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		<title>桜木町事故 - 変更履歴</title>
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		<title>Fromm: ページの作成：「桜木町事件 桜木町事件 [[Image:Sakuragicho Train Fire 1951.jpg|400px|thumb|...」</title>
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				<updated>2013-01-19T00:37:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成：「&lt;a href=&quot;/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%A1%9C%E6%9C%A8%E7%94%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B61.jpg&quot; title=&quot;ファイル:桜木町事件1.jpg&quot;&gt;桜木町事件&lt;/a&gt; &lt;a href=&quot;/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%A1%9C%E6%9C%A8%E7%94%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B62.jpg&quot; title=&quot;ファイル:桜木町事件2.jpg&quot;&gt;桜木町事件&lt;/a&gt; [[Image:Sakuragicho Train Fire 1951.jpg|400px|thumb|...」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;[[Image:桜木町事件1.jpg|500px|thumb|桜木町事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:桜木町事件2.jpg|500px|thumb|桜木町事件]]&lt;br /&gt;
[[Image:Sakuragicho Train Fire 1951.jpg|400px|thumb|事故発生直後の現場写真]]&lt;br /&gt;
'''桜木町事故'''（さくらぎちょうじこ）は、[[1951年]]（昭和26年）[[4月24日]]13時45分頃、[[神奈川県]][[横浜市]]の[[日本国有鉄道]]（国鉄）[[東海道本線]][[支線]]（[[京浜東北線]]、現在は[[根岸線]]の一部）[[桜木町駅]]構内で発生した[[列車火災事故]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。[[犯罪]]的所業によるものではないが、'''桜木町事件'''と呼ばれることもある。この事故後、自動扉つきの客車内には[[ドアコック|乗降扉非常圧搾空気開放弁（非常ドアコック）]]の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事故概要 ==&lt;br /&gt;
京浜東北線桜木町駅構内の上り線で碍子（[[がいし]]）交換工事を行っていた電気工事作業員が誤って[[レンチ|スパナ]]を落とし、上り線の[[架線]]が固定されず垂れ下がってしまっていた。作業員は上り線のみ列車を進入させないよう手配を行ったが、下り線は通常通り運行できるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結果、京浜東北線の[[赤羽駅|赤羽]]発桜木町行き下り第1271B電車（[[国鉄63系電車|63系]]5両編成、所定ダイヤより9分遅れ）が下り線から[[分岐器|ポイント]]を渡って上り線に進入、垂れ下がっていた上り線の架線に先頭車の[[集電装置|パンタグラフ]]が絡まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
運転士は急いでパンタグラフを下ろそうとしたが、先頭車のパンタグラフは破損して車体と接触した状態になり、そこに電流の[[短絡]]が発生。激しい火花とともに屋根の可燃性塗料に着火し、車両は木製の天井から炎上を始めた。結果、先頭車のモハ63756が全焼、2両目のサハ78144が半焼して焼死者106人・重軽傷者92人を出す大惨事となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事故車両の[[窓]]は中段を固定した3段構造で開口部の高さは29cmしかなく、ここからの脱出は非常に困難だった。短絡が起きていたため自動扉は作動せず、乗務員や駅員すらも非常用[[ドアコック]]の位置を知らなかったため扉を外部から手動で開けることもできなかった。運転士が車端貫通路から乗客を救出しようとしたが、当時の車両の貫通路は車両同士の乗客の貫通を目的としたものではなかったため内開きの開き戸で、しかも外側から施錠されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
辛うじて2両目の貫通路だけは開けられたものの1両目は脱出しようとする乗客の圧力で開かなかったとされる。結果として1両目の乗客は窓ガラスを破る以外に脱出路が全くなく被害を拡大することとなった。また、このような脱出困難な状況は、高架線上での事故だったこともあり集まった野次馬が何もできず悔しい思いで助けを求める乗客がなすすべなく焼け死んでいく姿を見ているしかないという地獄絵図を生んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事故当時、桜木町駅付近の架線に電気を供給していたのは横浜[[変電所]]と鶴見変電所であったが、横浜変電所は高速度[[遮断器]]が作動し給電を停止できたものの鶴見変電所の高速度遮断器が作動せず、約5分に渡って架線に電気が流れたままになったことも火勢を強めたとされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害拡大の原因 ==&lt;br /&gt;
被災した63系電車は、重要な安全部品を省略したり粗悪な代用品を使用した、いわゆる[[戦時設計]]により製造された車両であった。[[可燃性]]材料の多さについては戦前期の電車にも共通する部分があるものの、63系では可燃性の[[塗料]]や[[合板|ベニヤ板]]の[[天井]]内張りなど[[燃焼]]性の高い材料が多用されており、不燃構造は[[戦前]]車よりも劣るものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに63系は通常、絶縁被覆と防護鋼管で覆われているべき室外配線を碍子（がいし）支持の[[電線#裸電線|裸電線]]としていたり、一部の引き通し線を化粧板覆いもなく室内に露出させていたりするなど、電気[[配線]]の[[絶縁 (電気)|絶縁]]の質が劣悪な設計で、このような電流短絡事故の際に必要な[[保安]]機器の一部も省略されていた。そのため、車体に架線の電流が流れた場合に炎上し易い構造であった。それを示す事実として、本事故が発生する以前から、外的要因（本事故では架線切断）がなくとも、小規模な発煙・[[発火]]事故を日常的に起こしており、ひどい場合は全焼して事故[[廃車 (鉄道)|廃車]]となるものさえあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、窓については63系では立ち客への[[換気|通風]]の改善と[[ガラス]]不足を補うべく三段式になっており、中段が固定されている構造のために脱出が不可能であった。63系より前の車両のように二段式であったなら、あるいは三段式であっても中段も可動する構造になっていたならば、開口部が大きいため脱出が可能であり、犠牲者数は激減したであろうといわれている。乗降扉についても、[[1946年]]（昭和21年）6月4日に発生した[[日本の鉄道事故 (1949年以前)#中央線乗客転落事故|中央線乗客転落事故]]の反省より木製扉から鋼製扉への交換が進行していたことが、[[ドアコック]]表示不備と相まって結果として裏目となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同じく、車両の妻面にある[[貫通扉]]も、引き戸ではなく内側に開く構造であった。もともと当時、近距離[[輸送]]手段であった「[[電車]]」には、[[客車]]のような[[幌]]つきの貫通路は設置されておらず、乗客がここを通ることは想定されていなかった。その為、超[[満員]]の乗客の圧力で扉を開けることができず、ここからの脱出も不可能であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地上側の要因として、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]][[変電所]]が即座に饋電力停止しなかった点が挙げられる。現場に一番近い横浜変電所は事故電流を検知して即座に[[遮断器]]が開放して饋電亭止したが、鶴見変電所（饋電区分所）の遮断器はそれより遠方のため事故電流を検出できず、[[川崎|川崎]]変電所からの饋電が継続され続けた。本来、横浜変電所の遮断器が開放すれば遠方からの饋電は行われないはずであるが、この事故の前に起きた[[汐留]]変電所の火災復旧のため遮断器4機のうち2機が取り外されており、饋電回路がT形となっていたため、川崎変電所からの電流を止めることができなかった。当時の変電所は連絡遮断装置や遠方制御装置がなく有人運転であり、事故時の隣接変電所の遮断は[[電話]]連絡に頼っていた。このことが契機となって、電流変化率（⊿I）を元に事故電流を検出する直流饋電線故障選択装置が開発された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、事故に対する直接・間接の要因ではないが、当時の桜木町駅が[[終着駅]]で[[プラットホーム|ホーム]]の先端に[[改札]]口があったことから、乗客が先頭車両に集中していたことも犠牲者が多くなった一因であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事故後の対策 ==&lt;br /&gt;
当時の[[日本国有鉄道|国鉄]]は、事故の翌日にはモハ63形全車両の車体に車外コック位置を「▽」で標記した上、車内にも座席下のコック位置を記したガリ版刷りの張り紙をするという素早い対策を打った。そして[[戦時設計]]の電車に対し、まず車内への防火塗料の塗布、パンタグラフの絶縁強化、車端部の貫通路と貫通幌の設置などの応急処置を施した（1951年内に完了）。後に車内天井の鋼板化、貫通路拡張、三段窓の全段可動化など、徹底的な体質改善工事を実施し、800両にも及ぶ対象車の体質改善工事はわずか2年強で完了した。これらのことは、この事故が社会に与えた衝撃の大きさを物語るものといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、前述の体質改善工事によってモハ63形電車はモハ73形（制御電動車）、モハ72形（中間電動車）等に形式を改め、国鉄末期まで使用された。詳細は[[国鉄72系電車#改造内容]]を参照されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 刑事裁判 ==&lt;br /&gt;
事故の関係責任者は[[起訴]]された。スパナを落下させた作業員3人と、桜木町駅の信号掛、電車運転士の計5人に禁固6ヶ月 - 1年10ヶ月の判決が言い渡された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 社会的影響 ==&lt;br /&gt;
当時[[国鉄三大ミステリー事件|三大怪事件]]をはじめ、度々事故を起こしていた国鉄に対する国民の不信はこの事故をきっかけに爆発し、[[マスコミ]]は国鉄に対するバッシングを行った。また、政界でも野党が国鉄の怠慢によって発生したものであるとして、当時の[[吉田内閣]]への倒閣と結びつける向きがあった。第2代[[日本国有鉄道#歴代の国鉄総裁|国鉄総裁]]であった[[加賀山之雄]]は、事故の責任を取り引責辞任することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国鉄は、[[1949年]]に[[プロ野球]]球団「国鉄スワローズ」（現・[[東京ヤクルトスワローズ]]）を立ち上げ、その後も[[国鉄80系電車|80系電車]]・[[国鉄70系電車|70系電車]]などの新形式車両を投入し、[[特別急行列車]]・[[食堂車]]・[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]など[[戦時]]中に廃止された列車[[サービス]]の復活を図るなど、[[復興]]に邁進していた。その最中に起こった事故であるため、国鉄内外における衝撃は大きく、「プロ野球に参入する暇があれば、[[欠陥]]電車の[[メンテナンス|整備]]を先に行え」などと非難された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、80系電車を[[開発]]したメンバーの一人であり、当時国鉄車両局長を務めていた[[島秀雄]]はこの事故の責任を取って辞職し、その後[[十河信二]]に請われて復帰する[[1955年]]まで、鉄道[[技術者|技術職]]から離れる事になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の[[朝日新聞]]で連載されていた『[[サザエさん]]』でも、この事故を題材とした回があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鶴見区の[[曹洞宗]][[大本山]][[總持寺]]に、この事故の[[慰霊碑]]が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[中川浩一]]「桜木町事故とモハ63形のかかわり」 &lt;br /&gt;
: 電気車研究会『[[鉄道ピクトリアル]]』2005年1月号 No.756　p64-p69&lt;br /&gt;
* 浅原信彦「桜木町事故報告書の謎 &amp;lt;small&amp;gt;サハ78144と188はどちらが事故車だったのか&amp;lt;/small&amp;gt;」&lt;br /&gt;
: [[ネコ・パブリッシング]]『[[レイルマガジン|Rail Magazine]]』2006年8月号 No.275　p114-p115&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[鉄道事故]]&lt;br /&gt;
* [[国鉄戦後五大事故]]&lt;br /&gt;
* [[大邱地下鉄放火事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* {{失敗知識データベース|CA0000603|桜木町の列車火災}}&lt;br /&gt;
* [http://showa.mainichi.jp/news/1951/04/post-6060.html 昭和毎日：桜木町事件]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さくらきちようしこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:列車火災]]&lt;br /&gt;
[[Category:1951年の日本]]&lt;br /&gt;
[[Category:1951年の災害]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本国有鉄道の事件・事故]]&lt;br /&gt;
[[Category:京浜東北・根岸線|さくらきちようしこ]]&lt;br /&gt;
[[Category:横浜市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の火災]]&lt;br /&gt;
[[Category:占領下の日本]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の災害]]&lt;br /&gt;
[[Category:1951年の鉄道]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Fromm</name></author>	</entry>

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