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		<title>薔薇戦争 - 変更履歴</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;新しいページ: &amp;#039;{{ブリテンの歴史}} &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;薔薇戦争&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ばらせんそう、英:Wars of the Roses）は、&lt;a href=&quot;/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89&quot; title=&quot;百年戦争&quot;&gt;百年戦争&lt;/a&gt;終戦後に発生した&lt;a href=&quot;/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;イングランド (存在しないページ)&quot;&gt;イングランド&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96&quot; title=&quot;中世&quot;&gt;中世&lt;/a&gt;[[封...&amp;#039;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;{{ブリテンの歴史}}&lt;br /&gt;
'''薔薇戦争'''（ばらせんそう、英:Wars of the Roses）は、[[百年戦争]]終戦後に発生した[[イングランド]][[中世]][[封建制|封建]][[諸侯]]による[[内乱]]。[[1455年]]5月に[[ヨーク公リチャード]]が[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]に反旗を翻してから[[1485年]][[テューダー朝]]が成立するまで（[[1487年]]6月の[[ストーク・フィールドの戦い]]までとする見方もある）、血族である[[ランカスター家]]と[[ヨーク朝|ヨーク家]]の間で戦われた[[権力闘争]]。ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を[[紋章]]としていたので薔薇戦争と呼ばれているが、薔薇戦争という呼び名については後世のこととされる&amp;lt;ref&amp;gt;薔薇戦争という名称は当時は無かった。本名称が普及したのは、[[1829年]]に発表された[[ウォルター・スコット]]の小説『ガイアスタインのアン（Anne of Geierstein）』以来のこととされる。スコットがこの名称を用いたのは、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の戯曲『[[ヘンリー六世 第1部]]』において、対立する両陣営が寺院で互いに色違いの薔薇を摘むという架空の描写に依拠したものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&amp;lt;TABLE ALIGN=&amp;quot;right&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;TR&amp;gt;&amp;lt;TD&amp;gt;[[Image:War of Roses Red.png|thumb|ランカスター家の紋章]]&amp;lt;/TD&amp;gt;&amp;lt;TD&amp;gt;[[Image:War of Roses White.png|thumb|ヨーク家の紋章]]&amp;lt;/TD&amp;gt;&amp;lt;/TR&amp;gt;&amp;lt;/TABLE&amp;gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ランカスター朝の成立 ==&lt;br /&gt;
百年戦争に苦戦するイングランド王[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]（プランタジネット家嫡流　[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の孫）は王族・諸侯・市民の支持を失い頻発する反乱に悩まされ続けていたが、王家の重鎮で目障りな存在でもあった[[叔父]]・[[ランカスター公]][[ジョン・オブ・ゴーント]]が死去すると、その子・[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ボリンブロク]]を反王党派の中心人物と見なして、ボリンブロクに領地没収と[[国外追放]]を命じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対しボリンブロクは公然と王位移譲を要求して兵を上げ、リチャード2世を捕えて退位を余儀なくさせた。[[1399年]]、[[ヘンリー4世]]を称して即位したボリンブロクは、残存するリチャード2世派や自らの王権を認めない勢力との戦いを継続し、治世の晩年に漸くこれらを平定して国内を安定させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1413年]]、父・ヘンリー4世を継いだ[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]は、治世の初めから国内が安定していたことから一時中断していた百年戦争を再開し、1415年[[アジャンクールの戦い]]においてフランス諸侯連合軍に大勝した。ヘンリー5世は自らの子孫によるフランス王位継承を認めさせ、ランカスター朝の絶頂期を築いたが突然世を去ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 薔薇戦争の開始とヨーク朝の成立 ==&lt;br /&gt;
[[1422年]]に即位したヘンリー5世の遺児・[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]（即位時フランス王兼任）は、ひ弱で精神を病んでいたことから、成長してからも有力者や王妃[[マーガレット・オブ・アンジュー]]によって国政を左右され続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスでの戦況は[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]がイングランド軍を追い詰め、ついに[[1453年]][[10月19日]]、イングランド軍の守備する[[ボルドー]]を攻め落としたことによってイングランド勢力のほとんどがフランスから駆逐されてしまった（百年戦争の終結）。ヘンリー6世の権威は完全に失墜しイングランド国内は再び混乱に陥り、権力の中枢は実力者であった[[ヨーク公リチャード]]（プランタジネット家支流ヨーク家、エドワード3世の曾孫）に移動していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつてエドワード3世の末裔であるヘンリー4世は、民心の支持を失ったリチャード2世を廃して王位を簒奪した。今、ヘンリー6世は民心の支持を失った。ならば、同じエドワード3世の末裔であるヨーク公リチャードにも、ヘンリー6世を廃して王に即位する権利があるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;TABLE ALIGN=&amp;quot;right&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;TR bgcolor=&amp;quot;#BFFE9A&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;TD&amp;gt;{{Campaignbox 薔薇戦争}}&amp;lt;/TD&amp;gt;&amp;lt;/TR&amp;gt;&amp;lt;/TABLE&amp;gt;&lt;br /&gt;
こうしてヘンリー6世とヨーク公リチャードはランカスター派とヨーク派に分かれて激しく対立するようになり、ついに[[1455年]]、[[セント・オールバーンズの戦い (1455年)|（第1次）セント・オールバーンズの戦い]]で戦端が開かれた。以後30年間、イングランド国内で血みどろの内戦がくり広げられることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
意志薄弱なヘンリー6世に対して[[1459年]]9月の[[ブロア・ヒースの戦い]]で優位に立ったヨーク公リチャードは王位を目前にしたものの、[[1460年]]12月の[[ウェイクフィールドの戦い]]で不覚をとり戦死してしまう。この危機に際してヨーク公リチャードの子[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード]]は、一族の有力者ウォリック伯[[リチャード・ネヴィル]]や弟達（[[クラレンス公ジョージ]]・[[リチャード3世 (イングランド王)|グロスター公リチャード]]）と結束を固めランカスター派を破ると、ヘンリー6世に退位を迫り[[1461年]]11月、エドワード4世を称して即位した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
王位に就いたエドワード4世は、間もなく愛人[[エリザベス・ウッドヴィル]]との婚姻が絡んだ外交問題や政権内の主導権をめぐって、ウォリック伯やその娘婿であったクラレンス公と対立するようになる。ウォリック伯はヘンリー6世の妃マーガレット・アンジューらに主導されたランカスター派に寝返るとエドワード4世を追放し、[[1470年]]、ヘンリー6世を復位させた&amp;lt;ref&amp;gt;このことから人はウォリック伯を'''キングメーカー'''と呼んだ。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウォリック伯の娘婿クラレンス公は密かにヘンリー6世以後の王位継承を望んでいたが、ウォリック伯の別の娘アンがヘンリー6世の継嗣エドワードと結婚したことから、その望みを絶たれ失望して新政権から離脱した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国外に逃れ反攻の機会を窺っていたエドワード4世とグロスター公はクラレンス公と和解して兄弟3人の結束を確認すると、[[1471年]]、イングランドに攻め入りウォリック伯とランカスター派連合軍を破った。王に復帰したエドワード4世は、ランカスター派を徹底的に駆逐すると、かつて自分に反抗したクラレンス公をも粛清し反乱の芽を摘んで国内を安定させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テューダー朝の成立 ==&lt;br /&gt;
[[1483年]]、再び転機が訪れる。エドワード4世が病死するとグロスター公は、幼いエドワード4世の子・[[エドワード5世 (イングランド王)|エドワード5世]]と母后・エリザベス・ウッドヴィルの一族を排除して[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]として即位した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
リチャード3世の即位によって国内は混乱し各地に反乱が起こった。このころフランスに亡命していたランカスター派の[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー・テューダー]]は、[[1485年]]、兵を率いてイングランドに上陸すると[[ボズワースの戦い]]でリチャード3世を撃ち破った。ヘンリー・テューダーはエドワード4世の子・エリザベスと結婚してヨーク家と和解すると、ヘンリー7世として即位しテューダー朝を開始、打ち続く戦争と内戦に疲弊し没落しつつあった諸侯を抑えて[[絶対王政]]を確立していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[イギリス君主一覧]]&lt;br /&gt;
*[[バラ]]：一つの花に紅白の縞が入るバラの品種に「ヨーク・アンド・ランカスター」というものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注記 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:薔薇戦争|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Koto</name></author>	</entry>

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