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		<title>黄錦周 - 変更履歴</title>
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		<title>2012年9月17日 (月) 10:32にFrommによる</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
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				&lt;td colspan='2' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;←前の版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='2' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2012年9月17日 (月) 10:32時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan=&quot;2&quot; class=&quot;diff-lineno&quot; id=&quot;L16&quot; &gt;16行目:&lt;/td&gt;
&lt;td colspan=&quot;2&quot; class=&quot;diff-lineno&quot;&gt;16行目:&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;
&lt;tr&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;/td&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;
&lt;tr&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;== 証言内容 ==&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;== 証言内容 ==&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;
&lt;tr&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;−&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;color:black; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #ffe49c; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;[[Image:&lt;del class=&quot;diffchange diffchange-inline&quot;&gt;黄錦周1&lt;/del&gt;.jpg|500px|thumb|黄　錦周の証言]]&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;+&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;color:black; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #a3d3ff; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;[[Image:&lt;ins class=&quot;diffchange diffchange-inline&quot;&gt;黄錦周2&lt;/ins&gt;.jpg|500px|thumb|黄　錦周の証言]]&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;
&lt;tr&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;* 「19歳の時、学校を卒業する25日前に日本軍に慰安婦にされた」&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;* 「19歳の時、学校を卒業する25日前に日本軍に慰安婦にされた」&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;
&lt;tr&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;* 「1日何人の相手をさせられたのか判りません。気絶してしまうこともありました。生理の時許してくれと言ってもダメでした。私は何とか休みたいと体中にわざと生理の血を塗りまくって、兵隊の気をそごうとしました。兵士達は気に入らないと殴る・蹴るの暴力をはたらきました。私も数百回、数千回殴られたかしれません。病気で弱った慰安婦は掘った穴に入れられ手榴弾で殺され、埋められたと聞きます」&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;td class='diff-marker'&gt;&amp;#160;&lt;/td&gt;&lt;td style=&quot;background-color: #f9f9f9; color: #333333; font-size: 88%; border-style: solid; border-width: 1px 1px 1px 4px; border-radius: 0.33em; border-color: #e6e6e6; vertical-align: top; white-space: pre-wrap;&quot;&gt;&lt;div&gt;* 「1日何人の相手をさせられたのか判りません。気絶してしまうこともありました。生理の時許してくれと言ってもダメでした。私は何とか休みたいと体中にわざと生理の血を塗りまくって、兵隊の気をそごうとしました。兵士達は気に入らないと殴る・蹴るの暴力をはたらきました。私も数百回、数千回殴られたかしれません。病気で弱った慰安婦は掘った穴に入れられ手榴弾で殺され、埋められたと聞きます」&lt;/div&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;
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		<author><name>Fromm</name></author>	</entry>

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		<title>Fromm: ページの作成：「黄　錦周 '''黄錦周'''（ファン・クムジュ、1927年 - ）は韓国生まれの自称・[[従軍慰...」</title>
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				<updated>2012-09-17T10:29:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成：「&lt;a href=&quot;/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E9%BB%84%E9%8C%A6%E5%91%A81.jpg&quot; title=&quot;ファイル:黄錦周1.jpg&quot;&gt;黄　錦周&lt;/a&gt; &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;黄錦周&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ファン・クムジュ、&lt;a href=&quot;/wiki/1927%E5%B9%B4&quot; title=&quot;1927年&quot;&gt;1927年&lt;/a&gt; - ）は&lt;a href=&quot;/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD&quot; title=&quot;大韓民国&quot;&gt;韓国&lt;/a&gt;生まれの自称・[[従軍慰...」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;[[Image:黄錦周1.jpg|300px|thumb|黄　錦周]]&lt;br /&gt;
'''黄錦周'''（ファン・クムジュ、[[1927年]] - ）は[[大韓民国|韓国]]生まれの自称・[[従軍慰安婦]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
発言する都度、内容があまりにも変化し矛盾だらけのため、今日彼女の発言を信用している者は[[在日朝鮮人]]と[[ブサヨ]]のみとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[韓国挺身隊問題対策協議会]]『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』での本人証言に基づく。&lt;br /&gt;
* 1922年扶餅生まれ。家は由緒正しいソンビだが経済的には苦しい&lt;br /&gt;
* 1934年（13歳）父が病気になり薬代の借金のため[[咸興市|咸興]]の催さんの養女に（実際は女中）&lt;br /&gt;
* 1936年（15歳）扱いの荒さに音を上げ、催さんの本妻の家に移動、借金が増える、学校に行かせて貰う&lt;br /&gt;
* 1941年（20歳）村の班長が「1家で1人は日本の工場で働かねばいけない」と言われ養家の他の子供の身代わりになって志願。3年間の労働で借金が返せると期待。他の人と一緒に列車とトラックでついた場所（駅名は[[吉林市|吉林]]）は日本軍のテントで3日に1回将校の部屋に呼ばれ強姦された&lt;br /&gt;
* 1941年（半月後）慰安所に移動、木造の簡単な小屋数棟で看板はない。食事も軍人と混じってとり完全な日本軍の支配下にある&lt;br /&gt;
* （？後）トラックと船で近傍の慰安所に移動。より厳しい状況、主に海軍軍人がきた&lt;br /&gt;
* （8～9ヶ月後）移動する軍人について吉林の慰安所に戻る&lt;br /&gt;
* 1945年8月（24歳）終戦、将校はおらず自由にしろというメモだけ。下腹部が腫れ膿が出て歩けない同僚を残し歩いて兵舎の外へ。朝鮮に帰ったのは12月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 証言内容 ==&lt;br /&gt;
[[Image:黄錦周1.jpg|500px|thumb|黄　錦周の証言]]&lt;br /&gt;
* 「19歳の時、学校を卒業する25日前に日本軍に慰安婦にされた」&lt;br /&gt;
* 「1日何人の相手をさせられたのか判りません。気絶してしまうこともありました。生理の時許してくれと言ってもダメでした。私は何とか休みたいと体中にわざと生理の血を塗りまくって、兵隊の気をそごうとしました。兵士達は気に入らないと殴る・蹴るの暴力をはたらきました。私も数百回、数千回殴られたかしれません。病気で弱った慰安婦は掘った穴に入れられ手榴弾で殺され、埋められたと聞きます」&lt;br /&gt;
* 「威鏡の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」（[[朝日新聞]] [[1995年]]）&lt;br /&gt;
* 「村の班長（日本人）に『一家に一人は行かなくては』と脅かされ、1941年、朝鮮を離れたが、到着した場所は、慰安所だった」（元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会）&lt;br /&gt;
* 「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じ、私は労働者として徴用されたのだと思った」 （国連・経済社会理事会[[クマラスワミ報告]]）&lt;br /&gt;
* 「14歳のとき、いわゆる「処女供出」で満州に連行され、皇軍兵士の道具にされた」 （黄錦周さんの証言を聞く会 [[東京大学]]にて）&lt;br /&gt;
* 「証拠がないわけがないだろう。私が証拠じゃない。これ以上どんな証拠を出せというの」 &lt;br /&gt;
:* 小林よしのりは『[[新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論]]』で、この弁明を（ギャグ調にして）特に問題視している。&lt;br /&gt;
* 「1日に相手をした数は30～40人くらいでしたが、休日には軍人達がふんどし1枚で列を作るほど押し寄せました。まだ前の人がいるのにそのふんどしまでとってカーテンを開け押し入る軍人もいました。少しでも時間が余計にかかると外で『早く早く』という声がかかりました。戦場に出る前の軍人は特に荒々しく泣きながらする人もいました」（吉林の慰安所で）&lt;br /&gt;
* 「生理の時には脱脂綿のようなものを配給されました。1年程した頃からこの配給が途絶えたので他の人が洗って干しておいたものを盗んで使ったり、軍人達のゲートルを拾ってきて洗って使ったりしました」「軍隊の中では慰安婦は人間としての扱いを受けることができなかったのです。殴られる事が日課でした。月を眺めているだけで何を考えているのかと殴られ、一人言を言えば文句を言ったと殴られました。幕舎の外に出ようとすると、どこにいくのかと足蹴にされたので、外を見ることもできませんでした。だから部隊名も軍人の顔も階級も覚えられませんでした」（吉林の慰安所で）&lt;br /&gt;
* 「子宮が腫れて血膿が出て兵隊の相手ができなかった日、ある将校がきて相手をできないなら代わりに自分の性器を口に含めと言いました。私はそんな事をするくらいなら『あんたのクソを食らうほうがまだましだ』と言い返しました。すると将校はこのやろう殺してやると言ってめちゃくちゃに殴る蹴るの暴行を加えました。気がついたとき四日もたったと小屋の同僚に言われました」（吉林の慰安所で）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 証言の信頼性について ==&lt;br /&gt;
* 漫画家[[小林よしのり]]は、著書『[[新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論]]』2のなかで黄の証言の矛盾を指摘した。&lt;br /&gt;
:* 証言では多くの女性と一緒に列車に乗ったことがわかり、班長の要請は動員ではなく日本軍からの慰安婦供出の指示だったというものの朝鮮人女性に動員令が出たのは[[1944年]]であり[[1938年]]の動員はありえないことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[ソウル大学校|ソウル大学]]教授・[[安秉直]]は慰安婦として名乗り出た人の中には事実を歪曲している人もいた事を記し、この調査結果での黄錦周についてはそうした事はなく証言の信憑性についての確認に自信を持っていることを以下のように書いている。 &lt;br /&gt;
&amp;lt;blockquote&amp;gt;「調査を検討する上で難しかったのは証言者の陳述がたびたび論理的に矛盾することであった。すでに50年前の事なので、記憶違いもあるだろうが証言したくない点を省略したり、適当に繕ったりごちゃ混ぜにしたりという事もあり、またその時代の事情が私たちの想像を越えている事もあるところから起こったことと考えられる。（略）私たちが調査を終えた19人の証言は私たちが自信をもって世の中に送り出すものである。（略）証言の論理的信憑性を裏付けるよう、証言の中で記録資料で確認できる部分はほとんど確認した」&amp;lt;/blockquote&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: 後日（[[2006年]]）に安は、「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない」と述べ、日本のケースでの「自発性」を強調し、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 証言内容の変化1 ==&lt;br /&gt;
以下はすべて、従軍慰安婦として有名な「黄錦周」(ファン・クムジュ)さん1人による証言。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1 従軍慰安婦と戦後補償 / 著者：高木健一 &lt;br /&gt;
:「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。[[1938年]]に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2  国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日 &lt;br /&gt;
:「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3 日本TV企業&amp;quot;TBS&amp;quot;「ここが変だよ日本人」というTV番組より（従軍慰安婦問題） &lt;br /&gt;
:「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4 「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期 &lt;br /&gt;
:「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5 元日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日 &lt;br /&gt;
:『村の班長（日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした』 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6 黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて &lt;br /&gt;
:「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 証言内容の変化2 ==&lt;br /&gt;
1 1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。(「写真記録 やぶられた沈黙」1993年)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2 1944年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。(「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」1993年10月)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3 1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。(英文中国日報 1998年8月23日)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4 14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられ、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけた(元「慰安婦」へ補償を～日本共産党との会合 2002年6月26日)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5 1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。（「消せない記憶」～京都での市民集会李容珠 2004年12月4日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6 16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦（京都新聞（2004年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7 女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。(証言集会～同志社大学（2005年4月21日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8 韓国の大邱から15歳ごろ連行された。(朝日新聞 2005年8月11日)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9 15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。（「埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議」JanJan 2006年10月13日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10 1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され(中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」2007年2月16日)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11 5歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし（イヨンスさいたま公聴会（2007年2月23日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12 15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。(JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」2007年2月26日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 自称慰安婦の李容洙さん「15歳の時、家で寝てたら日本軍に連行された」←new! ちなみに前回は「勤務先のレストランに行く途中、大男にトラックに放り込まれた」 ==&lt;br /&gt;
日本の侵略戦争で日本軍「慰安婦」として、性暴力の被害を受けた韓国の李容洙(イ・ヨンス)さん(83)が実名で被害を告発してから20年になった今年、李さんを招いての集会が[[2012年]][[9月12日]]、川崎市内で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主催は、川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在も日本政府は責任を認めていない。[[橋下徹]]大阪市長は「強制連行の事実については確たる証拠がない」などと発言(8月21日)し、地元・大阪や[[プロ市民|人権団体]]などから抗議の声があがっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
李さんは「証言することは私の命と同じ」と話し、日本語で語り始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
15歳のときに、自宅で寝ていたところを日本軍によって連行された。帰りたいと言うと「言うことをきかなければ殺す」と脅され、軍靴や棒で顔や体に暴力を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各地を日本軍とともに転々とし、17歳で父母の元に帰るも、「また捕まるのではないかと思うと、顔を上げて歩けない。誰にも話せなかった」という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
李さんは言う。「日本と韓国は隣の国だもの。若い人たちが仲良く手をつないでいけるようにするのが私の仕事。私が生きているうちに解決をしないと」と、日本政府による心からの謝罪と賠償を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しんぶん赤旗より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== この報道に対する声 ===&lt;br /&gt;
* そんな記憶はない。だけど周りから言われて勝手に記憶が作られることはある。&lt;br /&gt;
* ふーん。で、給料はいくらもらってたの？&lt;br /&gt;
* 毎回証言の内容や年齢が違いますね。なんで？&lt;br /&gt;
* いや、本当に日本軍が15歳の朝鮮人少女を連行したのであれば、村じゅう大騒ぎになったはずだけどｗ&lt;br /&gt;
* だよな。村の男たちが自警団作って日本人襲撃するはずだ。ってか、そうならないために慰安施設作ったのにな&lt;br /&gt;
* ﾜﾛﾀ。また証言が変わってやがる。お前一体何歳でどこからどこへ連れて行かれてるんだよ&lt;br /&gt;
*　破格の待遇でしたからねえ。[[朝鮮戦争]]でドラムカンに詰められた慰安婦と天地の差&lt;br /&gt;
* 次はある日森の中くまさんに連行されたとか言い出してもおかしくないな&lt;br /&gt;
* えーと、また微妙に発言変わってるな。http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/31823357.html　　これで20回目くらいの状況変更か？婆さん&lt;br /&gt;
:一番最初の「1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く」って発言は、もう無かったことになってんのな。&lt;br /&gt;
:これだと、戦地じゃなくて台湾になってるけど、今回は、『各地を日本軍とともに転々とし、17歳で父母の元に帰る』どうなってるんだ？？&lt;br /&gt;
* 自称元慰安婦の証言なんてアテにならないことの生ける証拠だな。まさに「あたしが証拠だよ」だ&lt;br /&gt;
* 真実を話せよ。人生終盤なのに嘘ばっかつきやがって。死んだら絶対地獄に落ちるわ&lt;br /&gt;
* 毎回だれかを喜ばせようと、嘘をつく必要はないのに、おばあさん…&lt;br /&gt;
* 1942年で15歳ならなんでいま83歳なんだ？もう出鱈目言ってますよって自分で認めてるようなもんだな。&lt;br /&gt;
* 川崎は法政と明治がアカの拠点。[[全共闘世代]]のジジイがいまだに出入りしてんだから&lt;br /&gt;
* もはや慰安婦はおろか年齢、名前すら疑わしい&lt;br /&gt;
* ほんと謝罪と賠償って言葉好きだよな。これしか言えないのかよ&lt;br /&gt;
* 家で寝たて少女を突然堂々と連行しても暴動も起こさない自称独立運動をした朝鮮人w おっかしぃな～&lt;br /&gt;
* 金払って売春婦集めてんだから、そんなことする必要性ないし。大体、そこまでやって2年で帰すって(笑)普通そのまま死んでるだろ(笑)チョンがベトナムでやったことや、チョン戦争の話がベースなのかね？&lt;br /&gt;
*　親が朝鮮人[[女衒]]に売ったんだよ。親を恨め&lt;br /&gt;
* 小学校の帰りじゃなかったのかよ&lt;br /&gt;
* そんなことしたら[[憲兵]]さん即捕まるだろ&lt;br /&gt;
* こんな夢ずっと見てて、哀れな一生だな。何のために生きてきたんだろ&lt;br /&gt;
* 当の韓国人もほとんどの日本人もみんな慰安婦問題の真実を知ってるのに、韓国人は何故今でも平気で嘘をつくの？&lt;br /&gt;
* 普通に考えて、親に売られたんだろこれ。しかも2年契約で帰れたとか、他の国ならほとんどありえんと思うが&lt;br /&gt;
* 15歳で83歳か。つまり68年物の大嘘つきですな。ここまで来ると自分が嘘をついているということさえわからなくなってそうだなぁ。てか、68年前といえば1944年で日本の戦況が一段と悪くなった時期なんだが。そんな時期に後方で売春婦狩りする余裕なんかあったんかいなぁ。あまつさえ曲がりなりにも当時「自国民」だった15歳の子供を徴発するかぁ？&lt;br /&gt;
* だからさー国家間の正式な賠償は終わってるんだよー事後の細かいフォローはその国のもんだいなんだよー苦情を言うなら何もしない[[韓国]]政府にいってねー&lt;br /&gt;
* 実のところは親に売り飛ばされただけだったりする。当時の状況を詳しく聞いて検証すべき。決して鵜呑みにしてはいけない。&lt;br /&gt;
:自分で進んで売春した人→戦後、軽蔑されるのが嫌で「無理矢理連れて行かれた！」&lt;br /&gt;
:娘を売り飛ばした親→世間体が悪いので「無理矢理連れて行かれた！」&lt;br /&gt;
:親に売り飛ばされた娘→「無理矢理連れて行かれた！」&lt;br /&gt;
:今回の「家で寝ていたら」バージョンは、先日の女の子が寝たまま連れ去られた事件からインスピレーションを得たのですね。わかります。&lt;br /&gt;
* 日本軍の誰にどこへさらわれてどんな連中に管理されたのか、明確な証言でもあるんでしょうか?あるわけないですよね。キチガイの妄想の挙句ですから&lt;br /&gt;
* 売春婦でしたって言えるわけないしなw&lt;br /&gt;
* 日本政府から金を騙し取る事が出来ないと解り、講演料目当てで主催者や聴衆が気に入りそうなストーリー考えてしゃべってるんじゃね？主催者も支持者から寄付金を出させるのが目的で、嘘を解っててしゃべらせてる。最後は自分達も騙された被害者なんて言い出す&lt;br /&gt;
* こういうのがあるから[[日本共産党]]は日本人に支持されないんだよな&lt;br /&gt;
* 普通に考えて、たかだか娘ひとりを軍が出動して引き取りに行くかね？通常の思考があればこんなのに軍が出動するわけがないぞ。軍をなんでも屋だと思ってるんだれうか？&lt;br /&gt;
* 大勢の女性が強制連行されたと主張するのに証拠がなにひとつ出てこない&lt;br /&gt;
* [[ピーチ姫]]並の拉致られ頻度やで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[虚言癖]]&lt;br /&gt;
* [[キチガイ]]&lt;br /&gt;
*[[妄想]] - [[せん妄]] - [[幻覚]]&lt;br /&gt;
*[[パーキンソン症候群]]&lt;br /&gt;
*[[真人]]&lt;br /&gt;
* [[金学順]]&lt;br /&gt;
* [[李容洙]]&lt;br /&gt;
* [[文玉珠]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://blog.goo.ne.jp/andoro-n/e/57a5090bbd12f8602c5825ad0ead9cae 元慰安婦たちはこう言っている]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふあんくむしゆ}}&lt;br /&gt;
[[Category:慰安婦問題の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1922年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1927年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:異常心理学]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Fromm</name></author>	</entry>

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