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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-05-02T10:27:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]であり、男性アイドルグループ[[TOKIO]]のメンバー。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」「生えかけ陰毛睾丸」など。ジャニーズ事務所所属。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
仲のいい石島氏によると、親方が親方であるのは20年前ほど(現在2022年)前であり、由来は格闘技が好きであることと、彼自身が相撲をやっており、かなりの実力であることが由来らしい。また、30年前では確実に親方ではなかったらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
格闘技が好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[石島慎一郎]]によると、約120年前から「親方」の愛称で親しまれているという。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「[[金玉]]」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「松田睾丸丸とか書いたやつ誰だ？」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「俺を屠殺しないでくれ」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「SEXは朝飯前！」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*大正5年      第24回全日本相撲選手権大会優勝&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396772</id>
		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-02-03T05:45:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]であり、男性アイドルグループ[[TOKIO]]のメンバー。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
格闘技が好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[石島慎一郎]]によると、約20年前から「親方」の愛称で親しまれているという。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

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		<title>松田恒尚</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]であり、男性アイドルグループ[[TOKIO]]のメンバー。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=TOKIO&amp;diff=396770</id>
		<title>TOKIO</title>
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				<updated>2022-02-03T05:36:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''TOKIO'''（トキオ）は、[[日本]]の[[男性アイドルグループ]]、[[ロックバンド]]。所属[[芸能事務所]]は[[ジャニーズ事務所]]。所属[[レコード会社]]は[[ジェイ・ストーム|J Storm]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メンバー ==&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! メンバー&lt;br /&gt;
! プロフィール&lt;br /&gt;
! 演奏担当&lt;br /&gt;
! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[城島茂]]''' &amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（じょうしま しげる）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1970年11月17日、[[ABO式血液型#O型の亜種|O型]]、[[奈良県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot;&amp;gt;“[http://www.johnnys-net.jp/j/artists/tokio/prof/prof.html Johnny's net &amp;gt; ARTISTS &amp;gt; TOKIO &amp;gt;Profile]”. Johnny's net. 2012年1月13日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[エレクトリックギター|リードギター]]&amp;lt;br&amp;gt;[[ボーカル]]&lt;br /&gt;
| リーダー&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
| '''[[松田恒尚]]''' &amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（まつだ つねひさ）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1905年11月22日、[[ABO式血液型#O型の亜種|O型]]、[[埼玉県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot;&amp;gt;“[http://www.johnnys-net.jp/j/artists/tokio/prof/prof.html Johnny's net &amp;gt; ARTISTS &amp;gt; TOKIO &amp;gt;Profile]”. Johnny's net. 2012年1月13日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[家庭科]]&amp;lt;br&amp;gt;[[社会科]]&lt;br /&gt;
| サブリーダー&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
| '''[[山口達也 (ジャニーズ)|山口達也]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（やまぐち たつや）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1972年1月10日、O型、[[埼玉県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[エレクトリックベース|ベース]]&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[国分太一]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（こくぶん たいち）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1974年9月2日、O型、[[東京都]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[キーボード (楽器)|キーボード]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ピアノ]]&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[松岡昌宏]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（まつおか まさひろ）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1977年1月11日、[[ABO式血液型#A型の亜種|A型]]、[[北海道]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[ドラムセット|ドラム]]&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[長瀬智也]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（ながせ ともや）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1978年11月7日、O型、[[神奈川県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| ボーカル&amp;lt;br /&amp;gt;[[リズムギター]]&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:small&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 元メンバー&lt;br /&gt;
! プロフィール&lt;br /&gt;
! 演奏担当&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[小島啓]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（こじま ひろむ）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1976年10月24日、[[ABO式血液型#AB型の亜種|AB型]]、[[千葉県]]出身&lt;br /&gt;
| リズムギター&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
バンドグループであるため、あまり知られていないがメンバー全員運動神経が良く[[後方転回|バク転]]ができる&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;ジャニーズ事務所に所属する現役のグループではTOKIO以外で[[少年隊]]や[[V6 (グループ)|V6]]などがメンバー全員バク転ができる。過去に在籍したグループでは[[光GENJI]]、[[忍者 (グループ)|忍者]]がメンバー全員バク転ができるグループだった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。デビュー前に[[光GENJI]]、[[SMAP]]のバックダンスを務めていた頃にはよく披露されていた。ライブなどでは楽器交換をして演奏することもあり、自分の担当楽器以外も演奏することができる&amp;lt;ref&amp;gt;これによりシャッフルバンド「[[アソビゴコロ]]」と「スクールフェスティバル」が存在する&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== CDデビューまで ===&lt;br /&gt;
[[1989年]]、テレビ朝日の[[バラエティ番組]]『[[アイドル共和国]]』内で、「[[ジャニーズJr.解散グループ (1990年以前)#平家派|平家派]]」のメンバーだった城島と山口が「城島茂バンド（通称：ジョーバンド）」というユニットを結成（更に前身は「JURIA」というバンド）。 その後、社長の[[ジャニー喜多川]]が「[[ジャニーズ事務所 過去のバックバンド#TOKIO BAND|TOKIO BAND]]」というバンド名を与えた。このTOKIO BANDが、現在のTOKIOの直接の前身に当たる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年]]4月、国分（城島、山口と同じく「平家派」の出身）と松岡が、「[[ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)#SMAP学園|SMAP学園]]」選抜メンバーとして城島と合流後、3名で最初のTOKIOを結成。 少し遅れて小島が加入し4人組となる。 しばらくこの4人での活動が続いたが、城島がジャニー喜多川に交渉した事により、山口も新しくメンバーに加わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1992年]]頃から、[[ジャニーズJr.]]の中で頭角を現していた長瀬が時折サポートとして加入するようになる。それ以降、デビューまで雑誌・ラジオ等では長瀬を除く5人編成、テレビやライブでは長瀬を含む6人編成といった、妙な構成で活動していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]]10月10日より、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]『[[アイドルオンステージ]]』にレギュラー出演開始（1994年12月まで）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]1月5日 - 1月23日、全国7大都市のライブハウスでファーストライブツアーを敢行（合計23公演）&lt;br /&gt;
:同年5月15日、大阪・[[松竹座]]で“1日10回公演”のライブを行う。&lt;br /&gt;
:CDデビューを目前に控えた時期に、小島が突然脱退してジャニーズ事務所を辞めたため、長瀬が新しく正式なメンバーとなった。&lt;br /&gt;
:同年7月12日、[[日本武道館]]でCDデビューの記者発表を行う。&lt;br /&gt;
:同年8月10日 - 8月30日、全国9大都市でコンサートツアーを敢行（合計24公演）&lt;br /&gt;
:同年9月21日、「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1994年 - 2000年 ===&lt;br /&gt;
CDデビューから2か月後の1994年11月2日には、日本武道館でコンサートを行った。同年12月31日には、デビューから3ヶ月10日という当時の史上最速記録（[[WaT]]がこの記録をその後更新）で『[[第45回NHK紅白歌合戦]]』への初出場も果たす。紅白へはCDデビュー前にも[[光GENJI]]のバックダンサーとして出演、[[1996年]]の出演時には[[玉置浩二]]の「田園」でもバックを務めたりと、[[2013年]]まで20回連続出場している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]12月1日、[[1995年]][[1月17日]]に発生した[[阪神・淡路大震災]]へのチャリティー活動として、1997年までにデビューしていたTOKIO・[[V6 (グループ)|V6]]・[[KinKi Kids]]が、合体し[[J-FRIENDS]]を結成することを発表した。&lt;br /&gt;
震災発生当時の小学校1年生が[[義務教育]]を終える[[2003年]][[3月]]までを活動期間として活動した。リリースしたシングル・ミニアルバムは、全て初登場1位を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]]8月22日・23日、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ 「愛は地球を救う」 いま、始めよう ]]』で初のパーソナリティを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]、『[[ザ!鉄腕!DASH!!]]』の番組企画内で「15minutes（城島・山口・国分）」「ぴんく（長瀬・松岡・[[忌野清志郎]]）」という覆面バンドでインディーズCDを発売（九州の一部店舗のみ）。&lt;br /&gt;
「15minutes」のCDはその後、違う編曲をされたものが『[[YESTERDAY &amp;amp; TODAY (TOKIOのアルバム)|YESTERDAY &amp;amp; TODAY]]』発売時に抽選で1000人に特典としてプレゼントされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2001年 - 2005年 ===&lt;br /&gt;
[[2001年]]のシングル「どいつもこいつも　c/w　ボクの未来」で、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]から[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]へ移籍。同年、シングル「メッセージ　c/w　ひとりぼっちのハブラシ」でデビュー7年目にして初の[[オリコンチャート|オリコン]]1位を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、[[TBSテレビ|TBS]]のドラマ『[[やんパパ]]』の主題歌「[[ding-dong]]」を含むシングル「[[ding-dong/glider]]」発売。TOKIOのシングルとしては初の[[クリスマスソング]]でオリコン1位を獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]8月23日・24日、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ 「愛は地球を救う」 あなたを一番愛する人･･･]]』で2度目のパーソナリティを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年には[[東海旅客鉄道|JR東海]]の[[東海道新幹線]][[品川駅]]開業とタイアップした「[[AMBITIOUS JAPAN!]]」をリリース、オリコン1位を獲得した。同社所属の新幹線車両にこの曲のイントロのチャイムが採用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]9月1日にデビュー10周年記念アルバムとして出た、ジャニーズヒットソングのカバー・アルバム『[[TOK10]]』がオリコン1位となる。各曲のプロデューサーには、国内外のトップミュージシャンを迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『[[メントレG]]』番組内でエンディングテーマを決めるに当たり、各メンバー作詞・作曲の楽曲を匿名で公開、視聴者の投票により、城島茂の『僕の恋愛事情と台所事情』に決まった。DVDシングル1位を獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2006年 - 2010年 ===&lt;br /&gt;
[[2006年]][[2月8日]]、TBSの金曜ドラマ『[[夜王|夜王〜YAOH〜]]』の主題歌でもある「[[Mr.Traveling Man]]」を発売、2年4か月ぶりのシングル初登場で首位を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[6月21日]]にはシングル「[[Get Your Dream]]」がリリースされた。TBS[[FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]の応援歌となっていて、曲のタイトルは[[サッカー日本代表]]の[[中村俊輔]]選手が命名した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[7月12日]]、TVなどで見せる「仲間同士で遊ぶ」という[[コンセプト]]にマッチしたという理由から、[[マイクロソフト]]の[[Xbox 360]]の[[キャラクター|イメージキャラクター]]に起用が決定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月23日]]、「[[宙船/do! do! do!|宙船(そらふね)/do! do! do!]]」をリリース。収録されている「宙船」は長瀬智也主演の日本テレビの土曜ドラマ『[[マイ★ボス マイ★ヒーロー]]』の主題歌。同曲の作詞・作曲を手掛けたのは[[シンガー・ソングライター]][[中島みゆき]]。「ハードな歌謡ロック」をイメージしたという「宙船」により、TOKIO（ジャニーズ）と中島みゆきというコラボレーションが実現した。オリコンチャートで初登場1位を獲得した（通算5作目、TOKIOが同じ年にシングル2作で首位を獲得したのは初めてである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[10月18日]]、1年8ヶ月ぶりとなるアルバム『[[Harvest (TOKIOのアルバム)|Harvest]]』をリリース。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[3月28日]]、「[[ひかりのまち/ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)]]」をリリース。大物アーティストとのコラボ第2弾となるこの曲は[[甲斐よしひろ]]が作詞・作曲をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[8月15日]]、[[シンガーソングライター]][[中島みゆき]]とのコラボ2作目となる「[[本日、未熟者/Over Drive]]」をリリース。山口主演で日本テレビの土曜ドラマ『[[受験の神様]]』の主題歌である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月28日]]、「[[青春 SEISYuN]]」をリリース。長瀬主演でTBSの金曜ドラマ『[[歌姫 (劇作品)|歌姫]]』の主題歌となり、作詞、作曲はシンガーソングライターの[[長渕剛]]が手掛けた。大物アーティストとのコラボは3度目となり、1年3ヶ月ぶりのシングル初登場で首位を獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[3月8日]]に、山口が5歳年下の元モデルと入籍。同日夜の日本武道館ライブでファンに報告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[7月]]、松岡が主演を務める日本テレビのドラマ『[[ヤスコとケンジ]]』の主題歌となるシングル「[[雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう|雨傘]]（作詞/作曲：[[椎名林檎]]、編曲：[[東京事変]]）」から、[[ジェイ・ストーム]]に移籍することを発表。松岡は取材で「[[嵐 (グループ)|嵐]]の後輩です」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[4月11日]]、『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」を7年かけてスタート地点の東京・晴海にゴールした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[6月16日]]、「[[-遥か-]]」をリリース。『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「DASH海岸」のテーマソングであり、[[TUBE]]の[[前田亘輝]]・[[春畑道哉]]から詞曲提供を受けた。「青春 SEISYuN」以来、2年7ヶ月振りの首位獲得となり、ジェイ・ストーム移籍後は初の首位獲得となった。また、初動のみで前作の累計売上を上回った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[7月]]、『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「DASH海岸」が[[国土交通省]]から評価され、「海の日表彰（[[関東地方]]整備局港湾空港関係功労者表彰）」を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;{{PDFlink|“[http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000015062.pdf 「海事関係功労者表彰」を行います。]”. 国土交通省 関東地方整備局 (2010年7月15日). 2012年1月13日閲覧。}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;“[http://news.thetv.jp/article/16276/ 「ザ！鉄腕!DASH!!」が「海の日表彰」を受賞！　TOKIOメンバーたちがさらなる飛躍を目指す！]”. webザテレビジョン (2010年8月8日). 2012年1月13日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年8月28日・29日、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ 「愛は地球を救う」 ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜]]』で3度目のパーソナリティを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2011年 -  ===&lt;br /&gt;
2011年5月、松岡が『[[高校生レストラン]]』で7度目の主演を務め、日本テレビ土曜ドラマ枠での主演回数が過去最多となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年9月23日、『テレビ朝日ドリームフェスティバル2011』（日本武道館）出演。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年9月23日、『TOKIO LIVE TOUR 1718』 の最終公演（日本武道館）がライブシネマとして、和歌山県・鳥取県を除く全国45都道府県94ヶ所の映画館で同時生中継される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年に20周年を迎えたTOKIOはジャニーズ初の野外フェス『[[JOIN ALIVE]]』、『[[サマーソニック]]』に出演した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ディスコグラフィ ==&lt;br /&gt;
=== シングル ===&lt;br /&gt;
2000年の「恋に気づいた夜」までが8cmシングル、2001年の「どいつもこいつも」からマキシシングル。&lt;br /&gt;
タイアップについては[[ジャニーズ タイアップ一覧#た行|ジャニーズ タイアップ一覧]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! カップリング !!最高&amp;lt;br /&amp;gt;順位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;background:#87CEFA;&amp;quot;|[[ソニーレコード]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1994年]][[9月21日]]|| ''' [[LOVE YOU ONLY]]'''||時代を（TOKIO）よろしく!||3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| 1994年[[12月12日]]|| ''' [[明日の君を守りたい 〜YAMATO2520〜]]'''||永遠の星座 〜YAMATO2520　愛のテーマ〜||7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| [[1995年]][[4月12日]]|| ''' [[うわさのキッス]]'''||哀しみのBeliever||2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| 1995年[[6月21日]]|| ''' [[ハートを磨くっきゃない]]'''||ぼくの伯父さん 〜My uncle is a nice guy〜||3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| 1995年[[8月21日]]|| '''[[SoKoナシLOVE]] '''||JUST YOU,TAKE YOU 〜君の瞳に溶けていく〜||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| 1995年[[10月21日]]|| '''[[好きさ 〜Ticket To LOVE〜]]'''||－||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| 1995年[[12月2日]]|| '''[[風になって (TOKIOの曲)|風になって]]'''||涙のウエディングベル||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[2月26日]]|| '''[[MAGIC CHANNEL]]'''||じっと見つめて||6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| 1996年[[7月22日]]|| '''[[ありがとう…勇気]]'''||世界の屋根||3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 10&lt;br /&gt;
| 1996年[[11月25日]]|| '''[[Everybody Can Do!]]'''||SPICY GIRL||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
| [[1997年]][[2月11日]]|| '''[[フラれて元気]]'''||Dash for the Dream||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
| 1997年[[5月28日]]|| '''[[Julia (TOKIOの曲)|Julia]]'''||あたってくだけろ!||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 13&lt;br /&gt;
| [[1998年]][[3月4日]]|| '''[[この指とまれ! (TOKIOの曲)|この指とまれ!]]'''||EMBLEM||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 14&lt;br /&gt;
| 1998年[[5月20日]]|| '''[[Love &amp;amp; Peace]]'''||そんな君が輝いて||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 15&lt;br /&gt;
| [[1999年]][[2月17日]]|| '''[[君を想うとき/Oh! Heaven]]'''||－||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 16&lt;br /&gt;
| 1999年[[6月30日]]|| '''[[何度も夢の中でくり返すラブ・ソング/溢れる想い]]'''||－||7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 17&lt;br /&gt;
| 1999年[[8月25日]]|| '''[[忘れえぬ君へ…]]'''||－||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 18&lt;br /&gt;
| 1999年[[11月10日]]|| '''[[愛の嵐 (TOKIOの曲)|愛の嵐]]'''||LAST ANGEL||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 19&lt;br /&gt;
| [[2000年]][[5月31日]]|| '''[[みんなでワーッハッハ!/愛はヌード]]'''||－||6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 20&lt;br /&gt;
| 2000年[[9月13日]]|| '''[[恋に気づいた夜]]'''||OH! IT'S TRUE LOVE||11位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;background:#87CEFA;&amp;quot;|[[ユニバーサルJ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 21&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[3月7日]]|| '''[[どいつもこいつも/ボクの未来]]'''||－||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 22&lt;br /&gt;
| 2001年[[5月30日]]|| '''[[メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ]]'''||－||1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 23&lt;br /&gt;
| 2001年[[8月8日]]|| '''[[カンパイ!!]]'''||カンパイ!! –ベリーロック・バージョン–||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 24&lt;br /&gt;
| 2001年[[10月31日]]|| '''[[DR/Only One Song]]'''||－||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 25&lt;br /&gt;
| [[2002年]][[3月6日]]|| '''[[花唄 (TOKIOの曲)|花唄]]'''||遠い日のメロディー||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |26&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2002年[[7月10日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | ''' [[GREEN (TOKIOの曲)|GREEN]]'''||Neighbor|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|southend&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 27&lt;br /&gt;
| 2002年[[12月4日]]|| '''[[ding-dong/glider]]'''||－||1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 28&lt;br /&gt;
| [[2003年]][[10月1日]]|| '''[[AMBITIOUS JAPAN!]]'''||駅・ターミナル||1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 29&lt;br /&gt;
| 2003年[[12月3日]]|| '''[[ラブラブ マンハッタン/ALIVE-LIFE|ラブラブ♡マンハッタン/ALIVE-LIFE]]'''||－||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |30&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2004年]][[3月3日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[トランジスタGガール]]'''||花唄 (Acoustic version)|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Julia (Piano version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 31&lt;br /&gt;
| 2004年[[11月17日]]|| '''[[自分のために/for you]]'''||Nice guys||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |32&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2005年[[12月7日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[明日を目指して!]]'''||Save As...|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| LOOP 〜愛しい日々のメロディー〜&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |33&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |[[2006年]][[2月8日]]|| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |'''[[Mr.Traveling Man]]'''||夜を吹き飛ばせ||rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Love is here&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 明日を目指して! (Piano version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |34&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |2006年[[6月21日]]||  rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |'''[[Get Your Dream]]'''||Parasitic Plants|| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Symphonic (Live Version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 君を想うとき (Live Version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |35&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2006年[[8月23日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[宙船/do! do! do!]]'''||リプライ|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 宙船（そらふね） (Acoustic Version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 36&lt;br /&gt;
| [[2007年]][[3月28日]]|| ''' [[ひかりのまち/ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)]]'''||Sweet Sick Honey||2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |37&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2007年[[8月15日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[本日、未熟者/Over Drive]]'''||indicator|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 宙船（そらふね） 〜Rock Version〜 (Live)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |38&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2007年[[11月28日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[青春 SEISYuN]]'''||キマジメ|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Stardust Lover Orchestra&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;background:#87CEFA;&amp;quot;|[[J Storm]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |39&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2008年]][[9月3日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう]]'''||渦中の男|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 上昇思考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |40&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2009年]][[8月19日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[太陽と砂漠のバラ/スベキコト]]'''||誓い|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Cross Fade&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |41&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2010年]][[2月3日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[advance/また朝が来る]]'''||CRY FOR THE MOON|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Period&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |42&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2010年[[6月16日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[-遥か-]]'''||Everlasting|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| DASH VILLAGE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |43&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |2010年[[8月11日]]|| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |''' [[NaNaNa (太陽なんていらねぇ)]]'''||路傍の花|| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Dream &amp;amp; Breeze&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Nature Mind&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| それしかできない&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |44&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2011年[[5月25日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[見上げた流星]]'''||Wheel|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| PLUS&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |45&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2012年[[2月29日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[羽田空港の奇跡/KIBOU]]'''||ストロボ|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |5位&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
| PERFECT LIFE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |46&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2013年]][[2月20日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[リリック (曲)|リリック]]'''||アリア|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Pocket&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |47&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2013年]][[3月20日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[手紙 (TOKIOの曲)|手紙]]'''||To be|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 8位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 夕灼けの街&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |48&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2013年]][[10月30日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[ホントんとこ/Future]]'''||switch|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 6位 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| home 〜この場所〜&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |49&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2014年]][[5月21日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[LOVE, HOLIDAY.]]'''||みあげれば|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 4位 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| フレーズ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
ビーグル。2016年2月24日。14日のシュウイチで放送された&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 配信限定 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[2011年]][[2月8日]]||'''[[PLUS (TOKIOの曲)|PLUS]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アルバム ===&lt;br /&gt;
==== オリジナルアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! 最高位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1994年]][[11月21日]]|| ''' [[TOKIO (TOKIOのアルバム)|TOKIO]]'''|| 8位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| [[1995年]][[7月3日]]|| ''' [[Bad Boys Bound〜TOKIO II〜]]'''|| 4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[3月25日]]|| ''' [[BLOWING]]'''|| 7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| [[1997年]][[3月26日]]|| ''' [[WILD &amp;amp; MILD]]'''|| 9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| [[1998年]][[4月1日]]|| ''' [[Graffiti (TOKIOのアルバム)|Graffiti]]'''|| 9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| [[2000年]][[2月2日]]|| ''' [[YESTERDAY &amp;amp; TODAY (TOKIOのアルバム)|YESTERDAY &amp;amp; TODAY]]'''|| 9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[12月5日]]|| ''' [[5 AHEAD]]'''|| 8位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| [[2003年]][[2月19日]]|| ''' [[glider (アルバム)|glider]]'''|| 5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| [[2005年]][[2月2日]]|| ''' [[ACT II]]'''|| 3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 10&lt;br /&gt;
| [[2006年]][[10月18日]]|| ''' [[Harvest (TOKIOのアルバム)|Harvest]]'''|| 2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
| [[2008年]][[2月20日]]|| ''' [[sugar (アルバム)|sugar]]'''|| 6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
| [[2012年]][[8月22日]]|| ''' [[17 (アルバム)|17]]'''|| 5位 &lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ミニアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1998年]][[8月5日]]|| ''' [[電光石夏]]'''||唯一のミニアルバム&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ベストアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[8月26日]]|| ''' [[Best E.P Selection of TOKIO]]'''||「LOVE YOU ONLY」から「ありがとう…勇気」までのシングルとアルバム曲の一部シングルのc/wを収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[5月9日]]|| ''' [[BEST EP SELECTION OF TOKIO II]]'''||「Everybody Can Do!」から「恋に気づいた夜」までのシングルと一部シングルのc/wを収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| [[2014年]][[7月16日]]|| ''' [[HEART (TOKIOのアルバム)|HEART]] '''|| デビューから2013年までの楽曲の中からファン投票によって選出された楽曲を収録した&amp;lt;br/&amp;gt;オールタイム・コンピレーションアルバム&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== リミックスアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1995年]][[3月8日]]|| ''' [[TOKIO REMIX]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== カバーアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[2004年]][[9月1日]]|| ''' [[TOK10]]'''||TOKIOデビュー10周年記念アルバム&amp;lt;br&amp;gt;初代ジャニーズからV6までの歴代ジャニーズアーティストのカヴァーを収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 映像作品 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
!  !! VHS発売日 !! DVD発売日 !! タイトル&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|[[1995年]][[3月8日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''[[TOKIO in YAMATO2520 〜YAMATO2520テーマソングス〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|1995年[[11月23日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''[[TOKIO FIRST LIVE VIDEO 〜BAD BOYS BOUND '95〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! -&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|[[1996年]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''TOKIO CONCERT TOUR 1996 風になって'''（FC限定）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |1996年[[12月23日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO VIDEO CLIP SELECTION'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[1998年]][[4月1日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''[[TOKIO LIVE 1997 + SPECIAL BONUS TRACK 1998]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[1999年]][[10月6日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2000年]][[3月29日]]|| '''[[TOKIO 1999 LIVE IN 日本武道館 〜君を想うとき〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |2000年[[3月29日]]|| '''[[TOKIO VIDEO CLIPS 2000]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2002年]][[5月22日]]|| '''[[5 ROUND]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |2002年[[8月7日]]|| '''[[TOKIO LIVE TOUR 2002 5 AHEAD in 日本武道館]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2004年]][[5月19日]]|| '''[[5 ROUND II]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 10&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2005年]][[1月12日]]|| '''TOKIO 10th anniversary LIVE 2004'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2005年]][[11月16日]]|| '''[[僕の恋愛事情と台所事情]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2006年]][[11月22日]]|| '''[[TOKIO Special GIGs 2006 〜Get Your Dream〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 13&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2007年]][[1月31日]]|| '''[[5 ROUND III]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 14&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2011年]][[9月14日]]|| '''[[OVER/PLUS]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 15&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2013年]][[4月17日]]|| '''[[TOKIO LIVE TOUR 1718]]'''&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== TOKIO STATION ===&lt;br /&gt;
『TOKIO STATION』とは、TOKIOのフリートークを収録したCDまたはDVDのことで、アルバムの初回盤やCD・DVDの購入特典として発売または、配布されている。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! 発売日 !! 配布年 !! タイトル !! 規格 !! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[12月5日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''TOKIO STATION -新リーダー決定!?編-''' || 8cmCD || アルバム『[[5 AHEAD]]』初回盤Aに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2001年12月5日|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''TOKIO STATION -新ボーカル決定!?編-''' || 8cmCD || アルバム『5 AHEAD』初回盤Bに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2003年]][[2月19日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜スタジオ・セッション編〜''' || 8cmCD || アルバム『[[glider (アルバム)|glider]]』初回盤Aに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2003年2月19日|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜アルバム解説編〜''' || 8cmCD || アルバム『glider』初回盤Bに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2005年]][[12月7日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜楽曲解説編〜''' || 12cmCD || シングル「[[明日を目指して!]]」初回盤Aに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2005年12月7日|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜ビデオ･クリップ解説編〜''' || 12cmCD || シングル「明日を目指して!」初回盤Bに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2008年]][[9月3日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION II 〜あきれるくらい TOKIOは喋ろう編〜''' || DVD || シングル「[[雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう]]」初回限定盤2に収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2009年]][[8月19日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION II 〜ハナスベキコト編〜''' || DVD || シングル「[[太陽と砂漠のバラ/スベキコト]]」初回限定盤2に収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2010年]] || '''TOKIO STATION SPECIAL 〜ビアガーデン編〜''' || DVD || シングル「[[-遥か-]]」購入特典&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2011年]] || '''TOKIO STATION 〜ラジオ編〜''' || 12cmCD || シングル「[[見上げた流星]]」購入特典&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2012年]] || '''TOKIO STATION II 〜屋形船編〜''' || DVD || アルバム『[[17 (アルバム)|17]]』購入特典&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2013年]] || '''TOKIO STATION II 〜公開収録編〜''' || DVD || シングル「[[リリック (曲)|リリック]]」、「[[手紙 (TOKIOの曲)|手紙]]」、ライブDVD『[[TOKIO LIVE TOUR 1718]]』購入特典&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な出演作品 ==&lt;br /&gt;
単独出演についてはそれぞれの記事を参照。（[[城島茂]]・[[山口達也 (ジャニーズ)|山口達也]]・[[国分太一]]・[[松岡昌宏]]・[[長瀬智也]]）&lt;br /&gt;
=== テレビ ===&lt;br /&gt;
==== 2014年5月現在 ====&lt;br /&gt;
*[[ザ!鉄腕!DASH!!]]（1995年11月2日 - 、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系）&lt;br /&gt;
*[[TOKIOカケル]]（2012年10月10日 - 、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 過去 ====&lt;br /&gt;
*[[桜っ子クラブ]]（テレビ朝日系）（[[内海光司]]・[[SMAP]]と共演）&lt;br /&gt;
*[[クイズ!年の差なんて]]（1992年5月 - 1994年9月、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[アイドルオンステージ]]（1993年10月 - 1994年12月、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]）&lt;br /&gt;
*[[マジカル頭脳パワー!!]]（1995年2月 - 1998年3月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*天使の仮面（1996年4月16日 - 7月2日、テレビ朝日系）&lt;br /&gt;
*[[さんまのSUPERからくりTV]]（1996年4月21日 - 1998年3月29日、TBS系）&lt;br /&gt;
*P-STOCK（1996年7月23日 - 1997年3月28日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[Toki-kin急行好きだよ!好きやねん]]（1996年10月16日 - 1997年3月12日、TBS系）（[[KinKi Kids]]と共演）&lt;br /&gt;
*[[TOKIO HEADZ!]]（1997年4月2日 - 1998年5月28日、TBS系）&lt;br /&gt;
*[[24時間テレビ「愛は地球を救う」]]（1997年・1998年・2003年・2010年・2014年、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[ねばぎば!TOKIO]]（1997年10月12日 - 1998年9月27日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[男女8人恋愛ツアー!TOKIOのな・り・ゆ・き!!]]（1998年10月13日 - 1999年9月30日、フジテレビ系）（『[[あいのり]]』の前身番組）&lt;br /&gt;
*[[Sports Partyただいま夢中!]]（1999年4月3日 - 9月25日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[ガチンコ!]]（1999年4月13日 - 2003年7月29日、TBS系）&lt;br /&gt;
*[[メントレG]]（1999年10月8日 - 2008年9月14日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*開局50周年　24時間テレビ「[[ファイトTV24・やればできるさ!]]」（2001年6月30日 - 7月1日、TBS系）&lt;br /&gt;
*TOKIOの女優な夜（2002年1月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*TOKIO恋の予感（2003年1月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[★愛と誠★]]（2003年8月5日 - 12月9日、TBS系）&lt;br /&gt;
*TOKIO史上最大の特番！（2004年4月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*TOKIOでナイト（2005年1月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[大笑点]]（2006年1月1日・2007年1月1日・2008年1月1日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*生命38億年スペシャル・人間とはなんだ!?Ⅴ（2006年2月25日、TBS系）&lt;br /&gt;
*[[ザッツ宴会テイメント]]（2008年4月6日・10月5日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[5LDK]]（2008年10月9日 - 2012年9月20日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*一流選手とマジ対決！TOKIO☆ドリームチャレンジ！！（2009年1月1日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*新春TOKIO生放送ドリームチャレンジ！神ワザ人間大集合SP（2010年1月1日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ラジオ番組 ===&lt;br /&gt;
*[[TOKIO CLUB]]（1992年4月 - 1994年3月、[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]）&lt;br /&gt;
*TOKIO カラオケ HIT CLUB（1993年10月 - 1994年3月、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
*[[フマキラー]]・ベープ&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]]&lt;br /&gt;
**アーモンドクラッシュボール&lt;br /&gt;
**クリスプ&lt;br /&gt;
**[[パピコ]]&lt;br /&gt;
*[[ベネッセコーポレーション]]進研ゼミ・中学生講座&lt;br /&gt;
*[[コンパック]]・Presario&lt;br /&gt;
*[[麒麟麦酒]]・キリンラガービール&lt;br /&gt;
*[[JX日鉱日石エネルギー#歴代出演タレント|ENEOS]]&lt;br /&gt;
*[[東海旅客鉄道]]・[[AMBITIOUS JAPAN!]]キャンペーン  （[[2003年]]-[[2005年]]）&lt;br /&gt;
*[[マイクロソフト]][[Xbox 360]]・「do!do!do! しようぜ。」キャンペーン（[[2006年]]）&lt;br /&gt;
*[[ヤマト運輸]]・新宅急便キャンペーン（[[2010年]][[2月]] - ）2015年9月28日のぐっとと目覚ましでミニマム編放送された&lt;br /&gt;
*[[農林水産省]]・[[FOOD ACTION NIPPON]]「食べて応援しよう！」（[[2011年]] -[[2013年]]）&lt;br /&gt;
*[[グリー (企業)|グリー]]・[[GREE|探検ドリランド]]（[[2011年]][[7月29日]] -[[2013年]]）&lt;br /&gt;
*[[すき家]]（[[2011年]][[9月]] - 10月）&lt;br /&gt;
*[[福島県]]・県産農林水産物PR事業（[[2012年]][[7月]] -　）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞台 ===&lt;br /&gt;
* ハローマックミュージカル「ぼくのシンデレラ」 （[[1990年]]、[[青山劇場]]）&lt;br /&gt;
*: 城島・国分・松岡・小島の4名で出演。&lt;br /&gt;
* [[PLAYZONE#PLAYZONE'91 SHOCK|PLAYZONE'91 SHOCK]] （1991年7月4日 - 8月14日、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*: 城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。 なお、長瀬も[[ジャニーズJr.]]として出演しており、大阪公演では足の怪我で欠席していた小島の代役も務めた。&lt;br /&gt;
* [[聖闘士星矢]][[ミュージカル]] （1991年8月15日 - 9月1日、青山劇場）&lt;br /&gt;
*: 同じく城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。 [[SMAP]]主演のこのミュージカルで、5人は黄金聖闘士役を演じた。 長瀬も[[ジャニーズJr.]]として出演している。&lt;br /&gt;
* [[PLAYZONE#PLAYZONE'92 さらばDiary|PLAYZONE'92　さらばDiary]] （1992年7月 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*:同じく城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。長瀬もミュージカルのみでのサポートメンバーとして参加。&lt;br /&gt;
* [[PLAYZONE#PLAYZONE'93 WINDOW|PLAYZONE'93　WINDOW]] （1993年7月 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*:同じく城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。長瀬もミュージカルのみでのサポートメンバーとして参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽フェスティバル ===&lt;br /&gt;
* [[JOIN ALIVE|JOIN ALIVE 2014]]（2014年7月20日）&lt;br /&gt;
* [[サマーソニック|サマーソニック 2014]]（2014年8月17日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 連載 ===&lt;br /&gt;
*[[週刊TVガイド]]「TOKIO P.S.I Love You」（[[東京ニュース通信社]]）&lt;br /&gt;
*月刊TVfan「TOKIOのお仕事」（2011年6月号 - 、[[共同通信社]]）&lt;br /&gt;
*[[MISS]] plus「TOKIO悩み相談室」（2013年5月号 - 、[[世界文化社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ライヴ年譜 ==&lt;br /&gt;
=== 1993年 ===&lt;br /&gt;
*〜WE ARE SAY'S〜 With TOKIO（3/30‐5/2）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1994年 ===&lt;br /&gt;
*FIRST LIVE（1/5‐23）&lt;br /&gt;
*See You Again・松竹座（5/14‐15）&lt;br /&gt;
*MOVE ON（8/20‐30）&lt;br /&gt;
*日本武道館コンサート TOKIOと楽しい時代を（11/2）&lt;br /&gt;
*TOKIO First Album 記念ライブ（11/3‐5）&lt;br /&gt;
: （大阪IMPホール・福岡クロッシングホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1995年 ===&lt;br /&gt;
*Bad Boy's Business'95 コンサートツアー（3/12‐24）&lt;br /&gt;
: 全国4ヶ所11公演&lt;br /&gt;
*Bad Boy's Boundコンサートツアー（8/3‐9/3）&lt;br /&gt;
: （福岡サンパレス・札幌市民会館・大阪厚生年金会館・名古屋市民会館・渋谷公会堂・仙台市民会館・広島アステルホール・渋谷公会堂）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1996年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1996 風になって（1/4‐15）&lt;br /&gt;
: （大阪城ホール・日本武道館・名古屋レインボーホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1996 BLOWING（3/20‐5/3）&lt;br /&gt;
: （北海道厚生年金会館・名古屋センチュリーホール・新潟県民会館・松本文化会館・仙台市民会館・福岡サンパレス・大阪城ホール・横浜アリーナ）&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1996 Hallelujah Go Go!（8/11‐9/29）&lt;br /&gt;
: （宮城県民会館・広島郵便貯金ホール・福岡サンパレス・名古屋センチュリーホール・日本武道館・長野市民会館・新潟県民会館・石川厚生年金会館・大阪厚生年金会館・北海道厚生年金会館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1997年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1997 Be a HERO 〜Everybody Can Do!〜（1/5‐15）&lt;br /&gt;
: （名古屋センチュリーホール・日本武道館・大阪城ホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO SPRING CONCERT WILD &amp;amp; MILD（3/20‐4/6）&lt;br /&gt;
: （新潟県民会館・渋谷公会堂・NHKホール・北海道厚生年金会館・名古屋センチュリーホール・福岡サンパレス・大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO SUMMER CONCERT 夏祭り'97（8/14‐9/28）&lt;br /&gt;
: （名古屋センチュリーホール・大阪フェスティバルホール・渋谷公会堂・東京国際フォーラム）&lt;br /&gt;
*TOKIO WINTER CONCERT BOYS &amp;amp; GIRLS〜この指とまれ!〜（12/20‐1998/1/7）&lt;br /&gt;
: （大阪フェスティバルホール・名古屋センチュリーホール・東京宝塚劇場）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1998年 ===&lt;br /&gt;
*SUMMER CONCERT TOUR 1998 LIMITED（7/20‐8/30）&lt;br /&gt;
: （渋谷公会堂・仙台サンプラザ・Zepp Sapporo・広島郵便貯金会館・福岡サンパレス・大阪フェスティバルホール・名古屋センチュリーホール・石川厚生年金会館・新潟県民会館・渋谷公会堂・東京国際フォーラム）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1999年 ===&lt;br /&gt;
*SPRING CONCERT'99 君を想うとき〜Heaven TOUR（3/26‐6/18）&lt;br /&gt;
: （NHKホール・大阪フェスティバルホール・北海道厚生年金会館・宮城県民会館・名古屋センチュリーホール・福岡サンパレス・広島厚生年金会館・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2000 YESTERDAY&amp;amp;TODAY（2/12‐4/1）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟県民会館・北海道厚生年金会館・宮城県民会館・大阪城ホール・九州厚生年金会館・名古屋センチュリーホール・広島郵便貯金ホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 2000 IN 台湾/香港（10/21‐26）&lt;br /&gt;
: （台北101・香港Queen Elizabeth Stadium）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2001年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 2001 どいつもこいつもTKO（2/3‐4/11）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟テルサ・広島郵便貯金ホール・岩手県民会館・仙台サンプラザ・北海道厚生年金会館・福岡サンパレス・熊本市民会館・大阪城ホール・名古屋センチュリーホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2002年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2002 5 AHEAD（2/2‐3/31）&lt;br /&gt;
: (新潟県民会館・長野市民会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール・熊本市民会館・福岡サンパレス・愛知県体育館・日本武道館・大阪城ホール・旭川市民文化会館・北海道厚生年金会館・広島厚生年金会館）＋台湾3公演&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2003年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2003 glider（2/1‐3/30）&lt;br /&gt;
: （新潟県民会館・石川厚生年金会館・岩手県民会館・宮城県民会館・福岡市民会館・熊本市民会館・大阪城ホール・北海道厚生年金会館・名古屋国際会議場センチュリーホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2004年 ===&lt;br /&gt;
*JR東海presents TOKIO Live Tour 2004 AMBITIOUS JAPAN!（1/31‐3/28）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟県民会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール・北海道厚生年金会館・名古屋国際会議場センチュリーホール・大阪城ホール・福岡サンパレス・日本武道館・広島厚生年金会館）&lt;br /&gt;
*TOKIO 10周年記念公演（9/11‐19）&lt;br /&gt;
: （大阪城ホール・名古屋レインボーホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2005年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2005(2/5-3/31)&lt;br /&gt;
: （北海道厚生年金会館・福岡サンパレス・名古屋国際会議場センチュリーホール・石川厚生年金会館・新潟県民会館・大阪城ホール・日本武道館・広島厚生年金会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2006年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO 明日を目指して！ LIVE TOUR!! 2006（2/4‐3/31）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟県民会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール・大分iichikoグランシアタ・福岡サンパレス・名古屋国際会議場センチュリーホール・北海道厚生年金会館・大阪城ホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
*TOKIO Special GIGs 2006 〜Get Your Dream〜（8/14‐9/15）&lt;br /&gt;
: （Zepp Fukuoka・Zepp Sendai・Zepp Sapporo・Zepp Tokyo・Zepp Nagoya・Zepp Osaka）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2008年 ===&lt;br /&gt;
*★TOKIO LIVE TOUR 2008★ SUGAR（3/8‐30）&lt;br /&gt;
: （日本武道館・大阪城ホール・日本ガイシスポーツプラザガイシホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO SUMMER LIVE'08（7/27‐8/31）&lt;br /&gt;
: （ウェルシティ札幌・仙台サンプラザホール・新潟県民会館・ウェルシティ金沢・盛岡市民文化ホール・福島県文化センター・佐賀市文化会館大ホール・長崎ブリックホール・広島ALSOKホール・とりぎん文化会館 梨花ホール・京都会館第一ホール・なら100年会館・パシフィコ横浜 国立大ホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2009年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR OVER 30's WORLD（9/22‐10/8）&lt;br /&gt;
: （日本武道館・大阪城ホール・日本ガイシスポーツプラザガイシホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2011年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2011　+PLUS+（3/6‐5/30）&lt;br /&gt;
: （仙台サンプラホール・岩手県民会館・島根県民会館・広島・ALSOKホール・愛媛・松山市民会館・日本武道館・石川・本多の森ホール・滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 大ホール・グランキューブ大阪(大阪国際会議場)・佐賀市文化会館 大ホール・福岡サンパレス・名古屋国際会議場 センチュリーホール・函館市民会館・札幌・ニトリ文化ホール）&lt;br /&gt;
追加：京都会館 第一ホール&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2012年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 1718 （8/26‐9/23）&lt;br /&gt;
: （仙台サンプラザホール・岩手県民会館・福岡市民会館・ニトリ文化ホール・郡山市民文化センター・なら100年会館大ホール・オリックス劇場・名古屋国際会議場センチュリーホール・本多の森ホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2014年 ===&lt;br /&gt;
*JRA 60th presents TOKIO 20th Anniversary Live Tour HEART （8/1‐11/2）&lt;br /&gt;
: （川口総合文化センター リリアメインホール・上野学園ホール・新潟県民会館・ニトリ文化ホール・松山市民会館 大ホール・名古屋国際会議場 センチュリーホール・本多の森ホール・仙台サンプラザホール・神戸国際会館 こくさいホール・大阪国際会議場(グランキューブ大阪) メインホール・福岡サンパレス・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=注}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.johnnys-net.jp/page?id=artistTop&amp;amp;artist=7 Johnny's net &amp;gt; TOKIO] - ジャニーズ事務所による公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.universal-music.co.jp/tokio/index.html ユニバーサルミュージックによる公式ページ]{{リンク切れ|date=2012年8月}}&lt;br /&gt;
* [http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/Tokio/ TOKIO - Sony Music]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ときお}}&lt;br /&gt;
[[Category:TOKIO|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャニーズ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドルグループ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のロック・バンド]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手グループ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=TOKIO&amp;diff=396769</id>
		<title>TOKIO</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=TOKIO&amp;diff=396769"/>
				<updated>2022-02-03T05:34:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''TOKIO'''（トキオ）は、[[日本]]の[[男性アイドルグループ]]、[[ロックバンド]]。所属[[芸能事務所]]は[[ジャニーズ事務所]]。所属[[レコード会社]]は[[ジェイ・ストーム|J Storm]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メンバー ==&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! メンバー&lt;br /&gt;
! プロフィール&lt;br /&gt;
! 演奏担当&lt;br /&gt;
! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[城島茂]]''' &amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（じょうしま しげる）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1970年11月17日、[[ABO式血液型#O型の亜種|O型]]、[[奈良県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot;&amp;gt;“[http://www.johnnys-net.jp/j/artists/tokio/prof/prof.html Johnny's net &amp;gt; ARTISTS &amp;gt; TOKIO &amp;gt;Profile]”. Johnny's net. 2012年1月13日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[エレクトリックギター|リードギター]]&amp;lt;br&amp;gt;[[ボーカル]]&lt;br /&gt;
| リーダー&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
| '''[[松田恒尚]]''' &amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（まつだ つねひさ）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1905年11月22日、[[ABO式血液型#O型の亜種|O型]]、[[埼玉県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot;&amp;gt;“[http://www.johnnys-net.jp/j/artists/tokio/prof/prof.html Johnny's net &amp;gt; ARTISTS &amp;gt; TOKIO &amp;gt;Profile]”. Johnny's net. 2012年1月13日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[エレクトリックギター|リードギター]]&amp;lt;br&amp;gt;[[ボーカル]]&lt;br /&gt;
| サブリーダー&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
| '''[[山口達也 (ジャニーズ)|山口達也]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（やまぐち たつや）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1972年1月10日、O型、[[埼玉県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[エレクトリックベース|ベース]]&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[国分太一]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（こくぶん たいち）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1974年9月2日、O型、[[東京都]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[キーボード (楽器)|キーボード]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ピアノ]]&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[松岡昌宏]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（まつおか まさひろ）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1977年1月11日、[[ABO式血液型#A型の亜種|A型]]、[[北海道]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[ドラムセット|ドラム]]&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[長瀬智也]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（ながせ ともや）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1978年11月7日、O型、[[神奈川県]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;Johnnysnet-Profile-20121013&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
| ボーカル&amp;lt;br /&amp;gt;[[リズムギター]]&lt;br /&gt;
| &lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:small&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 元メンバー&lt;br /&gt;
! プロフィール&lt;br /&gt;
! 演奏担当&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[小島啓]]'''&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;（こじま ひろむ）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 1976年10月24日、[[ABO式血液型#AB型の亜種|AB型]]、[[千葉県]]出身&lt;br /&gt;
| リズムギター&amp;lt;br&amp;gt;ボーカル&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
バンドグループであるため、あまり知られていないがメンバー全員運動神経が良く[[後方転回|バク転]]ができる&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;ジャニーズ事務所に所属する現役のグループではTOKIO以外で[[少年隊]]や[[V6 (グループ)|V6]]などがメンバー全員バク転ができる。過去に在籍したグループでは[[光GENJI]]、[[忍者 (グループ)|忍者]]がメンバー全員バク転ができるグループだった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。デビュー前に[[光GENJI]]、[[SMAP]]のバックダンスを務めていた頃にはよく披露されていた。ライブなどでは楽器交換をして演奏することもあり、自分の担当楽器以外も演奏することができる&amp;lt;ref&amp;gt;これによりシャッフルバンド「[[アソビゴコロ]]」と「スクールフェスティバル」が存在する&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== CDデビューまで ===&lt;br /&gt;
[[1989年]]、テレビ朝日の[[バラエティ番組]]『[[アイドル共和国]]』内で、「[[ジャニーズJr.解散グループ (1990年以前)#平家派|平家派]]」のメンバーだった城島と山口が「城島茂バンド（通称：ジョーバンド）」というユニットを結成（更に前身は「JURIA」というバンド）。 その後、社長の[[ジャニー喜多川]]が「[[ジャニーズ事務所 過去のバックバンド#TOKIO BAND|TOKIO BAND]]」というバンド名を与えた。このTOKIO BANDが、現在のTOKIOの直接の前身に当たる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年]]4月、国分（城島、山口と同じく「平家派」の出身）と松岡が、「[[ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)#SMAP学園|SMAP学園]]」選抜メンバーとして城島と合流後、3名で最初のTOKIOを結成。 少し遅れて小島が加入し4人組となる。 しばらくこの4人での活動が続いたが、城島がジャニー喜多川に交渉した事により、山口も新しくメンバーに加わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1992年]]頃から、[[ジャニーズJr.]]の中で頭角を現していた長瀬が時折サポートとして加入するようになる。それ以降、デビューまで雑誌・ラジオ等では長瀬を除く5人編成、テレビやライブでは長瀬を含む6人編成といった、妙な構成で活動していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]]10月10日より、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]『[[アイドルオンステージ]]』にレギュラー出演開始（1994年12月まで）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]1月5日 - 1月23日、全国7大都市のライブハウスでファーストライブツアーを敢行（合計23公演）&lt;br /&gt;
:同年5月15日、大阪・[[松竹座]]で“1日10回公演”のライブを行う。&lt;br /&gt;
:CDデビューを目前に控えた時期に、小島が突然脱退してジャニーズ事務所を辞めたため、長瀬が新しく正式なメンバーとなった。&lt;br /&gt;
:同年7月12日、[[日本武道館]]でCDデビューの記者発表を行う。&lt;br /&gt;
:同年8月10日 - 8月30日、全国9大都市でコンサートツアーを敢行（合計24公演）&lt;br /&gt;
:同年9月21日、「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1994年 - 2000年 ===&lt;br /&gt;
CDデビューから2か月後の1994年11月2日には、日本武道館でコンサートを行った。同年12月31日には、デビューから3ヶ月10日という当時の史上最速記録（[[WaT]]がこの記録をその後更新）で『[[第45回NHK紅白歌合戦]]』への初出場も果たす。紅白へはCDデビュー前にも[[光GENJI]]のバックダンサーとして出演、[[1996年]]の出演時には[[玉置浩二]]の「田園」でもバックを務めたりと、[[2013年]]まで20回連続出場している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1997年]]12月1日、[[1995年]][[1月17日]]に発生した[[阪神・淡路大震災]]へのチャリティー活動として、1997年までにデビューしていたTOKIO・[[V6 (グループ)|V6]]・[[KinKi Kids]]が、合体し[[J-FRIENDS]]を結成することを発表した。&lt;br /&gt;
震災発生当時の小学校1年生が[[義務教育]]を終える[[2003年]][[3月]]までを活動期間として活動した。リリースしたシングル・ミニアルバムは、全て初登場1位を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]]8月22日・23日、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ 「愛は地球を救う」 いま、始めよう ]]』で初のパーソナリティを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]、『[[ザ!鉄腕!DASH!!]]』の番組企画内で「15minutes（城島・山口・国分）」「ぴんく（長瀬・松岡・[[忌野清志郎]]）」という覆面バンドでインディーズCDを発売（九州の一部店舗のみ）。&lt;br /&gt;
「15minutes」のCDはその後、違う編曲をされたものが『[[YESTERDAY &amp;amp; TODAY (TOKIOのアルバム)|YESTERDAY &amp;amp; TODAY]]』発売時に抽選で1000人に特典としてプレゼントされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2001年 - 2005年 ===&lt;br /&gt;
[[2001年]]のシングル「どいつもこいつも　c/w　ボクの未来」で、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]から[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]へ移籍。同年、シングル「メッセージ　c/w　ひとりぼっちのハブラシ」でデビュー7年目にして初の[[オリコンチャート|オリコン]]1位を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、[[TBSテレビ|TBS]]のドラマ『[[やんパパ]]』の主題歌「[[ding-dong]]」を含むシングル「[[ding-dong/glider]]」発売。TOKIOのシングルとしては初の[[クリスマスソング]]でオリコン1位を獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]8月23日・24日、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ 「愛は地球を救う」 あなたを一番愛する人･･･]]』で2度目のパーソナリティを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年には[[東海旅客鉄道|JR東海]]の[[東海道新幹線]][[品川駅]]開業とタイアップした「[[AMBITIOUS JAPAN!]]」をリリース、オリコン1位を獲得した。同社所属の新幹線車両にこの曲のイントロのチャイムが採用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]9月1日にデビュー10周年記念アルバムとして出た、ジャニーズヒットソングのカバー・アルバム『[[TOK10]]』がオリコン1位となる。各曲のプロデューサーには、国内外のトップミュージシャンを迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『[[メントレG]]』番組内でエンディングテーマを決めるに当たり、各メンバー作詞・作曲の楽曲を匿名で公開、視聴者の投票により、城島茂の『僕の恋愛事情と台所事情』に決まった。DVDシングル1位を獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2006年 - 2010年 ===&lt;br /&gt;
[[2006年]][[2月8日]]、TBSの金曜ドラマ『[[夜王|夜王〜YAOH〜]]』の主題歌でもある「[[Mr.Traveling Man]]」を発売、2年4か月ぶりのシングル初登場で首位を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[6月21日]]にはシングル「[[Get Your Dream]]」がリリースされた。TBS[[FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]の応援歌となっていて、曲のタイトルは[[サッカー日本代表]]の[[中村俊輔]]選手が命名した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[7月12日]]、TVなどで見せる「仲間同士で遊ぶ」という[[コンセプト]]にマッチしたという理由から、[[マイクロソフト]]の[[Xbox 360]]の[[キャラクター|イメージキャラクター]]に起用が決定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月23日]]、「[[宙船/do! do! do!|宙船(そらふね)/do! do! do!]]」をリリース。収録されている「宙船」は長瀬智也主演の日本テレビの土曜ドラマ『[[マイ★ボス マイ★ヒーロー]]』の主題歌。同曲の作詞・作曲を手掛けたのは[[シンガー・ソングライター]][[中島みゆき]]。「ハードな歌謡ロック」をイメージしたという「宙船」により、TOKIO（ジャニーズ）と中島みゆきというコラボレーションが実現した。オリコンチャートで初登場1位を獲得した（通算5作目、TOKIOが同じ年にシングル2作で首位を獲得したのは初めてである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[10月18日]]、1年8ヶ月ぶりとなるアルバム『[[Harvest (TOKIOのアルバム)|Harvest]]』をリリース。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[3月28日]]、「[[ひかりのまち/ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)]]」をリリース。大物アーティストとのコラボ第2弾となるこの曲は[[甲斐よしひろ]]が作詞・作曲をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[8月15日]]、[[シンガーソングライター]][[中島みゆき]]とのコラボ2作目となる「[[本日、未熟者/Over Drive]]」をリリース。山口主演で日本テレビの土曜ドラマ『[[受験の神様]]』の主題歌である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[11月28日]]、「[[青春 SEISYuN]]」をリリース。長瀬主演でTBSの金曜ドラマ『[[歌姫 (劇作品)|歌姫]]』の主題歌となり、作詞、作曲はシンガーソングライターの[[長渕剛]]が手掛けた。大物アーティストとのコラボは3度目となり、1年3ヶ月ぶりのシングル初登場で首位を獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[3月8日]]に、山口が5歳年下の元モデルと入籍。同日夜の日本武道館ライブでファンに報告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[7月]]、松岡が主演を務める日本テレビのドラマ『[[ヤスコとケンジ]]』の主題歌となるシングル「[[雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう|雨傘]]（作詞/作曲：[[椎名林檎]]、編曲：[[東京事変]]）」から、[[ジェイ・ストーム]]に移籍することを発表。松岡は取材で「[[嵐 (グループ)|嵐]]の後輩です」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[4月11日]]、『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」を7年かけてスタート地点の東京・晴海にゴールした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[6月16日]]、「[[-遥か-]]」をリリース。『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「DASH海岸」のテーマソングであり、[[TUBE]]の[[前田亘輝]]・[[春畑道哉]]から詞曲提供を受けた。「青春 SEISYuN」以来、2年7ヶ月振りの首位獲得となり、ジェイ・ストーム移籍後は初の首位獲得となった。また、初動のみで前作の累計売上を上回った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[7月]]、『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「DASH海岸」が[[国土交通省]]から評価され、「海の日表彰（[[関東地方]]整備局港湾空港関係功労者表彰）」を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;{{PDFlink|“[http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000015062.pdf 「海事関係功労者表彰」を行います。]”. 国土交通省 関東地方整備局 (2010年7月15日). 2012年1月13日閲覧。}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;“[http://news.thetv.jp/article/16276/ 「ザ！鉄腕!DASH!!」が「海の日表彰」を受賞！　TOKIOメンバーたちがさらなる飛躍を目指す！]”. webザテレビジョン (2010年8月8日). 2012年1月13日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年8月28日・29日、『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ 「愛は地球を救う」 ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜]]』で3度目のパーソナリティを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2011年 -  ===&lt;br /&gt;
2011年5月、松岡が『[[高校生レストラン]]』で7度目の主演を務め、日本テレビ土曜ドラマ枠での主演回数が過去最多となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年9月23日、『テレビ朝日ドリームフェスティバル2011』（日本武道館）出演。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年9月23日、『TOKIO LIVE TOUR 1718』 の最終公演（日本武道館）がライブシネマとして、和歌山県・鳥取県を除く全国45都道府県94ヶ所の映画館で同時生中継される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年に20周年を迎えたTOKIOはジャニーズ初の野外フェス『[[JOIN ALIVE]]』、『[[サマーソニック]]』に出演した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ディスコグラフィ ==&lt;br /&gt;
=== シングル ===&lt;br /&gt;
2000年の「恋に気づいた夜」までが8cmシングル、2001年の「どいつもこいつも」からマキシシングル。&lt;br /&gt;
タイアップについては[[ジャニーズ タイアップ一覧#た行|ジャニーズ タイアップ一覧]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! カップリング !!最高&amp;lt;br /&amp;gt;順位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;background:#87CEFA;&amp;quot;|[[ソニーレコード]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1994年]][[9月21日]]|| ''' [[LOVE YOU ONLY]]'''||時代を（TOKIO）よろしく!||3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| 1994年[[12月12日]]|| ''' [[明日の君を守りたい 〜YAMATO2520〜]]'''||永遠の星座 〜YAMATO2520　愛のテーマ〜||7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| [[1995年]][[4月12日]]|| ''' [[うわさのキッス]]'''||哀しみのBeliever||2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| 1995年[[6月21日]]|| ''' [[ハートを磨くっきゃない]]'''||ぼくの伯父さん 〜My uncle is a nice guy〜||3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| 1995年[[8月21日]]|| '''[[SoKoナシLOVE]] '''||JUST YOU,TAKE YOU 〜君の瞳に溶けていく〜||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| 1995年[[10月21日]]|| '''[[好きさ 〜Ticket To LOVE〜]]'''||－||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| 1995年[[12月2日]]|| '''[[風になって (TOKIOの曲)|風になって]]'''||涙のウエディングベル||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[2月26日]]|| '''[[MAGIC CHANNEL]]'''||じっと見つめて||6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| 1996年[[7月22日]]|| '''[[ありがとう…勇気]]'''||世界の屋根||3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 10&lt;br /&gt;
| 1996年[[11月25日]]|| '''[[Everybody Can Do!]]'''||SPICY GIRL||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
| [[1997年]][[2月11日]]|| '''[[フラれて元気]]'''||Dash for the Dream||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
| 1997年[[5月28日]]|| '''[[Julia (TOKIOの曲)|Julia]]'''||あたってくだけろ!||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 13&lt;br /&gt;
| [[1998年]][[3月4日]]|| '''[[この指とまれ! (TOKIOの曲)|この指とまれ!]]'''||EMBLEM||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 14&lt;br /&gt;
| 1998年[[5月20日]]|| '''[[Love &amp;amp; Peace]]'''||そんな君が輝いて||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 15&lt;br /&gt;
| [[1999年]][[2月17日]]|| '''[[君を想うとき/Oh! Heaven]]'''||－||9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 16&lt;br /&gt;
| 1999年[[6月30日]]|| '''[[何度も夢の中でくり返すラブ・ソング/溢れる想い]]'''||－||7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 17&lt;br /&gt;
| 1999年[[8月25日]]|| '''[[忘れえぬ君へ…]]'''||－||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 18&lt;br /&gt;
| 1999年[[11月10日]]|| '''[[愛の嵐 (TOKIOの曲)|愛の嵐]]'''||LAST ANGEL||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 19&lt;br /&gt;
| [[2000年]][[5月31日]]|| '''[[みんなでワーッハッハ!/愛はヌード]]'''||－||6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 20&lt;br /&gt;
| 2000年[[9月13日]]|| '''[[恋に気づいた夜]]'''||OH! IT'S TRUE LOVE||11位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;background:#87CEFA;&amp;quot;|[[ユニバーサルJ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 21&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[3月7日]]|| '''[[どいつもこいつも/ボクの未来]]'''||－||10位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 22&lt;br /&gt;
| 2001年[[5月30日]]|| '''[[メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ]]'''||－||1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 23&lt;br /&gt;
| 2001年[[8月8日]]|| '''[[カンパイ!!]]'''||カンパイ!! –ベリーロック・バージョン–||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 24&lt;br /&gt;
| 2001年[[10月31日]]|| '''[[DR/Only One Song]]'''||－||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 25&lt;br /&gt;
| [[2002年]][[3月6日]]|| '''[[花唄 (TOKIOの曲)|花唄]]'''||遠い日のメロディー||5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |26&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2002年[[7月10日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | ''' [[GREEN (TOKIOの曲)|GREEN]]'''||Neighbor|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|southend&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 27&lt;br /&gt;
| 2002年[[12月4日]]|| '''[[ding-dong/glider]]'''||－||1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 28&lt;br /&gt;
| [[2003年]][[10月1日]]|| '''[[AMBITIOUS JAPAN!]]'''||駅・ターミナル||1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 29&lt;br /&gt;
| 2003年[[12月3日]]|| '''[[ラブラブ マンハッタン/ALIVE-LIFE|ラブラブ♡マンハッタン/ALIVE-LIFE]]'''||－||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |30&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2004年]][[3月3日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[トランジスタGガール]]'''||花唄 (Acoustic version)|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Julia (Piano version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 31&lt;br /&gt;
| 2004年[[11月17日]]|| '''[[自分のために/for you]]'''||Nice guys||4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |32&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2005年[[12月7日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[明日を目指して!]]'''||Save As...|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| LOOP 〜愛しい日々のメロディー〜&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |33&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |[[2006年]][[2月8日]]|| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |'''[[Mr.Traveling Man]]'''||夜を吹き飛ばせ||rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Love is here&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 明日を目指して! (Piano version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |34&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |2006年[[6月21日]]||  rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |'''[[Get Your Dream]]'''||Parasitic Plants|| rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; |2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Symphonic (Live Version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 君を想うとき (Live Version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |35&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2006年[[8月23日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[宙船/do! do! do!]]'''||リプライ|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 宙船（そらふね） (Acoustic Version)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 36&lt;br /&gt;
| [[2007年]][[3月28日]]|| ''' [[ひかりのまち/ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)]]'''||Sweet Sick Honey||2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |37&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2007年[[8月15日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[本日、未熟者/Over Drive]]'''||indicator|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 宙船（そらふね） 〜Rock Version〜 (Live)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |38&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2007年[[11月28日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[青春 SEISYuN]]'''||キマジメ|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Stardust Lover Orchestra&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot; style=&amp;quot;background:#87CEFA;&amp;quot;|[[J Storm]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |39&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2008年]][[9月3日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう]]'''||渦中の男|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 上昇思考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2009年]][[8月19日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[太陽と砂漠のバラ/スベキコト]]'''||誓い|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Cross Fade&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2010年]][[2月3日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[advance/また朝が来る]]'''||CRY FOR THE MOON|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Period&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |42&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2010年[[6月16日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[-遥か-]]'''||Everlasting|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |1位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| DASH VILLAGE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |43&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |2010年[[8月11日]]|| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |''' [[NaNaNa (太陽なんていらねぇ)]]'''||路傍の花|| rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; |6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Dream &amp;amp; Breeze&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Nature Mind&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| それしかできない&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |44&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2011年[[5月25日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[見上げた流星]]'''||Wheel|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| PLUS&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |45&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |2012年[[2月29日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |''' [[羽田空港の奇跡/KIBOU]]'''||ストロボ|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |5位&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
| PERFECT LIFE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |46&lt;br /&gt;
| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2013年]][[2月20日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[リリック (曲)|リリック]]'''||アリア|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| Pocket&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2013年]][[3月20日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[手紙 (TOKIOの曲)|手紙]]'''||To be|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 8位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 夕灼けの街&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2013年]][[10月30日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[ホントんとこ/Future]]'''||switch|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 6位 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| home 〜この場所〜&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |[[2014年]][[5月21日]]|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |'''[[LOVE, HOLIDAY.]]'''||みあげれば|| rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; | 4位 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| フレーズ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
ビーグル。2016年2月24日。14日のシュウイチで放送された&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 配信限定 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[2011年]][[2月8日]]||'''[[PLUS (TOKIOの曲)|PLUS]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アルバム ===&lt;br /&gt;
==== オリジナルアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! 最高位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1994年]][[11月21日]]|| ''' [[TOKIO (TOKIOのアルバム)|TOKIO]]'''|| 8位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| [[1995年]][[7月3日]]|| ''' [[Bad Boys Bound〜TOKIO II〜]]'''|| 4位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[3月25日]]|| ''' [[BLOWING]]'''|| 7位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| [[1997年]][[3月26日]]|| ''' [[WILD &amp;amp; MILD]]'''|| 9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| [[1998年]][[4月1日]]|| ''' [[Graffiti (TOKIOのアルバム)|Graffiti]]'''|| 9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| [[2000年]][[2月2日]]|| ''' [[YESTERDAY &amp;amp; TODAY (TOKIOのアルバム)|YESTERDAY &amp;amp; TODAY]]'''|| 9位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[12月5日]]|| ''' [[5 AHEAD]]'''|| 8位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| [[2003年]][[2月19日]]|| ''' [[glider (アルバム)|glider]]'''|| 5位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| [[2005年]][[2月2日]]|| ''' [[ACT II]]'''|| 3位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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| [[2006年]][[10月18日]]|| ''' [[Harvest (TOKIOのアルバム)|Harvest]]'''|| 2位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
| [[2008年]][[2月20日]]|| ''' [[sugar (アルバム)|sugar]]'''|| 6位&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
| [[2012年]][[8月22日]]|| ''' [[17 (アルバム)|17]]'''|| 5位 &lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ミニアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1998年]][[8月5日]]|| ''' [[電光石夏]]'''||唯一のミニアルバム&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ベストアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[8月26日]]|| ''' [[Best E.P Selection of TOKIO]]'''||「LOVE YOU ONLY」から「ありがとう…勇気」までのシングルとアルバム曲の一部シングルのc/wを収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[5月9日]]|| ''' [[BEST EP SELECTION OF TOKIO II]]'''||「Everybody Can Do!」から「恋に気づいた夜」までのシングルと一部シングルのc/wを収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| [[2014年]][[7月16日]]|| ''' [[HEART (TOKIOのアルバム)|HEART]] '''|| デビューから2013年までの楽曲の中からファン投票によって選出された楽曲を収録した&amp;lt;br/&amp;gt;オールタイム・コンピレーションアルバム&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== リミックスアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[1995年]][[3月8日]]|| ''' [[TOKIO REMIX]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== カバーアルバム ====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! ＃ !! 発売日 !! タイトル !! &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| [[2004年]][[9月1日]]|| ''' [[TOK10]]'''||TOKIOデビュー10周年記念アルバム&amp;lt;br&amp;gt;初代ジャニーズからV6までの歴代ジャニーズアーティストのカヴァーを収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 映像作品 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
!  !! VHS発売日 !! DVD発売日 !! タイトル&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|[[1995年]][[3月8日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''[[TOKIO in YAMATO2520 〜YAMATO2520テーマソングス〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|1995年[[11月23日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''[[TOKIO FIRST LIVE VIDEO 〜BAD BOYS BOUND '95〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! -&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;|[[1996年]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''TOKIO CONCERT TOUR 1996 風になって'''（FC限定）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |1996年[[12月23日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO VIDEO CLIP SELECTION'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[1998年]][[4月1日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''[[TOKIO LIVE 1997 + SPECIAL BONUS TRACK 1998]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[1999年]][[10月6日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2000年]][[3月29日]]|| '''[[TOKIO 1999 LIVE IN 日本武道館 〜君を想うとき〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |2000年[[3月29日]]|| '''[[TOKIO VIDEO CLIPS 2000]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2002年]][[5月22日]]|| '''[[5 ROUND]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |2002年[[8月7日]]|| '''[[TOKIO LIVE TOUR 2002 5 AHEAD in 日本武道館]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2004年]][[5月19日]]|| '''[[5 ROUND II]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 10&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2005年]][[1月12日]]|| '''TOKIO 10th anniversary LIVE 2004'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2005年]][[11月16日]]|| '''[[僕の恋愛事情と台所事情]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2006年]][[11月22日]]|| '''[[TOKIO Special GIGs 2006 〜Get Your Dream〜]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 13&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2007年]][[1月31日]]|| '''[[5 ROUND III]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 14&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2011年]][[9月14日]]|| '''[[OVER/PLUS]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 15&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; |[[2013年]][[4月17日]]|| '''[[TOKIO LIVE TOUR 1718]]'''&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== TOKIO STATION ===&lt;br /&gt;
『TOKIO STATION』とは、TOKIOのフリートークを収録したCDまたはDVDのことで、アルバムの初回盤やCD・DVDの購入特典として発売または、配布されている。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
! 発売日 !! 配布年 !! タイトル !! 規格 !! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[12月5日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''TOKIO STATION -新リーダー決定!?編-''' || 8cmCD || アルバム『[[5 AHEAD]]』初回盤Aに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2001年12月5日|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;| - || '''TOKIO STATION -新ボーカル決定!?編-''' || 8cmCD || アルバム『5 AHEAD』初回盤Bに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2003年]][[2月19日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜スタジオ・セッション編〜''' || 8cmCD || アルバム『[[glider (アルバム)|glider]]』初回盤Aに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2003年2月19日|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜アルバム解説編〜''' || 8cmCD || アルバム『glider』初回盤Bに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2005年]][[12月7日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜楽曲解説編〜''' || 12cmCD || シングル「[[明日を目指して!]]」初回盤Aに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2005年12月7日|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION 〜ビデオ･クリップ解説編〜''' || 12cmCD || シングル「明日を目指して!」初回盤Bに収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2008年]][[9月3日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION II 〜あきれるくらい TOKIOは喋ろう編〜''' || DVD || シングル「[[雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう]]」初回限定盤2に収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2009年]][[8月19日]]|| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || '''TOKIO STATION II 〜ハナスベキコト編〜''' || DVD || シングル「[[太陽と砂漠のバラ/スベキコト]]」初回限定盤2に収録&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2010年]] || '''TOKIO STATION SPECIAL 〜ビアガーデン編〜''' || DVD || シングル「[[-遥か-]]」購入特典&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2011年]] || '''TOKIO STATION 〜ラジオ編〜''' || 12cmCD || シングル「[[見上げた流星]]」購入特典&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2012年]] || '''TOKIO STATION II 〜屋形船編〜''' || DVD || アルバム『[[17 (アルバム)|17]]』購入特典&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; | - || [[2013年]] || '''TOKIO STATION II 〜公開収録編〜''' || DVD || シングル「[[リリック (曲)|リリック]]」、「[[手紙 (TOKIOの曲)|手紙]]」、ライブDVD『[[TOKIO LIVE TOUR 1718]]』購入特典&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な出演作品 ==&lt;br /&gt;
単独出演についてはそれぞれの記事を参照。（[[城島茂]]・[[山口達也 (ジャニーズ)|山口達也]]・[[国分太一]]・[[松岡昌宏]]・[[長瀬智也]]）&lt;br /&gt;
=== テレビ ===&lt;br /&gt;
==== 2014年5月現在 ====&lt;br /&gt;
*[[ザ!鉄腕!DASH!!]]（1995年11月2日 - 、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系）&lt;br /&gt;
*[[TOKIOカケル]]（2012年10月10日 - 、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 過去 ====&lt;br /&gt;
*[[桜っ子クラブ]]（テレビ朝日系）（[[内海光司]]・[[SMAP]]と共演）&lt;br /&gt;
*[[クイズ!年の差なんて]]（1992年5月 - 1994年9月、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[アイドルオンステージ]]（1993年10月 - 1994年12月、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]）&lt;br /&gt;
*[[マジカル頭脳パワー!!]]（1995年2月 - 1998年3月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*天使の仮面（1996年4月16日 - 7月2日、テレビ朝日系）&lt;br /&gt;
*[[さんまのSUPERからくりTV]]（1996年4月21日 - 1998年3月29日、TBS系）&lt;br /&gt;
*P-STOCK（1996年7月23日 - 1997年3月28日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[Toki-kin急行好きだよ!好きやねん]]（1996年10月16日 - 1997年3月12日、TBS系）（[[KinKi Kids]]と共演）&lt;br /&gt;
*[[TOKIO HEADZ!]]（1997年4月2日 - 1998年5月28日、TBS系）&lt;br /&gt;
*[[24時間テレビ「愛は地球を救う」]]（1997年・1998年・2003年・2010年・2014年、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[ねばぎば!TOKIO]]（1997年10月12日 - 1998年9月27日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[男女8人恋愛ツアー!TOKIOのな・り・ゆ・き!!]]（1998年10月13日 - 1999年9月30日、フジテレビ系）（『[[あいのり]]』の前身番組）&lt;br /&gt;
*[[Sports Partyただいま夢中!]]（1999年4月3日 - 9月25日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*[[ガチンコ!]]（1999年4月13日 - 2003年7月29日、TBS系）&lt;br /&gt;
*[[メントレG]]（1999年10月8日 - 2008年9月14日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*開局50周年　24時間テレビ「[[ファイトTV24・やればできるさ!]]」（2001年6月30日 - 7月1日、TBS系）&lt;br /&gt;
*TOKIOの女優な夜（2002年1月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*TOKIO恋の予感（2003年1月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[★愛と誠★]]（2003年8月5日 - 12月9日、TBS系）&lt;br /&gt;
*TOKIO史上最大の特番！（2004年4月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*TOKIOでナイト（2005年1月、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[大笑点]]（2006年1月1日・2007年1月1日・2008年1月1日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*生命38億年スペシャル・人間とはなんだ!?Ⅴ（2006年2月25日、TBS系）&lt;br /&gt;
*[[ザッツ宴会テイメント]]（2008年4月6日・10月5日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*[[5LDK]]（2008年10月9日 - 2012年9月20日、フジテレビ系）&lt;br /&gt;
*一流選手とマジ対決！TOKIO☆ドリームチャレンジ！！（2009年1月1日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
*新春TOKIO生放送ドリームチャレンジ！神ワザ人間大集合SP（2010年1月1日、日本テレビ系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ラジオ番組 ===&lt;br /&gt;
*[[TOKIO CLUB]]（1992年4月 - 1994年3月、[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]）&lt;br /&gt;
*TOKIO カラオケ HIT CLUB（1993年10月 - 1994年3月、[[ニッポン放送]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
*[[フマキラー]]・ベープ&lt;br /&gt;
*[[江崎グリコ]]&lt;br /&gt;
**アーモンドクラッシュボール&lt;br /&gt;
**クリスプ&lt;br /&gt;
**[[パピコ]]&lt;br /&gt;
*[[ベネッセコーポレーション]]進研ゼミ・中学生講座&lt;br /&gt;
*[[コンパック]]・Presario&lt;br /&gt;
*[[麒麟麦酒]]・キリンラガービール&lt;br /&gt;
*[[JX日鉱日石エネルギー#歴代出演タレント|ENEOS]]&lt;br /&gt;
*[[東海旅客鉄道]]・[[AMBITIOUS JAPAN!]]キャンペーン  （[[2003年]]-[[2005年]]）&lt;br /&gt;
*[[マイクロソフト]][[Xbox 360]]・「do!do!do! しようぜ。」キャンペーン（[[2006年]]）&lt;br /&gt;
*[[ヤマト運輸]]・新宅急便キャンペーン（[[2010年]][[2月]] - ）2015年9月28日のぐっとと目覚ましでミニマム編放送された&lt;br /&gt;
*[[農林水産省]]・[[FOOD ACTION NIPPON]]「食べて応援しよう！」（[[2011年]] -[[2013年]]）&lt;br /&gt;
*[[グリー (企業)|グリー]]・[[GREE|探検ドリランド]]（[[2011年]][[7月29日]] -[[2013年]]）&lt;br /&gt;
*[[すき家]]（[[2011年]][[9月]] - 10月）&lt;br /&gt;
*[[福島県]]・県産農林水産物PR事業（[[2012年]][[7月]] -　）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞台 ===&lt;br /&gt;
* ハローマックミュージカル「ぼくのシンデレラ」 （[[1990年]]、[[青山劇場]]）&lt;br /&gt;
*: 城島・国分・松岡・小島の4名で出演。&lt;br /&gt;
* [[PLAYZONE#PLAYZONE'91 SHOCK|PLAYZONE'91 SHOCK]] （1991年7月4日 - 8月14日、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*: 城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。 なお、長瀬も[[ジャニーズJr.]]として出演しており、大阪公演では足の怪我で欠席していた小島の代役も務めた。&lt;br /&gt;
* [[聖闘士星矢]][[ミュージカル]] （1991年8月15日 - 9月1日、青山劇場）&lt;br /&gt;
*: 同じく城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。 [[SMAP]]主演のこのミュージカルで、5人は黄金聖闘士役を演じた。 長瀬も[[ジャニーズJr.]]として出演している。&lt;br /&gt;
* [[PLAYZONE#PLAYZONE'92 さらばDiary|PLAYZONE'92　さらばDiary]] （1992年7月 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*:同じく城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。長瀬もミュージカルのみでのサポートメンバーとして参加。&lt;br /&gt;
* [[PLAYZONE#PLAYZONE'93 WINDOW|PLAYZONE'93　WINDOW]] （1993年7月 - 8月、青山劇場 / 大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*:同じく城島・山口・国分・松岡・小島の5名で出演。長瀬もミュージカルのみでのサポートメンバーとして参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽フェスティバル ===&lt;br /&gt;
* [[JOIN ALIVE|JOIN ALIVE 2014]]（2014年7月20日）&lt;br /&gt;
* [[サマーソニック|サマーソニック 2014]]（2014年8月17日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 連載 ===&lt;br /&gt;
*[[週刊TVガイド]]「TOKIO P.S.I Love You」（[[東京ニュース通信社]]）&lt;br /&gt;
*月刊TVfan「TOKIOのお仕事」（2011年6月号 - 、[[共同通信社]]）&lt;br /&gt;
*[[MISS]] plus「TOKIO悩み相談室」（2013年5月号 - 、[[世界文化社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ライヴ年譜 ==&lt;br /&gt;
=== 1993年 ===&lt;br /&gt;
*〜WE ARE SAY'S〜 With TOKIO（3/30‐5/2）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1994年 ===&lt;br /&gt;
*FIRST LIVE（1/5‐23）&lt;br /&gt;
*See You Again・松竹座（5/14‐15）&lt;br /&gt;
*MOVE ON（8/20‐30）&lt;br /&gt;
*日本武道館コンサート TOKIOと楽しい時代を（11/2）&lt;br /&gt;
*TOKIO First Album 記念ライブ（11/3‐5）&lt;br /&gt;
: （大阪IMPホール・福岡クロッシングホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1995年 ===&lt;br /&gt;
*Bad Boy's Business'95 コンサートツアー（3/12‐24）&lt;br /&gt;
: 全国4ヶ所11公演&lt;br /&gt;
*Bad Boy's Boundコンサートツアー（8/3‐9/3）&lt;br /&gt;
: （福岡サンパレス・札幌市民会館・大阪厚生年金会館・名古屋市民会館・渋谷公会堂・仙台市民会館・広島アステルホール・渋谷公会堂）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1996年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1996 風になって（1/4‐15）&lt;br /&gt;
: （大阪城ホール・日本武道館・名古屋レインボーホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1996 BLOWING（3/20‐5/3）&lt;br /&gt;
: （北海道厚生年金会館・名古屋センチュリーホール・新潟県民会館・松本文化会館・仙台市民会館・福岡サンパレス・大阪城ホール・横浜アリーナ）&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1996 Hallelujah Go Go!（8/11‐9/29）&lt;br /&gt;
: （宮城県民会館・広島郵便貯金ホール・福岡サンパレス・名古屋センチュリーホール・日本武道館・長野市民会館・新潟県民会館・石川厚生年金会館・大阪厚生年金会館・北海道厚生年金会館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1997年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 1997 Be a HERO 〜Everybody Can Do!〜（1/5‐15）&lt;br /&gt;
: （名古屋センチュリーホール・日本武道館・大阪城ホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO SPRING CONCERT WILD &amp;amp; MILD（3/20‐4/6）&lt;br /&gt;
: （新潟県民会館・渋谷公会堂・NHKホール・北海道厚生年金会館・名古屋センチュリーホール・福岡サンパレス・大阪フェスティバルホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO SUMMER CONCERT 夏祭り'97（8/14‐9/28）&lt;br /&gt;
: （名古屋センチュリーホール・大阪フェスティバルホール・渋谷公会堂・東京国際フォーラム）&lt;br /&gt;
*TOKIO WINTER CONCERT BOYS &amp;amp; GIRLS〜この指とまれ!〜（12/20‐1998/1/7）&lt;br /&gt;
: （大阪フェスティバルホール・名古屋センチュリーホール・東京宝塚劇場）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1998年 ===&lt;br /&gt;
*SUMMER CONCERT TOUR 1998 LIMITED（7/20‐8/30）&lt;br /&gt;
: （渋谷公会堂・仙台サンプラザ・Zepp Sapporo・広島郵便貯金会館・福岡サンパレス・大阪フェスティバルホール・名古屋センチュリーホール・石川厚生年金会館・新潟県民会館・渋谷公会堂・東京国際フォーラム）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1999年 ===&lt;br /&gt;
*SPRING CONCERT'99 君を想うとき〜Heaven TOUR（3/26‐6/18）&lt;br /&gt;
: （NHKホール・大阪フェスティバルホール・北海道厚生年金会館・宮城県民会館・名古屋センチュリーホール・福岡サンパレス・広島厚生年金会館・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2000 YESTERDAY&amp;amp;TODAY（2/12‐4/1）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟県民会館・北海道厚生年金会館・宮城県民会館・大阪城ホール・九州厚生年金会館・名古屋センチュリーホール・広島郵便貯金ホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 2000 IN 台湾/香港（10/21‐26）&lt;br /&gt;
: （台北101・香港Queen Elizabeth Stadium）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2001年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO CONCERT TOUR 2001 どいつもこいつもTKO（2/3‐4/11）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟テルサ・広島郵便貯金ホール・岩手県民会館・仙台サンプラザ・北海道厚生年金会館・福岡サンパレス・熊本市民会館・大阪城ホール・名古屋センチュリーホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2002年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2002 5 AHEAD（2/2‐3/31）&lt;br /&gt;
: (新潟県民会館・長野市民会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール・熊本市民会館・福岡サンパレス・愛知県体育館・日本武道館・大阪城ホール・旭川市民文化会館・北海道厚生年金会館・広島厚生年金会館）＋台湾3公演&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2003年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2003 glider（2/1‐3/30）&lt;br /&gt;
: （新潟県民会館・石川厚生年金会館・岩手県民会館・宮城県民会館・福岡市民会館・熊本市民会館・大阪城ホール・北海道厚生年金会館・名古屋国際会議場センチュリーホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2004年 ===&lt;br /&gt;
*JR東海presents TOKIO Live Tour 2004 AMBITIOUS JAPAN!（1/31‐3/28）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟県民会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール・北海道厚生年金会館・名古屋国際会議場センチュリーホール・大阪城ホール・福岡サンパレス・日本武道館・広島厚生年金会館）&lt;br /&gt;
*TOKIO 10周年記念公演（9/11‐19）&lt;br /&gt;
: （大阪城ホール・名古屋レインボーホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2005年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2005(2/5-3/31)&lt;br /&gt;
: （北海道厚生年金会館・福岡サンパレス・名古屋国際会議場センチュリーホール・石川厚生年金会館・新潟県民会館・大阪城ホール・日本武道館・広島厚生年金会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2006年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO 明日を目指して！ LIVE TOUR!! 2006（2/4‐3/31）&lt;br /&gt;
: （石川厚生年金会館・新潟県民会館・岩手県民会館・仙台サンプラザホール・大分iichikoグランシアタ・福岡サンパレス・名古屋国際会議場センチュリーホール・北海道厚生年金会館・大阪城ホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
*TOKIO Special GIGs 2006 〜Get Your Dream〜（8/14‐9/15）&lt;br /&gt;
: （Zepp Fukuoka・Zepp Sendai・Zepp Sapporo・Zepp Tokyo・Zepp Nagoya・Zepp Osaka）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2008年 ===&lt;br /&gt;
*★TOKIO LIVE TOUR 2008★ SUGAR（3/8‐30）&lt;br /&gt;
: （日本武道館・大阪城ホール・日本ガイシスポーツプラザガイシホール）&lt;br /&gt;
*TOKIO SUMMER LIVE'08（7/27‐8/31）&lt;br /&gt;
: （ウェルシティ札幌・仙台サンプラザホール・新潟県民会館・ウェルシティ金沢・盛岡市民文化ホール・福島県文化センター・佐賀市文化会館大ホール・長崎ブリックホール・広島ALSOKホール・とりぎん文化会館 梨花ホール・京都会館第一ホール・なら100年会館・パシフィコ横浜 国立大ホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2009年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR OVER 30's WORLD（9/22‐10/8）&lt;br /&gt;
: （日本武道館・大阪城ホール・日本ガイシスポーツプラザガイシホール）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2011年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 2011　+PLUS+（3/6‐5/30）&lt;br /&gt;
: （仙台サンプラホール・岩手県民会館・島根県民会館・広島・ALSOKホール・愛媛・松山市民会館・日本武道館・石川・本多の森ホール・滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 大ホール・グランキューブ大阪(大阪国際会議場)・佐賀市文化会館 大ホール・福岡サンパレス・名古屋国際会議場 センチュリーホール・函館市民会館・札幌・ニトリ文化ホール）&lt;br /&gt;
追加：京都会館 第一ホール&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2012年 ===&lt;br /&gt;
*TOKIO LIVE TOUR 1718 （8/26‐9/23）&lt;br /&gt;
: （仙台サンプラザホール・岩手県民会館・福岡市民会館・ニトリ文化ホール・郡山市民文化センター・なら100年会館大ホール・オリックス劇場・名古屋国際会議場センチュリーホール・本多の森ホール・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2014年 ===&lt;br /&gt;
*JRA 60th presents TOKIO 20th Anniversary Live Tour HEART （8/1‐11/2）&lt;br /&gt;
: （川口総合文化センター リリアメインホール・上野学園ホール・新潟県民会館・ニトリ文化ホール・松山市民会館 大ホール・名古屋国際会議場 センチュリーホール・本多の森ホール・仙台サンプラザホール・神戸国際会館 こくさいホール・大阪国際会議場(グランキューブ大阪) メインホール・福岡サンパレス・日本武道館）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=注}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.johnnys-net.jp/page?id=artistTop&amp;amp;artist=7 Johnny's net &amp;gt; TOKIO] - ジャニーズ事務所による公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.universal-music.co.jp/tokio/index.html ユニバーサルミュージックによる公式ページ]{{リンク切れ|date=2012年8月}}&lt;br /&gt;
* [http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/Tokio/ TOKIO - Sony Music]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ときお}}&lt;br /&gt;
[[Category:TOKIO|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャニーズ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のアイドルグループ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のロック・バンド]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歌手グループ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396768</id>
		<title>松田恒尚</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396768"/>
				<updated>2022-02-03T05:31:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]であり、アイドルグループ[[TOKIO]]のメンバー。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396767</id>
		<title>松田恒尚</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396767"/>
				<updated>2022-02-03T05:30:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]であり、アイドルグループ[[嵐]]のメンバー。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-02-03T05:26:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]であり、アイドルグループ[[King &amp;amp; Prince]]のメンバー。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

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				<updated>2022-01-31T13:55:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。正直、話が長くて眠ってしまいそうなので大変だが、スマホをいじっても怒られないので最高っすわ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

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		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-01-31T13:47:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
[[Image:matsudaoyakata.png|350px|thumb|親方]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396724</id>
		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-01-31T13:46:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396723</id>
		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-01-31T13:42:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
[[ファイル:松田親方.jpg]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396722</id>
		<title>松田恒尚</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396722"/>
				<updated>2022-01-31T13:41:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」「松本人志」など。&lt;br /&gt;
[[ファイル:松田親方.jpeg]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%85%B6%E6%87%89%E7%BE%A9%E5%A1%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;diff=396706</id>
		<title>慶應義塾大学</title>
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				<updated>2022-01-31T04:42:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: 主な卒業生の追加&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:慶應義塾大学1.png|350px|thumb|慶應義塾大学]]&lt;br /&gt;
[[Image:シルキャン1.jpg|300px|thumb|慶應を代表する[[ヤリサー]]、シルキャン]]&lt;br /&gt;
[[Image:シルキャン2.jpg|300px|thumb|慶應を代表する[[ヤリサー]]、シルキャン]]&lt;br /&gt;
[[Image:シルキャン3.jpg|300px|thumb|慶應を代表する[[ヤリサー]]、シルキャン]]&lt;br /&gt;
'''慶應義塾大学'''（けいおうぎじゅくだいがく、英語：Keio University）は、[[東京都]][[港区]][[三田]]二丁目15番45号に本部を置く[[日本]]の[[私立大学]]である。[[1920年]]に設置された。[[大学の略称]]は慶應・慶大（けいだい）など。主な卒業生は[[松田恒尚]]、[[足立文治]]など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概観 ==&lt;br /&gt;
=== 大学全体 ===&lt;br /&gt;
[[Image:シルキャン4.jpg|300px|thumb|慶應を代表する[[ヤリサー]]、シルキャン]]&lt;br /&gt;
慶應義塾大学は、[[中津藩]]士の[[福澤諭吉]]が藩命により[[江戸]][[築地]]鉄砲洲（現在の[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]明石町）の中津藩[[中屋敷]]内に1858年（安政5年）に開校した[[蘭学塾]]を起源に持つ大学である。淵源は、[[1796年]]（寛政8年）設置の[[国学]][[藩校]]「[[進脩館]]」まで遡り、[[1839年]]（天保10年）に開塾した「[[象山書院]]」及び[[江川英龍]]の「韮山塾」等旧私塾の流れを汲む。[[1863年]]（文久3年）には蘭学塾から英学塾に改めて、旧[[幕臣]]・[[吉田賢輔]]等を教授に迎え、[[1868年]]（慶應4年/明治元年）前年に[[木村摂津守]]の世話により、[[芝 (東京都港区)|芝]]新銭座（現在の[[港区 (東京都)|港区]][[浜松町]]）の有馬家控屋敷跡に移転し、年号をとって「'''慶應義塾'''」と塾名を定めた。なお、「義塾」とは英語の「[[パブリックスクール|public school]]」（共立学校）の訳語とされ、このとき、[[中津藩]]江戸藩邸の蘭学塾から近代私学としての一歩を踏み出した。まもなく、[[1866年]]（慶応2年）に[[親藩]]・[[紀州徳川家]]の藩命を受けて[[紀州藩]]士を迎えて塾舎内に「[[紀州塾]]」を開設。この他、[[幕末]]にかけては「[[志摩三商会]]」に脈絡のある[[三田藩]]の[[藩政改革]]に携わる。[[1871年]]（明治4年）に、三田（港区三田）の[[島原藩]]中屋敷跡地を貸し下げられ（翌年払い下げを受ける）、現本部所在地に移った。明治以後、官公私立問わず、近代日本の教育制度、大学制度の立ち上げモデルになり、また後に私立大学となる学校の中で最初に授業料を徴収した。[[廃藩置県|廃藩]]後の[[1880年]]（明治13年）までの生徒の割合は[[越後長岡藩]]・[[紀州藩]]・[[中津藩]]（[[慶應義塾の三藩]]）を中心とした[[士族]]が十中八九であった。[[1873年]]（明治6年）に「[[慶應義塾医学所]]」を開設。同年10月には分校「大阪慶應義塾」・「京都慶應義塾」（[[京都集書院]]）を設立。また福澤諭吉や[[松下元芳]]が塾頭を務め、塾生が一部移籍してきた「[[適塾]]」（[[大阪大学|大阪帝国大学]][[医学部]]）から受けた影響は特に大きく、[[大坂]]とのゆかりが深い。[[1873年]]（明治6年）に修業年限を定めて正則・変則両科を新設、[[1875年]]（明治8年）に本科・予備科となる。[[1876年]]（明治9年）に土佐[[立志学舎]]の運営に参画。[[1877年]]（明治10年）に[[神戸商業講習所]]を開校・運営、同年に本科第三等以上修了者に徴兵免役の指令が出され、[[1896年]]（明治29年）に改正微兵特典適用、[[1899年]]（明治32年）に[[大日本帝国海軍|海軍]]少主計候補生（主計[[少尉]]候補生）の受験資格を得た。[[1878年]]（明治11年）には分校「[[三菱商業学校]]（[[明治義塾]]）」設置に参画。[[1879年]]（明治12年）に専門教育課程として[[慶應義塾夜間法律科|夜間法律科]]（[[専修学校 (旧制)]]へ改組）、[[理学科]]、[[支那語科]]、[[簿記講習所]]を設置。[[1880年]]（明治13年）には[[興亜会]]へ参画。その他、主な関連校に「[[藍謝堂]]」（[[高島学校]]）、「[[高山歯科医学院]]」、「[[耕余義塾]]」、「[[亮天社]]」、「[[三田英学校]]」等がある。[[1890年]]（明治23年）に'''大学部'''（文学・[[理財]]・法律の三科）を開設。明治31年に政治科を開設。[[1917年]]（大正6年）大学部に[[医学科]]を開設して付属大学病院を開院、[[北里柴三郎]]が尽力。[[1920年]]（大正9年）には[[大学令]]による日本最初の私立大学（[[旧制大学]]）として新発足し、文学・経済学・法学・医学の4学部から成る[[総合大学]]となり、[[予科]]・大学院を付設した。このとき、学事に関する最高意思決定機関として[[慶應義塾評議員会]]が設けられた。[[1942年]]（昭和17年）に[[中国大陸]]および[[南方]]の農業開発を目指して[[農学部]]を増設しようとした事があり（[[慶應義塾獣医畜産専門学校|獣医畜産専門学校]]）、[[1947年]]（昭和22年）には[[獣医師]]の免許を得ていた。[[1944年]]（昭和19年）に「[[藤原工業大学 (旧制)|藤原工業大学]]」が寄附され[[工学部]]を開設。[[1957年]]（昭和32年）に[[商学部]]を開設。[[1990年]]（平成2年）、[[湘南藤沢キャンパス]]に[[総合政策学部]]・[[環境情報学部]]を開設。[[2008年]]（平成20年）4月に「[[共立薬科大学]]」が合併したことにより、新たに[[薬学部]]と薬学研究科を設置して、大学は'''10学部'''、大学院は'''14研究科'''となった。卒業生は明治初期、[[官吏]]、[[教育界]]が主流であったが、[[明治十四年の政変|政変]]の後、漸次に[[経済人]]・[[実業家]]が勃興するようになる。また、[[1880年]]（明治13年）に日本最古の社交倶楽部「[[交詢社]]」を設立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 塾訓・目的 ===&lt;br /&gt;
[[Image:シルキャン5.jpg|300px|thumb|慶應を代表する[[ヤリサー]]、シルキャン]]&lt;br /&gt;
慶應義塾には、「慶應義塾の目的」という文章が伝わっている。これは、[[1896年]]（明治29年）[[11月1日]]に、[[芝 (東京都港区)|芝]]・[[紅葉館]]で開催された懐旧会（慶應義塾出身者との懇親会）において、福澤諭吉が行った演説を元に、福澤自身が書き直したものである。内容は以下の通り。&lt;br /&gt;
:慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず&lt;br /&gt;
:其目的は我日本国中に於ける気品の泉源智徳の模範たらんことを期し&lt;br /&gt;
:之を実際にしては居家処世立国の本旨を明にして&lt;br /&gt;
:之を口に言ふのみにあらず躬行実践&lt;br /&gt;
:以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり&lt;br /&gt;
::以上は曾て人に語りし所の一節なり 福澤諭吉書&amp;lt;!--著作権者である福沢諭吉の死去から50年以上が経っているので著作権フリー、ソースはhttp://www.kf.keio.ac.jp/objectives.html --&amp;gt;&lt;br /&gt;
この一文は、福澤諭吉が門下生たちに「恰も遺言の如くに」托したもので、慶應義塾の真に目的とするところを最も簡明に言い表したものと解されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また慶應義塾では、「'''独立自尊'''」を教育の基本に置く。これは、「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」などと説明されている（修身要領第2条）。独立自尊という言葉は、福澤諭吉の人となりを端的に示すものとされ、また、福澤の教えの根本を言い表すものともされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育および研究 ===&lt;br /&gt;
[[Image:蓑田理子.jpg|350px|thumb|蓑田 理子(みのだ りこ)18歳文学部・出身-[[神奈川県]]・誕生日-5月29日・血液型-B型・身長-155cm・趣味／特技-ピアノ・高校時代の部活-オーケストラ・大学で挑戦したいこと-山登り]] &lt;br /&gt;
[[Image:下村柚香.jpg|350px|thumb|下村 柚香(しもむら ゆずか)18歳商学部・出身-北海道・誕生日-1月24日・血液型-B型・身長-155cm・趣味／特技-海外ドラマ鑑賞・高校時代の部活-[[ESS]]・将来の夢-アナウンサーになって、『どさんこワイド』に出たい！]] &lt;br /&gt;
&amp;lt;small&amp;gt;尾張屋清七版芝愛宕下絵図&amp;lt;/small&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
;綱領&lt;br /&gt;
:「義塾」の「義」は'''社会公共のため協力して事を行う。'''という意味があり、これを念頭に置いている。大きな柱は「[[医療]]」と「[[研究]]」である。[[蘭学]]から[[適塾]]、[[慶應義塾医学所]]、[[北里柴三郎]]による[[伝染病研究所]]、[[北里研究所]]、[[満鉄衛生研究所]]までの歴史を汲む慶應義塾伝統の学問に立脚する医学は今日、[[ハーバード大学医学大学院]]と[[1890年]]（明治23年）以来の長年の研究リンクを持ち、伝染病研究所を母体とする歴史を持つ[[理化学研究所]]と連携・協力を行っている。終戦後は旧[[中島飛行機]]株式会社青年学校へ基礎学科の研究室を約十年間移し、研究活動を行っていた（のちの武蔵野分校）。[[グローバルCOEプログラム]]取得や[[慶應医学賞]]設立も行っている。大学部時代の各学科の特徴としては、『[[四書五経]]』などの研鑽を積んだのち、[[数学]]を基礎学とした有形学から入って、無形の学へ進む編成が成されており、この伝統は当世の各学問分野においても根付いている。[[実学]]の精神である、「実証に基づく理論的、合理的な[[科学]]（サイエンス）」（[[窮理図解]]）や「自我作古」の精神等から伝統的な学術研究に加え、医療、[[産官学連携]]や知財活動などを通した研究を行っており、[[科学研究費補助金]]は全体の10%に過ぎない。なお、[[上海交通大学]]によると、2010年度「総合201-250位（日本10位・私大1位）」「[[THE-QS World University Rankings]]」アジア版によると、2009年度「アジア20位（日本10位・私大1位）」、「[[:en:Gourman Report|ゴーマン・レポート]] (The Gourman Report)」によると、[[医学]]分野で「全世界17位（日本1位）」、[[パリ国立高等鉱業学校]]によると、2007年度「全世界11位（日本2位）」であった。[[トムソン・ロイター]]が発表した[[帝国大学#論文の引用動向|論文の引用動向からみる日本の研究機関ランキング]]（[[1999年]] - [[2009年]]）では、被引用数で国内13位。[[:en:Institute for Scientific Information|ISI]]-[[:en:Thomson Scientific|トムソン・サイエンティフィック]]の[[論文]]引用度指数は[[材料科学]]分野で日本国内1位（2004年 - 2008年）。[[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[精神医学]]、[[心理学]]、[[人文]][[社会科学]]の各分野がトップ10入り（2002年 - 2006年）する他、高被引用論文では[[神経科学]]、[[臨床医学]]、[[生物学]]・[[生化学]]の各分野がいずれもトップ7以内に位置している。「特許資産規模」では国内の大学・研究機関で4位に位置している。戦前には[[枢密顧問官]]へ定期的に器量人を輩出、昨今は[[日本人の宇宙飛行|日本人宇宙飛行士]]を2名輩出している。文系では、その他官公私立大などが行う[[マスプロ教育]]を忌避しており、[[ゼミナール]]を中心とした[[少人数教育]]を一貫して追求している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;兵法&lt;br /&gt;
:慶應義塾では新銭座時代から心身共に健康を保つ手段として学生の体育を奨励し、[[1892年]]（明治25年）の體育會創設によって専門家を雇って指導に当たらせた。初めは[[乗馬]]が主であり、[[1878年]]（明治11年）から[[剣術]]稽古が始まり、明治27年には[[神道無念流]]の[[根岸信五郎]]を師範に招いた。のち[[柔術]]、[[ボート競技|端艇]]、陸海軍[[操練]]、[[弓術]]、[[徒歩]]の各部が加わった。明治29年[[徴兵令]]適用により学校に兵式訓練が課せられるに至るが、これより先に慶應義塾では兵式操練が行われており、[[1892年]]（明治25年）12月、[[大日本帝国陸軍]]（旧陸軍）から[[銃剣]]その他[[兵器]]の払い下げに特別の便宜を与えられ、[[1893年]]（明治26年）夏頃までには「慶應義塾生徒隊」を結成し、[[1894年]]（明治27年）春[[東京府]]下で初めて発火演習を行った。なお、1898年には陸軍の[[軍旗#大日本帝国陸軍|軍旗]]（[[旭日旗]]）を製作している高級軍装品店より特別の許可をもってこれを購入。旭日旗自体はそのままに、竿頭は塾章であるペンマーク（軍旗では[[菊花紋章]]）に、房を[[浅葱色]]（[[歩兵連隊|常備歩兵連隊]]の軍旗では紫色）に変え、さらに福沢諭吉によって「慶應義塾生徒隊」の文字が書かれ（軍旗では[[連隊]]の隊号を記入）、翌1899年3月15日に福沢別邸において隊旗授与式が行われている。昭和12年には「慶應義塾特設防護団」が組織され、昭和14年には[[上海市|上海]]に研究所、[[北京市|北京]]に公館を創立。[[中国]]、[[南洋]]への学生研究旅行団が派遣され、昭和16年には帝都学校報国隊結成などを見、卒業年限の短縮が実施された。[[日露戦争]]では[[帝国軍人援護会]]を支援し、[[第二次世界大戦]]に突入すると学生は学窓を離れて工場・農村に生産増強の[[勤労奉仕]]に挺身し、表彰を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;塾生皆泳&lt;br /&gt;
:かつては全学部学科において[[水泳]]が必修科目であり、「塾生皆泳」なるスローガンのもと、水泳で50メートル[[泳法]]ができないと単位を取得できず、シーズンスポーツで水泳を選択することが義務付けられていた。複数の卒業生が、自著や対談の中で単位を取るのに水泳の特訓をしたと回想している。海軍軍人の長男（[[小泉信吉]]）を戦争で失った経験から[[小泉信三]]がこのような制度を作ったとされている。また、かつては体育実技において複数の競技が必修となっており、男子学生の場合、武道、球技、水泳（上記）、陸上競技を半期の内に大学の定めたローテーションに従って受講する必要があった。このような高校式の体育の授業を行っていた総合大学はきわめて珍しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;旧海軍地下壕&lt;br /&gt;
:戦中の様子を窺うことのできる重要な資料として、[[大日本帝国海軍]]（旧海軍）との間には深い関わりがあり（当時の塾長は[[小泉信三]]）、[[1944年]]3月に[[軍令部]]第三部が[[日吉 (横浜市)|日吉]]校舎に入ると、次いで寄宿舎に[[連合艦隊]]司令部が、後に[[海軍省]]・航空本部・艦政本部の地下壕が構築され、日吉は実質的な海軍の中枢となった。[[太平洋戦争]]（[[大東亜戦争]]）における、[[台湾沖航空戦]]、[[レイテ沖海戦]]、[[大和 (戦艦)]]の出撃命令などは全てこの[[日吉台地下壕]]から発せられたものであった。この経緯としては、[[盧溝橋事件]]をきっかけに[[日中戦争]]が勃発すると、大学内でも[[配属将校]]はもちろん、[[特別高等警察]]（特高）が来るようになる。授業では[[自由主義]]や[[共産主義]]は厳しく弾圧され、[[国防学|国防論]]などの[[軍国主義]]的な講義が増え、教練も次第に厳しくなっていった（慶應義塾は当時の小泉信三塾長などが学究的に共産主義に不協和なスタンスをとったため、特高などによる監視はそれほど厳しくはなく、塾生は比較的自由に学問に取り組むことができた）。[[海軍省]]と慶應義塾が大学校舎を貸与する契約を結んだ背景には、[[横須賀港|横須賀軍港]]から近いことや、空襲避難に優れていたこと、各海域からの無線の受信状態や陸からの指揮統制システムに優れていたことなどが挙げられる。また、初代塾長[[岡本周吉]]（[[幕府海軍]]艦長）らが[[海軍兵学校]]の教官を務めたほか、明治期の卒業生は海軍関係者も多く、[[築地]]の[[海軍兵学寮]]や[[海軍主計学校]]に転じた者も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 学風および特色 ===&lt;br /&gt;
カリキュラム制定をはじめとする近代的教育システムのほとんどを日本で最初に導入した学校として知られている。慶應義塾大学では、日本の学校で最初に定額の授業料を納入させたのは慶應義塾でありこれは福澤諭吉の発案である。また、古来日本の風習には無かった[[演説]]を初めて取り入れ、明治8年には日本最初の演説会堂[[三田演説館]]が建てられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
=== 略歴 ===&lt;br /&gt;
[[Image:吉岡志穂美.jpg|350px|thumb|吉岡 志穂美(よしおか しほみ)18歳・出身-[[東京都]]・誕生日-9月3日・血液型-A型・身長-162cm・趣味／特技-ダンス、料理・高校時代の部活-ダンス部・将来の夢-[[厚生労働省]]で働きたい]]&lt;br /&gt;
;慶應義塾の成立&lt;br /&gt;
[[18世紀]]後半の[[中津藩]][[江戸藩邸]]では、第3代藩主[[奥平昌鹿]]の下で[[本草学]]や[[蘭学]]研究が行われ、明和8年（[[1771年]]）には[[青木昆陽]]の門人である[[藩医]]・[[前野良沢]]が[[中川淳庵]]、[[杉田玄白]]と『[[解体新書]]』の底本となった解剖学書『ターヘル・アナトミア』の解読を始めたのは、この中屋敷内であった。その同じ中屋敷内に80年余を隔て成立した蘭学塾が慶應義塾の原点である。その後藩主が変わり、中津藩では主に[[国学]]・[[漢学]]が重視されており、幕末の藩政改革では[[長崎]]の警備を任ぜられ、三重津海軍所を設置した[[鍋島閑叟]]侯の[[肥前藩]]や[[薩摩藩]]といった西南の[[雄藩]]からは立ち遅れた状況にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[幕末]]の[[中津藩]][[江戸藩邸]]では、当主・[[奥平昌服]]が[[江戸]][[汐留]]の[[上屋敷]]に居住し、祖父で[[薩摩藩]][[島津家]]より養子に入った[[奥平昌高]]が[[中屋敷]]に隠居所を構えていた。昌高は[[蘭癖大名]]と評されていたが、単なる物好き程度ではなく、日蘭辞書『蘭語訳撰』（『中津辞書』）の刊行に尽力するなど本格的な蘭学研究者であった。その影響があってか、のちに[[統計学者]]として有名になる[[杉亨二]]が中津藩に招かれ、[[中屋敷]]において藩士に蘭学教授を行っていた。ところが、[[1853年]]（嘉永6年）の[[マシュー・ペリー]][[黒船来航]]による[[米国]]の開国要求に対する[[江戸幕府]]の諮問をめぐって、昌高が7月に[[開国]]論を、翌月当主の昌服が[[鎖国]]論を上申したことで、藩内における両派の対立が明らかになり、杉の辞任騒ぎを引き起こした。このとき、中津藩砲術師範を務めていた[[佐久間象山]]のもとで西洋[[砲術]]を学んだ中津藩士・[[岡見彦三]]は、[[蘭学]]教育の継続を強く望み、知人の[[薩摩藩]]蘭医・[[松木弘安]]（のち寺島宗則）に、安政2年の大地震（[[安政の大地震]]）で失った住居の代わりとして、岡見所有の築地[[小田原町]]の持ち屋を無償で貸すことを条件に、蘭学教授を依頼した。しかし、安政4年4月になると、松木は[[参勤交代]]による藩主の就国に[[侍医]]として随行することになり、教授を続けることが出来なくなった。そこで当時[[大坂]]の[[適塾]]で塾長を務めていた[[福澤諭吉]]に白羽の矢が立ち、福沢は藩から江戸での蘭学教授を命ぜられるに至ったのである。現在、開塾の地の近くには創立100年を記念して、『慶應義塾発祥の地記念碑』が建てられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;前期鉄砲州時代&lt;br /&gt;
[[1858年]]（安政5年）、中津藩より江戸築地鉄砲州（現・東京都中央区明石町）にあった中津藩中屋敷内での蘭学教授を命ぜられた福澤諭吉は、塾長として蘭学を学んでいた[[適塾]]がある[[大坂]]から、早速中津に戻り母に報告、大坂に戻って助手を務める同行者を求め、[[岡本周吉]]（古川正雄）・[[足立寛]]・[[原田磊蔵]]らと共に同年10月中旬、江戸に到着した。福澤の書簡（安政5年11月23日付宛名未詳）によれば、当初は3、4年の任期と心得ていたようである。汐留の上屋敷に出向いた福沢は、江戸定府の藩士・[[岡見彦三]]の支持で中屋敷の[[長屋]]を与えられ、そこで蘭学を教えた。[[足立寛]]や[[今泉みね]]の回想によると、長屋は二階建てで一階は六畳一室と台所など、二階は15畳ほどであったという。開塾当初の協力者は、[[村田蔵六]]（[[大村益次郎]]）の「[[鳩居堂]]」から移ってきた[[佐倉藩]]の[[沼崎巳之介]]、[[沼崎済介]]、[[久留米藩]]医・[[松下元芳]]、[[中定勝]]（大阪府仮病院医員）、[[山口良蔵]]などやはり適塾に連なる人物が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;福澤諭吉の渡航&lt;br /&gt;
安政6年（[[1859年]]）の冬、[[日米修好通商条約]]の批准交換のために使節団が米軍艦ポーハタン号 で渡米することとなり、[[軍艦奉行]][[木村摂津守]]の従者として、[[咸臨丸]]で渡米。二度目は[[竹内下野守]]を正使とする文久遣欧使節を英艦・オーディン号で欧州各国へ派遣することとなり、文久2年1月1日（1862年1月30日）、福澤も翻訳方としてこれに同行することとなった。同行者には[[松木弘安]]・[[箕作秋坪]]。慶応3年（[[1867年]]）には使節主席・[[小野友五郎]]と共に幕府の軍艦受取委員会随員としてコロラド号という郵便船で横浜から再渡米。この間、中津藩士・[[島津祐太郎]]宛の書簡で、大量に[[英書]]や[[物理]]書を塾に持ち帰ったため、塾生が同じ版本を持って授業が受けられるようになり、それまでの教授法にも新紀元を開くに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;前期新銭座時代&lt;br /&gt;
文久元年冬から同三年秋までは芝新銭座（現東京都港区浜松町）の借家に塾が置かれていた。この塾がいつ築地鉄砲州から移転したかについては足立寛の回想にもはっきりしない。福沢は既に江戸定府の中津藩士となり、江戸幕府の外国方にも出仕しており、この時代は藩命による塾教師から本格的な学塾経営者への移行期と捉えられている。入門帳（入社張）の記録がはじまったのは、文久3年（[[1863年]]）の春からである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;後期鉄砲州時代&lt;br /&gt;
文久3年秋から[[1867年]]（慶応3年）末まで中屋敷内旧藩主隠居所に塾が置かれていた時代をいう。文久3年9月23日に幕府より諸藩へ、出府藩士の江戸市中住居禁止命令が出され、これを受けて福沢も藩邸内に戻ったと推測される。この移転について『[[福翁自伝]]』には何も経緯が記されておらず、格式を重んずる中津藩としては幕府に出仕する身とはいえ、旧藩主の隠居所を許可するとは考えがたく、藩側に貸与を進める意図があった。この時代の学塾運営は、英国の公立学校を参考に、中津へ帰郷し[[小幡篤次郎]]、[[小幡甚三郎]]、[[服部浅之助]]、[[小幡貞次郎]]、[[浜野定四郎]]、[[三輪光五郎]]らを連れ、横浜の外字新聞の翻訳、諸藩から依頼の翻訳、[[仙台藩]]の[[大童信太夫]]を通じた[[奥羽越列藩同盟]]との関係などが見て取れる。また、幕府の[[開成所]]から移ってきた[[永田健助]]によるとこの頃の塾の蔵書は「[[経済]]、[[修身]]、[[物理]]、[[化学]]、[[リーダー]]、[[地理]]、[[歴史]]の類一と通り備わり、ウエブスター大字典の如きも数十部もあった」といい、幕府の学問所と同等の水準があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;紀州塾&lt;br /&gt;
後期鉄砲州時代に、[[紀州藩]]から藩命を受けて同藩が建築費用を負担して設けた塾舎。藩の有力者[[岸嘉一郎]]が鉄砲州時代から優秀なる子弟を選抜して塾に送り。和歌山藩の入塾生は[[元治]]元年九月入塾の[[臼杵鉄太郎]]を最初とし、慶応元年三名、慶応二年十名、慶応三年十二名の入塾をみている。中でも[[紀州徳川家]]第15代当主[[徳川頼倫]]は[[三宅米吉]]、英国人のアーサー・ロイド（慶應義塾教授）、米国人のウィリアム・S・リスカム（慶應義塾教授）らに師事して漢学と英語を修め、[[鎌田栄吉]]（のち塾長）からは精神的な薫陶を受けている。また、維新後の和歌山における慶應義塾を範にとった変則中学の展開や、[[中井芳楠]]・[[長屋喜弥太]]が創設した私塾自修社（後の自修学校）、同地の義田結社「徳義社」の結成など、紀州藩との密なる関係がみてとれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;後期新銭座時代&lt;br /&gt;
慶応4年1月から明治3年末までの再び芝新銭座に塾が置かれた時期をいう。塾舎は前期とは異なった場所で、新に[[越前]][[丸岡藩]][[有馬家]]の土地四百坪を購入した。慶応3年6月に鉄砲州一帯が外国人居留地に指定され、木村摂津守とその用人大橋栄二の世話で有馬屋敷を購入することができた。慶応4年には元号をとって『'''慶應義塾'''』と命名。同年四月頃までに奥平屋敷の長屋をもらい受け、約百五十坪の塾舎を四百両ほどの費用で完成した。授業は既に[[七曜制]]を用い、教科も（[[修心]]論・[[経済]]・[[歴史]]・[[地理]]・[[窮理]]・[[算術]]・[[文典]]）などを設置、「数理」を基本とした授業体系を確立した。[[1865年]]（慶応元年）頃の塾生数を示すものとしては、同年6月6日に入塾している[[立田革]]の懐旧談にて、『私の出府当時の江戸の洋学界は、芝新銭座江川塾（[[江川太郎左衛門]]）・下谷箕作塾（[[箕作家]]）其他二三あれど、生徒の数は大抵二三人多くも五六人、義塾は二十二三人の塾生あり、先づ江戸にて一等盛な洋學塾と評して差支ない。』とある。入塾生の傾向からみて、[[元治]]元年までの入塾生数がごく少なく、尚且つ[[九州]]出身者がその七割を占めるといった傾向を示していたのに比較して、この頃は入門者も月平均四・三八人となり、藩別にみても九州の比率が相当低くなってきている点などから推察すると、この頃から既に慶應義塾は江戸では最大の洋漢學塾の観を呈し始め、九州出身者中心の塾といった傾向から、全国的學塾に移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;三田移転&lt;br /&gt;
福沢が発疹チフスに罹ったことから明治4年初頭から三田へ移転を開始。三田は島原藩邸のあった広壮な地域で、これまで新銭座を中心として奥平屋敷や[[吉田賢輔]]の上杉麻布邸、[[柏木忠俊]]の斡旋による[[江川太郎左衛門]]長屋や、その他寺院などに分散していた宿舎を一つに統合できた。在学生323名、東京府下における最大の私塾となった。移転後芝新銭座の校地を[[近藤真琴]]の[[攻玉塾]]へ譲り、現在は『福沢近藤両翁学塾跡』（港区浜松町）の碑が立っている。明治6年5月、慶應義塾を訪れた[[福山藩]]の藩儒[[江木鰐水]]も「塾本、島原公邸、在三田、地勢高爽、前臨品川海、砲台在目前、右望品川後之山、左望江戸諸勝、皇居亦左近、（中略）而与諭吉氏登楼並講堂之楼、皆勝景、眺望雄豁美麗」と嗟嘆している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;医学教育&lt;br /&gt;
新銭座時代から[[慶應義塾医務部]]が既に設けられており、薬品や医学者を揃えた。[[近藤良薫]]（のちの横浜十全病院長）・[[安藤正胤]]、[[印東玄得]]（のちの[[大学東校]]教授）・[[田代基徳]]（のちの軍医医監、[[陸軍軍医学校]]長）・[[栗本東明]]（長崎病院眼科医長兼内科医長）といった医学者を育てている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 年表 ===&lt;br /&gt;
*[[1796年]] - [[豊前国]][[中津藩]]第5代藩主、[[奥平昌高]]が[[藩校]]・「[[進脩館]]」を設置。&lt;br /&gt;
*[[1838年]] - [[足守藩]]士・[[緒方洪庵]]が[[大坂]][[船場]]で「適々斎塾（[[適塾]]）」を開く。&lt;br /&gt;
*[[1839年]] - [[松代藩]]士・[[佐久間象山]]が[[神田 (千代田区)]]お玉ヶ池に「[[象山書院]]（五月塾）」を開く。&lt;br /&gt;
*[[1853年]] - [[黒船来航]]&lt;br /&gt;
*[[1855年]] - 佐久間象山門弟の中津藩[[江戸]]留守居役・[[岡見清熙|岡見彦三清熙]]が藩邸内に「蘭学所」を設置して、[[杉亨二]]、[[松木弘安]]（寺島宗則）らを招聘。&lt;br /&gt;
*[[1858年]] - [[安政の大獄]]。[[福澤諭吉]]が[[江戸]][[築地]]鉄砲洲の中津藩江戸藩邸「蘭学所（[[蘭学塾]]）」の講師として江戸出府（従者は[[吉川正雄]]、[[足立寛]]、[[原田磊蔵]]）。&lt;br /&gt;
*[[1860年]] - [[咸臨丸]]出帆。[[桜田門外の変]]。&lt;br /&gt;
*[[1863年]] - [[横浜市|横浜]]見物を機に英学塾へ改組。&lt;br /&gt;
*[[1864年]] - [[長州征伐]]が勃発。&lt;br /&gt;
*[[1866年]] - [[紀州藩]]より多数の入塾生を迎え、同藩の援助を受けて中津屋敷内に「[[紀州塾]]」建築。&lt;br /&gt;
*[[1868年]] - [[木村摂津守]]（木村芥舟）の世話により芝新銭座に移転、「'''慶應義塾'''」と改称。「[[適塾]]」が閉鎖。塾内に病室を設置（校医の起源）。&lt;br /&gt;
*[[1869年]] - [[汐留]]の中津藩[[上屋敷]]内に「汐留出張所」を設置。童子寮を設ける。&lt;br /&gt;
*[[1870年]] - [[弘前藩]]の招聘で英学教師二名派遣契約。三田島原藩邸借入につき[[大納言]][[岩倉具視]]を訪問して尽力を依頼、隣接地[[江川太郎左衛門]]屋敷の長屋を借り受けて「外塾」設置。汐留出張所を麻布[[龍源寺]]に移転。芝山内[[広度院]]に分塾設置。&lt;br /&gt;
*[[1871年]] - 芝新銭座の校地を[[近藤真琴]]の[[学校法人攻玉社学園|攻玉塾]]へ譲り、[[三田 (東京都港区)|三田]]の[[島原藩]]中屋敷跡地へ移転。学業勤惰表（[[成績表]]）の印行を開始&lt;br /&gt;
*[[1872年]] - [[藩校]][[進脩館]]が閉鎖。出版局（のち、出版社）開設。&lt;br /&gt;
*[[1873年]] - [[慶應義塾医学所]]開設。[[神山県_(日本)|神山県]]よりの招請で宇和島、大洲両学校に教師二名派遣契約。学課改定、正則科・変則科を新設。正則科は修業年限7年(本科4年、予備等3年)、変則科は満17歳以上を入学の条件とし、修業年限には定めなし。[[明治六年政変]]（征韓論政変）後に[[土佐藩]]の「[[立志学舎]]」へ教員を派遣。[[三田藩]]に「[[志摩三商会]]」が設立される。&lt;br /&gt;
*[[1874年]] - 「和田塾」（のちの幼稚舎）を置く。&lt;br /&gt;
*[[1875年]] - 正則・変則両科を本科、予備とし予備を大人童子両科に区別、本科に数学、予備の大人科に算術を課す。&lt;br /&gt;
*[[1876年]] - 本科を五等に区分し、予備科大人科を単に予備科、予備科童子科を単に童子科と改称。井上良一の発案で「[[万來舎]]」設置。「協議社」「猶興社」など結成され演説、文筆活動を行う。&lt;br /&gt;
*[[1877年]] - 県令をうけて[[神戸商業講習所]]の経営を引き受ける。[[東京大学 (1877-1886)]]開設にあたって義塾出身の[[濱尾新]]を総理補に選出。[[西南戦争]]により塾生減少。[[東京英語学校]]（前・[[開成学校]]、後・[[大学予備門]]）と共に、本科第三等生徒およびそれ以上の者に対する徴兵免役の指令、東京府より出さる（明治9年11月7日東京府宛伺書提出)。教員間の読書研究会として、「読書院」発足。&lt;br /&gt;
*[[1878年]] - [[三菱商業学校]]（[[明治義塾]]）を設置。[[大久保一翁]]、[[勝海舟]]を訪ね[[徳川家]]より義塾維持資金借用の事につき相談。[[剣術]]稽古開始。晩学生のため科外(のち別科) を設置。&lt;br /&gt;
*[[1879年]] - [[官立]]大学化を望まず、[[島津氏]]らの旧[[大名]]に維持資金の援助を賜る。日本初の[[簿記]]教育を開始。法律科設置、帰朝したての[[金子堅太郎]]らにより英米法の夜間講義行われる（[[専修学校 (旧制)]]に改組）。支那語科開設。理学講義開始。大人科・童子科を予備科（のち予科）と改称。&lt;br /&gt;
*[[1880年]] - [[清]]から教師を受け入れる。「慶應義塾維持法案」発表 岡山商法講習所、大阪商業講習所の所長以下教員らに赴任。大学予備門に倣って予備科の課程を設く。「[[交詢社]]」設立。&lt;br /&gt;
*[[1881年]] - 明治十四年の政変。「慶應義塾仮憲法」制定。&lt;br /&gt;
*[[1882年]] - 物理学会創立。「[[時事新報]]」創刊。&lt;br /&gt;
*[[1883年]] - [[酒井良明]]により「酒井寄宿舎」発足。&lt;br /&gt;
*[[1885年]] - 科外を別科と改称し、正科修業年限5ヵ年、別科4ヵ年とする。ペンの記章を付け始める。&lt;br /&gt;
*[[1886年]] - [[帝国大学]]発足にあたって義塾出身の[[渡邊洪基]]を総長に選出。&lt;br /&gt;
*[[1889年]] - 慶應義塾規約制定。第1回評議員会開催。雑誌「文園」創刊。&lt;br /&gt;
*[[1890年]] - 大学部設置準備につき[[皇室]]より一千円下賜。大学部が発足し、文学・理財・法律の三科を設置。また大学部と区別するために従来の課程を[[慶應義塾普通部|普通部]]とした。雑誌「寮窓の燈」創刊。&lt;br /&gt;
*[[1892年]] - 体育会創設。&lt;br /&gt;
*[[1893年]] - [[司法省]]指定校に選出、大学部法律学修了者に[[判事]][[検事]]登用試験受験資格を与えられる（司法省告示第九十一号）。日本法律科を新設。この頃、別科の修業年限二年（三級）となる（従来は三年四ヵ月、五級）。&lt;br /&gt;
*[[1895年]] - [[朝鮮]]より国王選出の南班出身少荘官吏の留学生入学。「[[亮天社]]」と講師派遣契約。&lt;br /&gt;
*[[1896年]] - 微兵に関する特典適用さる。普通科、高等科、大学部の在学生は満二十八歳まで徴集を猶予され、また右三科中いずれかを卒業した者は無試験にて一年志願の特典を得る(文部省告示第十八号)。操練部盛んとなり、[[銃器]]を整備。紅葉館にて福沢挨拶「慶應義塾の目的」とす。神奈川県[[耕余義塾]]の卒業生を高等科第三等第一期へ無試験編入の契約。普通部学科課程改正。従来の正科(本科三年四ヵ月、予科二年八ヵ月) を廃し、高等科(三年)、普通科(五年) として高等科を初級導門過程、普通科を中学課程に該当せしめ、普通科から高等科に進むものは修業年限を合計七ヶ年とし、別科はそのまま置く。&lt;br /&gt;
*[[1897年]] - 三田理財協会発会。学制改革を議決。主力を大学に集中し、大学卒業生の養成を目的とすることを決定（三十一年五月より実施）。&lt;br /&gt;
*[[1898年]] - 一貫教育制度樹立。政治科開設。『慶應義塾学報』（後の『三田評論』）を創刊。端艇部艇庫、[[芝浦製作所]]構内に竣工(三十年十一月着工)。大学部に政治科を設置。塾長[[鎌田栄吉]]の就任披露園遊会開催、広尾の福沢別邸に総理大臣[[伊藤博文]]をまじえ参加者約300名。&lt;br /&gt;
*[[1899年]] - 私学初の留学生6名を欧米に派遣。[[インド人]]、[[清国人]]、[[シャム人]]1名入学。普通学科および大学科卒業生、海軍少主計候補生の受験資格を得る（三十年勅令第三百十四号、海軍高等武官補充条例第七条）。三田篤学会発会。&lt;br /&gt;
*[[1900年]] - 「修身要領」献上、台湾人学生8名入学、特別級を設け授業を行う。中等教員無試験検定(文学科〔倫理、教育、漢文、英語、歴史〕、理財学科〔英語、簿記、歴史〕) の特典を得る。[[大晦日]]に[[学校法人慶應義塾#世紀送迎会|世紀送迎会]]（第1回）開催。&lt;br /&gt;
*[[1901年]] - 社頭福沢諭吉死去により、全塾休学服喪。明治天皇夫妻、皇太子夫妻より見舞品下賜。皇室より祭棄料一千円下賜。&lt;br /&gt;
*[[1904年]] - 大学部文学科卒業生、中等教員無試験検定（修身、教育、英語）の特典を受く。専門学校令により大学部の学科課程を改正、文学科、理財科、法律科、政治科の四科にわかつ。修業年限は五年とし、はじめの二年は予科として一般教養を授け、三年より本科としておのおのの専攻にわかつ。&lt;br /&gt;
*[[1905年]] - 商工学校開校。海軍大将[[東郷平八郎]]の凱旋を塾長以下教職員、塾生ら新橋駅に迎う。&lt;br /&gt;
*[[1906年]] - 大学部の上に大学院設置。[[星亨]]の蔵書約一万三千冊の委託保管を引き受ける（星文庫、大正2年12月16日、13回忌にあたり寄贈）。商工学校、徴兵令第十三条の認可を受け後兵に関する特典を適用さる。&lt;br /&gt;
*[[1909年]] - 『三田学会雑誌』創刊。&lt;br /&gt;
*[[1910年]] - 『[[三田文学]]』創刊。&lt;br /&gt;
*1910年 - [[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]]との蹴球試合を網町グラウンドにて行う（日本最初の蹴球対決試合）。&lt;br /&gt;
*[[1912年]] - 創立50年記念図書館（現図書館旧館）施工。[[亜細亜協会]]の図書約三千冊の委託保管を引き受ける。&lt;br /&gt;
*[[1913年]] - 新聞科設置。&lt;br /&gt;
*[[1915年]] - 三田大講堂施工。&lt;br /&gt;
*[[1916年]] - インドの詩人・[[タゴール]]を迎えて講演。&lt;br /&gt;
*[[1917年]] - 大学部に医学科を開設につき皇室より三万円下賜。日本初の学生新聞『三田新聞』創刊。&lt;br /&gt;
*[[1918年]] - 11月25日に[[原敬]][[原内閣|内閣]]成立を祝う、「政党内閣祝賀大園遊会」を三田大講堂で開催。[[原敬]]首相、憲政会、立憲政友会関係者ら参加者5千人超。医学部付属看護婦養成所始業。&lt;br /&gt;
*[[1920年]] - [[大学令]]による[[旧制大学]]となり、文学部・経済学部・法学部・医学部を設置。三年制の[[大学予科|予科]]を附設。大学病院開院。&lt;br /&gt;
*[[1922年]] - 専門部開設。[[アルベルト・アインシュタイン]]が日本で最初の講演を[[三田大講堂]]で行う。&lt;br /&gt;
*[[1923年]] - 9月、皇后、大学病院収容の関東大震災被災者を慰問（十七日には竹田宮妃の慰問あり）。&lt;br /&gt;
*[[1924年]] - 専門部、高等試験令第八条の認定を受け、卒業生は高等文官予備試験を免除さる（文部省告示第二百九十号）。唐手研究所、食養研究所設立。&lt;br /&gt;
*[[1925年]] - 専門部の名称を高等部と改称認可。学則にも一部改正を加う。&lt;br /&gt;
*[[1926年]] - [[望月軍四郎]]より支那研究基金設立。&lt;br /&gt;
*[[1930年]] - 第1回連合三田会大会。&lt;br /&gt;
*[[1932年]] - 創立75年記念式典、[[皇室]]より[[秩父宮]]殿下をつかわされ教育奨励を賜る。&lt;br /&gt;
*[[1934年]] - 日吉地区（現在の日吉キャンパス）を設置、予科を移転。&lt;br /&gt;
*[[1937年]] - 北里博士記念医学図書館施工。&lt;br /&gt;
*[[1938年]] - 天皇、皇后の[[御真影]]、および[[教育勅語]]謄本下賜、奉戴式挙行。学術調査団として史学科考古学班を中国大陸に派遣。&lt;br /&gt;
*[[1939年]] - 北京公館および中支研究所設立。藤原工業大学開校式。海南島学生医療奉仕隊出発。歯科医学会結成。「興亜奉公日」行事挙行。&lt;br /&gt;
*[[1940年]] - 「居常心得」訓示。&lt;br /&gt;
*[[1941年]] - 月ヶ瀬温泉治療学研究所開設。&lt;br /&gt;
*[[1942年]] - 語学研究所設置。外国語学校を開設。&lt;br /&gt;
*[[1943年]] - [[学徒出陣]]壮行会。&lt;br /&gt;
*[[1944年]] - [[獣医畜産専門学校]]開設。[[藤原工業大学]]（[[1939年]]設立）が慶應義塾に寄付され、工学部を設置。名誉教授制設定。&lt;br /&gt;
*[[1945年]] - [[戦時教育令]]および同施行規則に基づき学徒隊規程制。農学研究所を設ける。[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]によって日吉キャンパスが接収される。&lt;br /&gt;
*[[1946年]] - [[慶應義塾大学亜細亜研究所]]廃止。女子の大学入学許可。&lt;br /&gt;
*[[1948年]] - [[慶應義塾大学通信教育部|通信教育部]]を設置。新制第一高等学校、第二高等学校開校。農業高等学校開設。&lt;br /&gt;
*[[1949年]] - [[学制改革]]により[[新制大学]]となる。日吉キャンパスの接収解除、返還される。&lt;br /&gt;
*[[1950年]] - 女子高等学校開設。厚生女子学院開設。&lt;br /&gt;
*[[1952年]] - 新制大学[[医学部]]設置。&lt;br /&gt;
*[[1957年]] - 慶應義塾の創立から100周年にあたり[[商学部]]を開設。&lt;br /&gt;
*[[1958年]] - 創立100年記念式典にて、[[昭和天皇]]が「[[おことば]]」を述べる。&lt;br /&gt;
*[[1959年]] - 産業研究所開設。&lt;br /&gt;
*[[1961年]] - 大学体育研究所、大学院商学研究科設置。新聞研究所開設。&lt;br /&gt;
*[[1962年]] - ビジネススクール設置。言語文化研究所発足。&lt;br /&gt;
*[[1965年]] - [[財団法人]]慶應がんセンター発足。&lt;br /&gt;
*[[1967年]] - 医学部創立50周年記念式典。[[三田演説館]]、[[重要文化財]]に指定。&lt;br /&gt;
*[[1969年]] - [[慶應義塾図書館]]、重要文化財に指定。塾史資料室設置。&lt;br /&gt;
*[[1975年]] - 中等部にてユニコーン像復元。&lt;br /&gt;
*[[1976年]] - カナダ政府寄贈のカナダ講座設置。&lt;br /&gt;
*[[1977年]] - 厚生女子学院（看護専門課程）開設、専修学校となる。&lt;br /&gt;
*[[1978年]] - 大学院経営管理研究科設置。大学帰国子女入学規程制定。&lt;br /&gt;
*[[1981年]] - 工学部を[[理工学部]]に改組。&lt;br /&gt;
*[[1982年]] - 慶應義塾図書館（新館）開館。&lt;br /&gt;
*[[1988年]] - 女子厚生学院を改組して[[慶應義塾看護短期大学]]看護学科が開学（募集は平成12年度まで）。&lt;br /&gt;
*[[1990年]] - 湘南藤沢キャンパスに総合政策学部と環境情報学部を新設。&lt;br /&gt;
*[[1991年]] - 総合政策研究所・環境情報研究所・言語コミュニケーション研究所開設。&lt;br /&gt;
*[[1994年]] - 大学院政策・メディア研究科修士課程開設。&lt;br /&gt;
*[[1996年]] - 大学院政策・メディア研究科後期博士課程開設、総合政策研究所・環境情報研究所・言語コミュニケーション研究所をSFC研究所に改組。HUMIプロジェクト発足。第1回[[慶應医学賞]]授賞式。&lt;br /&gt;
*[[2001年]] - 看護短期大学を[[看護医療学部]]に改組。看護短期大学の募集を停止。&lt;br /&gt;
*[[2002年]] - 湘南藤沢キャンパスに教職課程設置。&lt;br /&gt;
*[[2004年]] - 大学院法務研究科（[[法科大学院]]）を開設。&lt;br /&gt;
*[[2005年]] - 大学院健康マネジメント研究科修士課程開設。&lt;br /&gt;
*[[2007年]] - 大学院健康マネジメント研究科後期博士課程開設。図書館蔵書デジタル化で[[Google]]社と提携。&lt;br /&gt;
*[[2008年]] - 学校法人慶應義塾と学校法人共立薬科大学が合併、[[薬学部]]と大学院薬学研究科を設置。同年大学院[[システムデザイン・マネジメント研究科]]と大学院メディアデザイン研究科を開設。[[イギリス]]の[[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ皇太子]]が三田キャンパスを訪問。[[大阪市]][[福島区]]中之島の再開発地区「[[ほたるまち]]」に、「慶應大阪リバーサイドキャンパス」を設置。[[学校法人慶應義塾#創立150年式典の開催|慶應義塾創立150年記念式典]]にて[[明仁|今上天皇]]・[[皇后美智子|皇后]]が臨席、天皇が「[[おことば]]」を述べる。G8大学サミット開催（[[北海道大学]]）。&lt;br /&gt;
*[[2009年]] - [[ダボス会議]]にて「[[東京大学|東大]]・慶應レセプション」を開催。[[東京工業大学]]との副専攻制度、単位互換、学生交流が開始。&lt;br /&gt;
*[[2010年]] - [[経営学修士|MBA]]連携協定を、[[京都大学]]経営管理大学院、[[神戸大学]]大学院経営学研究科の3校で締結。[[東京医科歯科大学]]を幹事とした[[医学系大学産学連携ネットワーク協議会]] (medU-net) を開設。&lt;br /&gt;
*[[2011年]] - 矢上キャンパスで[[弥生時代]]から[[奈良時代]]の大集落、60棟以上の[[竪穴式住居]]跡等を発掘&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 基礎データ ==&lt;br /&gt;
=== 所在地 ===&lt;br /&gt;
*三田キャンパス（[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]）&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス（[[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]]）&lt;br /&gt;
*矢上キャンパス（横浜市港北区）&lt;br /&gt;
*信濃町キャンパス（東京都[[新宿区]]）&lt;br /&gt;
*湘南藤沢キャンパス（神奈川県[[藤沢市]]）&lt;br /&gt;
*芝共立キャンパス（東京都港区）&lt;br /&gt;
*新川崎タウンキャンパス&lt;br /&gt;
*鶴岡タウンキャンパス&lt;br /&gt;
*浦和共立キャンパス&lt;br /&gt;
*慶應大阪リバーサイドキャンパス&lt;br /&gt;
*慶應丸の内シティキャンパス&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 象徴 ===&lt;br /&gt;
==== 校歌 ====&lt;br /&gt;
{{wikisource|慶應義塾塾歌 (旧)|旧塾歌}}&lt;br /&gt;
;校歌は慶應義塾塾歌。&lt;br /&gt;
:作詞：[[富田正文]]、作曲：[[信時潔]]。[[1940年]]に完成、翌年発表。慶應義塾関係者は「塾歌」と呼び、大学のみならず、一貫教育校（高等学校、普通部、幼稚舎など）を含め、慶應義塾社中で広く歌われている。幼稚舎の授業では塾歌が扱われるため、一貫教育校出身者のほとんどが歌えるようになるが、歌えない外部の塾生も増えてきている。式典で塾歌が必要なときは全員に楽譜が配られる。酒席などで歌われることは無いため、塾生同士の結婚式などでは、代わりに「若き血」が歌われる。&lt;br /&gt;
;旧塾歌&lt;br /&gt;
:現塾歌が制定されるまで使用された。作詞は[[角田勤一郎]]（塾員）、作曲は[[金須嘉之進]]による。1904年発表。&lt;br /&gt;
;若き血&lt;br /&gt;
:[[若き血]]（わかきち）は[[応援歌]]。作詞・作曲とも[[堀内敬三]]。[[1927年]]に発表。[[東京六大学野球連盟]]の応援では1得点挙げるごとに観客が肩を組み若き血を合唱するなど、スポーツの応援では定番の曲となっている。「塾歌よりも若き血を歌える」という塾生もいる。歌詞の最後にある「陸の王者」は[[藤山一郎]]が「りくのおうしゃ（清音）」と歌っていたことから濁らないのが正式である、と塾関係者の一部ではいわれている。しかし、ほとんどの塾生・塾員は「おうじゃ」と濁音で歌っている。なお、[[携帯電話]]の[[着信メロディ]]として[[ダウンロード]]できる。&lt;br /&gt;
;ダッシュケイオウ&lt;br /&gt;
:[[ダッシュケイオウ]]は[[応援歌]]。[[高校野球]]など慶應義塾大学とは関係ない学校でも使用される機会もある。&lt;br /&gt;
:[http://keio-cheer.com/uta/uta.html 慶應義塾大学應援指導部（電子音による再生）]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 校旗・校色 ====&lt;br /&gt;
スクールカラーは[[紺]]と[[赤]]。[[校旗]]（塾旗）はペン章を含んだ二種三色の色使いであることから、三色旗とも呼ばれている。しかし実際には青と赤の2色を3段に配したもので、例えば青、白、赤のフランスの国旗のように、3色からなるものではない。明治27年11月26日に[[旅順]]口陥落の祝賀として[[カンテラ行列]]を行った際に掲げられていたものが最初であるとされる。なお現在、大学紋章、ペンマーク、塾旗は、それぞれ[[特許庁]]に商標登録されており、慶應義塾および慶應義塾大学のサービスマークとして法的に保護されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 紋章 ====&lt;br /&gt;
エンブレムは、「[[ペンマーク]]」と呼ばれ、2つのペンを右を上にして斜めに交叉させたマークである。大学内にあるマンホールまでこのシンボルマークが使われている。1990年（平成2）年、交換留学協定校であるオーストラリア・クイーンズランド大学からの申し出をきっかけに、慶應義塾大学の新しい紋章が制定された。クイーンズランド大学キャンパス中庭を囲む回廊の石柱の一本一本には、それぞれ世界の著名大学の紋章が刻まれている。同大学の申し出とは、その一本に慶應義塾大学の紋章を加えたいというものであった。このような経緯により考案された新紋章のデザインは、ペンマークと塾旗の色調を基調として、英文大学名、義塾の創始年とペンマークの由来となった「ペンは剣よりも強し」という成句のラテン語表記“Calamvs Gladio Fortior”から構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== マスコット ====&lt;br /&gt;
マスコットは[[ユニコーン]]。三色旗の上に描かれたものが応援の際などに使われる。慶應義塾の[[アメリカンフットボール]]部や、[[バスケットボール]]部の愛称もユニコーンズである。かつて三田山上にあった大講堂正面玄関屋上に設置されていた。[[1975年]]（昭和50年）に大講堂取り壊し後に保存されていた一基のユニコン像が中等部卒業生の寄附を元に修復、中等部玄関に設置された。[[1978年]]（昭和53年）には慶應義塾商工学校同窓会によって復元像が一基寄贈された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 赤煉瓦 ====&lt;br /&gt;
[[赤煉瓦]]は長年にわたり慶應義塾の知のシンボルとして大きな役割を果たしてきたとされている。[[幕末]]に伝来した煉瓦建築は、地震国である日本では、[[明治]]・[[大正]]までの期間しか造られず、その後の災害などで多くは現存していない。そのため、赤煉瓦と[[花崗岩]]による図書館（旧館）は、日本人によって設計された明治末年の[[西洋建築]]として稀少な建造物である。設計・監督は[[曾禰達蔵]]と[[中條精一郎]]。[[三田大講堂]]は[[東京大空襲]]で全焼し、現在は西校舎が建っている。戦後、象徴的な赤煉瓦建築の再興を図り、2000年に東館が完成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教育および研究 ==&lt;br /&gt;
=== 学部 ===&lt;br /&gt;
*[[文学部]]&lt;br /&gt;
*:人文社会学科の下に17の専攻があり、学生は2年次から各専攻に分かれることになる。&lt;br /&gt;
*:かつて[[反自然主義文学|反自然主義]]の牙城となった[[三田文学]]という雑誌を発行している。&lt;br /&gt;
**[[人文社会学科]]&lt;br /&gt;
***哲学系&lt;br /&gt;
****哲学専攻&lt;br /&gt;
****倫理学専攻&lt;br /&gt;
****美学美術史学専攻&lt;br /&gt;
***史学系&lt;br /&gt;
****日本史学専攻&lt;br /&gt;
****東洋史学専攻&lt;br /&gt;
****西洋史学専攻&lt;br /&gt;
****民族学考古学専攻&lt;br /&gt;
***文学系&lt;br /&gt;
****国文学専攻&lt;br /&gt;
****中国文学専攻&lt;br /&gt;
****英米文学専攻&lt;br /&gt;
****独文学専攻&lt;br /&gt;
****仏文学専攻&lt;br /&gt;
***図書館・情報学系&lt;br /&gt;
****図書館・情報学専攻&lt;br /&gt;
***人間関係学系&lt;br /&gt;
****社会学専攻&lt;br /&gt;
****心理学専攻&lt;br /&gt;
****教育学専攻&lt;br /&gt;
****人間科学専攻&lt;br /&gt;
*[[経済学部]]&lt;br /&gt;
**[[経済学科]]&lt;br /&gt;
*[[法学部]]&lt;br /&gt;
**[[法律学科]]&lt;br /&gt;
**[[政治学科]]&lt;br /&gt;
**:日本国内の政治学科としては教員数及び科目数が最多である。&lt;br /&gt;
*[[商学部]]&lt;br /&gt;
**[[商学科]]&lt;br /&gt;
*[[医学部]]&lt;br /&gt;
**[[医学科]]（6年制）&lt;br /&gt;
*[[理工学部]]&lt;br /&gt;
**[[機械工学科]]&lt;br /&gt;
**[[電子工学科]]&lt;br /&gt;
**[[応用化学科]]&lt;br /&gt;
**[[物理情報工学科]]&lt;br /&gt;
**[[管理工学科]]&lt;br /&gt;
**[[数理科学科]]&lt;br /&gt;
**[[物理学科]]&lt;br /&gt;
**[[化学科]]&lt;br /&gt;
**[[システムデザイン工学科]]&lt;br /&gt;
**[[情報工学科]]&lt;br /&gt;
**[[生命情報学科]]&lt;br /&gt;
*[[総合政策学部]]&lt;br /&gt;
**[[総合政策学科]]&lt;br /&gt;
*[[環境情報学部]]&lt;br /&gt;
**[[環境情報学科]]&lt;br /&gt;
*[[看護医療学部]]&lt;br /&gt;
**[[看護学科]]&lt;br /&gt;
*[[薬学部]]&lt;br /&gt;
**[[薬学科]]（6年制）&lt;br /&gt;
**[[薬科学科]]&lt;br /&gt;
*[[通信教育課程]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 文学部 ====&lt;br /&gt;
[[蘭学塾]]として出発した当初から[[語学校]]としての性格を持っており、英学塾にも持ち越され、[[ドイツ語]]・[[フランス語]]の専門学を始めた。明治九年刊行の『日本開化史』（[[平山果]]・[[宮内貫一]]編）には当時の高い世評漢詩が載っている。旧制大学時代に設置されていた文学科を新制大学時に改組して設置した学部。理財・法律と並んで慶應義塾で最も古い伝統を持つ。[[1910年]]（明治43年）に[[哲学]]、[[史学]]、[[文学]]の3専攻を興す。特徴として、入学時は全員が人文社会学科に所属し、2年進級時に17専攻を選択できるという点があげられる。また、三田文学会の機関誌として[[三田文学]]を発行し、[[三田文学新人賞]]を主催している。[[1921年]]（大正10年）創刊の[[史学 (慶應義塾大学)|史学]]をはじめ、[[哲学 (慶應義塾大学)|哲学]]1926年（大正15年）、[[藝文研究]][[1951年]]（昭和26年）、Library and information science[[1963年]]（昭和38年）などの紙媒体を持ち、教員の研究成果を発表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:文学部1年生はここにて、法学部、経済学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。&lt;br /&gt;
*三田キャンパス：[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]&lt;br /&gt;
*:文学部2-4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ（15名前後）に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 経済学部 ====&lt;br /&gt;
===== 理財科 =====&lt;br /&gt;
Economics（[[理財科]]）の歴史を汲む学部で、「天下国家を論ずるよりも実学ではあるがまず科学」といわれる。Political Economics（[[経済]]）の語源は「[[経世済民]]」であって政治的なニュアンスがある。「'''[[理財]]'''」は、[[江戸時代]]の[[藩]]による「士民撫育」という[[哲学]]を支える理念として、[[備中松山藩]]の[[山田方谷]]『[[理財論]]』に述べられている。「事の外に立ちて事の内に屈せず」・「義を明らかにして利を計らず」とある。明治には、「哲学政治学及び理財学科」となる。日本最古の[[経済学]]の伝統を体系化する学部で、戦前には、あまたの「慶應経済人」と称される卒業生を輩出した。[[Garrett Droppers]]（ドロッパース）が初代教授として就任し、後任は[[ヴィッカース]]。経済学原理をはじめ近世経済史、財政論、保護及自由貿易史、経済学諸派概論等の重要科目は、ドロッパースひとりで担当した。適切な訳語「理財学」が「国を治め民を救う」に変更されると、日本では経済学を「国民経済学」、それに対して、[[会計学]]・[[経営学]]を「私経済学」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 経済学科（旧理財科）=====&lt;br /&gt;
旧制大学時代に設置されていた[[理財科]]を[[新制大学]]時に改組して設置した学部。1920年（大正9年）、理財科が[[経済学部]]に改称。1929年（昭和4年）には学課改定が行われ、経済学部は経済学科と商業学科とに分割された。選択科目に二分して甲、乙2班が設置されるようになった。[[環境経済学]]などの他の大学では余り開講されていない学問分野もある。[[Professional Career Programme]]という、経済学教育を[[英語]]で行うということを特色としたプログラムが用意されている。授業はもとより、[[教員]]や[[ティーチングアシスタント|TA]]との連絡や会話も英語で行われている。これによって、英語力の強化と経済学を強みにしたキャリア構築の可能性を学生に提供している。PCPとしては、国内外の[[専門大学院]]進学の基礎となる力を身につけることを目標に掲げている。また、[[東京工業大学]]との単位互換を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:経済学部1,2年生はここにて、法学部、商学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。&lt;br /&gt;
*三田キャンパス：[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]&lt;br /&gt;
*:経済学部3,4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ（15名前後）に入ることで経済学研究を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 法学部 ====&lt;br /&gt;
===== 法律学科 =====&lt;br /&gt;
[[英米法]]を日本語で教授する夜間法律科を旧[[山口藩]]士[[児玉淳一郎]]の発案で、[[1879年]]（明治12年）[[12月]]に日本で初めて発足させたもの（最初の講義は[[相馬永胤]]）が法律学科の源流となっている。夜間法律科が[[専修学校 (旧制)|専修学校]]（現・[[専修大学]]）として分離独立した後、[[1890年]]（明治23年）に大学部法律科として再出発し、[[ハーバード大学]]の教員を迎え入れた。成績優秀者は飛び級で大学院進学が可能。&amp;lt;!-- 創立以来、官界・法曹界・[[政治家]]([[国会議員]])へコンスタントに人材を輩出している。→ かつての数値を比較しますと、そう言えない。 --&amp;gt;近年、[[法曹]]界や[[キャリア (国家公務員)|高級官僚]]に進む卒業生が増加傾向にあり、併設する[[法科大学院]]卒業生の平成20年度[[新司法試験]]合格率では一橋大学法科大学院に次いで2位、東京大学法科大学院を上回った。合格者数では3位であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 政治学科 =====&lt;br /&gt;
政治科創立にあたっては試行錯誤があり、[[江戸幕府]]の庇護にあった義塾は[[明治政府]]に仕官することをためらっていた。これは[[武士]]の名残で「二君に仕えず」という初一念があったものである。武士的教養から華々しく活動することをあまり好まない傾向があったが、明治初期には塾内に「[[東洋議政会]]」が結成された。また当時日本には[[政治学]]が科目には無く「国家学」の名を持っていた。120名の専任教員を持ち、日本の政治学科としては教員数及び科目数が最多である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:法学部1,2年生はここにて、経済学部、商学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。&lt;br /&gt;
*三田キャンパス：[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]&lt;br /&gt;
*:法学部3,4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ（15名前後）に入ることで法学研究を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 商学部 ====&lt;br /&gt;
[[1957年]]、慶應義塾創立100周年を機に設立。ただし、商学研究自体は、1873年に福澤諭吉がアメリカの商業学校で使用されていた『ブックキーピング』という教科書を『帳合之法』という翻訳書として発行した時点まで遡る。また、明治11年に設置し、[[商学]]の先駆を成した分校「[[三菱商業学校]]」又は[[明治義塾]]からの歴史を汲む。[[1935年]]には[[経済学部]]内に[[経済学科]]（甲科）とは別に商業学科（乙科）が開設されている。これは[[福澤諭吉]]の建学の精神の一つである「実学」を最も体現すると言われている学部と自負し、[[経営]]、[[会計]]、[[商業]]、経済・産業の4つの領域からなる。この経済学部商業学科が実質的に分離して設立されたのが商学部である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:商学部1,2年生はここにて、法学部、経済学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。&lt;br /&gt;
*三田キャンパス：[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]&lt;br /&gt;
*:商学部3,4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ（15名前後）に入ることで商学研究を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 医学部 ====&lt;br /&gt;
===== 医学所 =====&lt;br /&gt;
[[Image:慶應医学部サッカー部1.jpg|300px|thumb|慶應医学部サッカー部]]&lt;br /&gt;
慶應義塾では[[慶應義塾医学所]]発足前から幾人かの蘭方医学者・洋医を養成している（[[足立寛]]陸軍[[軍医総監]]、[[松山棟庵]]、安藤正胤、[[印東玄得]]、近藤良薫等）。当時、[[西洋医学]]を教授する唯一の[[医学校]]だった[[大学東校]]がドイツ医学を採用し、医学＝ドイツという定評があった中、医学所では専ら英国医学の教授を試みていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医学所は[[1880年]]（[[明治]]13年）6月に廃止された。出身者らは長い間、金蘭会と称して時々同窓会を開いていた。また、今日の[[慈恵医科大学|慈恵会]]の病院は松山棟庵、隈川宗悦ら、この医学所関係の者がのちに志を合わせて基をつくったもので、その学流は[[東京慈恵会医科大学]]に亜流の形で伝わっていることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 歯科医学 =====&lt;br /&gt;
日本における歯科医師の第1号登録者[[小幡英之助]]や、日本最初の歯科医学教育機関の設立者[[高山紀斎]]やその継承者[[血脇守之助]]などは、いずれも慶應義塾の学窓から巣立った若者であった。明治初年の日本では、歯の治療をする者は口中科とよばれ、専門の教育機関も設けられていなかった。そのため、歯科医たらんと志すものはまず開業歯科医師の門に入り、徒弟を勤める傍ら、師匠の技術を修得した。[[高山紀斎]]はサンフランシスコの開業医の下で修業し、帰国後、開業すると同時に多くの門下生を育成し、歯科の専門書を刊行し、明治23年1月には、伊皿子の自宅の隣地に日本における最初の歯科医学の教育機関である[[高山歯科医学院]]を創設した。門下生の[[血脇守之助]]は、新聞記者や英語の教師をした後、高山歯科医学院に入学して歯科医となり、同学院を継承して[[東京歯科医学院]]と改称した。これが現在の[[東京歯科大学]]の前身である。（慶応大学医学部と東京歯科大学に直接の関連があるわけではない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 医学科 =====&lt;br /&gt;
医学部は、[[1917年]]（大正6年）、[[福澤諭吉]]の遺志を汲み、[[北里柴三郎]]を初代学部長として設立された。北里柴三郎が描いた理想的な医学教育機関を創立した。[[皇室]]から三万円、[[三井財閥]]からも支援十万円を受け、教授陣には[[北里研究所]]員を中心とする医学部主事[[北島多一]]ら門下生があげて参加し、その陣容を整えた。また、[[秦佐八郎]]、[[志賀潔]]らが教鞭をとってきた学部でもある。なお、私立のなかで唯一[[旧制医学専門学校]]からの昇格ではない。また、[[1906年]]（明治39年）に[[南満州鉄道|南満州鉄道株式会社]]他[[満州国]]に大日本帝国が進出すると、教授・[[金井章次]]との関係から[[南満医学堂]]、[[満鉄衛生研究所]]に多くの教授を送り込んだ。慶應義塾大学では看護学系が看護医療学部として分かれているため、医学科のみが置かれている。6年教育であり、日吉キャンパスで主に一般教養を、信濃町キャンパスで医学を学ぶ。2001年度入学生までは信濃町キャンパスが2年の秋学期一部から（2年次の秋学期の特定曜日のみ信濃町で解剖学などの実習）だったため、旧制大学時代に倣って1,2年を予科1、2と呼び、3、4、5、6年を学1、2、3、4と呼ぶ。[[基礎医学]]と[[臨床医]]学の連携のもと、患者側の視点に立った臨床のための医学の発展を目的として設立されている[http://www.hosp.keio.ac.jp/index.htm]。医学部6年生の夏休みにアメリカの[[メディカルスクール]]に短期留学できるほか、ラテンアメリカなどの医学部での交流プログラムがある。また、低学年の間にも海外の他大学&amp;lt;ref&amp;gt;[[韓国]]の[[延世大学校]]との交流会がある&amp;lt;/ref&amp;gt;との交流会などが用意されている。また、[[ロックフェラー財団]]からの慶應義塾への寄付は戦前戦後を通じてしばしばあり、なかでも医学部の受けた恩恵は特に大きく、昭和初年だけに限ってみても予防医学教室の建設、あるいは医学部関係の留学生派遣、いずれも同財団の[[フェローシップ]]によるものであった。さらに、[[生物学]]の訪問教授招聴を準備し、それによって[[デューク大学]]の生物学教授パースら5名が来任し、医学部で講義を担当した。様々な経緯から、[[北里大学]]、[[東京都済生会中央病院]]、[[国立がんセンター|国立がんセンター中央病院]]、[[国立病院機構東京医療センター]]、[[東京慈恵会医科大学]]、[[立川病院|国家公務員共済組合連合会立川病院]]など慶應義塾とゆかりの深い医療機関が多く存在する&amp;lt;ref&amp;gt;これらの医療機関の院長の集まりとして、[http://www.sanshikai.jp/kanren-byouin/index.html 慶應義塾関連病院会]が組織されている&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 沿革 =====&lt;br /&gt;
*[[1870年]] - [[慶應義塾]]の塾生[[前田政四郎]]の希望により、[[福澤諭吉]]が英国式の医学所の開設を決定する。&lt;br /&gt;
*[[1873年]] - 慶應義塾内に医学所を開設する。所長は慶應義塾出身の医師[[松山棟庵]]。また、[[杉田玄端]]を呼んで[[尊王舎]]を訓練の場所とした。&lt;br /&gt;
*[[1880年]] - 医学所が閉鎖される。&lt;br /&gt;
*[[1916年]] - 慶應義塾に医学部の創設が許可される。&lt;br /&gt;
*[[1917年]] - 医学部予科1年生の募集開始。初代の医学部長として[[北里柴三郎]]が就任する。&lt;br /&gt;
*[[1920年]] - 医学部が大学医学部に昇格。医学部校舎と附属病院が信濃町に新築される。&lt;br /&gt;
*[[1937年]] - 北里記念医学図書館が創立される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:医学部1年生はここにて、法学部、経済学部などの学生と共に、教養科目を受講。&lt;br /&gt;
*信濃町キャンパス：[[東京都]][[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]&lt;br /&gt;
*:2年生より6年生までは、ここで臨床医学を修得する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery caption=&amp;quot;慶應医学部サッカー部マネージャー&amp;quot; widths=&amp;quot;300px&amp;quot; heights=&amp;quot;400px&amp;quot; perrow=&amp;quot;3&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
Image:慶應医学部サッカー部マネージャー1.jpg&lt;br /&gt;
Image:慶應医学部サッカー部マネージャー2.jpg&lt;br /&gt;
Image:慶應医学部サッカー部マネージャー3.jpg&lt;br /&gt;
Image:慶應医学部サッカー部マネージャー4.jpg&lt;br /&gt;
Image:慶應医学部サッカー部マネージャー5.jpg&lt;br /&gt;
Image:慶應医学部サッカー部マネージャー6.jpg&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 理工学部 ====&lt;br /&gt;
===== 工学部 =====&lt;br /&gt;
1936年（昭和11年）、塾長[[小泉信三]]が[[ハーバード大学]]創立300年祝典に参列するため渡米し、各地の諸大学を視察、急激に発展向上しつつある工学一般の趨勢を見聞して帰朝し、工学部設立が急務であることを説いた。これにより、当時の理事である[[楓智雄]]が中心となって設立の研究蘭査を始め、着手することになった。[[王子製紙 (初代)|王子製紙]]社長の塾員[[藤原銀次郎]]は、各国の製紙工業等をつぶさに視察し、その長短を比較研究して、日本の製紙工業はもとより、工業界全般の発展のために思いを巡らせていたが、たまたま1935年（昭和10年）、[[アラスカ]]に出張した帰途、[[スタンフォード大学]]を見学し、この大学の来歴に深い感銘を受けて帰朝。さらに日本の諸大学の工学部をもくわしく視察し、みずから日本に理想的な大学を設立してあたかもスタンフォード大学のスタンフォードたらんと密かに決するところがあった。一方、藤原はかねてより評議員として義塾の教育にも深い関心を寄せていたのであるが、ここにおいて慶應義塾の意図するところと藤原の意図するところと一致するものがあり、小泉と藤原の折衝が始まり、ようやく意見の一致を見るに至って、財団法人[[藤原工業大学]]を創立し、その大学の教育はこれを挙げて慶應義塾に一任することとなり、校舎も日吉の義塾構内に建設することとなった。かくて小泉信三が学長、楓智雄が理事、藤原銀次郎が理事長となって藤原工業大学が発足した。そして、創立後一応目的を達成したるとき、または藤原亡きのちはこの大学の全部が義塾に寄付されることとなっていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 理工学部（旧工学部） =====&lt;br /&gt;
工学部を受け継ぎ、[[1981年]]（昭和56年） 理工学部に改称。数理工学科を数理科学科に改組し、物理学科と化学科を開設した。この際、工学部から理工学部になってお利口になった、と言われる。また、物理科と化学科創設期に、大学院入試で物理学専攻よりも化学専攻の学生の方が物理の点数が良かった、という珍現象が起きている。 第二次世界大戦後、財団法人[[慶應工学会]]が発足。現在の土地のうち2千坪を[[北海道炭礦汽船]]から寄贈された。かつて工学部のあった小金井の土地は売却され、湘南藤沢キャンパスの建設費用に充てられた。以前はI系（機械工学科、電気工学科、計測工学科、物理科）、II系（管理工学科、数理科学科）、III系（応用化学科、化学科）という系別の入学制度で、一年時の成績で各系の学科に振り分けられていた。しかしI系で科により定員のアンバランスがあり、特定の科に成績の悪い学生が集まっていた弊害を無くすため、現在は学門制度を取り入れている。学門1：物理、学門2：数学、学門3：化学、学門4：機械、学門5：情報、であり、入学時に5つある学門の何れかに所属し、それぞれの特色により進学できる学科が異なる。もちろん講義の必修科目にも多少違いがある。一年次に進路を考え、二年次にそれぞれの特色に沿った学科に進学することで、進路の幅にやや余裕が持てるメリットがある。 学部卒業生の7割は大学院に進学する。研究は徹夜で取り組むことも多いために一晩中電気が点いている様から「不夜城」の異名をとる。研究室は世界最先端の研究を行うところから、そうでないところまで玉石混交である。また、Youtubeに専門チャンネルを開設している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 沿革 =====&lt;br /&gt;
*[[1939年]]（昭和14年） - [[藤原銀次郎]]により[[藤原工業大学]]（機械工学科・電気工学科・応用化学科）が開校。&lt;br /&gt;
*[[1944年]]（昭和19年） - 藤原工業大学が慶大に寄付され工学部となる。&lt;br /&gt;
*[[1972年]]（昭和47年） - 現在の矢上キャンパスに移転。&lt;br /&gt;
*[[1971年]]（昭和46年） - [[松下幸之助]]氏より寄付を受け、松下記念図書館竣工。&lt;br /&gt;
*[[1981年]]（昭和56年） - 工学部から理工学部に改組。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:理工学部1、2年生はここで他学部生と共に学ぶ形となっている。&lt;br /&gt;
*矢上キャンパス：神奈川県横浜市&lt;br /&gt;
*:矢上キャンパスは日吉キャンパスのすぐ北側に位置する。理工学部3、4年生および研究科生はここでより専門的な教育を受け、または研究活動もここで行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 総合政策学部・環境情報学部・看護医療学部 (SFC) ====&lt;br /&gt;
総合政策学部と環境情報学部は湘南藤沢キャンパス (SFC) において、他の学部とは大きく違った独自の教育が実施されている。この節では両者に共通する特徴などをまとめる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、湘南藤沢キャンパス (SFC) に設置されている看護医療学部についてもこの節で記述する。&lt;br /&gt;
;基本理念&lt;br /&gt;
:「創造性の重視」「問題発見・解決型」。今の世の中に存在する雑多な諸問題を発見・解決していく人材の創出を目的としている。そのため、従来の[[リベラルアーツ]]と専門知識の詰め込みだけではなく、研究プロジェクトを中心に置き、その中で見えてくる学生自身に不足している知識 （[[カリキュラム]]） を発見・取得し、補いながら研究を進めていくという、従来とは全く違う独創的なスタイルの構築を関係者は意図している。&lt;br /&gt;
;特徴&lt;br /&gt;
:大学では「学問の再編成」をキーワードとして自由度の高い履修システムを使用している。基本的に各授業には学年による履修制限を課さず、学部1年生から専門的な授業を履修できる。また、学部と大学院で共有する授業を多く設置している。また、「[[学校法人慶應義塾#半学半教|半学半教]]」の理念から学生、特に学部生の雇用に積極的である。具体的には図書館スタッフ、コンピュータや[[マルチメディア]]の相談員、キャンパス内の設備利用ガイドの編集員、教育補助員（学部生はSA、院生はTAと称する）などである。湘南藤沢キャンパス内にある湘南藤沢中・高等部と大学の連携として、湘南藤沢中・高等部の「ゆとりの時間」という選択授業の中で一部大学授業を履修できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 薬学部 ====&lt;br /&gt;
医学部、看護医療学部、理工学部などと連携することで、創薬から臨床までを一貫して追求できる環境が整っている。前身は[[共立薬科大学]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 薬学科（6年制） =====&lt;br /&gt;
薬学科（6年制）では、薬物の適正使用に必要な知識の修得とその進歩を担う薬剤師を育てることを目標としている。薬学科では単に薬学という知識と技能ではなく、完成度の高い薬剤師としての生き方を学ぶ。1年生に対し、ヒューマニズム、プレゼンテーション、IT教育を統合した科目、双方向的な小グループでのチュートリアル教育 (SGL) を導入。その後、2、3年次は薬学専門科目を履修して、4年次には、医療薬学を中心とした講義と臨床の現場に出る前の事前実務実習を行う。また、実務実習に出る前に、統合型の医療系集中講義を履修させる。5年次には5ヶ月の病院および薬局での実務実習を行う。また、各講座に入り、卒業研究を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 薬科学科（4年制） =====&lt;br /&gt;
薬科学科（4年制）では、医薬品の創製、分析、管理、さらには食品、化粧品、環境や食品衛生分野を中心とした化学系領域の教育・研究に力を注いでおり、薬学という科学を基盤に健康、医療の進歩に携わる人材を育成することを目的としている。薬科学科は1学年30名と少数であるが、1年生の段階から卒業後の進路に密着した講義、実習が用意され、薬科学科担当講座教員と密接に連絡を取りながら、教育と研究指導を受けることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 使用キャンパス =====&lt;br /&gt;
*日吉キャンパス：[[神奈川県]][[横浜市]]&lt;br /&gt;
*:薬学部1年生はここにて、法学部、経済学部などの学生と共に、教養科目を受講。&lt;br /&gt;
*芝共立キャンパス：[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[芝公園]]&lt;br /&gt;
*:薬学科2年-6年生、薬科学科2年-4年生までは、ここで本格的な薬学教育・研究を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 通信教育課程 ====&lt;br /&gt;
戦後、設置にあたって[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) の[[民間情報教育局]] (CIE) から日本にも[[通信教育]]の制度を行ってはどうかという勧めがあった。これは、もちろん社会教育から大学を含めた学校教育に至る通信教育を意味したもののようで、ことに大学の通信教宥については国立のものは予算その他の関係で困難であろうから私立大学で研究して欲しい。慶應義塾あたりがこの制度を実施してくれれば、という希望が CIE や[[文部省]]にあったということであった。このようなことから、前記の計画を通信教育一本にまとめて踏み切ることになり、文科系の文、経、法の三学部に実施する方針が立てられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
財団法人私立大学通信教育協会に加盟している。慶應義塾大学本部のある三田キャンパスに事務局がある。慶應義塾大学通信教育部学則第1章第2条より「通信教育部は、文学部・経済学部及び法学部の通信教育課程の実施に当たる」組織であり、通信教育課程そのものは各学部に属する。そのため、「'''慶應義塾大学文学部人文社会学科哲学系通信教育課程'''」が正確な表記となる。他例、「'''慶應義塾大学経済学部通信教育課程'''」（経済学部は学科などが定められていない）、「'''慶應義塾大学法学部法律学科通信教育課程'''」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年までスクーリングが三田キャンパスと日吉キャンパスの2つしか受講ができなかったが、E-スクーリングの授業を大幅に拡大したり、2009年9月から大阪リバーサイドキャンパスにて大阪スクーリングが受講できるようにするなど、社会人や地方の学生に対して授業が受けやすいように緩和し、少しでも卒業できるような体制になるようサポート体制を強化している。&amp;lt;!--2009年12月19日 慶應義塾大学通信教育部入学説明会より配布された資料から抜粋--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 学部構成 ====&lt;br /&gt;
[[文学部]]・[[経済学部]]・[[法学部]]の3学部で構成される。文学部は、人文社会学科I類（哲学系）・II類（史学系）・III類（文学系）。経済学部は、指定されている学科はなく、[[商学部]]のカリキュラムを含んでいる。したがって、経済学部・経済学科というものは存在しない。法学部は、甲類（法律学科）・乙類（政治学科）がある。&lt;br /&gt;
;入学の種類及び入学資格&lt;br /&gt;
:入学選考は基本的には書類選考だが、学問領域関連書籍の論評などを含む志望理由書を提出する必要がある。&lt;br /&gt;
:*普通課程（入学）&lt;br /&gt;
:**高等学校卒業または見込み者&lt;br /&gt;
:**[[高等学校卒業程度認定試験]]（[[大検]]含む）合格者。&lt;br /&gt;
:**[[大学入学資格]]が付与されている[[専修学校]]高等課程の卒業者または見込み者。&lt;br /&gt;
:*特別課程（編入学）&lt;br /&gt;
:**[[短期大学]]・[[高等専門学校]]卒業者又は見込み者。あるいは日本の大学に2年以上在籍し、[[卒業所要単位]]として62単位以上修得している者。出身学科に関係なく、一般教育科目の人文・自然・社会の領域から18単位を一律に認定される。外国の短期大学卒業者も入学できる。なお、[[専修学校|専修学校専門課程]]修了者は特別課程に入学できない。&lt;br /&gt;
:*学士入学&lt;br /&gt;
:**大学卒業者または見込み者。[[学位授与機構]]にて[[学士]]の[[学位]]を取得した人、外国の大学卒業者。英語を除く一般教育科目40単位（経済学部は統計学を除く36単位）が認定される。&lt;br /&gt;
;入学式&lt;br /&gt;
:三田で行われ、入学オリエンテーションは、札幌・仙台・名古屋・大阪・岡山・福岡の各地で開かれる。&lt;br /&gt;
;スクーリング&lt;br /&gt;
:*夏期スクーリング&lt;br /&gt;
:*夜間スクーリング（毎年概ね9月下旬から12月中旬まで毎週月曜日から金曜日までの18時-20時まで東京の三田校舎で実施されている）&lt;br /&gt;
:*実験スクーリング（夏期において日吉キャンパスで行われる。希望者のみ受講できる。[[学士入学]]者は受講不可）&lt;br /&gt;
:*体育実技スクーリング（選択制で4単位まで卒業所要単位として加算される。日吉キャンパスにて夏期に行われる。冬期にはスキースクーリングもある）&lt;br /&gt;
:*通年スクーリング（通学課程の授業を受けられる特別なスクーリングで、受講には一定の条件が必要。）&lt;br /&gt;
これらの各種スクーリングは、東京の三田キャンパス、横浜の日吉キャンパス、ならびに大阪リバーサイドキャンパスでの開講となっている（開講科目は、各キャンパスにより異なる）。&lt;br /&gt;
;単位修得試験&lt;br /&gt;
:*年に4回行われる。三田キャンパス以外でも行われている。各群1科目、合計最大6科目まで受験できる。&lt;br /&gt;
:*[[卒業論文]]が必修で8単位ある。&lt;br /&gt;
;慶友会&lt;br /&gt;
:*卒業生の同窓会組織として慶友会を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 入学状況 ====&lt;br /&gt;
学部学生の出身高校所在地別入学者比率は、以下のようになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''[[2007年]]（平成18年）度'''&lt;br /&gt;
*1位 - [[関東地方|関東]]：63.3%（[[東京都]]：29.6%）&lt;br /&gt;
*2位 - [[北陸地方|北陸]]・[[東海地方|東海]]・[[甲信越地方|甲信越]]：12.1%&lt;br /&gt;
*3位 - [[近畿地方|近畿]]：6.0%&lt;br /&gt;
*4位 - [[九州]]：5.3%&lt;br /&gt;
*5位 - [[中国・四国地方|中国・四国]]：5.2%&lt;br /&gt;
*6位 - [[沖縄県|沖縄]]・[[海外]]：4.0%&lt;br /&gt;
*7位 - [[北海道]]・[[東北地方|東北]]：3.8%&lt;br /&gt;
*1位の関東地方では東京都出身者が全国で一番多く、次いで[[神奈川県]]が多い。&lt;br /&gt;
*[[日本の地域|全国8地方]]中、大学において上位7地方と第1位の都道府県を全体に対する比率と共に記載した。&lt;br /&gt;
*その地方出身が最も入学している大学に、地方の内部リンクを設定した。&lt;br /&gt;
*[[三重県]]は近畿地方に含め、中部地方には含めないが、異なる場合には但し書きする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大学院 ===&lt;br /&gt;
*[[文学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[経済学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[法学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[社会学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[商学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[医学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[理工学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[政策・メディア研究科]]&lt;br /&gt;
*[[健康マネジメント研究科]]&lt;br /&gt;
*[[薬学研究科]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾大学大学院経営管理研究科]] (KBS)&lt;br /&gt;
*[[システムデザイン・マネジメント研究科]]&lt;br /&gt;
*[[メディアデザイン研究科]]&lt;br /&gt;
*[[法務研究科]]（[[法科大学院]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 附属機関 ===&lt;br /&gt;
==== 附属研究所 ====&lt;br /&gt;
*慶應義塾総合研究推進機構&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学国際連携推進機構 (OGI)&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構 (DMC)&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学法学研究所&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学言語文化研究所&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所（旧新聞研究所）&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学SFC研究所&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学産業研究所&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学東アジア研究所（旧地域研究センター）&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学先端生命科学研究所&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学体育研究所&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学附属研究所（[[斯道文庫]]）&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学亜細亜研究所（廃止）&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学北京公館・中支研究所（廃止）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 附属センター ====&lt;br /&gt;
*研究支援センター本部&lt;br /&gt;
**三田研究支援センター&lt;br /&gt;
**日吉研究支援センター&lt;br /&gt;
**矢上研究支援センター&lt;br /&gt;
**信濃町研究支援センター&lt;br /&gt;
**湘南藤沢研究支援センター&lt;br /&gt;
*先端研究教育連携スクエア事務室&lt;br /&gt;
*慶應義塾福澤研究センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学国際センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学アート・センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学教職課程センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学外国語教育研究センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学教養研究センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学スポーツ医学研究センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学保健管理センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学研究推進センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学知的資産センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学インキュベーションセンター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学総合医科学研究センター&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学先端科学技術研究センター (KLL)&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学グローバルセキュリティ・リサーチセンター (G-SEC)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 附属病院 ====&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学病院&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全国共同利用・共同研究拠点 ====&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学パネルデータ設計・解析センター&lt;br /&gt;
*慶應医科学開放型研究所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 出版会 ====&lt;br /&gt;
慶應義塾大学の出版部門として[[慶應義塾大学出版会]]がある。慶應義塾大学出版会は組織的に独立した[[株式会社]]であり、大学の附属機関ではない。しかしながら慶應義塾大学関係の書籍を出版するなど、大学本体との関わりが深いので、本節においてまとめた。詳細は該当記事を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 研究 ===&lt;br /&gt;
[[日本学術振興会]] (JSPS) 事業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 21世紀COEプログラム ====&lt;br /&gt;
*採択12件&lt;br /&gt;
*2002年&lt;br /&gt;
:;生命科学&lt;br /&gt;
::システム生物学による生命機能の理解と制御&lt;br /&gt;
:;化学材料科学&lt;br /&gt;
::機能創造ライフコンジュゲートケミストリー&lt;br /&gt;
:;情報電気電子&lt;br /&gt;
::アクセス網高度化光・電子デバイス技術&lt;br /&gt;
:;人文科学&lt;br /&gt;
::心の解明に向けての統合的方法論構築&lt;br /&gt;
:;学際複合新領域&lt;br /&gt;
::次世代メディア・知的社会基盤&lt;br /&gt;
*2003年&lt;br /&gt;
:;医学系&lt;br /&gt;
::低侵襲・新治療開発による個別化癌医療確立&lt;br /&gt;
::幹細胞医学と免疫学の基礎・臨床一体型拠点 -ヒト細胞とin vivo 実験医学を基盤とした新しい展開-&lt;br /&gt;
:;数学物理学地球科学&lt;br /&gt;
::統合数理科学、現象解明を通した数学の発展&lt;br /&gt;
:;機械土木建築その他工学&lt;br /&gt;
::知能化から生命化へのシステムデザイン&lt;br /&gt;
:;社会科学&lt;br /&gt;
::市場の質に関する理論形成とパネル実証分析&lt;br /&gt;
::多文化多世代交差世界の政治社会秩序形成ー多文化世界における市民意識の動態&lt;br /&gt;
::日本・アジアにおける総合政策学先導拠点&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== グローバルCOEプログラム ====&lt;br /&gt;
*採択7件&lt;br /&gt;
*2007年&lt;br /&gt;
:;生命科学&lt;br /&gt;
::In vivo ヒト代謝システム生物学拠点&lt;br /&gt;
:;情報電気電子&lt;br /&gt;
::アクセス空間支援基盤技術の高度国際連携&lt;br /&gt;
:;人文科学&lt;br /&gt;
::論理と感性の先端的教育研究拠点形成&lt;br /&gt;
*2008年&lt;br /&gt;
:;医学系&lt;br /&gt;
::幹細胞医学のための教育研究拠点&lt;br /&gt;
:;機械土木建築その他工学&lt;br /&gt;
::環境共生・安全システムデザインの先導拠点&lt;br /&gt;
:;社会科学&lt;br /&gt;
::市場の高質化と市場インフラの総合的設計&lt;br /&gt;
::市民社会におけるガバナンスの教育研究拠点&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業 ====&lt;br /&gt;
*採択1件&lt;br /&gt;
*平成19年&lt;br /&gt;
:;中央アジア&lt;br /&gt;
::中央アジアにおける環境共生と日本の役割-価値創造に基づく地域研究のあり方-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 組織的な大学院教育改革推進プログラム ====&lt;br /&gt;
*採択2件&lt;br /&gt;
*平成20年&lt;br /&gt;
:;人文社会学系&lt;br /&gt;
::社会イノベータ育成コースの創設&lt;br /&gt;
:;医療系&lt;br /&gt;
::創薬に向けた医薬科学を先導する人材の養成&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 質の高い大学教育推進プログラム（教育GP） ====&lt;br /&gt;
*採択2件&lt;br /&gt;
*平成20年&lt;br /&gt;
:メディカルプロフェショナリズム教育の推進&lt;br /&gt;
:[[ユビキタス]]社会の問題発見解決型人材育成&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学生生活 ==&lt;br /&gt;
=== 部活動・クラブ活動・サークル活動 ===&lt;br /&gt;
*慶應義塾大学硬式庭球同好会連盟（けいおうぎじゅくだいがく こうしきていきゅうどうこうかいれんめい）という[[テニス]][[クラブ活動|サークル]]連盟がある。現在、31サークルから成り立ち、公称会員数4000人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 学園祭 ===&lt;br /&gt;
各キャンパスごとに、「三田祭」（三田キャンパス）、「四谷祭」（信濃町キャンパス）、「矢上祭」（矢上キャンパス）、「七夕祭」、「秋祭」（湘南藤沢キャンパス）、「共薬祭」（芝共立キャンパス）が開催されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このうち、三田祭が最大規模であり、他キャンパスの学生も多く参加する。慶應義塾大学が公式に「学園祭」としているのは三田祭のみである。その他のキャンパスごとのイベントは有志によるものに過ぎないとされているが、実質的には「学園祭」として認知されており、慶應義塾大学の受験生向けパンフレットなどにも紹介されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、日吉キャンパスで行われる「日吉祭」は高等学校の文化祭で、大学との関係はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 三田祭 ====&lt;br /&gt;
三田祭は、毎年11月23日前後に例年4日間行われる。運営しているのは三田祭実行委員会。三田祭の規模は大学祭では日本国内最大{{要出典|date=2011年11月|}}である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 七夕祭 ====&lt;br /&gt;
湘南藤沢キャンパスで七月の第一土曜日に毎年開かれる学園祭。湘南藤沢キャンパス開校時から続いており、学生有志による七夕祭実行委員会が運営している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
花火や縁日のような出店、御輿などの夏祭りをテーマとした企画が中心。また学生と大学周辺地域との協力を目的としていることが特徴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ ===&lt;br /&gt;
[[体育会]]の正式名称は「慶應義塾體育會」（けいおうぎじゅくたいいくかい）である。「慶應義塾大学体育会」としている文献が存在するが、正式名称では「大学」の語は使用しない。2008年現在、40部54部門が所属している。体育会各部間の意見交換や、体育会全体に関わる会議・行事の企画・進行や広報活動を行う組織として、體育會本部を置く。体育会部員から選出された常任委員がこうした業務に携わっている。また、体育会事務室という慶應義塾大学の部署が設置され、専任の大学職員が常駐している。体育会事務室は学生主体の體育會本部と連絡を取りながら体育会の運営をサポートしている。&lt;br /&gt;
*[[東日本医科学生総合体育大会]]の発起大学であり、定期的に対抗戦を行っている。&lt;br /&gt;
*戦前までは[[東京帝国大学]]との間で「[[対帝大医学部野球戦]]」が開催されていた。戦後は[[大阪大学]]、[[一橋大学]]との間でスポーツ交流戦を行う構想があったが、実現していない。&lt;br /&gt;
*[[馬術部]]は特に名門で、大正9年（1920年）4月[[陸軍士官学校]]において塾長[[鎌田栄吉]]出席のもとに[[慶應義塾乗馬会]]の発会式を挙げる。以来同校馬術教官から教授を受け、大正12年（1923年）4月1日に同校校庭で開かれた[[関東学生乗馬協会]]主催の第一回関東乗馬大会に優勝した。&lt;br /&gt;
*[[ラグビー]]部は[[慶應義塾體育會蹴球部]]が正式名称である。[[1899年]]創立であり、[[日本ラグビーフットボール協会]]では「日本ラグビーのルーツ校」としている。[[関東大学ラグビー対抗戦グループ]]に所属している。[[1910年]]（明治43年）に網町グラウンドにて日本最初の蹴球対決試合を[[京都大学ラグビー部|第三高等学校]]（現・京都大学）との間で開催した。&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾大学野球部|野球部]]は[[東京六大学野球連盟]]に加盟しており、東京六大学野球が発祥する大元となった[[慶早戦]]は大学野球ファンの間では著名である。なお、大学野球における慶早戦の盛り上がりがきっかけとなり、ラグビー部や[[慶應義塾体育会端艇部|端艇部]]（[[ボート競技]]）でも慶早戦が行われるようになった。詳細は[[慶早戦]]を参照。&lt;br /&gt;
*[[東京箱根間大学駅伝競走|箱根駅伝]]では、[[1932年]]に優勝している。&lt;br /&gt;
*[[サッカー]]部は[[慶應義塾大学体育会ソッカー部|ソッカー部]]が正式名称。サッカー関係者には伝統校として著名である。&lt;br /&gt;
*[[バスケットボール]]部の愛称は[[慶應義塾體育會バスケットボール部ユニコーンズ|ユニコーンズ]]。[[全日本学生バスケットボール選手権大会]]初代王者でもある。&lt;br /&gt;
*[[アメリカンフットボール]]部の愛称も「ユニコーンズ」である。[[関東学生アメリカンフットボール連盟]]に所属している。&lt;br /&gt;
*[[ラクロス]]部は1985年に日本初のラクロス部として創設され、特に男子ラクロス部は全日本優勝5回、関東学生リーグ優勝15回という成績を残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 園遊会 ===&lt;br /&gt;
園遊会は、学位授与式（卒業式）の後に開催される卒業パーティーである。2008年3月までは慶應義塾大学卒業準備委員会が主催をしていた。パーティーで行われる抽選大会の1等賞品は毎年通例として外車であった。このような豪華な賞品を出すことについて、一部卒業生や大学教職員の間からは必ずしも賛同の声ばかりが寄せられるわけではなかった。2006年現在、会費は2万円強で参加は任意である。賞品はOBが役員を務める企業からの寄付が多い。卒業準備委員会の粗雑な財務管理や園遊会参加後の卒業生の行為による苦情から、2009年3月からの園遊会の開催は一旦中止となり現卒業準備委員会も解散することとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、解散した卒業準備委員会とは別の団体が、2009年3月以降も（非公式ではあるが）毎年有志により園遊会を存続させるための活動を行っている。日吉記念館の工事延期に伴い2009年度卒業式の会場が、予定されていた卒業式の会場（[[パシフィコ横浜]]）から同館となる可能性が高まり、卒業式の予定そのものが不確定となった。これによって園遊会の会場となる[[舞浜]]のホテルの予約が現段階で確定できないことが判明し、2009年度園遊会は中止となることが決定された。しかし、開催の声が根強く、2009年度は有志により西麻布[[alife]]での小規模開催となった。そして、2010年度より特別委員会として園遊会実行委員会が全塾協議会より正式承認されたが、それ以後も大学・全塾協議会の調整が着かず2011年（震災の影響により最終的に中止）・2012年は卒業生有志により開催されることとなった。&lt;br /&gt;
;[[テイクオフラリー]]&lt;br /&gt;
:SFC（[[湘南藤沢キャンパス]]）では、キャンパス開設当初から独自の卒業パーティーが開催されている。2009年、園遊会の中止によって慶應義塾大学における公式の卒業パーティーは[[テイクオフラリー]]のみとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大学関係者と組織 ==&lt;br /&gt;
=== 大学関係者組織 ===&lt;br /&gt;
慶應義塾では、在学生を「塾生」、卒業生を「塾員」、この二者に加えて教員などを合わせた関係者全てを「（義塾）社中」と呼ぶ。また、福澤諭吉を除いては、敬称を「君（くん）」とする習慣がある。これは、慶應義塾において「先生」は福澤諭吉ただ一人であるという思想から発生したもので、現在も構内掲示などの教員名は「-君」表示になっているほか、慶應義塾の公式文書においてもしばしば「君」表記が使用される。明治期においては生徒は教師に向かっては「さん」付けが一般で、それ以外は[[塾長]]、[[教頭]]、その他の古参[[教員]]でも等しく「--さん」が一般に用いられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶應義塾における「塾長」とは、慶應義塾大学の学長と学校法人慶應義塾の理事長を兼ねており、慶應義塾内で学長や理事長と言った呼称が使われることはまずほとんどない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 三田會 ====&lt;br /&gt;
三田會（みたかい）は慶應義塾大学の卒業生（塾員）による同窓組織。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 三四会・紅梅会 ====&lt;br /&gt;
;三四会&lt;br /&gt;
:医学部の同窓会。[[1917年]]に創設。本部のある「'''三'''田」と医学部のある「'''四'''谷」から一字ずつ取った。若手の研究を奨励し、実学としての慶應医学の発展を図るため、「三四会奨励賞」を制定し毎年発表している。&lt;br /&gt;
;紅梅会&lt;br /&gt;
[[1934年]]設立、看護教育を受けた卒業生による同窓会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大学関係者一覧 ===&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾大学の人物一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 施設 ==&lt;br /&gt;
=== キャンパス ===&lt;br /&gt;
三田と日吉キャンパス間の交通については、かつては[[東急東横線]]・[[渋谷駅]]経由で[[都バス]]もしくは[[山手線]]を乗りついて1時間近く掛かったが、[[東急目黒線]]の[[日吉駅 (神奈川県)|日吉]]延伸後は日吉駅から直通で[[都営三田線]]に乗り入れられ、[[白金高輪駅]]経由で40分弱での行き来が可能になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 三田キャンパス ====&lt;br /&gt;
*使用学部：文学部2-4年と経済学部・法学部・商学部3・4年&lt;br /&gt;
*使用研究科：文学研究科・経済学研究科・法学研究科・社会学研究科・商学研究科・法務研究科（法科大学院）&lt;br /&gt;
*使用附属施設：Stub&lt;br /&gt;
*交通アクセス：JR[[山手線]]・[[京浜東北線]][[田町駅 (東京都)|田町駅]]、[[都営地下鉄三田線|都営三田線]]・[[都営地下鉄浅草線|都営浅草線]][[三田駅 (東京都)|三田駅]]、[[東京メトロ南北線|南北線]]・[[白金高輪駅]]、[[麻布十番駅]]、[[都営地下鉄大江戸線|都営大江戸線]][[赤羽橋駅]]&lt;br /&gt;
[[慶應義塾中等部]]が[[綱坂]]を挟んで隣接している。また、付近に[[慶應義塾女子高等学校]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日吉キャンパス ====&lt;br /&gt;
*使用学部：文学部・医学部・薬学部1年と経済学部・法学部・商学部・理工学部1・2年&lt;br /&gt;
*使用研究科：経営管理研究科、システムデザイン・マネジメント研究科、メディアデザイン研究科&lt;br /&gt;
*使用附属施設：Stub&lt;br /&gt;
*交通アクセス：[[東急東横線]]、[[東急目黒線]]、[[横浜市営地下鉄グリーンライン]][[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]&lt;br /&gt;
[[慶應義塾高等学校]]がキャンパス内に併設されている。また、駅を挟んだ向かい側に[[慶應義塾普通部]]がある。慶應義塾大学の学生の間には、他のキャンパスへの進級後に日吉キャンパスの授業を再履修する意味を表す「来日」、留年して日吉キャンパスに留まる意味を表す「在日」、他のキャンパスに進級できず慶應を去る意味を表す「日没」という俗語がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 矢上キャンパス ====&lt;br /&gt;
*使用学部：理工学部3・4年&lt;br /&gt;
*使用研究科：理工学研究科&lt;br /&gt;
*使用附属施設：Stub&lt;br /&gt;
*交通アクセス：[[東急東横線]]、[[東急目黒線]]、[[横浜市営地下鉄グリーンライン]][[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]&lt;br /&gt;
[[藤原工業大学]]の将来のキャンパス用地として戦前から[[藤原銀次郎]]が用意していた土地に、[[1972年]]に工学部（現 理工学部）が小金井キャンパスから移転して開設された。なお、藤原工業大学の校舎は、開校時には日吉キャンパス内（現在の日吉図書館、第4校舎付近）に設けられていたが、戦災を受け、戦後は[[小金井市]]に移転していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 信濃町キャンパス ====&lt;br /&gt;
*使用学部：医学部2-6年および看護医療学部3年&lt;br /&gt;
*使用研究科：医学研究科&lt;br /&gt;
*使用附属施設：慶應義塾大学病院、総合医科学研究センター、北里記念医学図書館、信濃町メディアセンター（北里記念医学図書館内部）&lt;br /&gt;
*交通アクセス：JR[[中央・総武緩行線]][[信濃町駅]]&lt;br /&gt;
:構内に「[[慶應義塾の建造物#信濃町キャンパス|慶應稲荷大明神]]」が存在し、受験シーズンには慶應諸学校受験者の参拝が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 湘南藤沢キャンパス (SFC) ====&lt;br /&gt;
*使用学部：総合政策学部・環境情報学部の全学年および看護医療学部の1・2・4年&lt;br /&gt;
*使用研究科：大学院政策・メディア研究科、健康マネジメント研究科&lt;br /&gt;
*使用附属施設：慶應義塾大学湘南藤沢学会、SFC-IV、SFC研究所&lt;br /&gt;
*交通アクセス：[[小田急江ノ島線]]・[[相鉄いずみ野線]]・[[横浜市営地下鉄ブルーライン]][[湘南台駅]]、JR[[東海道本線]]・[[湘南新宿ライン]][[辻堂駅]]からバス&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 芝共立キャンパス ====&lt;br /&gt;
*使用学部：薬学部薬学科2-6年と薬科学科2-4年&lt;br /&gt;
*使用研究科：大学院薬学研究科&lt;br /&gt;
*使用附属施設：慶應義塾大学薬学部附属薬局、生体防御薬学研究センター&lt;br /&gt;
*交通アクセス：JR[[山手線]]・[[京浜東北線]][[浜松町駅]]、[[都営地下鉄]][[都営地下鉄三田線|三田線]][[御成門駅]]、都営地下鉄[[都営地下鉄浅草線|浅草線]]・[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]][[大門駅 (東京都)|大門駅]]&lt;br /&gt;
かつて[[共立薬科大学]]の本部が設置されていたキャンパス。両学校法人の合併により慶應義塾大学のキャンパスとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サテライトキャンパス ====&lt;br /&gt;
サテライトキャンパスは学校法人間による統合及び[[リベラルアーツ]]教育拠点、産学及び大学間連携を目的にして設置されている。一部の施設は慶應義塾大学の[[通信制大学]]の単位認定試験会場でもあり、スクーリングなどの指定会場でもある。サテライトキャンパスとして以下が設置されている。&lt;br /&gt;
*[[K2タウンキャンパス|新川崎タウンキャンパス]]（[[神奈川県]][[川崎市]]と共同設置。略称はK2TC）&lt;br /&gt;
**[[神奈川県]][[川崎市]]&lt;br /&gt;
*鶴岡タウンキャンパス&lt;br /&gt;
**[[山形県]][[鶴岡市]]&lt;br /&gt;
**略称はTTCK (Tsuruoka Town Campus of Keio)&lt;br /&gt;
**[[先端生命科学研究所]]&lt;br /&gt;
*浦和共立キャンパス&lt;br /&gt;
**[[埼玉県]][[さいたま市]][[緑区 (さいたま市)|緑区]]&lt;br /&gt;
*慶應大阪リバーサイドキャンパス&lt;br /&gt;
**[[大阪府]][[大阪市]][[福島区]]&lt;br /&gt;
**[[大阪大学]]医学部付属病院跡地に整備されていた再開発地域（[[ほたるまち]]）が、慶應義塾を創設した福澤の生誕した中津藩蔵屋敷跡であることから設置された。&lt;br /&gt;
*慶應丸の内シティキャンパス&lt;br /&gt;
**東京都[[千代田区]][[丸の内]][[三菱ビル]]&lt;br /&gt;
**略称はMCC。社会人向け教育機関として開設。株式会社[[慶應学術事業会]]が運営。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化財 ==&lt;br /&gt;
慶應義塾大学は以下の国宝・重要文化財を所有している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国宝 ===&lt;br /&gt;
*秋草文壺 - [[川崎市]][[幸区]]南加瀬出土。平安時代後期、渥美窯。[[東京国立博物館]]に寄託。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 重要文化財 ===&lt;br /&gt;
*建造物&lt;br /&gt;
**[[三田演説館]] - [[1967年]]（昭和42年）指定&lt;br /&gt;
**[[慶應義塾図書館・旧館]] - [[1969年]]（昭和44年）指定&lt;br /&gt;
*典籍・古文書・歴史資料&lt;br /&gt;
**[[大かうさまくんきのうち]] - 「太閣様軍記の中」[[織田信長]]から[[豊臣秀吉]]にかけて文筆をもって仕えた[[太田牛一|太田和泉守牛一]]の著者自筆、原装の抄写本&lt;br /&gt;
**後鳥羽院御抄並越部禅尼消息 - [[藤原俊成]]の養女である[[越部禅尼]]が、甥の藤原為家にあてた歴代の撰集の論評や消息&lt;br /&gt;
**相良家文書（1,253通、30巻、84冊、1帖、21鋪 附:鎧小札残欠209枚、鉄二枚胴具足残欠2枚） - [[肥後国]]の南、人吉藩主[[相良家]]伝来の鎌倉から江戸時代にかけての文書&lt;br /&gt;
**解剖存真図 2巻 - 江戸時代後期の医師[[南小柿寧一]]（みながきやすかず）によって描かれた2巻の彩色された人体解剖図集&lt;br /&gt;
**対馬宗家関係資料（朝鮮通信使記録417点、記録類478点） - [[対馬]][[宗氏|宗家]]文書として江戸時代に[[対馬藩]]の藩主であった宗家に伝来した古文書・古記録&lt;br /&gt;
*考古資料&lt;br /&gt;
**日吉矢上古墳出土品 - [[1953年]]（昭和28年）指定&lt;br /&gt;
**岩偶・岩版 - [[1974年]]（昭和49年）指定 秋田県鹿角郡小坂町杉沢出土&lt;br /&gt;
以上の文化財はメディアセンター貴重書室、及び、文学部民族学考古学研究室が保管する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系列校 ==&lt;br /&gt;
慶應義塾の各教育機関は、大学とそれを頂点とする[[附属学校]]という関係ではなく、あくまで同一学校法人が運営する独立した学校の集合体という形態を取っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一貫教育校 ===&lt;br /&gt;
慶應義塾では自らの設置する以下の学校へ入学した場合、大学まで全員が進学することを前提に統一したカリキュラムを組んで教育を行っている。そこで、慶應義塾では以下の学校についてはまとめて「一貫教育校」と呼んでいる。以下の学校を卒業すると全員、無試験で大学への推薦入学できる（エスカレーター式）。これらの学校から推薦入学する生徒は、大学全体の2割以上を占める。&lt;br /&gt;
;高等学校&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾女子高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾志木高等学校]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾ニューヨーク学院]]&lt;br /&gt;
;中高一貫校&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾湘南藤沢中・高等部]]&lt;br /&gt;
;中学校&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾普通部]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾中等部]]&lt;br /&gt;
;小学校&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾幼稚舎]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾横浜初等部]]（2013年度開校）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾の建造物]]&lt;br /&gt;
*[[中津市立小幡記念図書館]]&lt;br /&gt;
*[[津國屋]]&lt;br /&gt;
*[[三田通り]]&lt;br /&gt;
*[[慶應仲通り]]&lt;br /&gt;
*[[文銭堂本舗]]&lt;br /&gt;
*[[慶應医学賞]]（[[ラスカー賞]]、[[ガードナー国際賞]]、[[ウルフ賞]]と並び[[医学]]領域で最も権威のある国際賞の一つ）&lt;br /&gt;
*[[時事新報]]&lt;br /&gt;
*[[交詢社]]&lt;br /&gt;
*[[民間雑誌]]&lt;br /&gt;
*[[中津藩]]&lt;br /&gt;
*[[慶應義塾外国語学校]]&lt;br /&gt;
*[[ラーメン二郎]]（慶應義塾大学西校舎[[学生食堂]]へ誘致の署名活動を1990年代前半に行った。港区三田に本店を構えるラーメン店。）&lt;br /&gt;
*[[慶大生ファンド詐欺事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公式サイト == &lt;br /&gt;
*[http://www.keio.ac.jp/ 慶應義塾大学]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.hosp.keio.ac.jp/index.htm 慶應義塾大学病院]（大学病院の理念等の記述あり）&lt;br /&gt;
*[http://www.jukushin.com/ 慶應塾生新聞]&lt;br /&gt;
*[http://koara-a.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/news/ koara-a慶應義塾史コレクション]&lt;br /&gt;
*[http://www.tsushin.keio.ac.jp/ 慶應義塾大学通信教育課程]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:けいおうきしゆくたいかく}}&lt;br /&gt;
[[Category:慶應義塾大学|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:福澤諭吉|*けいおうきしゆくたいかく]]&lt;br /&gt;
[[Category:中津藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:蘭学]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国宝 (工芸品)]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の重要文化財]]&lt;br /&gt;
[[Category:第1回BCS賞]]&lt;br /&gt;
[[Category:学校記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396705</id>
		<title>松田恒尚</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396705"/>
				<updated>2022-01-31T04:25:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」など。[[足立文治]]、[[石島慎一郎]]とは古い友人。&lt;br /&gt;
[[ファイル:サンプル.jpg]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396704</id>
		<title>松田恒尚</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396704"/>
				<updated>2022-01-31T04:19:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」など。[[足立文治]]、[[石島慎一郎]]とは古い友人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%81%92%E5%B0%9A&amp;diff=396703</id>
		<title>松田恒尚</title>
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				<updated>2022-01-31T04:13:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;足立中原文治: 友人関係の追加&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松田 恒尚'''（まつだ つねひさ）は、日本の[[歴史学者]]、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]。本土における[[琉球史]]の研究者として知られる。[[社会  (教科)|社会科]]、[[家庭 (教科)|家庭科]]教員。また、語学講座では[[琉球語]]も担当する。愛称は「親方」「エクスカリバー」など。[[足立文治]]、[[石島慎一郎]]とは古い友人&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*[[1982年]][[3月]]　[[慶應義塾中等部]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1985年]][[3月]]　[[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
*[[1989年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]]経済学部卒業&lt;br /&gt;
*[[1992年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[修士課程]][[文学]]研究科修了&lt;br /&gt;
*[[1996年]][[3月]]　[[慶應義塾大学]][[博士課程]][[文学]]単位取得退学&lt;br /&gt;
*[[1997年]][[4月]]〜　[[慶應義塾志木高等学校]]教諭&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0610/0006753/profile.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[家庭 (教科)|家庭科]][[教育職員免許状|教員免許]]取得。[[軟式野球]]部部長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
上記略歴の通り、一般の[[中学校]]にあたる[[慶應義塾中等部]]から慶應義塾付属校の高校・大学を経て、[[慶應義塾志木高等学校]][[教諭]]となっているため、13歳～現在に至るまで30年以上、慶應義塾に在籍していることになる。しかし、これは慶應義塾の教員としては珍しいことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親方」の愛称で親しまれている。この愛称は生徒間で悪口のように広まっているものではなく、同僚の教職員も本人を表す際に用いている。また、部長を務める[[軟式野球]]部では、[[監督]]もしているにも関わらず[[部員]]から「監督」と呼ばれることは一切なく、常に「親方」と呼ばれている。&lt;br /&gt;
「親方」という愛称の由来としては諸説あるが、その脹よかな体つきが[[日本|日本国]][[国技]][[選手]]の様であるためというのが一般的な説となっている。また、脹よかな体型で、尚且つ、黒縁でレンズ部分が四角い[[眼鏡|メガネ]]をしていることから、[[ピン芸人]]の「[[小浦一優|芋洗坂係長]]」と瓜二つであり、初めて見る新入生の間では「芋洗坂」と呼ばれることもしばしばある。しかし、現在では脹よかな体型となっているが本人の授業中の談話によると、高校時代は、[[日本の高校野球|高校野球]]の名門として有名な[[慶應義塾高等学校]]野球部において１番[[中堅手|センター]]をやっていたといい、このポジションは俊足の選手が担うのが一般的であるため昔は痩せていたとわかり、また本人もかつては痩せていたと語っている。このことについて、本人は「痩せようと思えば、いつでも痩せられる。」というように発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;軟式野球部員が語った話によるものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名言・迷言を多く残すことがありその例として、&lt;br /&gt;
*「１軒の店で満腹になるなら、はしごした方がいい。」&lt;br /&gt;
*「（生徒・部員に対して）お前らみたいな奴らが日本をダメにするんだ。」&lt;br /&gt;
*「ゲロ萎え。」&lt;br /&gt;
*「ばっかじゃなかろかるんば」&lt;br /&gt;
*「んほっ//んほっっ///むほほほほほほほほほほほほ」&lt;br /&gt;
*「ジャストおおおおおおおおお」&lt;br /&gt;
*「(デブサミット招集に対して)保健室のおばさんも太っている。」&lt;br /&gt;
*「お前らは俺の話を聞かないくせにマイナが9人もいやがる」&lt;br /&gt;
*「(生徒に対して)ホームルームで弁当食ってるやつとしか思ってなかったわ。」&lt;br /&gt;
*「この服誰のー？って聞いて誰も答えなかったじゃねぇか。だから捨てた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監督 ==&lt;br /&gt;
[[日本高等学校野球連盟]]の軟式野球の大会において、慶應義塾志木高等学校軟式野球部を部長兼監督として率い、多く優秀な成績へ導いている。&lt;br /&gt;
=== 主な成績 ===&lt;br /&gt;
*平成18年　第51回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　埼玉県高等学校軟式野球春季大会優勝&lt;br /&gt;
*平成19年　第52回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会Aブロック優勝&amp;lt;ref&amp;gt;ttp://www.shiki.keio.ac.jp/seikatu/club/nanya/index.html&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*平成20年　第53回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会優勝&lt;br /&gt;
*平成21年　第54回全国高等学校軟式野球選手権埼玉大会準優勝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生態　==&lt;br /&gt;
教員室では[[ペヤング]]の超大盛り焼きそばを食す姿が目撃されている。また、[[カップラーメン]]を片手に道を歩く姿も目撃されている。秋になると植物が枯れてゆくのとは逆に髭が茂り始める。マスクからはみでる髭は[[ジャック・スパロウ]]顔負けのものである。&lt;br /&gt;
教室から教員室へ帰る際には『家族』という題名の本を持っている姿が目撃されており、家庭科に対しての熱意が感じられる。ただ、戸籍上は親方1人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 授業 ==&lt;br /&gt;
[[慶應義塾志木高等学校]]教諭・[[山崎勇]]（通称 パイナ）と同じく[[催眠]][[授業]]の使い手。しかし、きちんとまとめ上げられたノートがテスト前に出回るため、山崎勇をはじめとした[[植田泰生]]教諭、[[鈴木平]]教諭ら慶應義塾志木高等学校に多く在籍する催眠授業の使い手の中では下位に位置すると考えられている。いずれの催眠授業の使い手の催眠を打ち破るための方法として、[[ゲーム]]機器の使用、[[漫画|マンガ]]本等の読書、[[論文|レポート]]類の著述、等が有効な手段とされており、多くの在校生・卒業生がこれらの方法を用いてきた。ただ、これらの方法には欠点があり、「授業の内容が頭に入りにくい」という点が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会科 ===&lt;br /&gt;
社会科の授業は主に史料集中心に行われる。&lt;br /&gt;
2年生の世界史を担当する際には、上記のように自身の愛称が「親方」であるため、13世紀に各都市で成立した[[ギルド|同職ギルド（ツンフト）]]の身分制度の頂点に立つ「親方」を授業で扱うと滅多に起きることのない笑いが起こるため、[[鉄板|鉄板ネタ]]になっているようである。&amp;lt;ref&amp;gt;本人が明かしたことに基づく&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家庭科 ===&lt;br /&gt;
元々、社会科の教員であったが、親友とされている[[小池陽]]教諭が授業で語った話によると、慶應義塾志木高等学校が[[教育委員会]]に家庭科の授業を行うよう指導を受けた（それ以前は男子校であるため行われていなかった）際に、何事にも器用で真面目であると周囲から推薦され、社会科の通常授業を行いながら大学へ通い家庭科教員免許を取得したということである。尚、この授業は別名「催眠術」と呼ばれており、大半の生徒は話を聞かずに寝ているか携帯をいじるかのどちらかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
授業では、外見によらず器用な[[裁縫]]技術を披露する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
*『唐宋変革期における宗族の変容について』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注・出典 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつだ つねひさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>足立中原文治</name></author>	</entry>

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