清水康広
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| 清水 康広  No. 
 | |
| [[画像:|0275px|]] | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 鹿児島県日置市伊集院町 | 
| 生没年月日 | 1985年11月14日((2025-1985)+((11-11)*100+(4-14)>=0)-1歳)  -  
 | 
| 身長/体重 | 177cm/ 100kg | 
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 | 
| 守備位置 | 内野手 | 
| プロ入り | |
| 出場期間 | 四国・九州IL / 2008年  -  
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| 年俸 | |
| 経歴 | |
  | |
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清水 康広(しみず やすひろ、1985年11月14日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
小学校1年よりボーイズリーグ「鹿児島グレートライオン」で野球を始める。小学校5年のジャイアンツカップで主軸として活躍して3位となる。当時のポジションは二塁手、投手。
中学校は新設の同じくボーイズリーグ「鹿児島メッツ」に入団し、中学3年時はゼット旗大会で優勝し、第一回鶴岡一人記念大会の九州選抜に選出され、九州の四番打者として出場する。当時のポジションは捕手。
高校は大分県の柳ヶ浦高に進学し、吉良俊則(元・オリックス)と80発コンビとして2度の甲子園出場(02夏、03夏)に貢献した。高校通算ホームランは32本で、当時のポジションは一塁手。ちなみに、2年の秋県予選の優勝投手で、最速142キロの速球が武器だった。
大学は九州産業大学に進学し、3年の秋より4番をつとめる。4年の春で野球での進路の限界を感じて一時野球から離れるが、同大学の大久保哲也監督の説得により野球部に復帰し、第38回明治神宮野球大会出場の原動力となる。2回戦で負けたものの斎藤佑樹擁する早稲田大学に一時リードし、ハンカチ王子を大学最短3回でKOした男として地元福岡の注目を集める。
野球での進路は当初、太りすぎている、足が遅いなどの理由で本人は考えていないと表明していたが、地元福岡で独立リーグのチームが出来ると聞き、一念発起し福岡レッドワーブラーズの一員となる。2008年のシーズンは59試合に出場し、打率.256、23打点の成績だった。
2009年は57試合に出場し、打率.259、22打点。シーズン終了後、自らの申し出により退団。
人物
- 新聞などで『博多のドカベン』『九州のドカベン』などと形容されているが、『ぽっちゃり王子がいい』など、茶目っ気あるコメントを発するなど、キャラクター的に周りを和ませるムードメーカーである。
 - 自称100キロの体重も、本当のところは110キロを越えていそうな体型であるが、守備の能力や走塁の感覚は思ったより良いと評判である。
 - ホームゲームの入場テーマ曲は、DJ OZMAのMYWAYで自身の生き方そのものの歌詞なので選曲したとか・・・
 
成績
| 年 度  | 
チ | ム  | 
背 番 号  | 
試 合  | 
打 数  | 
安 打  | 
本 塁 打  | 
打 点  | 
盗 塁  | 
三 振  | 
四 死 球  | 
打 率  | 
出 塁 率  | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 福 岡  | 
5 | 59 | 160 | 41 | 0 | 23 | 5 | 31 | 17 | .256 | .328 | 
| 2009 | 57 | 170 | 44 | 2 | 22 | 4 | 22 | 15 | .259 | .319 | ||
| 通算成績 | 116 | 330 | 85 | 2 | 45 | 9 | 53 | 32 | .258 | .323 | ||
関連項目