山口尚芳
山口尚芳(やまぐち なおよし)とは、日本国民(義務教育修了者)が絶対見たことあるのに名前を絶対知らない人ランキング、実在人物部門において、堂々の第1位に君臨する男である。 そして、古今東西あらゆる「5人組の集団」(SMAP、嵐、ゴレンジャー、新選組幹部など)の中で、最も影が薄い存在としても知られている。
目次
概要
我々の記憶には、「名前は全く知られていないのに、ビジュアルだけは脳にこびりついている」という存在がいくつかある。
例えば、架空のキャラクターでいえば、手塚治虫の漫画に脈絡なく登場するあの豚の落書き「ヒョウタンツギ」や、うま い棒のパッケージにいるアイツ(うまえもんだが、誰もそうは呼ばない。「うまい棒のキャラ」としか認識されていない)などである。
それの「実在する偉人」版、その頂点に君臨するのが、この男・山口尚芳なのである。
公開処刑
どうだ。絶対に上記の写真には見覚えがあるだろう。日本の歴史教科書、資料集、果てはテレビの歴史特番で、「日本の近代化」を語る際に、100%の確率で引用される、この岩倉使節団の記念写真。我々は、この写真のメンバーをこう覚えている。
- 右端:大久保利通(なんか怖い。西郷どんのライバル)
- 右から2番目:伊藤博文(なんかチャラい。後の総理大臣)
- 中央:岩倉具視(リーダー。なんか偉そう)
- 左から2番目:誰だっけ、こいつ
- 左端:木戸孝允(かなりイケメン。桂小五郎)
そう。この、左から2番目に堂々と仁王立ちし、洋装を着こなしながらも、我々の記憶の網膜から、塩素消毒でもされたかのように完璧に抜け落ちる男。彼こそが、山口尚芳その人である。
文部科学省による国家規模の「いじめ」
彼の悲劇は、写真写りが地味なだけでは終わらない。歴史教科書の記述を見てみよう。多くの場合、こう書かれている。
「全権大使・岩倉具視、副使・木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら5名」
「ら5名」 これである。
岩倉、木戸、大久保、伊藤。この「維新オールスターズ」の4名はフルネームで手厚く紹介される。しかし、5人目のメンバーである山口尚芳は、「ら」という、助詞一文字、あるいは「その他大勢」という、極めて屈辱的な扱いで一括りにされてしまうのだ。これは、もはや歴史の記述ではない。文部科学省による、山口尚芳個人に対する、国家規模の「いじめ」であり、歴史からの抹殺(パージ)に他ならない。
視察中の風景(妄想)
彼の不遇は、写真や教科書の中だけではなかったはずだ。この使節団における彼の立ち位置は、想像に難くない。 当時、彼は33歳。これは、大久保(42歳)、木戸(39歳)、岩倉(47歳)より遥かに年下であり、あの伊藤博文(31歳)とほぼ同世代である。しかし、伊藤が「いやー、大久保さん!昨日のレディ、マジヤバくなかったスか!」などと、持ち前の陽キャコミュ力で先輩たちに取り入る中、尚芳は、きっとこうだったに違いない。
大久保:「山口くん。君、さっきのビスマルクとの会談、いたかね?」
尚芳:「は、はい!もちろん、おりました!」
大久保:「そうか。気づかなかった」
尚芳:「……」
伊藤:「(小声で)あーあ、山口さーん、影薄すぎっスよー!また『いない』ことにされてんじゃん、ウケるー!」
絶対にいじめられていた。このメンツの中で、唯一の「常識人枠」であるがゆえに、あまりの存在感のなさを、年下の伊藤にすらイジられながら、欧米の土を踏んでいたに違いない。
なぜ尚芳はメンバーに選ばれたのか
ここで、最大の謎にぶち当たる。なぜ、彼は選ばれたのか?
岩倉、大久保、木戸、伊藤。この「A級戦犯」…いや、「A級レジェンド」たちの中に、なぜ、この「誰?」な男が、「副使」というNo.2グループの一員として紛れ込めたのか。(※注:彼は佐賀藩出身の優秀な官僚であり、英語が堪能だったため、事務方トップの理事官として選ばれたのだが、アンサイクロペディア的にはそんな事実はどうでもいい)
ここに、いくつかの(非現実的な)仮説を提唱する。
合成写真説
最も有力な説。本当の使節団は4人だった。しかし、「4」は縁起が悪い。「なんか寂しいし、5人の方がゴレンジャーみたいでカッコええやろ?」と考えた岩倉が、たまたまスタジオの隅で掃除をしていた、現地の日本人清掃員(尚芳)を呼び止め「君、ちょっとそこ立って」と、無理やり撮影に参加させた。それが、この写真の真実である。
伊藤の「通訳のフリ」要員説
伊藤博文は、英語が堪能であった。しかし、彼はチャラい。
「俺、英語ペラペラだけど、ずっと通訳させられんのダルい」
そこで、自分と同じくらいの背格好で、地味で、黙っていても誰も気にしない男(尚芳)を連れて行き、「彼が、ウチの通訳なんで(大嘘)」と紹介。難しい交渉は全て尚芳(本当は英語がデキる)に丸投げし、自分は現地のレディと遊び歩いていた。そのための、スケープゴートとして選ばれた説。
現地ガイドと間違われた説
欧米に到着した岩倉一行。「ここがアメリカか…で、ワシらの案内人はどこじゃ?」
その時、たまたま前を通りかかった、ただの日本人留学生(尚芳)。
「お、君、日本人だね? よし、君が案内人だ」
「え、人違いです…」
「いいから、行こう!」
こうして、彼はなし崩し的に、2年近くにわたる欧米視察に強制連行された。写真の彼の表情が、他の4人と比べてどこか「(俺、いつ帰れるんだろう…)」と、諦観に満ちているのは、そのためである。
丁髷(ちょんまげ)枠説
岩倉使節団の目的の一つは、「野蛮な国・日本」のイメージを払拭することだった。しかし、リーダーの岩倉具視は、出発時、普通に丁髷を結っていた(アメリカで断髪)。
「岩倉公、その髪型はマズイです!」 「いや、ワシはこれが日本の魂じゃ」 「じゃあ、わかりました。岩倉公が断髪するまでの間、『あ、日本って丁髷だけじゃないんだ』って思わせるための、『近代化してる日本人』代表として、誰か洋装の似合う地味な奴を連れていきましょう!」
こうして、「岩倉公の丁髷をカモフラージュする」という、極めて重大なミッションのためだけに、尚芳は選ばれた。
まとめ
彼は、維新後も内務省などで真面目に働き、男爵にまでなった。立派な人生である。しかし、歴史は彼に「その他大勢」という残酷な烙印を押した。
彼が、あの写真で左から2番目という「最もカメラマンがピントを合わせにくい」絶妙なポジションに立ってしまったこと。そして、一緒に写った4人が、日本の歴史の教科書の7割を占めるレベルの怪物たちであったこと。この二つの不運が、彼を「永遠の誰だっけ」へと追いやった。
死してなお、文部科学省から「ら」と呼ばれる男、山口尚芳。我々が彼の名前を覚える日は、果たして来るのだろうか。
いや、来ない。彼は、これからも「岩倉使節団の、あの左から2番目の人」として、我々の記憶の片隅に、ぼんやりと立ち続けるのである。
