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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>川島正次郎</title>
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				<updated>2014-05-25T07:55:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = かわしま しょうじろう&lt;br /&gt;
|画像 =&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1890年]][[7月10日]]&lt;br /&gt;
|出生地 =&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1970年]][[11月9日]]&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[専修大学]][[経済学部|経済科]]&lt;br /&gt;
|前職 =&lt;br /&gt;
|現職 =&lt;br /&gt;
|所属政党 =&lt;br /&gt;
|称号・勲章 =&lt;br /&gt;
|世襲の有無 =&lt;br /&gt;
|親族（政治家） =&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト =&lt;br /&gt;
|サイトタイトル =&lt;br /&gt;
|国旗 = 日本&lt;br /&gt;
|職名 = 第13代[[行政管理庁長官]]&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1955年]][[3月19日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = 1955年[[11月22日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 =&lt;br /&gt;
|元首職 =&lt;br /&gt;
|元首 =&lt;br /&gt;
|国旗2 = 日本&lt;br /&gt;
|職名2 = 第22代行政管理庁長官&lt;br /&gt;
|就任日2 = [[1962年]][[7月18日]]&lt;br /&gt;
|退任日2 = [[1963年]]7月18日&lt;br /&gt;
|退任理由2 =&lt;br /&gt;
|元首職2 =&lt;br /&gt;
|元首2 =&lt;br /&gt;
|国旗3 = 日本&lt;br /&gt;
|職名3 = 第5代[[自治大臣|自治庁長官]]&lt;br /&gt;
|就任日3 = 1955年3月19日&lt;br /&gt;
|退任日3 = 1955年11月22日&lt;br /&gt;
|退任理由3 =&lt;br /&gt;
|元首職3 =&lt;br /&gt;
|元首3 =&lt;br /&gt;
|国旗4 = 日本&lt;br /&gt;
|職名4 = 第20代[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]&lt;br /&gt;
|就任日4 = [[1961年]]7月18日&lt;br /&gt;
|退任日4 = 1962年7月18日&lt;br /&gt;
|退任理由4 =&lt;br /&gt;
|元首職4 =&lt;br /&gt;
|元首4 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''川島 正次郎'''（かわしま しょうじろう、[[1890年]][[7月10日]] - [[1970年]][[11月9日]]）は、[[千葉県]][[市川市]]出身（[[東京都]]あるいは[[長野県]]出身という説もある）の[[日本]]の[[政治家]]。最終学歴は[[専修大学]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]・[[自由民主党副総裁|副総裁]]を歴任。[[専修大学]][[総長]]、[[千葉工業大学]][[理事長]]・[[会長]]、[[成田山]]奉賛会初代会長を歴任、[[位階|従二位]][[勲一等旭日桐花大綬章]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]時代の[[フランス]]の政治家・[[ジョゼフ・フーシェ]]に例えられ「江戸前フーシェ」や、「寝業師」、｢道中師｣、「おとぼけの正次郎」と渾名されたりもした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
生母とは早くに死別し、東京の下町で[[鼈甲]]屋を営む母方の叔父のもとで幼少期を過ごす。小さな時から美少年で知られ、正次郎を養子に欲しいという芝居小屋の主人まで現われたという。夜間の[[正則学園高等学校|正則英語学校]]を経て、[[専修大学]]経済科（現在の経済学部）に学んだ。大学卒業後、[[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]に入省する。ここは[[選挙]]の際に情報を集める部署であり、川島は選挙の分析から次第に選挙そのものに関心を抱くようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第16回衆議院議員総選挙|1928年の総選挙]]で[[衆議院議員]]に初当選し、[[立憲政友会]]に属する。苦労して学校を卒業した川島には有力なコネもなく、政治の表舞台に出る機会に恵まれなかったが、政友会の先輩の[[前田米蔵]]から「政界では欲を出さずに、ナンバー2でいるのが大切だ」とアドバイスされたことを契機に、以後ナンバー2の座を目指すようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川島は政界入りした当初は[[森恪]]と、森の死後は前田と行動をともにし、[[1939年]]の政友会分裂に際しては前田とともに革新派（[[中島知久平]]総裁）に属した。[[1942年]]の[[第21回衆議院議員総選挙|翼賛選挙]]では非推薦で当選し、[[1945年]]には[[大日本政治会]]の情報部長を務めた。占領下では院内会派の無所属倶楽部に属したがまもなく[[公職追放]]。その間公刊され間もない『[[原敬]]日記』（乾元社全9巻）を熟読、[[党人派]]としての生き方を模索した。追放解除後の[[1952年]]に政界復帰。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1955年]]、[[第2次鳩山内閣]]で[[自治庁長官]]と[[行政管理庁]]長官に任命され、当選9回目にして初入閣を果たす。鳩山内閣では[[保守合同]]を推進し、自民党の創設にも大きく関わった。1956年には[[小選挙区制]]導入を狙う鳩山の意を受けて、小選挙区法案（[[ハトマンダー]]）を提出するが、これは内務省時代以来、[[選挙制度]]に関する研究を続けてきた川島だからこそ出来た仕事だった。小選挙区法案は廃案となるが、川島はその仕事振りから自民党内でも一目おかれるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ナンバー2への道 ===&lt;br /&gt;
鳩山内閣退陣後は[[岸信介]]政権の樹立に動き、岸内閣の下で[[自民党幹事長]]に就いている。川島は[[1960年]][[安保闘争]]を前にして動揺する党内の混乱をよく押さえて、とにかく新[[日米安全保障条約|安保条約]]の成立まで岸政権を守り抜いた。当時川島幹事長は[[小沢佐重喜]]を安保特別委員会委員長として[[強行採決]]の段取りを進めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1960年の岸内閣総辞職後、[[党人派]]から[[大野伴睦]]と[[石井光次郎]]が[[自民党総裁]]選に名乗りを上げ、官僚派からは[[池田勇人]]が名乗りをあげていた。その頃、川島は岸派内で一定の勢力を有し、川島系といわれる川島に同調する議員10人ほどを連れて、大野支持に向かう様子をにおわせていた。川島は大野に対して「党人派が二分されると官僚派の池田に勝てないので、党人派は石井一本にまとめたほうがいい」と進言して、大野に総裁選を辞退させた。すると、手のひらを返したように川島は「大野を支援しようと思ったが、大野が辞退したので池田を支持する」と表明して池田支持に乗り換え、その功績もあり池田政権末期に、初代自民党副総裁だった大野が亡くなったのに伴い後任に就任した。池田が病いで退陣する際には、後継者に佐藤栄作を指名させるのに功績があり、佐藤政権でも自民党副総裁に任命された、佐藤政権の下で川島は終生自民党副総裁の地位を維持し、常に与党ナンバー2の地位を保ち続けた。また[[1962年]]10月岸派が解散すると、岸が派閥を[[福田赳夫]]に譲ることに反発し、翌11月[[川島派]]「交友クラブ」として分派した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[池田内閣]]では[[東京オリンピック]]担当大臣としてオリンピック事業整備を進め、[[新幹線]]、[[首都高速]]などの[[インフラ]]を構築しながら[[高度経済成長]]の仕組みを作り上げ、池田の「所得倍増論」実現を推進したのも、この仕組みを作った川島の功績によるものであった。[[東京国際空港|羽田空港]]に代わる新たな国際空港開設においては成田への決定を積極的に推進している。また、近年機密解除された[[アメリカ合衆国|アメリカ]]公文書によると1968年にアメリカ政府に[[沖縄返還]]を決定させたのが川島である事が公開された&amp;lt;ref&amp;gt;最晩年に、日米関係をめぐる提言「七〇年代日本外交の展開」1969年の＜第2回日米関係民間会議＞より（『沖縄以後の日米関係』に所収、[[サイマル出版会]]、1970年）、「太平洋新時代と日米関係 一九七〇年代を迎えて」（『現代日本の外交』の一章、[[鹿島出版会]]、1970年）、「七〇年代の展望 ＜安保＞もう十年続く」（『[[毎日新聞]]』シリーズインタビュー「政権」より、同社で1970年刊） を残している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済合理性も川島の特徴である。川島は「資金集めが大変だから」という理由で加入希望者が続出したにもかかわらず、川島派を20名程度までしか増やさなかった。[[派閥]]成員17人ぐらいで大臣ポスト1つの割合で閣僚ポストを割り振るのが当時の人事慣行で、20人程度を擁していれば確実に大臣ポストを1つ確保できる上、派内の議員たちに効率よく満遍なく大臣ポストをまわせることを川島は知っていたのである。川島は自派の結束を固め、常に[[キャスティング・ボート]]を握る位置を確保することで、ナンバー2の座＜[[自民党副総裁]]＞を維持することが出来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1970年秋、「佐藤栄作は次期首相の座を大蔵官僚出身の[[福田赳夫]]に譲ろうとしている」という情報をキャッチすると、川島は「岸・池田・佐藤と官僚出身者による内閣が続き、人心は官僚出身者に飽いている」として福田のライバルだった[[田中角栄]]を支持し、田中が勢力を拡大するための時間を稼ぐために、1970年の自民党総裁選では福田への禅譲&amp;lt;ref&amp;gt;[[岸信介]]は弟の佐藤に4選目への不出馬を促し、福田への[[禅譲]]を提言した、福田もそれを期待していた。一方で福田は、佐藤政権延長には反対できない立場なのを（川島・田中は）見抜いていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;を考えていた佐藤を、川島副総裁、田中幹事長という立場で、総裁選に出馬させ佐藤政権の延命を図り、佐藤の機嫌を取りたい中間派を水面下で佐藤出馬支持にとりまとめた。結果として佐藤は[[三木武夫]]との、一騎打ちに勝ち4選したが、政権末期の約一年間に、求心力が急速に低下し事実上「禅譲」が不可能になった。（川島は）党人派政治家として田中に総理総裁への道を開いた&amp;lt;ref&amp;gt;余話だが評論家[[大宅壮一]]の生前最後の記事『[[サンデー毎日]]』連載の時事評論の末尾で、10月に佐藤4期目が決定した際の川島の動きを辛口批評した。奇しくも川島が没した約2週間後の11月22日に病没している。『無思想の思想』（[[文藝春秋]]）ほかに所収。なお門下生の[[草柳大蔵]]『実力者の条件』（文藝春秋）にも川島論がある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総裁選から9日後の11月9日[[大田区]]山王の自宅にて、持病である[[気管支喘息]]の発作により急逝した。[[日本武道館]]にて自民[[葬儀|党葬]]が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;追悼出版に『川島正次郎』（林政春、花園通信社、1971年）、『川島正次郎　川島正次郎先生追想録編集委員会編』（交友クラブ編・非売品、1971年11月）、『政界一寸先は闇 　ある川島担当記者の手記』（小畑伸一、黄帆社、1972年2月）がある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川島は教育界の発展にも貢献している。母校・専修大学の総長となって、専修大学の発展に尽くしたという側面も持っている（[[専修大学松戸高等学校]]の創立は地元出身の彼の主導による）。千葉工業大学の理事長も勤めた。[[中央学院大学]]設立に当たっては設立後理事長に就任した甥の[[平山善司]]の要請により[[我孫子市]]の土地のとりまとめを行ったのも川島によるものである。また[[日本プロレス]]リング[[コミッショナー]]を始め日本学生[[卓球]]連盟会長、日本[[ボウリング]]協議会総裁、[[日本消防協会]]会長、江戸消防記念会名誉会長、江戸火消防存会会長、[[畠山みどり]]の後援会長など教育、スポーツ、文化、芸能の振興にも尽力し各分野の要職を務めた。[[プロレス]]界には今でも「川島が務めていた頃のコミッショナーはお飾りではなかった」と評価する声がある。1965年に[[勲一等旭日大綬章]]を受章、没した際に[[従二位]]に叙し[[勲一等旭日桐花大綬章]]を追贈された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地元の千葉県では、県議会の長老で戦時中に行動をともにした[[川口爲之助]]を担いで初代民選[[県知事]]に押したてて追放中ながらもその腹心となった。後に[[参議院議員]]も務めた川口からその人脈を引き継いで地元の有力議員として千葉県選出の国会議員や地方議員のまとめ役としても辣腕をふるった。[[松本清]]県議（マツモトキヨシ創業者）の[[松戸市|松戸市長]]擁立を仕掛けたのは川島であると言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
唯一の子供であった正孝（まさたか）を11歳で亡くしているため、派閥および選挙地盤を親族から継ぐものはいなかった。現在の千葉県における政治的基盤は、姉・千代の孫である[[平山秀善]]が受け継いでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治語録 ==&lt;br /&gt;
*「政界一寸先は闇」&lt;br /&gt;
*「要は勝つこと。負けた後に文句を言っても何の解決策にもなりませんよ」（大野下ろしに成功した直後のコメント）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[石川真澄]]『人物戦後政治』（岩波書店・1997年）ISBN 4000233149 &lt;br /&gt;
*[[浅川博忠]]『自民党・ナンバー2の研究』（講談社文庫・2002年）ISBN 4062734990&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[政友会]]&lt;br /&gt;
*[[交友クラブ]]&lt;br /&gt;
*[[椎名悦三郎]]　椎名は[[後藤新平]]の親戚。&lt;br /&gt;
*[[自由民主党副総裁]]&lt;br /&gt;
*[[平山秀善]]&lt;br /&gt;
*'''[[肥後亨]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.acc.senshu-u.ac.jp/koho/ns-web/article/0211/0211-10-01.html ニュース専修ウェブ版　川島正次郎元総長の業績]&lt;br /&gt;
*[http://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/06_ka/kawashima_syoujirou.html 銅像　川島正次郎]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[行政管理庁長官]]|1955&amp;lt;br&amp;gt;1962 - 1963|[[西田隆男]]&amp;lt;br&amp;gt;[[小沢佐重喜]]|[[河野一郎]]&amp;lt;br&amp;gt;[[山村新治郎 (10代目)]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自治庁長官]]|1955|西田隆男|[[太田正孝]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自由民主党幹事長]]|1957 - 1959&amp;lt;br&amp;gt;1959 - 1960|[[三木武夫]]&amp;lt;br&amp;gt;福田赳夫|[[福田赳夫]]&amp;lt;br&amp;gt;[[益谷秀次]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[北海道開発庁長官]]|1962 - 1963|[[小沢佐重喜]]|[[佐藤栄作]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自由民主党副総裁]]|第3代:1964 - 1966&amp;lt;br&amp;gt;第4代:1967 - 1970|[[大野伴睦]]&amp;lt;br&amp;gt;|[[椎名悦三郎]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かわしま しようしろう}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員 (帝国議会)]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の学校法人の理事長]]&lt;br /&gt;
[[Category:プロレスの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内務官僚]]&lt;br /&gt;
[[Category:千葉県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1890年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1970年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

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		<title>大野伴睦</title>
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				<updated>2014-05-25T07:53:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:大野伴睦.jpg|thumb|200px|大野 伴睦]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Infobox 政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おおの ばんぼく&lt;br /&gt;
|画像 = &lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1890年]][[9月20日]]&lt;br /&gt;
|出生地 = [[岐阜県]][[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[美山町 (岐阜県)|美山町]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1964年]][[5月29日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = [[東京都]]&lt;br /&gt;
|出身校 = [[明治大学]][[政治経済学部]]中退&lt;br /&gt;
|前職 = &lt;br /&gt;
|現職 = &lt;br /&gt;
|所属政党 = &lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|世襲の有無 = &lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[大野明]]（四男）、[[大野つや子]]（嫁）、[[大野泰正]]（孫）&lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = &lt;br /&gt;
|サイトタイトル = &lt;br /&gt;
|国旗 = 日本&lt;br /&gt;
|職名 = 第7代[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1954年]][[1月14日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1954年]][[7月27日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = 日本&lt;br /&gt;
|職名2 = 第43代 [[衆議院議長]]&lt;br /&gt;
|就任日2 = [[1952年]][[10月24日]]&lt;br /&gt;
|退任日2 = [[1953年]][[3月14日]]&lt;br /&gt;
|退任理由2 = [[衆議院解散]]による失職&lt;br /&gt;
|元首職2 = [[天皇]]&lt;br /&gt;
|元首2 = [[昭和天皇]]&lt;br /&gt;
|国旗3 = 日本&lt;br /&gt;
|職名3 = 第42代 衆議院議長&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1952年]][[8月26日]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = [[1952年]][[8月28日]]&lt;br /&gt;
|退任理由3 = 衆議院解散による失職&lt;br /&gt;
|元首職3 = &lt;br /&gt;
|元首3 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''大野 伴睦'''（おおの ばんぼく、[[1890年]][[9月20日]] - [[1964年]][[5月29日]]、本名は「伴睦」を「'''ともちか'''」と読む）は[[日本]]の[[政治家]]である。[[岐阜県]][[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[美山町 (岐阜県)|美山町]]（現・[[山県市]]）出身、[[明治大学]][[政治経済学部]]中退。[[立憲政友会]]の院外団に入り東京市会[[議員]]を経て中央政界に入った典型的な[[党人]]政治家。[[衆議院]]議員[[選挙]]に通算13回当選して、[[北海道開発庁長官]]、[[衆議院議長]]や[[自由民主党副総裁]]を歴任した。[[位階|従二位]][[勲一等旭日桐花大綬章]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[運輸省|運輸大臣]]・[[労働省|労働大臣]]を務めた[[大野明]]は伴睦の四男。また、[[大野つや子]]前[[参議院]]議員は明の妻で伴睦の嫁にあたる。岐阜県議会議員の[[大野泰正]]は明・つや子夫妻の次男で伴睦の孫。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Oono Banboku1.jpg|thumb|200px|岐阜羽島駅前にある伴睦夫妻の銅像]]&lt;br /&gt;
*[[1930年]]　[[第17回衆議院議員総選挙]]に岐阜1区から出馬して初当選。政友会鳩山派に属す。&lt;br /&gt;
*[[1939年]]　政友会の分裂に際し、[[鳩山一郎]]とともに正統派（[[久原房之助]]派）に所属。&lt;br /&gt;
*[[1941年]]　[[同交会]]の結成に参加。&lt;br /&gt;
*[[1942年]]　非推薦で[[第21回衆議院議員総選挙|翼賛選挙]]に立候補するが落選。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]　[[自由党 (日本)|日本自由党]]の結成に参加した。&lt;br /&gt;
*[[1946年]]　[[第22回衆議院議員総選挙]]に自由党公認で立候補し当選して国政復帰。幹事長の[[河野一郎]]が公職追放されたのを受け[[吉田茂]]のお目付け役として後任の幹事長就任。&lt;br /&gt;
*[[1948年]]　[[昭電事件]]に連座し起訴される。&lt;br /&gt;
*[[1951年]]　昭電事件の裁判で無罪判決。&lt;br /&gt;
*[[1952年]]　衆議院議長に就任。&lt;br /&gt;
*[[1953年]]　[[第5次吉田内閣]]に[[国務大臣]]・[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]として入閣、次いで自由党総務会長に就任。&lt;br /&gt;
*[[1954年]]　[[三木武吉]]と和解し、[[保守合同]]を進める。&lt;br /&gt;
*[[1955年]]　[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]結成で総裁代行委員に就任。&lt;br /&gt;
*[[1957年]]　初代自民党副総裁に就任。&lt;br /&gt;
*[[1960年]]　[[岸信介]]首相退陣後の総裁選出馬を表明したが直前で断念、党人連合を組み[[石井光次郎]]を支持したが[[池田勇人]]に敗れる。&lt;br /&gt;
*[[1961年]]　池田に接近し再び自民党副総裁に就任。&lt;br /&gt;
*[[1964年]]（昭和39年）5月29日 心筋梗塞により死去。享年73。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
*政界入りは政友会の[[院外団]]と衝突したことで三多摩壮士のドン・[[村野常右衛門]]にスカウトされたのがきっかけである。&lt;br /&gt;
*院外団時代に衝突事件を起こして逮捕された時に[[起訴]]をした[[検事]]・[[小原直]]から法廷で「本当ならば[[死刑|極刑]]に処すべきだ」とまで言われてしまった。ところが第5次吉田内閣で入閣した時に、同じく政治家に転身していた小原も[[法務大臣]]として入閣する事になった。その際、首相の吉田茂に対して冗談交じりに「ここに私を極刑にした方がいいとおっしゃった方がいるのですが同席してもいいのでしょうか?」と訊ねた。&lt;br /&gt;
*旧政友会時代からの鳩山一郎の側近であり吉田茂とは対立関係にあったが、鳩山の追放解除後は[[三木武吉]]、河野らと対立し吉田派に転じた。特に戦前は政友会とは対立関係であった[[立憲民政党]]出身でありながら、戦時中の[[翼賛議会]]以後に急速に鳩山と接近してその無二の腹心となった三木に対しては激しい反発を持っていた。&lt;br /&gt;
*[[林譲治 (政治家)|林譲治]]・[[益谷秀次]]とともに「党人御三家」と呼ばれた。&lt;br /&gt;
*1952年[[8月26日]]に衆議院議長に就任したが、わずか2日後に[[抜き打ち解散]]が行われてわずか3日で議長職を失う。10月の議長選挙で再選されたものの、今度は5ヵ月後に[[バカヤロー解散]]が行われた。&lt;br /&gt;
*岸内閣時代に当時の岸首相から[[大野派]]を主流派として内閣に協力させることの見返りに後継総裁の念書をもらったが反古にされた（この密約自体は孫である[[安倍晋三]]が「祖父から直接聞いた」とテレビ等で発言しており、その際に岸は「政治家は目的のためになら嘘をついてもかまわない」と語ったという）。この事を岸は「[[床の間]]に[[肥溜め]]をおけるわけがない」と言い放ったという（コメントに関しては俗説との意見もあり）。この出来事がきっかけ大野は終生岸のみならず弟の[[佐藤栄作]]にまで強い反感を抱くようになり｢俺の目が黒いうちは佐藤は総裁にさせない。」とうそぶくほどであった。（ただし佐藤に対しては、もともと佐藤が当選前に官房長官についたころから態度がでかい官僚だとして毛嫌いしていた。）また岸が首相辞任直後に右翼に襲撃され負傷した際には「ざまあみやがれあの[[法螺吹き]]が。」と発言したという説もある&lt;br /&gt;
*「'''伴ちゃん'''」の愛称で親しまれ「'''政治は義理と人情だ'''」「'''猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ'''」等の名言を残した。政治に限らず義理と人情に関してのエピソードについて、自分の選挙区とは関係もないある老婦人から「家の近くの[[溝渠|ドブ]]板に整備を役所に頼んでも一向にやってもらえない」と訪ねてきた。伴睦が早速役所に電話すると今まで老婦人の声を聞き入れもしなかった担当課長が菓子折りを持ってきて謝罪し、すぐに作業が始まった。他にも伴睦が在宅の際、自宅に泥棒が入ってきて外遊のために用意していた金を渡し、「今これだけしかないがもっといるのか?」と聞いた。泥棒は伴睦の思いもよらない対応に呑まれ、逆に「これから一生懸命働いて、必ずこのお金をお返しに行きます」とまで言わしめた。また、事務所に全く見知らぬ青年が駆け込んできて「お金を貸してください」と言ってきたとき、伴睦は全く疑いもせず快くお金を貸したこともあった。以上のような態度・対応をとったのは、政治家のところに泥棒に入ったり金を借りにくるのはよほど困ったことがあったのだから、できるだけのことをしてやろうという考え方があったではないかといわれている。&lt;br /&gt;
*[[犬養健]]の吉田自由党入りを拒否する姿勢を見せるなど、犬養のことを相当嫌っていた。しかしその後、[[造船疑獄]]による指揮権発動で犬養一人だけが責任を取らされると、犬養に同情して急速にその仲が接近した。犬養を大野派に客分格として迎え、再び入閣させて犬養の名誉回復を図ろうと苦心したと言われる。大野の人情に厚いエピソードである。&lt;br /&gt;
*地元岐阜県に[[東海道新幹線]][[岐阜羽島駅]]を誘致したとされ、政治駅と騒がれた（[[鉄道と政治]]も参照）。[[2008年]]現在も岐阜羽島駅前には大野夫妻の銅像が立つ。[[産経新聞]]の「[[戦後史開封]]」によると、岐阜県は[[岐阜市]]または[[大垣市]]への新幹線駅設置を要望するが、その場合、新幹線路線を大幅に迂回しなくてはならないため、建設予算や[[名古屋駅]]以西の所要時間が延びる関係上、国鉄は難色を示した。これに地元は激しく反発し、一時国鉄は岐阜県内での測量ができない状態になった。この為国鉄が大野に斡旋を依頼し、結局新幹線路線を迂回させること無く岐阜羽島駅の設置となったらしい。なお、国鉄樽見線（現在の[[樽見鉄道樽見線]]）の建設にも関わり、セメント工場を誘致したのも彼の働きかけだということは意外に知られていない。&lt;br /&gt;
*[[国道293号]]の[[国道]]指定に尽力したため、この道の[[栃木県|栃木]] - [[茨城県|茨城]]県境の[[峠]]は「伴睦峠」と名付けられている。&lt;br /&gt;
*[[渡邉恒雄]]は政治記者時代、彼の番記者だった。渡邉が来ると、常に人払いをするほど親密だった。&lt;br /&gt;
*酒豪として知られ「酒は飲む以上わけがわからなくなるまで飲むべきだ」という名言がある。&lt;br /&gt;
*[[俳人の一覧|俳人]]としても有名で、'''万木'''（'''ばんぼく'''）の俳号で多くの[[俳句]]を残した。そのうちの一部は句碑になっている。&lt;br /&gt;
*総裁・総裁になれなかったことについて、自民党内からは「肥え桶は床の間に置けないから」という評があった。&lt;br /&gt;
*[[力道山]]を可愛がり、[[プロレス]]の[[コミッショナー]]を務めていたことでも知られている。力道山も伴睦を非常によく慕っており、伴睦から「酒を控えろ」と言われた際には（粗暴な性格だった本人も）素直に控えたという。&lt;br /&gt;
*[[キリスト教]]団体[[美濃ミッション]]排撃運動を推進し「市民は合法的に、実力で美濃ミッションを閉鎖せよ」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政治語録==&lt;br /&gt;
*「'''政治は義理と人情だ'''」&lt;br /&gt;
*「'''猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ'''」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大野伴睦関連の映画・オリジナルビデオ ==&lt;br /&gt;
*『[[日本の首領|やくざ戦争　日本の首領]]』（[[1977年]]、[[東映]]）、小野伴水のモデルは、大野伴睦。小野伴水役は、[[神田隆]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[岐阜羽島駅]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院議長]]&lt;br /&gt;
*[[立憲政友会]]&lt;br /&gt;
*[[益谷秀次]]&lt;br /&gt;
*[[林譲治 (政治家)]]&lt;br /&gt;
*[[明治大学の人物一覧]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党副総裁]]&lt;br /&gt;
*[[池上本門寺]]･･･大野の墓所がある。また彼と親交の深い者の墓所も多数あり、色々な意味で興味を惹かれる。&lt;br /&gt;
*[[船田中]]&lt;br /&gt;
*[[村上勇]]&lt;br /&gt;
*[[上草義輝]]･･･元秘書&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.library.pref.gifu.jp/map/fudoki/htm/215/443013.htm 岐阜県の情報　マルチメディア　平成の風土記　岐阜　大野伴睦]&lt;br /&gt;
*[http://www.library.pref.gifu.jp/map/fudoki/htm/215/44301301.htm 大野伴睦の画像]&lt;br /&gt;
*[http://oniheru.fc2web.com/douzou/oono_banboku.htm 大野伴睦夫妻の銅像]&lt;br /&gt;
*[http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/05-36.html 日本の墓　大野伴睦]&lt;br /&gt;
*[http://www.mirai.ne.jp/~ja2bog/gbs-enkaku/oono.htm 大野伴睦の経歴]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[衆議院議長]]|第42・43代: 1952 - 1953|[[林譲治 (政治家)|林譲治]]|[[堤康次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[北海道開発庁長官]]|第7代: 1954|[[戸塚九一郎]]|[[緒方竹虎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自由民主党副総裁]]|初代:1957 - 1959&amp;lt;br&amp;gt;第2代:1961 - 1964|初代&amp;lt;br&amp;gt;|[[川島正次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおのはんほく}}&lt;br /&gt;
[[Category:1890年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:岐阜県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の衆議院議員 (1890-1947)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の衆議院議員(1947-)]]&lt;br /&gt;
[[Category:俳人]]&lt;br /&gt;
[[Category:馬主]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>大野伴睦</title>
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				<updated>2014-05-25T07:53:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[画像:大野伴睦.jpg|thumb|200px|大野 伴睦]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = おおの ばんぼく&lt;br /&gt;
|画像 = &lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1890年]][[9月20日]]&lt;br /&gt;
|出生地 = [[岐阜県]][[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[美山町 (岐阜県)|美山町]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1964年]][[5月29日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = [[東京都]]&lt;br /&gt;
|出身校 = [[明治大学]][[政治経済学部]]中退&lt;br /&gt;
|前職 = &lt;br /&gt;
|現職 = &lt;br /&gt;
|所属政党 = &lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|世襲の有無 = &lt;br /&gt;
|親族（政治家） = [[大野明]]（四男）、[[大野つや子]]（嫁）、[[大野泰正]]（孫）&lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = &lt;br /&gt;
|サイトタイトル = &lt;br /&gt;
|国旗 = 日本&lt;br /&gt;
|職名 = 第7代[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]&lt;br /&gt;
|就任日 = [[1954年]][[1月14日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[1954年]][[7月27日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = 日本&lt;br /&gt;
|職名2 = 第43代 [[衆議院議長]]&lt;br /&gt;
|就任日2 = [[1952年]][[10月24日]]&lt;br /&gt;
|退任日2 = [[1953年]][[3月14日]]&lt;br /&gt;
|退任理由2 = [[衆議院解散]]による失職&lt;br /&gt;
|元首職2 = [[天皇]]&lt;br /&gt;
|元首2 = [[昭和天皇]]&lt;br /&gt;
|国旗3 = 日本&lt;br /&gt;
|職名3 = 第42代 衆議院議長&lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1952年]][[8月26日]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = [[1952年]][[8月28日]]&lt;br /&gt;
|退任理由3 = 衆議院解散による失職&lt;br /&gt;
|元首職3 = &lt;br /&gt;
|元首3 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''大野 伴睦'''（おおの ばんぼく、[[1890年]][[9月20日]] - [[1964年]][[5月29日]]、本名は「伴睦」を「'''ともちか'''」と読む）は[[日本]]の[[政治家]]である。[[岐阜県]][[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[美山町 (岐阜県)|美山町]]（現・[[山県市]]）出身、[[明治大学]][[政治経済学部]]中退。[[立憲政友会]]の院外団に入り東京市会[[議員]]を経て中央政界に入った典型的な[[党人]]政治家。[[衆議院]]議員[[選挙]]に通算13回当選して、[[北海道開発庁長官]]、[[衆議院議長]]や[[自由民主党副総裁]]を歴任した。[[位階|従二位]][[勲一等旭日桐花大綬章]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[運輸省|運輸大臣]]・[[労働省|労働大臣]]を務めた[[大野明]]は伴睦の四男。また、[[大野つや子]]前[[参議院]]議員は明の妻で伴睦の嫁にあたる。岐阜県議会議員の[[大野泰正]]は明・つや子夫妻の次男で伴睦の孫。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Oono Banboku1.jpg|thumb|200px|岐阜羽島駅前にある伴睦夫妻の銅像]]&lt;br /&gt;
*[[1930年]]　[[第17回衆議院議員総選挙]]に岐阜1区から出馬して初当選。政友会鳩山派に属す。&lt;br /&gt;
*[[1939年]]　政友会の分裂に際し、[[鳩山一郎]]とともに正統派（[[久原房之助]]派）に所属。&lt;br /&gt;
*[[1941年]]　[[同交会]]の結成に参加。&lt;br /&gt;
*[[1942年]]　非推薦で[[第21回衆議院議員総選挙|翼賛選挙]]に立候補するが落選。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]　[[自由党 (日本)|日本自由党]]の結成に参加した。&lt;br /&gt;
*[[1946年]]　[[第22回衆議院議員総選挙]]に自由党公認で立候補し当選して国政復帰。幹事長の[[河野一郎]]が公職追放されたのを受け[[吉田茂]]のお目付け役として後任の幹事長就任。&lt;br /&gt;
*[[1948年]]　[[昭電事件]]に連座し起訴される。&lt;br /&gt;
*[[1951年]]　昭電事件の裁判で無罪判決。&lt;br /&gt;
*[[1952年]]　衆議院議長に就任。&lt;br /&gt;
*[[1953年]]　[[第5次吉田内閣]]に[[国務大臣]]・[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]として入閣、次いで自由党総務会長に就任。&lt;br /&gt;
*[[1954年]]　[[三木武吉]]と和解し、[[保守合同]]を進める。&lt;br /&gt;
*[[1955年]]　[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]結成で総裁代行委員に就任。&lt;br /&gt;
*[[1957年]]　初代自民党副総裁に就任。&lt;br /&gt;
*[[1960年]]　[[岸信介]]首相退陣後の総裁選出馬を表明したが直前で断念、党人連合を組み[[石井光次郎]]を支持したが[[池田勇人]]に敗れる。&lt;br /&gt;
*[[1961年]]　池田に接近し再び自民党副総裁に就任。&lt;br /&gt;
*[[1964年]]（昭和39年）5月29日 心筋梗塞により死去。享年73。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
*政界入りは政友会の[[院外団]]と衝突したことで三多摩壮士のドン・[[村野常右衛門]]にスカウトされたのがきっかけである。&lt;br /&gt;
*院外団時代に衝突事件を起こして逮捕された時に[[起訴]]をした[[検事]]・[[小原直]]から法廷で「本当ならば[[死刑|極刑]]に処すべきだ」とまで言われてしまった。ところが第5次吉田内閣で入閣した時に、同じく政治家に転身していた小原も[[法務大臣]]として入閣する事になった。その際、首相の吉田茂に対して冗談交じりに「ここに私を極刑にした方がいいとおっしゃった方がいるのですが同席してもいいのでしょうか?」と訊ねた。&lt;br /&gt;
*旧政友会時代からの鳩山一郎の側近であり吉田茂とは対立関係にあったが、鳩山の追放解除後は[[三木武吉]]、河野らと対立し吉田派に転じた。特に戦前は政友会とは対立関係であった[[立憲民政党]]出身でありながら、戦時中の[[翼賛議会]]以後に急速に鳩山と接近してその無二の腹心となった三木に対しては激しい反発を持っていた。&lt;br /&gt;
*[[林譲治 (政治家)|林譲治]]・[[益谷秀次]]とともに「党人御三家」と呼ばれた。&lt;br /&gt;
*1952年[[8月26日]]に衆議院議長に就任したが、わずか2日後に[[抜き打ち解散]]が行われてわずか3日で議長職を失う。10月の議長選挙で再選されたものの、今度は5ヵ月後に[[バカヤロー解散]]が行われた。&lt;br /&gt;
*岸内閣時代に当時の岸首相から[[大野派]]を主流派として内閣に協力させることの見返りに後継総裁の念書をもらったが反古にされた（この密約自体は孫である[[安倍晋三]]が「祖父から直接聞いた」とテレビ等で発言しており、その際に岸は「政治家は目的のためになら嘘をついてもかまわない」と語ったという）。この事を岸は「[[床の間]]に[[肥溜め]]をおけるわけがない」と言い放ったという（コメントに関しては俗説との意見もあり）。この出来事がきっかけ大野は終生岸のみならず弟の[[佐藤栄作]]にまで強い反感を抱くようになり｢俺の目が黒いうちは佐藤は総裁にさせない。」とうそぶくほどであった。（ただし佐藤に対しては、もともと佐藤が当選前に官房長官についたころから態度がでかい官僚だとして毛嫌いしていた。）また岸が首相辞任直後に右翼に襲撃され負傷した際には「ざまあみやがれあの[[法螺吹き]]が。」と発言したという説もある&lt;br /&gt;
*「'''伴ちゃん'''」の愛称で親しまれ「'''政治は義理と人情だ'''」「'''猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ'''」等の名言を残した。政治に限らず義理と人情に関してのエピソードについて、自分の選挙区とは関係もないある老婦人から「家の近くの[[溝渠|ドブ]]板に整備を役所に頼んでも一向にやってもらえない」と訪ねてきた。伴睦が早速役所に電話すると今まで老婦人の声を聞き入れもしなかった担当課長が菓子折りを持ってきて謝罪し、すぐに作業が始まった。他にも伴睦が在宅の際、自宅に泥棒が入ってきて外遊のために用意していた金を渡し、「今これだけしかないがもっといるのか?」と聞いた。泥棒は伴睦の思いもよらない対応に呑まれ、逆に「これから一生懸命働いて、必ずこのお金をお返しに行きます」とまで言わしめた。また、事務所に全く見知らぬ青年が駆け込んできて「お金を貸してください」と言ってきたとき、伴睦は全く疑いもせず快くお金を貸したこともあった。以上のような態度・対応をとったのは、政治家のところに泥棒に入ったり金を借りにくるのはよほど困ったことがあったのだから、できるだけのことをしてやろうという考え方があったではないかといわれている。&lt;br /&gt;
*[[犬養健]]の吉田自由党入りを拒否する姿勢を見せるなど、犬養のことを相当嫌っていた。しかしその後、[[造船疑獄]]による指揮権発動で犬養一人だけが責任を取らされると、犬養に同情して急速にその仲が接近した。犬養を大野派に客分格として迎え、再び入閣させて犬養の名誉回復を図ろうと苦心したと言われる。大野の人情に厚いエピソードである。&lt;br /&gt;
*地元岐阜県に[[東海道新幹線]][[岐阜羽島駅]]を誘致したとされ、政治駅と騒がれた（[[鉄道と政治]]も参照）。[[2008年]]現在も岐阜羽島駅前には大野夫妻の銅像が立つ。[[産経新聞]]の「[[戦後史開封]]」によると、岐阜県は[[岐阜市]]または[[大垣市]]への新幹線駅設置を要望するが、その場合、新幹線路線を大幅に迂回しなくてはならないため、建設予算や[[名古屋駅]]以西の所要時間が延びる関係上、国鉄は難色を示した。これに地元は激しく反発し、一時国鉄は岐阜県内での測量ができない状態になった。この為国鉄が大野に斡旋を依頼し、結局新幹線路線を迂回させること無く岐阜羽島駅の設置となったらしい。なお、国鉄樽見線（現在の[[樽見鉄道樽見線]]）の建設にも関わり、セメント工場を誘致したのも彼の働きかけだということは意外に知られていない。&lt;br /&gt;
*[[国道293号]]の[[国道]]指定に尽力したため、この道の[[栃木県|栃木]] - [[茨城県|茨城]]県境の[[峠]]は「伴睦峠」と名付けられている。&lt;br /&gt;
*[[渡邉恒雄]]は政治記者時代、彼の番記者だった。渡邉が来ると、常に人払いをするほど親密だった。&lt;br /&gt;
*酒豪として知られ「酒は飲む以上わけがわからなくなるまで飲むべきだ」という名言がある。&lt;br /&gt;
*[[俳人の一覧|俳人]]としても有名で、'''万木'''（'''ばんぼく'''）の俳号で多くの[[俳句]]を残した。そのうちの一部は句碑になっている。&lt;br /&gt;
*総裁・総裁になれなかったことについて、自民党内からは「肥え桶は床の間に置けないから」という評があった。&lt;br /&gt;
*[[力道山]]を可愛がり、[[プロレス]]の[[コミッショナー]]を務めていたことでも知られている。力道山も伴睦を非常によく慕っており、伴睦から「酒を控えろ」と言われた際には（粗暴な性格だった本人も）素直に控えたという。&lt;br /&gt;
*[[キリスト教]]団体[[美濃ミッション]]排撃運動を推進し「市民は合法的に、実力で美濃ミッションを閉鎖せよ」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政治語録==&lt;br /&gt;
*「'''政治は義理と人情だ'''」&lt;br /&gt;
*「'''猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ'''」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大野伴睦関連の映画・オリジナルビデオ ==&lt;br /&gt;
*『[[日本の首領|やくざ戦争　日本の首領]]』（[[1977年]]、[[東映]]）、小野伴水のモデルは、大野伴睦。小野伴水役は、[[神田隆]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[岐阜羽島駅]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院議長]]&lt;br /&gt;
*[[立憲政友会]]&lt;br /&gt;
*[[益谷秀次]]&lt;br /&gt;
*[[林譲治 (政治家)]]&lt;br /&gt;
*[[明治大学の人物一覧]]&lt;br /&gt;
*[[自由民主党副総裁]]&lt;br /&gt;
*[[池上本門寺]]･･･大野の墓所がある。また彼と親交の深い者の墓所も多数あり、色々な意味で興味を惹かれる。&lt;br /&gt;
*[[船田中]]&lt;br /&gt;
*[[村上勇]]&lt;br /&gt;
*[[上草義輝]]･･･元秘書&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.library.pref.gifu.jp/map/fudoki/htm/215/443013.htm 岐阜県の情報　マルチメディア　平成の風土記　岐阜　大野伴睦]&lt;br /&gt;
*[http://www.library.pref.gifu.jp/map/fudoki/htm/215/44301301.htm 大野伴睦の画像]&lt;br /&gt;
*[http://oniheru.fc2web.com/douzou/oono_banboku.htm 大野伴睦夫妻の銅像]&lt;br /&gt;
*[http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/05-36.html 日本の墓　大野伴睦]&lt;br /&gt;
*[http://www.mirai.ne.jp/~ja2bog/gbs-enkaku/oono.htm 大野伴睦の経歴]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[衆議院議長]]|第42・43代: 1952 - 1953|[[林譲治 (政治家)|林譲治]]|[[堤康次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[北海道開発庁長官]]|第7代: 1954|[[戸塚九一郎]]|[[緒方竹虎]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[自由民主党副総裁]]|初代:1957 - 1959&amp;lt;br&amp;gt;第2代:1961 - 1964|初代&amp;lt;br&amp;gt;|[[川島正次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおのはんほく}}&lt;br /&gt;
[[Category:1890年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:岐阜県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の衆議院議員 (1890-1947)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の衆議院議員(1947-)]]&lt;br /&gt;
[[Category:俳人]]&lt;br /&gt;
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		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

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		<id>http://75.2.66.110/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%A4%A7%E5%AD%A6&amp;diff=229186</id>
		<title>早稲田大学</title>
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				<updated>2014-05-25T07:46:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''早稲田大学'''（わせだだいがく、英称：Waseda University）は、[[日本]]の[[私立大学]]である。[[慶應義塾大学]]とともに「私学の両雄」と称される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
明治14年の政変で下野した[[大隈重信]]によって明治15年に創立された東京専門学校を前身とする日本屈指の名門大学である。&lt;br /&gt;
本部は[[東京都]][[新宿区]]戸塚町一丁目104番地に所在する。大学の略称は早大（そうだい）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文学界には、文学学術院(第一文学部、第二文学部、文学部、文化構想学部)の出身者が[[芥川賞]]、[[直木賞]]、[[三島由紀夫賞]]、[[山本周五郎賞]]を数多く受賞者をだしている。大手[[ゼネコン]]と呼ばれる建築界には、理工学部建築学科の卒業生が会長、代表取締役社長、取締役副社長、専務取締役、常務取締役取締役、取締役など、多くの卒業生が一大学閥を構成し、[[東京大学]]工学部建築学科、[[日本大学]]理工学部建築学科と共に三大学閥と呼ばれる。政界では、[[石橋湛山]]、[[竹下登]]、[[海部俊樹]]、[[小渕恵三]]、[[森喜朗]]、[[福田康夫]]、[[野田佳彦]]などの[[内閣総理大臣]]を輩出している。[[緒方竹虎]]元副総理、自由民主党をつくった[[三木武吉]]、河野派を率い[[副総理]]格国務大臣(無任所)、[[建設大臣]]、[[農林大臣]]をつとめた[[河野一郎]]、[[衆議院議長]]をつとめた[[堤康次郎]]、[[参議院議長]]をつとめた[[河野謙三]]、[[西岡武夫]]などがいる。マスコミにも人材が多く、新聞社、テレビ局、ラジオ局、出版社にも多くの卒業生が学閥を形成している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所在地 ==&lt;br /&gt;
* 西早稲田（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 戸山（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 大久保（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 喜久井町（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 所沢（[[埼玉県]][[所沢市]]）&lt;br /&gt;
* 本庄（埼玉県[[本庄市]]）&lt;br /&gt;
* 北九州（[[福岡県]][[北九州市]]）&lt;br /&gt;
* 東伏見（東京都[[西東京市]]）&lt;br /&gt;
* 日本橋（東京都[[中央区 (東京都) |中央区]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教育および研究 ==&lt;br /&gt;
=== 学術院 ===&lt;br /&gt;
* 政治経済学術院&lt;br /&gt;
** [[政治経済学部]]&lt;br /&gt;
*** 政治学科&lt;br /&gt;
*** 経済学科&lt;br /&gt;
*** 国際政治経済学科&lt;br /&gt;
** [[政治学研究科]]&lt;br /&gt;
** [[経済学研究科]]&lt;br /&gt;
** [[公共経営研究科]]&lt;br /&gt;
* 法学学術院&lt;br /&gt;
** [[法学部]]&lt;br /&gt;
** [[法学研究科]]&lt;br /&gt;
* 文学学術院&lt;br /&gt;
** [[文学部]]&lt;br /&gt;
*** 文学科&lt;br /&gt;
** [[文化構想学部]]&lt;br /&gt;
*** 文化構想学科&lt;br /&gt;
** [[文学研究科]]&lt;br /&gt;
* 教育・総合科学学術院&lt;br /&gt;
** [[教育学部]]&lt;br /&gt;
*** 教育学科&lt;br /&gt;
*** 国語国文学科&lt;br /&gt;
*** 英語英文学科&lt;br /&gt;
*** 社会科&lt;br /&gt;
*** 理学科&lt;br /&gt;
*** 数学科&lt;br /&gt;
*** 複合文化学科&lt;br /&gt;
** [[教育学研究科]]&lt;br /&gt;
* 商学学術院&lt;br /&gt;
** [[商学部]]&lt;br /&gt;
** [[商学研究科]]&lt;br /&gt;
*** 商学専攻&lt;br /&gt;
*** ビジネス専攻 &lt;br /&gt;
** [[ファイナンス研究科]]&lt;br /&gt;
** [[会計研究科]]&lt;br /&gt;
* 理工学術院&lt;br /&gt;
** 基幹理工学部&lt;br /&gt;
*** 数学科&lt;br /&gt;
*** 応用数理学科&lt;br /&gt;
*** 情報理工学科&lt;br /&gt;
*** 機械科学・航空学科&lt;br /&gt;
*** 電子光システム学科&lt;br /&gt;
*** 表現工学科&lt;br /&gt;
** 創造理工学部&lt;br /&gt;
*** 建築学科&lt;br /&gt;
*** 総合機械工学科&lt;br /&gt;
*** 経営システム工学科&lt;br /&gt;
*** 社会環境工学科&lt;br /&gt;
*** 環境資源工学科&lt;br /&gt;
*** 知財・産業社会政策領域&lt;br /&gt;
*** 国際文化領域&lt;br /&gt;
** 先進理工学部&lt;br /&gt;
*** 物理学科/物理学及応用物理学専攻&lt;br /&gt;
*** 応用物理学科&lt;br /&gt;
*** 化学・生命化学科&lt;br /&gt;
*** 応用化学科&lt;br /&gt;
*** 生命医科学科&lt;br /&gt;
*** 電気・情報生命工学科&lt;br /&gt;
** 基幹理工学研究科&lt;br /&gt;
** 創造理工学研究科&lt;br /&gt;
** 先進理工学研究科&lt;br /&gt;
* 社会科学総合学術院&lt;br /&gt;
** [[社会科学部]]&lt;br /&gt;
** [[社会科学研究科]]&lt;br /&gt;
* 人間科学学術院&lt;br /&gt;
** [[人間科学部]]&lt;br /&gt;
*** 人間環境科学科&lt;br /&gt;
*** 健康福祉科学科&lt;br /&gt;
*** 人間情報科学科&lt;br /&gt;
*** 通信教育課程&lt;br /&gt;
** [[人間科学研究科]]&lt;br /&gt;
* スポーツ科学学術院&lt;br /&gt;
** [[スポーツ科学部]]&lt;br /&gt;
*** スポーツ文化学科&lt;br /&gt;
*** スポーツ医科学科&lt;br /&gt;
** [[スポーツ科学研究科]]&lt;br /&gt;
* 国際教養学術院&lt;br /&gt;
** [[国際教養学部]]&lt;br /&gt;
* 独立研究科（学術院非所属）&lt;br /&gt;
** [[アジア太平洋研究科]]&lt;br /&gt;
*** 国際関係学専攻&lt;br /&gt;
** [[国際情報通信研究科]]（GITS）&lt;br /&gt;
** [[日本語教育研究科]]&lt;br /&gt;
** [[情報生産システム研究科]]&lt;br /&gt;
** 法務研究科（[[法科大学院]]）&lt;br /&gt;
** 環境・エネルギー研究科&lt;br /&gt;
** [[技術経営大学院]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 系列校 ===&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田実業学校]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田高等学校]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人渋谷教育学園]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田大阪学園]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田摂陵中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人大隈記念早稲田佐賀学園]] &lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田佐賀中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 附属学校 ==&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学芸術学校]]&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学川口芸術学校]]（閉校）&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学高等学院・中学部]]&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学本庄高等学院]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[シカゴ大学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公式サイト ==&lt;br /&gt;
*[http://www.waseda.ac.jp/ 早稲田大学]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:わせたたいかく}}&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の私立大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:早稲田大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:売国奴]]&lt;br /&gt;
[[Category:電通]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>早稲田大学</title>
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				<updated>2014-05-25T07:45:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: /* アメフト部員50人がのぞき、飲酒強要…(2012年9月) */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''早稲田大学'''（わせだだいがく、英称：Waseda University）は、[[日本]]の[[私立大学]]である。[[慶應義塾大学]]とともに「私学の両雄」と称される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
明治14年の政変で下野した[[大隈重信]]によって明治15年に創立された東京専門学校を前身とする日本屈指の名門大学である。&lt;br /&gt;
本部は[[東京都]][[新宿区]]戸塚町一丁目104番地に所在する。大学の略称は早大（そうだい）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文学界には、文学学術院(第一文学部、第二文学部、文学部、文化構想学部)の出身者が[[芥川賞]]、[[直木賞]]、[[三島由紀夫賞]]、[[山本周五郎賞]]を数多く受賞者をだしている。大手[[ゼネコン]]と呼ばれる建築界には、理工学部建築学科の卒業生が会長、代表取締役社長、取締役副社長、専務取締役、常務取締役取締役、取締役など、多くの卒業生が一大学閥を構成し、[[東京大学]]工学部建築学科、[[日本大学]]理工学部建築学科と共に三大学閥と呼ばれる。政界では、[[石橋湛山]]、[[竹下登]]、[[海部俊樹]]、[[小渕恵三]]、[[森喜朗]]、[[福田康夫]]、[[野田佳彦]]などの[[内閣総理大臣]]を輩出している。[[緒方竹虎]]元副総理、自由民主党をつくった[[三木武吉]]、河野派を率い[[副総理]]格国務大臣(無任所)、[[建設大臣]]、[[農林大臣]]をつとめた[[河野一郎]]、[[衆議院議長]]をつとめた[[堤康次郎]]、[[参議院議長]]をつとめた[[河野謙三]]、[[西岡武夫]]などがいる。マスコミにも人材が多く、新聞社、テレビ局、ラジオ局、出版社にも多くの卒業生が学閥を形成している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所在地 ==&lt;br /&gt;
* 西早稲田（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 戸山（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 大久保（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 喜久井町（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 所沢（[[埼玉県]][[所沢市]]）&lt;br /&gt;
* 本庄（埼玉県[[本庄市]]）&lt;br /&gt;
* 北九州（[[福岡県]][[北九州市]]）&lt;br /&gt;
* 東伏見（東京都[[西東京市]]）&lt;br /&gt;
* 日本橋（東京都[[中央区 (東京都) |中央区]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教育および研究 ==&lt;br /&gt;
=== 学術院 ===&lt;br /&gt;
* 政治経済学術院&lt;br /&gt;
** [[政治経済学部]]&lt;br /&gt;
*** 政治学科&lt;br /&gt;
*** 経済学科&lt;br /&gt;
*** 国際政治経済学科&lt;br /&gt;
** [[政治学研究科]]&lt;br /&gt;
** [[経済学研究科]]&lt;br /&gt;
** [[公共経営研究科]]&lt;br /&gt;
* 法学学術院&lt;br /&gt;
** [[法学部]]&lt;br /&gt;
** [[法学研究科]]&lt;br /&gt;
* 文学学術院&lt;br /&gt;
** [[文学部]]&lt;br /&gt;
*** 文学科&lt;br /&gt;
** [[文化構想学部]]&lt;br /&gt;
*** 文化構想学科&lt;br /&gt;
** [[文学研究科]]&lt;br /&gt;
* 教育・総合科学学術院&lt;br /&gt;
** [[教育学部]]&lt;br /&gt;
*** 教育学科&lt;br /&gt;
*** 国語国文学科&lt;br /&gt;
*** 英語英文学科&lt;br /&gt;
*** 社会科&lt;br /&gt;
*** 理学科&lt;br /&gt;
*** 数学科&lt;br /&gt;
*** 複合文化学科&lt;br /&gt;
** [[教育学研究科]]&lt;br /&gt;
* 商学学術院&lt;br /&gt;
** [[商学部]]&lt;br /&gt;
** [[商学研究科]]&lt;br /&gt;
*** 商学専攻&lt;br /&gt;
*** ビジネス専攻 &lt;br /&gt;
** [[ファイナンス研究科]]&lt;br /&gt;
** [[会計研究科]]&lt;br /&gt;
* 理工学術院&lt;br /&gt;
** 基幹理工学部&lt;br /&gt;
*** 数学科&lt;br /&gt;
*** 応用数理学科&lt;br /&gt;
*** 情報理工学科&lt;br /&gt;
*** 機械科学・航空学科&lt;br /&gt;
*** 電子光システム学科&lt;br /&gt;
*** 表現工学科&lt;br /&gt;
** 創造理工学部&lt;br /&gt;
*** 建築学科&lt;br /&gt;
*** 総合機械工学科&lt;br /&gt;
*** 経営システム工学科&lt;br /&gt;
*** 社会環境工学科&lt;br /&gt;
*** 環境資源工学科&lt;br /&gt;
*** 知財・産業社会政策領域&lt;br /&gt;
*** 国際文化領域&lt;br /&gt;
** 先進理工学部&lt;br /&gt;
*** 物理学科/物理学及応用物理学専攻&lt;br /&gt;
*** 応用物理学科&lt;br /&gt;
*** 化学・生命化学科&lt;br /&gt;
*** 応用化学科&lt;br /&gt;
*** 生命医科学科&lt;br /&gt;
*** 電気・情報生命工学科&lt;br /&gt;
** 基幹理工学研究科&lt;br /&gt;
** 創造理工学研究科&lt;br /&gt;
** 先進理工学研究科&lt;br /&gt;
* 社会科学総合学術院&lt;br /&gt;
** [[社会科学部]]&lt;br /&gt;
** [[社会科学研究科]]&lt;br /&gt;
* 人間科学学術院&lt;br /&gt;
** [[人間科学部]]&lt;br /&gt;
*** 人間環境科学科&lt;br /&gt;
*** 健康福祉科学科&lt;br /&gt;
*** 人間情報科学科&lt;br /&gt;
*** 通信教育課程&lt;br /&gt;
** [[人間科学研究科]]&lt;br /&gt;
* スポーツ科学学術院&lt;br /&gt;
** [[スポーツ科学部]]&lt;br /&gt;
*** スポーツ文化学科&lt;br /&gt;
*** スポーツ医科学科&lt;br /&gt;
** [[スポーツ科学研究科]]&lt;br /&gt;
* 国際教養学術院&lt;br /&gt;
** [[国際教養学部]]&lt;br /&gt;
* 独立研究科（学術院非所属）&lt;br /&gt;
** [[アジア太平洋研究科]]&lt;br /&gt;
*** 国際関係学専攻&lt;br /&gt;
** [[国際情報通信研究科]]（GITS）&lt;br /&gt;
** [[日本語教育研究科]]&lt;br /&gt;
** [[情報生産システム研究科]]&lt;br /&gt;
** 法務研究科（[[法科大学院]]）&lt;br /&gt;
** 環境・エネルギー研究科&lt;br /&gt;
** [[技術経営大学院]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 系列校 ===&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田実業学校]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田高等学校]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人渋谷教育学園]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田大阪学園]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田摂陵中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人大隈記念早稲田佐賀学園]] &lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田佐賀中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 附属学校 ==&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学芸術学校]]&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学川口芸術学校]]（閉校）&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学高等学院・中学部]]&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学本庄高等学院]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[スーパーフリー]]&lt;br /&gt;
*[[電通]]&lt;br /&gt;
*[[フジテレビジョン|フジテレビ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公式サイト ==&lt;br /&gt;
*[http://www.waseda.ac.jp/ 早稲田大学]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:わせたたいかく}}&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の私立大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:早稲田大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:売国奴]]&lt;br /&gt;
[[Category:電通]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

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				<updated>2014-05-25T07:43:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''早稲田大学'''（わせだだいがく、英称：Waseda University）は、[[日本]]の[[私立大学]]である。[[慶應義塾大学]]とともに「私学の両雄」と称される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
明治14年の政変で下野した[[大隈重信]]によって明治15年に創立された東京専門学校を前身とする日本屈指の名門大学である。&lt;br /&gt;
本部は[[東京都]][[新宿区]]戸塚町一丁目104番地に所在する。大学の略称は早大（そうだい）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文学界には、文学学術院(第一文学部、第二文学部、文学部、文化構想学部)の出身者が[[芥川賞]]、[[直木賞]]、[[三島由紀夫賞]]、[[山本周五郎賞]]を数多く受賞者をだしている。大手[[ゼネコン]]と呼ばれる建築界には、理工学部建築学科の卒業生が会長、代表取締役社長、取締役副社長、専務取締役、常務取締役取締役、取締役など、多くの卒業生が一大学閥を構成し、[[東京大学]]工学部建築学科、[[日本大学]]理工学部建築学科と共に三大学閥と呼ばれる。政界では、[[石橋湛山]]、[[竹下登]]、[[海部俊樹]]、[[小渕恵三]]、[[森喜朗]]、[[福田康夫]]、[[野田佳彦]]などの[[内閣総理大臣]]を輩出している。[[緒方竹虎]]元副総理、自由民主党をつくった[[三木武吉]]、河野派を率い[[副総理]]格国務大臣(無任所)、[[建設大臣]]、[[農林大臣]]をつとめた[[河野一郎]]、[[衆議院議長]]をつとめた[[堤康次郎]]、[[参議院議長]]をつとめた[[河野謙三]]、[[西岡武夫]]などがいる。マスコミにも人材が多く、新聞社、テレビ局、ラジオ局、出版社にも多くの卒業生が学閥を形成している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所在地 ==&lt;br /&gt;
* 西早稲田（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 戸山（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 大久保（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 喜久井町（東京都新宿区）&lt;br /&gt;
* 所沢（[[埼玉県]][[所沢市]]）&lt;br /&gt;
* 本庄（埼玉県[[本庄市]]）&lt;br /&gt;
* 北九州（[[福岡県]][[北九州市]]）&lt;br /&gt;
* 東伏見（東京都[[西東京市]]）&lt;br /&gt;
* 日本橋（東京都[[中央区 (東京都) |中央区]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教育および研究 ==&lt;br /&gt;
=== 学術院 ===&lt;br /&gt;
* 政治経済学術院&lt;br /&gt;
** [[政治経済学部]]&lt;br /&gt;
*** 政治学科&lt;br /&gt;
*** 経済学科&lt;br /&gt;
*** 国際政治経済学科&lt;br /&gt;
** [[政治学研究科]]&lt;br /&gt;
** [[経済学研究科]]&lt;br /&gt;
** [[公共経営研究科]]&lt;br /&gt;
* 法学学術院&lt;br /&gt;
** [[法学部]]&lt;br /&gt;
** [[法学研究科]]&lt;br /&gt;
* 文学学術院&lt;br /&gt;
** [[文学部]]&lt;br /&gt;
*** 文学科&lt;br /&gt;
** [[文化構想学部]]&lt;br /&gt;
*** 文化構想学科&lt;br /&gt;
** [[文学研究科]]&lt;br /&gt;
* 教育・総合科学学術院&lt;br /&gt;
** [[教育学部]]&lt;br /&gt;
*** 教育学科&lt;br /&gt;
*** 国語国文学科&lt;br /&gt;
*** 英語英文学科&lt;br /&gt;
*** 社会科&lt;br /&gt;
*** 理学科&lt;br /&gt;
*** 数学科&lt;br /&gt;
*** 複合文化学科&lt;br /&gt;
** [[教育学研究科]]&lt;br /&gt;
* 商学学術院&lt;br /&gt;
** [[商学部]]&lt;br /&gt;
** [[商学研究科]]&lt;br /&gt;
*** 商学専攻&lt;br /&gt;
*** ビジネス専攻 &lt;br /&gt;
** [[ファイナンス研究科]]&lt;br /&gt;
** [[会計研究科]]&lt;br /&gt;
* 理工学術院&lt;br /&gt;
** 基幹理工学部&lt;br /&gt;
*** 数学科&lt;br /&gt;
*** 応用数理学科&lt;br /&gt;
*** 情報理工学科&lt;br /&gt;
*** 機械科学・航空学科&lt;br /&gt;
*** 電子光システム学科&lt;br /&gt;
*** 表現工学科&lt;br /&gt;
** 創造理工学部&lt;br /&gt;
*** 建築学科&lt;br /&gt;
*** 総合機械工学科&lt;br /&gt;
*** 経営システム工学科&lt;br /&gt;
*** 社会環境工学科&lt;br /&gt;
*** 環境資源工学科&lt;br /&gt;
*** 知財・産業社会政策領域&lt;br /&gt;
*** 国際文化領域&lt;br /&gt;
** 先進理工学部&lt;br /&gt;
*** 物理学科/物理学及応用物理学専攻&lt;br /&gt;
*** 応用物理学科&lt;br /&gt;
*** 化学・生命化学科&lt;br /&gt;
*** 応用化学科&lt;br /&gt;
*** 生命医科学科&lt;br /&gt;
*** 電気・情報生命工学科&lt;br /&gt;
** 基幹理工学研究科&lt;br /&gt;
** 創造理工学研究科&lt;br /&gt;
** 先進理工学研究科&lt;br /&gt;
* 社会科学総合学術院&lt;br /&gt;
** [[社会科学部]]&lt;br /&gt;
** [[社会科学研究科]]&lt;br /&gt;
* 人間科学学術院&lt;br /&gt;
** [[人間科学部]]&lt;br /&gt;
*** 人間環境科学科&lt;br /&gt;
*** 健康福祉科学科&lt;br /&gt;
*** 人間情報科学科&lt;br /&gt;
*** 通信教育課程&lt;br /&gt;
** [[人間科学研究科]]&lt;br /&gt;
* スポーツ科学学術院&lt;br /&gt;
** [[スポーツ科学部]]&lt;br /&gt;
*** スポーツ文化学科&lt;br /&gt;
*** スポーツ医科学科&lt;br /&gt;
** [[スポーツ科学研究科]]&lt;br /&gt;
* 国際教養学術院&lt;br /&gt;
** [[国際教養学部]]&lt;br /&gt;
* 独立研究科（学術院非所属）&lt;br /&gt;
** [[アジア太平洋研究科]]&lt;br /&gt;
*** 国際関係学専攻&lt;br /&gt;
** [[国際情報通信研究科]]（GITS）&lt;br /&gt;
** [[日本語教育研究科]]&lt;br /&gt;
** [[情報生産システム研究科]]&lt;br /&gt;
** 法務研究科（[[法科大学院]]）&lt;br /&gt;
** 環境・エネルギー研究科&lt;br /&gt;
** [[技術経営大学院]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 系列校 ===&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田実業学校]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田高等学校]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人渋谷教育学園]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人早稲田大阪学園]]&lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田摂陵中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人大隈記念早稲田佐賀学園]] &lt;br /&gt;
** [[早稲田大学系属早稲田佐賀中学校・高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 附属学校 ==&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学芸術学校]]&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学川口芸術学校]]（閉校）&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学高等学院・中学部]]&lt;br /&gt;
* [[早稲田大学本庄高等学院]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アメフト部員50人がのぞき、飲酒強要…(2012年9月) ==&lt;br /&gt;
早稲田大学のアメリカンフットボール部の部員が不祥事件を起こし、活動停止の処分を受けていたことが明らかになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早大では先日、ラグビー部の選手が対戦校に対し下劣な野次を飛ばしていたことが話題になったばかりだ。早大の「教旨」にうたわれた「模範国民の造就」とはかけ離れた醜態をさらしてしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[スーパーフリー]]&lt;br /&gt;
*[[電通]]&lt;br /&gt;
*[[フジテレビジョン|フジテレビ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公式サイト ==&lt;br /&gt;
*[http://www.waseda.ac.jp/ 早稲田大学]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:わせたたいかく}}&lt;br /&gt;
[[Category:東京都の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の私立大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:早稲田大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:売国奴]]&lt;br /&gt;
[[Category:電通]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>片山祐輔</title>
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				<updated>2014-05-25T03:22:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Jimmypage222: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:片山祐輔1.jpg|thumb|800px|片山　祐輔]] &lt;br /&gt;
'''片山 祐輔'''（かたやま ゆうすけ）は、[[PC遠隔操作ウイルス事件]]の被疑者である。旧姓は丑田（うしだ）で[[上流階級]]の生まれでお坊ちゃん育ちである。[[学習院中等科]]卒業、[[学習院高等科]]卒業、[[東京電機大学]]工学部中退。'''かまってちゃん、マザコン、キモ面、おたく、３２歳のくせにハゲ'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''顔は、ブス[[男子]]であり、[[面長]]、[[二重まぶた]]、[[彫りが深い]]という、[[イケメン3条件]]を全て満たした[[イケメン]]である、あったらいいな、あると、ゆうちゃんは、思うんだな。そのイケメンの顔だったらいな顔で[[女性]]には大変モテたと、ゆうちゃんは勘違い野郎なんだな、現実は、女に不自由してばかりの[[インポ]]で[[童貞]]男だという。また、学習院中等科、高等科卒業という名門校の出身者らしく、自分の[[頭脳]]、[[IQ]]にはすごく自信がある男であり、高卒の[[ノンキャリア]][[警察官]]を馬鹿にしている'''。反面、警察庁長官や検事総長などに「テレビの画面に出て、パンツ一丁で踊ったら、自首してやる。」と豪語するように、自分の出た[[学習院]]よりレベルの高い[[東京大学]]、[[京都大学]]、[[早稲田大学]]、[[慶應義塾大学]]の出身者にたいしては卑屈になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は国立[[福島大学]]経済学部を卒業後、[[日本IBM]]のエリート幹部社員で人事畑を歩んで[[役員]]一歩手前であった、数学・鉄道関連の著作もある[[丑田俊二]]氏。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''東京・江東区の片山祐輔容疑者を逮捕''' ==&lt;br /&gt;
PC遠隔操作ウィルス事件で、[[警視庁]]などの合同捜査本部は、[[2013年]][[2月10日]]、[[威力業務妨害]]の疑いで、[[東京都]][[江東区]]の片山祐輔（かたやま・ゆうすけ）容疑者（30）を逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は、[[2005年]]にも、「[[エイベックス・グループ・ホールディングス]]」を標的とした殺害予告を大手掲示板サイト「[[2ちゃんねる]]」に書き込んだとして逮捕された前科を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同容疑者は、2012年、遠隔操作ウィルスに感染させた[[愛知県]]内の男性のPCを遠隔操作し、「2ちゃんねる」上に「[[コミケ]]で大量殺人する」などと書き込み、運営者側の業務を妨害した疑いがもたれているため、今回の逮捕に至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同容疑者は、警察にメールを遠隔操作で送り、猫の首輪に遠隔操作プログラムなどが入った[[SDメモリーカード]]を仕込み、警察関係者を挑発するなどしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合同捜査本部は、遠隔操作ウィルスによりこれまで4名の誤認逮捕があったが、猫の首輪にSDメモリーカードを仕込む姿が防犯監視カメラに捉えられており、同容疑者とそっくりなため、犯人は同容疑者であると特定している。また、同捜査本部は、4名の誤認逮捕の経緯も含め、全容解明を目指すと発表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年3月に釈放され、9日のサンジャボで会見が放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月20日に保釈取り消しとなり、全ての犯行について関与を認め、同日東京地検に身柄を拘束され再拘留された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''平成17年にも逮捕。大手レコード会社社長らの殺害予告容疑''' ==&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件で、警視庁などの合同捜査本部に威力業務妨害容疑で逮捕された東京都江東区に住む片山祐輔が、平成17年にインターネット掲示板に大手レコード会社社長らの殺害予告を書き込んだとして、脅迫容疑などで逮捕されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同罪などで起訴され、懲役1年6月の実刑判決を受けた。真犯人は神奈川県藤沢市の江の島で見つかった記録媒体に「以前、事件に巻き込まれたせいで、無実にもかかわらず人生の大幅な軌道修正をさせられた」などと残しており、合同捜査本部は警察などへの逆恨みから犯行を計画したとみて詳しい動機を調べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山はネット掲示板「２ちゃんねる」に仙台市の女児の殺害予告を書き込んだとして、宮城県警に17年10月に脅迫容疑で逮捕。同様に大手レコード会社社長に対しても殺害予告などをしたとして、警視庁に同年11月に再逮捕されるなどしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真犯人は昨年10月に報道機関などに送った犯行声明メールでも、「私の目的」として「『警察・検察を嵌めてやりたかった、醜態を晒させたかった』という動機が100％です」とつづっており、合同捜査本部が関連を調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''「猫」「首輪」の検索履歴…PC遠隔(2013年7月)''' ==&lt;br /&gt;
パソコン遠隔操作事件で、威力業務妨害罪などで起訴された元IT関連会社社員・片山祐輔(31)が今年1月、事件で使われたウイルスの情報が入った記録媒体を首輪に取り付けた猫の存在が公になるその3日前、携帯電話で「猫　首輪」などと検索していた形跡があることがわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側が10日、立証予定事実を記した書面や証拠などを弁護側に開示し、判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神奈川・江の島の首輪を付けた猫の存在は1月5日、「真犯人」から報道機関などに届いたメールで明らかになった。警視庁が片山の携帯電話を押収して解析した結果、同2日に「江の島」「猫　首輪」という言葉の検索履歴が残っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、片山の派遣先のパソコンに、ウイルス作成に使われたコンピューター言語「[[C#]]（シー・シャープ）」を利用するためのソフトをインストールした形跡があったことや、「被告が派遣先でC#を使っていたのを見たことがある」とする元同僚の供述調書も開示された。被告側はこれまで、「被告はC#を扱う能力もない」と説明していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''現実空間に唯一残った痕跡、救われた警察。誤認誘う挑発。新たな「劇場型」異例の経過''' ==&lt;br /&gt;
知らぬ間にパソコンが乗っ取られ、犯人に仕立て上げられる遠隔操作ウイルス事件が、誤認逮捕の発覚から約4カ月を経て、「真犯人」とみられる片山祐輔の逮捕という新局面を迎えた。捜査は全容解明に向けて大きく動き出したが、事件は警察の捜査力に大きな疑問符を突き付ける結果に。警察をあざ笑い、捜査を振り回した「新たな劇場型犯罪」を振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべての始まりは[[2012年]][[6月29日]]、[[横浜市]]の[[ホームページ]]に書き込まれた、小学校への襲撃予告だった。[[神奈川県警]]は[[IPアドレス]]などから東京都内の少年の犯行と断定。県警は7月1日、[[威力業務妨害]]容疑で逮捕した。少年は逮捕後も「何もやっていない」と否認したが、送検後に一転して容疑を認める上申書を提出。[[家裁送致]]され、[[保護観察処分]]が決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]には[[大阪市]]などのHPに無差別殺人予告が届き、[[大阪府警]]が8月、[[吹田市]]内の男性を逮捕。その後も警視庁が幼稚園への殺害予告メールで[[福岡市]]の男性を、[[三重県警]]がネット掲示板「[[２ちゃんねる]]」に[[伊勢神宮]]への爆破予告を書き込んだとして津市の男性を、それぞれ逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== '''「醜態さらさせたい」''' ===&lt;br /&gt;
だが、9月下旬、事態が一変する。襲撃・爆破予告の書き込みに使われたパソコンから新種のウイルスが検出され、遠隔操作できる状態だったことが判明。大阪、津に続き、東京地検も逮捕した男性を釈放した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして10月、サイバー犯罪に詳しい落合洋司弁護士と報道機関に、犯行声明メールが届いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私が真犯人です」と題したメールは、13件の殺害・襲撃予告への関与を示唆。「『（警察に）醜態をさらさせてやりたかった』という動機が100％」ともつづっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察当局はメールに列挙された13件の犯行予告を実際に確認。[[10月18日]]には、警察トップの[[片桐裕]][[警察庁長官]](当時)が誤認逮捕を認める事態に発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4都府県警は合同捜査本部を設置し、誤認逮捕された4人に相次いで謝罪。検察は男性3人の[[起訴取り消し]]や[[不起訴処分]]の手続きを取り、少年の保護観察処分も取り消された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月に公表された捜査の検証結果では、インターネット上の住所にあたる「IPアドレス」を過大評価し、供述を十分吟味しなかった不手際を、それぞれの都府県警が認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== '''初めて見せた「動揺」''' ===&lt;br /&gt;
真犯人は2012年11月、報道機関などに再度メールを送りつけた。「ミスをしました。ゲームは私の負けのようです」などとし、自殺をほのめかす内容だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時点で、合同捜査本は真犯人が8月下旬、匿名化ソフトを使わずにネット掲示板に書き込むミスをしていたことをつかんでいた。真犯人が初めて見せた「動揺」だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、真犯人が動き出したのは、年の改まったばかりの元日午前0時すぎ。[[産経新聞]]記者などに「謹賀新年」と記したパズル形式のメールが送られてきた。解読していくと、袋に入れられた記録媒体の写真が出現。合同捜査本部は写真の位置情報などから[[東京都]][[奥多摩町]]の[[雲取山]]の山頂付近を捜索したが、記録媒体は見つからなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1月5日]]には「新春パズル～延長戦～」とするパズル付きのメールを送信。真犯人が示唆した通りに[[神奈川県]][[藤沢市]]の[[江の島]]で首輪の付いたネコが見つかり、記録媒体が回収された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真犯人は5日のメールで「もうメールはしない」と終結を宣言したが、江の島の防犯カメラがネコと接触する片山をとらえていた。警察当局は結果的に「現実空間」に残した唯一の痕跡に救われる形となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''捜査の壁にいらだつ捜査本部「ネコに首輪つけただけ」ウイルス一致で急展開''' ==&lt;br /&gt;
「ネコに首輪をつけただけで、何の罪に問えると言うんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警視庁と大阪府警、神奈川、三重両県警の合同捜査本部はいらだっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件の威力業務妨害容疑で逮捕された東京都江東区の会社員、片山祐輔(30)の存在は1月中旬、既に浮上していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同月5日に産経新聞記者などに送りつけられた「真犯人」からのメールに、神奈川県藤沢市の江の島のネコに首輪をつけたことを示唆する内容があり、防犯カメラの解析から片山容疑者が特定されたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「上層部が、『早く逮捕しろ』と注文をつけてきた。だが、防犯カメラで判明したのは、ネコに首輪をつけた人間であって、誤認逮捕してしまった4人のパソコンを遠隔操作した人物そのものではない。そんないらだちが、現場の捜査員にはあったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察関係者は、こう打ち明ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、警察は4人を誤認逮捕した上、2人には自白まで強いたことで、異例の謝罪や捜査の検証結果公表を余儀なくされたため、“メンツ”を保ち、起死回生を図りたい思いがあり、それが警察上層部の早期逮捕の指示の背景にはあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== '''ウイルスが一致''' ===&lt;br /&gt;
「いくつかの新聞社やテレビ局が、片山の存在に気付きつつあるようだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察幹部は、焦りを募らせていた。2月に入ると、片山が「ネコに首輪をつけた人物」として特定されたことに、報道各社が気付き、片山容疑者宅周辺の取材に動いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、ウイルスの設計図とされる「[[ソースコード]]」を記録した[[マイクロSDカード]]（記録媒体）付きの首輪をネコにつけるよう、「知らない男に頼まれた」と片山が“言い訳”をすれば、それを覆すだけの材料を、合同捜査本部は持ち合わせていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それだけに、逮捕への決め手がないまま片山の存在を報道されることを、警察幹部は恐れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「片山がウイルスの『設計図』を持っていたことなどを根拠に、ウイルス保管罪の適用も考えました。でも、ウイルス保管罪は他人に“感染”させる目的があることを立証する必要がある。検察は首を縦に振りませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察関係者は現場の苦悩を、こう振り返った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ウイルスが愛知のPCを遠隔操作していたものと一致したことで、捜査は急転直下で進展することとなったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== '''大きな十字架に''' ===&lt;br /&gt;
警視庁には現在、「捜査支援分析センター」という聞き慣れない部署がある。平成21年4月の組織改編で刑事部に置かれたものだが、その任務の中核の一つが「画像解析」だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年11月に[[東京都]][[板橋区]]で主婦が刺殺された強盗殺人事件など、あまたの事件で防犯カメラが威力を発揮しており、その画像を解析して、事件解決に貢献しているのが、同センターなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[2005年]]にロンドンで起きた同時爆破テロでも、防犯カメラが威力を発揮した。防犯カメラは、捜査ツールとして世界中で必要不可欠なものとなっています」（捜査幹部）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、一方で遠隔操作ウイルス事件は、後手後手にまわったサイバー捜査に大きな課題も突き付けた。警察幹部はつぶやく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「結局、従来通り防犯カメラに頼って容疑者にたどり着く捜査になってしまった。サイバー捜査で容疑者を割り出せなかったことは、警察にとって大きな十字架になるかもしれない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前代未聞の誤認逮捕を生んだ遠隔操作ウイルス事件が、全容解明に向けて大きく動いた。汚名返上を図りたい警察当局の捜査は、どう進められたのか。その流れを追ってみた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''いじめのつらい過去。裁判傍聴ライター「裁判官の言葉、届かなかったのか…」''' ==&lt;br /&gt;
「いじめられていた」「殴られたり蹴られたり…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件で、威力業務妨害容疑で逮捕された片山祐輔は平成18年、[[脅迫罪]]などで実刑判決を受けたことがある。その公判では、片山が少年時代から経験したつらい過去の一端が明らかにされた。傍聴した裁判ライター、[[阿曽山大噴火]]さん(38)は、片山の更生を願う裁判官の姿を思い出すという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あの時の男か」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
阿曽山さんは片山逮捕を知り、かつて傍聴した裁判の記憶がよみがえった。当時の取材ノートには“生きづらさ”や“孤独”を抱えた姿が記録されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法廷で証人となった母親は「中学に入ると学校での出来事を話さなくなり、表情もなくなった。逮捕後、初めていじめられていたことを明かされた」と証言。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山も「殴られたり蹴られたり、のこぎりで頭を切られたりした」と話した。阿曽山さんは「心配させたくない気持ちもあったのだろうが、逮捕でいじめを知るなど親子のコミュニケーションは十分ではなかったようだ」と振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公判で片山は生きる苦しみを淡々と語った。起訴事実を認めた上で、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大学でサークルに入ったが『空気が読めない。ノリが変』と言われ、友達ができなかった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分は企業が求める人物像と違う。社会に必要ない人間だと感じ、むしゃくしゃしていた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ネットで注目されたかった」と打ち明けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな片山に対し、検察官は「人間関係を改善しようとする努力が足りない」などと厳しく批判。阿曽山さんは「検察官は一方的だった。片山は反抗的な態度こそ見せなかったが、検察への怒りが、今回の動機になった可能性がある」と推察する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
阿曽山さんの目には、裁判官は片山の更生を親身に願っているように映った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人付き合いが苦手なのは個性だ。できる仕事はある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「世間に迷惑をかけない生き方をすべきだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「見栄を張る必要はない」。そう諭し続けたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1年半の懲役後、片山はIT会社に就職し、職場には友人もいたとされる。裁判官の言葉通り、更生は順調そうに見えたが、やはり同じ過ちを繰り返したのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「裁判になれば傍聴したい」という阿曽山さん。片山が真犯人であったのか、そうであれば何が本人を突き動かしたのかを見極めるつもりだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''ちらつく過信と自己顕示欲。現実空間に現れて墓穴''' ==&lt;br /&gt;
遠隔操作を行っていた直接的な証拠がない中、警視庁などが片山祐輔の逮捕にこぎ着けた。逮捕前日の9日夜まで「早期逮捕」を主張する警察と、「時期尚早」とする検察がぶつかり合う一方、片山は同じ日、後手後手の捜査を感じ取っていたかのように東京・浅草の「ネコカフェ」にいた。「サイバー空間」から「現実空間」に姿をさらすミスを犯したとみられる片山。その心中には「過信」と「自己顕示欲」がちらつく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は9日、放し飼いにされたネコと自由に触れ合える空間で、ネコを抱きかかえ、猫じゃらしで遊ぶ姿が目撃されていた。2日前にも別のネコカフェを訪問。店の従業員は「ほかの客との接点はなかった」と振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真犯人は動機やウイルスの「設計図」など、証拠が詰まった記録媒体を「現実空間」である江の島のネコに託した。防犯カメラにはネコと片山が戯れる様子が写っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は、[[学習院中等科・高等科]]を卒業後、理系の工学部のない[[学習院大学]]に内部進学せずに、工学部のある[[東京電機大学]]工学部に一般入試で入学したが、[[東京電機大学]]工学部を4年で中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
専門学校でパソコンを学んでいた平成17年には、大手レコード会社社員への殺害予告事件で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「『のまネコ』の使用を即時中止しろ。さもなくば社員を刃物で殺害する」。レコード会社のネコを模したキャラクターが、ネット掲示板「２ちゃんねる」に登場するネコのイラストに似ているとしてネット上で要求した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両事件に共通するのは強い「自己顕示欲」だ。犯罪心理学に詳しい元東海学院大教授の長谷川博一氏は「人間関係が希薄で、思考や好みが偏りやすい性格」と推察。「人間関係が苦手な部分を、ネコで補っていたのではないか」と指摘する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20年2月から勤務しているIT関連会社によると、片山は2012年12月から病気を理由に休職。社長の目にも「マニアックで思い込みが強い」と見えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
報道機関などに送りつけられたメールは、警察を小ばかにする内容が徐々にエスカレートした。長谷川氏は「自己顕示欲が強まり、ミスするまで警察への挑発を続けざるを得なくなったのではないか」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=='''片山の意見書'''==&lt;br /&gt;
※誤字もそのまま掲載&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この機会に、私の現在の率直な心境を、裁判官・検察官の方に聞いていただきたいです。私が２月10日に自宅から拉致され、監禁され続ける生活が、すでに227日目になります。家族と会うこともできません。私は絶対、犯罪になど関わっていません。227日。無実の人間を拘束することを許せる日数ではありません。この失った時間を誰が返してくれるのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京拘置所での毎日の暮らしは、「生活」とは言えません。1日の大半を部屋に閉じこめられ、ただ待たされているだけの毎日です。１ヶ月にたった１回のこの公判前整理手続も、あまり進展しているように思えません。１ヶ月、また次の１ヶ月、出口の見えないトンネルの中で前進すらしていない、そんな気分です。毎日が無為に過ぎていくこと、苦痛というより痛みそのものです。拷問と同じです。&lt;br /&gt;
健康上、必要な診察も、東京拘置所では満足に受けられません。歯科は申し込んで２ヶ月待たされました。また、私は斜視が進行中のため、半年に一度眼科で検査を受け、矯正用のプリズム入りメガネを処方してもらわないといけないのですが、東京拘置所の眼科では、そういった特別な検査はできないと言われました。&lt;br /&gt;
一体いつ「日常」に帰ることができるのか。父が死んでから４年、母と２人で生活してきました。その平穏な生活がこのような形で破壊されるなど想像もしていませんでした。現在私がいる立ち位置から見れば、これまでの平凡で平穏な生活が何より貴重で幸せなものだったのだと感じています。母は私の無実を信じてくれていて、帰りを待ってくれています。母のためにも、１日でも１秒でも早く帰りたい、帰らないといけないと、いつも強く思っています。&lt;br /&gt;
人生という観点から見ても、私は現在31才です。30代という時期、将来のために、キャリアを積み重ねなくてはなりません。その貴重な時間を、なぜ自分はこんなところで浪費させられているのか？という焦りでいっぱいです。&lt;br /&gt;
本当に、監禁された毎日が、ガマンできないレベルに達しています。&lt;br /&gt;
この裁判の争点は、「犯人性」の部分だということは、理解しています。雲取山や江ノ島に関する矛盾については、弁護人が主張してくれているとおりなので、ここでは触れません。私の使用したPCに、断片的ながらも何らかの痕跡があるとされていることについて、私から補足的にコメントしたいです。&lt;br /&gt;
まず、検察の証明予定事実には、全く覚えのない検索履歴や、ダウンロード・起動した覚えのないソフトウェアの記録について言及されています。それが1ヶ所１台のみのPCからではなく、私の職場、自宅から出ていて、またネットカフェからの通信記録もあるとのこと。片山が触ったPC複数がそう都合よく同じ犯人に利用されるわけがない、だから片山が犯人だ、というニュアンスが、検察主張からは読み取れます。&lt;br /&gt;
これについて、ひとつ心当たりがあります。私は、USBメモリによく使うポータブルアプリケーションをいくつも入れて持ち歩いていました。ポータブルアプリケーションとは、PCにインストールすることなく、USBメモリから起動できるソフトです。Webブラウザやメールソフト、圧縮解凍ソフト等です。自宅では複数のPCを使っていて、またネットカフェ等で使う際も、各ソフトの環境設定をそのまま使い回せるので重宝していました。職場ではUSBメモリの使用が禁止されているので、USBメモリの中身と同一のコピーを、オンラインストレージを利用するなどして職場PCに転送し、同様に使っていました。それら、よく使っていたポータブルアプリケーションの中のどれかがウイルス感染していたとしたら、複数のPCが感染してしまった可能性が高いです。iesysそのものなのか、もっと別のウイルスなのかは分かりませんが、遠隔操作および画面監視を受けていたのだと思います。私が雲取山や江ノ島に行こうとしていた、また行ったことを、犯人は把握できていたと思います。&lt;br /&gt;
私は無実です。無実である以上、証拠には、現時点で弁護人が指的してくれている部分以外にも、多数の矛盾が隠れているはずです。私は自分自身でそれら大量の証拠に全部目を通し、矛盾点を指的していきたいです。しかし囚われの身である現在、それは困難です。限られた面会時間に、フォークリフトでも無いと運べない量の証拠書類を全て打ち合わせすることは不可能に近いです。&lt;br /&gt;
保釈が認められ自由の身となれば、そういう積極的な活動をして無実を証明したいです。それをさせないために、「罪証隠滅の怖れが」などと理屈を付けて、保釈を妨害する検察に対しては強い怒りを感じます。隠滅できる証拠など無いということを検察も分かってはいるのでしょう。既存の証拠の矛盾を見つける活動まで、検察の論理では「罪証隠滅」と言うのでしょうか？&lt;br /&gt;
初公判が始まれば保釈を認めていただけると思っていますが、それでは遅いのです。争点整理が行われていて主張を固めなくてはならない現時点で自由に動けるようにならなければ、フェアな戦いができません。ここに来て「人質司法」という言葉の意味をよく理解できました。権力側が、無実を主張して戦おうとする人を鎖でしばりつけて一方的に殴り続けるのと同じ行為だと理解しました。&lt;br /&gt;
私のシンプルな今の願いは、早く解放されたい、家に帰りたい、日常に戻りたい、それだけです。&lt;br /&gt;
大野裁判長、北村裁判官、大西裁判官には、最終的には公正で完全な無罪判決を出していただけることを確信しています。どのような妨害があれど、私が無実である以上、無罪という決論に収束するものと確信しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''名門・学習院の中・高等科を卒業後、東京電機大学に進学、父親は元IBMのエンジニア丑田俊二''' ==&lt;br /&gt;
オタク風の人物がひも状のおもちゃでネコをあやし、満面の笑みで膝に抱きかかえてなでる。時に生ビールをすすり、携帯電話でネコを撮影?。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕前日、自らが報道機関に尾行されていることも知らず、東京・浅草の「猫カフェ」でくつろぐ容疑者の姿。NHKなど、大手メディアで紹介された「PCなりすまし事件」の真犯人、片山祐輔容疑者(30歳・以下呼称略)の映像や写真に驚きを覚えた人も多いのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無断で撮影された同店の店長が言う。「たしかに2月9日の午後3時頃から約1時間、ソファ席に座りました。生ビール1杯を注文して、ネコと楽しそうに遊んでいた。ネコ好きのお客様という以上の印象はありません。困惑しているのは、マスコミ3社に店内で盗撮されたことです。報道後、『お前の店が盗撮してマスコミに売ったのか』というクレームが殺到しています。うちは勝手に撮られただけなのに・・・・・・。NHKさんには『映像を使わないでください』と申し入れました。そもそも、逮捕前にもかかわらず、なぜマスコミは犯人をつけていたのか、疑問です」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜ犯人を知っていたのか。それは、他ならぬ警察が、マスコミに事前に伝えていたからだ。警察の捜査を嘲笑い、ついに逮捕された片山とはどういう人物なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は名門・学習院の中・高等科を卒業後、東京電機大学に進学。4年時に退学してコンピュータの専門学校に進んだ。高校時代の同級生が印象を語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「当時の彼は存在感がありませんでした。こんな大きなことをしでかすような人とは思えなかった」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親の[[丑田俊二]]氏はIBMにエンジニアとして勤めるかたわら、アマチュアの数学研究者として著述業も行っていた。福島大学→日本IBMにSEとして入社→人事部に異動したエリート社員。本業以外にも鉄道や数学関係の著書を出版している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年1月定年を目前に急死。祐輔は父親が死亡した際に丑田から片山に改姓、それまでと同様に母親との生活を続け、2歳違いの弟は結婚して実家を離れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のまネコ事件でも父親は1800万円を[[エイベックス]]に支払ってる。父親は証人尋問でエイベックスの被害総額1800万円も「できる限り被害弁償したい」と述べた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''精神科女医のつぶやき 片田珠美(23)世の「非モテ男」に捧ぐ''' ==&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件で逮捕された片山祐輔容疑者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年1月、この連載の19回目で取り上げた遠隔操作ウイルス事件で、容疑者の男が逮捕された。容疑を否認しており、真相は捜査の進展を待たねばならないが、モテなさそうというのが第一印象である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういえば、2012年10月に連載8回目で取り上げた[[ｉＰＳ騒動]]男も、モテそうになかった。彼が性愛的に満たされていたら、虚言によって自己愛や自己顕示欲を満たそうとするようなことはなかったのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、モテないから反社会的行為に走るというのはあまりにも短絡的な発想だ。だが、モテるか、モテないかは、特に男性にとって、「レゾン・デートル（存在価値）」に関わる一大事のようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たとえば、今日は[[バレンタインデー]]だが、チョコがゼロだったらどうしようという不安を抱いている男性が多い。こうした男性心理を利用して、キャバクラなどでは、「あなただけよ」という甘いささやきとともにバレンタインチョコが手渡されるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なかには、「バレンタインデー粉砕デモ」を実施する「革命的非モテ同盟」のような団体もある。「日本におけるリア充（＝現実生活が充実している人）バレンタイン文化に反対するため」という目的には、モテない男の恨みつらみがこめられているように見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''警察、事実上の敗北宣言。ウイルス作成容疑での立件見送り(2013年6月)''' ==&lt;br /&gt;
一連のPC遠隔操作ウイルス事件で逮捕・起訴された元IT関連会社員・片山祐輔（31）が6月10日、2012年8月に他人のPCを操作して[[AKB48]]への襲撃予告を書き込んだとして追送検された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで片山は威力業務妨害やハイジャック防止法違反など7件の事件で逮捕・起訴されていたが、この追送検で捜査は事実上の終結。事件の本丸である「ウイルス作成容疑」での立件は見送られることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山が関わったとされる事件は、当然ながら全て遠隔操作ウイルスが絡んでいる。にもかかわらず、肝心のウイルスの出どころが解明できなかったのは致命的だ。確かな物証を得られないまま捜査が終了したことは、警察の事実上の敗北宣言ともいえるが、これについて捜査関係者は「片山が取り調べを拒否し、供述を得られなかったため」と説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、これは事実と異なる。片山は取り調べそのものは拒否しておらず、あくまで「録画・録音しなければ取り調べに応じない」と頑なに主張していただけだ。それを拒んで実質的に取り調べを拒否していたのは当局側である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証拠が完全にそろっていない状態で見込み逮捕し、取り調べで心理的プレッシャーを与えて自白を引き出すという昔からの手法から脱却できていない。取り調べ可視化は現在議論中の案件ではあるものの、実際にこういった自白ありきの案件で録画・録音されて困るのは捜査側。そんな強引な取り調べは現在も行われている。たび重なる再逮捕で4ヶ月も勾留し、彼の社会的地位を脅かすことでプレッシャーを与えたが、片山は最後まで折れなかった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== '''余計な「小細工」で自ら墓穴を掘る事に。一転、全ての犯行を自白(2014年5月)''' ==&lt;br /&gt;
2014年5月16日、マスコミ各社および担当弁護士の[[佐藤博史]]宛に「真犯人」を名乗る者からメールが送りつけられる。会見で片山祐輔本人は「これは真犯人が送った物である」「自分のPCは現在弁護士の管理の元で使用しており、自分が送るのは不可能」とし、'''「これをもって裁判は終わりにしていただきたい」'''と主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、15日夕方に片山祐輔の自宅近辺の荒川河川敷に片山本人が何かを埋める現場を尾行していた捜査官に目撃され、掘り返した所スマートフォンが埋まっており、そこには真犯人が送ったとされるメールの全文・および片山本人のDNAが検出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スマートフォンを埋めているところを捜査員に目撃されビデオに撮影されていた、という報道は片山にとってかなり強い衝撃だったようで、佐藤弁護士にも「まさか見られているとは思っていなかった。報道を見た瞬間『もう言い逃れは出来ない』と思った」と語っている。19日から片山は行方をくらまし、検察は「証拠隠滅の行動」として保釈取り消しを裁判所に請求、裁判所は20日付けでそれを認め、その後身柄を拘束された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士によると前日の19日に電話をかけてきて'''「先生、すいません。メールだけでなく一連の事件も全て自分が真犯人です」「4人が誤認逮捕された瞬間『やった』と思った」「実は先生たちには内緒でPCとスマホを別に入手していた」'''と告白したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19日に姿を消し行方をくらませた事について「高尾山などで自殺しようとしたが死にきれなかった」と語っている。しかし佐藤弁護士と事務所で打ち合わせ後は、詰め掛けた報道陣の前で時々笑顔を浮かべるなど、反省している態度とはとても言い難いものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は以前佐藤弁護士に「真犯人はサイコパス（反社会的人格）だと思う」と話していたといい、20日には'''「それは自分。嘘を平気でつける」「自然に演技できちゃうんですよねえ」'''と語ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで全面無罪を主張していた佐藤弁護士をリーダーとする弁護団は、法廷戦術を大幅に転換せざるを得なくなった。今後は起訴事実を認め、精神障害を理由に量刑の軽減を訴えていくという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==発言==&lt;br /&gt;
*『自由は、まぶしい』&lt;br /&gt;
*『真犯人は、サイコパスだと思う。』&lt;br /&gt;
*『警察庁長官と検事総長が、テレビ画面でパンツ一丁で出てきたら、出頭しますよ。』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ハッカー]]&lt;br /&gt;
* [[ハッキング]]&lt;br /&gt;
* [[ハッカー文化]]&lt;br /&gt;
* [[ライフハック]]&lt;br /&gt;
* [[ブリコラージュ]]&lt;br /&gt;
* [[クラッカー (コンピュータセキュリティ)|クラッカー]] (cracker)&lt;br /&gt;
* [[ウィザード]] (wizard)&lt;br /&gt;
* [[ギーク]] (geek)&lt;br /&gt;
* [[ナード]]&lt;br /&gt;
* [[ハッカージャパン]]&lt;br /&gt;
* [[Phrack]]&lt;br /&gt;
* [[カルト・オブ・ザ・デッド・カウ]]&lt;br /&gt;
* [[ハッカーインターナショナル]]&lt;br /&gt;
* [[ザ・ハッカー]]（アメリカ映画）&lt;br /&gt;
* [[中国紅客連盟]]&lt;br /&gt;
* [[アノニマス (集団)|アノニマス]]&lt;br /&gt;
* [[サイコパス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かたやま　ゆうすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:2012年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:捜査特別報奨金制度]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネット犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:おたく]]&lt;br /&gt;
[[Category:情報技術者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Jimmypage222</name></author>	</entry>

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