 E. ラヴレンチエフ、S. ウラソフ&lt;br /&gt;
*「チームCh」A.スカレフ&lt;br /&gt;
* &amp;quot;次&amp;quot; シリーズ「OTHER SINS」&lt;br /&gt;
*「ハッピー・トゥゲザー」R.カラペティアン&lt;br /&gt;
*「ブラザーズ3」V.コニセヴィッチ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 広告撮影、テレビ番組、プログラム ===&lt;br /&gt;
アンナは、「保健省のソーシャル ビデオ」や「献血」の看板、雪の女王 (チェーン店)、マルダン パレス ホテル (トルコ、アンタルヤ) のビデオ、ポルシェ マルシャ車、 M . クレイマー「銃を突きつけられたタンゴ」三部作。 2014 年以来、彼女は日本のブランド SOSU (ペディキュア ソックス)、Purchase Lux (アウターウェア ストア) の顔であり、ゼブラ フィットネス クラブ、ジュエリー会社 LAMORE、およびホース パワー ブランドの顔でもあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下のテレビプロジェクトに参加しました。&lt;br /&gt;
* ミュージカルテレビコンテスト「GoWest」（キャピタル）&lt;br /&gt;
※国際テレビ音楽コンクール「Start UP!」 （資本）&lt;br /&gt;
※テレビ番組『ストライク！&lt;br /&gt;
*「ロシアのロト」&lt;br /&gt;
※『女性の真実』（ホーム）&lt;br /&gt;
※「エレベーター」（MuzTV）&lt;br /&gt;
* インターネット チャンネル [[:wr:ELLO|ELLO]] の「New Wave Diaries 2012」プレゼンター&lt;br /&gt;
※『ハンガー・ゲーム』TVチャンネル「フライデー」（スーパーファイナル2位）&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===舞台作品===&lt;br /&gt;
演劇作品（公演）：『シンデレラ』ほか児童劇、『ジコフ家』（ゴーリキー）、『真剣であることの大切さ』（ワルド）、『タルチュフ』（モリエール）、『気の進まない結婚』（モリエール）、 「白痴」（ドストエフスキー）、「跳躍する少女」（チェーホフ）、「モスクワ合唱団」（ペトルシェフスカヤ）、「無関心な美男」（コクトー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ビューティーコンテスト==&lt;br /&gt;
「ミス・モスクワ2008」、「ミス・ディム2008」、「ミス・インターネット2008」、「ミス・セレブリティプロ2009」、「パチャ・モデル・アワード2009 in IBIZA」に参加。 「ロシアの美しさ2014」コンテストの審査員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==報酬==&lt;br /&gt;
2013年RU TVチャンネルの「クリエイティブ・オブ・ザ・イヤー」部門で、セルゲイ・ズベレフとの共同プロジェクト「Come on, I'll undress you」が受賞。&lt;br /&gt;
ファッション・ピープル・アワード2012」、エド・シュルジェフスキーとのデュエット「ニュー・ファッション・デュエット」にノミネート「あなたこそがすべて」、「ミス・イストラ2008」、「ミス・パチャ・モデル・アワード2009（モスクワ）」、「ミス・パリジャン」、ミュージカルおよびクリエイティブ・コンペティション」ミス・メトロポール「」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 音楽活動 ==&lt;br /&gt;
アンナ・カラシニコワは曲を作曲し、録音します。 エド・シュルジェフスキーとのデュエット曲「You are everything」を武器にしている。 彼女は音楽プロジェクトに参加しました：グループ「HOT LINE」/ HOT LINE - 2003-2007。 プロダクションセンター「GO WEST」と「START UP!」とのコラボレーション 2007—2009; グループ「BIAKT」2008-2010（A. Potekhinの生産センター）。 2009 年から 2010 年にかけて、BERKUTMUSIC プロダクション センター (米国ニューヨーク) とコラボレーション。 Famous Management Group (FMG) Production Center 2011 とのコラボレーション。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ラジオ局 City FM - / ニューヨーク、アメリカ / 2009～2010年で生放送の共同司会者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== チャリティー ==&lt;br /&gt;
児童リハビリテーションセンター「インスピレーション」の仕事とお手伝い&lt;br /&gt;
彼は Spring in the Heart Foundation と協力して、脳性麻痺の子供のためのブラゴダットノエ ネボ リハビリテーション センターの組織化を支援しており、理事会のメンバーでもあります。 2014年以来、彼女はプロジェクト「I will live」の共同主催者を務めている。これはインヴァミアでの根本的に新しく、野心的で人道的なプロジェクトであり、主催者はその目標を「人々のための多様な創造性」という概念を世論に広めることに設定した文化とショービジネスの分野における方向性の1つとして、「障害のある人」が挙げられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 私生活 ==&lt;br /&gt;
彼女は歌手[[Prokhor Chaliapin|Prokhor Chaliapin]]（以前は彼よりずっと年上のラリサ・コペンキナとのスキャンダラスな結婚生活で有名だった）と会った。 2014年12月15日、トーク番組「[[Let them talk (トークショー)|Let them talk]]」で、彼はアンナ・カラシニコワとの間に子供が生まれる予定であると述&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url = http://www.pust-govoryat.tv/index.php?newsid=10393|title = Пусть говорят, Любовный треугольник Прохора Шаляпина|author = |date = 15.12.2014|publisher = }}&amp;lt;/ref&amp;gt;.。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
03.20.15 数日前、モスクワ地方のエリート診療所の一つで、アンナ・カラシニコワが息子ダニエルを出産したことが知られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして2016年、同じくトークショー形式で、DNA検査の結果、彼女の子供はプロコールの子供ではなく、彼女とプロコール・シャリアピンとの間に結婚式は行われないことが発表された。 スキャンダルが絶頂に達した2016年5月、メディアはプロコールが現在[[ヤナ・グリフコフスカヤ|ヤナ・グリフコフスカヤ]]と交際していると報じた。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kp.ru/daily/26529.7/3545785/]&amp;lt;/ref &amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
{{ノート}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:1984年生]][[カテゴリ:ロシアの女優]][[カテゴリ:21世紀の女優]] [[カテゴリ:ロシアのテレビ司会者]][[カテゴリー:ロシアの歌手]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AF.jpg&amp;diff=407805</id>
		<title>ファイル:アンナ・カラシニコワ.jpg</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AF.jpg&amp;diff=407805"/>
				<updated>2024-05-27T10:46:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;光王: ロシアの歌手・女優・司会者・モデルのアンナ・カラシニコワ(1984-)。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ロシアの歌手・女優・司会者・モデルのアンナ・カラシニコワ(1984-)。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>光王</name></author>	</entry>

	</feed>